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October 30, 2010

To be perfect is to change often

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自民党は9日、新役員の主要人事を正式に決めた。幹事長に石原伸晃
組織運動本部長が就くなど50歳代が党三役ポストを占め、世代交代を
印象づけた。ただ、党内には経験不足から国会や政局対応を不安視す
る声がある。
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50代のおとな相手に経験不足とは苦笑だが、仮にそれがあったとし
ても、良き方向に作用しないはずがない。英国の首相は43歳、連立
相手の党首も43歳。オバマ大統領就任時は48歳。最近決定した英
国労働党の党首は40歳。日本の政党は本当に人材が払底しているの
だろうか。年齢による線引きを外してみたら、まだ望みはあるのでは
ないだろうか。高校生の体育部みないな年次による絶対性を取り払っ
てみてはどうだろうか。
自民党のオエラさま、中途半端はもうやめて、どうかダイナミックに
党首と幹部の若返りを。何かが変わるかもしれないという期待が醸成
でき、選挙戦術としての効果も高いはずです。


さて、所変わって英国では、今夏、下院選挙戦の結果となった連立政
権が、国の支出を10兆円減らそうと鼻息荒く進めている。その手段
については無論反対意見が多々出ているが、この説得にキャメロン首
相をはじめ現内閣が全力を挙げて戦っている熱意が、僕のような在英
外国人にも伝わってくる。

なぜ10兆円減らさなければならないのかという本質は、国民にもわ
かりやすい。オズボーン大蔵相のスローガンは
"hard road to a better Britain"
分かりやすい目的を分かりやすい言葉で何度も伝える。Britain とい
う単語が聞こえると、自然にピクッと反応してしまう愛国心の強い国
民である。それをbetterにするのなら、まあ暫く我慢すんべえか、と
単純にはいかないかもしれぬが、平たく言えばそういうことで国民の
総意を国家支出緊縮へ向かわせている。

総選挙は5月だったが、はや来年1月4日よりVAT (付加価値税)が、
2.5%増加し 20.0%となる。当社でもその準備を始めたが、いやはやこ
のスピード感。

政局が安定、即ち下院選挙は今後5年間は無いという状況であるから
こそ可能な、ダイナミックな施策をスピード感を持って出せるのであ
り、政治とは本来こういうカタチでなければ、まともに進められたも
のではないであろう。

はてはて。こうしたダイナミズムからは程遠い我らが日本政治の通常
化への第一歩は、やはり思い切った若返りしかないのではないか。

To improve is to change; to be perfect is to change often (Winston Churchill)

急いで perfect にやらなければ、もう取り返しがつかない時期にき
ているのではないか。

投稿者 lib : 01:38 AM | コメント (1)

October 29, 2010

おててつないで

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息子の学校は大人の足で15分程度、子供と一緒だと20分くらいの微妙な距離。
主に車で送り迎えしているが、ちょっと前に車の故障のため、1週間ほど歩いて登校した。

息子と歩き出すと、彼の方からさっと手をつないでくる。
いつも近所の公園に行くにもつい車で行ってしまうので、普段息子と歩く機会が殆どない。あれ、まだ手をつないでくれるのか、と私の方がびっくりした。

学校からピックアップした後も、ごく自然な動作で彼から手をつないでくる。
周りを見渡すと、彼と同じ年齢の子で親と手をつないでいる子はいないような気がする。
子供が手をつないでくれるのはもちろん嬉しいが、8歳の男の子としては友達の手前、格好悪いと思わないのかな、とこちらが心配になった。

今の学校にはレセプション(4歳)の時から通い始めている。考えてみたら、その頃から移動は大抵車だ。その前、もっと近い幼稚園に通っていた頃は当たり前の様に手を繋いで道を歩いていたものだが、もしかしたら息子の中では「歩く」動作に関してはその頃から時が止まっているのかも。

いつまで手をつないで歩いてくれるのかな。来年までかもしれないし、来週かもしれない。
とりあえず、周りの友達が誰も母親と手なんか繋いでいないと息子が気づくまで、この至福の時を楽しませてもらうことにしよう。


投稿者 lib : 12:03 PM | コメント (2)

October 26, 2010

Deflation

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日本の携帯電話の進化・発達を見ていると、実に昔のパソコンのそれ
と一致するところがあると常々思うていたが。こたびは、これをまと
めてみよう。

以下は、70年、80年代に見られたPC・パソコン市場の遷移だが、

- 米国・欧州でその普及がまず始まる。

- 国際的なdefact が2、3出来上がる。乱暴に言ってしまえば、IBM
PC系(オープン系)と、今をときめくAppleの Mac 系(クローズ系)。

- 国内では、日本語という面倒な課題がつきまとうが、海外の
manufacture は日本というまだ小さな市場はとりあえず無視。国内
メーカーがこれに飛びつき、国内向けに独自路線のハードウェアや
ソフトウェアを開発し、国内で大きく普及し高利益をあげる。東京
で僕がPCを仕事で使うようになったころは、PC9801 などで代表
されるNECハードウェアの独壇場であった。

- 無論、こうしたハードウェアは、欧米で売れる要素をあまりにも持っ
ていない。こうして、国内のパソコン市場は世界的に見ると今どき
でいうとガラパゴス状態となる。

- そうこうしているうちに、国際的な defact 機で動作するソフトウェ
アの日本語化が完了する。例えば、Microsoft Windows 3.1 日本語
版、などというものが大きな功績を残した。即ち、海外のメーカー
が日本市場を特に意識しないで設計したハードウェアを、ソフトウェ
アで解決することにより、日本人がそのまま言語の問題なく使える
ようになった(ハードウェアの性能向上が大きく関与)。

- こうなると、国内ユーザーは海外発のハードウェアを購買するとい
うオプションが広がる。Dell, Compaq, Gatewayなどという欧米発
のハードウェアが怒涛のように日本にPC市場に乱入する。

現在の携帯電話市場でいうと、iPhone(クローズ系) がこれにあた
り、次に襲ってくるのがAndroid(オープン系)。国内メーカーがよ
うやくAndroid向けのハードウェアを発売し始めたところである。他
方、これらと同等な機能を有する国内独自のスマートフォンもあるが、
長い寿命を持てるとは思えない。ソフトウェアを作る人間が日本人に
限られるからだ。かくして、日本の携帯電話メーカーは、国際的に見
ると非常に小さなシェアしかもてないことになる。

2度あることは3度あるという。日本の長期デフレの要素の一角に、
国内での過度な競争があるのではないだろうか。もう日本人同士の本
土での利便性追求戦争はほどほどにし、最初から海外を市場とした新
製品への投資を軸とすべきではないだろうか。ソニーがウォークマン
を発想した頃、盛田さんの頭に描かれていたのは、セントラルパーク
あたりをジョギングしている米国人であり、さらに広がる世界という
市場であったと思う。北海道と沖縄で何個売れるだろうかいうことは、
まったく視野の外だったであろう。

(オープン系とは、その仕様を公開し、他社でも同様の機能を持った
ハードウェアを開発販売可能。クローズ系はその逆で、例えば
iPhone は Apple社しか製造販売できない)

投稿者 lib : 02:23 PM | コメント (0)

October 19, 2010

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10月27日まで日本に一時帰国しております。帰国しましたら、ブログを再開しますの
で、今後ともよろしくお願いします。

投稿者 lib : 09:33 AM | コメント (1)

October 06, 2010

友人に。

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私がニューヨークから戻った直後、友人が自ら命を絶った。そんなことで、ニューヨークの話をウキウキして書く事が憚れる。
それも行く前にメールの交換をしている。私のメールは「ニューヨークに行くのよ!!」とハイテンションモード。彼女はその2週間後に別の世界に行ってしまった。彼女がそこまでも思い詰めている、そんな気持ちを測れなかった私は、かなりのうつけ者。

彼女は、6月にロンドンから日本に帰国したばかり。旦那さんとの関係がちょっとぎくしゃくしていたが、自らの仕事も探そうとしているし、彼との関係も時間がかかりそうだが、いい方向に向かっている。と最後のメールには書かれていた。だから、まったく変な心配はしていなかった。もしかしたら、何か別の事があったかもしれないが、おそらく彼女はそんな思いを隠していたのかもしれない。

先週、共通の友人とご飯を食べていた。私が10月に一時帰国するので、近況も知りたいので彼女と会うつもりでいる。と話した。そう、実際に詳しい時間を決めるだけだった。しかし、友人からの言葉は、「そうか、まだ知らないんだね。実は、、、」
その言葉に、始めは「えっ!?」と言ったまま、フリーズしてしまった。「うそ。なんで、、、、、。」
彼女は、とても明るくチャーミングな人で、すぐに友達を作ってしまうタイプ。それにオシャレさんで、会うときはいつも彼女の大胆で奇抜なファッションを楽しみにしていた。また、おっとりしている所もあって、一緒にいて居心地のいい、大好きな人だった。

そんな人が、、、なんで?とわからない。残された我々は、なんでもっと気にしてあげられなかったのか、気づいてあげられなかったのか、ただその言葉しかでてこない。本当に申し訳ない。
知り合いの看護士は、一種の病気だという。が、しかし、そんなことでは気持ちが治まらない。

私がこのことをブログに書こうと思ったのは、もし、あなたのまわりにちょっとでも凹んでいる友達や家族や大好きな人がいたら、あなたがその人を大切に思っている事、大好きな事をぜひ、伝えてほしい。もしかしたら、助けになるかもしれないと思ったからだ。

私の母の母も自ら命をたった。第一発見者だった母は、中学生だった。70歳を超えた今でも、自分がもっと早く見つけていたら、ああしていたら、助かったのではないかとトラウマになっている。
だから、どうか、どうか自らの命を絶たないでほしい。月並みだが、なんとかなるし、なんとかできる。自分のすばらしい可能性を沢山もっていることを忘れないで。

ただ、今は彼女の冥福を心より祈るとともに、このようなことが身の回りでおこらないように、気づいてあげられるような、また寄りかかれる人になれるよう、自らを律して生きていこうと思う。

投稿者 lib : 06:06 PM | コメント (3)