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March 17, 2005
職場の個人主義その2 ランチ <駐在員編>
日本と英国の職場の違いをまざまざと感じたのは、ランチタイムです。
日本の職場では、ランチは、職場の「シマ」で連れ立って食べに行くのが何故か慣わしでした。昼の適当な時間に、課長が「じゃあ、飯でも行くか」と声をかけると、課長補佐、係長、そして係員と、皆がさっと席を立ち、ぞろぞろとついて行きます。課長から声がかかるまでは、皆黙々と仕事をしており、勝手に席を立つ人はいません。皆で食べに行くことが暗黙の前提となっているのです。
ランチといっても、毎日、職場の3階にある、社員食堂です。そこで、並んで食べ物を買った後、皆で揃って座ります。職員の大半がここでランチを済ませるので、昼時は非常に混んでおり、5〜6人が一緒に座れる場所を探すのが一苦労です。周りを見回すと、他の同僚達が、同じように、課毎に固まって食べており、食堂に来ると組織図が一目でわかります。役人は食べるのが非常に速く、10分ぐらいで食べ終わってしまいます。役所に入りたての頃はこれに慣れず、周りの人が終わってもまだ食べ続けていると、後から先輩に、「課長を待たせるのは失礼だから気をつけるように」と注意されました。(これは、どこかの学生の部活ではなく、れっきとした中央官庁の話です。)そして、皆そろって職場に戻り、また黙々と仕事を続けます。
やがて自分がひとつのシマを率いる地位になると、昼食時に、部下が何か待っているような気配があります。自分が声をかけないと、彼等は昼食に行けないのだということに気付き、初めて自分が上司になったという実感がありました。しかし、自分がそういう立場に立ってみると、声をかけるタイミングも意外と難しいもので、部下(3人いました)が全員席に揃っており、かつ、皆、席を立てそうな状態であることを確認しないといけません。私は本来、独りで気の向いた時間・場所に食べに行く方が好きなので、そのうち、昼休みが始まると、部下に「自分達で昼食に行くように」と言い残してさっさと去るようになりました。
さて、日本の話が長くなりましたが、英国の職場ではこれと正反対で、誰もランチに行こうと声などかけてくれません。英国の職場でも、地階に食堂があります。折角なので、英国人の同僚とランチを通じて話でもしようと、声をかけてみても、「ご免、今忙しいから」と言って黙々と仕事を続けています。では、彼等は昼食はどうしているかというと、結構いい加減なものです。下の食堂で料理をテイクアウェイしてきて、それを自席で食べながら仕事をしている人も多いのですが、これならまだいい方で、家から持ってきたパンだけかじっていたり、りんごだけかじっていたり、極端な場合は全く昼食を取っていない人もいます。以前私の向かいの席に座っていた同僚は、毎日、クラッカーのようなパンを1袋と、パテの類を1パック持ってきて、それをひたすら塗って食べていました。一回の食事でパン1袋とパテ1パックを丸々消費していますから、お腹は一杯になると思いますが、私であればせいぜい一時にはパン1、2枚で飽きてしまいそうです。しかも彼は、そうした単調な食事を毎日続けているのです。(しかし、よく見ると、微妙にパンの種類と、塗り物の種類が違っているようです。)
私はやはり、日本人の典型として、昼も毎日、きちんと調理されたものを食べないと何となく気がすまないのですが、英国人の多くは、とにかく腹さえ一杯になれば(あるいはならなくても)気にしないようです。
もちろん、たまには同僚と共にランチをすることもあるのですが、その場合、わざわざ一週間ぐらい前からアポを取っておくのです。(それでも、食べる場所や職場内の食堂です。)
以前、英国でも、課長が音頭を取って、二週間に一度、「チームランチ」を設定し、皆で揃って食べにいくことを奨励しましたが、付いて行く同僚がほとんどおらず、課長と私の二人だけ、などということもしばしばありました。日本では、毎日、半強制参加の「チームランチ」だったのですが。
このような昼食の慣行にも、組織重視の日本人と、個人主義の英国人の違いが如実に表れているように思います。
March 14, 2005
結婚式 <主婦編>
日本で仲のよかった友達から突然の知らせ。「イタリアの古城で結婚するから、ぜひ来て!」とのこと。身内とごく数人の友人を呼んで静かなセレモニーにしたい、と言うが、イタリアのお城でミニ・オーケストラ付き。
「一生に一度だと思うし、ここまで待ったから好きなようにやりたいの」。
はしゃいではいるが、しみじみとした友達の声を聞きながら自分の結婚式と比較してしまった。
ロンドンで、英国人と結婚。周囲の友人もこのパターンが多いが、市内の登記所で済ませた。両家家族と、証人となるお互いの友人カップルが列席しただけで、総勢16人。事前に渡されていた誓いの言葉を、オフィサーに続いて暗唱するときに以外は緊張することもなく、指輪交換にキス、最後にサーティフィケートに署名をして終わり。所要時間は45分。式のあとは近くのホテルまで徒歩で移動し食事をするという、ごくシンプルなものだった。私の母親は日本のそれとは違う、短さ(簡単さ)に戸惑っていたようだが、最後には「いい式だったね!」と言ってくれて、感動。翌日の夜はパブを貸し切りにし、招待できなかった友達を集め大いに騒ぎ、酔いまくったのだった。
結婚前は色々と思い描いた、「嫁入り」だったが、実際にそれが全て形になったかというと残念ながら半分以下。「〜すればよかった!」と今でもちょっと後悔していることが結構ある。だから彼女には「思いきり好きなようにやりなよ!」
と繰り返し言うと、「…そうだよね。じゃあ飛行機はファーストクラスに乗ってみたいって頼んでみようかなあ」と凄いお願いを思いついていた。それから延々とドレス、新婚旅行、新居などのよもや話に花が咲き、気がつけば国際電話の料金を気にする旦那が時計を指さしている。
渋々と受話器を置いて、開口一番に「日本の友達が9月にイタリアで結婚するから、行かなきゃならない」と宣言した。ちなみに私たちの結婚式総額費用が、彼女のウェディングドレス代とほぼ同じだった。
March 07, 2005
ホームステイ <学生編>
さて、今日のお題はちょっと古い話題ですが「ホームステイ」です。
何もかも初めてのことだらけのロンドン生活ですが、
ホームステイもそのひとつ。
語学学校から送られてきたホストの情報によると
「ホストファミリーを長年している"60代前半"の女性」
と何故か60代前半を強調しているが、
どうみても70代後半か80代前半にしか見えないおばあちゃんの
一人暮らしのお宅へ4週間お世話になりました。
まあ、年齢はさておいて。
初めての夕食。時間は5時。17時よ。早すぎ。
そして食卓にはなぜか私の分だけ。
「私は、テーブルで食べたことがないの。いつもテレビを見ながらじゃないと」
とおばあちゃんはテレビの前のソファで黙々とテレビをみながら食事。
そして私はダイニングテーブルで孤独に食事。
出国前に夢見た「ホストファミリーとの団欒」
などという甘いホームステイ計画は
初日から消え去ったのでした。
そしてこのおばあちゃん
「第2次世界大戦以来、日本人なんか初めてみた」とのたまい、
私のことを何故か「ユウコ」と呼ぶ。(私の名前とは全く違う)
面倒なので訂正しなかった。
昼は自前なのでレトルトのカレーなどを食べていたりすると
「いいにおいね〜」とかいいながら、次の瞬間には消臭剤を部屋中にシューっ。
嫌われていたのだろうか・・・。
いや。逆に好かれていた。(と思う)いろいろと褒めてくれていた。(と思う)
寒い寒いと言う私に新しい布団と布団カバーを買ってくれたり
パッチ(股引。スパッツともいう)も買ってくれた。
テレビガイドもくれた。
年金生活で金がないとイヤミも頂戴した。
そして、おばあちゃんの具合が悪い時には
ちゃんとご近所に晩御飯を頼んでくれた。
微妙な距離を保ちつつ、エンジョイした4週間でした。でもご飯はおいしかった。感謝。