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August 30, 2011

UFO 目撃情報

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2011年8月26日 (金) 9pm 南ロンドンで、UFO らしきものを目撃したので報告しておく。

窓を開けると、西の空にオレンジ色の光が並んでいた。  線香花火の終わりにできる赤い玉のような色と形でくっきりとした丸い光が、10個くらい宙に浮かんでいる。 最初は近くの公園で花火を打ち上げているのかと思ったくらいで、けっこう大きい。 遠い星の大きさではなく、20メートル先の赤信号レベルのサイズである。

んん? と友人と顔を見合わせた。 「あれ、何?」 「さあ・・・」

友人がぜんぜん動揺していないので、 (胆の据わった奴だ・・・) と感心したのだが、後日聞くとメガネをかけていなかったので、イマイチよく見えていなかったとのことだった。 (目撃者として不適当)

光の玉はヘリコプターのような音はなく、飛行機のようには直線で移動していない。

はじめは編隊を組んでいるみたいに、クリスマスツリーのような長細い三角形を作っていたが、そのうち、編隊が崩れてバラバラとなり、ひとつずつ離れていき、雲に隠れて消えた。

見ているとき、UFOという単語が出なかったのは、あまりに堂々とした出現の仕方だったからか。 できれば皆様の注意は引きたくないという遠慮が見えなかった。 光の玉もでかかったし、数もあった。 撮影したければ、どうぞご自由に、というおおらかな態度である。

最近、UFOの目撃情報が多いと聞くが、それは携帯の普及とYoutubeのせいだろう。 昔なら、映像で記録したり、公表する機会はなかったもんね。 が、残念ながら、私の携帯は超旧式で、 「電話をかける、受ける」 「テキストを送る、受ける」 以外の機能がない。 ポカーンと口を開けて見ていただけだ。

NASAには秘密情報がある。宇宙人の死体が保存されているとういう噂もある。 

宇宙人といえば、クラゲのようなのとか、逆三角形の緑の小人がよく描かれている。 とりあえず目鼻があって、手か、手の機能を持つものがあるあたりが、人間の形をベースにしただけで想像力に乏しいよね。 もしかすると、サイコロの形でころがりながら移動するとか、腕時計の形でチクタク地面を滑って動く生物かもしれないのにねえ。

NSAは色々なことをやっているらしく、怪しげなダイエット広告ではNASAが秘密裏に研究開発したダイエットサプリなどもあることになっている。

空に浮かぶ奇妙な物体はときどき見かける。 あれ? という感じで空を見上げると、つられて見る人がいるのでおかしい。 反応がないときは 「何かしら・・・」 とつぶやいて注意を即す、ということもやっている。 個人的には、昼間の空に浮かぶ銀色の物体は糸の切れた風船 (銀色) だと思う。 田舎道での夜間のドライブで見るのは車のヘッドライトの反射だったりするらしい。

でも、何だったんだろうな、昨夜のオレンジ色の光の編隊。 不思議。

そういえば、子供の頃、夕方、空を見ていると怪しげな物体が飛んでいるのを見たことがあった。 いそいで母親に報告に行ったのだが、

「UFO? そう、よかったわね。 で、宿題は終わったの?」 という返答だった。

UFOの目撃情報よりは、宿題のほうが重要であるという教訓を得た大切な瞬間である。 

さて、宿題をしなくてもよい年代の私。 最後の光が雲に隠れると、

「あーあ、見えなくなっちゃった。 じゃ、ワインでも開けますか?」 と友人と酒盛りに入った。

大人になった今、UFOよりはワインのほうが重要である人生を送っている。

PS.Youtubue で検索すると、 UFO Fleet という所にたくさん映像があった。 「やはり、UFOの編隊だったか・・・」 と思っていると、その後、 Chinese Lantern の項目があり、願い事をこめて空に放つ提灯(?)がUFOと勘違いされる、とのこと。 ちっ、UFOでなかったのか・・・。

投稿者 lib : 11:15 AM | コメント (0)

August 27, 2011

Realism

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吉村昭さんの”三陸海岸大津波”が好評だそうな。氏の小説はみな読
んだと思っていたが漏れていた。東京の書店で平積みの一冊を入手、
うわさどおり素晴らしい。その最初の一行から最終行までの組み立て、
乾いた文体。最近、日経新聞のコラムで、文芸春秋社が臨時・吉村昭
特集号を出版したこと、さらに同誌の広告で生前の氏の講演会CDが
発売されていることを知った。両者、どうにか手に入れねば末代まで
の恥。

敬愛する歴史小説家のみなさんは、おおかた死んでしもうた。寂しい
かぎりである。ご存命であったら、こんにちの我々をとりまく経済状
況、政治のことなど、どう考えどう表現されるであろうか、などと儚
き事を思う。彼・彼女らは共通して、事実・史実の重要性を説き、そ
こから逃避したくなる感情がどう危険につながるかということを、ペ
ンでもって、静かに、そしてドライにあらわし続けてこられた。

現在イタリアで精力的に執筆活動されている塩野七生さんは、200
0年前のシーザーに語ってもらうことで、事実を直視することの有用
さを執拗に説き続けてくれる。
libenter homines id quod volunt credunt.
人は自分の見たいものしか見ない

司馬遼太郎さんの作品群の中で、僕にとっての最傑作は'坂の上の雲'
である。そのひとつ、1905年、日本海海戦で完璧な勝利という結
果で一大仕事を終えた後に、上村艦長だったか佐藤参謀か忘れたが、
どうしてこれほどまでに勝てたのかと問われると、半分は運であろう
と仰る。では残りは、と問われると、それもまあ運であろうと。では
全部が運ではないですかと問われるや、いや、最初のは純粋な運であ
り、残りは自らが切り開いたところの運であると。

さて、日本海海戦で、さほどまでの完璧な勝負がついていなかったら
どうであったかという愚問をひとつ。両艦隊は、おのおの敵の半分程
のフネを撃沈し、敵艦隊の半分はウラジオストックにたどり着く、即
ち最悪でも互角あたりであろうか。佐藤・秋山参謀は、残存日本聯合
艦隊の総力を挙げてウラジオストック周辺を固めるべしとのPlan-B は、
無論準備していたであろう。この時点で両海軍の極東におけるリソー
スは五分五分。しかし、当時の日本外交力は、その史上最も輝いてい
た。ウラジオ閉塞、ロシア危うし、陸戦はまあそこそこに宣伝し(苦
笑)、更なる戦費を海外で調達、長距離砲をもつ巡洋艦などをどこぞ
で買い付け、明石大佐に更なる金を委ね、欧州での後方攪乱を更に進
めたことであろう。そして、史実よりはもう少々時間は掛かったやも
しれぬが、米国大統領に国際的名誉の行司役をお願いし、結局はその
国難を解決せしめたのではなかろうか。

完璧な戦略を立案した日本海軍だが、実際にいくさを始めてみると、
触雷などの、多分に自らが作ってしまった事実・悪運を何度か味わう。
彼らの強さは、事実をその判断基準の極上に置くことにあり、後年の
昭和期軍隊とはまるで別国家の組織のようである。見たくない現実を、
東郷司令長官自らが、その地位においては異常と思われるほど貪欲に
欲し、直視し、アクセプトする。悪しきは直し、弱点の強化を続けた。
短いながらも、この素心を持ち続けた運動の頂点に、日本海決戦の二
日間がぽつんと置かれる。勝つわけである。この二日間、その戦略か
らも予想しえないほど、各個の戦術が自軍に都合よく働いた。結果、
そもそも自我自賛を良しとせぬ当時の軍人達に、”運”という表現を
促すことになったのではないか。それはファクトの重みを知るものの
みが使うべき表現であって、見たいものしか見ない者がむやみに使え
るものではない。

この戦勝がもたらしたものは、残念ながら厳しいものとなった。政府
広報や新聞社という、事実をもっとも直視すべき組織群が見たいもの
しか見ないをことをはじめてしまい、そして国民は一時的痴呆状態と
なる。明治憲法は、統帥権という、事実を直視する者を前提に置かれ
た微妙なところが、その反対の目しか持てない参謀本部の都合のみに
よる解釈に弄ばれ、大戦に突入せざるを得ない状況に達し、結果、一
国の憲法自体が壊滅した。司馬さんが生涯、その馬鹿ばかしさから、
氏の小説の対象からすっぽりと外してしまうような、失われた数十年
となる。

事実を直視することの有用さどころではない。一国のまつりごとを左
右する政治機能がこれを軽視すると、3.11の100倍以上の死者を作り
上げる事態になるという、重い史実である。

投稿者 lib : 09:31 PM | コメント (0)

August 16, 2011

Initiation

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怒涛のテスト期間、採点、成績付けも終わり、無事に夏休み突入、、、。

と思っていたら、もう8月も半ばじゃないですか!

というわけで、普段出来ないことをやってみつつ、気持ちは既に9月に向かっております。

なぜなら、来年度(つまり9月からの新学年)は私にとって新たなチャレンジの年になるからです。

まず、私が新任として働いたときからずっと一緒の同僚Mが二度目の産休。それに伴い、ジョブシェアで一緒にやってきた学科主任の仕事が私一人の責任に。

そして、3年前から副教頭、そして歴史教諭として一緒に働いていた同僚Vがなんとケニアの学校へ副校長として移ることに。

つまり、歴史の専任教師が私一人に。でも、それでは歴史の授業をカバーしきれないので、一年契約で一人フルタイム採用が決まったものの彼女は教師一人目。

彼女はマーケティングの分野で10年経験を積んでからの転職なので、社会人としてはもちろん先輩。色々な経験を経て教師になる人はこの国では多いのでこれ自体は不思議ではないのですが、ちょっと不思議な感覚です。

さらに、、、去年、いろいろなことがあって自分の教師としての価値が見失いそうになっていた私が、9月からはなんと7年生から上は12年生まで、つまり全学年教えることになり、授業数も増えます。10年生11年生はGCSE、12年生はA-levelといって全部受験のためのクラスですから責任は重大です。

まぁ、去年はsabbatical (安息期間)に近かったんですけど。おかげで9年生の教材作りに時間を割けて良かったのですが、教えることそのもののチャレンジは少なかったので、9月からはそれから180度変わります。歴史好きがたくさん試験クラスに入ってくれたようなので試験対策はもちろんしなければですが、その子たちの純粋な興味を押しつぶさないような授業をしたいものです。

極めつけはたぶん春学期にやってくるOfsted(政府の学校監査)。3年前の学校の異様な雰囲気を思い出します。今回はそうでないといいのですが。今週・来週と発表されるGCSE&A-levelの試験結果によってずいぶんとプレッシャーも変わるので今からドキドキです。

こういうわけでして、今月は羽を伸ばしつつも9月からの長期計画を練っています。新任の先生にもわかりやすく指示を出す必要があるので、マニュアル作りのようなもの。

そして、毎年恒例(?)の私のオリジナル手帳作り。手帳といっても、要は自分の時間割表と簡単な授業計画表、行事予定表を合体させたものです。受け持つクラスが多いとどのクラスがどの範囲まで進んだのか、宿題は何が出されていつ提出期限なのかなど、かなり混乱します。それプラス授業以外の予定を書き留められるようにしたもので、これを印刷してリングバインダーに挿入して使っています。

普通、Teacher’s plannerは学校が既製のものを用意してくれるのですが、2年目くらいから同僚からヒントを得て自分で作るようになりました。学期が始まると手放せない私の相棒です。今はスマートフォンもあるし、自分のネットブックに記録すればいいんですけど、どうも予定表だけは紙媒体じゃないと落ち着かなくて。

そして、何よりもこれを用意することがいつの間にか私の新学年開始前の通過儀礼になっていたのです。これをやらないと自分の中で新学年がスタートしない。

一枚の紙に自分の受け持ちクラスを自分で打ち出すと、色々見えてくるのです。自分が受け持つクラスが一週間の中で何曜日なのか何時間目なのか、そしてどの学年なのかによって授業のダイナミズムも変わります。不思議と事務の人がコピーしてくれる時間割表とは似て非なるものになります。

さっそく仕上げた来年度の時間割表。うちは二週間で一巡りするTwo-week timetableといわれる時間割なのですが、9月からは両方の週の金曜日5,6時間目が9年生の授業を担当することに。

9年生は一番難しいといわれる学年なのでこれは、正直かなりの貧乏くじであります(汗)

、、、金曜日までにエネルギーを消耗しすぎないようにテンション上げて頑張らないと。

生き残りをかけた戦いが始まる、、、?!

投稿者 lib : 04:32 PM | コメント (2)