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November 15, 2007
地球の裏側から。
先日、一通のメールが届きました。
私の大学院時代の友達(以下、友人Y)からでした。彼女は台湾人の歴史教師で6年前にロンドンの教育系大学院のコースが一緒で知り合いました。
私たちの在籍していたコースは歴史教育という修士課程ではマイナーな分野なせいか、当時、フルタイマーは私と彼女の2人。あとの3人はパートタイマーでロンドンの学校で歴史を教える現役の男性教師達でした。
友人Yと私は歳も近く、女性同士、しかもお互い東アジア出身。そして昼間の授業に出るのはフルタイマーである私と彼女の2人だけ(今考えると贅沢ですね)。自然と2人で一緒に授業準備をしたりすることも多くなり、授業後にご飯を食べに行ったりと交流が深まりました。
それだけに留まらず、お互い母国を離れての留学でしたから家族の話や自分の国の話、そして恋愛の話など、本当に色々なことを話し合える仲になりました。国を越えて、お互いの国の歴史のしがらみや文化の違いなども越えて(そして同時に共通点も見出せる)、本当に自然に物事を話せる関係を築けたのです。
そんな私たちも一年後、無事に修論を書き上げてコースが終わり卒業。私はイギリスに留まって教師を目指すことになり、彼女は台湾で教師を続けながらロンドンの同じ大学院でパートタイムのドクターコースに進み、台湾とイギリスをたまに往復するようになりました。
会える回数は減ったもののメールでの交流は続き、彼女がイギリスに来るたびにうちに泊まったり、ご飯を食べに行ったりして何時間もおしゃべり、、、こうして現在に至ります。
今回のメールは友人Yがついにドクター論文の下書きが書き終わったという報告とこれからの進路についての相談でした。お互い歴史教育に関わっているとはいえ、彼女は研究の道へ、私はイギリスでの実践の道へ進み、お互い自分のやったことのないことをやっているということでadmire(敬服?)しあうのですが、そんな彼女が今後の進路について悩んでいると言うのです。
研究者として大学で働くのが目標の彼女。理想は台湾での就職のようですが、現在は空きがなく、今考えているのは私の恩師でもある彼女の指導教官の紹介である北米での職にアプライすること。ただ、仕事の内容は研究に留まらず、歴史の教職課程に所属する学生への指導・講義なども含まれているそうです。
彼女は経験のある中学・高校教師ですが、北米に渡れば使うのは英語。母国語ではない言語で現地の学生に自分になじみのない歴史教育制度に基づいた指導をしていくことに不安があるそうです。普段は何事にもチェレンジして、今までも私なんかよりもよっぽど困難な状況で勉学・仕事を両立させてきた彼女。それでも今回のことは一歩踏み出すのに勇気がいるのだと言います。
イギリスで母国語以外の言語で現地の生徒を教えている私がどうやって英語でのインタビューを乗り越えたか、どうやって現地のカリキュラムについて学び教えるまでに至れたのか、そういうことを聞きたかったそうです。
そう言われて考えると、当時の私はとても無鉄砲だったように思えます。英語も不完全なくせに怖いもの知らずというか。ただの自己中心的行動・究極的我が侭というか。「教師になれる!」という(あまり前提のない)確信をひたすら持ち続けただけのような気がするのです。そして周りの人に精神的に支え続けてもらえた(実際は半ばあきれられてもいた?)、その結果だと思うのです。実際のトレーニングやインタビューはとにかく必死でしたから一日一日をとにかくsurviveする感じでした。結果がどうなるか深く考える余裕もなく、同時に深く考えて不安になるのを避けていたのだと思います。
結局こんな私が彼女に言えたのは、どんな選択をしても間違いではないし、どんな結果になってもそこで終わりじゃないということ。実際に仕事が始まったらそこからはまた学ぶのみ。でも毎日が向上への道のはずだから困難があってもいつのまにか螺旋を描くように上に登っていける。そして私や私たちの恩師も含めていつだって話を聞いて支えてくれる人はいる。可能性を信じてチャレンジして欲しいと伝えました。
これらの言葉。実は自分自身が今まで色んな経験を通して気付かされ、いろんな人にかけてもらった言葉です。そして今も自分に必死にかけ続けている言葉なのです。なぜなら、私も自分の可能性や能力に疑問を持つことは多いし、不安に思うことも多いから。
人生の選択肢ってありますね。私も選んだし(そして周りの人に選ばせてもらった、そういう環境をもらった)、彼女も選んでいくんですね。ひさびさに友人Yのメールで考えました。自分の今までとこれから。
最後に、このブログを友人Yが目にすることはないでしょうが、彼女に地球の裏側からエールを送ります。
投稿者 lib : November 15, 2007 09:35 PM
コメント
[どんな選択をしても間違いではないし、どんな結果になってもそこで終わりじゃないということ。実際に仕事が始まったらそこからはまた学ぶのみ。でも毎日が向上への道のはずだから困難があってもいつのまにか螺旋を描くように上に登っていける.」賛成、同感、共感、です。本当に、その通りだと思います。今の私もかなり似たり寄ったり。深く考えるまえに、行動し、その後は、あたって砕けろ、何とかなる。。。。 あれ?違いましかしら。
投稿者 dekoboko : November 16, 2007 10:50 PM
こういうことって言うは易しなんですけど、実際は自分を信じるって難しいんですよね、、、。でもこういう風に信じないとほんとに気持ちから負けてしまいますしね。
「あたって砕けろ」的だったのは4年前の私も同じだったと思います。ほんと飛び込まないと始まらないですよね。でも、お話を聞いてるだけでもあれだけ頑張ってるDekobokoさんですもの。大丈夫、砕けるどころか、いろいろ吸収しちゃいますよ!!!
投稿者 月子 : November 18, 2007 07:53 PM