« August 2005 | メイン | October 2005 »
September 29, 2005
産後の入院 その2 出産初夜
しばらく授乳すると、息子は眠りについた。
やれやれと、新生児用のベッドに戻そうとすると、私の手を離れた途端、大きな声で泣き出した。
あわてて再び抱き寄せると、泣き止んだ。
抱いたまま寝るしかないらしい。とりあえず横になろうとベッドの、角度を「元に戻す」ボタンを押した。
動かない。
何度押しても、ベッドは水平に戻ってくれなかった。試しに逆のボタンを押してみると、なぜかこちらは大丈夫でベッドの角度は更に急になってしまった。あわててボタンから指を離した。
さて、どうしよう。ナースコールのボタンを押した。
先ほどの中国系のナースがにこにこしながら、どうしたの?と言って入って来た。
訳を話すと、彼女もボタンを押したり、ベッドを押してみたりと悪戦苦闘してくれたが、やはりうんともすんとも言わない。彼女もやはり逆のボタンを押してベッドは更に急角度に・・・。
「・・・・・もういいです・・・・。今夜はこのまま寝ます・・・・・」
と言うわけで、子供を胸に抱いたまま、上半身を45度起こした姿勢で過ごした私の出産後初夜だった。うつらうつらしながら、日本に帰る時の飛行機の中途半端なリクライニングを思い出した。かと思えば、フラッシュバックのように出産の時の風景が蘇ったりもした。たまに息子がぐずったり、おとなりさんの赤ちゃんが泣いたりした。結局は、ベッドがどうであろうが、興奮で眠れなかったかもしれない。
まんじりともせず夜を明かした私は、病室の窓がしらじらと明るくなるのを見ながら改めて感動していた。
ミッドワイフが使えなかろうが、病院の機器が古かろうが、病院のメシがまずかろうが、今、私の腕の中で奇跡の様にすやすやと眠っている我が子。
生まれてくれて、本当にありがとう。
September 28, 2005
中田ボルトンデビュー!
9月15日に、中田英寿が絶妙な決勝ゴールのアシストでボルトンワンダラーズでのデビューを果たした。
そのUEFA CUPでの試合ではチームメイトがまだ彼を認めていない
のだろうか、積極的に動いていたにもかかわらずパスを受ける機会が少なかった。その状況での勝利への貢献。レアルマドリッドに移籍したばかりのベッカムが国立でJチームを相手にスライディングまでしてボールを追いかけている姿を思い出した。トップ選手でさえチームメイトに溶け込むためには必死なのだ。
ダイアモンドサッカーを観て育った私にとってイングランドで生活するなんて夢にも思わなかった。ここでは毎週スピーディーな展開の"Show"が行われる。
中田もこの地でFootballを満喫するのだろう。私も堪能したい。
しかし、17日 チャールトン-チェルシー戦のクレスポのヘディングシュートは凄かった!!
中田プレミアリーグ初先発
ケガ人がいてチャンスが巡って来たとはいえその時の為に万全の準備をしていなければならない。どのような状況下でもモチベーションを維持し続け試合に出たら集中する。これが彼らの仕事。
24日ポーツマス戦では初先発フル出場を果たし良いパスを供給していた。(得点に結びついてもおかしくない程のパスもあった。)アラーダイス監督の評価も上がっているらしい。
しかし中田がパスでチャンスをつくれたという事は彼にボールが回り始めている証拠、チームメイトからも信頼を得てきているのだろう。きっとフィオレンティーナ時代に忘れかけていた試合感も戻ってきているはず。今後がますます楽しみだ。
それにしてもチェルシー強し、開幕7連勝!
September 23, 2005
イギリス人の同僚 その2
声というものは職場環境においても、なかなか重要なファクターを占めていると思う。
同僚の男の子にかなりの線をいっているハンサムな子がいる。オーランド・ブルーム似のナイーブな青年風。細身の長身。もちろんシティの制服、きりりとしたダークスーツ。廊下ですれちがうと、「やあ」なんてかわいい笑顔を見せてくれる。たぶん二十三、四歳。
が、しかし、こいつの声が問題なのだ。
身体のどこかが破れていて、空気が漏れているんじゃないかというくらいフニャフニャ、スカスカした声である。徹夜をして、やっと眠りについたと思ったら、電話がかかってきて起こされた、なんて状況のときに、こんな声が出るかもしれない。
一時期、彼のデスクの真後ろに席があったことがある。
クライアントと話すその声を聞いていると、ずいぶん不安になったものだ。こんなやる気のない声の奴とビジネス取引をする人間がいるなんて信じられないとまで思った。
このセクションのチームセクレタリーの女の子もすごかった。
二十歳くらいだったのだが、舌足らずの子供しゃべり。この声には聞き覚えがある。そうだ、サザエさんにでてくるタラちゃんの声だ。もちろん英語版だが。
この二人が打ち合わせをしている横にいると死にそうな気分になった。
夜明けの寝ぼけ声男、対、タラちゃん。
スカスカ声が冗談を言い、タラちゃんがケケケケ、なんて声で笑うと、もう、こんなところで働きたくない。このままヒースロー空港まで行って、日本に帰ってしまおうと何度思ったことかわからない。
ここまで脱力感を誘う声の組み合わせはなかなかあるものではない。
逆の例もある。
別のセクションにシルバーヘアのマネージャーが入社してきた。
私の厳しい審美眼にも耐えるなかなか素敵なルックスだ。
グループごと別会社に引き抜かれるのはよくあることで、さささ、と周りのデスクの配置替えがあったかと思うと、彼が引き連れてきた部下が数名そこで働き始めた。
早速、ランチタイムにウエルカム・パーティが開かれる。
こうやって、理由をつけては飲み会になるのは日本もイギリスも同じ。
ま、とりあえずご挨拶、ご挨拶。で、ワインを片手にすり寄っていった。
「我が社に、ようこそ」
「これから、よろしくお願いしますね」
きゃー、かっこいい。
低音の渋い声。いっぺんにファンになってしまった。お育ちもいいらしく、物腰も優雅で丁寧。
ランチタイムの軽いパーティなのに、興奮したせいか酔いが回ってしまい、午後から仕事にならず、
「もう帰っていいよ。電車を乗り過ごさないようにね。また明日」
とボスから4時にはお帰りの許可を貰った私だった。
情けない。
September 14, 2005
クリケット
最近、Ashesというクリケットの大きなあり、同僚達がえらく盛り上がっていました。勤務中でも、職場内のテレビを付けて、それを見ながら仕事をしており、打ち合わせもわざわざテレビの前のテーブルで行うほどです。
私には未だにこのクリケットというスポーツがよく理解できず、同僚達との会話に加わることができません。南アフリカから来ている同僚も、イギリス人達とクリケットの話題で談笑しているというのに、私だけ疎外感を味わっています。ゲームのルール自体は、非常におおまかにですが人に説明してもらって、何となく理解できるのですが、プレイのツボというか、楽しみ方が今ひとつよくわからないのです。
そもそも、一試合に5日間もかかることからして異常なのに、一日の内でも、昼食休憩などはさんでやっているスポーツは他にないのではないでしょうか。まだ、サッカーのように1時間半程度で終わるのであれば、観戦しようという気にもなりますが、まる一日試合を眺めているなどというのは、よほど暇な人でないとできないのではないでしょうか。クリケットは野球の元祖だといわれますが、野球に比べて、ピッチャー(らしき人)の投球もワンバウンドで、打球もボテボテのゴロが基本なので、今一見ていて爽快感がありません。もちろん、分る人にはその楽しみが分るのでしょうが。
そして、火曜日には、オーストラリアに勝ったイングランドのチームがトラファルガー広場でパレードをしていました。私の職場の同僚の多くも、わざわざ昼休みに抜け出して見に行っていたようです。このゲームでオーストラリアに勝つのが20年ぶりぐらいの快挙らしいのですが、そもそも、本家本元なのにそこまで負け続けていること自体が問題なのではないかと思ってしまいます。
イギリスには他にも妙なスポーツがたくさんあります。旧植民地の諸国が集って行う「コモンウェルス・ゲームズ」という大会があります。スヌーカー(ビリヤード)とか、ダーツとか、イギリス式のボウリングとか、ちまちまとした競技が多いのですが、テレビできちんと中継しており、しかも観客まで大勢詰め掛けています。
しかし、スポーツというのもその国の文化のひとつであり、それを理解することがその国と人々をよく知るためには必要なことなのかもしれません。仮に日本に駐在している外国人が、「昨日の阪神は強かったな」とか、「朝青龍に土がついたね」とか話しかけてきたら、一挙に親近感が増すことでしょう。
とりあえず私も、帰国するまでに、クリケットが面白いと思えるぐらいにイギリス通になれるよう努力したいと思います。
September 11, 2005
産後の入院 その1
無事に出産が終わり、私はシャワーを浴びると、ジュリに病室に案内された。
「ちょうど二人部屋が空いているからそこに入れてあげるわ。大部屋だといつも誰かの赤ちゃんが泣いているし、落ち着かないからね。」本当にいい人だ。
病室勤務のナースとバトンタッチし、「じゃあこれで。私は夜勤だから明日の朝は会わないかもしれないけど・・・」と言い部屋を去ろうとするジュリに、私は百万回でも頭を下げたい気分だった。この人のおかげで母子共に元気に出産ができたのだ。
今度の担当のナースは中国系の人だった。と、だしぬけに「あなたは母乳?それとも粉ミルク?」と聞かれた。
また「あなた次第」だな、と思った。私は今まで、母乳が出るなら母乳で育て、粉ミルクは出ない場合や補足のために使うものだと思っていたが、この国ではどちらで育てるかは、母親が最初に「決定」するものらしい。そういえば病院のあちらこちらに「母乳で育てましょう」というキャッチフレーズのポスターやリーフレットを見かけたが、母乳が出るにも関わらず粉ミルク育児を選択する人が多いということだろうか。
とりあえず「母乳で育てます」と答えた。
赤ん坊は隣の透明なプラスティックのケースの中ですやすやと寝むっている。時刻は夜の12時頃だっただろう。そういえば昨晩は陣痛のため、殆ど寝られなかった。やれやれ、これで少しゆっくりできる。私もベッドに横たわった。
が。
私の試練はまだ終わらなかった。
ほどなくして赤ん坊が泣き出した。おろおろしていると、先ほどのナースがやってきて「私が見ていてあげるから、少し休みなさい。」と赤ん坊を抱き上げて、病室の外に連れ出してくれた。彼女が天使に見えた。
ほっとして、再びベッドに横たわる。
が。
世間はそれほど甘くはなかった。
うとうとしかけた頃、ナースが赤ん坊を連れて戻ってきた。少しぐずっているようだ。「お腹がすいているわ。こればっかりはマミーじゃないとできないから。」
しまった。さっき、「粉ミルクで」と答えておけば、そのまま面倒をみてくれていたのだろうか。しかし後悔してももう遅い。私は慣れない手つきで、赤ん坊に授乳し始めた。
ナースは部屋を出て行ってしまった。赤ん坊は一応おっぱいをくわえているが、母乳が出ているのか出ていないのかも分からないし、どうもコツが分からない。ふと見ると、ベッドの横にいくつのボタンのついたボードがついている。
これでベッドの上半分の角度を調節できるらしい。試しにボタンを押すと、グイーンと低い音を出しながら、ベッドが私の上半身と共にゆっくりと持ち上がった。
45度の位置で止めて再び授乳してみると、なかなか快適でいい感じだ。なんだ、ヴィクトリアンどころか、割と近代的じゃない。乳飲み子におっぱいをあげる自分の図に酔いながら、私は「母」になった実感を味わった。
が。
誤算だった。この後も、試練は続くのであった。(続く)
September 08, 2005
通勤電車
郊外の町に住んでいる。シティにある会社まで通勤時間は約1時間だ。
毎朝、同じ時間の電車を待つ、同じ顔ぶれがロンドン方面行きのプラットフォームに並ぶ。
この顔ぶれの中には数軒先に住む男の人がいるのだが、何年もの間、家から駅まで同じ道のりを同時刻に歩きながらも挨拶をしたことはなかった。誰かの紹介がないと、お近づきにはならないという、イギリスの典型的な人間関係である。
が、この人の奥さんが異様にフレンドリーな人で、ある日、通りかかった見知らぬ私に急に話しかけてきた。天気がどうの、という話だったが、適当におしゃべりをした。
と、翌日から急にその人から朝の挨拶をされるようになったのだ。
妻の友達(?)なら、僕の友達(?)ということらしい。ただし、長い会話をするまでには至っていない。もちろん名前も知らないままである。
私が「タイムスの君」と呼んでいるのはロマンスグレー(死語)の男の人だ。端整な顔をして、長身のスーツ姿の品のいいイギリス紳士。なかなか素敵なおじさんである。語源の通り、いつも新聞はタイムス。
一度だけ、奥さんらしい女性と一緒に立っていた。若くはないが、エレガントな美人。なかなかお似合いのカップルだ。
少し年上ながら、心ひそかに憧れているのだが、映画のように何かのきっかけで話を始める・・・なんてことは起こらないだろう。だいたい一度も声を聞いたことがない。話してみれば、渋いハンサムな顔からは想像もつかない妙に甲高い声だったりして、百年の恋も覚める可能性もある。これはこのまま、そっとしておくのがいいに違いない。
古着屋「チャリティショップの女王」なのは、白髪のボサボサ頭にベレー帽をかぶっている女の人だ。年齢不詳の雰囲気だが、とりあえず50歳の半ばくらいか。色々な服を着てくるが、いつも着古された10年以上も流行遅れのものばかり。
よれよれのコートはあちこちのボタンが取れたままなのに平気。真っ黒に汚れた「白のエナメル」のバックはファスナーが壊れて全開だが、ここ3年くらい、このバックをご愛用されている。履いている靴は例外なく、すべて踵がつぶれている。
毎日、電車に乗ってくるから、どこかで働いているのだろうと思うのだが、どうしてここまで貧乏臭いのか?
帰り道で見かけたことがある。チャリティショップの中の品物を真剣な表情で物色していた。できれば早く新しいバックを買って欲しい。
さて、私はどう思われているのだろう?
私は毎日、朝シャンをするのだが、髪を乾かさずにそのまま出勤する。ドライヤーを使うと熱風で髪が傷むと信じているからだ。ま、時間がないせいもある。1時間後に会社に着く迄には乾いているのだが、プラットフォームに立つ頃はまだしっかり濡れている。
これは真冬も同じ。
(あのオリエンタルの女、冬でも濡れた髪で吹きさらしのプラットフォームに立っている。風邪をひかないのだろうか? 見ているだけで、こちらまで寒くなる。せめて冬の間だけでも、髪を乾かしてくれたらいいのに)
きっと、そう思われているに違いない。
続く
September 01, 2005
夏も終わりに
早くも夏が終わろうとしています。今年の夏は、一昨年と同様に猛暑になるなどと予報されていましたが、結局本格的な暑さを迎えることは最後までありませんでした。これに対して日本では、ただでさえ暑い夏が今年は例年にも増してひどく、「クールビズ」なる軽装がはやっているとのことです。この「クールビズ」というのもいかにも日本的な風習です。そもそも、日本のような高温多湿な国で、真夏に背広を着てネクタイを締めるのは合理的でないというのは誰もがわかっていながら、我慢して正装を維持していました。それが、総理の一声でお墨付きが出ると、とたんに皆がネクタイを外し出し、今度はそれが当たり前になります。「赤信号皆で渡れば怖くない」という名言?もあるように、なかなか人と違うことをしにくい日本の社会では、やはり偉い人が率先してやらないと物事が変わらないのかもしれません。
イギリスの職場では服装もまちまちです。特に「カジュアル・フライデー」などでなくとも、普段着の人も多く、夏はTシャツと短パンなどという姿も見かけます。もっとも、日本の官庁の職場でも、冷房の切れた後の長い残業はこうした格好で行うこともありましたが、正規の勤務時間中(5時45分まで)は一応ちゃんとスーツを着るという暗黙の了解のようなものがありました。誰がチェックするわけでもないし、そもそも正規の終業時間など実質的には無意味であるにも関わらず、こうした「ルール」を守ってしまうのが面白いところです。
イギリスでは逆に、休暇シーズン中の閑散とした職場の中でも、常にきちんと正装した紳士然とした人もいます。真夏でも、ちょっと雨が降り涼しいと、冬物のコートなど引っ張り出して着ている人がいるかと思えば、凍えそうな冬の日に半袖のシャツで平然と歩いている者もいます(この場合、慣習というより、そもそも体の造りが違うように思いますが)。それぞれの人が他人の目を気にせず好き勝手な服装をし、また誰も他人の格好を気にとめないこの国のファッションは、よくも悪くも個人主義を象徴しているのかもしれません。
いずれにしても、駐在員としてイギリスで勤務する最大の喜びは、あの日本の暑い夏を回避できることでしょう。日本に帰ったときに、新居でまず行わなければならないことは、家具を買うよりも何も、冷房を取り付けることですから・・・