September 20, 2009
自分に出来ること
新学年が始まって、色々と考えさせられた2週間でした。
実は、ブログに書こうか書くまいか、何度も考えた出来事が二つほどあります。かなり暗い話になります。
まず一つ目は、私の勤務校の生徒の一人が夏休み中に亡くなったことです。
我々が知ったのは新学年が始まって3日目。前日に彼女の御両親が学校を訪れて正式に報告があったため、教員一同にも知らされたのでした。
英語環境の職場のため、私のブログを目にする関係者はいないと思うものの、やはり公共性のあるブログでは学校名も生徒・同僚たちの名前も常に伏せている私です。
今回のことはいくら名前を伏せていても、死因なども含めて書くことが躊躇われ、しばらく他に書くことも考えられなかったのですが、教師として、そして、やがて自分も人の親になるかもしれない者として、そして一番に一人の素の人間として、色々と考えさせられたので少しだけ触れることにしました。
私は実はその生徒のことを知りません。彼女のクラスは2年ほど教えていたのですが、彼女は去年転校してきたため、私自身は面識が無いのです。それでも、15歳という若い命が失われたことはひたすらひたすら衝撃的でした。
生徒たちと彼女の死をどうやって受け止め、どうやって進んでいけばいいのか、最初は私自身、なんとも表現しにくい恐怖に似た感情すら感じました。
私自身が高校生だったとき、クラスメートが亡くなるという出来事があり、その時の恐怖、無念、虚無感、、、など様々な感情が生々しく思い出されたのでした。
夏休み中、彼女の死について地元の新聞に実名で載っていたこともあり、我々が報告したときには生徒の大半が既に知っている様子でしたが、彼女らの大半は実際どうやって反応したらいいのか、躊躇っている風でした。
今現在は亡くなった生徒とかなり親しかったらしい生徒F以外は、どの生徒も落ち着いているように思えますが、実は彼女には8年生の妹がいて、学校側からは彼女への配慮が重要であることが何度も伝えられました。彼女の心の痛みは計り知れません、、、。
実は、本当に悲しいことですが、私の勤務校では親、兄弟姉妹を亡くしている生徒が少なからずいます。
私の歴史クラスの11年生の生徒も2年前、母親を亡くし、他にも父親を亡くした生徒がいました。
そして、夏休みに亡くなった生徒について報告を受けた日に、もう1つ知った出来事がありました。
2年前に一学期のみですが教えていたクラスにいた生徒Mの3歳の妹が亡くなったということです。彼女も15歳。
彼女は頑張って初日から学校に来たものの、非常に心が不安定で、学年集会にも出席できないほどでした。私の担任クラスの生徒がその子と非常に仲がいいことから知ったのです。
一昨日、私がES(Emergency support。授業中に生徒が問題を起こしたときに教師のサポートをする係)で校内を見回っていたときに、泣いている彼女が友達に支えられながら、教室を出て行くのを見ました。
その時は一緒にいた生徒にそっとして欲しいというジェスチャーをされたので声をかけなかったのですが、同じ日にまた、今度は違う友達と教室を感情的に出て行くのを見ました。
さすがに何かあったと思い聞いたところ、彼女のクラスの先生が欠席のため、代理で入っていた教師(私の学校の教師ではなく、日雇いで来る先生です)が自分の苦しみを理解しようとする姿勢を見せてくれなかったことにひどく傷ついたことを話してくれました。
ひたすら感情的な彼女に少し落ち着くまで時間をかけるように言い、一緒にいた彼女の友達に様子を見てもらっている間に、この話に出てきた教師に会いに行きました。実は、お悔やみを言った後に、泣く彼女にどういう対応をしてあげればいいのか分からず、「学年主任に会いに行けばいい」と勧めて授業を進めたらしいのですが、それを生徒Mは冷たく反応されたと思ったようです。
この後、少し落ち着いた生徒Mと別々にもう一度話をし、彼女の悲しみが我々の想像を超えるもので、その教師があなたを傷つける気持ちはなかったのだ、皆、あなたの悲しみが想像を超えるほど強いものだということを知っている、無理をしないで、少しずつ時間が薬となってくれることを祈っていると伝えました。彼女も少し落ち着いた様子で、
そう、本当に目の前で泣き続ける彼女の前で私ができることは、お悔やみの言葉を言うこと、彼女が落ち着くまで思い切り泣く場所を作ってあげることだけでした。本当に自分が弱く、無力で小さな人間に感じた瞬間でした。
とても可愛がっていただろう幼い妹を亡くした痛みは私には想像しても足りないものです。それでも時は否応無く進み、彼女自身も前に進んでいかなければならないのです。人の死というものを彼女がこんな形で目の当たりにしなければならないなんて、、、本当に心が痛みました。
それにしても教師でいると、本当に自分の人間性を試されているように感じることがあります。今回のこの二つの死は、まさにそういう出来事でした。そこに模範解答はなく、どのような行動を自分が取るのか、どのような言葉をかけてあげるのか、生の自分の心に直接問いかけられた出来事でした。
私自身、まだ人間として未熟です。年齢が上がるにつれ、自分の中の根拠の無い自信、驕った部分を認識するようになりました。人生の楽しく明るい部分だけではなく、昔はぼんやりとしか認識していなかった人生の暗く重い部分が前よりも形を露にしてきたように感じるのです。
正直、私が人の生死をどれだけ感じて理解しているのか分かりません。でも、私が見た生徒Mの涙はたくさんのことを私に教えるものでした。これからどんなことがあるにしても、私は死と生をいろんな形で感じ続け、考え続けていくのだな、、、と思ったのでした。
投稿者 lib : September 20, 2009 06:33 PM