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February 24, 2010
義理ママとの日本旅行 その6
ダーリンがやっと日本に到着した。義理ママは、外国人のお決まりの観光コースの京都、奈良見物にダーリンと出掛けた。私はママのナビはお役御免となった。大阪で私のママや妹と買い物に出掛けたり、街をブラブラと散策を楽しみ、のんびりと過ごした。
ママも英語を話す息子と2人で出掛けるのでおそらくリラックスしているだろう。一方、ダーリンは、日本に来たのに自分の自由時間がない!!とボヤいている。まあ、これも親孝行。がんばれ!!がんばれ!!
夜は、いよいよ私の家族との会食会だ。英語の学習成果を見せる良い機会の妹、現役大学生の甥っ子、そして、妹の夫と私のママがやってきた。なんと義理ママとの英会話で一番うまかったのは、妹のダンナだ。仕事で英語を使っている訳ではないが、やはり人とのやり取りに慣れているのだろう、場慣れしていている。一方、妹は、なんだかみんなの注目で舞い上がってしまって、始終、あれ?何だっけ?なんて言うんだっけ?という始末。妹よ、もっと練習が必要かもよー。がんばれ!!がんばれ!!
さて、のんびりした数日間だったが、またしても移動だ。我々のファイナル目的地、ママの息子と孫がいる香港へと旅発つ。今回は、沖縄、香港といろいろ動いたが、日本のパッケージツアーは安い!!そんなお陰で我々もいろいろな場所へ廻れるのでうれしい。まあ、1つネックなのは安い=朝早い飛行機に乗るってことかな?
香港行きは、朝9時発の飛行機だ。大阪は勝手がわからないので早々に空港へ向かった。予定よりも早く着いてしまったので、免税店をウロウロと周り冷やかしていた。そこに、腕時計コーナーがあった。そうだ、私の時計の調子が悪い。いい時計があったらほしいなー。と真剣に見ていたら、私の浪費癖を見抜いているかのように背後からママの声がした。「何か買おうとしているの?」
「うーん。ちょっと。」と時計を探していると言った。するといきなり「買って上げるわよ!」とママ。「えっ!」(お母様、いまなんておっしゃったの???)とあっけにとらえていると、「あなたにはいろいろお世話になったら、クリスマスプレゼントに買ってあげるわ。」(私、朝早く起きすぎて、まだ夢見ているかしら??)
あの、すみません。ここにある時計は、1000円では買えないのですが、、、、。ママ、ちゃんとプライス見ているのかな??と頭の中であれこれ考えていると、そこへダーリンがやって来た。私としては、ママに買ってもらうのはなんだか悪いので、「この時計は、ダーリンに買ってもらうわ。」とダーリンにねだった。目を丸くしているのは、ダーリンだ。何が起こったかわからない。私が時計を探していること、 ママからのオッファーの話を説明したが、「せっかくママが言っているのだから、買ってもらえば?」と自分の財布が傷まないように逃げようとするダーリンだ。ちょっと待って!ダーリンはまだ私のクリスマスのプレゼントを購入していない弱みがあるぞ。そこで、いいアイディアが。
ママからのオッファーとダーリンからのクリスマスプレゼントとして、2人から時計を買ってもらうことにした。ああ、人から買っていただくのは、なんて気持ちのいいことなんてしょうか。(注)羨望のまなざしを受けてもいけませんので、念のため補足。こんな短時間に決めたのですから、 残念ですが、RやPから始まる高級品などの時計ではありません。
私も単純だ。時計を購入してもらうので、残る旅の行程では、もっとママのケアを気持ちよくしようと心に決めた。
うーん。そういえば、タダほど怖い物はないという言葉があったなー。
これから向かう香港には、ママの強敵、嫁のジェマがいる。そんな前だから、私を味方につけておくのは大切だ。ママは私がママ孝行に励む決意を見抜いているのでは?もしかしたらママはかなりの戦略家かもしれないなー。(つづく)
February 23, 2010
アイス・バー
アイス・バーに行った。 店から招待された友人の招待だ。 (つまり、おまけ)
開店したのは何年も前だから、既にトレンディなバーとは呼べないかもしれないが。
リージェントストリートから奥へ入った一角で、零下5度に保たれた氷の部屋に40分ごとのセッションで入れ替え制。 バーで出されるのは、ウォッカ、またはウォッカ、あるいはウォッカである。 焼き鳥、枝豆、冷奴などのおつまみはなし。
土曜日の8時前。 フレンドリーなお兄さんが予約客名簿を持って、バーの前に立っている。 友人が名前を告げると、もともと良い愛想が1000倍になった。
「あーら、いらっしゃい。お待ちしてたのよ」
(ぜったい、ゲイだな)と確信する。
ヘッドホーンにくっついた口の前のマイク(電話のオペレーターがつけているようなアレ)に話しかける。
「お見えになったわよ。 ええ、いいわ。 今、中にお連れするわね」
(案内役の人の日本語の訳が 「女言葉」 なのには特に意味はありません・・・って、あるかな。 だって、そんな感じに聞こえたし)
「さ、こちらへどーぞ」
とロープで区切られた場所に案内される。
・・・これって、もしかして、VIP待遇ってやつ?
順番待ちの数十人を飛び越して、列の一番前にある椅子で待つ。 貧乏性の私は、
「ふふっ、私たちって一般の客じゃないのよね・・・VIPだしー」
という気分にはならず、
「ええっと、申し訳ございませんね。 いや、お待ちの皆さんに失礼するつもりは全くございませんです。 ちょっと知りあいなので、ちょっくら、お先に。 いや、ご迷惑はおかけしませんので、お気になさらぬよう・・・」
と心の中で謝りまくったのだった。 ま、自分が列に並んでいて、誰かがエラソーに一番前に案内されたら、
「何だー、こいつら」 と思うだろうし。
さて、8時になった。
傍観マント、ではなく、防寒マントを頭からバアサッと被せられる。 ミトンの手袋つきだ。 フードもついていて、それをかぶると三角形のフェイクファーから、顔が飛び出る仕掛けだ。
いざ、アイス・バーへ。
天井と床は鉄板だが、壁、テーブル、カウンター、椅子(の上にはクッション)はすべて氷である。 おおー、さっむー。何で、わざわざ冬にこんな所へ連れてくるんだ?
「とりあえず、ウォッカね」 といっても、ウォッカしかないのだが。
ストロベリー、レモン、ラズベリーと色々なフレーバーのウォッカが、氷でできたグラスにサーブされる。 バーテンダーがマドラーで混ぜると、あーら、不思議、蛍光色に光るではないか。 何が光るんだろうと調べているうちに、それが鼻について、赤鼻のトナカイならず、蛍光鼻の日本人、になってしまった。
このバーは飲み会のスタート地点として大人気だそうだ。 これから飲みに行くぞーという、やる気満々のお姉さんたちがたくさん来ていた。 防寒マントの下は、ノースリーブのトップに、超ミニスカート、そして、ヒール15センチのスティレトゥといういでたちだ。
友人もポーカーンとお姉さんたちに見とれている。 マントの横はすっかり開いているので、膝上30センチのスカートから伸びた足(たぶん素足)が丸見え状態。
「いやー、薄着だから風邪をひかないかと心配で・・・」
そうかい、心配で見てるのかい?
「寒いよー。 しっかり着込んで、底の厚い靴を履いておいで」 という言葉を信じて、冬山登山のような格好で来た私は、パーティドレスのお姉さんたちの横に突っ立って、バカ丸出しである。 おまけに鼻は蛍光色に光っているし。
しかたなく、飲み放題のウォッカをガバガバと数杯飲んだ。
40分が過ぎて、入れ替えだ。 外に出てほっとする。 が、零下5度のバーから出ても、外もほぼ零度。 あんまり、変わらないじゃん。
PS. 厚底の靴を履いていたのに、しも焼けになった。 あの、素足にスティレトゥのお姉さんたちは無事だっただろうか? ああ、足がかゆい・・・。
February 17, 2010
義理ママとの日本旅行 その5
女同士の旅には、付き物のちょっとしたいい争いだった。ママも言いたい事をはっきり言って、
すっきりするタイプ。私も似ているので、お互いにぶつかるときはぶつかるが、吐き出してしまえば、お互いにすっきりする。(おそらく!ママも同じだろう。)
そして、「ごめんなさいね。ちょっと言い過ぎたわ。」と私。ママも「私もイライラしていて、ごめんなさい。」となんとか仲直り。ホッ。
沖縄で用事があった私は、ママとは夜だけ会うという距離間がよかったのだろ。良い関係が続いた。最後には、ママはカーナビを見ているだけでドライブができるなど、リラックスして南国の日本を満喫していた。さあ、我々は次ぎなる目的地、大阪へ飛んだ。
ここには、私のママと妹の家族がいる。妹家族は、我々の結婚式に英国にきてママに会ったのが十数年前。それ以来の再会だ。甥っ子は、小さかったのでまったく覚えていない。妹は、なんと英会話を習っているというので、多いにママと話してもらおう。と関西空港から大阪市内に向った。
南海線で難波まで行った。私は大阪の地理は疎い。何度来ても、難波と梅田を間違えてしまう。まして、南海線の難波で降りるのは始めてだ。我々は、大小のスーツケース2つずつを持っているお登りさんだ。タクシーを拾いたいので、出口のある下に向かっていた。下りのエスカレーターが見えた。思わず乗ったが、2つのスーツケースを持っていてはちょっとキツイ。後ろを見るとママもついて来ている。よかった。おっと、さらに下りのエスカレーターが続く。うーん。とちょっと躊躇。でも、エレベーターもが何処にあるのかわからない。いけいけゴーゴーの私は、えいっ。とばかりにまた飛び乗ってしまった。よし、乗れた。と後ろを向くと、ママがいない?? あれ、まだ乗っていないのかな?と着いた場所で少し待っていた。しかし、待っていてもママは降りて来ない。えっ???何処かではぐれた??とちょっと焦った。
私は、2つのスーツケースを持って,上りのエスカレーターに飛び乗り上に行った。しかし、ママはいない。困った。困ったぞー。ママは、携帯も持っていないし、これから行く所も知らない。困った。困った。
はっと見ると、クイックマッサージの店前で、呼び込みをしている若い女性がいる。神にすがるように聞いた。
私「あの、この辺りに外国人の女性をみかけませんでしたか?あの、このようにスーツケースを持っていて、、、、」
若い女性「さぁー。見ませんでした。」
私「実は、私の連れですが、はぐれてしまったんです。」
若い女性「・・・・・・・」
私 「すみませんが、この荷物、少しの間、見ていてくれませんか?」となんとも厚かましく頼んだ。英国では、爆弾テロがあるから、こんな事お願いしても絶対無理だ。しかし、ここは大阪。気のいい人達が多い。
若い女性「お客さんが来たら、私も中に入ってしまうので、少しの間でもいいですか?」
私「もちろん。」とスーツケースを置いてその場を離れた。
身軽になった私は、この辺りの散策を始めた。うーん、困ったなー。いったい何処へいったのかな? ママは私が下に行ったのは知っているはずなのだからと、もう1度下に行った。しかし、エスカレーターから見てもママらしき人は見えない。うーん。困った。
よく見ると、柱の向こうにスーツケースが見える。足早にその柱に行くとママが柱の後ろにいた。
私「ママ、何処にいたのよ。どうして、私の後に着いて、降りて来なかったの!!」と行方不明で焦りと憤りの気持ちがそのまま出てしまい、また攻めるようないい方をしてしまった。
ママ「だって、スーツケースが2つもあって、皆がどんどん私を押してくるので、 落ちてしまいそうで怖くてエレベーターに乗れなかったのよ。だから、階段で降りて来たの。」
えっ、階段? 2つのスーツケースを持って???
そう、このときは丁度シュアワーの時間だった。田舎暮らしのママにとっては、東京とは違ってもラッシュアワーは怖いだろう。人の波に乗るタイミングをつかむのは難しい。無理もない。私が悪かった。もっと彼女のこと理解しておくべきだった。ママ、ゴメン。またしても反省。
しかし、本当によかった!!もし、これで本当にママとはぐれてしまったら、私はいったいどうしたのだろうか、警察に行くしかないのだろうか。ああ、考えただけでも怖い。そう、これは、危機一発だった。ふぅー。やれやれ。しかし、疲れた一日だったなー。(つづく)
バリアフリー
突然だがうちのダンナは、健康だけが取柄のような男だ。
決してけなしている訳ではない。
私は若い頃から身体がそれほど強い方ではなかったので、「健康だけが取柄です」なんて言える人を羨望と憧憬のまなざしで見てしまう。(それを恋愛感情と間違えた、という説もある。まあそれはそれとして)
ダンナがどんなに健康かを説明しよう。
50歳をちょっと越した彼、数年前まで肩こりも頭痛も経験したことがなかったという。
(友達が『頭痛がする・・・』などと言っているのを聞くと、いったいどんな感覚なんだろう・・・と未知のものに対する憧れに似た気持ちを持ったらしい)
風邪も殆どひいた事がなかった。
つまり生まれてから40年以上、人生の殆ど絶好調、という体調だ。(体調以外はたいして絶好調でもないですが)
「数年前まで」と書いたが、今は人並みに頭痛も肩こりも経験した、という事である。
私と結婚してからと時期が重なるが、あくまでも「偶然」の一致、「年のせい」だと信じたい。
しかし依然として体力や運動神経は若いものには負けないらしく、テニスや卓球でも20代の若者にも勝つらしい。
50歳前までの半生が健康すぎて、少しでも体調に不備があると大騒ぎしていた彼だった。
例えば冬に乾燥した空気が原因でドライスキンになった時、この世の終わりのように悲惨な顔をしていた。(ドライスキンですよ、ドライスキン)
そんなダンナがヘルニアになった。
仕事柄、いつも重いかばんを持って歩くのでそのせいかもしれない。
職業病とでも言うのだろうか。
どんなに大騒ぎをするかと思えば、私に不調を訴える前に自分でGPに予約をとってヘルニアの診断をされてきた。
「へ?全然騒がなかったし、どうして言わなかったの?」
「友達が同じ症状になったばかりだし、GPに言われなくても分かってたし」
などと、妙に冷静で気味が悪いほどだ。
私に不調を訴えてもどうせ優しくなんてしてくれないということを学習したのだろうか。それとも何か心境の変化でもあったのだろうか。
そんなある日、仕事から帰った彼がポツリと言った。
「ロンドンの地下鉄の駅は障害者に優しくないよなあ」
「え?そうなの?リフトもあるし、ロンドンは日本よりずっと障害者に優しいと思っていたけど」
「いや、実際、リフトやエスカレーターがない駅もある。あったとしても、電車から降りて外に出るまでのどこかに段差があるんだ。車椅子やお年寄りの人はその一段を上れなくて苦労するんだよな」
ロンドン地下鉄がDisabled friendly でないという事実にも驚いたが、「お年寄り」や「障害者」の気持ちをダンナから教えられるとは夢にも思わなかった。
どうやらヘルニアのせいで、重い鞄を持ち上げながら上がる階段が相当辛いらしい。
健康の権化だったようなダンナがお年寄りや車椅子の人と同じ目線になっている。
そのことで、いかに彼の症状が重かったのかが始めてわかったような気がした。
バリアフリーは大切だ、健康は大切だ。
February 16, 2010
ケンブリッジ大学 就職戦争
友人の息子、M君は今年ケンブリッジ大学を卒業である。(あくまでも予定)
Sixth Form (日本の高校のようなところ、ただし2年)を終え、大学合格を手にした後、「ギャップイヤー」を選んだM君。 アメリカの親戚の家での長期滞在も含めて、1年間 フラフラと遊びまくっ・・・、いや、見聞を広めた。(イギリスに帰国しても電話をかけてくるアメリカン・ガールあり。 「友人」だそうである)
ケンブリッジ大学、某カレッジに籍を置き、2年間。 3年目は南米で1年間フラフラと遊びまくっ・・・いや、真剣な語学研修に専念した。 M君はスペイン語が専攻なので、スペイン語圏での1年間の生活が単位取得のために義務づけられているそうだ。(イギリスに帰国しても、南米から電話をかけてくるセニョリータあり。 「友人」だそうである)
この語学研修は税金でまかなわれているのかと思っていたが、旅費も生活費も親もち。 滞在地での受け入れ大学はケンブリッジ大学が手配をしてくれるそうだが。
「スペインに行ってくれればいいのに・・・」と愚痴る友人。
「スペインなら、旅費も安いし、ちょっとイギリスに帰国するのも楽なのに、なんでわざわざ、南米なんかに行くんだろう? 親不孝もいいとこ」
M君は最初、語学研修にキューバを選んだ。
なんで、キューバ? と聞いたら、カストロによる 「鎖国状態」もそろそろ終わりに近づいていて、 「開国」寸前。 開国すれば、大きく変貌するから、企業がビジネスチャンスを狙うはず。その前にコネを作っておきたいと思ったらしい。
「社会主義国のキューバなら、クレジットカードが使えないから、無駄遣いはしないだろう」 と、大金をキャッシュで持たせたものの、M君は数週間でキューバに失望。
「キューバではコーラを手に入れるのだって、大変なんだよ」とM君。
「不自由はなかったわよ」 とキューバに観光旅行に行ったイギリス人の女友達は言っていたが、考えてみれば、彼女が過ごしたのは外国人専用リゾートだった。
始めはキューバ留学をまっとうするように説得していた友人だが、かの地には台風がバンバン上陸することを発見。 M君がキューバにいる間、友人はインターネットで台風の進路をチェックしまくったらしい。
「明日、上陸するハリケーンは大きそうなんだよね」 とソワソワしてたっけ。 結局、息子の安全を心配した友人はM君が他国に移ることを承認。
コーラも飲めず、耐乏キューバ生活 (数週間だが) の反動からか、M君は南米の別の国で親のクレジットカードを使いまくり、友人は毎月の請求書におびえる1年を送ったのだった。
と、金食い息子に捧げた数年間。 やっと、晴れて卒業、就職という明かりがトンネルの向こうに見えてきた。
去年の秋頃から、そうそうたる大企業がケンブリッジ大学生にアプローチしてきた。 銀行、証券会社、リテール、メーカー、もちろん政府機関も。
「軽く食事でも?」とリクルートが次々と訪れる。
食事をしながら、会社概要や仕事を説明し、興味があれば、履歴書を送るようにと名刺が渡される。青田買いですね。
「僕、この業種には興味がないんだよね・・・」と最初は選びに選んでいたM君だが、現実は甘くなかった。 バブルがはじけて不景気なイギリス。 ケンブリッジ大学生も例外ではない。在学中の数年間は、ちょっとしたパーティに行けば、
「君、ケンブリッジ大学生なの? 今度、会社に遊びにおいでよ」 と声をかけられることが多かったというのに、そんなお誘いもなくなった。
企業も簡単には採用しない。1次試験、2次試験、3次試験と、情け容赦なくふるい落とされる。 高飛車だったM君の態度も少しずつ変わり、弱気な発言も出てきた。
「あの銀行から連絡がないんだ・・・。落ちたのかな?」
もし、いい就職先がなければ、大学院に進もうかという話も出てきた。
「まだ、この先も学費を払うのか・・・」とため息をつく、友人。
「でも、無職でフラフラされるよりは、マシかも」
ケンブリッジ卒でも就職難の今日この頃、楽じゃない世の中だ。
PS.来週、某企業の1泊2日研修があるそうだ。 この研修中に採用が決まるのか? ドキドキしているらしい。 がんばれ、M君。
February 10, 2010
義理ママとの日本旅行 その4
午前1時。目が覚めた。うーん。昨日と同じ現象だ。眠れない。夕食時に酒を飲んでしまったので、薬を飲む訳にもいかず、こんな事もあるかと思い買っておいたワインを開けて飲むことにした。
うーん、うまい。うまい。と飲んでいたら、ほぼ1本も飲んでいた。しかし、まったく眠くない。それに全然酔っていないのだ。いつもなら、いい気持ちでウトウトし始めるに。どうやら、ママとの旅行で、思いのほか気を使っているようだ。そうか、意外と繊細な私なんだ。なんて自画自讃している場合ではない。私としては、眠りたいのだ!!ああ、不眠症の方の気持ちがわかるような気がした。
次の日、夜は酒も飲まずにしっかり薬を飲んで寝た。翌朝はなんと朝の9時迄寝ていた。うーん。いい気持ち。と隣を見たら、ママも寝坊をしていた。どうやら、ママも疲れていたようだ。
その後、我々は沖縄に飛んだ。沖縄には米軍もあるので英語環境が整っていると思っているママ。我々は、空港からレンタカーを借り、いざ、ホテルへ。日本も車は、 英国と同じ左側通行。運転好きのママは、躊躇もなく運転席に乗り込んだ。車には、ナビもついている。これで安心。と思いきや、ママが一言。「このナビ、英語は話せないの?」「えっ!」そうだ、ママには英語のナビでないと意味がない。私もナビのことはわからないが、おそらく英語モードになんて切り替えはできないだろうから、私が通訳するしかない。
ママの運転はうまい。でも、日本で運転するのは始めてなので、日本の交差点の距離感がうまくつかめない。そのため、赤信号で止まるときも、かなり手前で止まってしまったり、行き過ぎてしまったりする。手前に止まるにはいいが、行き過ぎてしまった際には、「ママ、赤信号!!止まって!! 止まって!!」と叫ぶ私。ママも「あら、ごめんなさい。ちょっと、止まる所がわからなかったのよ。」と謝る。「あら、いいのよ。」と私。
しばらく運転しているとママがいう。「英語環境が整っているって言っていたのに、道路の標識がみんな日本語じゃないの!」と文句をいう。しかし、よく見てみると、日本語の表記の下に小さいが英語の地名などが書かれているではないか。「ママ、よく見て!ほら、英語でも書かれているでしょう!」と強気で答える私。
車が動いているので、ナビは絶え間なく話す。訳す私。ナビは時々いらぬことを言う。「これから合流です。」とか。これは訳す必要はないが、ママはなんていっているか聞きたがる。
右折の際だった。対向車を先に見る事が出来るのは助手席に座っている私だ。ママが右折をしようと焦っている気持ちが伝わる。私も車を運転する。彼女のブレーキのかけ方、右折などのタイミングが私とは違う。右折の場合は、運悪く直進の車がぶつかるとしたら、私側だ。そんな身の危険も感じてか、慎重に右折して欲しいので「ママ!!車がきているわよ。気をつけてね。」と右折で待機しているママにいう。ママが動き出そうとしている。私は、また直進車を発見した。「ママ!!また車がきているわよ。気をつけてね。」と言った。ママは不慣れな日本で運転、交差点での不手際、それに嫁にアレコレ、言われていたせいか、ついにキレた。「私だってメクラじゃないのよ!!車なら見えるわよ!!」と叫んだ。 「、、、、、、、、、、、、」。しばらく無言の2人。(つづく)
February 03, 2010
依頼退職
相変わらずの不景気である。
知り合いの A氏が 「リダンダンシー」 を食らった。 「依頼退職」 簡単に言えば 「クビ」 である。 彼の働く業種は比較的安定したものだが、籍を置くセクションの利益率はここ数年、あまりパッとしないとは聞いていた。
リダンダンシーにも波があり、別の友人の会社でも数ヶ月に一度くらいの頻度で、「きのう、3人、切られた・・・」 と 「辻斬り」 にでも遭ったような嘆きが聞かれる。
マネージャーから 「ちょっと、来て」と呼び出しを受ける。 「君はよくやってくれているんだが、何せ、業績がね・・・」といった言い訳がされ、 「4週間ほど、ゆっくりしてくれ」と 「ガーデン・リーブ」の宣託が降ろされる。
「ガーデン・リーブ」 こと 「庭いじり休暇」 というのは、 「クビ」の美しき別称である。 「しばし、骨休めでもすれば? その間、給料は払うから」 とはいうものの、4週間後に給料はストップ。 実際には庭いじりなんかする暇はなく、求職活動に走り回るはめになる。
「そうだな、働きづめだったから、次の仕事を探す前に旅行でもするか」 とのんびり数週間の旅行や数ヶ月かけて家の改装をする人もいる。 が、下手に間を空けてしまうと次の仕事が見つからず、 そのまま、残りの人生を 「庭いじりをする、金に不自由なご隠居」として過ごすハメになることもあるらしい。
クビにはなるものの、悪いことをしたわけではなく、会社都合での退職だから、それなりに退職金は出る。 勤務1年につき、1週間分の給料が法律で決まっている。ある程度の年齢以上だと、50%増し。 会社によるが、法律よりは多めの退職金が支払われることが多いらしい。 思わぬ大金を手にして、つい、散財してしまうのも無理はないが、それもその先に就職の可能性があればの事である。
さて、A氏、実は数年前にもクビになりかけた。
そのときは真っ青になり、将来を心配していたものだ。 成人した子供が2人、共稼ぎながらも、かなりの額の住宅ローン、そして、なんとクレジットカードとローンの負債が・・・。
「クレジットカード? ローン? いくら?」
額を教えてもらえるとは思わなかったが、ポツリと、
「2万ポンド」 と答える。
借金が2万ポンド。それに加えて、住宅ローンはいくらあるんだろう?
いつも休暇にはカナダでスキー、カリブ海で日光浴、家にもお金をかけ、皆で出かければパッとおごり・・・と派手な生活をする人だなとは思っていたが、全部、借金だったのね。
数年前のその時には、A氏はクビにはならず、他人事ながらホッとしたものだが、ついに今回は運が尽きたらしい。 この数年間で住宅ローンを減らし、クレジットカードとローンの負債をクリアしていればいいのだが・・・。心配はしているが、恐ろしくて電話して状況を聞くことができない。
えー、久しくお目にかかっていませんが、いかがお過ごしでしょうか・・・?
B氏はここ数年、羨ましいほどの稼ぎぶりだった。
稼ぎに比例するように華やかな接待が続き、私も彼のクライアントの接待のおこぼれ (ぎりぎりにキャンセルがあったときの、駆けつけ代理出席)にあずかったものだ。
そうでもなければ、私のような安月給ではランチ前からピンクシャンペンなどを飲む機会はなかなかないものだ。
「この不景気で売り上げ、がた落ち」とB氏は言う。
「でも、会社から申し渡されるターゲットはぜったいに下がらない」そうである。
先日も彼のセクション全員がマネージャーに呼ばれ、訓辞があったそうだが、
「先月、 XX君と XXさんには辞めてもらいました。 皆さんはがんばってください。 売り上げが達成できない人は・・・」 とドアを指差し、「出口はあちらです」
この脅し、いや、 「叱咤激励」の直後、全員が 「床に崩れ落ちた」そうである。 ま、精神的にという意味だろうけど。 ガタイの大きなイギリス人の男たちが20人も床に倒れて重なっている図を想像すると怖いものがある。
ほんの数年前、南フランスのホテルを借り切った豪華なパーティ会場で社長自らの
「我が社の利益は皆さんのおかげです」などというスピーチを聞いた耳が、こんな厳しい言葉にさらされるとは思わなかったそうである。
とりあえず、私も住宅ローンの残額は今のうちに減らしておこうと思う、今日この頃である。
義理ママとの日本旅行 その3
歯科医院からママと会う約束の場所、三越に行くとママはいない。もしかしたら、遅れているのかな?なんてデパートの店内を見ていると、まあ、まあ、商品が豊富だこと。うーん。おしゃれ。こんな物は英国にはないなー。なんて、どんどん奥へと吸い込まれて行く。おっと、いけない。すっかりママの事を忘れていた。早々に欲望に見切りをつけて約束の場所へ行くとママは待っていた。会えてよかった。ホッ。
今回の帰国の目的の1つに、眼鏡を新しく作り直すことがあったので、下調べしてあった眼鏡店に行く事にした。そう、ママの観光はそっちのけで、私の用事ばかりを済ましている。だって、日本に帰国したらすることが山ほどあるのよね〜!!まあ、ママもそれで良いっていうので、今日はとことん私の用事を済ますのをメインで行動している。
ここの眼鏡のデザインが気に入っていたので、選ぶのは早い。と思っていたが、色で悩んでしまった。ママはしばらく、私をじーっと見ていたが、私が悩んでいるのを見て、「こっちの色が似合うわよ。」と薄い紫色の眼鏡を勧めた。でも、私は黒が好きだ。しかし、黒のフレームは強い印象の顔になる。ただでさえ、怖そうにみられる私なので、印象ぐらい優しく見えたいなー。と思う。でも、黒が好き。また、違う色をかけ始めた。ママは、「あなたに似合う色は、さっきの色よ。」とまた一言。まだ迷いがあったが、ママのお勧めの色に決めた。 ママに押し切られたような気もあったが、ロンドンに戻って使っているが、この色でよかったと思っている。ママに感謝しないといけないのかな?
いろいろ用事を済ませた後、夕食は友人と一緒にすることになっていた。もちろんもママ同伴。ママを紹介し、居酒屋に行った。しばらくしてから、私は薬局に行きたかったので、友人にママを託し、ちょっと抜け出す事にした。我々日本人は、中学、高校と6年間も英語を習っているのだから、最低のことは通じるだろう。という私の勝手な判断で居酒屋から私だけ抜け出た。ママには、ちょっと出かけるけど、すぐ戻るよ。と伝えた。何を買いたいかって、それは興奮を抑える薬だ。昨晩眠れず、この日の昼間もまったく眠くない。どうも神経が高まっていて、交感神経と副交感神経がうまく働いていないので、眠くないのだなー。と素人ながらの理解をした。あまり薬は好きではないけど、最終的にはこれに頼るしかないのだろうと、状況を説明したら薬局では睡眠改善薬というものを勧めた。そうか、一種の睡眠薬か、あまり気乗りはしないが、まあ、仕方がない。と購入し、居酒屋に戻った。
友人とママがいろいろ話していたが、やはり会話となると続かないようで難しかったそうだ。友人は、いやー、わかっているつもりでも英単語がでてこなくて、苦しかった!!と、汗をかいていた。申しわけない!!
一方、 ママはこの日の事について、ダーリンにこう伝えたそうだ。私が突然、勝手に居なくなって捨てられたと思った。ええ?私はママにちゃんと説明したのなーと思いつつ、いつも強気のママが、ちょっと弱気で可愛かった。
やはり薬なしで寝たかったので、この夜は酔ぱらって眠ろうと決め、ワインやら梅酒などをガンガン飲み、いい気持ちでホテルに帰った。うーん。酔っぱらっている。眠気は来ている。来ている。いい兆候だ。今日はぐっすり眠れそう。と薬は飲まずにベットに入った。ルンルン。(つづく)