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October 31, 2007

ケンブリッジ大学 学生寮

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紅葉の美しいケンブリッジに行った。友人の息子のM君が大学生活を送っているのだ。

シティという 「ビジネスマンのおやじの巣窟」で働く私には、賢そうな若者が青春しているケンブリッジ訪問はいい気分転換になる。

いいねえ、若い人は生き生きとしていて・・・(私のコメントのほうが余程おやじ臭い)

どのレストランも大学生とその親、というグループで一杯。
「ホホホホ、宅の子はデキが良くて、ケンブリッジ大学に行っておりますの。その辺を歩いているアホガキとは違うざます」と日頃は自慢していても、ここでは石を投げればケンブリッジの学生に当たるという土地柄だ。(注:本当に石を投げてはいけません)

M君のカレッジは創立されてから30年足らず。ケンブリッジのカレッジはどこも数百年もの歴史があると思い込んでいたけど。大金持ちがポーンと10ミリオンポンド (現在ではたいした金額ではないけど)を寄付して、このカレッジが誕生。
建物の雰囲気が何かに似ていると思ったら、バービカンセンターだ。なんだか、人を迷子にさせよう、という悪意が感じられる迷路チックな構造だ。同じ建築家の設計ではないだろうな。

さて、M君の学生寮に案内された。ベッドとデスクが置かれたシングルルームで、クロゼットがあり、コンパクトなバスルームがついている。日本なら、1泊1万円 (税込み)の中級ビジネスホテル、みたいな雰囲気だ。寮費は月に300ポンドだって。

しかし・・・さすがは男の大学生の部屋。想像を絶する汚さだ。ちょうど彼の友人ふたりが来ていて、サンドイッチとベークドポテトを食べている最中だったが、よく、食べられるわ、こんなゴミ溜め・・・いや、混乱した部屋で。
足の踏み場もないとはこのことだ。ベッドの上になぜかフライパンがあり、中にはひからびたチーズと変色したケチャップ、煙草の吸殻が。服は床に散乱し、椅子には不気味なシミのついたバスタオルがかかっている。

「その辺に座ってください。遠慮なく」って・・・ごめん、遠慮してもいい?
友人は頭から湯気をたてて、部屋の汚さを罵った。

大学の学生寮を見るのはこれで3ヶ所だと思う。
MITこと、マサチューセッツ工科大学に知り合いが通っていて、中を見せてもらったことがある。ふたり部屋だったが、広々としてきれいなので驚いた。さすがは高い授業料で有名なアメリカの大学。こうやって、資本主義のイロハを学生に叩きこむのね。

一方、私の大学の女子寮はしょぼかった。夏期講習で泊まってぞっとした。
数名の寮母さんも住み込みで、まるっきり男っ気なしの 「女の園」。
同じ「女の園」でも、 「宝塚」と違って、スパンコールや羽飾り、金ラメや舞台メイクがないので華やかさには無縁。古い木造の建物と寮母さんの油っけのないパサついた感じがなんともマッチしていて、いかにもくすんだ場所だった。
「親元を離れた。これで門限もなし。監視もない。よっしゃー、遊ぶぞー」と意気盛んだった私が断固として寮に入ることを拒否したのは当然だ。

部屋の汚さを怒られるのにうんざりしたM君は話題を変える。
「グラマースクールで一緒だったD君ね。休学して療養中なんだよ」
すごい教育ママだったD君の母親を友人は覚えていた。当時、まだ11歳の息子の将来を細かく計画していて、GCSEではどの科目、Aレベルではどの科目を履修し、オックスブリッジ (オックスフォード大とケンブリッジ大のこと)に進学し、弁護士になった後、家業を継ぐ、と、のんびりした友人を圧倒する 「猛烈ママ」だったらしい。
残念ながら、D君はオックスブリッジに合格できず、別の大学に入った。その大学も一流校だったが、親はがっかり。そんな親に罪悪感を持ったのか、それとも親から離れてタガがはずれたのか、D君はドラッグに走って身体をこわし、強制入院。

げに、恐ろしや、親のプレッシャー。

「ふーん、D君、大変そうだね」と友人は言ったものの、また部屋を整頓しろとガミガミ文句を言い出した。
「大学生が部屋の片付けなんか考えないよ。頭の中にはパーティとか、パブとか、ガールフレンドしかないって。それに、あまり叱りつけるとD君みたいになっちゃうよ」とからかった。
「うちの息子に限っては、そんなことはない」と言い切る友人。
なんで、と聞くと、
「ドラッグは金がかかる。ドラッグ漬になるには、さらに金がかかる。金持ちのD君の家と違い、サラリーマンのうちの家庭では、ギリギリの生活費しか息子に仕送りしていないから」とのことであった。

貧乏な学生生活のため、麻薬ジャンキーにならなくてすむM君。親の愛をとくと感じて欲しい。

投稿者 lib : 08:03 PM | コメント (0)

義妹の結婚式

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ダーリンの一番下の妹がついに結婚した。
ボーイフレンドいない歴がないほど、適当にモテてダーリンとはちょっと違う。
夫になった彼にあったのは、4年前のクリスマス前のパーティー。
このとき、彼女はアメリカ人のボーイフレンドを英国に呼び、クリスマスと新年を祝うはずだった。
可愛そうなのは、このボーイフレンド、クリスマス前に振られ、異国の地で淋しい新年を向かえた。

妹のダンナは、背が低い。このことがよくダーリンの家族でネタにされていた。
子供服で済むから、お金が貯まるとか、どこにいるか見えないなど、
もちろん彼がいない時に言う冗談だが、私もいない時にはあの黄色は、、、何て言われているかもしれないなー。
おお恐。
この彼、しっかり屋だ。寮に住んで仕事をしていたので、家賃がわりに家を買い、人に貸している。
既に2件を持ち、投資をしっかりと考えている。その上、テレビはくだらないと家にはテレビがない。
だからケチと言う訳ではない。私は、このしっかりとした考え方を持つ若者に好感を持っている。
もちろん、義妹も大好きだ。

そんな彼らの結婚式だからとはりきって、何と振り袖を来て出席した。
着物の効力は、凄い。
「写真を撮らせて!」とか、「これ、着物っていうのよね?」なんて、みんなからどんどん話かけてくれる。
その上、バンドが入ってからは、ダンスに誘われたりもした。よしよし。
生憎、着物なのでうまく動けないのと、
汗だくになって、汚れた手で触られると着物の後始末が大変なので、丁重にお断りした。
最近は、みんなが珍しいのか着物に触りたがるのを知っているので、その気配を感じると素早く身をかわす。
しかし、スキンシップが大好きな国民だから、触ってはいけない。という意識がないのはちょっと困るな。
子供にも着物は効果がある。「あなた素敵なドレス着ているわね。中国から来たの?」というので、
新しい知識として「日本」と言う言葉をインプットしてやった。
どんな高いドレスを着ていてもこんな人気者にはなれないだろう。
ですので、皆さん、外国では着物を着ましょう!!

さて結婚式は、アウトドア嗜好の彼らにピッタリのスコットランドの田舎で、川が流れ、
山がある場所のマナーハウスで行われた。
元は貴族の館で、狩猟の戦利品として、鹿の頭の剥製が部屋のいたるところに飾られていた。
そして、食事をするホールでは、およそ2000頭の鹿の骸骨が天井に施され圧巻だった。
2時半から始まり、お開きになったのは0時45分。
ほとんどの人は、ここから30分程度の街のホテルに泊まっているので、
バスが向かえにきてくれるまで拘束状態だった。
着物を 12時間も着ているのは、結構大変だったので、最後はバスが来るのを今か今かと待っていた。
そして、お腹もいっぱい、お酒も飲んだ。暖かい車でウトウトして寝ていたら、バスが急ブレーキを踏んだ。
どうしたのかとフロントガラスを見ると、なんと鹿が道をふさいで止まっているではないか。
逃げる気配もなく、バスを睨んでいるようにも見えた。その間15秒はあっただろう。
そして、林に消えていった。
本日のディナーには、鹿のキャセロールのメニューがあり、美味しくいただきました。
あなたの仲間が見せ物になっていた場所で楽しんできました。
ごめんなさーい。乗客はみんなそう思ったに違いない。
でも、朝食の時には、「ねえねえ、昨日の晩、私たち鹿をみたのよ。」と自慢話になっていたのは当然かな??

投稿者 lib : 12:04 AM | コメント (2)

October 28, 2007

Win X

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カラオケで歌うという機会はめっきり減ったが、たまには楽しいね。

以前も述べたが、芸の無い僕は大体は松田聖子あたりで露払いし
た後はひたすらもりたて役、その後は酒かウェイトレスとじゃれあ
うのが常だが、隣席ではマイクを離さないまでも、店を去るまで歌
のメニューを離さない方も割りと多い。こういう方達は、まずカラ
オケが上手である。聞いたことも無い新しそうな歌を上手に歌われ
るので、うらやましいなアと思う。

僕の友人にG君という英国人がいる。僕より一回りほど若い彼はご
両親がどちらも大陸生まれであり、某国系二世とでも呼べようか。
実に天真爛漫、愛すべき超明るい大陸系G君なのである。僕がロン
ドンに渡って1,2年も過ぎたころ、彼とは週に3度はパブで一緒
に飲んだであろうか、僕にとっては英語の大先生である。英語を学
ぶに際して羞恥心をいかに克服するかは重大な課題である。パブは
羞恥心を酒と共にかき消してくれるし、英語での話し相手が日本人
でない時は、旅の恥書き捨て的な軽さを伴い、グラマーなんぞは忘
れてぺらぺら喋れるものだ。これは貴重な勉強となる。いつぞや、
flu が流行った時、僕は furu としか発音できず、大いに彼に笑わ
れ、その後パブ客のほぼ全員が店員も交えて furu の大合唱となり
笑の的になったことがある。不名誉ではあるが、楽しい思い出であ
る。

G君とはそんなこんなで、彼の母国に一緒に旅行したし、日本にも
一緒に行って僕の函館の実家にも滞在してもらって、英語を話せな
い両親を笑わせてから、京都や四国にも共に足をのばした。東京に
行けば行ったで、人気者の彼のもとには、以前ロンドンで一緒に仕
事をしていた仲間達がなんやかんやと集まる。そしてカラオケが始
まる。普通はひたすら酒と喋りになるのだろうが、G君の凄いとこ
ろは、知りもしない日本演歌の旋律を器用にものにし、しかし日本
語はできないので、唯一知っている”いち、にいー、さんー、しいー”
をひたすら続けながら演歌を熱演するのである。これは文字では表
すことはむつかしい。仲間は抱腹八倒、笑いから回復するのに30
分は要するという、物凄い瞬芸を披露してくれるのであった。曲は
演歌なら何でもよいのであろうが、みちのく一人旅、だった。山本
譲二さんの曲であろうが、G君と名前が同じところがいとおかし。

投稿者 lib : 11:30 PM | コメント (0)

October 25, 2007

教師の特権?

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今週はハーフタームです。

現地校にお子さんが通われている方は御存知かと思いますが、イギリスでは1学期の半ばに1週間休みがあります。その休みがハーフタームホリデーなのです。

イギリスの公立校はほとんどが3学期制だと思うのですが、1学期の長さやハーフターム・長期休暇に入るタイミングは自治体によって少しづつ異なるようです。私の勤務校ですと1学期の中で6-8週間経つとハーフタームがやってくる感じですね。

休みの長さは教師の特権とよく言われます。以前にも書いたように授業の無い休み中に教師が出勤することは義務ではありませんから尚更です。実際イギリス人の友人にも休みの長さを羨ましがられます。それでも彼らは決して「私も教員になりたい!」とは言いませんけれど(笑)。「毎日毎日騒がしくて我が侭な子供たちを相手にするほど忍耐も気力も無い」というのが彼らの教師になりたくない主な理由。特に荒れた学校も多いロンドンでは教科(特に理系)によっては未だに教員が不足している状態であり、悲しいかな教師が憧れの職業となることはないようです。私立やグラマースクールといわれる選抜制の公立校では状況も違うかもしれませんが。

全般的にイギリス(というよりもロンドン?)では日本のように俗に「先生」と呼ばれる職業(教師や医者)に対して人々が尊敬の念を持つということがあまり無いような気がします。大抵私が教師だと自己紹介すると「よくやるよねぇ」という敬意というよりも驚きに近い反応が返ってきます。よほど割に合わない仕事だと思われているのでしょうか。それでも学校教育は子供にとって重要だと思うし、一教師である私は意義のあることをやっていると信じたいものです。それでも私の専門教科である歴史は医者やエンジニア、ITプログラマーのように目に見える技術を使うわけではないので、心が沈んでいる時は「私の代わりなんて山ほどいる。教師なんて誰にでもなれる。別に私がいなくても生徒も学校も困らないし」なんてマイナス思考になってしまうのですけれど。

さて話がそれましたが、私はこの「教師の特権」であるハーフタームを活かしていったい何をしているかと言えば、、、。

1、 体力・気力の回復(実は先週仕事が忙しくてストレスレベルが最高潮に達していました→その原因については来週書こうかと検討中です)
2、 小旅行(ハーフターム中は子供たちも休みなので海外や有名観光地は避けるようになりました。かわりにKentの美しい景色を見ながら村や街をめぐりました。おすすめです!)
3、 溜まった仕事の処理(結局行っちゃうんですよね、、、学校。でも、授業がないとどうも時間ばかり過ぎていくようで仕事自体はあまりはかどらず)

巷では「ハーフタームが青少年の犯罪を助長する」という批判があったり、「ハーフタームをなくせ!」という意見があったりするようですが、なくなったらかなりきついですね。両親共に働いている家庭では確かに一週間子供が家にいるというのは大変かもしれませんが。それに日本の先生は休みもほとんどなく頑張っていると聞くので贅沢いえないかもしれません、、、。

それでもハーフタームが存続してくれることを願ってやまないばかりか、(ずうずうしくも)すでにクリスマス休暇のことを考え始めている私。「一日でも多く働いて教師としての自分の使命を全うしたい」と思えないあたり、私のイギリス化が進んでいるということでしょうか(ちなみに今日学校行ったらイギリス人の同僚も数人出てきていました。イギリス国民全員が怠け者なんて間違っても思っておりません。あしからず)。

投稿者 lib : 09:08 PM | コメント (0)

October 24, 2007

白トリュフ

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白トリュフというものを生まれて初めて食べた。

「普通のトリュフ」なら、何度か食べたことはある。
「こちらがトリュフでございます」と、うやうやしくサーブされた皿の上には、顕微鏡がないと見えないくらいの大きさのトリュフがのっている。

「味わう」なんてものではなくて、 「歯の間に、はさまって」おしまいだ。
(ん? あの貴重なトリュフは一体どこに行っちゃったんでしょう? 口の中のどこかにあるはずなんだけど・・・)と行方不明になってしまう。

今回の食事会の主催者はA嬢である。
わざわざイタリアのアルバという所へ白トリュフを買出しに行き、それをリージェントストリートの裏にある某日本食レストランで調理してもらい、みんなで食べよう、という企画だ。
「食べたい。ぜったい食べてみたい。食べさせてー」と食い意地の張った私は、即、参加を希望。

友人と出かけた。レストランの地下は貸切で、日本人を中心として30人(?)ばかりが集まっている。(がっちり、食べさせてもらいます)と熱気にあふれている。

「これが、トリュフと白トリュフ」とA嬢がみんなに見せて回る。
トリュフは黒くて、ライチーを思わせるボコボコした表面でゴルフボールくらいの大きさだ。白トリュフはピンポン玉くらい、やや灰色がかった紙粘土をこねたような感じ。
強烈な香りがする。その大きさの物ひとつの現地価格が60ポンド(ユーロ?)だとか。

「豚を使って捜すんだよね?」と聞いたら、白トリュフは土の中のかなり深いところにあり、訓練された犬が掘り当てたらしい。

そういえば、子供の頃、何度か松茸狩りに行ったのを思い出す。
祖父母の土地に 「マツタケ山」つまり、赤松の林がある山があり、 「晩御飯のおかず」を採りに行った。親戚のおじさんや従兄弟が次々と見つけるのに、私は一本も探せない。見かねたおじさんから、
「はい、右に1歩、前に3歩、進んでごらん。手を前に伸ばして、そこでしゃがむ」
といった指示があり、やっと手にする事ができたのだった。

――私はキノコ採集能力に関しては 「豚」以下で 「犬」以下です。

このディナー。スターターは卵とサラダ(温泉卵だってさ)。 その皿の中へスタッフが白トリュフをスライスしてくれた。待望の白トリュフ、1.5センチ四方の薄いスライスが2枚きた。

さて、そのお味は? 

・・・味はない。香りはすばらしいが、何の味もない。歯ざわりは生のマッシュルームという感じ。

「香りが重要なのだから、いけない非合法の粉薬みたいに、片方の鼻の穴を押さえて、深く息を吸ってみたらどうだろう?」 「食べずに鼻の下にセロテープで貼り付けておくのは?」と意見を出したが、無視された。(当たり前)

メインコースはリゾットとビーフのフィレステーキ。デザートはアイスクリームとポテトのパンケーキ。それぞれにトリュフのスライスが添えられている。
メインコースからレッドワインにして、珍味を堪能。
トリュフ代と食事、ワインでひとり50ポンドくらいを払った。

A嬢にお礼を言って店を出たのが11時前。
「おいしかったけど、量が少なかった」
「ちょっと、お腹すいてる」
「日本なら、ラーメン屋にくりだすところだね」
と酔っ払ったサラリーマンのおやじのような私たち3人の会話。

「あ、あんなところにインドネシアン・レストランが!」

ごめんなさい、A嬢。告白します。
私たちはここで、 「ナシ・ゴーレン」と 「ガドガドサラダ」と 「ラクサ」を食べてしまいました。
「最高級の白トリュフディナーの後でガドガドサラダを食べただとー! あなたたちに白トリュフを食べる資格はない!」とA嬢に怒られるかな? 心配なんですけど。

どうか、粗野な私たちを許して・・・。また、呼んでね。

投稿者 lib : 07:53 PM | コメント (0)

英語口

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ロンドンで日本人の英語劇を観て来た。
出演者は、演技だけではなく、英語を使うという壁があったと思う。
彼らは、普段も英語の生活をしているのかもしれないが、1時間半の英語の台詞を話すなんて相当凄い。
私には到底できない。感心するばかりだ。
さらにネイティブでないので英語を使う事にきっとご苦労したと思う。が、申しわけない。
やはり日本人、英語が日本語のイントネーションなのだ。
ああ、日本人の英語ってこんなに抑揚がない話し方になるんだーと、改めて気がついた。

そして、思い出したのは、ダーリンの家族が私と会話するときの表情だ。
最近は、この私のいい加減な英語にだいぶ慣れて来てくれたが、始めのうちは、私が話すと彼らの顔が????となり、
ダーリンに「この子は何をいっているの??」と目で助けを求めていたっけ。
おばあちゃんと話す時は、ダーリンの通訳が必要で、なかばやり投げになっていた私だ。
特に田舎の年寄りは、英語の並び方や発音がちょっとでもおかしいと理解出来ないから、仕方がないよ。
とダーリンがなぐさめてくれたが、そのことが本当に今日理解出来た。

もちろん言うのは簡単で、私には演技以前に1時間半の台詞を覚えるだけでギブアップだから、この演劇の評価なんてできない。
ただ、口惜しいのは、発音って大切なんだ。ということが当たり前だけどわかった。
テレビで、外国人が英語を話しているのに、字幕スーパーがでるのもこういう理由だろう。

実は、私はBBCの番組に出演していたかもしれなかったのだ。
きっとその時は、私のしゃべりに字幕スーパーがついていたかもしれないなー。
でも、撮影はしたがオンエアーはされなかったので、そんな恥はかかなくてすんだ。ホッ。

内容は、日本人にアフタヌーンティーのマナーを教えている英国人の先生と生徒ということで、
出演するように先生から依頼されたのだ。
生徒の主役はいるので、その他の脇役としていてくれればいいということだった。
しかし、当日は私もインタビューされ、その時々に英語の発音、単語を直されて、撮り直しをして、
オンエアーされる事にも承諾し、疲れ果てて帰宅したっけ。
しかし、最終的にボツになったと先生から聞いた。
まあ、あまりにも成り行きで撮影していたので、中味のない番組になっていたと思う。
もし、オンエアーされていたら、文字スーパー付きの発音の悪い英語で、すました顔で出演したと、
私は笑いのネタにされていたのは、いうまでもない。

ああ、せめて字幕スーパーが使われないぐらいの英語耳版の英語口になりたいものだ。

投稿者 lib : 12:31 AM | コメント (0)

October 23, 2007

嗜好錯誤

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好きな異性のタイプは十人十色で面白い。
中には、「これだけはゆずれない」という嗜好を持つ人も多いようだ。

男性の、「巨乳フェチ」「足首フェチ」「鎖骨フェチ」などは極めて一般的だが、中にはちょっと珍しい嗜好を持つ人もいる。

夫の親友、ベン(ホワイト・ブリティッシュ)は、昔から「黒」が大好きな男だったそうだ。
服は黒、愛車も黒、コーヒーはもちろんブラック。
そして女性のタイプは・・・・もちろん黒い肌を持った人。

聞くところによると、ベンの嗜好は幼稚園の頃からすでに確立されており、黒人の女の子にしか興味がなかったらしい。
小学校に上がっても、ティーンエイジャーになっても、黒人の女の子ばかり追い掛け回していたそうだ。

彼の両親は二人とも白人、親戚にも黒人は一人もいなかったそう。
脳外科医だった彼の父親は、息子の突然変異(?)に戸惑うと共に非常に興味を持ち、彼の頭を切り開いてみたい衝動にたびたび駆られたが何とか思いとどまったそうだ。(当たり前だ)

大学入学後は割と遊び人だったらしいベン。
魚心あれば水心ありというか、需要と供給の一致というか、大学寮の彼の部屋の前には、いつも黒人の女子学生が列を作って彼に会いに来ていたという。(本人談)

その後、彼の夢かない、黒く光る美しい肌を持つ、ナイジェリア人の女性と結婚した。
ミルクとブラックコーヒーを足して2で割ったような、カフェオレ色の肌を持つ可愛い子供達にも恵まれ幸せに暮らしている。

知り合いの日本人妻、T夫人もちょっと変わった嗜好の持ち主だ。
彼女は知る人ぞ知る、「もみあげフェチ」。
フランス人の旦那様と幸せな結婚をしているT婦人だが、ある日、キッチンの修理に来たポーランド人の「もみあげ」に心を奪われてしまい、同時に自分が「もみあげフェチ」であったことを自覚したそうだ。

「フレンチ夫とポーランド人ビルダーの間で揺れる女心」と言えば、一昔前ならハーレクインロマンス、今ならデスパレート・ワイヴスの世界の様だが、分別あるT夫人と彼の間はもちろんクライアントとビルダーの関係以上には発展せず、T夫人の淡い恋心はキッチンの完成と共に終わりを迎えたそうだ。

しかし彼女のもみあげに対する熱意はそれで終わる訳ではなかった。
T夫人はその後もロンドン在住のポーランド人を対象に独自の調査を実施、ポーランド人には「ナイスなもみあげ」率が高いことを発見した。
いつか夫婦で「もみあげ天国」ポーランドを旅することを夢見ている。

「ポーランドはこんな貴重なリソースを観光事業に利用しない手はないわ。日本の旅行会社も、『ポーランドのもみあげを巡る旅、8日間(全旅程添乗員付)』とか、『魅惑のポーランド~もみあげ紀行6日間(全食事付)』とかのパッケージを作れば、きっと売れると思うんだけど。」
と熱っぽく語るT夫人であったが、商品化するには「もみあげ愛好者人口」が少し足りないような気がする。

なによりも、こんな旅に付き合わされるフレンチ夫の心情を思うと、涙が頬をつたって止まらない私である。(うそ)


投稿者 lib : 10:14 PM | コメント (4)

October 18, 2007

Japanese Club

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2週にわたってかなり重い題材で書きましたので、今回は暗くない話題をひとつ。

実は私は今の勤務校で働き始めてからずっと「Japanese Club」なるものを運営しています。今年で4年目。要は部活動なのですが、イギリスの公立学校では生徒が必ず部活に属さなければならないなどのルールが無いため、運営する教師もボランティア感覚でやっています(といっても時間給でお給料が結構でるので実はこれを半分目当てにやっている教師もいるとかいないとか、、、)。

私も学科や学級指導以外に何かやってみたいという思いから始めたのですが、まず思ったこと。

「自分って日本語や日本文化に関する知識が薄いなぁ」

それでも何とか子供が楽しめる内容をと思って、折り紙・習字から始まって漫画作り・雛人形作り・お箸の持ち方講座などなど。「Tea tasting session(色々な種類の日本茶の味見をする)」と、かなり無理やりな企画も多々ありました(笑)。習字だけは小学生4年生までしっかり先生について習っていたのでちゃんと基礎から教えられたのですけどね。

雛人形に至っては(というか普通の人形でさえ)、知識ゼロの素人が到底作れるものでもないし、私自身人生で作ったこともありません。それでもやってしまいました。たまたま私の教室にあった粘土とペイント、そして日本から買ってきた和紙を活用して雛人形の写真を見ながら試行錯誤。台座や菱餅やぼんぼり・屏風などもそれらしく作成。完成した人形の頭が展示前にごろっと落ちるハプニングもありましたが、完成品を図書室にある陳列用ガラスケースに並べてもらえました♪これは今でもいい思い出です。

さて、4年目の今年は、暗い冬に特に人気のなかった放課後から昼休みの活動へと変更してスタート。これが功を奏したようで今年はサインアップしに来た生徒も倍増し、初めてのセッションでは20人以上が参加(まぁ、これから徐々に減るのでしょうが)。教室が人でいっぱいになりました。このクラブ、言語の習得が主目的ではないのですが、折角だからとその日は「日本語であいさつしよう!」をテーマに簡単なフレーズを教えました。生徒一人一人の名前をカタカナで書いてあげるというおまけ付で。何度教えても「こんにちは」が「こにぃちわぁ」になってしまう子が続出でしたがそれも御愛嬌。ついでに私の日本語の発音もなぜか非常に怪しいものに。一語一語はっきり発音しようとするとかえって不自然になるような気がするんですよね。それに英語を話す環境でいきなり日本語を話せといわれるとすごく恥ずかしいのです。

2回目のセッションではみんなで折鶴に挑戦。折り紙は多少イギリスにも浸透していますが、東ロンドン育ちの彼女らは初めて挑戦する子が大半。ずいぶん斬新な形(笑)に仕上げてくれた子供たちがかなりいました。折り紙っていわば幾何学の延長ですから結構頭を使うんですよね。「こう折ったらこういう形になる」っていう想像力も無いと説明図を見ても難しいようです。真っ直ぐ折ったり重ねたりする手先の器用さも要りますしね。幼少時から折鶴を折り慣れてる日本人の子供たちはある意味すごいと思います。

さて、これから何週かに亘ってクラブの生徒達と「Origami Zoo(折り紙動物園)」を作る予定です。いろいろな動物を折り紙で折ろうというこの企画。もちろん園内の各部分(ベンチや人・植物など)も折り紙で作成するつもりです。この壮大なプロジェクトに私と生徒の『折り紙力』が試されることになりそうです。

投稿者 lib : 10:06 PM | コメント (3)

ナンパの女王 その2

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ナンパには「甲種」と「乙種」があるのではないか。

「甲種」というのは、美人で清楚な女性が、若くハンサムで性格もよく、お金持ちの男性に一目惚れされる。いわゆる 「見初められる」というやつだ。これは意地悪な親戚筋の横ヤリがなければ、「玉の輿婚」へと進むことになる。
これは「大吉」のナンパだ。

一方、「乙種」は素性のわからないボケ野郎に道端ですれ違いざま声をかけられるもの。運悪くそこに通りかかったために、「浮遊霊」に肩に乗られちゃったような「縁起の悪い」ナンパである。なぜか、私はこれによくひっかかる。

現在までのところ、一番、最低だったのはたぶん、これ。
「あ、君。これ、あげるよ」
と道端で差し出されたのは、何とパック入りの「ゴム製品」だ。
「あ、どうも・・・」と納得いかないままにも冷静に受け取って、その場を去った。
もしかすると、そのにいちゃんは
「キャー、いやーん」と騒ぎながら、走り去る女が見たかったのかもしれない。
新装開店の美容院の宣伝ティッシュペーパーでも受け取るような淡々とした態度の私には不満だったかも。

ま、「ナンパ男」というよりは「変態男」のカテゴリーだな。

「君の足首に魅せられた。どうです、お茶でも」と話しかけてきたおじさんがいた。
足首・・・。足首ねえ。
高級そうなビジネススーツを着たおやじである。ちゃんとした企業でそれなりの役職にも就いていそうな風貌だ。妻子がいて、息子は受験生、みたいな年代だ。

それでいて、「足首フェチ」なのか? しかも、それをうれしそうに堂々と・・・。

「いい足首してるねえ」
「あら、自慢の足首なのよ。うれしいわ。お茶でも飲みましょ」
なんて、展開になる可能性は100億分の1、くらいに思えるが。

ロンドンの道端でのナンパは私的統計で中近東男がダントツに多い。
「いま、何時ですか?」「バス乗り場はどこでしょう?」と話しかけて足を止めさせ、そのまま「お茶でも」と誘うものだ。

先日は少し手の込んだナンパ野郎に出会った。

「あ、君。xxで働いていなかった?」 (xxは会社名ではなくて、業界名)
「ええ、以前、**で働いていたけど・・・」 (**は会社名を入れてしまった。ボケた私)
「僕も**で働いていたんだよ。いやー、懐かしいな。どうだい、その辺でお茶でも」
「ええっと・・・。あなたはどこのセクションで働いていたの?」
「ああ・・・、あちこちね。いろいろ・・・」

ここで、やっと私の頭の中のブザーが鳴った。社内の「あちこち」で働く奴がどこにいる? IT部門なら、 「あちこち」のコンピューターを修理したり、アップデートしたりするかもしれないが、それなら、ITチームと答えるはずだ。

考えてみれば、シティで働くスーツを着た日本人なら業界は限られる。
象の飼育係とか、常磐津の師匠、かまぼこ製造業、なんてのはいないはずで、金融関連の2、3の業種に必ず当てはまるはずだ。
xxと言ったのは、確率が一番高いからだろう。

「ねえ、携帯の番号か、メールアドレスを教えてよ」
さすがに 「携帯もコンピューターも持ってない」とは言えないよな、いまどき。
「家にはガスも電気も来ていません。水は井戸から」みたいに聞こえるし。

――日本だったら、こんなときには「リカちゃん電話」の番号を渡すことになっていた。ナンパ男が貰った電話番号にかけると「わたし、リカちゃん」と小学校5年生の少女が電話に出るという仕掛けだ。おまけに彼女には「ワタル君」というボーイフレンドがすでに存在する。

赤の他人に対しても「八方美人」でいたい私は「いやです」と言うのが嫌いだ。で、
「ちょうど、番号を変えたばかりで覚えてないの。あなたの番号をちょうだい。こちらからかけるから」と言うことが多い。

みんな、どうやって断ってます? しかし、「乙種」につけこまれる私に問題があるな。不徳のいたすところである。

投稿者 lib : 03:26 PM | コメント (0)

October 17, 2007

父の一分(いちぶん)

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先日、息子の学校でオープン・イブニングがあった。
ほかにもペアレンツ・イブニングなどの呼び方もあるようだが、つまりは保護者面談のことである。

数日前から妻に、予約した時間に間に合うように帰ってきてくれと頼まれていたので、仕事を調整していつもより早めに帰宅した。
面談だったら、いつも送り迎えをしていて学校での様子もよく知っている妻が行ったほうが・・・とも思ったのだが、ここは一つ、「父の一分(いちぶん)」を見せようではないか!と、私が出席することにした。

息子の学校生活については、日頃妻から聞いているので大体は把握しているつもりだ。
が、悲しいかな、その内容の殆どは「今日は先生からこんな注意を受けた」というものだ。
息子はこの9月から近所の公立小学校のレセプション(子育てママさんの息子さんと同じ学年ですね)に通い始めたのだが、入学早々、それはそれは気の合う友達に巡り合い、彼のお陰で日々それはそれは楽しい学校生活を送っている。

・・・が、聞くところによると、どうやら余りに楽し過ぎて二人の世界に入ってしまい、先生の指示や注意が耳に入ってこなくなってしまうようなのだ。  
「今日もお迎えに行ったら“お母さん、ちょっとよろしいですか?”(英語)って呼び止められちゃったわよ~」と、妻はこのところ毎日こんな調子である。内容は大抵いつも、友達と大いに盛り上がってしまい、先生の話を聞いていなかったとか、そういった類のことである。
そんな調子なので、Thinking Chair(つまり反省椅子)もすっかり常連だ。しかし、実は当初彼はThinking Chairの意味さえ理解していなかった。

イギリスでは(ほかの欧米諸国でもそうなのかもしれないが)子供が言う事を聞かなかったりした場合、階段や部屋の隅の椅子などに一人で座らせて「そこで反省しなさい」という叱り方を割と小さい頃から行っているようだが、日本人にはそのような習慣が無い。
息子はThinking Chairに座りながら実は「みんなカーペットの上に座っているのに、今日はボクだけ椅子かぁ。ふふふ。しかもこの場所はみんなから離れてて静かだなぁ」などと考えていたらしい。Thinking Chairでくつろいでどうする!

日々こんな調子なので、面談では一体どんなことを言われるのか・・・と妻はビビっていたが、妻が恐れていたほど酷い内容ではなかった。現在の舞い上がり状態も、ハーフ
ターム明けには落ち着くでしょう、とのことだった。

日本ならまだ幼稚園の年中なんだし、先生もああ言っていることだし、まあ、男の子なんてこんなもんじゃないのか?と妻に言ってみるも、やはり日々のお小言がこたえるらしい。
朝に夕に、息子を諭してみたり、あなたはちゃんとできる子だと褒めてみたりしながら何とか落ち着いて先生の話を聞かせようとしている。

それが功を奏してか、はたまたそういう時期が来たせいか、このところ徐々に、息子の学校生活も落ち着いてきた様子である。妻が先生に呼び止められる回数も減り、Thinking Chairの話題も少なくなってきた。

集団生活を送る以上は、先生の指示を聞くことももちろん大切なことだ。しかし、親友の話を満面の笑みで語る息子を見ていると、友達と色々なことを企んでは、時に大人たちにとってはあまり喜ばしくないようなことをやっていた自分の子供時代を思い出す。振り返ってみるとそれは何か宝物のような、暖かい大事な思い出だとつくづく思うのだ。

息子は今日も、大好きな親友のいる学校へ駆け足で登校して行った。
「楽しんで来いよ~」と背中に声をかけたら、「余計なことを言うな!」とばかりに隣の妻に小突かれてしまった。

投稿者 lib : 10:34 AM | コメント (1)

October 16, 2007

ダーリンの願い

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ダーリンは、辛抱強い。
こんなわがままでうるさい私に文句も言わずに、一緒に住んでいる。
寛大なダーリンだ。
そんなダーリンでもささやかな?お願い事が私にある。

我が家では、2人とも働いているので家事は分担制になっている。
洗濯とベッドのリネン換えは、ダーリンの担当。私は、掃除機とトイレ、バスルームの清掃だ。
1週間に1度の作業だが、忙しい週末を過ごすと部屋の掃除が次の週になることもあるが、
そうなってもダーリンは文句も言わない。よし。よし。

皿洗いの役目は、料理を作らなかった人が担当になっている。
よくあるパターンは、ダーリンが作って、洗い係が私の担当だが、
夕食を食べたら疲れてしまって、後で洗うつもりが朝になり、急いで会社に出かけて洗えず、
そして、その日の夜になる。たいがい次の夕食の準備も帰宅の早いダーリンになることが多いので、
ダーリンが洗っている。
他のことには、あまり文句は言わないダーリンだが、どうもシンクに皿や鍋がたまっていると
気になるらしく、洗うように催促される。
最近は、パターンを読まれていて、朝起きてシンクに食器類がたまっていると
「食器、洗ってから出かけてねっ。」と軽く言っているが強いお願いに聞こえる。

ダーリンのお願いは、もう1つある。
それは、髪型だ。
どうも短い髪型が嫌いなようだ。
ダーリンがいうには、多くの中年女性は、なぜかみんなショートカットにする。ふむ。ふむ。
確かにダーリンのママも、おばさんも、おばあちゃんも、みんなベリーショートカットだ。
女性、歳を取る。イコール、ショットカット!! イコール、おしゃれでない!!ババくさい。ということらしい。
女性らしくないそうだ。
まあ、短いから手入れがラク、ということがバレバレなんでしょうかね??
ふーん。男性の長い髪の女性が好き!!という信仰は我が家にもあったようだ。

ということで、ダーリンと結婚してからショートカットはしていない。
昔は、刈り上げなんてしていたこともあったけど。

長い髪はショートカットに比べて、美容院に行く回数が少なくて経済的だけどね。
変なこだわりだなーと思いつつ、結構、男性っぽいリクエストかもねー。
みなさんのご主人や彼氏もやはり、こういうリクエストがあるのですか??

投稿者 lib : 07:05 PM | コメント (2)

October 15, 2007

アフタースクール・クラブ

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用事のために週2日、3時半のお迎えに間に合わない日ができたので「アフタースクール・クラブ」に息子を入れることにした。

アフタースクール・クラブは息子の通う学校と向かい合うような形で建っている。
広々としたグラウンドには遊具やフットボール・ピッチがあり、建物の中にはゲームやテレビ、食事用のテーブルなどが用意されている。
3時半になるとスタッフが学校に子供を迎えに行き、6時まで遊ばせ、面倒を見てくれる。
カウンシルが運営しているので学校とは別団体だが、ここに来る子供の半分は息子と同じ学校の子、あとの半分はもう一つの近所の小学校からの子で占められているようだ。

料金は一日3ポンド。
政府から助成金が出ているのだろうが、驚きの安さである。
ウエイティング・リストなどもなく、簡単に入ることができた。

息子は5歳になったばかり。
必要に迫られたとは言え、「5歳の子が学校+クラブで9時間も家から離れて大丈夫なんだろうか・・・」と実は心配だった。(9時間といえば、フルタイムの仕事並みではないか。ただでさえ、イギリスの小学校は長い。9時から3時までの6時間半。日本はもっと短くなかったっけ?)

ポリシー、と言うほどではないが、息子が赤ちゃんの頃から、私はなるべくチャイルドマインダーやベビーシッターの手を借りずに育てたいと思っていた。
(もちろん、子供を預けて働くお母さんには本当に頭が下がりますが)

学校に通うようになっても、放課後はなるべく子供と一緒にいてあげたいと思っていた。
学校に迎えに行った時、顔色や表情から彼の健康状態や、心の状態も読み取れるような気がしていたので、必要に迫られてアフタースクールクラブに入れることになったものの、実はなんとなく罪悪感のようなものがあった。

ところがどっこい、息子は「毎日でも行きたい」と言い出すほどクラブが大好きになった。
クラブに行く予定でない日でも、学校に迎えに行くと、「家に帰りたくない。クラブに行きたい」というので、「今日は本当は来る日ではないんですけど・・・」とそのままクラブに置いて来ることが多くなった。

放課後、一緒にいて「あげたい」などというのは親の勝手なお節介だったらしい。

ロンドンでは放課後、近所の子供が誘い合わせて外で遊ぶ、ということがないので、習い事などのある日の他は家にいることが多い。
家でテレビを見ているよりは他の子供たちと遊んだ方がもちろんいいし、彼も気に入っているし、私もラクだし(ここ大事)彼の言うとおり、月曜~木曜までクラブに入れることにした。

「アフタースクールクラブは色んな子が来るから・・・・悪影響を受けるかもしれないし」と毛嫌いするお母さんもいるが、今のところそういう問題は感じられない。

学校には、朝早く仕事に出かけなければならないお母さんのために、8時から子供を預かってくれる「ブレックファーストクラブ」というシステムもあるらしい。

子育てを支援する体制が整っているのは本当に有難い。
NHSでの無料出産以来、子育てするようになって、やっと高い税金の一部を取り返せることができているな。
(それが一番嬉しかったりして)

投稿者 lib : 09:43 PM | コメント (0)

October 11, 2007

蜜月(その2)

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先週は私がI組の担任を持ちはじめ、彼女らとの蜜月の果てに訪れた地獄(というのは非常に大げさですが)についてまでお話しました。

さて、その蜜月→地獄月を彼らと一緒に経た私がたどり着いた先は、、、。

結構居心地のいい場所です(笑)。

教師になってから3年間かけて学んだもの=「私は私。他人にはなれない」でした。今までは威厳のある、子供がだまっていうことを聞いてくれる先生を目指して、そのイメージの中で溺れそうだったのですね。でも、その焦り、自分自身への低評価はなにも良いものを生まないことが分かりました。それを悟ってからは生徒との接し方にも自分の色を出して、とにかくどんな状況にも誠意・熱意・根気を持って接することを忘れないようにしてきたように思います(実際はそれがいつも上手く伝わらないものですが)。例えば、私の決めた座席表に毎朝座らせる、朝はしっかり廊下で待ってもらい、教室へは私が迎え入れる。生徒に自分から声掛けする、態度の悪い生徒には1人ずつ個人的に話をするなど。実行を始めた頃はあまり事態が好転せず、回り道じゃないのか、意味無いんじゃないかと迷いました。それでも最初はいくら生徒に文句を言われても私なりの考え・理由を生徒に説明し続けました。自分でやっていることは意味のあることだと思わないと生徒も反応してくれないと思ったからです。

それが去年の最後の頃、今年の初めから生徒の態度に変化が現われ始めました。なんというか、これは感覚的なことなのですが、生徒が私に信頼を寄せてくれていることがわかるのです。まぁ、例外的に今でも2,3人はなかなか心を開かない子がいますが(諦めませんよ。としつこい私)。あんなに聞かん坊でわがままで批判的だった子供たちの大半が私が叱ると素直に受け止め、私に褒められて評価されることを素直に喜ぶようになったのです。T先生と私を比べたり、私たち担任同士の関係を試すようなこともしなくなりました。それに加えて、T先生とも今ではなんというかバランスの取れた役割分担ができてきました。まぁ、彼女の場合、ほかの任務で忙しくてほとんどいないことが多いのですが(実はそれが私に自分のスタイルを確立する機会を与えてくれたのかもしれません)。

もちろん、彼女達との関係が変わってきたのは、彼女達自身が9年生になり少し成長したこともあるでしょう。そして私自身も教師として成長したのでしょう。でも、自分が彼女らと過ごした2年間のなかで彼女らと一緒に築き上げてきたものもあると信じたいのです。私はある意味、生徒の前で割りと喜怒哀楽を見せる人間臭い教師だと思うし(まぁ、哀は滅多にないですけど)、そういう人間臭さを子供の前で出さないことでうまく生徒指導する先生もいます。でも、それは一人一人違うスタイルを持っているこということなのでしょうね。どれが正しいとかではなくて、それぞれが自分に合うスタイルを見つけるのだと思います。

最近再会した日本にいる私の中学高校の恩師が言っていた言葉をいつも思います。「教師の道は一生試行錯誤だと」。きっと何事もそうだと思いますが、今まさに成長していく子供たちを相手にしている教育現場は本当に何が起こるかわからないものです。子供の行動に時に悩まされ、傷つけられ、笑わされ、励まされ、、、そうやって私も前に進んでいっているような気がします。まぁ、私生活では相変わらず精神的に幼稚でお子様な部分が多い私ですが(深く反省)。これには教師も人間なのよ、と言い訳。

そんなまだまだ未熟者の私のブログ、これからもお読みいただけると嬉しいです。

投稿者 lib : 09:04 PM | コメント (3)

クリカラモンモン -刺青観察記

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秋になり、道行く人も長袖姿が増えてきた。やれやれ、おかげで見苦しいものをいろいろ見なくてもすむ。

私は刺青が苦手。

古風な日本人としては、刺青には何となく、 「あの系列の人たち」のイメージがつきまとう。

(痛くないのか、不衛生な針から 「肝炎」に伝染することはないのか)と、他人事ながら心配。街中にある 「タトゥーショップ」もオドロオドロしい感じがする。
ヘルズエンジェルズみたいな男が 「昔の男の名前」を右腕に彫っている 「情婦」の左腕に、新しく「自分の名前」を彫らせる、みたいな場末感が満載だ。

若い女の子がときどき 「ワンポイント刺青」をしているのを見かける。肩甲骨のあたりとか、ジーンズとシャツの隙間になるお尻の上、足首とかに3センチ四方くらいの花とかキャラが彫られている。軽いファッション感覚なんだろうね。

電車に乗っているとき、隣に座っているイギリス人の女の丸々とした二の腕に刺青があるのが気になった。何となく、馴染みのあるキャラクターだが、判別できない。
筋金入りの労働者階級の強面のおねえさんという雰囲気で、この手の人を見つめるのは、その筋の人にガンをつけるのと一緒。ジロジロ見るのはご法度だ。

しかし、気になる。

「なーに、見てんだよ。あんた」などと言われないように、そーっと横目でしばらく眺めた結果、刺青はミッキーマウスと飛行機だった。
と、いうか、変形した 「元 ミッキーマウス」と 「元 飛行機」だ。

ティーンエイジャーの頃、粋がって、刺青を入れたのはいいが、当時はサイズ10のほっそりした少女だったのでは? 現在はサイズ24という、どすこい体型。
腕の膨張と共に横にびよーんと引っぱられ、図柄が平べったくなっているので、パッと見た目には何なのかわからなかったのだ。刺青するなら、体重のキープに気をつけたい。

―――彫るなら、太るな。太るなら、彫るな。

と思った。怖そうなおねえさんなので、もちろん口には出さなかったが。

友人が会社の研修で二泊三日でスペインに出かけたという。(いい会社だな)
研修が午後に終わると自由時間となり、ホテルのプールで泳ぐという毎日だったとか。
が、上司のひとりはプールサイドで浮かない顔をしたまま、見ているだけ。すごい暑さなのに長袖のシャツを着たままだ。
「泳げばいいのに」と言うと、
「いや、実は・・・」とシャツをこっそりとめくってみせる。

と、あーら、びっくり。広範囲にびっしりと刺青。 「ワンポイント・ファッション刺青」ではなくて、本格的な刺青だ。日頃のビジネススーツの下にはこんなものが・・・。

「どうしよう・・・。泳ぎたいんだけど、みんな、気にするかな?」
彼はその部門ではヨーロッパ全体の統括者で、お偉いさんだ。
「・・・やめといたほうが、いいんじゃない」と友人はアドバイスしたという。
「そうだよな・・・」と悲しそうにあきらめたらしい。

やっぱり、エリートビジネスマンとしてはまずいよな、全身の倶利伽羅紋紋。

一度、同僚のひとりと一緒に日本へ出張をした。彼は海軍の出身者によくいるように、刺青を入れている。本人は自慢らしく、よく会社で袖をめくって見せていた。
他の同僚の反応は 「刺青なんか見せびらかして、子供っぽい」と冷ややかだったが。
日本に行くことが決まったとき、
「日本では刺青を嫌う人もいるので、いつも長袖を着て、クライアントの目に触れさせないように」と厳重注意をしておいた。
が、あるミーティングで彼が書類を取ろうと手を伸ばしたときに、袖口から刺青がチラリ。私は思わず身体を投げ出して、彼の腕に覆いかぶさり、クライアントに気づかれないようにしたのだった。冷や汗が流れたわい。

彼は何年も前に辞めていったのだが、現在は漁師をしているらしい。(実話)
海の男なら、刺青もいいかもね。

投稿者 lib : 01:38 AM | コメント (2)

October 10, 2007

Q4 has started

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いやはや、大分サボりました、申し訳が立ちません、ごめんなさい。
さてさて、この間にも色々な事がありました。

[テニス]
フォアに迷いあり。もともと下手なバックには惑い無く、意外と良
い球が返ります。ティピカルな脱初心者問題にはまっています。

[赤ん坊]
我が第一子がクリスマスに誕生予定だそうな、ひゃア。無事育って
くれて20歳になったとき僕が66歳かと思うとゾッとしますし、
それまで生きているかいな。否、20歳まで金だけではなくて精神
教育すべきは、勝手に赤ん坊作った親の責任でありましょうぞ。と
まあ偉そうなこたー抜きにして、一層の健康管理だなあ、そろそろ
まじめに酒をなんとかしよう。

[ストライキ]
この前時代的な催し物は、UKでは今でもさして珍しいことではなく
て、毎年平気で地下鉄が止まりますね。今夏は二日間ほどやられま
したが、僕の場合、ストの影響の無い国鉄駅まで電車で移動し、そ
こからオフィスまで徒歩で50分程かかることを2度観測しました。
観測には少々汗をかきましたが、健康には良いですね。ユニオンの
皆さんありがとう。あまり参考にはならないと思いますが、僕の場
合、雇われ人であった40歳まで、一度も待遇に文句を言ったこと
はありませんし、それを言う前に静かに転職してきましたので、心
の健康はそこそこでしたし、まして経営者になった今は文句を言え
る対象が存在しません。

[ Liverpool Street Station近辺の文化]
年中道路工事。車の混み様は東京より酷いかも。浮浪者は当オフィ
スビルの喫煙コーナーに、今年は既に2度、茶色のお土産を置いて
いきましたが、これを朝一番に発見せざるを得ないときは、いつも
おぞましい気持ちになります。煙草をくれといわれて、Noと断わる
と、大体はおまえはセコイだの、なんだの、逆攻撃されます。毎年 Rates
という相当なお金を払ってこの場所にいるのに、なんだか理不尽だ
と思います。Kings Cross あたりは90年代に大分浄化されたようで
すが、L市長さんこちらもよろしくね。

[マドリン事件]
これはどうにも自業自得。自己責任・自己解決、がベースのUKな
のに、これだけUKメディアに取り上げられるのはベースが変わって
きているのかなあ。僕はUKの大人ベース文化が好みなので、大分残
念。

[経営]
うまく廻して頂いているので、安心して部下に浮世の商売を任せて
います。システマティックにやってきたつもりですが、やはりがむ
しゃらの6年間だったことは否めず、最近の僕の主な仕事は、僕が
やってきた、がむしゃらdirty仕事のクリーンナップです。自己責任
・自己解決。ビジネスのオブジェクツを洗いなおして、クラス化し、
データ化する、という構造化志向プログラマ的アプローチに没頭し
ています。少なくとも3年後には、この数週間の仕事が会社に貢献
することを確信しつつ。

[反省]
僕のここでのblogは専門的すぎて、分かりにくいと良く言われます。

投稿者 lib : 12:10 AM | コメント (0)

October 09, 2007

到着した日にすぐに帰国すると決めていたのに、、、(その4)

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住む処は、ダーリンと同じ街にした。
物価高のロンドンなので、仕事を早めに決めないと、、、と選択のないままに、
今は閉店してしまった某日本食品店でアルバイトをする事にした。
それも魚や肉売り場だ。
お客さんは、ほぼ駐在員の奥様で、注文に応えて計ったり、包んだりという単純な作業だった。
そこの店には、中国人のスタッフもいるため、私は時々中国人と間違われ、
奥様から、英語で注文されることもあった。
中には、英語に苦労している方もいて、
「Can I have 百グラム?」となぜか数字だけが日本語になっている人もいた。

しかし、彼らはここで毎日、高級日本食品(今よりももっと高い時代でした!!)を買えるご身分で、
私は帰る時になると生臭い臭いが、髪から皮膚にまでしみ込んだ感じで、
バスに乗って帰る際に、隣に人がいないシートを選ばないといけないといった身分だった。

臭い上に、水を使うので手が荒れるし、冬なんて冷たくて大変だった。
正直言って、なんでこんな仕事を?なんて泣き言を言っていた事もあったが、
賄食も出るし、同僚はみんないい人で、
大学院に通う日本人もアルバイトをしていたくらい、簡単にいい仕事が見つかる時代ではなかった。

その年は、売り上げが良かったと言う事で、スタッフ全員がレストランのクリスマスディナーに招待された。
こんな話を聞いていたダーリンは、自分も奨学金で生活する苦学生だったので
一緒に働きたい!!と言い出した。

なんていったて、あまのじゃくな上、一風変わったダーリン。
オフィスワークよりも日本人の生態が見えるこんな場所で、バイトをするのが面白いと、
私が別のアルバイトを見つけた後もダーリンは、1人で日本食品店でアルバイトを続けた。

こうして、始めて英国にやって来て、早1年と半年が過ぎた。
貧乏だったが楽しい学生生活も、やはり金がなくなってくればつらい。
バイトの給料は、家賃と食事を支払ってしまったら何も残らない。
日本の貯金は、学費で使い果たし、そろそろ日本へ帰る時期が来た。

英国で知り合った男女は、 普通ならここで別かれるか、結婚するかの選択をするのだが、
ダーリンは1年間大学を休学して、日本で働くことを考えていた。
かくして、我々は一緒に日本へ旅発つ事になった。

投稿者 lib : 07:18 PM | コメント (0)

スクールディナー

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息子が小学校のレセプションクラス(1年生になる前の準備クラス)に入学してから早1ヶ月。

前に行っていたナーサリーでは制服がなくて、皆自由な服装をしていたが、今度の学校は制服を着なければならない。
制服と言っても、学校のマーク入りのポロシャツ、トレーナーに紺か黒のズボンとカジュアルで動きやすい格好だが、何となく「制服がない方がのびのびしている感じでいいなのになあ」と思っていた。

いざ始まってみると、小さな子供たちがお揃いのユニフォームを着ているのは可愛いし、ニートな感じがしてなかなか良い。私も「ユニフォーム派」に変わった。いいかげんなものである。

ナーサリーで集団生活には慣れていたせいか、息子は新しい学校にもすっと溶け込んだようだ。
ただ、たまに朝、「学校に行きたくない・・・」と訴える。
理由を聞くと
「スクールディナー(給食。ランチなのになぜかディナーと呼ぶ)、食べたくないから・・・」。

息子の学校は、基本的には給食を食べるか、お弁当を持参するか選べるのだが、最初のハーフタームは「ソーシャライズのため」皆スクールディナーを食べなくてはいけないことになっている。

息子は前から、あまり食に興味のあるほうではなく、見たことないもの、得体の知れないものは絶対に食べない。
特にたんぱく質系が苦手で、魚や肉を分からないように調理して食べさせたり、私も苦労している。

おのずと食べられるメニューが決まってしまうのだが、そんな彼にとって、スクールディナーで「未知の食べ物」を、「先生の監視の下で」「強制的に」食べさせられるのはかなりつらいことだろうと想像される。

思い返せば、私も同じタイプで、小学校の給食ではかなり苦しい思いをした(牛乳も嫌いだったし給食のおかずも手をつけられなかった)ので息子の気持ちはわからないでもない。

でも好き嫌いが多かった私も、6年生になる事には給食のお陰で、一通り何でも食べられるようになったので、好き嫌いを無くすためには給食はいいかもしれない。

しかし、学校自体は好きなのに、スクールディナーのために「学校に行きたくない」というのも本末転倒な気がする。
先生に「ウチの子は日本食になれているもので・・・あまり強制しないでください」とでも言ったほうがいいのか、このままスクールディナー期間が終わるまでなんとか息子に頑張ってもらう方がいいのか、迷うこの頃である。

投稿者 lib : 09:31 AM | コメント (2)

October 04, 2007

蜜月(その1)

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夫婦の間に幸せ満点の蜜月(Honeymoon)があるように、生徒と教師の間にも蜜月が存在するように思います。何の問題もなく、未来への期待感がいっぱいで、幸せもいっぱいの関係が担当クラスの生徒達と続く期間があるのです。私はそれを勝手にHoneymoon Periodと呼んでいます。

今日はこれに関するお話。特に私が担任として受け持っている学級(I組)との関係について書きます。

勤務校での1年目、そして新任者研修期間(NQT Year)でもあった4年前は、ある7年生(中学一年生)クラスの副担任だった私(ちなみにその子達は今年で10年生)。そのときは完璧担任を支える裏方で、表立って責任を持つことも無く、ある意味楽な立場でした。それが教師2年目には自分の学級を持たされることに。担当となったのはその年に入ったばかりの中学1年生のクラスでした。

数年前からうちの学校は1学級完全2担任制(1クラスに担任が2人。担任・副担任という関係ではなく、2人とも同等な担任として扱われる)になりましたが、私がそのクラスを受け持つようになった当時は副担任はいたものの、担任はあくまでも私という構造。もちろん主導していくのは私の役目で、担任を持つということが私にとっては初体験な上、副担任のT先生は教師歴20年以上のベテランですから相当なプレッシャーを感じたものでした。それでも出だしはスムーズ。さすが新1年生はどの子も素直で協力的。このクラスを担当出来てよかったと心底思ったものです。

でも、この蜜月、永遠に続くものではないんですねぇ(遠い目)。

7年生も後半に入ると、彼女らも自分の色を出し始めるというか、Secondary schoolという新しい環境にも慣れてきて、どんどん我が出てくるんですね。難しいお年頃だという事実に加え、全員女という特異な環境。そんななかで、友達関係のもつれが出てきたり、軽い登校拒否に陥る子がいたり、やんちゃで失礼な態度をとるようになった子がいたりと様々な課題が出てきました。

彼女らが8年生になった年は私にとってまさに試行錯誤の年でした。T先生が改めて担任として認識され、私は経験も生徒とのスタンス、生徒指導のスタイルも違う彼女と同等に学級運営をすることになったのですから。そして、担任として私自身も自分のスタイルを確立し、学級の子供たちとどれだけいい関係が築けるか、その器量を試された年だったような気がします。

ちなみに学校にすっかり慣れてきた8年生は「魔の学年」とも言われる時期。どうしても気が緩んで規律が乱れやすいものなのです。私の場合はそれに加えて経験が浅いものですから、それに付け込むような態度をとる子が結構多かったのです。当時、T先生はかなりLaid-back(気楽な・くつろいだ)スタンス。私が不在のときは生徒を好きな場所に座らせたり、朝礼も生徒達が自由におしゃべりをして終わる、という感じだったようです。なので、規律を正そうとする私はもちろん生徒にとっては目の上のたんこぶ(現代っ子の生徒たちがよく使う言い回しだと「You’re so extra!=あなたってほんと余計」訳しづらいですが)。しかも私自身の生徒との接し方も今と比べると余裕がありませんでした。そういう状況の中、私に八つ当たりするように目の前でわざと私とT先生と比べたり、さらには残酷・無邪気なまでにも「T先生のほうが指導力がある」と言う子がいたり。今思えば、私の自信のなさ、焦り、不安を上手に読まれていたのですね。子供ってこちらがどれだけ自信を持って接しているかわかるのです。おどおどしているとすぐに付け込まれます。そんな当時は私も朝にForm Room(学級が朝礼の時間に集まる教室)に行くのが本当に憂鬱でたまらなかったものです、、、。(次週へ続く)

投稿者 lib : 10:43 PM | コメント (0)

ナンパの女王 その1

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私は 「ナンパの女王」である。
と、いっても、知らない男にやたらと声をかけるとか、もてて、もてて、ナンパをされまくっているという意味ではない。

「変な奴」にナンパをされる、また、 「変なナンパ」をされることが多い。
「変なナンパ専門、の女王」略して、 「ヘナンパ女王」といえる。 「カメハメハ大王」みたいだが。

何の因果で出会い頭に 「結婚していますか?」と色々な国籍の男から聞かれるのか?

その1 日本人編
中学生のとき、クラスメートに誘われて教会に行ってみた。好奇心旺盛なお年頃だ。
牧師さんだか、神父さんの説教を聞き、賛美歌を歌ったり、お祈り (のまね)をした。
その後、グループに分かれた 「日曜学校」では聖書研究とキリスト教の勉強会。
大学生が数人と私たち中学生が同数くらいで始まった。

と、初対面の大学生のお兄さんのひとりが私に向かって、突然、
「ねえ、君。もう結婚してるの?」と聞く。
「え? いいえ」と私。
――― 源氏物語ではあるまいし、現代の日本では13歳で結婚することは法律に触れます。
「あ、そう。じゃ、大学生なんだね」とひとりで納得。
あまりに唐突な言動に私も友人たちも 「まだ中学生です」と言えなかった。

後日、その大学生が私に会いたがっていると聞いたが、非常識なロリコン男はパスさせてもらう。キリスト教徒に対して、大きな疑問を持たせた出来事だった。

その2 中近東系
半年ばかり、ロンドンの東の郊外に住んでいたことがある。あのあたりは中近東系の住人が多く、独特のナンパスタイルがあるようだ。
中近東出身の男は押しが強いというか、しつこい気がする。しかも、以前に日本のドラマが放映されていたらしく、日本人の女に対する憧れが強いと聞いた。
そのせいか、バスの中や道端でも何度もむちゃくちゃなナンパをされた。

「一緒に食事でもしない? 君の好きなものを何でもおごってあげるよ。次の停留所で降りて、マクドナルドに行かないか?」と誘われたこともある。 
―――なぜ、マクドナルド? ゴードン・ラムジーの店なら成功率も高いと思うが。

ある中近東男からは、バスの隣席に座った途端に手を握られ、
「君は結婚してるの?」と聞かれた。
「はい、はい、結婚してます。さんざん、結婚してますよ。何せ、やまほど結婚しているんですからね」(あー、うるさい。あっちに行け)と答えておく。 
「そう・・・。でも、君は幸福な結婚をしているの?」
(余計なお世話じゃー)と、思わず胸ぐらをつかみそうになった。

「警告! 中近東男は近づかないで下さい。つまらないナンパに腹をたてて、相手を噛むことがあります」と書いたTシャツを着ようかと本気で考えたほどだ。

どうも中近東男のナンパスタイルは好かんわい。アラブの金持ちに求婚された日本人の知り合いがいるが彼女も断ったという。やはり、マクドナルドに誘われたのか?

さて、非常識な日本人、強引な中近東男と続いた後は

その3 イギリス人
パリからロンドンに向かう飛行機の中。隣の席は赤毛のイギリス男。
第一声は 「イギリスに住んでるの?」だったが、数秒後の次の質問は、
「君、結婚してるの?」だった。・・・またですか。それともパスポートコントロール?

この赤毛の男は20代の前半のようだった。
年上の、しかも既婚の女が好きで 「僕のミセス・ロビンソン」を捜しているのかも。
携帯の番号を聞かれた。 「あんたみたいなガキに」と拒否するのも非社交的なので、 
「うっかりして、ほんの少し間違えちゃった」番号を渡しておいた。

しかし、こいつらはいったい何を考えているのだろう。
まず、あたりさわりのない世間話から始まって、それとなく、ボーイフレンドの有無を聞きだし、自分に好意を持っているかどうかをさりげなくさぐる、というのが通常のコースではないだろうか? これでは、まるで消費者アンケートだ。 
「まず最初に、既婚、未婚の欄に丸をつけてください」 みたいな。

まだまだ、修行が足らんわ。顔を洗って出直すように。

投稿者 lib : 10:19 AM | コメント (2)

October 02, 2007

到着した日にすぐに帰国すると決めていたのに、、、(その3)

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その当時、学生ビザを延長するのは無料だったし、その日の内に終わった。
朝早く起きて、ロンドンから小1時間、クロイドンにあるホ−ムオフィスに出向き、
番号札を取り、その番号になるまでただ待つだけ。
学費も半年分支払い、英語学校からのレターもある。
残高もまあまあある。
これで最低は、半年は延長してもらえるだろう、運が良ければ1年かな?なんて確信を持って窓口へ向かった。

しかし、ビザは1ヶ月のみの延長となった。
なんで????
担当官曰く「また、1ヶ月だったら、いらっしゃい。」とのこと。
理由はない。
これは、いじめだ。
抵抗も出来ずに引き下がるしかない。ちぇっ!!

今の空港のイミグレーションでもそうだが、おおよそ女性の担当官に当たると運が悪い。
以前にも書いたようにヒースローで足止めされたときも女性だった。
そして、この時も女性担当官だった。

1ヶ月後にで直すと今度は男性の担当官。前と同じ条件でなんと1年半くれた。
この差は、なんだろうか。

ビザも無事延長出来たし、さあ、もっと長くいるためには、毎日の経費を下げるしかないということで、
費用が高いアーチウェイのホームステイを引き上げ、早々に次を見つける事にした。
今度は、バングラディッシュと英国人を両親に持つ40代のお母さんと10代の男の子が2人いる家族の1部屋を借りる事にした。
今度は自炊だ。
さっそく色々買い込んで冷蔵庫や戸棚に入れた。
そして、次の日にさあ料理をしようと、冷蔵庫を見ると、卵が1個減っている。
あれ??確かこの棚に置いていいって、ママが言っていたのに。なぜ??
そうか、卵は、卵。多分、間違えたのだろうと思い、卵全部に私の名前を書いた。
(ケチって。でもその当時は、貧乏学生。卵1個でも貴重な1品だった。)
しかし、次の日も卵が無くなっていた。これで2個目だ。
うーん。これは、ママに言わないと毎日減ると思い、他もいろいろチェックしていたら、
ガーン。なんと高ーい日本食品店で買ったうどんのカップ麺がなくなっているではないか。
ショック。

すぐにママにこのことを言うと、
「ごめんなさいね。きっと息子たちが食べてしまったのね。」という。
この息子達、私は1度も会ったことがない。
どうも夜遅く帰ってきて、昼まで寝ているようだ。学校は、行っているのか、いないのか、、、、。不明。

お詫びにとママがつくったカレーをご馳走するという。
やったー。本場のカレーだ。と嬉しさいっぱいで席につくと、
カレーのルーは、水ぽっく、私が期待していたカレーとは全く違っていた。
そして、茹でた豚のレバーがそのままでてきた。
「これを食べながら、カレーを食べてね。」とママ。
う、臭い。どうしよう。レバーを口にいれたが、かまずにそのまま飲み込み、あとは残した。
あまり食がすすまない私に、ママは「ダイエットはいけないわよ。」と心配された。

そして、3日目が過ぎたころだろうか、朝起きて歯を磨いていると、後ろに人の気配がした。
振り向くと、そこには、ニターと笑っている若い男性が立っていた。
息子ではない。
ビックリしている私に、息子の従兄弟だと自己紹介された。

しかし、これが、ほぼ毎日続いた。
ただ、見られているだけだが、なんとも気持ちが悪い。

ママに呼ばれて、「その人に、何もされなかった?」 聞かれた。
もちろん、まだ何もされていないので、「いいえ。」と答えた。
するとママは、良かったと言った。
どうも彼はオバさんのお尻を触ったそうだ。だから、あなたも気をつけてねという。
げっ。気持ち悪い男だ。
しかし、気をつけるって、そんな人を家にいれなければいいと思うが、国民性か、家族、親戚の絆が強いそうだ。

その後、部屋に鍵をつけてくれると言って、1週間も何も起こらず、
相変わらずその従兄弟は、訊ねてくるし、なんだかだんだん家に帰りたくなくなった。
1ヶ月を過ぎて、ママに申しわけないけど、家を移りたいことを伝えた。

その当時は、グリーンカードといい住所が変わるたびに最寄りの警察に届ける義務があったけ。
ダーリンの住んでいた同じ町の警察にいくと、
「よかったね。この町で。昨日隣町で発砲事件があり1人が死んだんだよねー。」という。
なんて、街にきたんだろう。

投稿者 lib : 10:55 PM | コメント (0)

October 01, 2007

中国の農村の子供 2

mama.gif

地元の女の子を道連れに歩くことになった私達、せっかくなので「中国の今」をレポートしようかと思い、夫を通訳にして彼女にインタビューしてみた。

まずは、中国の一人っ子政策は国民に浸透しているのか。
「兄弟は何人?」と聞くと、
「8人。私は上から2番目。」
と答える。

・・・・中国の人口は、まだまだ増えそうである。

近くに商店なども見当たらないので
「いつも何を食べてるの?」と聞くと、
「芋。昨日も一昨日も、芋。今日も多分芋。」
と言う。道端でお婆さん達が売っていた紫芋が主食であるらしい。
ちょっと胸が痛む。
(それでも、栄養バランスの良い食事を取っている筈の日本の子供よりもずっと健康的に見えたが)

彼女からも
「どこから来たの?」
「子供はいるの?」
など、たまに質問されたが、「ガイドしてあげる」と言った割には総じて大人しい子だった。

そんなこんなで30分程歩いただろうか。
あたりがざわざわとし始めたと思うと、彼女と同じ位の年恰好の子供たちが一つの方向に向かって興奮した様子で走っていく。その一団の中に友達を見つけた彼女は、私達に何か叫んで、皆と一緒に駆けて行ってしまった。

あっという間に彼女の姿が見えなくなる。
「あれ・・・?お金は・・・・?まだ払ってないのに」
と後に残された夫と私。

しばらくして、渓谷での綱渡りショーが始まった。
こんなショーがあるとは知らなかったが、地元の子供たちはこのショーを見るために興奮して席取り(観客席があるわけではないが、良いスポットがあるのだろう)をしていたらしい。

この綱渡りショーはすごかった。
渓谷を挟む形で両端の崖と崖に綱が張ってある。
上は空なので、もちろん命綱はなし。
もし落ちれば、数十メートル下の谷底にまっさかさまである。

その綱の上で曲芸をしたり、バイクで端から端まで渡ったりしている。
屋外で行われているので観客はショーを見るために特別お金を払うわけでもなく、たまたまそこにいれば誰でも見ることができる。
おそらく団体客を連れてくる旅行会社から料金が支払われているのだろうか。だとすれば、彼らに入るお金は雀の涙だろう。
ああ、命の値段の安い中国。(涙)

「命を大切にしろよ・・・」とつぶやきつつも、息を呑むようなショーが終わると、いつの間にかさっきの「ガイドさん」が私たちの隣にちょこんと立っていた。
走って戻ってきたのだろうか、息が弾んでいる。

「ああ、お金を取りに戻ってきたんだな」とこちらもほっとした様な気持ちになり、
「ありがとう」と言って財布を出すと、びっくりしたような顔をして拒否するしぐさをする。

お金を受け取る代わりに彼女が両手に持っていたものは、小さな水晶のかけらだった。
そういえば、紫芋を売っているおばあさんの隣で、これも売られていた。
この地方の特産品なのだろうか。小さくて売り物にならないものをどこからか手に入れてきたのかもしれない。

この期に及んでも私たちは、
「そうか、この水晶を売るのか」
と思っていたが。

両手に大事そうに乗せていた水晶を、彼女は夫と私に一つずつ、嬉しそうに「はい」といった風に渡し、「さようなら」と笑顔で言うと、こちらが何か言う隙も与えずまた走り去っていってしまった。

「お金目当てじゃなかったんだ・・・お土産までくれて・・・」
狐につままれたように、立ち尽くした私たちだった。

水墨画のような、仙人が出てきそうな現実離れした場所での思い出。

あれから5年半。彼女にもらった水晶は今でも家に飾ってある。
あの子は今でも村にいて、学校に行ったり農作業を手伝ったりしているのだろうか。
それとも町に出て、観光ガイドになる勉強をしているかな。

投稿者 lib : 10:18 PM | コメント (2)