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December 31, 2011
New Year's Eve
大晦日の朝は少し二日酔いと少しの寝坊、子供達に起こされ、近所の
Battersea Park Children's Zooで猿やら豚を見学したが、彼らはその
後、play area でそのまま豚か猿と化していた。砂だらけで濡れた服を取
り替えてから、昼食はこれまた近所の Cho-san にて。カツ重が美味かっ
た。
午後はゆっくり家でシャンペインをいただきながら、日本のTV番組、
ゆく年くる年をリアルタイムで観た。今年の春先、面白い仕掛けを作っ
てみた。日本のテレビ番組をUKで楽しむというものである。日本のど
こかにPCを置き、テレビのアンテナ・チューナーを接続し、UKから
(または世界どこでも)インターネット経由でこれをダウンロードした
り、リアルタイムのストリームで観るというものである。事業ではなく、
個人が番組を楽しむ分には、今の法律はそう煩いことは言わぬ。当仕掛
けでは、日本でのTV受信PCは函館市に存在している。この為、東京
で見れる番組が、たまに番組表に無い、というマイナーな問題があるが
(日曜の時事放談など・・・)、家の者たちにとって、無くてはならぬ
ものとなっている。しかるに、家人達に唯一褒められるのは、IT(情
報技術)に強い、ということであるが、それは30年来の僕のビジネス
である。弱いというわけには参らず、なんとも情けないことではある。
12月は、我が家ではどちらかといえば凶である。僕は、患者として病
院のベッドで一晩でも過ごすということが皆無である運を持つが、4歳
の長男は既に2度それを経験している。それらがどちらも12月。二度
と起こって欲しくないイベントだった。そもそも、4年前のクリスマス
前後に生まれてくるべきだった彼は、その時期を嫌ったか、7週早く1
1月上旬に出生の日を定めた。そんなこともあり、12月に入るや警戒
レベルをイエローに引き上げ、そろりと師走を過ごしてきた。おかげさ
まで、あと1時間で無事12月も終了だ、ありがたや。TVはBBCあ
たりに切り替え、寝酒のポートワインと共に、恒例のNew Yearどんちゃ
ん花火を楽しもう。
December 30, 2011
Governance
他方のスキャンダルだが、こちらはそう簡単ではない。
最近のニュースでは、旧トップが事の了承を認めたとある。それ以前
には、関与を否定したとあった。組織のトップが、これほどの粉飾を、
自分の知らぬところであったと発言することは、自らが、その資格停
止を宣言すると同じであろう。知らぬところで発生した、だからトッ
プとしては責任は軽い、という考えでの発言なのであれば、それは驚
かざるを得ない。部下や社員の皆さんには、まことに気の毒なことで
ある。
たたき上げで社長まで登りつめたということは、無論大きな功績を何
度も上げてきた、戦略も実行力も優れた方であろう。どういう気持ち
で数年IRを実施してきたのであろうか、心中穏やかではなかったで
あろうが、その行く末に、子供だましのような発言と共に、社長9年
間、70歳で刑事事件の中心人物となってしまう。なんとも言えぬ、
あまり聞きたくないストーリーである。名こそ惜しけれ。
城山三郎氏は、企業のトップ、長くても6年がよろしい、と。一般論
を引き出すのは少々荒っぽいとは思うけれども、大いにうなずいてし
まう、さすがのご識見。大企業のような多くの人材を持たぬ中小企業
では、相当な難しさはある。実際はさておき、それでもポリシーとし
ては、起業当初から持ち続ける事に意義はあるはずだ。なにしろ、世
代交代も視野にいれ、うん十年単位での持続性をポリシーとして持ち
続ける者にとって、順法は、これ最低限。一時的な非営業利益の為の
無用なリスクは取り得ない。
December 22, 2011
Governance
僕の名前は吉田卓弘と書く。父親は国語の教諭であり、次男のはちょ
いとひねってやれと思ったのであろうか、[たく]ではなく、 [たか]ひ
ろと無理やり読ませた。僕と同じ綴りのTakahiro Yoshidaさんにめぐ
り合ってはいないが、数ヶ月前、全く同じ綴りの方、但し随分若そう
な方から、僕のFacebook にリクエストが来た。どうしたものかと思っ
たが、面白そうだったので Accept した。その後、何が起こるでもな
く、メッセージも来ないし、整理のついでに消去したが、先方も単に
なにかあるかもしれないと思ってリクエストしたものであろうか。ち
なみに、Facebookはそれを知る為にアカウントを作った。月に何度か
思い出してはアクセスする程度である。毎日数時間を費やす若者がい
るそうだ。何が面白いのやらとんと分からぬが、こうした新媒体は次
々と出現するのであろう。企業がこれらをすばやく勉強し、PRの新手
段として取り組まねばならぬのは明白であることはよく分かるが。
2年前、長女の名前を決めなければならなかった。その読み音(即ち
英語表記にもなるが)は、わりとすんなりと決めたが、日本語での書
き表記に悩み、結局2文字のカタカナのままで大使館に登記した。僕
の祖母は明治生まれで、[コト]という、なんとも可愛らしい名前だっ
たが、その体系。良い漢字が見つかったら、変更すればよろし。と思
っていたが、これを彼女の祖父、即ち僕の父親に伝えたところ、名を
変更するのは、相当な理由がないと無理であろうという。知らなかっ
た。長女が将来、どの国で永く住むことになるものか、見当もつかぬ
が、それが日本であった場合には、名について多少珍しがられるであ
ろう。父親に似て字が下手だったら、カタカナで計4画というシンプ
ルさが襤褸隠しにはなるかもしれないけど。
まあ、名前なんぞは背番号みたいなもので、なんでもよいと思う。4
9番でも打つ人は打つであろう。数年前に長男ができたとき、画数云
々という事を言うてくれた人もあり、少々インターネットで勉強して
みた。苗字を変えるわけには参らぬから、さっそく尊敬する吉田茂や
吉田松陰の画数を調べたところ、ほぼ最悪の姓名判断結果であったに
て、考慮に値せず。結果、長男は英語で3文字、漢字では1文字、そ
の画数は3。数字を覚えるのに桁数は少ない方が容易であろうが、似
たようなものであろう。父親の勝手な視点では、気に入っている名で
はある。
さて、名こそ惜しけれ。無論、一個の人格を指しての惜しけれなので
あって、その名がトニーであってもタカヒロであっても、そんなこと
はどうでもよい。昔の日本の武士階級の人々が、男も女も子も、かく
仕事すべし、かく生きるべし、というポリシーを示したものである。
人の上に立つ人々の中にも、大いに勘違いしている輩、昔もかほどに
多かったのであろうか。すなわち、名と職位をあべこべに考える。職
位こそ惜しけれ、そして、惜しけれの意が180度反転している。肩
書きに恋々とし後世にゆずらぬ、地位を乱用して公の資産を私の資産
に移動する等々、話題に事欠かない。丹羽中国大使の受け売りだが、
そんなに地位が大事なのなら、毎朝たすきを肩にかけて、私はどこぞ
の社長であるとか、どこぞの元頭取だったと大書してモナコのカジノ
街あたりを歩けばよい。なにが面白いのだろう、全く分からぬ。
ガバナンスという単語を新聞などでよく目にする。カタカナで書いて
しまうと、日本のメディアの使い方からか、順法性を主に指すような
印象を受けるが、本来は広い範囲での”組織統治全般”にあると思う。
軍隊でいうと、”左翼がやばい、援護!”とトップが号令すれば、参
謀が、”中央後方転換、リスクはB”、”よしっ、やれっ”と、トッ
プの判断が前線の兵隊まで迅速かつ正確に行き渡り、かつ実施できる
組織のありようが、強いガバナンスの指すところだと思う。企業も同
様である。”ここ3ヶ月、事業Aは多少手抜きで良し、事業Bにフォー
カス!”。”世間に説明できぬような、ぬるいことはするな!”。トッ
プの意思が前線部隊まで、いかに効率よく正確に伝達され実施される
か。どうそれを計測して素早くPDCAを回すか。様々な組織論がトップ
の頭を悩ますわけであるが。
会社組織のガバナンスでは、取締役会がその組織を統治することが最
初の仕事。今話題になっているカジノファンが元会長だった会社組織
のガバナンスは、きっと平均以上の強さを備え、運用しているのだと
予想する。その一部事業の圧倒的シェアが物語っている。問題は、取
締役会自体を誰がどのように統治するか、というところにある。現代
の年一度の株主総会はワークしないことは事実が物語っている。社外
取締役とか委員会設置会社などという手段もあるが、これを決定す
るのはトップである。名こそ惜しけれという意思を欠いた者がトップ
に着くことから、こうした事件が発生するのだから、解決の本筋には
なれないだろう。日本男児の末席に位するもの、このような子供じみ
たスキャンダルを世界に発することは以後皆無としたい。第一歩とし
て、名なぞ惜しくないという人物を上場企業のトップに据えることを
日本国では断固違法とした、とはできないか。上場会社または売上ウ
ン十億以上の企業では、法律でもって世襲を禁止。優秀な2世だった
ら、他の会社でも出世し、会社や日本国の為に良き仕事をしてくれる
であろう。
December 12, 2011
Jet lag
1990年1月、はじめての欧州、ロンドン・ヒースロー空港行きJAL機に
乗っていた。前職でお世話になった会社への入社面接が目的だった。
当日のロンドンは記録的な大嵐。ひどい風でなかなか着陸できず、パ
リにリルートするかもしれないという機内アナウンスが日本語であっ
た。ちなみに当時、英語は全く解せない。空港上空で、滝のような急
降下・上昇を1時間半ほど執拗に繰り返し、飛行機というものは、か
ほどに残酷な揺れを持ってしても翼が折れないものかと、青い顔をし
ながら妙に関心していたが、暫くすると周りの乗客の女性・子供達の
悲鳴と共に、Terminal 3 に着陸した。 Landingの刹那、機内では乗客
の拍手が湧き、その後1分ほども続いた。
BTのロンドン電話網は嵐の影響でほぼ全滅だったのだが、お目当て
のオフィスに電話が通じないのは、初めてのUK公衆電話の操作ミス
かもしれないし、コインの入れ方がおかしかったのかもしれない、そ
もそもコインが間違っているのではないか、などという、まったく外
地で左右何がなんだかさっぱり分からぬ、という状況に陥った。なん
とか事前に教えてもらったとおり、のろのろ運転の地下鉄を乗り換え
したりして、シティーにある目的地の最寄駅に到着した。ここまで着
陸から3時間程はたっぷり経過していた。ビル名(ワールドトレード
センター)しか覚えていない。道を聞いても英語は分からん。地図も
なし。携帯電話が出現するには5年待たなければならない時代の大嵐
の夜である。目的地の隣のビルに入ってしまい(当時、ワールドトレー
ドセンターは二つのビルからなっていた)、その中を1時間もあちこ
ち歩いた末に、これは何か違うな、などと相当勘に頼った試行錯誤で
あった。O型というのは、予め地図も用意しない良い加減なのだが、
結局は何とか仕上げる、という能力は多少持っている。
勘を評価いただいたのか、その夜、社長さんにさっそく合格を頂
戴し、社員の皆さんにどこぞのイタリアン・レストランに連れて行っ
てもらったが、なにを食うたらよいものか、英語のメニューを将来の
同僚さん達に説明して貰い、なぜかウナギを頼んだが、半分喰ってあ
との半分はその場で寝ていたように記憶している。29歳の新入社員、
現地採用の日本人は僕が初めてだったそうだ。
初欧州の洗礼は、これだけでは終わらない。2泊後の帰路、飛行機が
故障して飛ばなかった。空港近辺のホテルで一泊となったが、これも
英語のアナウンスが多く、なんだか左右さっぱり分かん。金魚の糞を
実施、なんとか航空会社が手配したホテルに宿泊し、翌日午後のフラ
イトに乗ることができた。当時若かったが、それでも、わけのわから
んことにとにかく疲れた。東京のアパートに帰宅後、20時間ぶっ通
しで寝た。これ、運が良いか悪いかとなれば、初の欧州行きでこのよ
うな経験は、そう得られないであろうから、大吉。
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ロングホールによる時差ぼけというのは、歳をとると共に厳しくなる
と思っているが、そうでもない方々もおられる。東京から先ほど飛ん
でこられて来たこの年齢の方が、なぜこんなにお元気なのだろうとい
うケースは多々ある。残念ながら僕は前者の典型であり、最近では筋
肉痛と同様、3日目が一番きつい。夜、多少のワインを飲んでから遅
めに寝ても、夜中の2時、3時に目が覚める、というような程度のも
のではなく、完全なる覚醒である。是非も無く、うだうだ仕事をする。
その質は無論貧弱。漸く目が疲れてきた朝の5,6時位に2度寝に入
るが、その後2時間で出社の時間となる。これが完璧に晴れるまでに
は、まず1週間はかかる。ところが、その時点でそろそろ帰国となる
ので、逆の同じことが、今度はロンドンでまた起こる。
時差ぼけフリー、かつ超高速な移動手段を発明していただきたいなあ
と思う。酔うといつも同じ事を言出だすが、飲み相手も同様。大体は
地球に縦穴を空けてカプセルでシューっと、という現実性のない貧弱
かつ柔軟性の全く欠如した空想となる。昨年は11月に大雪の降った
ロンドンだが、今シーズンはまだ無い。とはいえ師走に入り、冷たい
風の強い日が続いている。皆様、風邪などめされぬように。
December 06, 2011
Kanji
長らく日本を離れて英国なんぞに住んでいると、東京出張の際にどう
しても気をつかう。タクシーのドアを自分で閉めてはいけない、相手
に酒を注がねばならぬ、リフトでは女性を背にして出たほうが無難等
々、意識をせねばならぬことが多々ある。電車で肩がぶつかったとき
に、反射的に sorry と言ってしまい、たいへん嫌な雰囲気をつくっ
てしまうことなどは、海外土着組の共通の課題であろう。日本で20
年生活している英国人の知人を持たぬが、一度、そのような人とゆる
りと酒でも酌み交わしたいものである。差すのを忘れるのは、無論僕
の方であろう。
気疲れなのか時差ぼけなのか、東京で飲むと普段より酔いがまわる。
心地よい睡眠をブレークされた時、それがタクシーの中であることを
理解するのに1秒かかった。2秒後には自分が何処にいるのかを忘れ、
"What did you say?"。3秒後にその失態に気付いたが、あとに戻れ
ずそのまま通し、Thank you といって下車した。乗ったときには”新
富町のなにがしホテルまで御願いします”と函館なまりの日本語であ
ったろう。運転手さんは狐につつまれたようであったろう、まったく
申し訳ないことをした。
こうした海外ボケ防止もあって、なるべく母国語の新聞や小説を読む
ように心がけている。いや、活字中毒ほどは行かぬまでもそれに近い。
成田空港で最新の文芸春秋を手にいれてからバスに乗りこみ、塩野さ
んのエッセイなどを夢中で読みながら、気がつくと一瞬にして都心に
入っている。至福の時間である。
読むぶんにはまず問題ない。プロの文章家の句読点の打ち方に文句を
つけたくなることもたまにはある。だが絶対的に漢字を書けなくなっ
てしまった。いま”一瞬”という単語を使ったが、ワープロのお世話
になっているだけであり、自分の手では書けるのは、”一”の方だけ
である。しかし、その回復とか勉強は、今時間を割けられる分野では
なく、当面は是非もなしと諦めている。壁に貼られた級友の作文かな
にかの流暢な文字をまのあたりにし、こらあかんと諦め、書き文字と
いうものは自分だけが後に記憶をたどれる程度で十分と、勝手に決心
したのは確か小学5年生の時だったと思う。その後幸運なことに、P
Cやワープロというものが出現し、僕の決心を裏付けてくれた・・・
とは思わないが、漢字を書けなくても、いまのところ大いなる不便は
ない。ないが、恥かしい思いをせねばならぬのが、結婚式とか、ホテ
ルのチェックインとか、公衆の面前で漢字を書かねばならぬ際である。
かくして僕にとって、やはり東京はある種の緊張を迫られる場所になっ
ている。