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July 11, 2008

東ロンドン再発見

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今日のブログは先週の予告どおり、東ロンドンの歴史についてです。

ロンドンに住んでいる皆さんはEast Londonにどのようなイメージをもっていらっしゃるでしょうか。

東ロンドンといってもBankやLiverpool Street、Tower Hill、Monumentといった駅の周辺はロンドンの金融の中心地ということもあり、常にスーツを着たビジネスマンで賑わっていますが、それよりも東にあるAldgate East、Whitechapel、Mile End,そして私の学校のあるBowという地域はどうも「労働者階級・低所得者層の居住地域」「犯罪多発地帯」というイメージが強いように思います。

実際、この地域はTower Hamletsという行政区で統計上、ベネフィットをもらって生活している低所得者が多いのは事実ですが。西ロンドンで生まれ育ったイギリス人の友人の中には「東は怖いイメージがある、できれば住みたくない」という人も結構います。

確かに東ロンドンは再開発が進んでいるとはいえ、殺伐・雑然とした雰囲気のある通りが今も多くあります。過去数百年の歴史を見ても、政府からは見放されがちな低賃金労働者の住む貧しい地域でありましたし、住環境も恵まれないものでした。

昔は重要な交通網であったテムズ川や運河が多くある東ロンドンは工場や船着場が多くあった場所であり、第一次世界大戦ではドイツ軍による空襲で一番大きな被害を受けた地域でもあります。そのため、ロンドン中心地や西ロンドンのようにしっかりと手入れをされてきた古く歴史のある邸宅が立ち並ぶという風景も限られています。

しかし、昔の面影を残すものは少なくても歴史を紐解くと東ロンドンは非常に興味深い地域であることがわかります。テムズ川にも近いAldgate East周辺は常に移民の玄関口だった地域であり、ロンドンが現在のように多文化・多宗教・多民族の都市となったルーツを探ることが出来ます。

その一番良い例がBrick Lane。カレー屋さんやナイトクラブ、バーに行くために訪れたことのある人は多いかと思います。今ではすっかりバングラデッシュ移民が経営するカレー屋の立ち並ぶバングラタウンとしてのイメージが定着しました。

それに加え、ここ10年くらいでは若いアーティストたちの活動の中心地としてたくさんの若者が暮らし集うようになりましたが、驚くことに19世紀後半から20世紀初頭までは人口の90パーセントがユダヤ人という地域でした。

さらに歴史をさかのぼれば、17世紀にフランスから宗教弾圧を逃れてきたプロテスタントのThe Huguenots(ユーグノー)たちが移住してきた地域であることが今も残る通りの名前や教会など建物の様子から分かります。かつては彼らがフランスから持ち込んだ絹織物産業の中心地でした。その産業に惹かれ、ユダヤ人、アイルランドや北イングランドからも織物職人たちが移り住んだこともあったということです。

そして、19世紀後半にはロシアから宗教弾圧を逃れてやってきたユダヤ人の移住がピークに達し、一時は150ものシナゴーグが東ロンドンにはあったということです。その歴史の変遷を象徴するユニークな建物が今でもブリックレーンに残っています。何と、もともとユーグノーの建てた教会が後にユダヤ人によってシナゴーグに変えられ、ユダヤ人たちが東ロンドンを去ってからはモスクとして使われるようになったのです。東ロンドンの移民の歴史の縮図ですね。

その後、絹織物産業が廃れるとともにこの地域も廃れ、小さな織物産業は存続したものの、産業革命時代の終わり、19世紀後半までには犯罪、売春、貧困の巣窟となってしまったのです。コレラがロンドンを襲ったときも真っ先に伝染したのが劣悪な居住環境だったこの地域でした。切り裂きジャック(Jack the Ripper)の話を読んだことがある人は当時の雰囲気がつかめるのではと思います。

第二次世界大戦後、ユダヤ人たちはロンドンの北部に多く住むようになり、この地域には徐々にバングラデッシュ移民が住むようになりました(戦前でもバングラデッシュ人の若い船乗りたちの小さなコミュニティは存在していたようですが)。

さらに1960年ごろからバングラデッシュからの移民の数が増えはじめ、1971年のバングラデッシュ(かつての東パキスタン)独立戦争後にはさらに難民・移民として移り住む家族が急激に増えました。私の学校の生徒たちはほとんどが二世・三世。彼らの子供・孫の世代にあたるわけです。

今日の東ロンドンは活気にあふれています。ここ数年、SpitalfieldsやAldgate East周辺もだいぶ変わりました。Shorditchというエリアにいたっては若者に非常に人気のあるおしゃれなエリアになりつつあります。

かつてユーグノーやユダヤ人たちが住んでいた荒れ果てた多くの建物は内部が改装され高級なフラットに様変わりし、おしゃれなレストランやカフェが増えました。駅周辺もオリンピックが2012年に来ることもあり、再開発が急ピッチで進んでいます。

古いものがある。古いものが見直され、形を変えてまた蘇る。そして、新しいものが生まれる-今、変化の真っ只中にある東ロンドンは他の地域と比べても本当に面白い地域なのです。

皆さんも機会があったら訪れて欲しいと思います。そして、時間をかけて東ロンドンの過去と現在を堪能して欲しいと思います(下記のサイトが参考になります)。

http://exploringeastlondon.co.uk/Spitalfields/Spitalfields.htm

投稿者 lib : July 11, 2008 09:40 AM

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