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August 27, 2011

Realism

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吉村昭さんの”三陸海岸大津波”が好評だそうな。氏の小説はみな読
んだと思っていたが漏れていた。東京の書店で平積みの一冊を入手、
うわさどおり素晴らしい。その最初の一行から最終行までの組み立て、
乾いた文体。最近、日経新聞のコラムで、文芸春秋社が臨時・吉村昭
特集号を出版したこと、さらに同誌の広告で生前の氏の講演会CDが
発売されていることを知った。両者、どうにか手に入れねば末代まで
の恥。

敬愛する歴史小説家のみなさんは、おおかた死んでしもうた。寂しい
かぎりである。ご存命であったら、こんにちの我々をとりまく経済状
況、政治のことなど、どう考えどう表現されるであろうか、などと儚
き事を思う。彼・彼女らは共通して、事実・史実の重要性を説き、そ
こから逃避したくなる感情がどう危険につながるかということを、ペ
ンでもって、静かに、そしてドライにあらわし続けてこられた。

現在イタリアで精力的に執筆活動されている塩野七生さんは、200
0年前のシーザーに語ってもらうことで、事実を直視することの有用
さを執拗に説き続けてくれる。
libenter homines id quod volunt credunt.
人は自分の見たいものしか見ない

司馬遼太郎さんの作品群の中で、僕にとっての最傑作は'坂の上の雲'
である。そのひとつ、1905年、日本海海戦で完璧な勝利という結
果で一大仕事を終えた後に、上村艦長だったか佐藤参謀か忘れたが、
どうしてこれほどまでに勝てたのかと問われると、半分は運であろう
と仰る。では残りは、と問われると、それもまあ運であろうと。では
全部が運ではないですかと問われるや、いや、最初のは純粋な運であ
り、残りは自らが切り開いたところの運であると。

さて、日本海海戦で、さほどまでの完璧な勝負がついていなかったら
どうであったかという愚問をひとつ。両艦隊は、おのおの敵の半分程
のフネを撃沈し、敵艦隊の半分はウラジオストックにたどり着く、即
ち最悪でも互角あたりであろうか。佐藤・秋山参謀は、残存日本聯合
艦隊の総力を挙げてウラジオストック周辺を固めるべしとのPlan-B は、
無論準備していたであろう。この時点で両海軍の極東におけるリソー
スは五分五分。しかし、当時の日本外交力は、その史上最も輝いてい
た。ウラジオ閉塞、ロシア危うし、陸戦はまあそこそこに宣伝し(苦
笑)、更なる戦費を海外で調達、長距離砲をもつ巡洋艦などをどこぞ
で買い付け、明石大佐に更なる金を委ね、欧州での後方攪乱を更に進
めたことであろう。そして、史実よりはもう少々時間は掛かったやも
しれぬが、米国大統領に国際的名誉の行司役をお願いし、結局はその
国難を解決せしめたのではなかろうか。

完璧な戦略を立案した日本海軍だが、実際にいくさを始めてみると、
触雷などの、多分に自らが作ってしまった事実・悪運を何度か味わう。
彼らの強さは、事実をその判断基準の極上に置くことにあり、後年の
昭和期軍隊とはまるで別国家の組織のようである。見たくない現実を、
東郷司令長官自らが、その地位においては異常と思われるほど貪欲に
欲し、直視し、アクセプトする。悪しきは直し、弱点の強化を続けた。
短いながらも、この素心を持ち続けた運動の頂点に、日本海決戦の二
日間がぽつんと置かれる。勝つわけである。この二日間、その戦略か
らも予想しえないほど、各個の戦術が自軍に都合よく働いた。結果、
そもそも自我自賛を良しとせぬ当時の軍人達に、”運”という表現を
促すことになったのではないか。それはファクトの重みを知るものの
みが使うべき表現であって、見たいものしか見ない者がむやみに使え
るものではない。

この戦勝がもたらしたものは、残念ながら厳しいものとなった。政府
広報や新聞社という、事実をもっとも直視すべき組織群が見たいもの
しか見ないをことをはじめてしまい、そして国民は一時的痴呆状態と
なる。明治憲法は、統帥権という、事実を直視する者を前提に置かれ
た微妙なところが、その反対の目しか持てない参謀本部の都合のみに
よる解釈に弄ばれ、大戦に突入せざるを得ない状況に達し、結果、一
国の憲法自体が壊滅した。司馬さんが生涯、その馬鹿ばかしさから、
氏の小説の対象からすっぽりと外してしまうような、失われた数十年
となる。

事実を直視することの有用さどころではない。一国のまつりごとを左
右する政治機能がこれを軽視すると、3.11の100倍以上の死者を作り
上げる事態になるという、重い史実である。

投稿者 lib : August 27, 2011 09:31 PM

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