« February 2011 | メイン | May 2011 »

March 26, 2011

Risk Management

shacho.gif

リスク・トリートメント(潜在危機への対処):

これは、ある組織が継続的活動を願う際に、多かれ少なかれ、または
意識的にも無意識的にも、避けて通れないものである。例えば企業を
例にとると、社員を採用する際には履歴書を提出させ、さらに面接を
行うであろう。当たり前すぎる話であるが、必要とする職能を持たな
いとか、悪意を持った社員や、他社からのスパイ侵入を防止する等と
いうようなリスクの回避行為のひとつである。

当社にもさまざまなリスク・トリートメント・プランが存在する。上
のような常識的なものや、複数の取締役が同じ飛行機で飛ぶことを禁
止するとか、課長さん達が常に最新の緊急連絡網表を保持している等
々、考えられる限りのリスクを想像し、これらに対するリスク発生の
頻度を予想し、リスクが現実の事象となった際にどう検知できるか、
その際の被害を最小に抑えるためにどうするか、などの計画を立て、
保守し、継続し、必要があれば改良する。

もう一つ例をあげよう。当社では重要な情報データは、物理的に離れ
ている3箇所に分散して保存する、というポリシーを持っており、か
つ実施している。では、3箇所同時に重大な事態が発生し、すべてが
破壊されたらどうするか。

オシマイである。

企業のマネジメントが自己のオシマイをどこかで許容せざるを得ない
事を、ISOという国際的な品質管理標準の用語では、リスクのアクセ
プタンス(こらあもう、しゃあねえーなあ、ということ)と呼ぶ。リ
スク・トリートメントは、だいたい全て、金のかかる話である。企業
は無尽蔵の金を持つはずも無く、どこかで線を引いて、その線を超え
る事象が発生した際には、オシマイ、になるであろうことを予め予想
し、その諦めの一線以下に関しては、あらかじめ、金を使って様々な
具体的対処(これを、コントロールと呼ぶ)を行う。無論、オシマイ
にはなりたくないから、利益が得られれば、さらに金をかけてでも、
一線を高くあげることもあろうし、知恵を絞ってあまり金のかからぬ
有用なコントロールを開発することもあろう。しかし、一線を越えた
事象が起きた場合には、オシマイになることをアクセプトするしか無
いのである。

(ちなみに、こうした有事の際に、可能な限り早くオシマイが近づい
て来たことを検知し、最低線の事業継続を計画したり、素早い会社の
売却等を含めて、ステークホルダーに対して最良と思われる処理を行
うこと予め設計しておくことは Business Continuity Management と
呼ばれ、ISO25999という世界的標準がある。これはまた別の機会に)

以上、企業を例に取ったが、国家・地方自治体・学校・家庭などにも、
あてはまらない理由はない。そして、超国家的とも言える事象が日本
で発生し、その後も危機が継続している。合掌。

投稿者 lib : 11:59 PM | コメント (0)

March 22, 2011

Never give up! Never forget! Tohoku 3.11

darling.gif
Hi Coco,

It is very sad to see what is happening to Japan. Please accept my solidarity. you will rebuilt the country (you did it in the past already) but nothing can be done for the people, the families,..I am very sorry.
i was pro nuclear power. i may reconsider my position.

very best regards from Spain
X X X
<要約>
日本の災害は、あなたと同じように悲しい気持ちです。日本は、過去も立ち直ったので、今度もきっと立ち直るでしょう。被害を受けた方々や遺族のために、何もできないことが残念だ。私は原発応援派だったが、その立場を考え直すかもしれません。

これは、仕事で年に2回ほど付き合いがあるスペインの会社の担当者が、13日の日曜日におそらく自宅で書き私にメールをしてくれた内容。この他にも、ビルの掃除人、また、以前同じビルにいた英国人がこの災害のことで心配し、電話をくれたりと多くの人が、今回のことを気にかけ、慰みの言葉をかけてくれて、 本当に本当にありがたかった。他国のことなのに。
また、日本食レストランでご飯を食べていたら、お客さんが入ってきて「以前、ここにあった日本食レストラン●●は、何処に行っちゃたの?ロンドンに住んでいた時は、よく来ていたんだけど。今回の日本の地震のことで心配になって来てみたんだけど、、、」とわざわざ来たらしい。
ダーリンの家族もめったに電話なんてしてこない、ダーリンの従兄弟のママ、そして、パパ、香港に住む弟などから、大丈夫か。の電話があった。
今回は、数週間前に始めたツイッターのお陰で、日本の様子が、ニュースではわからない人々の気持ちがリアルタイムに伝わった。その中で、目にしたツイート「ロンドン三越で葉加瀬太郎さんがチャリティーコンサートをする」は、日曜日にはいり、翌日、月曜日に開催という。彼の意気込みに感動し、応援のツイートをしたら、なんと葉加瀬太郎さんから返事がきた。すごーーい。さっそく皆にリツイート(といってもまだ40名もいないし、その中で英国にいる日本人は少ない!)。 しかし、みんなが拡散してくれるだろう。そして、拍車がかかり、メールをしまくった。電話もしてみんなを誘った。 コンサートは、翌日だったが、すごい人数が集まり、大盛況だった。寄付金も5000ポンド(65万円)も集まったそうだ。みんなも同様にして拡散し、人が集まったのだろう。そして、その場で、金曜日にはカドガンホールでもコンサートをしますとのこと。会場も無料提供してくれるとか。ここにも行ったが、同様に大、大盛況!
遠くにいるが何かしたいという皆の気持ちを引き上げてくれた彼の活動が、多くの人を動かし、感動をくれた。 葉加瀬太郎さんの娘さんも演奏、募金活動と本当にすばらしい教育方針、あなたの生き方に脱帽です!

その後、個人でフリーマーケットを出店し、その売り上げを寄付したり、マラソンで寄付金を集めたりとみんなが何かしようと動いている。
みんなの気持ちは同じです。日本にいても、ロンドンにいても。

「がんばろう」といわれ、これ以上何をがんばるの?と言われた被害者の方の言葉は重い。だからもう、むやみに「がんばろう」は言えない。日本の義援金の受付は、9月末迄と書かれていた。今は、みんな同じ方向を向いているが、時間が立つと悲しいかな、今回のことも記憶から薄れてしまう。
決して忘れてしまわないように、Never give up! Never forget! Tohoku 3.11として、私も長い目で被害に遭われた関係者の皆さんの復活を応援して行きたいと思う。

投稿者 lib : 03:35 PM | コメント (2)

March 17, 2011

日本の震災報道を見る子供の心のケア

mama.gif


日本のニュースが連日報道されていますが、小児科医の方 https://twitter.com/turubaba が災害時に後回しにされがちな、子供の心のケアについてアドバイスをTwitterに書かれていました。

この大変な時に私のブログなんか見に来る人もいないかもしれませんが、一人でも多くの子育てママとパパに読んでいただきたくて転載させていただきます。

************ **

子供さんのいるご家庭はニュースを見るのはやめましょう。子供たちの顔を見ていてあげて、話しかけてあげてください。

今は大丈夫でも、後で熱を出したりおなかを壊したりするかもしれません、ストレスで。

今日の診療中、ストレスを抱えている子供たちが多数受診。

皆さん、テレビを消しましょう。 せめて、楽しい番組の録画を見せてあげましょう。みんな目がきょろきょろして落ち着きがなかったです。

診察中、個室でお気に入りの映像を楽しめるのでみんな目がきらきらしていました。うれしそうにビデオを見ていました。 診察終わっても帰りたがらない子が多いのです。

おうちでは楽しいビデオを見せてあげましょう。情報はインターネットでどうぞ。 。

************* ***

(ここから下は私(子育てママ)の文章です。)

子供は大人よりもストレスによる抵抗力が弱いそうです。衝撃的な映像を繰り返し見ることにより、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に近いものが出る可能性もあるそうです。

日本や世界の将来を担う子供たちを、大人がしっかり守ることも大切な支援だと思います。
ぜひ子供さんとは楽しい話をしたり、子供番組などを見せてあげてください。

投稿者 lib : 08:13 PM | コメント (4)

March 10, 2011

消えたゲート

career2.gif
外国暮らしをしていても、というか、外国暮らしをしているからこそ、家に帰れば、ほっと一息つくものである。 クタクタになるまで働き帰宅する (私には無関係) あるいはほろ酔いで帰宅 (ま、ときどき・・・) しても、愛する我が家が見えてくれば、やれやれと安心するものだ。 

が、ある日のこと、会社から帰り、家の前に立ったとき、ふと違和感を覚えた。

何かが違う。 物の位置が移動しているか、色や形態が違うか、余計な物があるか、あるいはなくなっているか・・・・.

余計な物があったのは数年前のこと。 酔っ払って帰宅すると、前庭に For Sale (売り家) の看板が立っている。 一瞬、目を疑ったが、 (今、私は酔っ払っていて、精神状態はノーマルではない。幻覚を見ている可能性がある) とあえて、深く追求せずに家に入り、そのまま寝てしまった。 翌朝、そーっとドアを開けると・・・まだそこに看板はある。 なぜ? 持ち家なのに家主の私の知らぬ間になぜに家が売り出されているの? 

そのときは、不動産屋が同じ番地だが別の通りの家と間違えて看板を立てたことが発覚し、無事に看板は撤去されたのだった。

が、今回は、余計な物があるのではなく、なくなっていたのだ。 

はっ、ゲートはどこ??? ゲートがない!

ロンドン郊外に住んでいる。 いかにも私のような中級サラリーマン(サラリーウーマンだな)に身分相応な中古、中型、中流向き住宅である。 道路があり、歩道があり、前庭があって、家がある。 で、公の歩道と前庭を仕切るものが、 「ゲート」 そう、今朝までは門扉があったのだ。

腰までの高さ、幅も90センチくらいの小さな金属製のゲートである。 周りの家のゲートも似たようものだ。 昨日まで気にもしなかったが、なくなってみると、何だかスカスカと隙間風が吹いているようなわびしさがある。 公共の場と私的領域との境が取り去られたせいである。

誰かが開けたはずみに、はずれてしまい、その辺に置いてあるのかと前庭を捜すが・・・ない。 悪ガキにいたずらされたのなら、その辺に投げ捨ててあるはず。 で、近所をキョロキョロしながら見回った。 大きなゴミが積み上げてある所や、改装中の家の資材置き場等々にも・・・ない。

盗まれたようである。 ゲートなんかを盗んで、いったい何になるんだ?

友人に聞くと、古びたゲートでも、金属を重さで買い取ってくれる所へ持ち込めば、何がしかのお金になるらしい。  私の家のかわいそうなゲートは、かどわかされた上、今頃は他の金属と一緒に溶かされているのかもしれない。 

こんなことになるなら、もう少し気を使ってやればよかった。 帰宅時にはただいま、と声をかけるとか、休日にはほこりを払ってやる、 年に一度くらいはペンキを塗り替えるくらいのことはしてあげればよかったのにと深く反省する。 

溶かされるときにゲートは何を思っただろう? 冴えないゲート人生だったな。 今度生まれ変わるときには、公園の噴水の金具なんかがいいな。 犬が散歩に来たり、子供が駆け回るのを見たい。 それとも、ハードに決めて、刑務所の鉄格子なんかもいいかも・・・と未来の自分を夢みながら溶けていったのかもしれない。

しかし、セコイぞ、門扉泥棒とは。  罪を犯すなら、もっとドーンと大きなことをやらんかい! いや、犯罪を推奨しているわけではありませんが。

2週間が経ったが、どうやらゲートは戻ってこないようである。 で、これからどうしよう? 警察に届ける? 保険会社に連絡して、保険金をもらう? と、その前にガーデンセンターの折込チラシでゲートの値段を見てみたら、60ポンド程度であった。 ん、もう、面倒くさいなあ、60ポンドのために警察に通報だの、保険請求だのの手続きなんかするのは。 しかたない、諦めるか・・・。

ゲートちゃんの冥福を祈る。

投稿者 lib : 12:07 PM | コメント (0)

March 04, 2011

ああ、時計。

darling.gif
一昨年暮れ、ママと沖縄 、香港に行った際に、日本の免税店で購入してもらった時計F(某ファッションメーカー)のバンドが早くも壊れた。
金属のジョイント部分のビスがなくなって外れてしまったのだ。補償期間中なのでロンドンにある F(某ファッションメーカー)の店に行き、事情を話すと「うちの時計は、すべてここと取引しているので、ここに行って!」と渡された住所に出向いた。ここは、古いビルの中にある一室で、外には看板もなく(まあ、英国は看板の規制があるので出せないのだろうが)知る人のみ、知ると言う場所だった。 部屋には、時計の修理をする作業机が数台並んでおり、中は結構、綺麗に整理整頓されている。電池を替えるなどということではなく本格的な時計の修理をしている雰囲気があった。
失った部品があるので、これは注文をしないと修理が出来ないという。部品がきて、出来上がったら連絡をするということで、 時計と保証書を渡してその部屋をでた。これが 昨年の12月1日だった。
その後、1月末になっても連絡が来ない。電話をすると「まだ部品が届かない。」という。まあ、ヨーロッパだし、クリスマスと新年があったから仕方がないのだろう。と待つ事にした。
2月中旬、また電話をした。「いやー、まだ部品が届かないんだよ。この部品はスイスに頼んでいるので、ブラブラブラ、、、、、」との説明があった。仕方がないと、待つことにいた。
3月になり、また電話をした。留守電になっているので、メッセージを残した。しかし、返事がない。また、数日して電話をしたが、また留守電 。うーん。ちょっとおかしいな。メッセージを残しているのだから、連絡をくれてもいいのに。長期ホリデーかな??
と、だんだん不安になってきた。不景気になってきているって言われているし、あんな小さな修理屋が潰れても誰も解らない。実際に知っているレストランが「ただいま改装中のため、一時休業しています。」という貼り紙をして、結局夜逃げしたこともあったしなー。
あそこの場合なら、預かっている高価な時計から私のような安物まで持って逃げてしまうこともできるなー。それに、なんと保証書も預けてしまっているぞ。やばーーい。うーん。出来るなー。夜逃げ。だって、連絡はないし、留守電だし。へんだ。へんだ。と妄想はどんどん膨らんでくる。
そうだ、電話ではラチがあかない。会社を早退し、出向く事にした。
しかし、なんだかんだと仕事をしていたら、会社を出る時間が過ぎてしまった。ああ、5時を廻っている。ああいう仕事は、きっと早く閉めるだろうなーと焦って到着した。まずは、ビルの外にあるベルを見た。名前はまだ付いているぞ。よしっと、ボタンを押す。ビーーー。と鳴り、ドアが開いた。ということは、誰かが中にいるということか。この古く少し誇りくさいビルの階段を4階迄登りその修理屋のドアをノックすると、人が出て来た。ホッ!まだその修理屋は中にあった。

12月から待っていること、留守電にメッセージを残したのに、電話が無い事を伝えると、受付嬢?が3時に帰ってしまうからだな。という。そうか、私はいつも3時過ぎに電話をしていたのだろう。でも、次の日にメッセージを聞いて連絡ぐらいしてほしいなー。心配するではないか。といいたかったが、これは言わずに、気を直して、私の時計は何時出来るのかと聞くと、「僕らだって待っているだけなのさ。いつもそうさ、Fの部品はいつも来ないのさ。」とお手上げ状態だと手を挙げるジェスチャーをしている。じゃあ、他の部品で直せないの?と聞くと「それは、カッコ悪いよー」という。
げっ。待つしかないのか。と手ぶらで帰宅した。ああ、あとどのくらい待つのかな?時計、なくてもいいけど、やっぱ時々不便。必要だな。そうだ、テンポラリーでもいいような安いものでも買おうかな?と物色をしていた。しかし、気に入った時計がなかったので、やむえず帰宅。

本日、「あなたの時計が出来たから取りにきて。」と受付嬢からの電話。
やったー!私の時計が戻ってくる。うれしいなー。まるで、長い間あっていなかった家族のようだ。
でも、そこは土日も休みで、平日は5:30分に閉まる。ああ、また会社を早退して取りに行かない。たった1つの部品のために、3ヶ月間、私の奮闘、妄想したエネルギーは大変なものだった。
この国で生きるには、健康、丈夫が何より。これからは、デザインよりも壊れない!で定評のある物を買えってことかしら??

投稿者 lib : 06:35 PM | コメント (0)