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September 28, 2009

ニューヨーク旅行 その1

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ニューヨークに行ってきた。休暇である。

数ヶ月前、友人がエアロスミスというロックバンドのコンサートに誘ってくれた。 
「アメリカに行って、エアロスミスのコンサートを見て、ついでに観光してくる」話に乗った。 チケット、航空券、ホテルといった予約は友人が全部やってくれて、私は時々 「こっちがいい、それはイヤ」などと承認と拒否を与える行為だけを担当。

こまめに動いてくれる友人は財産である。

「田舎町の何ヶ所かでコンサートを見よう。田舎町のホールだと小さいだろうから、ステージも近いはずだし」という計画も立てた。 「移動はレンタカーで、アメリカのハイウェイをバリバリぶっ飛ばそう」 ただし、運転は友人、私は助手席だが。

運転のうまい友人は財産である。 

田舎町ならコンサート会場にやってくるのも、ピックアップトラックとか、トラクター(まさか)かもね。 数少ない娯楽を求めての田舎者に混じっての熱狂のコンサートとなるか!

が、天下のマジソンスクエアガーデン (以下MSG) でのコンサートが発表された。 「ロックコンサートを見るなら、MSG でしょ、やっぱり」ということで、その数日前に行われるニュージャージー (以下NJ) での野外コンサートと合わせて、MSGのコンサートのチケットを入手することにする。

2年前にハイドパークで行われた「ロンドンコーリング」のロックフェスティバルではエアロスミスがメインだった。が、ステージがあまりに遠く 「蝶のように舞い踊る」 というより、 「蟻のようにチョロチョロ動く」 スティーブン・タイラーだった。 今回、わざわざアメリカまで行くのなら、それなりに良い席で見たい。

ステージは目の前、おまけにコンサート前のパーティでバンドのメンバーとお話したり、写真を撮ったり、なんてVIPチケットもある。うーん、1370ドルか・・・・。 「ファンの集い」 みたいなパーティもこっぱ恥ずかしいよな。この手のパーティではメンバーはほんの5分間くらいしか顔を出さないみたいだし。

ということで、NJでは前から15列目で400ドルのチケットをゲット。って、結構高いな。外側の芝生にある自由席ですら、50ドルだ。それも数万人入るのだから、やっぱりロックミュージックはビッグビジネスなのね。

しかし、全米ツアーが始まると、バンドが次々と不幸に見舞われるようになった。

まず、サイドギターのブラッドが怪我をしてコンサートを休む。 ただし、怪我の理由は 「自分の 『フェラーリ』のドアに頭をぶつけた」そうである。 さすがはロックミュージシャンだ。ぶつけたのが 「壁」 「妻のファミリーカー」 「缶詰の入った箱」とかではなくて、フェラーリだものね。しばらく他のギタリストが代理を務めたらしい。 ま、バンドはボーカルとリードギターが 「顔」 であることがほとんどで、サイドギターがいないのを気にしたファンはほとんどいないと思う。

この後はボーカルのスティーブンが足の肉離れで、数回のコンサートが延期、ベーシストが小さな手術をする、と 「次はいったい何が起こる?」とハラハラするニュースが続出。 と、8月のはじめにスティーブンがステージから足を滑らせて落ち、頭を20針縫い、肩を骨折という大惨事が発生した。その事故の後、残りのツアーがすべてキャンセルとの発表があったのだった。

・・・そんなぁ。苦労して手に入れた2回分のコンサートチケットと払い戻しの利かない航空券をどうしてくれるの?

YouTube で見ると、つるりんと足を滑らせ、ステージの下へ消えるスティーブンがいろいろな角度から撮られている。 慌てて駆け寄るセキュリティガード。観客はしばらくの間 「コンサートの余興のひとつ」と思っていたらしいが。

おまけに私は 「どの曲が演奏されても、きっちりと一緒に歌う」と心に誓って、歌詞カードを手にこの数ヶ月間練習を重ねるというオタッキーな行為を続けていたのだ。 「私の青春を返して」と叫びたい。 おかげでしばらくの間しょぼんとしていたのだ。

考えてみると予約を取る苦労をしたのは友人だ。ハイドパークのコンサートが私のおごりだったため、「お誕生日祝い」として全額払ってくれていたのだ。 

財産のある友人は財産である。

ちなみに私の誕生日は夏ではない、が、まあ、それは些細なことである。  続く

投稿者 lib : 11:04 PM | コメント (0)

September 23, 2009

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休暇中につきお休みします。

投稿者 lib : 07:24 PM | コメント (0)

September 20, 2009

自分に出来ること

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新学年が始まって、色々と考えさせられた2週間でした。

実は、ブログに書こうか書くまいか、何度も考えた出来事が二つほどあります。かなり暗い話になります。

まず一つ目は、私の勤務校の生徒の一人が夏休み中に亡くなったことです。

我々が知ったのは新学年が始まって3日目。前日に彼女の御両親が学校を訪れて正式に報告があったため、教員一同にも知らされたのでした。

英語環境の職場のため、私のブログを目にする関係者はいないと思うものの、やはり公共性のあるブログでは学校名も生徒・同僚たちの名前も常に伏せている私です。

今回のことはいくら名前を伏せていても、死因なども含めて書くことが躊躇われ、しばらく他に書くことも考えられなかったのですが、教師として、そして、やがて自分も人の親になるかもしれない者として、そして一番に一人の素の人間として、色々と考えさせられたので少しだけ触れることにしました。

私は実はその生徒のことを知りません。彼女のクラスは2年ほど教えていたのですが、彼女は去年転校してきたため、私自身は面識が無いのです。それでも、15歳という若い命が失われたことはひたすらひたすら衝撃的でした。

生徒たちと彼女の死をどうやって受け止め、どうやって進んでいけばいいのか、最初は私自身、なんとも表現しにくい恐怖に似た感情すら感じました。

私自身が高校生だったとき、クラスメートが亡くなるという出来事があり、その時の恐怖、無念、虚無感、、、など様々な感情が生々しく思い出されたのでした。

夏休み中、彼女の死について地元の新聞に実名で載っていたこともあり、我々が報告したときには生徒の大半が既に知っている様子でしたが、彼女らの大半は実際どうやって反応したらいいのか、躊躇っている風でした。

今現在は亡くなった生徒とかなり親しかったらしい生徒F以外は、どの生徒も落ち着いているように思えますが、実は彼女には8年生の妹がいて、学校側からは彼女への配慮が重要であることが何度も伝えられました。彼女の心の痛みは計り知れません、、、。

実は、本当に悲しいことですが、私の勤務校では親、兄弟姉妹を亡くしている生徒が少なからずいます。

私の歴史クラスの11年生の生徒も2年前、母親を亡くし、他にも父親を亡くした生徒がいました。

そして、夏休みに亡くなった生徒について報告を受けた日に、もう1つ知った出来事がありました。

2年前に一学期のみですが教えていたクラスにいた生徒Mの3歳の妹が亡くなったということです。彼女も15歳。

彼女は頑張って初日から学校に来たものの、非常に心が不安定で、学年集会にも出席できないほどでした。私の担任クラスの生徒がその子と非常に仲がいいことから知ったのです。

一昨日、私がES(Emergency support。授業中に生徒が問題を起こしたときに教師のサポートをする係)で校内を見回っていたときに、泣いている彼女が友達に支えられながら、教室を出て行くのを見ました。

その時は一緒にいた生徒にそっとして欲しいというジェスチャーをされたので声をかけなかったのですが、同じ日にまた、今度は違う友達と教室を感情的に出て行くのを見ました。

さすがに何かあったと思い聞いたところ、彼女のクラスの先生が欠席のため、代理で入っていた教師(私の学校の教師ではなく、日雇いで来る先生です)が自分の苦しみを理解しようとする姿勢を見せてくれなかったことにひどく傷ついたことを話してくれました。

ひたすら感情的な彼女に少し落ち着くまで時間をかけるように言い、一緒にいた彼女の友達に様子を見てもらっている間に、この話に出てきた教師に会いに行きました。実は、お悔やみを言った後に、泣く彼女にどういう対応をしてあげればいいのか分からず、「学年主任に会いに行けばいい」と勧めて授業を進めたらしいのですが、それを生徒Mは冷たく反応されたと思ったようです。

この後、少し落ち着いた生徒Mと別々にもう一度話をし、彼女の悲しみが我々の想像を超えるもので、その教師があなたを傷つける気持ちはなかったのだ、皆、あなたの悲しみが想像を超えるほど強いものだということを知っている、無理をしないで、少しずつ時間が薬となってくれることを祈っていると伝えました。彼女も少し落ち着いた様子で、

そう、本当に目の前で泣き続ける彼女の前で私ができることは、お悔やみの言葉を言うこと、彼女が落ち着くまで思い切り泣く場所を作ってあげることだけでした。本当に自分が弱く、無力で小さな人間に感じた瞬間でした。

とても可愛がっていただろう幼い妹を亡くした痛みは私には想像しても足りないものです。それでも時は否応無く進み、彼女自身も前に進んでいかなければならないのです。人の死というものを彼女がこんな形で目の当たりにしなければならないなんて、、、本当に心が痛みました。

それにしても教師でいると、本当に自分の人間性を試されているように感じることがあります。今回のこの二つの死は、まさにそういう出来事でした。そこに模範解答はなく、どのような行動を自分が取るのか、どのような言葉をかけてあげるのか、生の自分の心に直接問いかけられた出来事でした。

私自身、まだ人間として未熟です。年齢が上がるにつれ、自分の中の根拠の無い自信、驕った部分を認識するようになりました。人生の楽しく明るい部分だけではなく、昔はぼんやりとしか認識していなかった人生の暗く重い部分が前よりも形を露にしてきたように感じるのです。

正直、私が人の生死をどれだけ感じて理解しているのか分かりません。でも、私が見た生徒Mの涙はたくさんのことを私に教えるものでした。これからどんなことがあるにしても、私は死と生をいろんな形で感じ続け、考え続けていくのだな、、、と思ったのでした。

投稿者 lib : 06:33 PM | コメント (0)

September 09, 2009

入れ墨

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英国人は入れ墨好きだ。
最近は労働者クラスだけでなく、 若い男女がファッションでつけている。
そんな中、漢字がクールなのか、よく見かける。
先日は、20代の男性の首の後ろに「自由」と彫ってあった。
自由になりたいのか。そうか、あんたは囚人だったのか。と問いたくなるようなフレーズだった。

ある女の子は、手の内側に「安」と彫ってあった。これを選んだのは、どういう意味だろうかと想像すると、安心の安?安いよーの安?となんだがひねくれた質問をしてしまいそうだ。
どうも意味が不明だな。

しかし、この2つはまだいい。だってしっかりと漢字になっているから。
ある女の子は、首に3文字の漢字があった。そこには「神」もあったがこのヘンの部分、ネのうち2画が足りない状態で仕上がっている。おそらく中国語でもないだろう。
本人は、知らないだろうが,こうして見るとなんだか、ぞっーとする。

ある時、地下鉄の中、私の前と隣に黒人の若い男の子たちがふざけていた。思わずふっと笑ってしまたら、私に声をかけて来た。いけない。怒らしたかな?ってちょっとビビっていたら、私の読んでいる本を見て,「あんたは何語を話すんだい?」と聞くので,「日本語よ。」と答えたら、「俺の名前を日本語にしてくれ!」と懇願してきた。なかなかあてはまる字がないが、紙にかいてあげた。彼等は、次の駅で降りてしまったが、ふと思った。私の訳した漢字で入れ墨なんてしたら、、、、。

そう言えば、ダーリンが日本にいる時に、よく言っていた事を思い出した。
意味のない英単語や間違った文章の英語で書かれたTシャツや印刷物を見るとやるせないなー。と。そう、変な漢字をみているとやるせないのです。だから、私の訳した漢字で入れ墨が彫られていないといいことを願うばかりです。

投稿者 lib : 01:10 AM | コメント (1)

September 07, 2009

それぞれの夏。

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新学年が始まってばたばたしており、すっかり更新が遅れておりました。

実は先週の木曜日は我々教師、そして卒業した11年生にとってとても重要な日でした。

そう、GCSEの試験の結果が出る日だったのです。

この日は結果を見るために出勤してくる同僚も多くいます。

私も学科主任として結果が非常に気になるので生徒への結果配布が開始される10時前に学校へ行きました。

すると既に門の外にはたくさんの生徒たちがいました。

実は校長、教頭、副教頭たち、そしてExam office(試験部?)はすでに前日に結果を見ており、その日は生徒に配布する準備のためにかなり忙しかったようです。

私も副教頭の一人であり、歴史教員でもある同僚Vから大体の良し悪しは聞いており、とりあえず「素晴らしい出来でもないけれど、安心していい結果」ということだけは知っていました。

去年は前年より6パーセントも結果が落ちた歴史教科の試験結果。Humanities(人文学部)としても結果が下がった科がいくつかあったため、試験直前までかなりのプレッシャーに晒されていた私たちでした。

同僚Vのオフィスへ行くと、そこにはなんと校長も。早速、歴史の結果を見せてもらいました。結果は去年より7パーセントUP。61パーセントの生徒たちが良いとされるグレードA*(エイスター。トップのグレード)からCまでを取れました。

気になるのは一人一人の生徒の結果。復習クラスに毎週通ってくれた生徒たち、最後まで私の頭痛の種だった生徒たち、、、色々な生徒の顔が私の頭の中によぎります。

ざっとリストを眺めてみたところ、ほとんどは私が期待していたどおりの結果。何人かの生徒は私の期待以上の出来でした。やる気は素晴らしいのにどうしても読み書きが苦手な生徒S、最後まで心配でしたが何とBを取りました。

そして、模擬試験でA*を取り、最後まで復習を一生懸命頑張っていた生徒SAは本番でも頑張り、見事A*!

春学期の後半と夏学期の試験期間直前まで、毎回復習クラスに参加していた生徒たちのうち、本当に頑張った二人はAをそれぞれ達成。

そして待ちに待った結果配布開始。配布場所である体育館にはそれぞれのクラスのために机が並べられ、その上に出席番号順に生徒の結果が書かれた紙が置いてあります。

そこへ不安な表情を浮かべた生徒たちが次々に入場。一人ひとり結果を受け取るのです。

一分も経たないうちにあちらこちらでわぁっと喜びの声が上がりました。抱き合って喜ぶ生徒。先生に走り寄って報告、お礼をする生徒、、、。

喜び、感動も多くありましたが、もちろん、自分で願っていたグレードが取れず、泣き崩れている子もいました。そして、私のクラスももちろん、頑張って良い成績を取ってくれた子ばかりではありませんでした。

その中の一人は生徒L。能力は非常に高いのに集中せず、驕ったところのあった彼女の結果はなんとCでした。私自身、正直言ってこの結果に驚くことはありませんでした。彼女は前述の頑張り屋さんのBとは対極にいるような生徒だったので、こういうこともあるのではないかと思っていたのです。

生徒Lは7年生の頃から周りから頭がいいと期待され続けていましたが、5年後、彼女の試験結果はBやCばかりでした。彼女ほど基礎学力の高い生徒ならばオールAも取れていたはずです。

実は、後で少し彼女と話しましたが、なぜこういう結果になったのか自分で痛いほどわかっている様子でした。これを教訓に彼女がこれから真摯な態度で勉学に取り込んでくれることを願います、、、。

Aが取れるだろうと思っていた非常に頭の良い生徒二人がBやCを取るという結果に終わりました。一人は私のクラスではありませんでしたが、どうやら生徒Lと似たようなケース。

もう一人は、読み書き能力はA-levelクラスなのに試験になるとどうしても点数が伸びない生徒でした。彼女は難しいことをたくさん書こうとしてしまい、どうしても全問解答せずに終わってしまうのです。試験前に授業で過去問を解いたときに何回か個人的にアドバイスをしたのですが、やはり本番でも難しく感じたようです。

教師としての私の感想は、、、一言で言うのは難しいです。生徒一人一人の結果を見ると、それぞれのストーリーがあるわけで、200%頑張ったね、偉いねといえる生徒もいれば、最後まで努力せずに「あぁ予想通り、、、」という生徒もいました。

それでも、コースが終了した今は、全ての生徒にお疲れと言いたいです。決して読み書きの強い生徒が集まっているとはいえない私の勤務校。歴史に興味があっても、勉強すること自体がチャレンジである生徒も多い中、多くの生徒が最後まで頑張ってくれました。

教師として決して完璧ではなかった私。でも、やれることをやった気持ちは強くあります。ただ、今年のように最後のほうで諦めて可能性を満たせなかった生徒を来年見たくはないと強く思います。

さて、今年の新11年生の初授業は来週の月曜日。6月の模擬試験で結果が思わしくなかった子達をどうやってサポートしていこうかと、色々と思考をめぐらせている私です。

また一年、夏までの忙しい毎日が始まったわけですが、教師、生徒、双方が満足できる結果を出せたらと思います。

投稿者 lib : 11:38 AM | コメント (0)

September 02, 2009

トロフィーワイフ (その2)

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翌朝、階下で朝食の用意が始まっていた。

ジェマがクレープを焼き、義弟がソーセジやらベーコンを焼いている。

さっそくみんなで食事となった。

そこへ、ジェマの友人が現れた。予定の客だった。

ジェマのご近所さんで、近々、引っ越すという。 今日は、車&ドライバーが必要という理由もあり、 最後の挨拶を兼ねて朝食を食べに来た。そして、朝食が終わったら、ジェマとともに出掛けてしまった。

ジェマは、食後の後片付けもしないで、その友人と出掛けてしまった。義弟は、当然のように朝食の後始末と洗い物を始めた。おっと!私も見ている訳にはいかないので、手伝う事にした。

「いつも片付けやら、料理で大変ね」というと「別に嫌いではないし、、、」と何の苦痛もないような義弟。それが終わると子供達と遊び始めた。

うーん。タフな弟だ。

そろそろ我々は、次の目的地、義理ママの家に向けて、義弟の家を去る事にした。 しかし、なんと始めて聞いたのだが、弟家族も次の日に義理ママの家にやって来ると言う。ママの家は、ここから電車で3時間だ。じゃあ、義理ママの家でみんなが会えばよかったのに。と思うのだが、彼等は日帰りで、おそらく数時間しか滞在しない。ジェマが長居をしたくないのだ。今回もわざわざ我々のいる時来るのも、義理ママとの濃度を濃くしたくないのだろう。ああ、可哀想なママ。古今東西、嫁姑の仲は難しいのです。

そして、翌日、弟家族が予定通りにママの家にやってきました。ここまでに来る途中に、 屋外で遊べる大きなプールがあるので、家族でそこに寄ってきたそうだ。しかし、ジェマの出で立ちはハイヒールにワンピース、大きなサングラスと、グラビアを賑わせているポッシュのようにファッションをバッチリと決めてきている。プ−ルに立ち寄ったのに。なんともミスマッチ。

昨日の我々といたときは、ジーンズにTシャツだったのにね。

そうか、これはママに対する演出なんだ。疲れた嫁では、負けてしまうので、スキを見せないように(文句を言われないためにも)バッチリファションを決めて、防御しているんだ。なるほどねー。

こうして見ると、ジェマもなかなか美人だ。いつもよりも強調されている大きな胸、脚は細いし、ワンピースがA-ラインなので、産後でダポダポになったお腹は隠れている。

子供を産んでもカッコいい奥さんは、夫にとっても自慢だろうなー。この自慢のために義弟は、働き、ご飯をつくり、子供の面倒をみているのだろうか?うーん。なぞだ。

そんな夫婦の形態を言い表す英語はないの?と聞いたら、トロフィーワイフかな?とダーリンが言った。

トロフィーワイフ?試合に勝った時にもらえるトロフィーか。なるほど、自慢のワイフか。

例えばシティーで高級を稼ぐ不細工な男と彼の財力に魅力を感じたモデル級の美しい女性が結婚した場合、彼の美しい妻のことを“トロフィーワイフ”だ!とみんなが影で呼ぶ。ジェマは、義弟に取って“トロフィーワイフ”なのだな。とダーリンの親友でジェマの事をしっているスティーブに話したら、「えっ?!あいつが??そんなに美人だっけ?」と鼻で笑っていた。

でも、きっと義弟にとっては、ジェマは間違いなく“トロフィーワイフ”。だから、いろいろ彼女のために働いても文句がない。(今の時点ですが、、、)

この不景気で、収入が落ちたり、仕事を失った不細工夫に、“トロフィーワイフ”と呼ばれている女たちは、離婚を言い渡しているとか。やっぱ美人はええなー。

投稿者 lib : 10:00 AM | コメント (0)

アスコット

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忘れた頃に最後のアスコットである。
ホリディの予定を立てていたら、大変なことが (本人にとっては)起こったので、しょげていたのだ。

さて、どこまで言ったっけ? そう、期待のランチだ。 プライベートロッジでのランチというのは何だ? 競馬場の中のレストランではなく、真向かいにある建物らしい。 ここは誰かの邸宅という感じ。 もしかすると競馬の期間中だけ貸し出しているのかもしれない。 二階は住居になっているのかしらん? 

外から見ても大きな家だが、玄関ホールが私の家の半分近くあった (比べる対象が貧弱だったか?) 両側にウエイター、ウエイトレスがずらっと、そう、ずらっと並んでいる。 もし、これが私の家の玄関なら、ウエイターがずらっとは並べない。ず、くらいだ。 (だから、比べる対象が貧弱だってば)

「トップハットをお預かりしましょう」と友人の帽子が取られた。 そういえば、トップハットを脱げるのはプライベートクラブ内だけとか書いてあったな。 誰のかわからなくなるので (どうせ貸衣装なので) 帽子に名刺をつけて並べられる。
で、私の帽子は・・・脱いではいけないのだった。 女性は食事中もかぶったまま。頭が蒸れそう。

玄関ホールを進むとテラスでその先は庭園というよりは、ゴルフ場と呼んだほうが近い。「いいお庭ですこと・・・」 というよりは、 「すばらしい景観ですね!」 という規模だ。 しかもテラスからは急な坂になっていて、これにシャンペンを加えるとドレスを着たまま転げ落ちる日本人ができる・・・と大変なので、 

1. あまり飲まない
2. テラスの端に行かない

上記を注意しなければならない。

60人ばかりのランチで某企業の招待客だ。 私もね。 まあ、私は余ったチケットの補欠人員だが。 10人ずつの丸テーブルが6つ、私は友人とテラス席のひとつに座った。 やったー、いいテーブルと思ったが、なかなか曲者のメンバーだった。
10人のうち、ゲイのカップルが2組。 キャメロン・ディアスそっくりのロシア人ガールフレンドをつれた男、帽子はかぶっているものの 「潮干狩り用」のような帽子をかぶった妻をつれた男。 で、私は唯一の日本人。 キワモノが揃っている。 私の友人はたいへん女心がわかった男で、競馬場でも 「あれはジミー・チュー、あれはマロノ・ブラーニク」 とファッションに詳しいところを披露しており、 (もしかして、ゲ・・・?) と日頃から疑っていた。ここでもまた (もしかして・・・) と思った次第である。

10人中、競馬の経験者は私だけというすごい状況。 「競馬は初めて」 「どの馬がいいんだろうね」 「この表のマークはどうやって見ればいいの?」 という会話である。 
やはり、ここは
「あら、フレッドおじ様の馬が出るのね」
「ジョージアナが婚約祝いに買ってもらった馬はいつレースに出るのかしら?」
などと、アスコットなんて通い慣れてます、とイギリス貴族風にやってみたいもんだが、企業の招待客(と余りチケット招待客)はこの程度のレベルであった。

ゲイのカップルは2組ともアメリカ人だった。 アメリカ人と話すのはひさしぶり。 いやー、この超軽いノリが懐かしい。 私がジョークを言うと、イギリス人ならクスッと笑うくらいだが、こいつら笑うのなんのって・・・。ジョークが受けるのは嬉しいが (そんなにおもしろい事言ったっけ?) と、こちらがとまどうような激しい反応だ。

潮干狩りおばちゃんは 「帽子ならいいんでしょ?」と、麦わら帽子に近いものをかぶっている。 シュリンプカクテルにレモンのタネが入らないようにかぶせてあるガーゼをわざわざはずしたり、とんでもない順番のナイフとフォークを使ったりして、とまどっているようだった。 自分だけ接待を受けている人は時々奥さんも食事に連れ出して、場慣れさせてあげたほうがいいかもしれない。見ていてかわいそうだった。

ランチは盛り上がった。 が、盛り上がって2時を過ぎてしまい、女王陛下の馬車による来場を見逃してしまった。 ふと気がつくともう女王は場内で観客に手を振っている。 しまった! ロイヤルアスコットのキモである女王の実物を見ないなんて、何たる失態。 競馬場の真向かいにいて、テレビで女王を拝むなんてバカみたいだ。

女王は機嫌が悪そうな顔をしていた。 きっと (庶民が貴族の趣味に押しかけやがって、まーったく。馬も知らないくせに) とか思っていたのだろう。

この日、スタート直後に騎手を振り落とした馬は1着でゴールし、そのまま制止もきかずに、2周ばかり気持ちよくコースを走り、観客の拍手喝さいをあびたのだった。
        アスコットの巻          完

投稿者 lib : 09:53 AM | コメント (0)