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January 31, 2009
近づく足音。
ここ数週間、学校に変な雰囲気が漂っています。
その主な原因は数週間前にもお伝えしたように2月に「Ofsted」の監査が入るせいなのですが、、、。
クリスマス前までは校長を始め、経営陣一同、Ofstedの最高評価である「Outstanding」を目指しましょうと盛り上げムードでした。
それが先週、今週と急激に変化を見せたような気がします。Ofsted準備の一環としておこなわれた模擬監査での評価は非常に良くないもので、もしかしたら下から二番目の評価である「Satisfactory」に留まる結果になるのではないかという疑念がちらつき始めたのです。
私自身も今週初めは色々なことが重なって精神的に落ち込む場面が多く、ただでさえ色々な採点物に追われて疲れているのに、かなり気持ちが下降していました。
「いますぐ教師をやめて日本に帰ったら、、、」なんてネガティブな考えが頭に張り付くほどでした。完全な現実逃避状態です。
生徒は教師のストレスや疲れを敏感に感じ取ります。知らず知らずのうちに教師の表情、声の調子、ジェスチャーに余裕のなさが表れるのですね。
そういう時は生徒も落ち着かなくなります。こちらもエネルギー不足でぐいぐい生徒を惹きこんで行く様な勢いのある授業ができなくなりますし、そこにわざと漬け込む生徒もいます。
そうするとまさに悪循環。なかなかまとまらなくて、さらにいらいらがつのり、、、といった感じで最悪なのです。特に難しい9年生の100分授業がいつもの倍のつらさに感じられます。
そして自分で自分を駄目教師扱い。後ろ向きな気持ちが大行進を始めるわけです。
そんな状態に久々に陥った私がいつもすること、、、。
一人で抱え込まない。
私には同じ年頃の同僚が多いのですが、彼女らに話を聞いてもらったり、アドバイスを貰ったりして心を落ち着かせます。
聞いてくれる存在がある。一人で闘わなくていい。これって本当に幸せなことですね。
もちろん最後は自分のクラスの生徒・授業なわけですから自分で向き合って対処しなくてはいけませんが、それでも誰かと情報を交換する、他の教師の話を聞くことは私の力になるし、何よりもいざという時は私の後ろに立って支えてくれる存在があることは非常に頼もしいのです。
このおかげで木曜日の授業は9年生が2クラスあったにもかかわらず、ポジティブに授業ができたと思います。生徒もその私の心の元気さを感じ取ってくれたのでしょうか、いつもよりよくついてきてくれたと思います。
また一週間が終わり、今もふとカバンを見やればマーキングしなければいけない生徒のノートの山が。そして、月曜の授業準備、やり残したOfstedの準備も。
来週月曜日はもう2月。つまり、ここから一ヶ月はいつOfstedが来てもおかしくない状態になるわけです。早く来て欲しいような、エネルギーが充填できる2月のハーフターム休暇後に来て欲しいような。あぁ、できればずっと来て欲しくない、、、。
とにかくまだまだ心休まらぬ日々が続きます。
January 27, 2009
嫁、、、
私には兄弟がいないので、嫁という存在が家族にとって悩みの種になるのが今一つわからない。
ダーリンの家では、私と義弟の嫁、ジェマが嫁になる。
最近はジェマと舅、姑、小姑との溝が深まるばかりだ。
ジェマと弟は、出来ちゃった婚。
弟は弁護士。まあ、弁護士だから、何?って感じもありますが。
(人間は人間なのにね。問題は中身よね?!)
弁護士の妻、つまりジェマは「玉の輿」になりたいから、早々に妊娠したのよ。そして、結婚。それが彼女の計画だったのよ。パパ、ママの口から出ているらしい。
(じゃあ、私は何て言われているのだろう。西洋人になりたくて、結婚したの??(笑)なんて言われていないだろう。しかし、コワ〜イ。)
さらに、ジェマは結婚後も名字を変えていない。それがママは気にいらない。
先日も、私にこう質問した。
「ココは、 名字を変えるのに、抵抗がなかったの?」
「私は、自分の名字がきらいだったから、特に。」
ママは、私の答えに不満足だったらしく、「やはり結婚したら、変えるべきよね?!」と私に同意を求めて来た。
うーん。困った。しかし、「まあ、自由じゃないの?2人がそれでいいのなら、、、」と答えた。
ママは、離婚したのに名前を戻していない。
パパは、再婚して、自分の名字を捨て、奥さんの姓を選んだ。
つまり、パパの名字は、ママが引き継いだというわけだ。
ここにもこだわりがあるのだろう。
それはそれでいいのに、ママはなんとかして、ジェマをとんでもない奴にしたいらしい。
気持ちもわかる、ともかく虫が好かないのだ。
このクリスマスは、妹の旦那が仕事でいないので、妹の家へママと我々夫婦が行き、親子と嫁とで祝った。
弟夫婦は、結婚する前からクリスマスは毎回、ジェマの実家で過ごす。その後、ママに挨拶にくるのだが、このクリスマスには ママの家にこなかった。
弟の新しい住まいは、ママの家まで車で2時間30分の距離と兄妹のなかでもっとも近い所に住んでいる。しかし、来ない。またまた。そして、さらに溝が深まる事件が起きたのでした。(つづく)
January 26, 2009
大使館でパーティ
日本大使館のパーティに行った。
以前出かけたときには 「地味で質素な雰囲気」と悪口・・・ではなくて、虚無僧が似合いそうなまでの控えめなたたずまいを描写したのだが、最近はいかに?
ここ数年のイギリスのバブリーなパーティシーンはすごかった。 大使館に近いメイフェアあたりのクラブでも夜毎に狂乱騒ぎが行われていたはずだ。
さすがに質実剛健な日本大使館も昨今のイギリスの風潮に感化されて、華美になっているのではないか?
・・・もちろん、私は間違っていた。
地味なビジネススーツ姿のイギリス男と薄化粧の日本人の女性が中心。
ちょっと見目には 「パーティ」というよりは 「小学校の保護者会」のような集まりだ。 数人だけ着物姿の人もいて花を添えていたが。
まずは、飲み食いに集中することにした。 が、レッドワインは (たくさん飲むと悪酔いするかも・・・)というシロモノであった。意外とXXXワインをお飲みになっているのね、おほほ。 これなら貧乏な私のほうがもっとXXXなワインを飲んでいるわよ。日本大使館に勝ったわ! (注:勝ち負けに意味はありません)
さて、歌い文句には某日本食料品店がパーティフードを用意ということで期待していた。
フライドチキンがトレィで回ってくる。 ジンジャーがキリリときいたチキンはおいしい・・・が、冷えている。
(揚げ物は熱くないとねえ・・・)と友人とボソボソ言いながら食べる。
「今度のは熱いかも」とトレィが回ってくるたびに繰り返し食べた。が、どれも冷えていて、パーティの終わりには冷えたフライドチキンでお腹がいっぱいという、満腹ながらも精神的にはやや不満の残る状態であった。
大使館には電子レンジがないのかもしれない。
寿司はさすがの人気で、テーブルに置かれるとトラファルガー広場でパンくずに群がる鳩の勢いでむさぼり食われていた。
一緒にいったイギリス人の友達が、紅しょうがをそのままごっそり摘み上げたのには驚いた。
(ちょっとお行儀悪いんじゃない?)と思ったので、「そんなに生姜が好きなの?」と聞くと、「え? 生姜なの? これ?」と動揺している。
バラの形に模った寿司の一種だと思ったらしい。 口に入れなくてよかったね。
日本食に慣れた人は増えたものの、まだまだギョッとする行動に出る人は多い。
クライアントをジャパニーズレストランに連れていくと、わさびをそのまま食べてしまい目を白黒させているので、慌てて水を飲ませたりとか、
「えーっと、このガイジンさんが大根おろしをお味噌汁に入れちゃったので、すみませんが取り替えてください」なんて頼むこともあった。
さて、お腹が落ち着いたところでまわりを見回すと、なかなかユニークな人たちが来ている。かぐや姫のような髪をしている人とか、昔のヒッピー風な「サイケデリックメイク」をしている人とか。
長年外国に住むと日本人離れしてくると言う。が、イギリス人的な風貌になるわけでもなく、何かこう国籍不明、謎の東洋人という存在感に圧倒される。
あ、コスプレみたいな若い子もいた。長手袋をしているのだが、そのまま手づかみで寿司を食べていた。
ご飯粒、のり、刺身、ごま、しょうゆ、といった諸々のアイテムが次々と手袋についていくのだが、平気な顔をしている。私のような小心者には洗濯が気になってとてもそんな豪気な行動は取れない。
「どくだみ小町」という女性二人組が飴細工の実演をやっていた。 イルカ、うさぎ、と熱々の飴がきれいに形作られていく。それをひとりが三味線を弾きながらはやし立てる。頼んだらかわいい天使の羽根を生やしたキティちゃんを作ってくれた。
横に座っていた上品な老婦人に感想を聞くと、
「あれは沖縄の音楽ですね。本来なら蛇味線でしょうね。ヘビ皮でないのはきっとワシントン条約にひっかかって、イギリスに持込ができなかったのでしょう」と専門的な答えが返ってきた。
ただの日本好きなおばあちゃんではなく、東洋アフリカ研究所の教授かなんかだったのかしらん?
January 24, 2009
東ロンドンで韓流体験。
イギリスに来て6年半。
もともと流行りモノに疎い私でしたが、イギリスに来てからはそれにさらに拍車がかかり、こちらの日系の情報誌に載っている芸能人のニュースや音楽のチャートを見ても、知らない名前のほうが多くなってきました。
さらにはここ数年前から日本で韓国のドラマが流行り、俳優や歌手の進出も多くて、「韓流」なんて言葉もあるということは一応把握していました。
ただ、日本にいる友達が「ヨン様」と叫んでいても(あ、この時点ですでに古い?)、韓国のアイドルグループ(名前が思い出せません。でも、ジャニーズ系に似てる)に燃えていても、母親が韓国のドラマにはまっていても、私自身、実際にネットなどで目にすることはありませんでした。
ところが、なんと数日前、「韓流」に関して私の生徒から教えを受けるという奇妙な機会がありました。
それは火曜日のお昼休みのこと。学年集会での研究発表に向けて練習をしたいと言う9年生の生徒たちに教室を開放し、私自身もお昼を食べながら採点などをして過ごしていました。
すると、ひととおり練習を終えた生徒の一人生徒TがUSBフラッシュメモリ(USBスティックっていわれてるあれですね)に入ってる音楽ビデオをコンピューターで再生しはじめました。
その子ともう一人の生徒Eは去年、私が日本語を少し教えていた大の日本好き。アニメも音楽も日本のものが大好きです。
また日本の曲かなと思ったら今回は違いました。流れてきたのはR&Bスタイルの曲。ところが、歌詞が英語じゃありません。でも、日本語でもない。どこの音楽かと不思議に思って画面を見ると、東アジア人の男の子(私から見るとどうみても17-8歳くらいに見えます)のグループが踊りながら歌っているじゃないですか。
彼女らに尋ねると、なんと今、韓国で大人気の「東方神起」という韓国人のグループだそうで、彼らは日本でもデビューしているのだとか。今彼女らが相当好きなグループなようで、日本名と韓国名両方教えてくれました。よく知っているなぁと感心しているとさらに驚きの発言が。
生徒E「日本ではオリコン1位になったくらい人気の曲だよ」
私「ふーん、、、、えっ?」
イギリス、しかも日本とはほとんど縁のなさそうな東ロンドンのこの地域で「オリコン」の名を聞くとは。それをあたりまえのようにさらりと言ってしまえるとは。さすが日本通の生徒E。恐るべし、です。
ちなみに彼女たちは韓国や日本とは地球の反対側であるイギリスで生まれ育ったバングラデッシュ系イギリス人とポルトガル系イギリス人。私がもし彼女らのことを全く知らなくて、街で普通に見かけたとしたら、日本や韓国のことをそんなに知っているとはまさか思わないでしょう。
ところで、イギリスにいると小奇麗で眉毛も整えているような細身の東アジア人の男の子たちは中性的に見えることが多く、そういう感じの子達がR&B長の音楽を歌って踊る姿はかっこいいというより「かわいい」と私は感じてしまいます。彼女らの意見を聞いてみると、ちょっとフェミニンな印象を受けることには同感だけれど、容姿は関係なく、単に音楽のメロディに惹かれて聴いているのだそうです。
彼女らが言葉や文化、人種を越えて東アジアで流行っている音楽に慣れ親しみ、好きだと言ってくれること。何でしょう、すごく嬉しいんですよね。数年前までは子供たちがなかなか日本の言葉や文化、音楽に触れることはなかったような気がします。
それがここ数年、インターネットやデジタルテレビの普及で日本のアニメや音楽が気軽に鑑賞できるようになり、人気が増しました。
うかうかしていると、私の生徒のほうが日本の流行に詳しくなってしまう日が来てしまうかもしれません。あ、、、いや、もうすでに負けている?
January 21, 2009
オバタリアン旅行と依存症?
昨年、日本に帰国した際に、高校時代の同級生4人とともに飛騨高山へ1泊旅行に出掛けた。
時々会っているので、お互いの状況は知っているが、1日以上を一緒に過ごしてみて、
なるほどなーと思うこともあった。
東京から新幹線に乗るとさっそく椅子を向かい合わせにして、準備万全だ。
ともかくしゃべる、しゃべる。
名古屋に着き、電車の乗り換えだ。
私は気ままについていくだけなので、下調べは任せてあった。幹事が「ここでお昼を買って電車で食べましょう!!」と言われるままにお弁当を見ている。うーん、駅弁。悩むなー。
一時帰国者には、あれもこれも食べたい。
乗り換えた電車が出発すると、さあ、お昼だ。「あっ!それおいしそうね。」「あげようか?」
「じゃあ、これあげるね」まるで高校時代のようだが見た目は、すっかり中年。
ふと社内を見渡すと、我々より年上のグループがワイワイ騒いでいる。ちょっとうるさい?
ああ、オバタリアンだ。(これって死語ではないわよね?日本でも使っているわよね??)
まあ、 我々のグループそれに近いものがある。
(、、、、、、と蚊帳の外にいる私。)
宿に着くと、さあ、 見学ね。とさっそく街に繰り出した。せっかちなのも、オバさんだろう。
「ここの景気いいわね。」「さあ、みんなで写真を取りましょう」このフレーズがいったい何回あったか。写真を撮えられると魂が取られるって怖がるアフリカ原住民の人の気持ちがわかる気がした。(、、、、、、と蚊帳の外にいる私。)
そんなこんなで陽が落ちて来た。
宿に着くと「さあ、お風呂よ。」「はーい。」とばかりに全員でお風呂へ。そして、その宿の売りとなっているカラフルな浴衣に着替えて、写真撮影大会だ。
そして、夕食。ここでも「みんなで写真をとりましょうね」とばかりに、仲居さんに頼んで
ハイ、チーズ。
お腹も満腹、いい気持ち。寝酒用買った日本酒を飲みながら、それぞれの家庭の話が始まる。
姑、ダンナ、親戚、子供の話題と話題はつきない。みんなストレスがたまっているんだなー。
(、、、、、、と蚊帳の外にいる私。)
次の日、朝食を食べた後は、 朝市へと出掛けた。「この漬け物、おいしいわよ。」「このリンゴ家に送るわ。」と買い物がスタートした。観光客向けの通りを歩き、いろんな店を覗く。
そして 食べ歩きだ。 高山は、 つけもの、蕎麦、牛寿司、ラーメン、お酒、味噌などあるわ。いろいろあるわ。寒いのも手伝って、甘酒は飲む、試食は食べる、香ばしいせんべいを焼いていると臭いに惹かれて購入する。 ともかく食べる。食べる。食べる会の旅行だった。
(、、、、、、と蚊帳の外にいる私。)
帰りの電車でカメラを持って来なかった私に、写真を送ってくれるという。
プリントはお金もかかるのでメールで送ってね。と言うと、「えー、できない。」という。どうもいつもダンナがしてくれるので、カメラからダウンロードして、メールにアタッチメントできないそうだ。
「ダメ、ダメ、ボケないためにも、新しい事に挑戦しなさいよ。」言ったが、送られて来た写真はご主人からだった。そしてメッセージには「やっぱり、できませんでした。」と甘えて書かれていた。やれやれ。こうして女は、どんどん男にやってもらい自分で出来なくなるんだなー
、、、、と 蚊帳の外にいる私、、、、と考えていると、あれ?私も同じゃないの??と思いあたる事がでてきた。
そう言えば、、、、車の運転の回数が減って来ているではないか。昔はブイブイ、何処でも運転していったのに。それに、いまだにアイポットにコピーする方法を知らないなー。請求書の支払い。銀行口座の管理。料理??までも???
う、まずい。このままだと何もできない女になってしまうではないか。といいつつ、今日もまた、アイポットの録音を頼んでいるワタシ。(反省)
January 19, 2009
日本語
皆様、お元気でお過ごしですか。
いやいや、更新を随分さぼってしまいました。すみません。
最近なんだか忙しくてなかなか余裕がなかった次第です。
何をそんなに忙しくしていたかというのは、またの機会にお話するとして、何事もなかったように語り始める私ですが、最近日本語が出てきません。
先日、息子の日本語補習校の願書提出の締め切りが迫っている事をママ友Rさんに教えてもらい、(息子のナーサリーの願書提出もぎりぎりで間に合ったのもRさんのお陰です)願書をダウンロードして早速記入した。
「日本語のフォームに記入」という行為自体が数年ぶりで、なんだか履歴書を書いているみたいで緊張したがなんとか終了。
(日本語のフォームってすごくフォーマルな感じがしません?『綺麗な字で書かなくてはならない』『誤字脱字があってはならない』・・・・などと、『私、試されている、私、試されている・・・・』と日本語フォームに記入するたびにプレッシャーを感じてしまうのは被害妄想だろうか)
さて、封筒に入れて住所を記入。
日本語補習校は普通のイギリスの小学校を土曜日だけ借りているらしいので、住所の一番上に
’The Japanese Saturday School'
と書くことも忘れない。じゃないと、イギリスの学校宛ての郵便とごっちゃにされちゃうもんね。ふっ完璧だわ。
ついでに日本語で、願書が入っている旨を書いておけば間違われることはないだろうと思い、封筒の下の方に
「入学願書御中」
と書いた。
・・・・・なんか違うな。
あっ。「オンチュウ」じゃないよ、「ザイチュウ」だよな。
「御中」を二本線で消して下に訂正しておこうかな、と思ったが、それでは私が漢字を間違えた事がバレバレである。
私自身はどう思われても構わないが、これから日本語学校で新しい生活を始める息子が、
「漢字の書けない親の子供」
という印象をしょっぱなから持たれてしまってはどうにも不憫である。
仕方ないので新しい封筒に書き直すことにした。
「入学願書存中」
・・・・・・・・あれ、まだなんか違うな。
はっ。これでは「ゾンチュウ」だ。「ザイチュウ」だよ、ザイチュウ。
新たに書き直し、やっと「入学願書在中」と正しい日本語で書かれた封筒を投函したのであった。
封筒2枚無駄にした。
漢字が書けなくなっているだけではない。
日本語の微妙なニュアンスも、忘れかけている。
先日、某スーパーで冷凍の「アラスカン・レッドサーモン」を発見した。
スコットランド産のサーモンは安いが、アラスカ産のレッドサーモンは生で買うとお高い。
冷凍ものは安く、味もまあまあだったので、早速、日々の夕食のメニューに悩む同志の主婦友に報告のメールを送った。
「テ○コで冷凍のアラスカ産の赤鮭を発見したよ・・・・」
彼女は返信メールをくれ、
「教えてくれてありがとう。アラスカ産の紅鮭は美味しいよね・・・・」
とさりげなく、私の間違いを訂正してくれた。
ああっ。「レッドサーモン」をそのまま「赤鮭」と翻訳していたが、日本語には「紅」という美しい表現があるんだったあ!
思わずパソコンの前で「紅面」してしまった私です。あ、これは「赤」でいいのか。
January 18, 2009
Surprise Visit
金曜日は7年生の特別プロジェクトFlexible Fridayの授業のある日(Flexible Fridayについては2007年6月27日の過去ブログ「Freaky Fridays」を参照)です。
私が担当しているプロジェクト「Our East End」は主に東ロンドンの19世紀、20世紀初頭の女性と女性の市民権運動に焦点を当てています。
女性たちが当時、どのように生活し、実際どのような困難と向き合っていたか、そしてそのような状況で東ロンドンの労働者階級の女性たち、そして彼女らを支えた政治家や市民権運動のアクティビストたちがどうやって女性の権利のために立ち上がり、権利獲得のために戦ったのかなどを色々なアクティビティを通して学ぶのです。
具体的には私の勤務校の近くにまだ建物が残るマッチ工場の女性労働者たちの賃上げや労働条件向上のためのストライキ、そして東ロンドンが大きな舞台となったイギリスの女性参政権運動などに焦点を当てています。
ただ、このプロジェクト、単に歴史事件の内容を学ぶというよりは、この題材を通してチームワーク、資料の使い方、ディスカッションの仕方、効果的な質問の問いかけ方(effective questioning)などを学ぶのです。前にも述べた「Learning to learn(学ぶための学び)」のコンセプトが根底にあるのです。
今日のセッションもSocratic talkという哲学者ソクラテスの「問答法(相手の持つ考えに対し、疑問を投げかけることによって考えを深めていく)」のコンセプトに基づいた討論を実践してみる、というものでした。
授業が始まり、前回のおさらいをして、今日のアクティビティの説明をして、、、と授業を進めていると、突然、副教頭のVとVisitor(訪問者)バッジを付けた見知らぬ顔の女性が教室に入ってきました。
私の学校では授業の途中で色々な用で人が入ってくることは非常によくあることなのですが、いくら副教頭と一緒とはいえ、さすがに部外者が突然入ってくることは滅多にありません。
一瞬止まってしまった私に副教頭Vが「あっ、そのまま普通に授業を続けてください」と言うので、言われたとおり普通に続けました。といっても、私がしゃべり続けるというよりは、生徒が自分たちのグループでディスカッションの準備として資料を見ながら与えられた議題について話し合うというタスクを私が手伝うという形でしたが。
副教頭Vがさりげなく近づいてきて、この訪問の目的が書かれた紙を私に手渡してきました。そこにはこの授業観察が「子供と直接対話し、子供自身がどのように授業でおこなわれていることを理解し、どんな風に学んでいるか、そして、子供たちがどのように自分たちの学習を自覚し、評価しているか、教師がその過程をどのように助けているかを知る」という目的でおこなわれていること、放課後に授業の担当教師が授業観察のフィードバック(感想?)をもらえる機会があるという旨が書いてありました。なるほど、その訪問者をちらりと見ると、生徒に話しかけて色々と質問しては紙に色々と書き込んでいます。
この突然の訪問、私のほうは不思議とあまり驚きも緊張もしませんでした。滞在時間も10分強くらいでしょうか。そんなに長くはありませんでした。そして、その後は何事も無かったかのように授業は進行し、10分後には誰かが観察しに来たこともすっかり忘れるほどでした。
ところがその後、お昼休みに教職員のラウンジに行くと、例の授業観察が複数の教師の授業でおこなわれていたこと、他の教師はOfstedの予行練習のように捉えていた事を知りました。そこで初めて、「私、あれで大丈夫だったんだろうか」と、放課後に予定されている授業観察者との対話を少し不安に思いはじめました。
が、実際にはそれも杞憂に終わりました。別にするどく突っ込まれることも無く、私がプロジェクトの目的や内容、今日の授業の全体像や普段やっている取り組みの趣旨などを説明、そこに1,2点、観察者がコメントを加えるといった感じでした。ただ、私の悪い癖で質問にずばり簡潔に答えず、内容を冷静に整理せずに弾丸のごとくしゃべってしまった感が。
とにかく、面接などで間があいて沈黙が続くのが嫌でしゃべり続けるタイプ、それが私なのです。そのうち、聞かれた質問から話が外れそうになります。それを必死に戻そうとすることもしばしば。でも、そこで焦ると頭が真っ白になることも。ちなみに日本語でもやってしまいます、、、。この不得意分野、というか大きな弱点、Ofsted訪問のためにも鍛えたほうがいいなと心底思いました。
それでも、今日のこれが本当のOfstedの監査だったら良かったのにと思ってしまいます。かえって事前告知の無い電撃訪問のほうが気が楽かもしれないですね。だって、いきなり来ていきなり終わってしまうんですからね。
January 14, 2009
今年も英国に住むという事は、、、
長い間ブログをお休みしておりまして、申し訳ありませんでした。
日本に3週間、そしてクリスマスで、新年と沢山の休暇を取り、リフレッシュ、、したはずなのに、1週間働いたら、疲れて風邪を引きそうです。(ゴホゴホ)仕事に向いていない私かしら?
さて、昨年の11月、日本に行く前の日に医者からの手紙をもらった。そう言えば1週間前にローカルのGP(ホームドクター)で血液検査をしてもらっていた。手紙の内容はこうだった。「あなたの検査の結果について話したい事があるので、再院してください。心配はしないで。もし、シリアスな状態なら電話をしております。」といった内容だった。ええっ!!検査結果についてアポイントメントを取ってくださいだって?!心配しないでといっても、、、、ドクターからこんな手紙をもらうなんてかなり心配だ。しかし、明日は日本行きの飛行機に乗る。悪い事は、帰って来てから聞いた方がいい。
ということで帰国後ドクターにあった。そして問題だったのは、コレストロールが高いことだった。「あなたは 煙草は吸いますか?」「いいえ」それは良かった。では、血圧を測りましょう。「幸い血圧が高くないですが、あなたのコレストロールがこのままだと、今後10年間の間に心臓発作が起こる確率は10%もあります。コレストロールを下げるには、食事と運動です。食事は、ファーストフードは禁止です。あれはまったくもって、ダメな食事ですから、×××、、、、、。」(私は食べていない!!)「チップスもダメです。」(私は食べていない!!)「運動はしていますか?」「歩いたり、水泳をしたりしています。」「歩くねぇー、あなたの年齢なら、走るほうがいいですね。」と言われた。そして、6ヶ月後に再検査をし、もし変わらないのなら薬を飲むように言われた。
げげ、薬は嫌いだ。しかし、ファーストフードを愛用していない。ということは運動しかない。ということで、運動、、、よし、走ろう!!と決めた。すでに3日間朝早く起きて走っている。(エライ!!)たった15分だがきつい。3日目にはすでに少し筋肉痛だ。ああ、情けない。しかし、このままなら続けられそうだと思い、しっかりとしたランニング専用シューズを購入することにした。
早々にこの土曜日に専門店に行った。店員がでてきた。30代前半の女性。この日は、寒い日であったが、店内は暖かい。彼女は上着に手を突っ込みながら、私に近づきぶっきらぼうに私に「何がほしいの?そう、靴。サイズは?」一瞬、私はむちゃ、感じが悪い女と思った。そして、一緒に来ていたダーリンに、日本語で「この人、感じ悪い!!」と訴えた。彼女が持って来てくれた靴を履いた。彼女は「ズボンの裾を上げて!」と言ったが、はっきり聞こえなかったので、「私がえっ!?」と聞き返すと、「ズボンの裾を上げて!」とまたぶっきらぼうに言った。そこで私はキレた。
「あなたは、私にセールスしてハピーなの?」と聞くと、彼女は驚いて「いいえ、あ!手が寒いから、、、。」と恥ずかしそうに、手をポケットからだした。その笑顔がよかったから「あなたの笑顔はとてもいいわよ。」なんてオバさんみたいなことを言っていた。(まあ、実際オバさんだが、、)そして、ランニングマシーンに乗り、実際に走り、自分にあったシューズを購入した。最後迄、彼女が私の担当をしてくれた。
日本から帰ってくると英国のサービスの悪さに閉口する。ここに住むというには、また、今年もこの英国のサービスとつきあうという事なのだ。ああ、サービスは形でないから持って来れないが、日本のサービスがほしいなー。
January 08, 2009
もういくつ寝ると、、、。
皆様、寒中お見舞い申し上げます。いつも私のブログを読んでくださり有難うございます。
昨年末には実際に私のブログを読んでくださっている方に偶然お会いしました。私のつたない文章を読んでくださる方がいると思うだけで恥ずかしいですが本当に嬉しく思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。
さて、新学期が5日から始まり早くも一週間が終わろうとしています。今年は前々回にも書いていたとおり、Ofstedという機関による学校監査が入るので新年早々、連日のようにOfsted準備関係のメールが届きます。
学校全体もいつもと違う雰囲気に包まれているように思います。とにかくやることが多いのです、、、。
実は私のブログを読んでくださった方から「Ofstedの準備とは具体的にどんなことをやっているのか」という御質問をいただきました。今日は学校全体としてというよりも学部・学科を中心に進められる具体的な準備の内容をまとめてみます。
Ofstedの監査の基準は毎年少しずつ変化していますし、ここ1-2年ではシステム自体もだいぶ変わりました。昔は何日も何日も監査員が学校を訪問し、1つの授業をじっくり観察、各学科の文書類も事細かくチェックされていたようですが、ここ数年は授業観察も時間は1つのクラスにつき15分程度だけれども、生徒に直接質問をしたり、生徒のノートをランダムにチェックしたり、彼らが自分の到達レベルをどう理解し、向上するための目標を自覚しているかどうかなど、生徒を主体にみる傾向にあります。
そして、学科・学部がどんな内容をどう教えているか教えているかだけでなく、我々教師が生徒の能力・到達度などをどのように理解・分析・判断し、生徒の学びの向上のためにどのような取り組みをしているのかを審査されます。
そのとき重要なのは、「Self-evaluation(自己評価)」。我々が現在重点的に取り組んでいること、向上した部分、そして改善が必要な部分を自分たちで評価することです。ここ数年のOfstedの関心はここにあります。
そのための具体的なプラン(Development planと呼ばれます)を練ることは重要で、それを示せなければその学校は「向上のための努力を怠っている」ということで監査をパスできません。
要するに今現在の実力や弱点を必死に気にするよりも、今後のために自分たちのstrengthとweaknessを知り、どんな取り組みをおこなっていくのか自覚することが求められているのです。
ですから、Ofstedの準備というと各学部・学科が証拠として以下のようなものをしっかり用意しなくてはなりません。
1、 Department・Faculty Policy-その年の学科・学部の運営指針をまとめたもの(学習に関することや生徒指導についてなど様々な点を含む)。
2、 Faculty SEF(Self-evaluation form)-学部学科の自己評価表。
3、 Development plan – 自己評価を元に作られた計画表(Action pointsといわれる達成目標とそのためにおこなる取り組みを明示する)。
4、 G&T provision-各学科において特別な能力・技術をもっている生徒たちをさらにどう伸ばすのか、その指針。
5、 各学部の学習指導要領
6、 Assessment portfolio -我々が生徒のwork・assessmentをどう評価しているのかを示すためのサンプルフォルダー。例えば、生徒が書いたエッセイとそれに与えられた教師の評価(点数、レベル、そして具体的なコメント)のサンプルをファイルにまとめます。特にイギリスの歴史の課題は暗記・短答式のテストがほぼ皆無なので評価が難しいため、教師の間の評価のばらつきを防ぐためにどんな取り組みをしているのかをAssessment portfolioのなかで示さなければなりません。つまり、一番高い評価を得た生徒のもの、平均的なもの、平均以下のものなど、各レベルごとにまとめて、各教師がそのサンプルを評価の基準として参考にすることが必要とされています。
7、 Self-evaluation sheets -これは生徒が記入するもので、生徒の自己評価と目標設定をするためのフォームです。私の学科では歴史で必要なスキル(歴史文書の解釈など)、学習態度など様々な点を子ども自身が5段階で評価します。その上で自分のStrengthとこれからの目標を定めて書いておくのです。
8、 Target sheets-これは一人一人の生徒の現在の到達レベルと、次のレベルに到達するための目標を示したフォームです(このレベルを決めるために大量の採点物をこなさなければいけないんですよね~。つらい!)。教師が記入し、生徒たちのノートに貼っておいて、彼らがいつでも見られるようにしているミニ通信簿という感じでしょうか。レベルばかりにこだわる政府に半ば閉口している私ですが、近年Ofstedは生徒自身に「今のあなたのレベルは?」「次のレベルに行くためにどんなことを目標にしているの?」と突然質問を浴びせるのが好きなのです。生徒が答えられなければ「この学校は生徒の学習に関する自覚を育てていない」ことになってしまうのです。歴史理解とそのための知識・スキルを数字でたった一つの数字で示そうなんて不可能に近いのですが、学部としては他に選択肢がないのです、、、。
と、大変読みにくい今日のブログですが、少しでもOfstedがどんなものか伝わればいいのですが。ただ、私が述べたことは学部・学科に関することの一部に過ぎず、学校全体の評価には他にも細かい要素が山ほどあります。それにしても、こうして並べると学部・学科に関してだけでも書類のオンパレードですね。
さあ、Ofstedまであと一ヶ月ほど。といっても具体的に何日に来るかというのは前日、最悪の場合当日の朝まで知らされないので結構恐怖です、、、。
これからちょっと緊張する毎日が続きそうです。
January 06, 2009
ポルチーニの会
ポルチーニの食事会のお誘いを受けた。(2008年秋)
去年は白トリュフの会を開いてくれた A嬢である。
あの時はディナー帰りなのに 「小腹が空いた」などと言って、インドネシア料理店に寄り道し、ガドガドサラダやヌードルを食した。 あれがバレれば只事ではすまないと思っていたが、どうやらA嬢の耳に入らなかったらしく、今年も無事に 「秋本番、きのこの会」に招待してもらえた。
ポルチーニがどういうものかはよく知らなかった。
ただ、以前に読んだ 「負け犬の遠吠え」の中に、 「生のポルチーニと乾燥ポルチーニの味わいの違いを話す三十女とアニメの美少女に 『萌えー』としているおたく君との組み合わせは無理」という記述があったことを覚えている。
なるほど、生のポルチーニと乾燥ポルチーニは味わいが違うのか・・・。
さて、私はポルチーニというものを今までに食べたことがあるだろうか?
例えば、ポッシュなレストランに行く。
で、マネージャーが出てきてニコニコしながら、
「本日のお勧めディッシュは XXXのXXX風でございます。このXXXは今がシーズンで、XXXな風味をお楽しみいただけます。 XXXと言えば、昔々、お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行ったとき、XXXがXXXであり、またXXXに対する・・・(以下省略) これに合ったワインはXXXをご用意させていただいております。このワインというのはXXXな香りで舌の上でころがしていただきますと、XXXがXXXということを納得いただけるはずです・・・(以下省略)」
フランス語なまりの英語で得々と料理を説明するマネージャーに微笑みながら耳を傾けるが、これを実際に理解できる人はどのくらいいるのだろう? なぜ、その料理をお勧めするのだろう? 頭に浮かぶのは以下である。
1. 本当においしい。
2. メニューの中で一番高い。
3. 昨日の材料の残りを早く処分してしまいたい。
「あら、おいしそうね。じゃ、それをいただくわ」と適当に注文する。
で、出てきた料理に
(あ、野菜スープだったのね・・・)とがっかりすることもある。
ポルチーニもどこかで食べたことあるかもしれない。自分でも知らない間に・・・。
ま、とりあえず一杯、と適当なワインのボトルを頼む。 まずくはなかったが、特においしくも思えないワイン。グラスが半分からになったあたりで、レストランの人が
「今日は特別なワインをご用意しました」と挨拶。ちっ、少し待てばよかった。
当日のメニューは
トマトのプルスケッタ
サボイキャベツで包んだホタテとポルチーニ (ボタンエビとキャビア添え)
ポルチーニの香り、バターナッツスクオッシュスープ
野生のイノシシとポルチーニのプレゼ
ドライポルチーニの入った半生チョコレートケーキ
というものであった。
トマトのプルスケッタというのはトーストしたバケットにトマトをのせたカナッペみたいなものだった。これが一人に一切れ(4 X 5センチ四方)出た。
これが小さかったので、(今年も帰り道で別のレストランに寄るはめになるかも・・・)と不安がよぎった。
ちなみに私はグルメ(美食家)ではなくて、グルマン(大食家)である。
小量なのを心配していたが、他のディッシュはたっぷり出て、充分にお腹がいっぱいになった。やはり、去年別の店に寄ったのがバレてたのか?
さて、この日、私は生のポルチーニと乾燥ポルチーニの違いがわかったでしょうか?
答えは・・・・です。(・・・内に正解を入れよ。制限時間は30秒)