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December 13, 2010

イギリスの大学の授業料が2~3倍に その2

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*前回からの続きです

パブリック・スクールに選りすぐりの頭脳が集まっているなんて、本気で信じている人はいない、と思っていたが、今回の法案を聞いたときに、「本気で信じている人がいたんだな」と思った。

他でもない、パブリック・スクールを卒業した人たちである。

大学の学費を一気に3倍にまで値上げ、という正気の沙汰とは思えない政策は、勿論財政難を救うための予算削減が一番の理由だろうだが、その裏に「大学は行くべき人だけが行くところ」という、キャメロン首相の考えがあるような気がしてならない。

「行くべき人」というのは、彼の後輩であるイートン校の生徒や、その他のパブリック・スクール、または親に財力のある「それなりの」家の子弟だろう。大学っていうのはもともとそういう所だった。

イートンの先生に
「君たちは国の将来を背負って立つ選ばれた者たちだ」
なんて言われた純粋なデヴィット少年は、その言葉を真に受け選民思想を植えつけられてしまったのかもしれない。

イギリスはいまだに、日本では想像もつかないような階級社会の国である。階級社会というのは平たく言えば、ブルーカラーの親の子供はブルーカラーの職業につくしかない社会だ。

そういった社会を変えようと、前政権の労働党がSocial mobilityを促進した。Social mobilityというのはこれまた平たく言えば、ブルーカラーの親の子供もホワイトカラーの職業につけるような社会である。そのために労働党は大学の数を増やし、多様な学部を作った。(その学部の中には「ジュエリーメーキング」とか職業訓練的なモノも多々あって、それはそれで賛否両論だが、とりあえずより沢山の人に学位を持つ機会を与えた)

労働党が頑張ってSocial mobilityを促進しようとしても、英国に強く根付いた階級社会はそう簡単に変わるものではなかったが、それでも時代の当然の流れとして、階級格差は少しずつでも狭まっていくのだろうと信じていた。

キャメロン首相は、そのSocial mobilityを阻止しようとしているように私には思える。「だって、そんなに大学卒が増えてもそれだけの仕事もないし。世の中には肉体労働も必要だし」「みんな、居るべき場所に居るべきだし」と。

私の心に深く残っている光景がある。息子のサッカー仲間、A君のお父さんと何かのイベントでパブで同席した時の事だ。A君のお父さんはScaffoldingを組み立てるのが仕事だ。(Scaffolding とは、家の修復やビルの建築現場などの足場。鉄パイプや板材を組み立てて作る。)その数週間前に彼は足場から滑って落ち、腰を痛めていた。

「スカフォルディングは俺の代で終わりだ。キツイ仕事だよ。Aには大学に行って欲しいと思っているんだ」

何杯目のパイントだったのだろう。シャイなA君のお父さんが、大きな体を揺らしながら珍しく能弁になっているのが印象的だった。

思うに昭和の日本にも、A君のお父さんの様な人が沢山いたのではないだろうか。そして日本のA君達は親の願いに答え大学に入り、ネクタイを締める仕事に就いたのだろう。

北野武のお父さんはペンキ屋だったが、教育ママのお母さんによって兄弟皆大学に行かされたそうだ。日本がSocial mobilityを許す国でなかったら、大学教授になったお兄さんの北野大さんも足立区のペンキ屋さんになっていたのかもしれない。(ペンキ屋さんになる事が悪いとは言ってませんよ、進路を選択できる社会が良いという意味です)

どうして日本のSocial mobilityは成功したのか。それは、日本の公立高校と大学受験のシステムがとてもフェアだからであると思う。

日本にはどの都道府県にも、必ず一つは東大への入学者を多数輩出するような「公立進学校」が存在する。

学費の安い公立の進学校を各県に設置する事で、親の経済力や地理的な事に左右されず、優秀で努力した人間が国のトップの大学に入れるシステムだ。(東大卒でも実社会で使えない人が多いとか言う話は別の話ですよ。あくまでも競争を勝ち抜いて最も難しいとされる大学に入り、卒業後の選択がより豊富になる、といった意味でのトップ)

戦後の日本が急成長したのは、このフェアな教育システムによって皆が競争に参加できるようになったから全体のスタンダードが上がり、その高いスタンダードのトップに立った人たちが国や企業の要所に配置されたからの様な気がする。

最近は「東大の学生の親の年収は○○千万円以上」みたいな調査もあるようだが、それでもイギリスに比べたらまだまだフェアな受験制度だと思う。

話が逸れるが、息子がサッカーをするようになって「サッカーって凄いスポーツだなあ」と思う様になった。だって健康な2本の足があれば誰でも参加できるのだもの。経済的余裕が無いとできないポロやクリケットとは競技人口が違う。競技人口が多いからしのぎを削り、スタンダードが高まった。プレミアリーグで活躍しているような選手は、本当の意味での「世界のトップ」だと思う。ポロやクリケットの「世界一」がそのスポーツをアフォードできる限られた層の中の「一番」であるのと意味が大きく違うと思う。

大学だって、限られたグループの中からよりも、より多くの人を競争させてその中の選りすぐりを集めた方がよりよい頭脳を集められる、いうのは容易に想像できることだ。

個人の財布の中身が云々の問題ではない。将来の国の力に関わる事だ。

も少し続きます。

投稿者 lib : December 13, 2010 09:25 PM

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