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November 29, 2007

いつか来た道

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9月から新学年が始まり、早いもので今学期もあと3週間で終わりというところまできました。

そして気が付けば、学科主任である同僚が産休・育休に入って早くも10ヶ月が経ちました。実は、彼女の代理を務めていた教員が夏で辞めたので、九月からは新しい同僚(以下、Aと呼びます)が私の学科で働いています。彼はNQT(Newly Qualified Teacher)といって、夏に一年間のトレーニング(PGCEといいます)を終えて教員資格を得たばかりの教師です。

イギリスではトレーニング期間中の実習生をTraineeとは言わずに、BT(Beginning Teacher)と呼び、学生というよりも教員として扱われます。教員生活の中でBTの年が一番つらい年という人が多いですが、私自身はあの頃は必死でやっていましたから、辞めたいほどつらいと思ったことはありませんでした。

私はNQTの一年間の方がはるかにハードだったと思うのです。なぜならば、PGCE期間中の授業数は普通の教師の半分、それがNQTになると一気に90パーセントになります。つまり、担当するクラスがほぼ倍増するのです。その学校のカリキュラムに慣れること、授業準備をすることはもちろんですが、その上にBTだったころはそんなに関わることのなかった成績評価や様々な事務処理などももちろんこなさなければならず、学級運営も生徒指導も自分が中心となってやることになります。

人によって感じ方はそれぞれですし、NQTなのにまるで今まで様々な経験を積んできたかのように卒なく堂々と仕事をこなす人もいます。ただ、大半の人は慣れない環境で新しい生徒に接し、自分のスタイルを確立し、自信を持ってやっていくのに苦労するようです。私ももちろんその一人でした。子供は正直で新任の教師にチャレンジするようなことをしてきます。最初にどのくらい自信を持って厳しくそういう子供たちに接することができるかどうかが鍵になります。慣れている先生はそういうのが非常に上手で始めに厳しさを見せると子供は学び、それ以降わざと困らせるようなことをしないものです。もちろん厳しいだけではそれがまた反抗を助長するのですが。とにかく、メリハリのある対応がきっちりできないと一人一人は良い子達でも集団化すると子供たちは普段以上に反抗的な態度でクラスを支配しようとします。その時の子供の持つエネルギーは凄まじいものです。

同僚Aは一学期も残り少なくなってきた今、そういう子供たちに接して大変な苦労をしているようです。悩みの中心ははやり授業中の生徒指導。私たち教員の間ではBehaviour managementやPupil managementと呼ぶものです。どうやってクラスをコントロールして授業をスムーズにおこなうかという問題なのですが、3年間教えている私ですらクラス全体を見つつ、生徒個人個人の問題行動に細かく迅速に対処していくのに苦労することがあります。一つの対処の誤りがその日の授業をめちゃくちゃにすることだってあるのです。特に感情の起伏が激しかったり、多動行動が見られる生徒がクラスに4人も5人もいると難しいです。

昨日、同僚Aの授業を観察したのですが、やはり色々な場面で子供がやりたい放題という状況がはっきりと見える状況でした。同僚Aも「生徒が言うことを聞かない」→「ストレスが溜まる」→「心の余裕がない」→「子供の行動に余裕を持って対応できない」→「子供がそれを察知してさらに増長する」→「さらにストレス」という悪循環に陥っていました。そういう時って、クラスで生徒の行動が全てネガティブに思えてしまいます。本当はクラスの半分が教師のいうことを聞いて取り組もうとしている状況であってもです。実はクラス運営の鍵は「子供の良くできたところをタイミングよく上手に褒めて、学級の雰囲気をポジティブにして生徒の意欲を高める」なのですが、教師自身が授業を余裕を持って楽しめない状態だとそういう部分が悲しいことに見えないんですね。まるで生徒と教師が敵対関係に陥ってしまうのです。特に女子校ですから頭ごなしに叱ることがさらなる反発を呼ぶ結果となり逆効果という場合がほとんどなので。

4年前の自分の状況を見ているようで、同僚Aには同情・共感の念が絶えません。私自身、放課後に何度も「なぜ生徒にあんな態度を取られなければならないのか」と屈辱を感じながら涙し、教師にあれほどなりたいと思っていた情熱が吹っ飛んでいくくらい悩んだのを今も鮮明に覚えているからです。「学校に出てくるのが苦痛」。そう言った同僚Aの気持ち、痛いほど分かります。

昨日は同じく歴史教員である人文学部主任の同僚K(教師暦14年ほど)も交えて3人でこれからどういう対処をしていくか話し合いました。まずは同僚Aが生徒の前で(例え演技であっても)余裕を見せられるようになることが大切であるという合意に達しました。それでも経験してきた私にはそれがどれほど難しいか分かるのですが。

これから同僚Aが生徒ともっとポジティブな関係を築いていけるために何ができるのか、私も自分の来た道を思い返しながら考えていきたいと思います。

投稿者 lib : 10:46 PM | コメント (2)

November 28, 2007

パーティー・アニマル

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5歳の誕生日パーティーを終えて、息子は既に「6歳のパーティーはどこでやろうかな・・・」と来年のバースデーに思いを馳せている。

実は私の誕生日は息子の誕生日の一ヶ月後。
自分のパーティーの興奮さめやらず、
「マミーの誕生日はどこでやるの?トランポリン・パーティー?バウンシーキャッスル・パーティー?」(いずれも息子のパーティーを開いたレジャーセンターで開催可)
と私のバースデーの会場選びで張り切っていた。

一瞬、自分と友人達が、ボヨ~ンボヨ~ン、とトランポリンをしている風景が頭をよぎった。こわい、怖すぎる・・・・
「マ、マミーは大人だからトランポリン・パーティーはしなくてもいいんだよ・・・」
「ふ~ん、じゃあ家でやるんだ・・・僕の友達も招待していい?」

いけません・・・・・・・・。

イギリスではこうして「パーティーは楽しい」と幼少のうちからしっかりと刷り込まれて、ティーンエイジャーになる頃にはパーティー・アニマルが大量生産される仕組みなのだな。

さて私の誕生日当日。トランポリン・パーティーも開催せず、息子の友達も招待せず、家族3人で近所のレストランでささやかなお祝いをし、帰りにケーキを買って帰った。
家でケーキを開けようとすると、
「マミーの誕生日だから、座ってていいんだよ」

言われる通りに居間に座っていた。部屋の電気が消えたかと思うと、
「Happy Birthday to you・・・♪」
と歌いながら、息子がキャンドルを立てたケーキを運んでくるではないか。

暗闇の中、キャンドルの灯りに照らされる息子の顔を見て、少しじ~んとした。
「Happy Birthday・・・」と歌に参加すると、
「今日はマミーの誕生日なんだから、マミーは歌わなくていいんだよ~」

く~~、大きくなったねえ! 泣かせやがってえ!・・・幸せな○○歳の誕生日でした。

その後もパーティーに対する情熱は相変わらずで、TVのニュースから
「レイバー・パーティーが・・・コンサバティブ・パーティーが・・・・」
などと聞こえようものなら、
「パーティー!??パーティー!??どこ??どこ??どこで???」
とエキサイトするのでなだめるのに苦労する。

ついでに、首相「ゴードン・ブラウン」にも敏感で、彼の名前を聞くと
「ゴールデン・ブラウン?イエロー・ブラウンじゃダメなの~?」
と得意の親父ギャグを飛ばす、政治にも興味ある(?)5歳児である。

将来、呼ばれもしないのに首相官邸にプレゼントを持って
「パーティーがあるって聞いたんだけど・・・・」
と不法侵入し、警察に捕まるような怪しい青少年にだけにはならないように願う今日この頃。

投稿者 lib : 09:47 PM | コメント (0)

November 27, 2007

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風邪のためお休みします。治り次第アップします。

投稿者 lib : 09:51 PM | コメント (0)

November 26, 2007

駐在員の妻

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先日、いつもより早く帰宅したので、久々に家族揃って夕食を取ることが出来た。
さあ食べよう、というところでふと妻の皿を見ると、極端に量が少ない。
妻は日頃「ダイエット、ダイエット。。。」とぶつぶつ言っている割には
結構ダイナミックな食べっぷりだ。
さては今年も残りわずかになり「2007年今年の抱負」でも思い出したか?
と思い尋ねると
「今日はRITZのアフタヌーンティーに行ったから、お腹がいっぱい」と言う。
なに?!RITZ?!そしてその値段を聞いて二度ビックリだ。

しかしそんな私に妻はいつもの決めゼリフ。
「思い出、思い出」
曰く、日本に帰ってしまったら、もうそう簡単にはイギリスになんて来られないのだ、
ならば、あそこに行っておけばよかった、あれをしておけばよかった、等と
悔いを残すことのないようにしなければ・・・

そんな彼女の習い事は乗馬である。
確かに、東京都心で優雅に乗馬、など不可能だ。

「今、この瞬間を楽しもう!」がスローガンとなりつつある今日この頃、
妻の、ロンドン生活の充実ぶり、enjoy加減に思わず
「駐在員の嫁さんは気楽でいいなー。」と漏らすと
「なんですってー?!」と猛反撃。

私の出張中に車上荒らしに遭い、一人で駆けずり回った時のこと、
出張の多い私の留守中、夜中の物音がどんなに怖いかということ、
赴任当初、日々の食事の支度や子供の学校選びが
どんなに大変だったかということ、
さらに遡って、海外引越しをほとんど一人でこなし、
体重が激減(するも、その後瞬時に回復)したこと
・・・・以下省略・・・

はいはい、大変失礼しました。
駐在員の奥様方、日々お疲れ様です。

まあ、妻がハッピーだと子供も私もつられてハッピーな気になるので
良しとしますか。

その時、ふと私の脳裏に、いつか読んだサラリーマン川柳の一句がよぎった。

「昼ご飯 妻はセレブで 俺セルフ」

投稿者 lib : 10:16 AM | コメント (0)

November 22, 2007

School Trip

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色々な世代の方が私のブログを読んでくださっていると思いますが、皆さんが中学校・高校に通われていた頃は校外学習などありましたでしょうか?

私自身は、小学校の時に、普通の遠足以外にも近くの消防署や醤油工場(って出身地がばれそうですね)に社会科見学として訪れた記憶はありますが、中学と高校になるとそういった記憶がほとんどないのです。美術館や博物館に行ったことはあると思いますが、それも数えるほどです。

イギリスのほかの地域ではどうか分かりませんが、私の勤める学校ではとにかくこのSchool tripがさかんです。教室での授業時間が潰されるため、校外学習自体に是非を問う声もあります。私が見ていてもあまりにも生徒が安易に校外学習を「楽しいもの」、教室での授業を「つまらないもの」と捉える傾向にあるので、そういう機会を与えすぎると逆に校外学習の意味そのものが薄れていってしまうのではないかという危機感はあります。全員は連れて行けませんから、どの生徒に校外学習の機会を与えるか、どのように生徒間の機会の不平等を無くしていくのかなど、課題も多いです。

このような論議はおいておいて、うちの学校で実際に実施されている校外学習についてお話しましょう。以前にも書いたとおり、うちの学校はPerforming Arts系の科目が盛んですので、演劇鑑賞やコンサートに行く機会が他の学校よりあります。それに限らず、各教科でカリキュラムに沿った校外学習が行われ、学年としても自然学習・情操教育の一環でキャンプに行ったり、ワイト島という島に旅行に連れて行ったりと毎週生徒も教師も誰かは何かの校外学習に関わっているという感じです。もちろん、いずれの場合も一クラス、または学年全体を連れ出すということは極めて稀ですが。日本のように修学旅行・林間学校的な一大行事もありませんし。

さて、実はかくいう私も今週の金曜日(みなさんがこのブログを読まれる頃ですね)には私自身が企画した9年生対象のschool tripで生徒達を校外学習に連れて行きます。各クラスから選んだ4人ずつの生徒、計32人(私の学校は規模が大きく8クラス制なのです)を同僚の歴史教員と一緒にDocklandsというところにある歴史博物館へ連れて行くのです。

9年生は現在、西アフリカ人奴隷史からアメリカにおける国民の人権運動までをカバーする単元を学習しています。明日の目的地である歴史博物館がSlavery Study Dayという生徒のための特別な企画をやるというので申し込みをしたのが9月半ば。それから色々とペーパーワークを終えて、生徒を選出してようやく実現というわけです。ただの博物館見学だけではなく、俳優さん達が当時の様子を再現しながらキャラクターを演じてくれたり、生徒が実際に参加できるアクティビティが多いというので連れて行く私も楽しみです。

ところで、実際に校外学習を実現させるにはいくつかの手順を踏まなければなりません。まず、行き先を決定、現場でどのような活動をするのかなど目的を明確にしてから、企画書と保護者へ送る手紙を作成して校長へ提出、その間にリスクマネジメントという災害時・緊急時の対処に関する書類を作り、訪問先へ仮申し込み・保証金や料金の支払い・交通手段の確認・アレンジ(貸し切りバスの場合はその手配)を済ませておきます。校長から許可が下りたら、申し込みを確定、参加する生徒を選んで、保護者からの許可書と医療関係の書類(持病の有無などを記載する)を集めます。そして最終の参加者リストを作って、生徒のお昼用のサンドイッチを注文したりして当日の準備をするわけです。

新任として勤め出してから4年、今まで何度も色んなschool tripを企画し、二年前には8年生の学年全体をHampton Court Palaceという宮殿に(同日に全クラス一度ではありませんが)連れて行ったこともありました。ですので、School tripの企画・実行は慣れているといえば慣れているのですが、意外に細かいところでかなり時間を消費するものなのです。それでもやはり、校外学習は意義深いものとされていますので(私も実際にそう思いますし)、教科主任として色々と企画をしていくことが奨励されているのであります。

School trip当日は私が引率者となるわけですが、そんなに遠隔地ではないとはいえ、やはり生徒の安全のことなどを考えると気を緩められません。それに加え、地下鉄でたむろするロンドンの若者(そして一部の大人も)を目にしたことのある方ならお分かりかと思いますが、子供って集団になると公共の場で目を疑うような行動をとるので目が離せないのです。今までに一体何度恥ずかしいと思いながらも「Be quiet! Behave yourself!!」などと声を荒げたことか。そして周囲の非常に痛~~~~~い視線を浴びたことか、、、。

あぁ、どうか生徒たちが何も問題を起こさずに、地下鉄でも静かに行儀良くしてくれますように。神にもすがる思いです。

投稿者 lib : 11:56 PM | コメント (0)

November 20, 2007

サービス精神って?

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洗濯機が壊れた。
歯が痛くなって歯医者に行った。
結婚式参加やお祝いでいろいろ出費した後だけに、どうしてお金がいる事が重なるのかなー。
トホホ。これも人生かと諦めた。
まあ、この洗濯機は、前のオーナーが置いて言った物を6年も使用したのから、仕方がないな。
さっそくサイズを確認して、注文をした。
一週間ほどで洗濯機が届く予定だ。

洗濯機が届く日、配達される時間が朝8時から10時のあいだという。
朝早く起きて、シャワーを浴びていたら、ベルがなった。
まだ、7時30分だ。しかし、洗濯機が運び込まれる。
大変—。と濡れたまま、部屋に駆け込み着替えを済ました。ほっ!!

洗濯機の設置場所に行くと皆が呆然としている。
配達人が、洗濯機を取り付けてくれる予定だが、何も起こっていない。
洗濯機の後ろにある水道の元栓を締めて、ホースを交換し設置するのだが、
どうもこのねじが作業をしようとして割れてしまい、これ以上の作業はプラマーの仕事で自分達の管轄ではないという。
「いつもこうなんだよなー。だから始めにプラマーを頼んでくれれば、古い洗濯機が持ち帰れるのに。」とワーカー達の声。
だったら、会社にフィードバックして、同じ繰り返しをしないのが、自分たちのためじゃないの?と思うが、
ここは英国。
「また、電話してくれたら、古い洗濯機を引き取りにくるから。」と彼らはさっさと帰っていった。
直感だが、どうも作業をしたくない彼らが、乱暴にそのねじを壊したような気がした。
だって、引き取りにくるのは、別の人の仕事になるかもしれないから、今がラクならそれを選ぶのが当たり前だろうなぁ。
この洗濯機、なんでこうも重いのか。我が家はグランドフロアーだが、2階なんて運べない重さだ。
また、運が悪く水道管の工事をしていて、車が側に止められない。
彼らが、拒む理由はたっぷりある。

ダーリンは、「これからプラマー探しだ。ああ、これでまたエキストラのお金が必要だね。」と嘆いた。
このプラマー探しも、誰がいいのか、どこの会社がいいのか探すのにまた、ひと苦労。やれやれ。
洗濯機、まだ当分使えないなー。と私は出勤した。

帰宅すると、洗濯機が取り付けられているではないか。
プラマーが来てくれたんだ!!と聞くと、予約はしたがダーリンが自分で試してみたら設置できたという。
聞けば、簡単らしい。要は、水の元栓の場所が分かっていれば、その大元を止め、水を止めれば簡単に取り付けできるそうだ。
ちっ。奴らそれを知りながら、自分たちの仕事を軽くしたらしい。

ダーリンは古い洗濯機の引き取りを購入先に依頼した。
すると、その会社は一度納品したあとに古い物を集荷するサービスはないという。事情を話したが自分たちで処理するように言われた。
ああー、奴らが嘘をついたんだ。古い物を引き取りに来るといえば、客が安心するので、そんなシナリオがつくられたようだ。
どうも常習犯だろうなー。
英国だからね。とまったく驚かない我々。

これが、日本だったらお客様窓口に電話して、クレームの嵐だろう。
怒りをすべて、この窓口の気の毒な人にぶつけてしまうのだろうなー。と想像した。
この会社は神様のお客様のクレームをしっかりと対処、改善し、このデリバリーした人間を見つけて、叱るのだろう。
そして、このクレームに携わった人は、ああ、今日もイヤな事があったなー。とストレスとなり、酒がすすみ、父親不在、家庭内崩壊、
健康問題、鬱病なんてなるのかな???
それに比べれば、だーれも責任をとらないこの国は、
今日の配達人や電話に出た人もきっと仕事の帰りには、行きつけのパブでワイワイ騒いでご機嫌になって帰っただろう。
あ、そうか、ストレスは、お金を払った神様がみんな引き受けた訳か。なんだかかなり損した気分だけど、諦めも身に付いた。
ふー。これって、いいことか、悪い事か、どうなんでしょうね??

幸いカウンシャルが白い電化製品(冷蔵庫、洗濯機、クッカー)は、街の美観のために無料で引き取ってくれるとか。
予約していたプラマーも予約をキャンセルした。文句を言われると思ったのに、「いいよー。」と気持ちのよい対応だった。
我々は、この感じのいいプラマーには、ぜったい次に仕事を出したいね。と言っている。
ねえ、我々が洗濯機を購入したCで始まる大手の電化製品販売会社の社長さん、
サービスっていうのは、 お客さんが次もあなたの所で買いたいわ。って言わせる事じゃないの??

投稿者 lib : 10:50 PM | コメント (0)

5th バースデー・パーティー その2

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ソフトプレイ・ルームを借り切って行なう事にした息子の5歳のバースデー、招待客の中には、隣のフィオナの息子のハリーも含まれている。(ご近所のモテモテ未亡人、フィオナについては2006年6月26日の記事を参照)
隣家の電気が消えているので外出中かな、と思いフィオナの携帯に電話すると、そこは

・・・・ブラジルだった。

CMプロデューサーの彼女、撮影でブラジルに出張中だという。
急いで用件を話すと、パーティーの前日にロンドンに戻るので出席できるとのこと。

フィオナの出席を確認すると、俄然夫のやる気が出てきた。
「子供と大人含めて客は30人位になるな。僕がヌードルを作ってあげるよ。」
と提案。
子供のバースデーパーティーでは、サンドイッチやフルーツなどのスナック類がお決まりだが、チャイニーズ・ヌードルはイギリス人にも馴染みがあるし、好きだと言う人が多い。面白いかな、と思い(そして私がラクだし)即可決。

それにしても、場所を借りることに決めてしまうと、すごーく気が楽だ。
4歳までのパーティーはずっと少人数の人を招いていたが、それでも家で行なっていたので掃除やら何やら、何かとプレッシャーがかかった。

パーティーの前日に食材や飲み物、ケーキ(これも昨年までは手作りしていたが、今回は人数が多い事を言い訳にお店で購入)などを買い込み、子供達に配るパーティーバックの仕込みをし、用意終了。
ちなみにパーティーバックは息子と一緒に作ったが、数が多いので
「はあ~、Hard work・・・・」
と本当に大変そうに手伝っていたのが笑えた。君、人生は楽なことだけじゃないんだよ。

当日、料理(メインは夫のヌードルと私の海苔巻き。そしてフルーツやクリスプなど)を車に積み込んで、いざ出陣。
急用で来られなくなった一人を除いて、17人の子供達が集まってくれた。

後は子供はひたすら遊ぶ、同伴の大人は暇そうにそれを見守る、お決まりのパターン。
ケーキカットも無事終了し、パーティーはお開きの時間になった。

いつもの癖で料理を沢山作りすぎた夫、今回もヌードルが大量に余ってしまったので、小分けにして皆さんにお持ち帰りしてもらうことにした。

フィオナは
「チャイニーズのパーティーでは、ヌードルを食べて、テイクアウエイまでつくのね・・・イギリス人のパーティーとは違うわ・・・・」
と感心(?)していた。全てのパーティーでテイクアウエイが着く訳じゃないんですけどね。

後片付けは紙皿や紙コップを捨てるだけで、これもラクだ。
時間通りに会場を後にし、無事終了。
場所を借りると確かにお金はかかるが、この精神的な気楽さには変えられないな・・・とつくづく実感。
(それにしても私、文章の中に『ラク』という言葉が何回も出てきてますね。自分のプライオリティーを自覚するような気がする。)

ちなみに息子のFavorite characterは、3歳→機関車トーマス、4歳→スーパーマン、そして5歳の今はパワーレンジャー。プレゼントを開くとパワーレンジャー・グッズの大集合だった。皆さんありがとうございます。

イギリスの、過度に思える誕生日パーティーの風潮に呆れていた私だったが、結局自分もその一端を担ってしまった。まあクラウンは呼ばなかったけど。
他の子供達が派手なパーティーを開けば自分の時も同じようにしたい、と思う子供の気持ちは自然なことで、結局どの親も「子供のために」せざるを得ないのかな。

まあパーティー好きなイギリス人は自分たちも楽しんでいるようでもあるが。
(でも子供のパーティーではアルコールが出ないことが多いからか、大人たちはイマイチ乗りきれていないことが多いような気がする。どこのお父さん、お母さんもご苦労さまです。)

投稿者 lib : 10:29 AM | コメント (2)

November 18, 2007

Joseph Oliver Yoshida

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その暗闇で親にも分からぬやむにやまれぬ事情があったのだろう。
この肉塊は予定より7週間早く、11月6日に世に出た。医者も母
親本人も父親も誰も、母親のおなかの痛みをデリバリーだとは思わ
ず、感染かなにかだと思っていた。父親はその人生で初めて999
に電話した。

あまりに小さな肉塊。覚悟を必要とした。病院の同居人からの突然
の電話が怖い数日が続いた。さいわい、かかってくる電話はすべて
穏やかなものだった。そして2週間が経過しようとしている。医者
はそろそろ家にと仰っているそうだ。ありがたすぎて、世の神仏の
全てに頭を下げたい。

 なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

投稿者 lib : 12:18 AM | コメント (5)

November 15, 2007

地球の裏側から。

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先日、一通のメールが届きました。

私の大学院時代の友達(以下、友人Y)からでした。彼女は台湾人の歴史教師で6年前にロンドンの教育系大学院のコースが一緒で知り合いました。

私たちの在籍していたコースは歴史教育という修士課程ではマイナーな分野なせいか、当時、フルタイマーは私と彼女の2人。あとの3人はパートタイマーでロンドンの学校で歴史を教える現役の男性教師達でした。

友人Yと私は歳も近く、女性同士、しかもお互い東アジア出身。そして昼間の授業に出るのはフルタイマーである私と彼女の2人だけ(今考えると贅沢ですね)。自然と2人で一緒に授業準備をしたりすることも多くなり、授業後にご飯を食べに行ったりと交流が深まりました。

それだけに留まらず、お互い母国を離れての留学でしたから家族の話や自分の国の話、そして恋愛の話など、本当に色々なことを話し合える仲になりました。国を越えて、お互いの国の歴史のしがらみや文化の違いなども越えて(そして同時に共通点も見出せる)、本当に自然に物事を話せる関係を築けたのです。

そんな私たちも一年後、無事に修論を書き上げてコースが終わり卒業。私はイギリスに留まって教師を目指すことになり、彼女は台湾で教師を続けながらロンドンの同じ大学院でパートタイムのドクターコースに進み、台湾とイギリスをたまに往復するようになりました。

会える回数は減ったもののメールでの交流は続き、彼女がイギリスに来るたびにうちに泊まったり、ご飯を食べに行ったりして何時間もおしゃべり、、、こうして現在に至ります。

今回のメールは友人Yがついにドクター論文の下書きが書き終わったという報告とこれからの進路についての相談でした。お互い歴史教育に関わっているとはいえ、彼女は研究の道へ、私はイギリスでの実践の道へ進み、お互い自分のやったことのないことをやっているということでadmire(敬服?)しあうのですが、そんな彼女が今後の進路について悩んでいると言うのです。

研究者として大学で働くのが目標の彼女。理想は台湾での就職のようですが、現在は空きがなく、今考えているのは私の恩師でもある彼女の指導教官の紹介である北米での職にアプライすること。ただ、仕事の内容は研究に留まらず、歴史の教職課程に所属する学生への指導・講義なども含まれているそうです。

彼女は経験のある中学・高校教師ですが、北米に渡れば使うのは英語。母国語ではない言語で現地の学生に自分になじみのない歴史教育制度に基づいた指導をしていくことに不安があるそうです。普段は何事にもチェレンジして、今までも私なんかよりもよっぽど困難な状況で勉学・仕事を両立させてきた彼女。それでも今回のことは一歩踏み出すのに勇気がいるのだと言います。

イギリスで母国語以外の言語で現地の生徒を教えている私がどうやって英語でのインタビューを乗り越えたか、どうやって現地のカリキュラムについて学び教えるまでに至れたのか、そういうことを聞きたかったそうです。

そう言われて考えると、当時の私はとても無鉄砲だったように思えます。英語も不完全なくせに怖いもの知らずというか。ただの自己中心的行動・究極的我が侭というか。「教師になれる!」という(あまり前提のない)確信をひたすら持ち続けただけのような気がするのです。そして周りの人に精神的に支え続けてもらえた(実際は半ばあきれられてもいた?)、その結果だと思うのです。実際のトレーニングやインタビューはとにかく必死でしたから一日一日をとにかくsurviveする感じでした。結果がどうなるか深く考える余裕もなく、同時に深く考えて不安になるのを避けていたのだと思います。

結局こんな私が彼女に言えたのは、どんな選択をしても間違いではないし、どんな結果になってもそこで終わりじゃないということ。実際に仕事が始まったらそこからはまた学ぶのみ。でも毎日が向上への道のはずだから困難があってもいつのまにか螺旋を描くように上に登っていける。そして私や私たちの恩師も含めていつだって話を聞いて支えてくれる人はいる。可能性を信じてチャレンジして欲しいと伝えました。

これらの言葉。実は自分自身が今まで色んな経験を通して気付かされ、いろんな人にかけてもらった言葉です。そして今も自分に必死にかけ続けている言葉なのです。なぜなら、私も自分の可能性や能力に疑問を持つことは多いし、不安に思うことも多いから。

人生の選択肢ってありますね。私も選んだし(そして周りの人に選ばせてもらった、そういう環境をもらった)、彼女も選んでいくんですね。ひさびさに友人Yのメールで考えました。自分の今までとこれから。

最後に、このブログを友人Yが目にすることはないでしょうが、彼女に地球の裏側からエールを送ります。

投稿者 lib : 09:35 PM | コメント (2)

November 14, 2007

オフィスラブ 独身編 その2

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同僚のT嬢はイギリス人で30代のはじめである。 「彼氏いない歴」がもう2年に近い。昔のボーイフレンドは煮え切らない態度にうんざりした彼女のほうからふったのだが、最近、その彼に新しい彼女ができたと聞き、内心おだやかではないらしい。

以前にスピードデート (2006年3月9日のブログ)に同伴したのだが、つきそった私のほうが盛り上がって大騒ぎしてしまい、彼女に恥ずかしい思いをさせた過去がある。あのときはごめんね。

さて、T嬢はかわいい顔をしているので、男の同僚の中にも彼女が気になっているのが数名いるようだ。

O氏は30代の半ば。 「仕事ができる奴」とみんなから評価されている。
「妻とうまくいっていない」と言い張る彼はT嬢に色目を使う。
「彼って、ちょっとセクシーだと思うのよね」と告白するT嬢。
・・・え? そうなの? 

O氏は強引で男っぽく、性格こそ抜け目のないビジネスマンという感じだが、
「りんごのほっぺ」というか 「赤ら顔」というか、「白人特有の広範囲に渡るピンク色のほほ」をしている。金髪白人女のT嬢の目に映る 「セクシーな男」は日本人の私には 「日に焼けた田舎のおじさん」に見える。
ビジネススーツを着てシティで働くよりは、古びたセーターとウールのジャケット姿で羊を追ったり、牛の出産に立会いそうなほっぺたの色だ。

スイスの山並みを背景に立たせたら、 「アルプスの少女 ハイジ」と手に手を取って、頭のてっぺんから出る甲高い声で「ホールレイッヒー」と歌い始めるかもしれない。

どちらにしろ、彼は既婚者なのでT嬢はお誘いにのる気はないらしい。


P氏は40前。がっしりとして、背がすごく高く、 「濃い顔」をしているので、ちょっと 「ジョージ・クルーニ風」だ。
そうです。ジョージ・クルーニ。もう一度、言いましょうか? ジョージ・クルーニ。
「彼ってハンサムだと思わない?」とT嬢。
確かにルックスは悪くないと思う。ゆったりとした話し方も、知らない人にはおっとりと渋い雰囲気を与えるかもしれない。

しかし、彼の話はポイントにたどりつくのに延々と時間がかかり、イライラする。
「あー」とか「うー」と、もたついたり、話の途中でも、しばしば数秒間の沈黙がある。
新しい酸素を含んだ血が頭の中にゆっくりと流れ込んでくるのを待っているような悠長な話し方に、 「起きろー」と肩をつかんで揺さぶりたい衝動にかられる。

それで、つい、
「うどの大木」という言葉を思い出したり、
「大男、総身に知恵が回りかね」なんてフレーズが頭に浮かんだりする。

デートで割り勘、なんて場面を想定してみよう。お勘定が40ポンドなら問題ない。しかし、ふたりで35ポンドだと、彼に計算でき・・・(以下、省略)。


Q氏も30代の後半だ。バツイチの彼はT嬢への思いをはっきりと態度で示している。
パブで私が飲み物を頼んでも忘れてしまうが、T嬢のためなら、すぐにお替りを取りに行く。差別するなよー。
Q氏は彼女の席の横を通る度にうっとりとした視線を投げかけるそうだ。
彼からは何度もデートに誘われているらしいが、T嬢はうんと言わない。
なぜなら・・・、
T嬢は170センチで、いつも7センチくらいのヒールを履いている。つまり、180センチに近い身長だ。一方、Q氏はうーんと小柄。
ま、身長差はさておいても、彼の場合、

―――顔が 「ガマガエル」に似ている。

「彼に見つめられると全身に寒気が走るの」とT嬢。
「無理ないよ。あれだけ、ブxxxだと」と本当のことは言えないので、
「相性が悪いのかしらねえ・・・」と言葉をにごすことにしている。

最近、T嬢は社内恋愛をあきらめて、インターネットでの恋人さがしを始めた。


PS. 日本から友人が遊びに来るので、ブログを数週間お休みします。彼女はヨーロッパに来るのは初めて。一緒に遊びまくる予定です。

投稿者 lib : 10:08 PM | コメント (0)

November 13, 2007

ウエルカムな客人とは?

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こまった客人を先週書きましたが、さて、ウエルカムな客人もいますよね?
それは、届け物の内容や量ではなく、こちらの気持ちを理解してくれるというのか、
気を使ってくれているのが分かるとそれだけで、もうサービス満点になってしまいますよね?
我が家にもいろんなお客様が来ますが、「また、来てね。」と言いたい人も沢山いました。

その1人は、ダーリンの知り合いで仕事柄、時々ロンドンにくる。カエル君。
前回も書いたように、パリへ行く時の弁当を私に頼んだどんでもない野郎以来、
我が家にはいっさいそのような人を泊めないことにしている。
そう、彼らの職業はフリーランス系の人たち。
カエル君は、あるとき泊まる所を確保していたのに、その家の持ち主が夜になっても連絡がとれず、
宿なしになりそうになりダーリンにすがってきた。
仕方がないので、禁を破って我が家に泊める事にした。

彼は、前の彼とは違い、行儀もいいし、何のリクエストもない。
話は面白いし、一緒にいても快適だ。なんだ、こんな人もいるんだ。とちょっと方針を変えそうになったぐらいだ。
その彼が帰国した後に、我が家に小包が届いた。中を開けたらカエルの置き時計が入っていた。
実は、私はカエルグッズのコレクションをしていて、トイレには50体ほどのカエルが並んでいたのを見て、送ってくれたのだろう。
うーん。感心。感心。お金がないだろうに、と思いつつもありがたくいただいた。
しかも、この時計、なんとも可愛いのだ。
これ以来、カエル君は私の中でいい人、にかわってしまった。
(やはり届け物の差では?と勘ぐる方もいますが、ええ、しっかりと見透かされているようです。)
その後も、律儀にこんなのを見かけましたといろんなカエルを送ってくれるし、旅先からはカエルの葉書が届く。
まあ、なんともマメな人だ。しかし、あれ以来我が家には泊まっていないが、
それでもカエル君は、どんどんカエルを送ってくれるし、ロンドンにくれば必ず何かを持って来てくれる。
私もいろいろ差し入れをしているが、お返しは出来ていないなー。
彼のお陰で、我が家にはどんどんカエルが増えている。ありがとう!!
また、泊まってもいいですよー。

前回の話で夕飯をご馳走してしまった彼女には、日本からのお客様が多い。
先日は、 知人のお嬢さんが英国の大学を受けたいから下見に来たといい、1週間ロンドンに滞在した。
彼女の家には、泊まらなかったが、その間の毎夕飯を作り、ごちそうして、そして、日中もいろいろつきあっていたようだが、
決して、苦にならなかったそうだ。
たった1人で渡英して、若いのにしっかりとした目標を持ち、とても気持ちがよかったそうだ。
そして、心から応援したくなったとのこと。

フィーリングといってしまえば簡単だが、
何か共感点や気持ちがつながっているお客さんなら、一緒に時間を過ごしても楽しいし、きっとウエルカムな客になるのだろう。
でも、そこには、お互いの気遣いも必要なのだろうけど。
我々も日本でお世話になる家がある。
こまった客と言われないように、気をつけよう!!っと。

投稿者 lib : 11:02 PM | コメント (0)

November 12, 2007

5th バースデー・パーティー その1

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早いもので10月で息子も5歳になった。

すくすく元気に成長してくれて、大変ありがたいし、めでたい。だが、ここイギリスで子育てをしている者には、そんな感慨にふけっている暇はない - 
-そう、バースデーパーティーを開く試練を避けては通れないのだ。(6月19日『バースデーパーティー』を参照)

昨年までは、親しい友人だけを招いて自宅でパーティーを開いていたが、今年はもう通用しない。
5歳前にして、既に人の誕生日パーティーに呼ばれ慣れしている息子、数ヶ月前から「誰と誰を招待して・・・・会場は何処で・・・」と、やる気満々である。
ああ、本人は「誕生日」なんて概念が分からず、周りの大人だけで「ハッピーバースデー♪」と祝っていた1歳、2歳の誕生日が懐かしい。

彼の頭の中の「招待者リスト」にはナーサリー時代の友達、今の学校の友達、近所の友達が名前を連ね、軽く10人は超えそうだ。ただでさえ2人以上集まれば野獣と化す5歳男児たち、狭い我が家での開催は到底無理だろう。

息子の希望の会場は自宅近くのレジャーセンター内にあるソフトプレイエリア、「サファリ」。(野獣たちにふさわしい巧いネーミング。座布団一枚)親友のK君が6月に借り切ってパーティーを開いたので、自分の時もここで・・・と心に決めているようだった。
家から近いし、招待する人も来易いし、何よりも自宅よりも気が楽だ。親と子の思惑が一致し、会場が決定した。

「サファリ」は平日の5時半~と、週末の4時~と6時~の2セッションを、パーティー用に貸し出している。土曜の4時を予約しようと予定日の3週間前に電話すると、その週末は日曜日の6時からのセッションしか空いていないとの事。
「たまたまキャンセルがあったのよ。普通は3ヶ月前に予約するものよ」
とレセプショニストの声。

そういえば自分の結婚前にも、
「普通は1年、2年前から予定を立てるものよ。式の一週間前に駆け込む人なんか他にいないわ」
というセリフをいたる所で言われたような気がするが、まあ何とかなるものである。

息子の誕生日パーティーが来年の1月にならなくて、とりあえず良かった良かった。

場所が決まったら、次は招待者リストの作成である。
学校の友達や近所の子供にはインヴィテーション・カードを渡し(これも外せないお約束)、離れているママ友にはメールで招待した。
集計すると、18人の子供が来てくれる事になった。

つづく

投稿者 lib : 05:18 PM | コメント (0)

November 11, 2007

British Rock

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英国にLed Zeppelin という奇跡のバンドがあった。少年吉田が彼
らの音に初めて接したのは、すでに4枚目のアルバムの露払い曲で
あるBlack Dog がラジオから流れた時だった。確か11歳だったと
思うが、その大人の味がするブリティッシュ・ロックに強く強く惹
かれた。ギターを弾きたいと思った。雑多な洋楽を手にし始めた時
期であり、その後もあれこれ物色していたが、彼らとの衝撃的な再
会は、その解散間際のアルバム、Presenceという作品だった。これ
も露払いであるがAchilles Last Stand という10分26秒の大作は、
15歳の少年を音楽的別次元に運んでくれた。それから30余年を
過ぎたオヤジをいまだに陶酔させてくれるだけの力をこの不思議な
曲は持っている。Zepのデビューアルバムの露払いは Good
times, bad times という曲だが、これも凄い。60年代後半の当
時、これで腰を抜かした若者が山程おったであろうなア。アルバム
の露払い曲は最も重要なのである。人をして外国の地まで運んでし
まうだけの強い影響力を持つのであろう。

ZepはドラムのJohn氏の他界を直接原因として解散となった。何し
ろ、奇跡のような4名が集まって10年活動したバンドであり、一
人とて欠けてはZepは存在しない。来月、Jon氏の子息がドラムを担
当してロンドンでコンサートがあるそうだ。勿論 ticket のアプラ
イをしたが、とくに大きな期待はしてはいない。同窓会のようなも
のであろう。無論当たっては欲しいが。

投稿者 lib : 10:07 PM | コメント (1)

November 09, 2007

Sing to de-stress

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教師生活も4年目にはいると仕事が単調に感じることがあります。

教材作り、授業計画、授業、生徒のノートチェック、課題やテストの採点からSchool trip(遠足?)の計画、その他諸々の事務処理などと常にやることは色々あるのですが、それでもそういう日課だけをこなしているとどうしても変化が欲しくなるのです。

周りを見ていても同じように感じている同僚はたくさんいるようで、それぞれに色んな活動をしています。チャリティ活動を先頭に立ってやったり、Gifted & Talented students(学習能力が高い子供、特別な技能を有している子供を総じてこう呼びます)のためのプロジェクトに関わったりなどなど。

私も変化を求めて、先週書いたように海外からのお客様をホストしたわけですが、そのチャレンジも過ぎるとまた「他にもやれることないかなぁ」と心が漂い始めるのです。

そんな中、音楽教師である同僚から全教員に向けて送られてきたメールがありました。「教員合唱団に参加しませんか?」という内容のもの。

もともと(素人ですが)歌うのは大好きな私。

迷わず飛びつきました(笑)

練習日は毎週金曜日の放課後。先週の金曜日に始めて練習に参加しました。集まったのは音楽教師3人と、私、それから理科教師、演劇教師の同僚の計6人。小さな合唱団の結成です。

どうやら、12月の恒例のクリスマスイベントで全校生徒を前にキャロルを歌う計画のよう(いやー、教師のくせにこれは緊張しそうです)。キリスト教ではない私はもちろんクリスマスキャロルなど歌ったことがありません。子供向けのクリスマスの歌ならありますけれど。しかも英語で歌ったことの無い歌を突然歌うのは初めて。かろうじてその日に歌ったのは有名なキャロルだったのでメロディだけはほとんど知っていましたが。

10分ほど発声練習をしてからさっそく楽譜を渡され、まずはみんなで歌詞を音読。中には古い英単語やラテン語のフレーズもあって隣の同僚の発音を聞きながら何とかしのぎました(汗)

そして、いよいよ音楽教師の同僚のキーボード伴奏に合わせて歌うことに。合唱なんてたぶん中学校以来です。ちょっぴり恥ずかしいようなちょっと緊張するような感じ。それが、あらっ、歌い始めたら楽しい。気持ちいい!!!

それにしても音楽教師の同僚達には脱帽です。即興で音程をかえたり、楽譜をすばやく読んでテノール、アルト、バスなど違うパートをマスターし、最後にはハモるハモる!!!そしてハモる瞬間の気持ちいいこと。

それから50分もの間、私たちは無我夢中で歌い続けました。その週一週間のストレスがどんどん溶け出していくようでした。一日中授業で声を使った後なので喉にはかわいそうでしたが。でも、歌っている時はそんなことも忘れ、ひさしぶりに時間が経ってしまうのがもったいない気持ちでした。

教員に限らず、ストレスを抱えている方、合唱はかなりおすすめです。これから毎週金曜日が楽しみになりそうです。

投稿者 lib : 12:24 AM | コメント (0)

November 07, 2007

オフィスラブ 独身編 その1

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オフィスラブはイギリスでも盛んなようである。

月曜日から金曜日まで、毎日、顔をつきあわせ、さらに、勤務時間外も一緒に過ごしたいというのは見上げた根性だ。飽きないのかね?

うちの会社でも社内恋愛は楽しいゴシップだ。
これらの情報交換は男の同僚や上司も出入りする給湯室ではなく、レディスを中心に行われる。情報もれを防ぐため、個室のドアを次々と蹴りあけ、人が潜んでいないことがまず確認される。

「営業部の彼と秘書課のあの子が 『C&B』で一緒に飲んでいた」とか。
ここで問題になるのが、 「どこで」飲んでいたか、だ。
私もボスや同僚、男友達と一緒に 「男と女のふたりきり」で飲むことはある。
が、それがシティのパブやワインバーなら、誰に見られても構わないような 「怪しくない仲」か、 「公認の正式なカップル」だと思われる。
シティから少し離れた場所だと、もしかすると 「人目を忍ぶ仲」かもしれない。

「あの二人じゃ、ミスマッチよね」
「もって3ヶ月かな?」
「いや、もっと短いかも・・・」
と、ダメになるまでの期間の予測も同時に行われる。

同僚のA君は30代の前半。涼やかな目元で顔立ちも整い、背も高いグッドルッキングな好青年だ。 「そろそろ結婚して、子供が欲しい」と周囲に洩らしており、妻となるべき女性を社内の同僚から物色しているようである。

B嬢とは数回のデートをした。彼のほうはもう少し深いおつきあいを、と考えたらしいが、20歳になったばかりのB嬢はその気がなかったとか。彼より、かなり年下だしね。
その後は二人の業務連絡に気まずい雰囲気が漂う。

C嬢とはオフィスパーティのあったワインバーの隅の暗がりで 「たいへん親密そうな雰囲気」にあったことが報告されている。が、翌日、すっかり酔いが醒めてしまうと、C嬢に対する気持ちに変化があったらしく、 「やる気まんまん」なC嬢からの再三のデートのお誘いをのらりくらりとかわした挙句、メールで 「現在は忙しいので、ちょっと・・・」と返事を送った。腹を立てたC嬢がわざわざ彼のデスクにやって来て、 
「面と向かってきちんと言えないなんて。あんたなんか、ゲスよ」という趣旨の発言があったらしい。当然ながら、二人の間の空気もとげとげしい。

彼は最近、D嬢を気に入っているようだが、彼女とデートをしたことがあるかどうかは不明。ただし、D嬢は言葉の端々や服装から 「相当な金持ちで、良家の令嬢」であることは明白で、庶民的なA君からのアプローチを 「家柄がつりあわないから」と断るのではないかとの観測が流れている。

E嬢はかわいくて愛想のいい、職場の花的存在だ。
A君は彼女のことも悪く思っていないようだが、彼女はF君と時々ランチをする仲らしい。みんなでパブに行ったとき、F君が彼女を店の外に連れ出して、しばらく二人きりの時間を過ごしたのを私は目撃している。

というわけで、A君の 「花嫁探し」の道は険しいようである。
なんだか 「職場の女、誰でも手当たり次第」のようにも見えるのだが、彼としては真摯な態度で相手を探しているんでしょうねえ。たぶん。

A君はハンサムだが、前頭部の頭髪の毛根が 「溌剌としていない」ことに気づく。
数年以内に 「額部分の面積の拡大」が予想されるため、老婆心ながら、婚約の早期実現を祈るものである。

私のセクションはボスを始めとして年齢層が高い。そのため、色恋沙汰は、
「娘が来年あたりに結婚するかもしれない」とか、 
「息子のガールフレンドは気立ての良い娘さんだ」などと、 「次世代ネタ」だ。

たまに、 「新しい受付嬢はかわいい」 「いや、経理の子の方が」などと意見の交換がされているが、純粋に 「観賞用」のようで、 「実践対象」ではないようだ。
本人たちの 「恋愛能力」はすっかり枯れ切っている空気が濃厚。
もっとも、「若い頃はずいぶん女を泣かせたもんだぜ」みたいな華やかな過去にも、まったく縁がなかったと思われるメンバーなので、何をいまさら、って気もするが。

「いやー、昨日、ワインバーでxx君と**さんがキスしているのを見ちゃったよ。あの二人がつきあっているなんて、知らなかった」
とボスが興奮して話しているのを聞いたことがある。
初めてラブシーンを見た中学生の少年のようで、少し情けなかった。

投稿者 lib : 09:52 PM | コメント (2)

困った日本からの客人

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あなたは、日本からくる困った客人に出会いましたでしょうか?

友人の話。
たまたま日本で会った友人の知り合いがロンドンに遊びにきた。
ぜひ、またお目にかかりたいとの電話を受け、会いにいったそうだ。
先方は、50歳後半で1人旅の男性。私の友人は、彼より少しだけ年上の女性。
短時間だが観光につき合い、成り行きで夕飯を一緒にすることになった。
日本からの客人は、なんと日本食がいいというので、彼女の行きつけのレストランにタクシーで行き、
寿司とお酒を楽しんだ。
客人は、日本からのお土産と言って、和菓子と洋菓子の菓子折りを自慢げに2つも渡したそうだ。

さて、お勘定の段階で、 客人は何も言わない。
彼女は??と思いつつも自分のカードで勘定を済ませた。
そして、「御馳走様でした。」で終わり。自分の食べた分やタクシー代を支払うなどという申し出はなかった。
この行動に彼女は戸惑ったが、もともと紹介して下さった方には大変お世話になったので、
今回だけは目をつぶる事にしたそうだ。
別れ際に彼は言ったそうだ。
「ああ、ロンドンはいいですねー。今度は妻と一緒に来ます!」これを聞いた瞬間、
彼女は心の中で呟いたそうです。
(2人分も支払うのは勘弁して!!もう2度とあう事はないでしょう。)
しかし、彼女は、なぜ彼は払う気持ちがなかったのか理解出来ないという。
お土産をもらったから? それとも日本から来た客人だから??
彼女は1人暮らしの上、甘い物は好きではない。
2箱をもらっても消化出来ない、、、と言って私にくださったのだが、
「ああ、これがせめて私の好物ならば、、、」と泣いていた。

同席していた他の友人もこの時とばかりに話しだした。
「そうなよ。私が日本に行く時は狭い!!と言って誰も泊まらせてくれないのに、反対にロンドンに行くから、泊まらせてね!という依頼ばかり。それも1人ならいいけど、大概はパートナー連れでしょう。ロンドンだって、狭いのにね。そして、せんべい程度のお土産だけで、B&Bとして利用されて、後片づけが大変よー。」
ある晩、彼女の家に泊まったカップルと夕飯の買い物を一緒にスーパーマッケットでしていた。
レジで、友人たちはお土産用の小物はしっかりと支払ったのに、
自分達がその晩に食べる食料について、まったく支払う意識がなく、彼女が支払ったそうだ。
確かに別の日に使う物も入っているが、まったく気にしていない点がビックリしたそうだ。

私もあるあるそんな経験。
ダーリンの知り合い(日本人)を泊めた事があるが、まるでその人のママのように、お願い事をたのまれた。
ほとんどは、食べる事。ご飯は、なるべく日本食が希望。
そして、3日後の朝一番でパリにいくので、電車の中で食べるお弁当を頼まれた時はさすがにブチ切れた。
私は、あなたのママでも妻でも彼女でもない!!!!!!!
ボクシングを習っていたら、反射的に一発で完全にノックアウトのパンチをお見舞いしてあげたのにああ、残念。
ことばのパンチだけで終わった。

英国に長く住んでいるとこんな体験している人は多いのでは??

投稿者 lib : 10:17 AM | コメント (5)

November 05, 2007

嗜好錯誤 その2

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前回、他人の秘められた嗜好を勝手に公表してしまった以上、私自身の嗜好をお知らせしないわけにはいかないだろう。
(本人が言いたいという噂もあり)

実は私は自分で「声フェチ」ではないかと思っている。

結婚前に付き合っていたボーイフレンドも、まあ見た目は別として(涙)、声だけは良かった。
結婚7年目になる夫も、まあ見た目は別として(涙)、声だけはめっぽう良い。

どうも私は低音でよく通る声(例えるなら伊武雅刀系の声)が好きらしい。(ちなみに森本レオ系はパスです)
声が良いと、それだけでその人への好感度2割アップ、いや3割4割は当たり前である。

声フェチは男女問わず、声の良い女性も大好きである。
鈴を転がすような声を持つ女性に出会うと、それだけで「ごろにゃ~ん」とその人の足元にじゃれつきたくなるような衝動にかられる。
日本で社会人になりたての頃、仕事を教えてくれた先輩の女性がそれはそれは美しい声の持ち主だった。
彼女の澄んだ声で仕事の指示をされる度に、「この人の為なら何でもしたる・・・この人に一生ついていったる・・・」と若い私は思ったものだった。(一生ついて来られたら彼女が迷惑だっただろうが)
たかがコピーをとってくるにも目をぎらつかせていた私を、彼女はさぞや気味悪く思ったことであろう。

と言うわけで、ベッカムなんて、いくら容姿が貴公子だろうが、契約金が300億円だろうが、あの声を聞いてしまったら私的にはランク下の男だ。悪かったわね、ディヴィッド。(負け犬の遠吠えに聞こえますか、そうですか、そうでしょうとも)

たかが声、されど声である。
例えば、以下のセリフを伊武雅刀の声で想像してみてほしい。

「洗濯物がたまってるね。履いていく靴下が無いんだけど・・・・」
「たまには焼魚以外のおかずも食べたいな・・・・」
「棚に埃が積もってるなあ・・・・最後に掃除したの、いつ?」

というような生活感あふれる会話も、伊武雅刀(勝手に同一化しているが)の低音の魅力で語られれば、まるで美しい詩を聞いているようである。マンネリ化した結婚生活にも潤いが生まれるというものだ。
私は夫のこの低音を聞きたいがために、あえて洗濯物や埃をためているのである。家事を手抜きしているわけでは決してない。(きっぱり)

かのセクシー料理研究家、ナイジェラ・ローソンは「毛深い人が好きなの」と激白したとか。(大衆紙サンによる)
フェロモンがにじみ出ているような彼女の嗜好、「さもありなん」という感じである。

皆、自分ならではの秘めた嗜好(サンやLibブログで公表している人もいるが)が、生活を彩るエッセンスになっているのかも。

皆さんにも特別な嗜好がありますか?

投稿者 lib : 09:17 PM | コメント (3)

November 01, 2007

初めの一歩

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ハーフタームも終わり、再び学校が始まりました。

始まると授業準備に生徒の課題やノートの採点などやることが多くて忙しいですが、その代わりに休みと違って一日の中にリズムが生まれるので休みの時より格段に充実しているように感じます。

さて、先週のブログの中で「ハーフターム前に多忙でストレスレベルが最高潮に達した」と書きましたが、今回のテーマはあの時なんでそんなに忙しかったのかについて。

実は、ハーフタームに入る前の週に日本から大事なお客様が我が校にいらしたのです。火曜日は日本でイギリスの歴史学で研究しておられる方、水曜日にはCitizenship教育(いわゆる公民教育?でもちょっと日本の学校の教科にある「公民」とはコンセプトが異なるようです)の研究をなさっている三人の研究者の方々。いずれの研究者の方も日本では教授・助教授と呼ばれる方々で、長年社会科教育学研究をされています。その方達が研究の一環で現地校を訪問されたいというので私がcoordinatorとなってお迎えしたのです。その準備と当日の対応でハーフターム前はてんてこ舞いでした。

でも一体何故研究者でもない私が日本の研究者と知り合ったのか。それはネット時代の賜物としか言い様がありません。

始まりは実は私がイギリスに来て一年目に歴史教育学のマスター(修士課程)をやっていた時でした。実は日本の歴史教科書について修士論文を書いたのですが、その資料集めをしていた時にどうしても日本に一時帰国する前に情報が欲しく、ウェブサイトを持っておられる社会科教育学の研究者の方とメールで連絡を取って力を貸していただいたのでした。

それから教師になって二年経って教師と言う仕事にようやく慣れてきた頃、教師をそのまま一生続けるのか、それとも他に自分が進める道があるかと考えるようになりました。そして自分は元々日本で教員になりたかったわけで、日本で教職に就くことは無くとも、何か日本の教育界と関わってできることがないかと漠然と思ったのです。思い始めると居ても立ってもいられなくなり、かといって日本とコネクションがあるわけでもない。どうしようかと考えていたところで、ふと、マスター時代にお世話になった研究者の方のことを思い出したのです。

それからはあっという間でした。その方と無事連絡も取れ、その方にイギリスの教育を研究されている大学教授の方を紹介していただいたのです。なんとその先生は私がマスター時代に読んだ多数の学術文献の著者でもある方でした。折りしもその先生と他の方々が訪英するので、私の学校を研究の対象として訪問したいというお話をメールでいただいたのでした。

今回の訪問で生まれて初めてコーディネーターとしての仕事を経験しました(といっても所詮素人ですが)。見学してもらう授業や教師とのインタビュー、校長や生徒会委員達との面会などのスケジュールを組みましたが、日本の研究者の方々(しかも実際に一度もお会いしたことがない)と私の学校のスタッフとの間に立って双方の希望に沿いながら計画表を組むのは思ったより大変でした。当日もインタビューの時間が変更になったり、面会の時間がずれたりとかなりスリリングな状況に。私の悪い癖で必要以上に一人であれこれ考えすぎて胃がきりきりしていました。まぁ、結果として何とかなったのですが。校長の秘書に「顔が強張ってるよ、大丈夫だからリラックス!」って言われてしまいました。相当顔に出ていたんですね。

訪問予定日の数日前は教師としての仕事も山積みで「何で引き受けてしまったのだろう」とかなり現実逃避しかけていましたが、訪問された先生方に非常に参考になったとおっしゃっていただけて、そんな思いは遥か彼方に吹っ飛んでしまいました。ここに書ききれないほどいろいろなことを学びましたし。今は「引き受けてよかった!」です。

日本の教育とイギリスの教育が繋がるための架け橋になるための第一歩を踏み出せたようで自分としては本当に貴重で充実感溢れる幸せな体験でした。

、、、その日の帰宅後、爆睡したのは言うまでもありませんが。

投稿者 lib : 11:10 PM | コメント (2)