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August 26, 2009
トロフィーワイフ (その1)
この夏のホリデーは、ダーリンの家族に会いにいくことだった。まずは、ダブリンに住む弟家族の家に向かって出掛けた。朝早くの飛行機で、ダブリンに着いた。弟の勤める会社に荷物を預け、街をブラブラした。
さすが音楽が好きな街、メイン通りはストリートミュージシャンが5メートルおきに何かのパフォーマンスをしている。ギネス工場見学もして、フレッシュなギネスも堪能した。のんびりとしていて、人々も優しいし、いい街だな。
さて、弟の仕事が終わる時間だ。ちょっとおいしそうなデリカテッセンのショップをみつけたので、何か買って行こうか?と電話をしたら、夕食は全て揃っているから、いいよ。との返事。まあ、それでもと2品買い込んで、弟の会社へ向かった。預けてあった荷物を持ち、みんなでタクシーに乗り込んだ。会社から家迄は、20分程度で着いた。弟の家は、小さな庭がついた大きなテラスドハウスだった。相変わらず胸のでかい弟の妻、ジェマと3才と1才の甥っ子が我々を待っていた。
甥っ子には、半年ぶりにあったので2人も大きくなっていた。よしよし。さてとー、ウェルカムドリンクでもでるのかな?と思ったら、散歩に出掛けると言う。OKとばかりに脱いだジェケットを着て、ベビーカーと一緒に皆で出掛けた。
歩いて3分程に大きな公園があり、池や広い芝生があり、子供達をここで遊ばせていた。
3才の兄が、弟をいじめる。ノーティスエリアへ行きなさい。とテレビのスーパーナニーのような最近の教育方針を取り入れているジェマだった。
30分ほどして家に戻った。さて、夕食かな?と思いきや、子供達を風呂に入れると言う。
NOとは言えない。「OKだよ。」と、我々はビール片手にキッチンにいた。弟は、コンロに夕飯用のごはんと昨晩我々のために作ったのだろう、チリコンカーンが入った鍋を温めた。そして、弟も風呂入れの手伝いに行くと、2階に立ち去った。
つまみが出ないので、我々がデリカで買って来たオリーブとペッパーを出して食べていると、弟と交代のようにジェマが降りて来た。そして、我々と一緒にビールを飲み始めて、これ、おいしいわね。と我々が買って来たツマミを食べながら積もる話を始めた。
コンロにかけてある鍋2つがコトコトと音を立てている。(料理が焦げないかな?大丈夫かな?)この音が気になっているのは、私とダーリンだけだ。ジェマはちっとも気にしていない様子。
話は、たわいない事が続く。ついにダーリンが立ち上がり、鍋をかき回しにコンロに向かった。私も内心、ホッとした。しかし、ジェマはまったく気にしていない様子。
いったい誰がホステスで、ゲストかわからなくなった。
そう言えば、彼等がロンドンにいるときにも彼女が料理した物を食べた事がない。そう、いつも義理弟が用意してくれたっけ。
弟が降りて来て、食事になった。子供をパジェマに着替えさせ、ベッドに寝かせつけたとか。
これからが、大人の時間だ。そして、やっと食事だ。しかし、夕食は、チリコンカーンとライスだけだ。サラダもサイドもなにもない。淋しい。。。(だから、何か買って行こうかってきいたのに。)私は食べる事が大好きなので、ショックが大きい。でも、しかたがない。
食事が終わると、ジェマが子供の様子をうかがいに席を立った。
弟は、片付けをして、そして、子供が散らかした粘土遊びの後始末をしている。弟をジーとみているとよく働く。日中、神経の使う仕事をして、食事もつくり、子供の後片づけもする。それを見て感じたのが、これじゃ、弟は早死にしないかしら?と思ったほどだ。(つづく)
August 17, 2009
習う楽しさ、面白さ
今年の夏休みは永住権申請を控えていることもあり、大きな旅行計画の無い夏となりました。
せっかくの長期休暇なのに少しもったいないような気はしましたが、申請料は大きな出費でしたし、申請への不安で旅行の計画を立てる気にもなれなかったのです。
そのかわり、なにか新しいことを始めようと思いました。しかも、ずっとやりたくても実行に移せなかったこと。
それは、絵を習うことです。
実は数週間前からデッサンのレッスンに週一回ですが通い始めました。
他にも普段、ピアノを初め、2つほど習い事をしている私ですが、もともと絵は描くのが好きで、ちゃんと習いたいと思っていたのです。
そして、ある日、アーティストの方が個人でやっていらっしゃる教室を見つけたのでした。
数回レッスンを受けてみただけなのですが、鉛筆の持ち方一つでもちゃんと習うことの大切を実感しています。
そして、目に映る物の捉え方。描く対象である物質の質感、その周りにある空気、光、それが作り出す影、、、。意識してなかったことが習うことによって見えるようになってきました。
初めのレッスンでリンゴを描いたのですが、4回習作を描いて出来上がったのはリンゴというより桃。それが、コツを教えてもらうことによって、だんだんリンゴらしくなり、家で仕上げたときにはどう見ても艶のあるリンゴに変身。不思議で嬉しい瞬間でした。
この「習う」ことによって自分の中に生まれる感覚。私にとってはとても大切なものです。教師としてのキャリア長くなればなるほど、誰かに手ほどきを受けるというのは新鮮で純粋に面白いのです。
そして、その道の知識・経験を持っている方と接することが楽しみでもあります。彼らの世界を覗き見ることが面白いのです。
本格的にやっている方から見れば、わたしのやっていることは中途半端なのかもしれませんが、自分のキャリアとは違うことに必死になって打ち込んで、ほんの少しの間、現を忘れられることも魅力です。教師じゃない自分、ただの素の自分に戻れますから。
9月に入っても、この新しい習い事、できる限り続けて行きたいなと思います。
さて、そろそろ提出する作品の仕上げに取り掛からないと、、、。
August 12, 2009
夏休みのためお休みとさせてください。
August 11, 2009
Croydonくんだり
ついにこの日がやってきました。
、、、そう、以前お伝えした永住権申請の日です。
先月にHome OfficeのPublic Enquiry Officeに2日間電話して何とかアポイントメントを取った私。
このブログを書いている今日が申請の日だったのです。
初めに結果を書いてしまうと、、、
はい、無事に永住権取得しました!!!
そういうわけで今日は、長くなりますが申請の流れを書いてみたいと思います。移民に関するルールは常に変わるイギリスですが、近いうちに申請される方の参考になることを祈って。
申請には郵送か南ロンドンのCroydonという地域にあるPublic Enquiry Officeで直接申請するかを選ぶことができます。どちらの場合でも専門の弁護士(日本でいう司法書士かもしれません)を通して申請も出来ます。
私は迷わず自分で直接申請することを選びました。この場合、申請料が200ポンドほど高くなるのですが、郵送だと6ヶ月ほどかかるかもしれないことと、パスポートや大事な書類を郵送で送るリスクを考慮すると安心料だと思ったわけです。
申請には申請用紙とともに、様々な書類の提出が求められます。パスポート、英語能力やイギリスに関する基礎知識を問うLife in the UKテストの合格証、雇用主である勤務校からの手紙や私の銀行口座の明細、給与明細など。
私の場合、雇用主も5年間変わっていないし、複雑な状況ではなかったのですが、それでも移民関係専門の情報サイトを参考に一つ一つまとめて、フォルダーに整理して用意しました。
さて、予約時間の1時間前に無事、オフィスに到着。セキュリティチェックを受けた後に25分ほど並んで、最初の書類チェックを受けました。
ここでは、私に申請権があるか、必要書類を持参しているかをざっと見られます。実は、このときに嬉しいことがありました!
担当官がにやりと笑ったと思うと「君、Life in the UKテストの結果が何点だったか知りたいかい?」と言うのです。実は、このテスト、普通は合否しか教えてくれないはずなのです。「えっ、教えてくれるんですか???教えて欲しいです!」と私。
すると、、、「君、24点だよ。24点中。一問も間違えなかったね」と言われました。あぁ、苦手な暗記に耐えた甲斐がありました。なんだか全て上手く行きそうな気分になった私。でも別にこれで申請が有利になることは全く無いんですけれどね。
さて、次は申請料の支払い。結構な額(1000ポンドちょっと)なので、カードで払ったのですが、そんな高額の支払いを普段しないせいか(笑)、カードの認証が暗証番号だけでは駄目だったようで、電話越しに銀行と直接話をして、この支払いが私の許可の下おこなわれていることを口頭で証明しなければならないハプニングがありました。まぁ、たまにあるようですが、一瞬心配になったことは確かです。
無事に支払いを済ませると、いよいよ申請。Case workerといわれる審査官がずらーりと並んでいる申請室に進みました。呼び出し番号を貰い、40分くらい待って、いよいよ私の番がきました。
私の担当官はアジア系(たぶんインド系ですね)の初老の女性。目が合った瞬間、そう、ほんの一瞬だけ彼女の表情がゆるみました。でも、すぐに真顔に。
まず、申請書とパスポートを提出。担当官はさっと申請書に目を通すと、すぐにコンピューターで何かをチェックし始めました。
こちらからは画面は見えませんが、彼女が何かメモ書きしているのを見ると、私の過去約6年間の住所の郵便番号が、、、。学生ビザ所持時のからです。たぶん、私の滞在暦を調べていたのでしょうね。
そして、パスポートをじっくりと見始めました。実は申請書の出生地欄に実際に生まれた母の実家の市・県名を書いていた私。パスポートに書いてある本籍と違うことに気づいた彼女がどこで生まれたのか聞いてきました。戸籍のことを説明し、実際に生まれたところと、籍を入れられたところが違うことを説明。これ以上は深く追求されなかったものの、素直に本籍地の県名を書けばよかったと思いました。イギリスには戸籍も無いですし、わかりにくかったのかもしれません。
彼女はさらに私のパスポートの署名が日本語でしてあり、申請書の署名と違うことも指摘。そんなところまで見るのかと驚きましたが、申請書に日本語での署名を付け加えてOK。最初、パスポートのページをさかんに捲っているから何を見つけようとしているのかと思えば、署名だったんですね。日本語で書かれた私の名前がまさか署名だとは思わなかったようです。
次に私の雇用主からのレター(私がいつからどういうポジションで、いくらの給料を貰って働いているかが記されています。これからも必要な人材であり、雇用が継続されるという一文も)、給与明細、銀行口座明細、Life in the UKテストの合格証の提出を求められました。
今思えば我ながら甘かったのですが、私は教師だから書類のチェックは厳しくないだろうと思っていました。雇用主が5年間変わらない場合、申請は楽らしいと、25分ほどで審査が終わった人の話も聞いていたので、自分もそうだと思っていたのです。
、、、これが大きな間違いでした。担当官は私が念のために持っていっていたP60という税金関係の5年分の書類にも目を通し、Absences from the UK(イギリスから離れていた期間)を私自身でExcelを使ってまとめておいたスプレッドシートも念入りにチェックし始めたのです。
しかもパスポートのスタンプ、Home Officeのシステムにある私の出入国記録とひとつひとつ照らし合わせる念の押しよう。
実は1つだけ、日帰りで生徒の引率で行ったベルギー旅行について書き忘れていたのですが、それについても指摘されて焦りました。まぁ、日帰りの場合はカウントされないのでOKでしたが。
さらには最新の渡航である4月の日本への一時帰国のスタンプがないことにも言及。この時はIRIS(the iris recognition immigration system)といって、瞳のパターンを機械でスキャンすることによって個人を識別できる出入国のためのシステム(自動改札みたいなものです)を初めて利用したのです。
そのシステムだと入国スタンプが押されないのです。ただ、本当にラッキーなことに、当時のBAの荷物に付けるの札の控え(私の名前、便名、行き先、日付入り)を持っていたので、それを見せることによってクリアーになりました。
この時点でたぶん45分くらいは経過していたと思います。予想以上の綿密さに途中、「申請拒否されたらどうしよう、、、」と正直不安になりました。
ようやく全ての書類に目を通した彼女、書類のコピーを取った後に私に「じゃあ、これから判断を下すから、後ろの待合席で待っていて」と言いました。
「えっ、、、その場で判断してくれるのではなかったの?」
と内心驚きつつも窓口を後にする私。これ以上不安にならないために行きに買っておいた雑誌を必死で読みました。でも、ほぼ30秒ごとに彼女の動向をしっかり目で追っていて、全然集中できませんでしたが。
それから20分くらいでしょうか。彼女が再び私を呼びました。
そして、、、
初めて私にスマイルを見せた彼女。「全てOKよ。パスポートに貼るステッカーを用意するのに最長1時間半くらいまでかかるけど」
「えっ、OK?OKね?!」
と思わず聞きなおしてしまいました。だって、申請中、あまりにも彼女の表情が硬かったから。
もう、私の心はまさにローラーコースター状態でした。もちろん、最後で一気に急上昇!
この後は実にスムーズで25分ほどで受け取り窓口に呼ばれ、受付のおじさんが私のパスポートに貼られたステッカーを見せて永住権が下りたことを確認。
そこには
「Indefinite」
とはっきり書いてありました。今まではLimited leave to remain(期限付き滞在許可)だったのが、「Indefinite leave to remain」(無期限滞在許可)に変わったのです。
教師になったばかりの頃は、この「Indefinite leave to remain」の文字を見るまでは長い道のりだと思っていましたが、いざ振り返るとあっという間だったように思います。
はっきり言って、まだ永住権を取った実感がそんなに涌いていませんし、実際に9月から仕事に影響を与えるわけではないのですが、何とも言えない安堵感があるのでした。
まぁ、1つ不満があるとすれば、昨日急いで撮った証明写真の自分が非常に老けて見えることでしょうか、、、。ステッカーにそのまま使われたこの写真、うーん、10年後も違和感無く見られそうです(笑)
さぁ、というわけで私の教師人生、まだまだ続きます!
August 05, 2009
入れ墨
英国人は入れ墨好きだ。
最近は労働者クラスだけでなく、 若い男女がファッションでつけている。
そんな中、漢字がクールなのか、よく見かける。
先日は、20代の男性の首の後ろに「自由」と彫ってあった。
自由になりたいのか。そうか、あんたは囚人だったのか。と問いたくなるようなフレーズだった。
ある女の子は、手の内側に「安」と彫ってあった。これを選んだのは、どういう意味だろうかと想像すると、安心の安?、安いの安?となんだがひねくれた質問をしてしまいそうだ。
どうも意味にも感じられないなー。
しかし、この2つはまだいい。だってしっかりと漢字になっているから。
ある女の子は、首に3文字の漢字があった。そこには「神」もあったがこのヘンの部分、ネのうち2画が足りない状態で仕上がっている。おそらく中国語でもないだろう。
本人は、知らないだろうが,こうして見るとなんだか、ぞーとする。
そう言えば、ダーリンが日本にいる時に、よく言っていた事を思い出した。
意味のない英単語や間違った文章の英語が書かれたTシャツや印刷物を見るとやるせない!と言っていた。ダーリンの気持ちが今頃わかったワタシでした。
August 03, 2009
ロイヤルアスコット その3
さらなるアスコットである。
ロイヤル・クロージャーが 天上、別格、超、特別、貴賓席でないことには、少しというか、相当がっくりしたが、それはそれ。 曇り気味の空を気にしながらも、久しぶりのアスコットで群集を見物。
「力いっぱい着飾ってきました。 あたしの晴れ姿を見てー」 という淑女の面々だ。 この日はレディス・ディではないかったので、ゲゲ・・・よく家族が止めなかったね、と言うキワモノはなかったが、とりあえず全員が帽子をかぶっている。 ずいぶん高そうな帽子も見かけた。来年も同じ帽子というわけにもいかないだろうに、どうするんでしょ? (いかにも貧乏人の発想)
ドレスコードぎりぎりのスカート丈やネックラインもいたが、 「アスコット競馬、服装規定検定委員会」 から、お目こぼしに預かったらしい。 目がチカチカする艶やかさだ。 60-70歳と思える女性もかなりの数がフューシャピンク(ショッキングピンク?)のドレスとお花畑のような帽子で決めている。たぶん私の一生で一番多くのフューシャピンクの服と帽子を見た日と考えて間違いない。
「クリスチャン・ラボーティンだよ、あれ。700ポンドはするね」と友人。
あ、本当だ。 10センチもあるようなスティレトゥヒールを芝生にずぼずぼと埋めながら、女が歩いている。 そう言えば、みんな気張ってすごいヒールを履いている。
ふふふ、バカ女たち。
ここは競馬場。クラブではないのだ。 レースの日に歩く距離を考えていないだろう。
まず、パドックに行き、次のレースの馬を見る。 で、勝ち馬に目星をつけたら、馬券を買う。 観覧席に戻る。 レースを見る。 とことん負ける。 悔し紛れに馬券を千切る。 それから、また、パドックに行き、次のレースの馬を見る。 で、勝ち馬に目星をつけたら、馬券を買う。 観覧席に戻る。 レースを見る。 とことん負ける。 悔し紛れに馬券を千切る。・・・と、また、パドックに・・・。
これをレースの数だけ繰り返すのだ。 おまけに競馬場は広い。 一日に歩く距離は数キロを軽く越える。10センチのスティレトゥヒールなんか履いている場合ではない。
さて、男は全員がモーニングスーツでトップハットだ。 たぶん、99%が貸衣装で、おまけに生まれて初めて着たのだろうけど、さすがはイギリス人、結構、 似合うね。 日本人の男が一生に一度だけ、紋付羽織はかまを結婚式で着ても、あっさり着こなせてしまうのと同じだろうね。
中学生くらいの男の子たちもモーニング、トップハット姿だが、これはあまりにしっくりいっていないので笑えた。 仮装行列みたい。
最高のフロックで着飾り、いかにも伝統的な貴族のお遊びという感じだが、違うのは大多数が 「大枚払って一生の記念にやって来た一般人」だったことだ。 私も含めて。 あ、私は払ってないか。 私は 「タダ券貰ってやって来た一般人」でした。
ごくたまに年季の入ったモーニングスーツ(自前、しかも最低30年くらいは着てそう)を着たお爺さんがいる。 こんなお爺さんは
(チッ、下層階級の小娘、小僧っ子がウロウロして、アスコットも品が落ちたね。 ああ、昔が懐かしいよ)とか思ってるんだろうな。
ランチのときに 「ボクはどんなに苦労をして、幾ら払って、このモーニングスーツとトップハットを貸衣装屋から借りてきたか」 の話で盛り上がった。
「このトップハットしか残っていなかった。サイズが大きすぎるので、お店の人のアドバイスで新聞紙を詰めてかぶっている」人もいたし。
ちなみにスローンスクエアで借りた人は100ポンド強。 郊外の店で借りた人は60ポンドだったとか。 「でも、ちょっと袖が短い・・・」そうである。
こちらは帽子選びで苦労したが、男の人も大変だったようである。
友人と私の身長差は30センチ。 で、トップハットが加わるとさらに30センチ。 巨人と小人のような二人組であった。
まだまだ続く。 面白かったので。