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March 27, 2009
Intervention
もうすぐ4月。
あと2ヶ月で11年生の試験が始まります。
二週間前から放課後の補習授業を始めたのですが、参加者は少ないものの生徒から貰う感想はポジティブで、彼女らの試験勉強に役立っていることを嬉しく思っています。
さて、私はイギリスの教員組合に入っているのですが、数日前からメールや組合の代表委員やメンバーから「金曜日のミーティングにぜひ参加してね。重要な話し合いをするから」と言われていました。
メールに書かれていた議題は「Year 11 Intervention」。Year 11 とは11年生のことでInterventionとは普通、「介入」「干渉」「調停」などと訳されますが、この場合、「介入」という言葉が一番近いでしょう。
11年生への「介入」。一体どういうことか。
実は11年生の1月の模擬試験の結果から、今夏の試験結果が去年を下回る可能性が示唆されました。そして、2月のOfsted。去年の結果が思わしくなかったこともあり下から二番目の評価「Satisfactory」を出された我が校。
今年の結果が再び悪いとなると、どうやら来年もOfstedの監査が入るらしいのです。
校長をはじめとするSLT(Senior Management Team)はたぶん内心相当焦っているのでしょう。ここ一ヶ月で何回か教職員の会議が開かれ、「データが、、、」「試験が、、、」と何度もこのことについての言及がありました。
そして、SLTが先日下した判断。
試験結果向上のために、これから二ヶ月間、数学・理科・英語などの主要教科では普通クラスから一部の生徒を引き抜いて特別授業をおこなう。
そして、非主要科目では模擬試験で成績が思わしくなかった生徒についてはその教科をDropさせる、つまり試験を受けさせないで、上のグレードを取れそうな教科を集中的に勉強される措置を取るというのです。
実は先週、私のクラスの生徒一人について「歴史を落としてICT(情報処理)の勉強に集中させる必要がある」と教頭の一人からメールが来ました。
担当教師への事前の相談もなしのこの措置。生徒は十分納得しているのか。一体誰の決断なのか、何を基準にしているのか、歴史を落としたらその時間は生徒を誰が監督するのか、、、。
その教頭に実際に話をしても「生徒との話し合いは十分におこなわれた。生徒は納得済み。あなたの授業時間中にその生徒は図書館や情報処理室で一人でICTの自習をできる。彼女が5教科でグレードA-Cを取るための最善の措置」というだけ。
「話し合い」、、、?「あなたはグレードA-Cを取れる教科が少ない。このままでは歴史も落第するだけだから受けるのをやめて他の教科に集中した方がいい」とでも言ったのでしょうか。ただでさえもプレッシャーのかかっている時期なのにそんなことをいってしまうとは。
月曜日にその生徒から話を聞きましたが、相当に困惑し、不安な様子でした。「先生、私はどうすればいいの、、、」と。
私としては例えC以上を取れなくても最後までやり遂げて欲しいのです。歴史の授業時間を使ってICTの勉強を「自習」することが彼女にとって最善のことだとは思えません。専門の教師がちゃんと監督して彼女の勉強を見てあげるのならまだしもそんな対策はSLT側は用意していない。
歴史のGCSEをまるまる落とす上に、最悪の場合、ICTも結局D以下をとることになるかもしれないのです。
それに今まで二年間彼女が費やしてきた時間と努力はどうなるのでしょうか。彼女の場合、コースワークの提出も出来ているし、これも加味されれば最終的に今より上のグレードを取れる可能性は大きいのに。
そして、彼女の模擬試験の結果だけを元にInterventionを決めるのは軽率です。暗記とをともなう全問筆記の歴史試験の場合、1月の模擬試験は復習や過去問を使っての練習を怠れば頭のいい子でも悪い成績を取ることがあります。
どんな生徒でも夏に向けて復習と過去問を一気にやるので実際の夏の結果は模試よりも二つ以上上のグレードを取ることが多い教科なのです。
過去の結果からもこの傾向は顕著なはずなのに、、、。地理教師の同僚Eと「主要科目でない人文学系の教科はこうして軽視されるんだね」と半分冗談、半分本気で言っていました。
教員組合のミーティングに行って、こういった不満が私のものだけでないことがはっきりと分かりました。11年の学年主任すら初めの段階の話し合いに招かれておらず、教科担当の教師たちの中には生徒からInterventionについて初めて知らされたという最悪なケースもあったらしく、発言するどの教師も厳しい表情でした。
過去のブログでも触れていたかもしれませんが、この問題、実は去年もあったのです。それで余計に教員側の不満も大きいのです。今年はこんなことを繰り返してはいけないと誰もが学年初めに言っていたのに。
組合としてはどんな結論をSLTが出すにしろ、我々、生徒と直接接している前線の教師たちとの事前の協議の場が設けられていないのはおかしいという点で組合員の意見は一致しました。
生徒のためといいつつも生徒に無駄なプレッシャーを与えて学校全体の成績向上を優先させている(しかも去年はこうしたInterventionの効力が疑問視される結果しか出なかったのにも関わらず)。
もちろん、何パーセントの生徒がA-Cを取るかで学校の良し悪しが判断される厳しい現実があります。でも、Cを取れそうになくても可能性を信じて本当に頑張っている生徒を見ている私たちにはなんとも納得の行かないこのIntervention(もちろん、やる気もなければ努力もしない生徒もいるわけですが、、、)。
イースター前の大切な時期。SLTが下した決断が覆されることはないと正直思いますが、来週、SLTが我々の問いかけにどう答えてくるのか。非常に気になります。
March 25, 2009
ダンス、ダンス
友人がダンスのレッスンに行きたいというので、お伴でついて行った。
我々が行ったのは、スィングダンス。なかなか説明がつきにくいが、社交ダンスとは違い、アメリカのダンスで、そう、ポニーテールで、フラップシューズ、Tシャツで踊るタイプ。
行った所は、小さなダンスホールで、始めの1時間は教えてくれて、その後はいたければそのまま踊り続ける。我々は開場前に到着した。5人程度しか待っていない。そうか、あまり人気がないんだ。と思っていたら、なんと始まる時点になると70〜100人程度も集まって来た。
凄い!!と本日の売上げを計算している私は、何者かしら??
さてさて、ここに来ているのは、20、30代の男女が殆どで、たまになぜか70代のおじいさまもおいでになる。
「さあ、並んで」と言われるままに並び、見よう見まねでステップを踏む。そのうち男女に別れて列を作り実践となった。「はい、男性の諸君。女性の手を持って。そして、、、、、、」と話している間、ぎゅーっと手を強く握っているのは、年配の男性。
クックッ。可愛い、お爺さんたち。かなり嬉しそうだ。そうよね。可愛い女の子のしかも、若い子の手を思いっきり何度も握れる。身体を密着できるもんね。
そうか、パートナーはどんどん代っていくので、いづれ私もお爺さんに手を握られるって訳だ。
ここにくる大半は、やはり出会いを求めてきているんだよねー。数分のパートナーであっても会話をしっかり楽しみ、じゃあ、後でね!とアピールしている。
そうだ、私の知り合いも2組がサルサで知り合い結婚したなー。
レッスンの1時間が過ぎ、自由に踊ることになった。見渡すと、みんな適当にパートナーを見つけ踊っている。あれ?と思ったら、友人はしっかりと踊っている。ああ。壁の花の私。しかし、ここでくじけてはいけない。と思い勇気を振り絞り、私から誘った。すると、ウッ、体臭が、それにゲッ、手に汗をかいている!!と曲が終わる数分間は、鼻で息をしなかった。アー辛かった。やはりパートナーとして嬉しくない人もいるなー。
うまく呼吸ができなかったためか、どうも半歩遅れている。私は今日始めてのステップだ。うまくいかなくてもしかたがないが、友人は社交ダンスをしていたので、それなりにステップを踏んでいるではないか。ウッ。悲しい。
やはりみんな、レベルが自分と同等か上の人と踊りたい。だからみんなよく観察していて、曲が終わるとうまい人に殺到する。このときばかりは、デブでもハゲでも、美人でなくても人気者になれる。やはり半歩遅れの私は、およびでないらしい。
負けず嫌いの私は「やはりしっかりと練習して出直したい!」と友人に訴えている。
しかし、旨くなってココに来てどうするかって?? もちろん、美しいトイボーイを探すのよ。
人の願いを叶えて一緒に来たからこそ自分にいいコトがあったんだなー。と感謝しております。
本日は新しい楽しみを見いだした日でした。ホホホ。
March 20, 2009
焦りまくりの午後。
今日は教職とはあまり関係のない話です。
実は今年の6月で今の学校に職を得てからまる5年になります。
もともと学生として英国に来た私は、その時に労働許可証を申請してもらって今に至ります。
さて、現行のルールでは5年間この国でフルタイムで働くと永住権の申請権を得られます。つまり、私もあと3ヶ月ほどで申請することが可能になるのです。
そのことについては覚えていたのですが、つい先週末に「そういえば、永住権の申請前にパスポートが切れるんだったよな」とふと思い出しました。
そして、その後一瞬頭がパニックに!
実際にパスポートを見たら、なんと5月の初頭が有効期限ではありませんか。
つまり、4月のイースターホリデーに日本に一時帰国する私がそのパスポートでイギリスに再入国しようとすれば最悪の場合、パスポートコントロールで入国を拒否される可能性が。
期限内に戻ってくるとしても、どの国でもパスポートの有効期限まで3-6ヶ月ほどなければ駄目という規定がありますよね。イギリスは確か6ヶ月だった記憶が。
私はそのことについてすっかり忘れていたのでした。
新しいパスポートに永住権のシールをもらうという計画にばかり気をとられていて、その前にもうすぐ期限の切れるパスポートを使って旅行することなんてすっかり忘れていました。
慌てて在英国日本国総領事館のサイトでパスポートの切替申請についてリサーチ。一週間で受け取り可能と知ってまずは一安心した私。
でも、受付時間を見てがっくり。
受付終了4時半。
「フ、フルタイマーはどうやって申請すればいいんだろう?」
教職は休暇が長いことがよく言われるし、ありがたいことにその恩恵をたっぷり受けているわけなのですが、その代わり自由に取れる有給はありません(特別な事情で校長の許可を受けられる場合もあり)。
ですので、いくらイギリスとはいえ半休とって用事を済ませることが容易ではないのです。
かといって代理申請を頼める家族もいない。友人達も私と同様働いているわけだし。
私の授業が終わるのが3時20分。いつもなら6時まで学校にいてミーティングをしたり、次の日の準備などをするのですが、今回はどうにかして申請に間に合うようにするしかない。
地下鉄の路線案内サイトで私の学校の最寄り駅から総領事館のあるロンドン中心地の駅までの所要時間を調べると30分。歩きを入れると最低でも40分はかかります。
授業を時間きっちりに終えたとしても片づけをしたら学校をでられるのは早くても3時半。
つまり20分で申込書に記入して申請。
日本のお役所はきっと時間もきっちりだから、窓口も時間ぴったりで閉められてしまうのだろうと勝手に想像をした私。しかも、もし他にもたくさん申請者がいたら、、、。
小心者の私は頭の中でシミュレーションしてみたものの、前日の夜はなんだか落ち着きませんでした。
そして悩みの種はそれだけに尽きず。申請用の写真はその辺の機会でセルフで撮るものでは駄目だというので、薬局でお姉さんに撮ってもらったのですが、その出来にがっくり。その日は一日中授業だったので私の顔は見るも無残な疲れ顔だったのです。
さらに追い討ちをかけるように家に帰って写真に写る顔のサイズを定規で測ってみたら、規定より0.5ミリほど微妙に小さいような気が。「この写真じゃ申請はできませんねぇ」と冷たく拒否される瞬間を勝手に想像してさらにブルー。
午後の授業はそんなわけで、最後の20分くらいはちらちらと時計を見やりながら内心不安で落ち着きのない私でした。ごめんね、私の生徒たち、、、。
そして、いつもなら授業後に生徒としゃべったりのんびりするのに、今回はベルが鳴ったと同時に勢いよく片付け開始。
トイレも我慢して(失礼)学校を飛び出しました。
総領事館のある駅までは乗換えが一回必要です。上手く接続できるかなぁと心配しつつ、最寄り駅に着くとすぐに電車が来たので「おっ、これはいけそう」と安心。
でも、ロンドンの地下鉄はそんな私に冷たかった。
乗り換えの駅に着いたら何かがおかしい。そう、乗り換えるはずの路線への通路が封鎖されているのです。アナウンスを聞けばなんと、人身事故のため一区間が運転中止になったというではないですか。
そんな、乗り換えれば目的地まであと一駅なのに!!!
それでもそこから総領事館は歩いてすぐ行ける距離ではありません。急いで路線図で他のルートをチェック。2駅先に行けば他の路線を使って行けることを確認。少し遠回りになっても歩くより早いはず。
もうそれからは電車を待つ数分がまるで永遠のように(って大げさですが)感じられたのでした。
さて、そんな私のパスポート申請がどうなったかというと、、、。
結果はセーフ。
総領事館になんとか到着。セキュリティチェックを受けて、慌てて申請書を記入する場所へ。座った席に備え付けのペンのインクが出なくて、どたばたと移動する私。はたから見たら見事な慌てっぷりだったことでしょう。
申請書も普段は慎重に記入する私なのに見本を横目に見ながら一気に書き上げ、またまたどたばたと受付窓口へ。
出てきたのは男性の職員さんでした。恐る恐る問題の証明写真を差し出すと駄目だし受けずにセーフ。それで一気に緊張が解けました。
が、職員さんから3箇所も記入漏れを指摘されました。本籍地の記入欄なんて、本当は番地まで記入するのに「OO県」までしか記入してなかった私。日本での連絡先も両親の名前を書く部分を空白で提出。両親健在なのに、、、。
職員さんもきっと「おいおいちゃんと確認してから窓口に来いよ~」と思っていたに違いありません。いえ、実際には本当に丁寧に指摘して頂きました。
何はともあれ、無事に申請が終わったのでした。
皆さん、パスポートの期限のチェックはどうか怠り無く。
March 16, 2009
ベン座の女
家を買って10年以上経つ。
私の安いサラリーで選べたのは 「郊外」「中古」「小さめ」な物件だ。それでも当時は住宅市場がほぼ底値という状態だったので、環境もサイズも悪くない家を手に入れることができた。
が、古い。イギリスの家は煉瓦建てなので建物は頑丈にできているが、内装は古びている。で、見た目だけはなんとかしようと、ペンキをぺたぺたと塗りまくった。実は日本にいるときからペンキ塗りは得意である。ただ、根気がないのと大ざっぱな性格のため 「下準備をして丁寧に仕上げる」みたいなことは不得意で、壁紙とかは無理。
さて、この中古の家、なんといってもバスルームが破滅状態にあった。時代遅れのデザインの浴槽、シンクとトイレ。剥げかかったダサい壁紙 (イギリスでは、なぜ、バスルームに壁紙を貼るのか?) パイプの横には隙間があり、 「ねずみが出てきて、こんにちは」状態である。
長い一日を終え、お風呂に入ってゆっくりとリラックス。
ふー、と息をつき壁やパイプに目をやるとみごとなまでの崩れっぷりだ。リラックスしていた筋肉に緊張が走る。慌てて目を閉じて、何も見なかったことにする・・・こと10年間。
しかし、ついに見て見ぬ振りをするにも限界がきた。
・・・床が崩れ始めたのだ。
私のバスルームはイギリスの家には珍しく一階(グランドフロア)にある。
数ヶ月前、浴槽の栓を抜いて水を流すとジャーという派手な音がした。・・・はて? パイプ内を流れる水音ではない。庭にホースで水撒きをするように 「水が直接、地面に叩きつけられる音」である。
浴槽の横にあるパネルをはずしてみたら、確かに 「水は大地へと流れ落ちていた」パイプがはずれ、浴槽の水はそのまま床下へざあざあとあふれている。
うわー、どうしよう? で、必要は発明の母、スーパーのビニール袋を使い、はずれているパイプをつないで応急処置をする。
この 「スーパーのビニール袋作戦」は数週間ごとに 「ジャー」という水音で修復を余儀なくされる。
そして、ある日、トイレの便座に座っていると・・・。
便座の下から隙間風が感じられた。 あ・・・地面が見える。
パイプからの水漏れは浴槽からだけではなかったらしい。あちこちの水漏れは床下を伝ってトイレを支える支柱まで腐らせていた。便座は前かがみの微妙な角度のまま、やっとのことで床上に残っている。
こうして数週間、トイレは 「使用中に地面に落ちるかもしれない」という恐怖の時間と化した。 ここで怪我なんかして、救急車を呼ぶことになると、かなり恥ずかしい状況だ。
「ロンドン在住の日本人女性。自宅で怪我。床が抜け、便座ごと地面に転がり落ちた模様。さすがの救急隊員も青ざめる凄惨さ。応急処置のスーパーの袋で自業自得か?」
残りの人生、 「便座の女」 とか 「ころびトイレ女」 とか呼ばれる運命となるのだろうか?
しかたなく、イギリスの某大手業者(オレンジ色のロゴでバーベキューみたいな名前のあの店ね)に見積もりを頼んだ。
と、ものすごく高い。明細書を見ると 「浴槽の取り外し費用 XXXポンド」と古い浴槽を運び出すだけでも日本円で数万円もする。 蛇口ひとつで数万円。 「総ひのき」 のお風呂の値段かと思ったね。
おまけに 「工事に取り掛かるのは3ヵ月後」とか。それまでにはトイレは地面に落ちてると思う。 下手すると私と一緒に・・・。
またまた他の業者を探していると、知り合いの人が紹介してくれた。今度は見積もりが半分近い。しかもすぐに取り掛かってくれるとか。
工事中は友人宅に泊めてもらった。約束通り2週間後にはピカピカのバスルームが完成し、やっとバスタイムがリラックスタイムになった。
ああ、落ちなくて良かった・・・。
March 13, 2009
Work Experience
先週、学校から10年生の姿が一斉に消えました。
実は毎年この時期、10年生がWork experience(職業体験)に出かけるのです。
それぞれの行政区の認可を受けた受け入れ先に、1-3人ずつ我が校から職業体験生として2週間派遣される仕組みです。
受け入れ先は薬局からスーパー、保育園や小学校、そして会計事務所まで実に様々。
早いもので今年は私が担任を受け持つクラスの子達が職業訓練に出る年で、彼女らも色々な場所へ派遣されていきました。
一応、体験したい職業、派遣先の地域をおおまかに選べるものの、全てが希望通りにはならないため、彼女らの間では多少不満はあったよう。
残念なことに数人ほど最後まで受け入れ先が見つからず、うちの学校で職業体験をすることになった子も数人いました。
何はともあれ、先週からこの職業体験期間が始まりました。
まぁ、朝の会がないと私の一日の始まりは平和そのもの(笑)でも、静かなのも少し寂しいのでした。
そういうわけで、うちの学校で職業体験中のクラスの子を見つけると一層親しみを感じて思わず声をかけてしまう私でした。
さて、この職業訓練中はもちろん10年生の授業がないわけですが、だからといって「授業がない!ばんざーい!!」というわけには行きません、、、。
10年生の担任、そして10年生を教えている教科担当の教師たちはこの期間中に最低3人の生徒の派遣先を訪問しなくてはいけないのです。
訪問の際には生徒自身と生徒のSupervisor(監督者)と面談をし、簡単な報告書を提出しなくてはいけません。
今年は自分の担任クラスの年ということもあり、私はこの訪問をいつもより楽しみにしていました。
ただ、訪問先を決めるのは早い者勝ちなので学校から近い場所、3人以上の生徒が同時に派遣されている場所は結構他の同僚たちがすでに訪問を決めてしまっており、私が行くことになったのはどれも地下鉄を使わないと行くのが難しい場所。
早速、クラスの生徒3人の受け入れ先に電話でアポイントメントを取り、先週の金曜日の午後に向かいました。
一つ目の場所は東ロンドンにあるイギリスのチェーン系のスーパー。二人の生徒が一緒に派遣されていました。
どちらの子も真面目でしっかりした子。訪問先到着後、彼女らのSupervisorと話をしましたが、どうやら文句1つ言わず一生懸命やっているようです。
彼女らとの面談も済ませて、最後に学校への報告のために写真を一枚ぱちり。
そして、次に向かった先は、イギリスの金融街にも近いオフィスの並ぶ地域。さっきの場所とは全く雰囲気の異なる場所です。それもそのはず、この訪問先は会計事務所なのです。
ここに受け入れてもらっている生徒は数学で秀でた才能を見せているL。根が真面目で頑張り屋、まわりの友達からも人一倍信頼されています。
彼女と面談して話を聞くと、数字に関係したことなら何でも好きらしく、この派遣先を大変気に入っている様子。
彼女のSupervisorもそんな彼女の働き振りを高く評価してくれ、担任として本当に嬉しく思いました。この子には本当にこの東ロンドンの環境に負けずにしっかりと自分の道を切り開いて満足のいく人生を送って欲しいなぁと思います。
ここでも彼女と、そして彼女の直属の上司を写真に収め、移動も含め、午後3時間以上に及ぶ訪問の旅が終わりました。
といってもこの職業体験、こんな美しい話ばかりではありません。実は、派遣先を嫌って、Supervisorの指示を無視したり、失礼な態度を取ったり、昼休み後にさぼって戻らなかったり、無断欠席・遅刻をして、事実上「解雇」になった子が学年で数人いました。
そのうちの一人は実は私のクラスの生徒で、あと一回問題をおこせば退学になる子です。去年から停学を繰り返し、立て続けに問題をおこしていた彼女。
そのなかにははっきりいって背筋が凍ってしまうような話もありました。15歳の子供がこういうことをできてしまうのか、と。今回も学年主任から話を聞いても正直全く驚けない自分がいました。
私の認識していた「常識」を超える彼女達。残念ながら自分の我がままを絶対の権利だと主張してやまない彼女らが学校を卒業したとき、社会はどのように彼女らを受け止めるのでしょうか。
大学入学や資格取得のためにGCSEよりも上のコースに進まなければ来年で卒業する彼女ら。経済が不安定な今、その彼女らに一体どんな現実が待っているのか、、、。
生徒たちの成長ぶりをみて感動すると同時に、灰色な未来も垣間見た今回のWork Experience。なんとも複雑な気持ちになったのでした。来週は全員と再会。皆、一体どんな体験をし、成長したのでしょうか。楽しみでもあり、少し不安でもあります。
March 10, 2009
Thank you. ありがとう。
ともかく英国にきて驚いたのが、Thank youを聞く回数が多い事。ドアを開けてもらってThank you。
おつりをもらってThank you。食事をサーブしてもらってThank you。テーブルの上にある塩を取ってもらってThank youと家でも外でもこのThank youを言わない日がないくらい、気づけば多く言われている言葉。ただ、日本人にはこの言葉が苦手なのか、習慣になっていないのか、英国にいても特別な事がない限り言わないみたい。(習慣になりたいね。)
そうそう、ダーリンも私に「ありがとう」とよくいうなー。
「7時だよ。起きる時間だよ。」と起こすと「ありがとう」
「これお弁当。忘れないでね。」「ありがとう」
「アイロン掛けておいたよ。」「ありがとう」
「ごはんできたよー。」「ありがとう」、、、
そうか、結構いい習慣になっているんだ。
聞いた話だが、英国航空の機内に日本人アテンダントが搭乗していたそうだ。彼女のまれに見るサービスに感心した日本人女性が飛行機を降りる際に「すばらしいサービスをありがとう」といったら、そのアテンダント、涙ぐんでいたという。きっと日本語でのありがとう。に慣れていなかったのかな?と知り合いは思ったそうだ。
ある本を読んだ。何気なく入った日系の中古品店で手に入れた。前の持ち主が雨にさらしたのか、風呂場で読んで落としたのか、コンディションはかなり悪いが、「100%幸せな1%の人々」というタイトルに引かれて購入した。
そこには、「ありがとうは魔法の言葉」と書かれている。入院している人が同室の人に「ありがとうを100回言うと治りが早いらしい。」と言われ何もすることがないので実行したら、早く直ったとか。
次は「心を込めて2万5000回言うと、突然自分にとってうれしく、楽しく、幸せな奇跡が起こるらしい。」と書かれている。ただし、不平不満、愚痴、泣き言、文句、悪口をいうと「ありがとう」が消えていくらしい。でも、もし言ってしまったらその場ですぐに今のは「ナシよ」と訂正するとセーフらしい。と書かれている。
もちろん、こんなこと信じられない!なんて思うけど、 不平不満、愚痴、泣き言、文句、悪口言わない。で過ごすなんて、なかなか出来ない事だから、そんなご利益がもしかしたらあるなら、
毎日「ありがとう」を言って過ごすのも悪くないなー。
そう、人気のある人の共通点は、「ありがとう」をすぐに言えるし、「不平不満、愚痴、悪口など」はめったに言わない人だ。
いい事なら、英国人の習慣も取り入れてもいいんじゃないの?と本日から実行したいワタシ。しかし、2万5000回迄、数えられるかな?そうか、1日68回、1年で達成可能。寝ている時間を除くと、1時間5回程度だ。あなたも実行してみる??
March 09, 2009
Happy Reunion
昨日は木曜日にもかかわらず、服装に気合を入れた私。
学校に着くなり、同僚から「いつもと違うね~」という声が。そう、普段はズボンに普通のトップス。スカートを穿くことすらあまりない私です。その私がサテンのブラウスに黒のスカート、それにヒール靴で決めていたものですから、たぶん周りの人間は何事かと思ったことでしょう。
でも、昨日は特別な日だったのです。2007年11月のブログ「地球の裏側から。」で私の大学院時代の友人Yについて書きましたが、その彼女が目出度く博士課程を修了し、昨日はその卒業式典に招待されていたのです。
私と同じく海外留学生としてイギリスでの生活をスタートした彼女。そして、今、博士号取得という素晴らしい目標を達成した彼女が、私をゲストとして式典に招待してくれた。
その旨のメールをもらった時、本当に嬉しかったし、何よりも私を大切に思ってくれている、彼女の大切な瞬間に立ち合う機会を与えてくれたことに感謝と幸せを感じました。
実は6年前の修士課程の卒業式典は彼女が台湾に帰国した後だったので一緒に参列したことはなかったのです。それが今回は彼女が何とか職場の上司から海外渡航の許可をもらい、晴れて式典に出れることになったのです。
博士のみが着れる特別な朱色のローブを身にまとい、待ち合わせの場所に現れた彼女。他の学生たちはほとんどが修士号や教職課程の卒業者なので地色は黒。彼女は相当目立っていました。
そんなわけで、私は自分が博士号取ったわけでもないくせに一緒に並んで写真を撮っているだけですごく誇らしく感じるのでした。
式典は私の参加した式と構成はほぼ同じでした。が、前回と何が違うって、、、。それは、カメラを握り締めて彼女が壇上に上がって証書を授与されるのを待つ私。
もう、気分は保護者そのもの。いえ、彼女のほうが私よりいくつか年上ですが。とにかく、シャッターチャンスを逃してはならないと気合を入れて連写モードに設定を変え、何人か知らない人を撮って練習したりしながら彼女の登場を待ち続けました。
ただ、博士号の授与はいわゆる「トリ」なので最後なんですね。だから待つ時間が長いこと。でも、待った甲斐あって、もう彼女が壇上に上がったときは感動でした。でも、カメラ握ったままだったので肝心な拍手が全く出来なかったんですけれど。
そのあと、気が抜けた私はやけに長い閉式の辞はすでにあまり聞いていませんでした。
式典後、祝賀会に20分ほど参加して、その後は私にとっては修士課程の時の恩師であるPと、教職課程の恩師であるR、そして私の友人(Pは彼女の博士課程のTutorです)の4人で食事に行きました。
私と友人Yにとって彼らは先生という存在を超えています。二人とも元中高教師ですので、教員としての先輩でもあるわけですが、それよりも何よりも彼らはイギリスで心から尊敬できる人生の先輩、人生の導き手です。
彼らがいなかったら私はイギリスで教師になっていなかっただろうし、彼女も博士課程に進むことはなかったと確信できるくらい。
でも、彼らは決して私たちを彼らの思う道に進ませようとはしない。私たちが決めたことについて的確にアドバイスしてくれて、最良の道に進めるようにサポートしてくれたのです。
昨日も今の仕事について、プライベートのことについて、、、彼ら自身の経験談を交えながら色々なアドバイスをしてくれました。
実は数週間前は自己不信に陥っていた私。でも、昨日、彼らとまた再会して「やっぱりこの道に進んでよかったな。幸運だな」と素直に思えたのでした。
また4人で食事をする機会がいつになるのかは分かりませんが、次に会ったときもポジティブな自分でいたいです。自身を持って自分の仕事のこと、プライベートのことを報告できる自分でありたいなと思いました。
最後に、、、友人Yの大きな達成に乾杯!
March 04, 2009
馴染む
すっかり暖かくなって、日も延びて春らしい今日この頃。
わーい。春だー。なんて浮かれて薄着になっては風邪を引きますのでご注意を。
in like a Lamb out like a Lionという春についての言葉があるそうです。「春は子羊のように入ってライオンのように出て行く。」つまり春だから暖かい。といって油断していると寒い日があるから気をつけましょうね。ということわざだと、ダーリンから聞いた。ダーリンはおばあちゃんから聞いたそうだ。
このおばあちゃん、昨年亡くなったが、気難しくて、いつも文句ばかり言っているようなおばあちゃんだったが、彼女がいつもグッドバイの代わりにいうのが、cheerio!!(私にはチェリオーって聞こえます)この言葉がなんだか可愛くて、真似したいけど、やっぱりおばあちゃん言葉で、なかなか使うことが出来ていない私。ああ、残念。
そう、我々はなんといっても外国語なので、その雰囲気がわからず、身に付いていない言葉が多い。
だから、Fがつく言葉が下品な言葉と言われても、ふーん。って感じ。
若者は何でも気に入らないとFワードを造語にして、連発しているのを聞くけど、だから??という感じで、聞き流していると、隣で不快な顔をして聞いているダーリンがいる。
ダーリンはこの言葉が大嫌い。この言葉を連想させる洋服屋「fack」は許せなようだ。普段は、私の洋服に希望はないが、この洋服屋だけは許せないようで、ここからは買うのは止めてほしい!!と懇願するほどだ。
日本人は、よくトイレ関係の言葉を平気で口にするが、これもダーリンにはFワードの延長線らしく、私が冗談で口にすると顔をしかめる。
しかし、住んでいるとだんだん馴染んでしまう言葉もある。Whoops!(ウップス。おっと、しまった。という意味)この言葉を初めて聞いたのは、私が英国に来て初めてアルバイトをした日本食品店。なぜかそこに大学院生の日本男子バイトがいた。インテリに似合わない職場では、他の日本人バイトの男の子たちが、彼が口にする Whoops!が気になるらしく、よく彼がいないときに揶揄していたのを思い出す。何かするとこの言葉が彼から発せられ、英国に馴染んでいるように見えてうらやましかったなー。それから、○年たった。
最近、この言葉を無意識に口にしている私に気づいた。いつの間に??ダーリンの口癖ではないし、何処でコピーしたんだろう??私も馴染んできているのだろうか??そして、きっといつかはFワードもコピーしてしまう日もくるのでしょうか???
March 01, 2009
深い眠りにつけた日。
終わりました。
3か月続いた落ち着かない日々が。
そう、来たのです。12月から待っていたOfstedが。
読者の皆様にはもしかして「月子、Ofstedを前に雲隠れか?!」と思われていたかもしれませんが、ちゃんと生きておりましたよ。ただ、ちょーっとブログを書ける状態ではなかったのです。
ここ数週間は学校中が張り詰めた雰囲気で、ハーフターム中もいつもならもっとリラックスできるのに、準備やら復習授業やらで結局4日間も仕事に出る羽目に(でも、普段よりはずっと楽でしたが)。
そしてとうとう、月曜日、校長から「Ofstedが水曜・木曜にくる」というメールが来ました。
正直、教職員一同驚きました。当初はOfstedが何の前触れもなく当日に突然訪れることもあると聞いていたからです。
それが2日も前に通達を受けるとは。しかも、今回は綿密な授業案は必要とされていないと言われていたのに、一つ一つの授業のために書いておかなければならないと言われ、みんなてんてこ舞いに。
先週まではいつ来るかまったくわからない状態で、しかも、先週はとうとう「2月には来ないのではないか、、、」とささやかれる始末。現実的にはこの何とも言えない緊張感にこれ以上耐えられないと誰もが思っていました。
「Satisfactoryどころか最低評価を受けることになるかもしれない」という警告(これ以外の言葉が思いつきません)まで校長の口から飛び出す状態で、周りの同僚と一緒に最悪の状況も覚悟しつつありました。
Satisfactoryに満たない場合はA notice to improveやSpecial measuresという通知を受けることになり、監査から数ヶ月以内に向上のための具体案と実践を見せなければ本当に最悪の場合、閉校に追い込まれます。
まぁ、最悪のケースになるとは思ってはいませんでしたが、私たちの場合、やはり、去年の試験結果が思わしくなかった事が響き、Ofstedは私たちの生徒の成績向上などを示すデータ管理・分析を厳しく追及することが予想されていました。
で、肝心な私はというと、、、。
実は、木曜日は授業が1つ。8年生の100分授業のみ。さらに木曜日は前もって予定されていた他校への研究訪問があり、学校に一日中いなかったのでした。代理授業のための教材や授業案作成は大変でしたが、自分で実際にOfstedの「恐怖」を感じながら授業するよりもずっとましでした。
Ofstedの来訪を知りながら、校長が私の他校への訪問を許した背景には、実は色々とあるのですが、とにかく私にとっては他校の教師からたくさん学べたうえに、Ofstedの訪問を免れるという何とも幸運な結果になったのでした。まぁ、私が授業をおこなったとしても、結局、その日は人文学部の教師、誰一人としてOfstedに授業観察をされなかったのですが。
さて、気になるOfstedの監査結果は、、、。
「Satisfactory」
前回が「Good」だっただけに、お世辞にもいい結果ではないのですが、Ofstedが指摘した試験結果の弱さを考慮すれば私たちがどんなに頑張ったとしてもこれ以上の結果を出すことはできなかったようです。
私がこの結果の連絡を受けたのは木曜日の夜6時。同僚が携帯のメッセージで知らせてくれました。心臓をバクバクさせながら携帯をチェックし、Satisfactoryの文字を見た瞬間、もう何ともいえない脱力感が。嬉しさで飛び上がるというよりは、もうほっとする気持ちだけでした。
その夜は3ヶ月ぶりに本当にすっきりと眠れたように思います。脳みそがしっかり休んでくれました。
おかげで今日の授業はペースもよく、生徒もいつもより反応がよく、積極的に課題もやってくれて大満足の結果に。他校で学んだテクニックを活かせた事もプラスでした。こんな気分はほんとうに久しぶりでした。
これからももちろん、我々の教師としての生活は続くわけですが、少なくとも「生徒の成績のレベルが、データが、、、」とあたふたせずに授業に集中できます。
とにかく、まるでちょっと早い春の到来を感じるような金曜日でした。