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February 21, 2008

Student Voice

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この間、中高時代の恩師から今、日本の教育界でフィンランドの教育が注目されているということを耳にしました。フィンランドでは「子供の学びの力を育てよう」という教育理念に基づいて授業が実践されているそうです。

この間日本に一時帰国した際にもテレビで特集が組まれており、番組では日本のある小学校教師の実践が紹介されていました。彼女は「6年生」というテーマで生徒達にBrainstorming(日本語では「ひらめき」方法というようです)させるというものでした。黒板の真ん中に「6年生」と書かれ、そこから放射線状に生徒から出されたアイディアが書きこまれています。一つ一つのアイディアが線で結ばれ、違うアイディアどうしの関連がわかるようになっています。(英語ではspider-gramやconcept mapと呼ばれます) つまり、この授業では生徒達が「6年生」という言葉からどのようなこと(例えば、「卒業」など)を連想できるか、それを個別にどのように説明できるか、そして自分と自分以外の生徒の意見の相違点をどうやって見つけられるかが鍵なのです。

このように子供の「考える力」を主体にした授業はイギリスでは以前から実践されています。私の専門教科である歴史でも史資料を使いながら歴史的事件の要因を考えさせたり、奴隷制や原爆投下の是非を議論させたりなど(もちろん人道的に考えたら奴隷制や原爆投下を正当化する事はできませんが)、子ども自身の思考力・説明力が試される場面がたくさんあります。教師は絶対的な知識を授けるのではなく、あくまでも彼らの学びの手助け・導きをする存在なのです。

我が校も含めて、都市部の学校の一部では子供の向学意欲の低下が問題となっています。学校が権威を揮って強制的に子供を学ばせるということが難しくなっているのです。では、どうやって子供に学ぶ事を「意義のあること」「楽しい事」と思わせられるのか。最近ではこのような問題を解決するために、子供の「学びの力」を主体としたアプローチを教科の垣根を越えて実践しようという動きがあります。改革を上から一方的に行うのではなくて子供の声を取り入れながら進めていこう、そして、子ども自身に自分達の学びについて自覚・責任を持たせようという目的が根本にあります。それが達成された時に子供は主体的に意欲を持って学びはじめるという考えがあり、今、全国で様々な試みがなされているのです。

その中の一つに「Learning to learn(学ぶための学び)」というものがあります。子供が一方的に教えられるのではなく、自分の学ぶ物理的・心理的環境についての意識を高め、さらに自発的に学ぶために必要な力・技術そして姿勢を育むことが含まれます。例えば、子供の授業態度・マナーや他者とのコミュニケーション能力もより効果的な学びに必要な要素であると考えられています。

では、実際にこの「Learning to learn」がどのように我が校で実践されているのかというと、私の学校では「Student voice」といわれるプロジェクトがあります。このプロジェクトの一環で、生徒達を研究者として育てようと言うものがあります。選出された生徒たちは教育理論・教授法をある程度学び、Mentor(精神的支援者、・助言者)として訓練されます。そして次のステップとして実際に教師の授業観察などをし、教師にフィードバック(結果に含まれる情報を原因に反映することで、ある行為に対して応答する)するのです。彼らの意見をどれだけ反映すべきかは教員の中でも議論を呼ぶところですが、少なくとも生徒は自分の学びの場を教師の側から視点を変えてみることによって「学び」という行為を客観的に捉えられるのです。私も以前、授業を観察・フィードバックされる機会がありましたが、教師と生徒の相互理解を深めるにはいい取り組みだと感じました。でも、さすがに毎回だときついですね(笑)

さぁ、このStudent voiceの行き着く先はどこなのか、楽しみでもあり、不安でもあります。子供の意識改革・向上のためとはいえ、彼らにどこまで自分達の意見を言わせてよいものなのか、どこで線引きをすればいいのか、殆ど生徒に発言権のない学習環境で育ってきた私にはいささか疑問な点もありますが、その点については次回に書きますね。

投稿者 lib : February 21, 2008 07:36 PM

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