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August 26, 2005
出産も「あなた次第」?その3 涙のご対面
ジュリのリードは私を励ましつつ、いきむタイミングを的確に指示してくれる素晴らしいものだったが、それでも私はどうしても最後の一押しができなかった。なかなか出てこない赤ちゃん。事態は予断を許さないものになってきた。
後から聞いた事だが、人工的に破水させた後に胎児がうんちをしてしまったらしい。その老廃物を胎児が鼻や口から吸い込んで気管に詰まらせると、窒息したり、重い後遺症が残ったりする可能性があるというのだ。そのため、一刻も早く外に出してあげることが必要だった。
ジュリは夫に言った。「念のため、最新式の機器が整った部屋に移動します。」「えっ?他の部屋に移動?そ、その部屋はどのくらい遠くにあるの?」例によって夫がとんちんかんな質問をしている。「30秒で着くわよ・・・」
ジュリが言い終わるか終わらないうちに、またしてもドアが大きく開き、ガラガラと車椅子が運ばれてきた。私はそれに移された。ジュリは「大丈夫よ。私がついてるわ。」と私を励ましながら、車椅子を押し全速力で病棟の廊下を駆け抜けた。その後に続くのは機器をかかえ、やはり全速力で移動するエマージェンシー隊ご一行。
たまたま廊下に居合わせた人たちは、何事が起こったかと驚いた表情で見ている。注目の先は、大移動隊の先頭にいるこの私だ。人々の驚いた顔が、魚眼レンズを通して見たように次々と私の上を通り抜けていく。
「あああ、なんだかドラマみたい・・・」 朦朧としながら性懲りもなくくだらない事を思う私。ドラマはハッピーエンドで終わるのか。それとも。
「最新式の機器のある部屋」に着いた。ジュリの言った通り、確かに近かった。エマージェンシー隊の面々は、すばやく機器にスイッチを入れたりコードをつないだりしている。
しかし・・・・・。
「ス、スイッチはどこ?!」「どうして電気が入らないのかしら!?おかしいわねえ!」なんだか皆あたふたしている。
私の脳裏に、マドンナ様の「イギリスの病院はヴィクトリアン、ヴィクトリアン・・・・」という囁き声がこだました。部屋はだだっ広かったが、確かに機器は年季が入っている。しかもスタッフが機器の扱いに慣れていないような・・・。しかし、今から日本やアメリカに産みに帰るわけにはいかない。皆を信頼して、どうしてもここで産まなくてはならないのだ。
ジュリが再び私をリードし始めた。「いいわよ!その調子よ!やり方は合っているからもう少し強く押してみて!」機器もどうやら電気が入ったらしい。ほっとしたのもつかの間、それを見た、他のミッドワイフが言った。
「赤ちゃんが弱ってきている・・・・」
「もう時間がないわ!この調子でもっと強く押して!」ジュリが足の方から叫ぶ。
その直後、仰向けになっている私の顔の上に、夫と付き添っていたくれた友人の顔が突然かぶさるように現れ、「お願い、押してーーー!」、「プリーーズーーーーーッ!」とすごい形相で同時に叫ばれた。
戦友ともいえる、この3人からの必死の叫びが、聞いた。
弱くて高齢出産でしょうもないことばかり思いついてしまう私も流石にただ事ではない事を悟った。私は最後の力をふりしぼり、力の限り押した。
産まれた!赤ちゃんが外に出たとたん、不思議なほどそれまでの痛みがすーっと消えてなくなった。10時ちょっと前だった。
へその緒は夫に切らせてもらえる、と聞いていたが、そんな余裕はなかったのだろう。赤ちゃんを取り上げるとすばやく、若いミッドワイフが受け取り、鼻の穴や口を吸引した。そして、産声が上がった。
赤ちゃんの身体をバスタオルで拭いてくれた後、私に手渡す。頭の形がダンナにそっくりだ。先ほどまでの後ろ向きな気持ちはどこへやら、私は誇らしい気持ちでいっぱいだった。ジュリも、「本当によくやったわ!素晴らしいわ!」と褒めてくれる。気がつけばペインリリーフも一切使わず、完全なナチュラルバースをやり遂げた。
スタッフがあれこれと後処理をしている間、ジュリは紅茶とトーストまで出してくれた。
やれやれとベッドの上で紅茶をすする私。
その時だった。カップごと凍りつきそうになる一言が聞こえてきたのは。
「・・・・で、今夜は泊まっていく?それとも帰る?・・・・あなた次第だけど。」
今度ばかりは引き下がるわけにいかない。泊めてくれっつーの!!!
August 23, 2005
イギリス人の同僚たち-その1
英国企業に勤めている。
イギリス各地にある関連会社を含めると700人くらいの小さな会社で、ロンドンには数ヶ所のオフィスがある。同じビル内で働くのは200人ほどだろうか。
いままでの階は全員がクライアントを持つ部署で、いつも華やかな雰囲気があった。
いかにも金融街シティのビジネスマンといった連中で、男なら仕立てのいいダークスーツにカラフルで鮮やかなシャツとネクタイ。ひねったデザインのカフスボタンにピカピカに磨かれた靴。いつもグルーミングされた髪に自信満々の笑顔。
女のほうはビジネススーツにスティレトーヒール。完璧なメイクで、口元には微笑みを目には闘争心を、というタイプに囲まれていた。
職場の雰囲気もいい意味でピリッとしていたのだ。
ところが最近、ビル内で引越しがあった。今までのところが手狭になったので、他の階の部署で余ったスペースに移らせてもらったのだ。
新しいオフィススペースはキャビネットも大きくなり、電話の回線も増えたものの、デスク周りの顔ぶれがずいぶん違う。同じ会社で働いていてもパーティや講習会でしか会ったことのない連中だ。
仕事上は関係ないが、同じスペースを使うので給湯室やコピー機で顔を合わせるようになる。
薫の君 (かおるのきみ)
50代の半ばだろうか。不細工とはいえないが、冴えないおじさんである。キャビネットあたりですれ違うと・・・匂う。独特の匂いがする。
最初は気のせいかと思ったが、毎回である。
そのうちこれは「加齢臭」、お年寄りの家を訪ねるとよくある匂いだと気づいた。日本人もイギリス白人も加齢臭は同じだということを発見。
それにしても、どのくらいの頻度でお風呂に入ったり、着替えているのだろうか?
独身で母親と二人暮しだそうだ。お母さんの「加齢臭」も一緒に家から持ってくるのかもしれない。
クリスマスパーティの席割りの話をしていた秘書が嘆く。臭いので誰も隣に座りたがらないという。私も堪忍してほしい。
話をしてみると温厚で、恵まれない子供のためのチャリティ募金なんかして、性格はよさそうである。
ガールフレンドもいないようなので、彼に興味のある方は私までご一報ください。
ミニスカート美人
一人はブロンド、もう一人はブルネット。美人でカービィな身体つき、おしゃれで趣味のいい服を着ている。
ほとんど毎日、ミニスカートにスティレトーヒールの靴。二人とも女の私が見ても惚れ惚れするほどのみごとな脚線美である。
バリキャリ(バリバリのキャリアウーマン)で仕事もできるし、部下の面倒見もいい。パブでは話を盛り上がらせるチャーミングな二人である。
が、問題は二人とも50代の後半であることだ。あの年でミニスカートにスティレトーヒールか。うーん。
しかし、職場の男性はきちんと二人を褒めてあげている。
「今日もとってもきれいだね。そのピンクのスカート、よく似合うよ」とかなんとか。
間違っても、
「ずいぶんXづくりしてるね」
(Xの伏字部分には「若貴騒動」の中から、一文字をお選びください。)
などとは言われない。
自分の服装ポリシーを貫く二人といい、女性は必ず褒めるという男たちの態度。これは日本のオフィスでは見られない光景かもしれない。
海水浴客
客商売の部門ではない人はスーツ姿でないこともある。私は10年も今の会社に勤めながら、スーツ以外で働いているのはメッセンジャーボーイ(郵便や書類を配る人)だけかと思っていた。
Tシャツあり、ポロシャツあり、夏なんかゴム草履もどきで会社に来るのもいる。服装規定があるのか、ジーンズはいないのだが、なんだかシティのオフィスには思えない雰囲気である。
スーツを着れば、それなりにエラソーに見えるイギリス人だが、カジュアルなシャツだとデブな腹回りがむき出しになる。
なんとなく視線がぽっこりした腹回りにいってしまい、そのユルそうな雰囲気に、
「こいつは仕事ができないのでは?」
などと科学的根拠のない疑問がわく。
(まさか妊娠?)
そう思わせる若い女の子もいるが、それ以上大きくならないところを見ると、その腹に入っているのは赤ちゃんではなく、ポテトやチョコレートらしい。
サマーホリディから帰ってきて、日焼けした顔をほころばせ、Tシャツにぽっこり腹の同僚を見ると、会社ではなく海水浴に来ている気分になり、労働意欲が著しく削がれてしまう。何とかして欲しい。
会社では日本人は私だけなので、ここに書いていることはバレないと思う。(たぶん)
でも、みんないい人たちです。(無理やりのシメ)
続く
August 22, 2005
出産も「あなた次第」?2 怒涛のエマージェンシー・コールLiBホームページへ
いよいよ本番だ。夫がミッドワイフに、「あと何時間位で出産できるだろうか?」と聞いたが、彼女は「そんなの私にはわからないわよ。産むのは彼女なんだしぃ~」と気のない返事だった。この時から嫌な予感はしたが、彼女は案の定あまり協力的でなく、いきむタイミングを教えてくれるでもなく、苦しむ私を励ますでもなく、壁の側に立って「まだかしらね~」などと言いながら人ごとのように、ただ傍観しているような人だった。
いよいよ、いつ生まれてもいいという段階になっても、赤ん坊はなかなか出てこなかった。私がうまくいきめなかったのだ。
「なんで出ないのかしら・・・。彼女、ちょっと弱いんじゃない?」
それまでにもいろいろ傷つくことを言われたが、この一言は痛さと疲れで消耗しきっている私にとどめの一撃を見舞った。確かに体力がある方ではないし、40にもう少しで手が届こうというのに、子供を産もうなんて考えた私がいけなかったんだ・・・と自分を責める気分にまでなってしまった。ミッドワイフの嫌気のさした表情と、私の後ろ向きな気持ち、そして何もできずにおろおろする夫で分娩室内は前にも後ろにも進まない、煮詰まった空気が充満していた。
病院入りから3時間が経過した頃。ミッドワイフがマンネリ化した空気を打ち破るように言った。
「そこまで見えてるんだけどねえ・・・破水させようか?」
そういえば痛さで忘れていたが、破水というやつがまだだった。未経験なのでそれがどんなものかもよくわからなかったが。ミッドワイフは、何か針のようなもので、ぷちっと胎児の入っている袋を破ったようだった。
その時だった。
ミッドワイフが何かを早口で叫び、一気に室内に緊迫感が走った。私自身は疲労と痛みで頭が朦朧とし、もはや事情がよく飲み込めない状態になっていたが、何か大変なことが起こったらしい、ということだけはわかった。
「早く!エマージェンシーボタンを押して!」ミッドワイフが夫に指示している。
「えっ。ど、どれ?どのボタン?」
夫は目を白黒させながら、赤のボタンだ青のボタンだと、私の頭上でパニクっている。
「緑のボタンよーーーーーーっ!」
ミッドワイフが雄叫びが部屋中にこだまし、夫も正しいボタンを押せたらしい。
僅かその数秒後だったような気がする。ドアがバタンと大きく開き、エマージェンシー隊の数人が手に手に機器を抱えてどどどーーっと部屋に押し寄せて来た。
その中のチーフらしい女性が私に駆け寄った。「私はミッドワイフのジェリよ!ここから私が引き継ぎます!」
こんな緊急時でも律儀に自己紹介するものらしい。変なことに関心しながらも、私は自己紹介を返す余裕があるはずもなく、「へええ・・・」と力のない声を発するのが精一杯。
「さあ、力いっぱいプッシュして!1,2,3!」
ジュリが私をリードし始めた。その途端、彼女は今までのミッドワイフとは全然違うことに私は気づいた。リードの仕方がまるで違う。「この人となら産めるかも・・・」そう思った。そして、何か大変なことが勃発したらしいにもかかわらず、「これで助かった。」と息もたえだえな私は確信したのである。(続く)
母と息子 LiBホームページへ
男は母親に弱いし、母親は息子に弱い。
ふらりと夜中に実家に立ち寄って「腹減ったなあ」と情けない声を出す兄に、寝間着姿の母が文句を言いながらも肉などを焼いている姿を思い出す。本当にごく、たまーに、兄が母の誕生日を思い出しプレゼントでもしようものなら、母親は喜びを隠さず「根は優しいのよ!」と感動する。
母と息子、どこの家庭もこんな感じなのだろうか。
うちの旦那は週に一度、必ず母親と長電話する。日曜日の午後4時と、時間も大体決まっていて、実家を離れてから十年以上続いている習慣だそう。天気について、昨日(土曜日)に何をしたか、フットボール等のスポーツ話、兄弟、親戚の噂と最低でも40分は喋っている。毎週特別なことが起きるわけでもない、ただ淡々とコンタクトをとっている。何かの都合で話しができないと、不具合な感じがするらしく月曜日の夜に「ハロー、マム!」とやっている。
日本に比べると家族が密であるのに、サッパリしているような気がする。年老いた両親と同居という観念も薄いし、むこうもそんなことは期待していない。距離を理由にひんぱんに会えなくとも、「家に寄りつかずに親不幸」などと言われることもない。(嫁としても非常に楽ちんである。)
しかし顔は見なくとも、母親の威厳はすごい。あるとき旦那が義弟と口論になった。仲よし兄弟が何週間も口をきかなくなった。明らかにうちの旦那の非が認められたので、弟君に謝罪するように諭したところ、逆ギレされた。しかし母親から同じように説教されるや否や、神妙な顔をして聞き入っている。最後には弟をパブに呼び出し「俺が悪かった、メイト!」とハグをしながら和解したのだった。
母親のいうことは聞いても、嫁の言うことは聞かないということがわかった。
以来何かあると「このことをママに話すわよ」と言うことにしている。
August 11, 2005
「日友」
英国暮らしも6年近くになり、日本にいる友達とはすっかり疎遠になってしまった。
お互いの生活の変化で、会話がズレだし電話をかけることもなくなり、
カードを送りあうだけになり、いつの間にやら引っ越し先不明で音信不通。
僅かにコンタクトをとっている数人とも、地理的な問題で短い里帰り中に会うこともない。
なので「2、30年来の友達がいる」なんて人に出会うと羨ましくなってしまう。
私の場合せいぜい10年がいいところ。
当然、親しい友達(日本人)がいるのはロンドン。週末ともなると、
必ずそのうちの誰かと買い物をしたり、食事や飲みに行って、他愛もないおしゃべりで盛り上がる。
言葉で気を遣う必要もないし、あー、楽しい!と素直に思える。
旦那はイギリス人なので、当然そちらの関係で英国人と触れ合うときがあるが、かなり疲れる。
彼らが酔えば訛りが出てくるし、女の子たちは妙に早口だったりして、
話をする気力が失せてくる=つまらない=帰りたい、となる。
昔は誘われたら顔を出していたが、今は何だかんだ理由をつけて、なるべく行かないようにしている。
旦那には「社交性を使い分けている」と言われる始末。
自分の友達とは週末、日曜の昼と無駄にせず遊んでいるのに、僕の友達には愛想がない、と。
…それでもいい。飲み倒れてパブの外ベンチで寝たり、
飲み足りないからといってクラブに移動したり、ビールでパンパンになったお腹に、
深夜チップスやケバブを詰め込むことなど、私にはできません。
貴重な自由時間はゆっくり楽しく過ごす。
これからもイギリスで暮らしてゆくんだから、同国の数少ない友達は大事にしなければ。
だから私は今日も 旦那にテキストを打つ。
「going for drink, got something for tea in the fridge, See U」
August 09, 2005
バーベキュー LiBホームページへ
イギリスの夏といえば、バーベキューだ。
しかし、これを家でやるには手間がかかる。
まず人を呼んでも恥ずかしくないように、丁寧に庭の芝刈りをするところから始まる。剃り残りなし、という二枚刃かみそりの宣伝のチャッチフレーズが使える状態まで芝生を整える。
そして、重いバーベキューの燃料を買いにいき、肉だの野菜だのを大量に用意する。日本人としては、やはり「焼肉のたれ」も買っておきたい。サラダや野菜スティックを作らなければならないし、ビールだ、ワインだと冷蔵庫は満杯状態で他のものが入らなくなる。もちろん、夏の飲み物、ピムズも忘れるわけにはいかないだろう。
バーベキューといえば、男が料理するのがお約束だが、あまりの手際の悪さに思わず手を貸してしまうと、即、料理人奴隷に身を落としてしまうことになる。
煙にゲホゲホと咳き込みながら焼いた肉は他の人にすっかり食べられてしまい、みんながお腹一杯になってから、やっと残りの材料をコゲコゲになっている網の上で自分の為に寂しく焼く破目になる。おまけに、この頃になると雨が降ったりする。
皿をどうするか、という問題もある。普通の皿なら後で洗わなければならない。といってペーパープレートだとヘタっとなってしまって持ちにくい。使いにくいが後片づけの楽なプラスティックのナイフとフォークにするかどうかも同様である。
さて、油でギトギトになったバーベキューセット。さあ、どうする? 手間ひまかけてきれいにするのか、それとも、来年また新しいのを買おうと決めて、すっきりとそのまま捨ててしまうのか。
バーベキューはこのように多くの使役と選択を迫られる奥の深い料理である。
というわけで、私は自宅ではバーベキューはしない。だって、面倒なんだもの。
ラッキーなことに今年は会社が中庭のあるパブを借り切って、バーベキュー・パーティを開いてくれることになった。去年の夏はテムズのボートクルーズでダンスパーティだった。ウエストミンスターから出発して、ロンドン塔を過ぎ、テムズバリアーでターンして戻ってくるお馴染みのコース。それなりに盛り上がったが、料理はいまひとつ冴えなかった。ま、豪勢な料理の並ぶ屋形船じゃないんだから、仕方がない。
今年のパーティも希望者だけの参加なので、120名くらいらしい。この同僚たちもみんな私と同じく、バーベキューは好きだけど「面倒くさがりやさん」と見た。楽しみにしている。
August 04, 2005
出産も「あなた次第」?その1 LiBホームページへ
陣痛が始まったのは予定日を3日過ぎた夜だった。夜が明けるのを待ち、早朝6時に夫に病院に送ってもらった。
マタニティワードのドアを叩くと、まず「ペインリリーフ使う?使わない?」と聞かれた。
ペインリリーフと言っても、テンス、笑気ガス、硬膜外麻酔・・・など選択の幅も広い。使うも使わないも、どの方法を選ぶかも、自分次第だ。母親学級でも、このペインリリーフの説明が大半だったのではないかと思われるほど、イギリスの出産は「いかにして痛みから逃れるか」が大きな課題らしい。
「痛い思いをしてこそ母親」のような精神論はむしろ嫌いな方だが、私は一応使わないでトライしてみよう、と思っていた。なぜ、と聞かれるとこれといった理由もなかったのだが、何となく皆が痛い、痛いというので痛みへの好奇心というか挑戦というか・・・。相変わらず意味のないチャレンジをしたがる私である。そのために日本の出産本でスースー、ハーハーの呼吸法も練習したのだ。結局このスースー、ハーハーはよく分からなかったが、まあその時になれば何とかなるだろう、と高をくくっていた。「まず使わないで頑張ってみて、もしどうしても我慢できなかったらお願いします」と伝えた。
ベッドに横たわると、黒人のミッドワイフ(助産婦)が「ハロー。私はミッドワイフの○○よ」と自己紹介して来た。明るくて感じのよい人だった。無事病院のベッドについた安心感からか、なぜか痛みも収まった気がした。私も満面の笑顔で自己紹介をした。
彼女が子宮口の大きさを検査して言った。「う~ん、まだ7,8時間は産まれないわね。その間、ここに居てもいいけど、落着かないと思うわよ・・・。家に一度帰った方が居心地いいんじゃないかしら。もちろん、あなた次第だけど。」
妊娠して以来、幾度となく言われてきた「あなた次第」だが、今回は言葉の裏に「帰って欲しい」という願いをひしひしと感じた。なにしろここは、人種の坩堝、ロンドンのど真ん中の病院。ただでさえ人口が密集している上に、子供をがんがん産む移民も多く、なにしろ混んでいるのだ。
ベッドも人手も不足しているのだろう。私としては病院のベッドでも十分快適だったのだが、なんとなくミッドワイフが気の毒になり「じゃあ、帰ります」と言ってしまった。「そうよね!それがいいわよ。大体あなた、本当に生まれそうな人は、そんなに、にこにこしていられないわよ!」と言うミッドワイフの言葉に笑う余裕さえあった。
彼女の言葉を本当に理解したのは、それから12時間後だった。
次は追い返されないようにと、ぎりぎりまで家で頑張り、再び夫に病院に運び込まれたのは、夕方の6時を過ぎた頃だった。今度は車の中であまりの痛さに泣いていた。涙をぼろぼろ流しながら、再び分娩室のベッドに横たわると、朝とは違うミッドワイフが「ハロー。ミッドワイフの××よ。」自己紹介してきた。この人も黒人だった。
今度は自己紹介を返す場合ではなかった。言葉にならない「ううう・・・・」という意味不明のうめき声をあげながら涙をぼろぼろ流す私を見て、「彼女、英語わからないの?」と聞かれる始末だった。 (続く)