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July 22, 2005
見せるか、隠すか LiBホームページへ
出産予定日の2ヶ月位前から、病院で開かれる母親学級に参加した。同じほどの大きさのお腹をかかえた母親達が、一堂に会するのは面白い光景だった。が、やはりロンドン、集まった母親たちの人種は多様で、特にただでさえ大柄なイギリス人の妊娠8ヶ月というのはそれはそれは貫禄があった。
特に私の目をとらえて離さなかったのは、チビTシャツを着て、妊娠線ばりばりのはちきれそうなお腹を誇らしげに丸出ししている妊婦だった。イギリス人は彼女の様に、大きなお腹を出して歩いている人が多い。マタニティウエアと言えばチェックのジャンパースカートと思い込んでいたが、彼女の様に、大きなお腹をあえて「見せる」マタニティファッションも面白いと思った。
ずらりと居並ぶ、妊婦達をながめながら、金髪のお母さんのお腹にはやはり金髪の赤ちゃんが眠っているのであろう、黒人のお母さんのお腹には黒くて元気な赤ちゃんが眠っているのだろう、と想像すると感慨深いものがあった。(他から見れば私も、『あの蒙古人からは、同じように平べったい顔の赤ん坊が出てくるのであろう』と観察されていたかもしれないが)
イスラム系のお母さんは夏の暑さにもかかわらず、いつも通り頭にスカーフを巻いていた。お腹の赤ちゃんもスカーフを・・・巻いてはいないだろう。
私がイギリスへ来て間もない頃だったので、かれこれ6〜7年前だと思うが、まだ「スパイスガールズ」がTVで歌を歌っていた頃。メンバー4人の内、2人までが(一人はブルックリンを宿していたヴィクトリアだった)大きなお腹で歌っていたのを見て、目からうろこが落ちた事がある。さすがに派手なダンスはなく、しっとりしたバラードだったが。
この国ではニュースキャスターやお天気お姉さんも臨月かと思われるようなお腹になっても、ごく自然にTV出演している。
日本では、芸能人が妊娠すると、お腹が大きくなる前にすうっとブラウン管から消えてしまう。お腹の大きな期間は人前に出ないのだ。イギリスに来てから、何だかこれがとても不自然に感じるようになった。
そして出産後は、何事もなかった様に再び視聴者の前に現れ、「子供を産んだとは思えない体型」と絶賛されつつ復帰するのがお約束。「子供を産んだとは思えない体型」が褒め言葉であるなら、「子供を産んだ後の体型」、ひいては「子供をこれから産む体型」は見苦しいものなのだろうか。
何事もなく、子供は生まれないのに。観る人も「生」を実感できる、貴重な期間に、まるで隠遁することを強いられるかのような事が業界の慣例だとしたら、悲しい事だ。
仰々しい妊娠会見や復帰会見などをするよりも、TVを見ている人が「あれ、この人妊娠しているんだね」とある日ふと気づく位に、自然に仕事を続けてもいいような気がする。女優や歌手はイメージ先行の商売なので難しいかもしれないが、アナウンサーなどは大きなお腹で、生き生きと働く姿を見せてもいいのではないか。ブラウン管のこちら側の世界では、それが当たり前なのだ。影響力の大きいメディアだからこそ、子供を持とうか迷っている女性を励ますことにもなると思う。
肌の色やファッションは違っても、出産を2ヵ月後に控えた妊婦達は、皆一様に幸せそうな顔をしていた。こんな幸せな表情の人たちを、なぜ日本のTVは排除しようとするのだろう。
July 21, 2005
テロ LIBホームページへ
またもやロンドンで爆発騒ぎがありました。地下鉄3両とバス1台での同時爆破を狙うなど、7月7日の時と手口が酷似していますが、幸い今回はほとんど犠牲はなかったようです。
7月7日の事件は、まさに世界を震撼させる惨事でしたが、その当日でさえ、同僚達は案外落ち着いており、その多くは黙々と仕事を続けていました。そして、翌日の金曜日の朝には、何事もなかったのように皆が席に着いて業務にいそしんでいるのです。日本であれば、こんなことが起きたらとても仕事が手につきそうにありませんが、イギリス人の冷静さというか、無頓着ぶりがこういうときには頼もしくも感じます。
今回は、前回のような深刻な事態ではなかったこともあって、同僚達はいっそうリラックスしており、「これで夕方の会議をキャンセルできる」などと喜んでいました(そこまで来るとちょっと不謹慎かもしれませんが)。
日本人はその点、こうした事態には敏感です。私が7月7日に初めてテロが起きたことを知ったのも、大使館からの安否確認の電話によってでした。今回も前回と同様、大使館及び東京の国際部局から相次いで電話がありました。敢えて両方で行わなくても、大使館から東京に伝えればよいようにも思えますが。某銀行のロンドン支店に勤める私の友人も、今日の事件の後、同僚の安否確認をさせられ、休暇でギリシアに旅行に行っている者や、日本に一時帰国している者についてまで、形として問合せしなければならなかったそうです。ロンドンのテロに際して、ロンドンから東京に安否確認の電話をかけるというのは本末転倒に違いありません。
もちろん、2週間前の事件や、4年前のニューヨークの悲劇を考えれば、例え過剰に見えるような対応でも、危機管理として重要であることは否定しません。7月7日には、日本から、安否を気遣うメールが数十通来ており、有難く感じました。今回は、死傷者がほとんどいないことが既に報道されていることもあってか、そうしたメールが全く来ていません。そうすると少々淋しさを感じるのも確かですが、皆に心配をかけずに済んだ、という意味では喜ぶべきことなのでしょう。
July 19, 2005
日本人はShoppaholicでFashion Victim<主婦編> LiBホームページへ
「日本人はShoppaholicでFashion Victim」と、知り合いのイギリス人は決めつけている。
お金があれば誰だって買い物は好きだろー?と反論すると、
「君たちは、金がないとボヤいてはいるけどブランド物を平気で買ってる。
値打ちもわからんような古着をヴィンテージと騙されて飛びついてる」
確かにそういう日本人が沢山いるのは事実。でも私のまわりで、そういう人は見あたらない。
彼にとって日本人は格好でわかるらしい。
頭(顔)がデカくて短足で、余計なおしゃれをし、群れている。
それも少し、あたっているだろう。
街で日本人を見かけると、何か意地悪なコメントをしたいらしい。
あまりにも言いたい放題で、昔は本当に腹がたったものだが、彼自身が長身、小顔、シンプルという点を除いては、短足、大尻の持ち主で、ただの古着ばかり着ているような人なのでどうでもよくなった。
憎めないのは、パブなどでお洒落な日本人男子を見かけると「おや?」というような顔をして平気で
「エクスキューズ・ミー、そのTシャツ何処でいくらで買ったの?」
と話しかける。
「ジャパン。10ポンドくらい」
と返事がかえってくるものなら、本当に悔しそうにロンドンには安くていい店がないとボヤく。
私が日本に里帰りするとわかると、いつも「服を買ってきてくれ」と
20ポンド札を渡される。日本製かどうかも調べず、とりあえずTシャツだの、トレーナー(靴)を買ってゆくと大喜び。「日本の物大好き」と公言してはばからない。
ちなみに実家にいる妹は、給料のほとんどを服代にまわしてしまう。それでも飽きたらず、数ヶ月に一度、服を送ってくれと言う。東京より、ロンドンのほうが洒落たものが沢山あると思っていて、実際遊びに来ると買い物に飛び出してゆく。
それでいて「ロンドンの人っておしゃれじゃないよねー」と、私の知り合いと同じようなことを言っている。
July 05, 2005
送別会 LIBホームページへ
この時期は、日本に帰国する知人の送別会が頻繁にあります。官庁や多くの企業にとって、夏が人事異動の時期であるため、駐在員も夏から夏をサイクルとして入れ替わることとなるのでしょう。自分も来年の今頃は送り出される立場になるかと思うと今から(早くも)名残惜しくなります。
日本では歓送迎会といえば職場の近くの居酒屋で宴会と相場が決まっていましたが、英国では送別会(こちらでは「歓迎会」というものはあまり見ないような気がします)にもいろいろな形があります。
先日、某国際機関に勤めるHさんという人の帰国に際し送別会がありましたが、これは、彼の上司の計らいで、公園での送別ピクニックという粋なイベントとなりました。もともとピクニックを選んだ理由は、小さなお子さんのいるHさんにとってレストランなどは行きづらいということでしたが、これであれば他の人達も家族連れで気軽に参加しやすいですし、何より、英国最後の思い出を脳裏に焼き付ける場所として、この季節の公園に勝るものはないでしょう。もっとも、ピクニックは、友人等を呼ぶのも歓迎ということだったので、総計20名以上が集り、ほぼ単なる宴会と化して送別会の趣旨がどこかに飛んでしまいましたが。(私も、その日初めて会う人をついでに呼んだりしてしまいました。なお、私が日本を発ってくるときも、いろいろな人達が送別会をやってくれたのですが、友人のとあるジャーナリストは何とふぐ料理店で企画をしてくれました。これ自体はありがたいイベントだったのですが、単にふぐ料理目当てで来た人が多かったらしく、参加者の半分以上は会ったこともない人達でした・・・)
英国の職場では、日本と異なり一年を通じて人が出たり入ったりしているので、けっこう頻繁に送別会(leaving do)があります。課の誰かに異動が近づくと、必ず回ってくるのが、leaving cardと封筒です。leaving cardには、その人へ向けたいわゆる寄せ書きをするわけですが、封筒には皆がお金を入れ、それを使ってプレゼントを買うことになります。それらを送別会の場で異動する人に対して渡すわけですが、送別会自体は、本人の希望に応じて、近くのパブで行ったり、簡単に職場内でワインを開けたりと様々です。私が昨年課を異動する時にもやはり、職場付近のパブで同僚達が送別会を開いてくれたのですが、私へのプレゼントはモルト・ウィスキーのボトルと、ショットグラスでした。よほど飲むのが好きな人間と思われていたのでしょうか。
昨年末、Ianという同僚の送別会は印象的でした。彼は、いわゆる「キャリア」公務員ではなく、business supportという裏方仕事をしてきた人ですが、英国財務省に27年間在籍していました。人の出入りが激しいこの組織で、27年間を過ごすというのは、まさに歴史の生き証人といってもよい人物です。彼は(イギリス人にしては珍しく)仕事の鬼で、送別会も職場内でささやかに行うこととなりました。しかし、彼への寄せ書きは、カードではとてもスペースが足りないので、小さなノート丸一冊に書き込まれました。そして、その冒頭のページには、財務大臣のゴードン・ブラウン自らが直筆でねぎらいの言葉を記したのです。局長や事務次官といった最高幹部であればともかく、一介の職員に対しては異例の配慮です。ベテランに対する敬意は、日本でも英国でも変わらないのかもしれません。