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October 21, 2009

久しぶりのブログですみません。

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先日、ダーリンの弟一家がロンドンに来た。彼らはなんと香港に転勤となる。
香港に行く前にランチでも、、ということ中華街で食事をともにした。
4歳と1歳のやんちゃな甥っ子いる。特にお兄ちゃんは、反抗期らしく、よく親に怒られている。この頭がいい風の親は、子供のしつけに厳しい。見ていてなんだか可哀想だ。しかし、他人が教育方針に口出しする事もないので、黙って聞いている。私は、そんな甥っ子と一生懸命になって遊び相手になるだけだ。
食事をして、ハーゲンダッツのアイスを買おう!と店に向かっていると、レスタースクエアーにパトカーが止まっていた。さすが男の子。車に向かって走っていく。その後を私が追っていく。パトカーまでいくと、甥っ子は立ち止まった。中にいる警察官が怖いようだ。しかし、警察官は子供がパトカーを好きなのは知っているのか愛想がいい。あげくの果てに、ドアを開けて降りてきて、甥っ子に「運転席に座るかい?」なんて言っている。えっ、いいの??
そうだ、昔、ロシアの飛行機でパイロットが子供に運転をさせて墜落したことがあったなー。この場合、子供が間違ってアクセル踏んで、人をはねる。事件だなー。なんて夢想にふけっている間も甥っ子はフリーズしたままだ。
こんな美味しいオッファーを受けても子供は正直だ。それもそのはず、警察官 の太ももには銃がある。そう、ブラッドピットと アンジェリーナ・ジョリー の映画「Mr & Mrs スミス」で演じた彼らスパイは、銃がすぐに抜けるように太ももに銃を付けていたなー。ってことは、彼らは何??私は 警察に愛想を振りまきながらも、甥っ子と一緒にフリーズ気味だった。甥っ子の反応がないのをみて、警察官は仕事に戻った。
太ももに拳銃。ただ者ではないなー。とダーリンに聞くと、恐らくスペシャリストの警官だろう。テロ対策とか。そうか、こんな平和に見えてもいつテロが起こっても不思議ではないこの世界。起こるか分からないのに勤務しいている彼らも大変だなー。
しかし、これが日本だったら、子供に気を取られているなんて仕事上あり得ないだろう。ところが、ここは英国。我々だって緊張をとりたいよ。子供に愛想を振りまいていいじゃん。こうして親切にしておけば、この子が将来、警察官になりたい。って言うかもしれないよ。などど言い訳して終わりだろうなー。しかし、この気安さがなんともリラックスしていていいよね。

この年末には、ダーリンと義理ママと私の3人一緒で香港を訪ねる予定。ママいわく、だったら、近くの日本に寄ってもいいわよ。だって。
ああ、ママにとって、日本は香港より魅力がない国なのかな?

投稿者 lib : 06:21 PM | コメント (0)

ニューヨーク旅行 その4

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ホリディで何が嬉しいって、寝坊ができることと通勤電車に乗らなくてもいい事だ。 が、朝の5時には目が覚めてしまう。 イギリスと東海岸の5時間の時差のため、しかたがないが、何だか損をしている気分だ。さて、それでは、なぜ通勤電車に乗らなくてはいけないのか? 

・・・マンハッタンのホテルに泊まっていないからだ。

ロンドン中心のホテルは高いため、ウィンブルドンあたりに宿を取り、毎朝、郊外電車に乗って観光に行くという感じだ。そう、通勤電車に乗って。

というわけで、通勤の皆様と共にニュージャージーからマンハッタンに向かう。他の乗客が書類を見ながら携帯で仕事の打ち合わせなどをしている中、私たちはのんびりとガイドブックを広げ、 「今日はどこへ行こうか」と相談する。

しかし、この電車って・・・異常に広いんですけど。

日本からアメリカに行くと、 「何でもデカイ」という感想を持つが、東海岸の都市は道も狭ければ、ホテルの部屋も小さいし、食事の量だって山盛りではないことが多い。 が、電車はしっかりでかいな。イギリスの郊外電車の約3割り増しの横幅と見た。そのせいか、なんだか平べったい感じで、違和感がある。

旅行先の日常風景は旅行者には非日常のシュールな光景である。

イギリスの通勤電車で山ほど見るインド系(とその周辺)の人とアラブ系はいなくて、南米ヒスパニックの乗客がどっさりと。異国情緒よね、聞こえてくるのは英語ではなくて、スペイン語ばかりだし・・・。

そういえば、イギリスに住み始めたとき、
(インドの人がずいぶんいるなあ。やっぱり、元植民地の関係かしらん。うわ、頭の先から足まで黒の布で覆っている女の人がリムジンから何人も降りてきた。一夫多妻のイスラムの夫婦、夫(1)婦(4)とはこのことか!) といちいち歩く人にびっくりしていたのを思い出した。
(この人スペイン語を話しているのに、メキシコ人じゃないみたい。 いったい、どこの人かしら?) - スペイン人でした。 なんてこともあった。

場所によって違う人種が集まっているのは当然だが、たまに日本に帰り、時差ぼけでボーとして、頭が働かない状態で空港に降り立つと、
(わー、東洋人がいっぱいいる。全員が髪の毛黒いし。おっと、前のグループは日本語を話してる。日本人観光客かしら)とふと思い、次の瞬間、自分の馬鹿さ加減に気がつくということがよくある。(毎回だが)

さて、車窓から見える風景は・・・さすがニュージャージーというしょぼさ、でした。中途半端な工場地帯というか。高級住宅地もあるそうだけど、電車からは見えない。

近くには、これからニューヨーク観光というグループがいる。私のお尻の4倍はあろうかというアメリカンサイズのおばちゃん4人組だ。(だから、私のお尻の16倍ね)
「アタシの町には鉄道は通ってないのよ。でもね、一日に何度かバスは来るわよ」などと話している。 ゲゲ、すごい田舎町から来ている。 大都市ニューヨークの摩天楼を見て失神するかもしれないな、おばちゃん、要注意ね。

さて、ニューヨークはペンステーションことペンシルバニアステーションに着いた。 ごちゃごちゃごちゃごちゃ、している。何がどこにあるのだかわからない構造だ。ロンドンの主要駅のすっきりさが懐かしい。すっかりイギリス愛国主義に陥った私たちはさんざん、「ぜったいイギリスのほうがきちんとしているよね」 と旅行中言い続けたものだ。 (ロンドンに帰るとロンドンの悪口にもどったが)

おまけに駅員が無愛想なこと。
「NJトランジットはどこですか?」
「上! はい、次の人!」 てな感じだ。
だから、上の階に行くにはどうしたらいいのか、聞いてるんだってば。

友人はイギリス人のくせに、というか、イギリス人だからか、
「えーっと、何て言われたか、よくわからない・・・」 ことが多く、非英語圏の出身である私のほうが、
「待ってて。 聞いてくるから。 ここから動かないでよ」
とあれこれ情報を集める役目になってしまった。 

ああ、アメリカで鍛えられた、ずうずうし・・、ではなくて、アクティブな血の巡りを思い出したわ。 
続く

投稿者 lib : 09:14 AM | コメント (0)

October 12, 2009

ニューヨーク旅行 その3

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ニュージャージー空港近くのホテルに1泊した。 
国際空港とその周辺というのはどこの国でもそっくりだ。 どこでもモーターウェイと無機質な建物だけの地域。 とはいえ、ホテルのお迎えミニバスはもちろん道路の右側を走る。ああ、そうだ。 アメリカって通行が逆だったね。
一度、日本、アメリカ、イギリス、アメリカ、日本と数ヶ月の内に移動することがあった。 横断歩道を渡るのに、いったいどっち側を見ればいいのか混乱して、よく車にひかれそうになったものだ。

さて、ホテルに着いた。 ・・・が、しまった! 小銭がない! バスの運転手にあげるチップがない! まさか、20ドル札をあげるわけにもいかないし。

「えっと、今はドルがないから、明日ね、明日」と口ごもりながらミニバスを降りる。 
「いいですよ」と答えた運転手はあきらかに悲しそうな顔をした。
何だか無賃乗車をした気分だ。 低賃金労働者を搾取する非情なキャピタリスト観光客と思ったに違いない。すまんな、気がきかなくて。

ロンドンでも、それなりのレストランで食事をするとか、キャブに乗れば、(で、サービスがよければ)チップをあげるが、それ以外はチップの習慣はない。 でも、アメリカは何をしても、すべてチップを期待される。っていうか、この人たちはチップ収入も上乗せされた税金を取られているという話だ。

クレジットカード以外に小銭の用意も大切です。

ニューヨークのお隣のニュージャージーといえば、ロンドンならエセックス、東京なら XX県(あえて、どの県かは言わない)という扱いをされる。
「何だかこの食器ダサイね」
「だって、ニュージャージー製だもの」
「やっぱりね、ダサいと思った」
という使い方をする。
(エセックス在住の人、ごめんなさい。私の意見ではありません。エセックスっていい所ですよね、本当に・・・)

しかし、マンハッタンのホテルのあまりの高さにめげた私たちは、ニュージャージー5泊、マンハッタン3泊という妥協案を取り、しばらくこのホテルからマンハッタン観光に通うことにしたのだ。

さて、翌朝、ブレックファストはホテルで取った。 
ブレックファストはコーンフレーク、ペストリー、トースト、ベーグルにジュースやコーヒー、フルーツのバイキングスタイルだ。 「ベーコン、ソーセージに卵料理あるかな?」と期待したが、ここはリッツでもサボイでもフォーシーズンでもない中級ホテルである。 たいへん甘い考えだった。 卵料理と言えば固ゆで卵だけはあったが。 

カップをレバーに押し当てるとジュースが出てくる装置を想像して欲しい。 そんな感じで、レバーをひくと、コーンフレークがザザーと出てくる仕組みになっている。 そう、ザザーッと、ザザー・・・カウンターがコーンフレークだらけになってしまった。 友人がササッとかき集めると、何食わぬ顔で装置のふたを開けて中に戻した。 誰も見てないよね? すまんな、いつも尻拭いをさせて・・・。

さて、いざマンハッタンへ。

駅に行き
「ニューヨークのペン・ステーションまでリターンチケットを2枚ね」と頼むと、駅員が一瞬変な顔をして、
「・・・ラウンドトリップを2枚ね?」と聞く。
「ああ、それ、それ。それを2枚」と私。

アメリカ英語は久しぶりだ。
その昔、アメリカからイギリスに引っ越したときには、
「ラウンドトリップ・チケットを1枚」と頼み、ブリティッシュ・レイルのおじさんに
「ここではリターンチケットと言うんですよ、お嬢さん」
と皮肉っぽく言われたっけ。 面倒な奴らだわい。

別の日には
「シングルチケットを2枚ね」と頼み、
「え? 一枚? それとも2枚?」
「2枚。シングルチケットを2枚」
「シングルなのに、2枚? もしかして、ワンウェイチケットを2枚欲しいの?」
「ああ、それ、それ。それを2枚」
という会話もあった。 本当に面倒な奴らだ。
続く

投稿者 lib : 10:52 AM | コメント (0)

優秀な助手

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昨日はYear 6 Open eveningというイベントが放課後にありました。

6年生は小学校の最終学年です。この時期は公立のあちこちのセカンダリースクールが6年生とその保護者たちを学校に招くのです。

来訪者たちは学校長のプレゼンを聞いたり、学校の施設を見たり、各学科の教室を訪れて、アクティビティに参加したり、展示物を見たり、教師からカリキュラム内容の説明を聞いたりします。

私の学校の場合、東ロンドンの地域に根ざした普通の公立学校で、学力で秀でているというわけでもないので、入学者が殺到ということはありません。

ただ一応、毎年30人学級8クラスという体制が続いているので、生徒が集まらなくて困るということも無いのです。

というわけで、無理やり私の学校を宣伝する必要性もあまり無いのですが、それでもこのOpen eveningは毎年開かれます。私の学校のある自治体のほうから開催する日にちが指定され、今年も昨日、そして来週の2回開かれることが決まっていました。

というわけで、同僚と相談した結果、今回は私が、次回は同僚が歴史科の展示を担当することにしました。

展示の内容は主に使っている教材、生徒の作品(Students’ workって日本語でなんというのでしょう。具体的には授業の課題として作成したポスターやエッセイ、その他諸々)などです。

歴史の場合、まさか理科のように実験をしたり、体育科のように一緒にボールで遊ぶわけにもいきません。考えられるのは歴史人物の格好をしたり、歴史に関するクイズをして遊んだりすることですが、毎年そこまで準備ができず。

今年はなにか違うことを、、、思い、歴史を学んでいる12年生(A-levelという大学入学のためのコースに入っている生徒たちです)3人に助っ人になってもらいました。

このうち2人は去年、一昨年と私が教えていた生徒たち。A-levelでも歴史を選んだくらいの歴史好きです。

展示を手伝ってもっていたのですが、「先生、これじゃ、地理の展示に負けてしまう!歴史人物のマスクとか帽子とかないの?」と聞かれ、ふーむと考えていたら、、、。

そうだ、隣りの教室に長い間使われなかったトランクが二つある、と思い出しました。1つは第二次世界大戦中のイギリスに関する資料が詰まったもので、もう1つは東ロンドンのテムズ川沿いにあったWharf(埠頭・波止場)に関するもので、東インド会社が扱っていた交易品(紅茶、スパイス、カシミアなど)の複製品が詰まっています。

これを広げたら教室は一気に博物館のようないい雰囲気に。そこにBilly JoelのWe didn’t start the fireのミュージックビデオを流して気分を盛り上げます。

これは毎年私が冷戦史、アメリカ史を教えるときに流している曲で、戦後アメリカで流行ったもの、人物、歴史的イベントをどんどん羅列していくという面白い歌詞がついています。曲調も耳に残るので、GCSEを終えた生徒もいつまでも覚えているようです。

この日もこの助っ人の生徒たちから「先生、あの曲かけるよね~~~!」と念押しされていたほどでした(笑)

このほかにもポスターをそこら中に貼ってくれたり、展示物の前に置くカードを作ってくれたり、3人とも頑張ってくれました。

そして、いよいよ6年生とその保護者たちのツアー開始。何組かが一緒になってツアーガイドである私の学校の生徒に連れられて学校内をまわります。

最初の組が歴史科の教室に到着。が、その時、なんと助っ人の女の子たちがちょうど教室を離れていました。ちょっとフェイントを食らった気分でしたが、私一人で満面の笑顔でお出迎え。軽く説明を始めたところに女の子たちが帰還。そのままバトンタッチしました。

もう、それからは彼女達にぜーーーーんぶお任せでした。最初の回では少し緊張している様子が見られたものの、2回、3回と続くうちにもう、立派に案内役を務めていました。私は後ろに立って、ニコニコしてるだけ。

何組目かを迎えた後、なんと、校長のAも来訪。それでも助っ人の一人生徒Sは堂々と保護者の前でスピーチ。見事に歴史科をプロモートしてくれました。

いつもは7時までほぼ一人での対応で退屈なのですが、今年は強力な助手3人がいたおかげで終了までの時間がすごく短く感じたほど。本当に感謝です。

これは、2月の9年生向けのOpen eveningでも協力してもらわないと。と、今から色々画策している私です。

投稿者 lib : 10:46 AM | コメント (2)

October 07, 2009

ニューヨーク旅行 その2

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エアロスミスの全米ツアーはキャンセルされてしまい、ステージから姿を見初められて、アフターコンサートパーティにグルーピーとして招待され、スティーブンからチヤホヤされるという野望はみじんに砕かれた。
が、ニューヨーク行きの航空券は残っている。 というか、キャンセルできなかったのだ。

というわけでしかたなくのニューヨークツアーである。

昔アメリカに住んでいたので、ニューヨークは何度も行ったことがある。どのくらい前かというと、まだワールドトレードセンターがバーンと元気に建っていた頃だ。
「わーい、高い、高い」と喜んでいたものだ。展望階にはガラスで下界が透けて見える床があり、高いところは得意な私も足がすくんだ覚えがある。 あのビルはもうないのね、しみじみ・・・。

最近、更新したパスポートを渡米前に登録する。 何でパスポート写真ってこんなに不細工なんだろう、と思うが、友人に言わせると 「写真は何ひとつ洩らさず、加えず、その顔のまま」だそうである。 ってことは、私はこの写真並みにXXXということか・・・。

航空機はバージン航空だ。チェックインは機械にパスポートを差し込むだけで、予約している便名が表示、名前が確認される。 「予約席を他の場所に替えますか?」などと親切な質問もある。文明の進歩ってすごいな。
バージン航空に初めて乗ったときも、ロンドン、ニューヨーク間だった。当時のバージン航空はできたばかりで、飛行機が一機しかなかったため、 「まだ、ニューヨークから飛行機が戻っていないので、しばらくお待ちください」とアナウンスがあったっけ。

そう言えば、ニューヨークから某中近東系航空に乗ったこともある。JFK空港の航空会社のカウンターの 「その他のメジャーでない航空会社、もろもろ」のところに並び、乗客が怪しい雰囲気の奴らばっかしに見えたのは気のせいか? 学生で貧乏旅行をしていた私も含めてだが。
機内のエンタテーメントビデオは、エィミー・ワインハウスのような、どぎついアイメイクをした歌姫のバックで、頭にテーブルクロスを載せて、輪っかで押さえたような例のアラブスタイルのおやじが数人でダンスを踊るという、異国情緒にあふれたものだったが、到着先はロンドンではなく、砂漠の国だったらどうしようという不安を覚えた記憶がある。

さて、今回はニューヨークの隣の州、ニュージャージーのニューアーク・リバティ・エアポート着だ。わざわざ、この空港を選んだのも、最初のエアロスミスのコンサートがニュージャージーの予定だったからである。 

・・・スティーブンのバカ。頭をパックリと割って、肩を骨折するなんて。せっかくロンドンからはるばるやって来たのに。

ニューアーク・エアポートは大きな空港に変わっていた。 
「おお、お前も出世したものよのう・・・」と感慨にひたったが、考えてみれば、このエアポートを使ったのはほんの数回だけで、それほど馴染みがあるわけではない。

入国審査では、右手の親指以外をまず4本、それから親指。そして、同じく左手、と機械に当てる。次は瞳、とチェックが入る。
「アメリカは初めて?」
「XX年ぶりよ」
「そりゃ、久しぶりだ。観光?」
「観光だけど、実はね・・・」
パスポートコントロールのおじさんにエアロスミスへの恨みつらみをぶちまけそうになったところを友人が止めた。時間がかかると思ったのだろう。

「アメリカへようこそ」と入国審査の人。
えっ? 今 「アメリカへようこそ」 って言った?
いいな、これ。ヒースロー空港でも言えばいいのに。
「イギリスへようこそ」
・・・言わないだろうな。 イギリスのパスポートコントロールでは、ろくな思い出がないぞ。もう少しでケンカしそうになったことも多いし。感じ悪いぞ、ヒースローの入国審査官!


というわけで、この日は空港の近くのホテルに泊まる。明日はマンハッタンだ。

続く

投稿者 lib : 10:04 AM | コメント (2)

October 02, 2009

Swine Fluの次は、、、。

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先週の木曜日、スタッフ全員に校長と学校のITを管轄する部からメールが届きました。

訳すと以下のような内容です。

「学校のネットワークにウィルスが進入したため、ネットワークをシャットダウンして処理をします。そのため、明日一日、そして最悪の場合は来週までコンピューターが使えません」

他の学校のネットワークも荒らしているというこのウィルス、どうやら私の学校のアンチウィルスシステムの定義に含まれていなかったらしく、今までウィルススキャンにもひっかからなかったようなのです。

実は、ここ1,2週間、学校のコンピュータでいつも使っているUSBのFlash Driveを自宅のコンピューターで使うたびに入れてあるアンチウィルスソフトが変なウィルスを探知するのでおかしいなと思っていました。

そこまで深刻なウィルスではなかったようですが、他校では処理が遅れた為に一週間もネットワークがダウンしたままだという話も聞いたので、これは1日では済まないなと誰もが思っていました。

IT技術はここ数年で我々教職員にとってなくてはならないものになりました。

私が教師になりたての頃は、授業で使う機材といえば、OHP(オーバーヘッドプロジェクター)とテレビデオぐらいしかなかったのに。

今や、生徒の出席状況、成績、細かい個人情報までもSIMSという特別なシステムで管理され、授業も出席簿の代わりに、各教室にあるコンピューターで出欠を取り、プロジェクターも付いているので、ほとんどの教師がPowerPointやInteractive Whiteboardを使って授業をしています。

それが今回、コンピューターにログインすら出来なくなるという状況になり、私たちは正直焦りを隠せませんでした。

なにせ、指導案も教材もほとんど電子化しているため、ネットワーク上に保存されているものに全くアクセスできないわけです。

ただ、一応古い時代(=OHP&ホワイトボード&テレビデオ)から教えてきている教師たちは対応も早く、既存の教科書やプリントを活用して授業をこないしていました。

私は幸い、PowerPointを多用する高学年の授業がほとんどなかったので、予定をあまり変更せずに授業をおこなうことができました。

一番困った様子だったのは今年からトレーニングを始めた同僚LとE。なにせ、彼らは最初から電子機器に囲まれていましたから、授業でコンピューターが使えないということで相当に焦ったようです。

お仕事でPowerPointなどのソフトを使ってプレゼンテーションをされる方は分かると思いますが、一枚一枚のスライドにタスクやトピックの要点をまとめておけるので、話の流れを変えずに計画通りに進められます。

教師にとってはPowerPoint自体が授業案の代わりにもなるので、非常に便利なのです。

私も新米の頃は授業の初めから終わりまでの流れを紙に書いて授業に臨んでいました。最初の頃は、生徒への質問まで書き込んでいたように思います。そして、それが手元にないとかなり心細かったのを覚えています。

ただ、慣れてくると生徒との会話のキャッチボールも上手くなって、基本の質問をした後にどんどん発展した質問が投げかけられるようになるのです。

授業の構想も大体計画を立てたときに頭に入ってくるので、あまり事細かく書きとめる必要もなくなりました。だから今回もPowerPointがない授業といってもそこまで焦りはありませんでした。それでもPowerPointはあったら便利なのですが。

さて、前述の同僚LとE。どうしてるのかと先日、教室を見たら、、、。

あら、なんと、プロジェクターとPowerPoint使っていつもどおり授業をしているではないですか。まだ、ネットワークは復旧していないはずなのに。

実は彼ら、自前のラップトップ(ノートブック)コンピューターを教室のプロジェクターに繋げていたのでした。お見事。

その後、4日経ってやっとネットワークは復旧。学校はすぐにいつもの様子に戻りました。

今回、いきなり「原始時代」に戻ることを余儀なくされた私。

同僚と文句を言いながらもコンピューターに頼らない授業もたまにはいいな、と正直思ったのでした。

あ、手書きのレポート書き(通信簿のようなもの)x200人分だけは勘弁願いたいですが。

投稿者 lib : 09:58 AM | コメント (0)