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May 19, 2008

Formal Logic

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お客様は神様である (AはBである)
お客様は神様ではない (AはBではない)

最近読んだ数学の本が面白かった。上の例は、基本を確か中学校で習
ったはずである。僕の場合は、パチンコやバイク等の余暇に、もう少
々難しい背理法などを習い、その後すんなりと情報処理学に進んだ。
仕事人になってからは、さらにデジタル回路設計やソフトウェア開発
を通じて、いやがおうにも true か false しかとりえな世界で仕事
もした。

この2つの命題は、論理的に共に成立することができない。共に成立
しないこともできない。できない論理は議論の対象になりえず、その
場でポイされる。数学や西洋哲学の世界では、論理は絶対であり厳格
である。

日本人が、論理性を重んじる人達(欧米人が代表格)と一緒に仕事や
交渉を行う際、論理性に関するベースの違いが、しばしば問題となっ
て現れる。

いったい、何を言っているのか、よく分からないと言われる。Yes/No
がどうしてはっきり言えないのか。または、言ったあとで、どういう
論理で後で翻すのか。これを、聖徳太子の時代まで遡り、日本人の思
考ベースにあるものを懇々と説明しても、徒労に近い作業となるであ
ろう。なぜなら、我々は資本主義社会の中で仕事や交渉を行っている
のであり、それは厳格な論理性に基づいてのみ成り立つ社会だからで
ある。そのような社会で、色即是空などと言い出だしても、残念なが
らポイっと捨てられる。中学で習った数学を思い出し、論理的な説明
と行動に努めるしかオプションは無いだろう。

上の例は、矛盾律(the law of contradiction)という基本原則である
が、これに続くのが排中律(the low of excluded middles)という原
則である。

お客様は神様である
 または
お客様は神様ではない

以外にない、という原則である。即ち、「神様でもあり、同時に神様
でもない」とか、「お客様は神様と神様でないところの中間にある
」という曖昧さは、一瞬にしてポイっと捨てられるという、それはそ
れは峻厳な原則である。形式論理学とは、近代資本主義とは、ここま
で厳くせなあかんのかいな、とぼやきたくなる。まさに、是非も無し。

悔しまぎれに、身の回りで矛盾を感じていることを、形式論理学的に
吟味して遊んでいる。

同居人は権力者である。
同居人は権力者ではない。

家族や友人との社会、即ち契約の必要性が薄い社会では、排中律でポ
イっとするのは無理があろう、と思うのは日本人だけなのだろうか。

投稿者 lib : May 19, 2008 10:06 PM

コメント

うう~む、深い・・・
健康なときの論理、ですね・・・

パッパラパー一家で、7月16日からパリ・ロンドンの旅に出ます。パリ4泊ロンドン3泊ですが・・・今年銀婚式なもんで「どーしてもドッカ連れてけ~~~」と泣き落としに成功しまして♪
娘は2年連続になりますが、4年連続京都にも行ったりして、なーんか金持ちっぽい感じがしますが、とんでもございません。
当分は塩をなめる生活です。
今回は夏の旅行なのでバックパッカーで行こうかと思っておりますのでGパン・Tシャツでヨレヨレの格好で行く予定です。
強盗対策、とか言って♪
飛行機はエミレーツ航空。もちろん、格安中の格安です。
3人してシャイな田舎者なので、恥かしくてお会いすることもできないかと思います。
でも、もしかして何か函館のものでもご所望でしたら持って行きますので、お申し付けくださいませ。娘に持って行かせます。

投稿者 べっち : May 21, 2008 05:08 AM

夏休みのご家族旅行、楽しみですね。僕は18日から逆に東京出張で、あいにく入れ違いかな?

投稿者 Yosh : May 27, 2008 05:24 PM

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