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July 30, 2009

All the best

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先週水曜日に無事に学年が終了しました。

生徒は午前中の終了式を兼ねた色々な賞の表彰式に出席してから解散。

教師は毎年恒例の退職者のスピーチを聞くために学校内の小劇場へ集合しました。

前にも書いたと思いますが、ロンドンにあるいわゆるinner city schoolと呼ばれる都市部の学校は教師の移り変わりも激しいです。

パーマネント契約で雇われても一年で次の職を探して他の学校に移る教師もいます。

実は今年は今までで一番、私が悲しく感じた学年の終わりでした。

去年も同僚であり、私の上司でもあった学部主任のKが退職して、淋しい思いをしましたが、実は今年は一気に4人もうちの学部から退職者がいたのです。

私と同じ年に入った社会学(Sociology)教師のA。

長期のSupply teacher(期間限定の契約で教える教師)として地理、宗教を教えるAZ。

一昨年、うちの学校で実習、そのまま就職した宗教教師のS。

そして、3年前に実習生として来て、そのまま就職、去年は地理科の主任も務めたE。

退職する理由は様々です。

Aは元々、教師を続けるよりも研究の道に進みたかったそうです。そんな彼女は心機一転するために9月からヨーロッパ、アジアに長期の旅に出るそう。その間に次のステップを考えるようです

AZはもともと一年で契約終了ということは決まっていたのですが、ちょうどいい学部内にポジションに空きが出れば、応募したいといっていました。ただ、結局学校側の事情でそれはならなかったのでした。

同僚Sは私よりも若く、新任にもかかわらず、教師として光り輝く人でした。お母様がイギリスでは有名なArt therapist(アートセラピスト、芸術療法士)だそうで、その影響か、彼女の授業には生徒の視覚にアピールする様々なアイディアが詰まっていました。

私も彼女と一緒に働きつつ、軽やか、かつパワフルな彼女から様々なことを学びました。私から見たら、まさに教員になるために生まれてきたような人物です。

そんな彼女もプレイベートの事情でフィリピンに移住することになりました。名残惜しかったようですが、その時その時のチャンスを逃さないという考えの彼女。思い切って決断したようです。でも、きっとまた、彼女は教壇に立つのではないかと思います。

最後に同僚E。彼女は実質ふたつの学科の仕事を背負っているにもかかわらず、ほかの地理教員たちは学校内の他の仕事を兼任しているか、長期の契約教師のため、彼女をサポートすることが難しく、彼女は一人でいつも苦労していました。

実は、私と同じ歳で、教育や仕事に対する考えに共感を覚えられる人、本当に尊敬できる人でした。彼女の仕事に対する姿勢は(イギリス人には珍しいくらい)非常に真面目で120%きっちりやっている姿をいつも見ていました。実際、彼女が作る教材、そして学習指導案のきめの細かさは脱帽ものでした。

よく学校が閉まるぎりぎりまでいる彼女と二人で最寄り駅まで一緒に帰っていました。もう半年くらい前から、「来年か、再来年か、、、彼女はやめてしまうんじゃないか」と感じでいました。そして、二ヶ月ほど前に、彼女は自分自身でもっとサポート体制がしっかりしていると思われる学校を探し、無事に就職を決めました。

彼女のような人材を失うことは学校の真の損失だと思います。なぜ、常任の地理教員を雇って、彼女と協力できる体制を学校が作らなかったのか、、、。実は、これは今の学校の経済状況が大きく関係しており、下で働く我々の力など到底及ばないことを実感させられました。この問題については、また書く機会もあると思いますが。

とにかく、期間の長短に関係なく、今回去るこの4人の同僚たちは色々な意味で私に影響を与えたし、共感できる部分を持つ人たちでした。だから、彼女らが来年からいないのだと思うと正直淋しいです。

元々、私はプライベートと仕事での人との付き合いを結構分けており、同僚とはお互いのプライベートについて話すことはたくさんあっても、休日とかに学校外でほとんど会うことはありません。

そんな私でも、この4人とはこれからも付き合いを続けたいなぁと願っています。 今はSNSもあるので、お互いの様子が少しでもわかったらいいなと思います。

とにかく、それぞれの新天地での彼女らの健闘を祈ります。

投稿者 lib : 02:27 PM | コメント (2)

July 29, 2009

日本人女性を好む英国人男性の特徴とは?  その1

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どうも気のせいか、日本人女性とつきあっているまたは結婚している英国人男性に、ある特徴があるようだ。なんかどことなく気弱で、よく言えば繊細で静寂な部分をもっている。
英国からは、遠い東洋の国日本は、独特で繊細な文化と精神がある。こんなイメージも相まってか、
3歩下がって歩く、三つ指を立てて向かえるなど、静かで控えめな日本人女性への憧れはあるだろう。
しかし、現代はそんな日本人女性はいない。でも、でも強くてわがままな英国人女性よりもコントロールできると思うのかな??

A子のダンナ
日本語をちょっと話す。優しい。自分を抑えて、最後に爆発するタイプ。

B子の彼氏
ちょっとヘラヘラしている。怒らない。自分の主張はあるが、強引に通さない。

C子のダンナ
ともかく静か。場を取り持つ気持ちもないが、出しゃばって話もしない。

ココのダンナ
社交性は低いが、私と一緒なら出掛ける。穏やか。Fワードは言わない。決断力がやや劣る。

こうした英国人をもう少し、観察してみようと思う。

投稿者 lib : 08:50 AM | コメント (0)

July 24, 2009

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申し訳有りません。今週のブログはお休みとさせてください。すみません。ココ

投稿者 lib : 01:06 PM | コメント (0)

July 20, 2009

奇遇

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先週、すごいことが起こりました。

私は某SNS(Social Network Service)のサイトを利用しているのですが、そこに私がイギリスで通っていた大学のコミュティ(メンバー同士が交流できる場所)があります。

メンバーの誰かが進路についての質問を載せていたのですが、それに回答した男性が「イギリスの公立学校で6年教師をしていました」と書いていました。

実は、私以外にも現地校で教えている、教えていた日本人はいます。小学校で先生をされている方、中高で日本語教師をされている方、実際に会ったことの無い方ばかりですが、色々なルートでその存在を存じてはいるわけです。

ですので、その時は「おぉ、仲間だ」と思って、その方のプロフィールなど読ませていただきました。

そして次の日、、、。私にその方からメッセージが届いていました。

実は、このサイトでは他の人のページを訪れるといわゆる「足跡」というものが付くので、誰がアクセスしているか分かるのです。

彼も私のプロフィールを見て、私が東ロンドンで教師をしていることを知ったのでした。

そのメッセージを読んで驚きました。

なんと、彼も歴史を中心に東ロンドンの学校で教えていたのです。彼も周りに日本人がいないため、同じ境遇の人間がいたことに驚いたとのことでした。

私はこの「東ロンドンで歴史を教えていた」という一文にはっとしました。

そして、「あ、この人、私は知っている」と。

前々回の『あれから5年』で書きましたが、私はビザが切れる寸前まで色々な学校の面接を受けていました。そして、その中にとても気に入った学校があったのです。そう、結局コースメイトが就職を決めてしまった学校です。

その学校も東ロンドン。実は、面接を受けたとき、そこの教科主任が「実は以前にも日本人の教師が一年ほどいたんだよ」と話していたのです。

しばらくそのことを忘れていましたが、この男性のメッセージで記憶が舞い戻りました。

そしてすかさず、「もしかして(でも90%くらいの確信を抱きつつ)、XX(地域名)のXXXという学校で以前、教えていませんでしたか?」と質問しました。

案の定、「そうです」という返事が。

まさに奇遇という言葉が当てはまる瞬間でした。

彼はイギリスの現地校で歴史の教師になったということでは私の先輩。先駆者な訳です。

こういうSNSというものがなければ、一生彼と知り合う(といっても実際は会っていませんが)ことはなかったでしょう。

ネットの普及の弊害はもちろんありますけれど、私はこのブログも含めて、ネットの社会を通じてたくさんの素敵な出会いを経験しました。

社会人になるとどうしても交友範囲が大学の頃と比べて狭くなるような気がしていましたが、今は限りなく広がっていっているような気がします。

今回の出来事も本当に素敵な出会い。

彼はすでに日本に帰国されたのことですが、これを機に色々情報交換できたらいいなと思っています。


投稿者 lib : 10:08 AM | コメント (2)

July 15, 2009

ようこそ、日本で温泉!

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以前、英国に住む人々は、暑い時期には他人のために(私のために)もっとシャワーを浴びてほしい!と書いた。私の身近にいる英国人、ダーリンも会った当初は、シャワーをあまり浴びていなかった気がする。聞けば、子供のときから週に2、3回しか浴びないと言う。まして、風呂なんてめったに入らなかったそうだ。

私と一緒になってシャワーに関しては、うるさく言われるので回数は増えたが、ちょっと油断すると怠けて浴びない日もある。

私は、家では警察犬と言われ、ダーリンがこっそり甘い物でも口にいれていたら、あれ?何か食べた?なんてすぐに見つけてしまう。だから、暑い日の汗臭さ、体臭には人一倍うるさいのかもしれない。

日本で友人と家を借りて住んでいた時に、どうもガス臭い。といった時、 そう?と誰も取り合ってくれなかった。万が一とガス会社を呼んだら、やはり微量だがガスが漏れていた。

こんな鼻の奥さんを持った英国人、ダーリンは可哀想かもしれない。ことあるごとに、臭い!とか何か臭わない?なんて言われたら、居心地わるいよなー。気をつけようっと。

でも、ダーリンは私に出会ってから、風呂が好きになり、今では特に温泉は大好きだ。しかし、やはり大勢がいる大浴場に入るのは、興味本位の他人の目が気になるので躊躇している。だから、できるだけ小さな宿か、個室に露天がついている宿を選ぶことにしている。

私のママがダーリンの露天風呂好きに好意をもって、何を思ったかよーし、箱根でもいこう!と各部屋に露天風呂が付く、豪華な旅館を予約してしまった。我々は、登山鉄道を使い、降りた駅から15分程度、徒歩で旅館にたどり着いた。着くなり「お車のキーを預からせてください。」と言われた。

外を見ると、ベンツやBMWなど高い車が駐車している。そうか、こういう所は、車で来るんだ。駅からハイヤーならいざしらず、徒歩で来る。なんておそらく珍しい(貧乏な)客はいないのだろうなーと瞬時に悟った。まいっか。

確かに素晴らしい旅館で、試しに大浴場にもいったが、芋洗いのように人が沢山いる多くのホテルとは違い、1度も誰にも会わない、なんとも閑静な旅館だった。ダーリンも大変気に言って、ママによかったですねー。と言っているが、ママからはこのあと、同じようなオッファーはない。相当、散財したようだ。

そう、知らない!っていうのがいけないのよねー。もっとこの国に住む人々にも風呂の楽しさを教えれば、もっとシャワーや風呂を浴びて身ぎれいにしてくれるかも。

ようこそ!ジャパンという日本への観光を誘致しているが、ようこそ、日本で温泉!なんてしれくれるといいのになー。

投稿者 lib : 10:58 AM | コメント (0)

July 14, 2009

Britain's got talent への道 2

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Creativeで Imaginativeで Innovative な振り付けを考えようとするも何もアイデアが浮かばず、夢のお告げからも見放された息子。
しかしその日は学校で、来年の Britain's got talentへ出場する抱負を皆の前で発表したらしい。(意気込みだけは立派)

「へえ、どうだった?」

「クラスのみんなが応援してくれた。」

「そうなの、良かったじゃない。Zは笑わなかったの?」

「Zも励ましてくれた」

とりあえず、応援団は万全だ。

「レセプションの子も誘ったの?」

「それなんだけどね・・・・K(もう一人のメインメンバー)が、Lはナーバスになりがちだから適していないんじゃないかって言うんだ」

・・・年長者として、人選にもいろいろご苦労がおありのようで。

「それでね、Tが、『Britain's got talentに出るなら出場登録しないと』って言ってた」

げ・・・・いらん知恵をつけて本格的になってきたな。

「マミー、登録するにはどうしたらいいの?Tはインターネットから登録できるって言ってたけど」

そんなことに本当にかかわるなんて御免なので

「うーん、マミー、パソコンに弱いからどうやるのか分からないわ~。自分でやってみたら?」 (訳: さっさと諦めて早く寝てくれ)

と適当にお茶を濁してほおっておいた。

パソコンの前で、しばらく孤軍奮闘していた息子だったが、そのうち

「だめだ~。どうやって登録したいいのか分からないよ~」

と諦めたようだった。

息子が寝た後、私がパソコンを使おうとすると、グーグルのサーチ欄に 

来年のBritain's got talentの出場者登録方法

を懸命に調べようとした痕跡が残されていた。

"can you register bridalins got talent in 20010"

スペルミスはご愛嬌としても、20010年か・・・・・・まだ練習時間はたっぷりありそうだ。

いろいろな意味で、息子のBritain's got talentへの挑戦は、長く険しい。

投稿者 lib : 01:06 PM | コメント (4)

July 13, 2009

M-word封印。

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Mで始まる単語で一番に思いつくものを書けといわれたら、、、

迷わず「Marking」と書くであろう私。

そう、この仕事を始めて5年、学期中は常にMarking(採点)がつきまとっています。

特に夏学期は学年末に向けてテストがあるので忙しいのですが、今回も例に洩れず、 山のような採点に襲われました。

まずは、7年生の宗教のテストを採点。自分の専門科目ではないので、エッセイ問題の採点には戸惑いましたが、最初の1クラス分ということで気力たっぷりだった私は、難なく片付けることに成功。

次は7年生の歴史クラス。テスト問題を作ったのは私だったので、採点もしやすく、他の学年よりも問題数が少なかったのでこれも軽やかに終了。

、、、とここまでは順調だったのですが、これからは非常に苦労しました。体力的にというよりも精神的に。

私はKey Stage 3と呼ばれる7年生から9年生のクラスを多く担当しています。

7年生が前述の2クラス。8年生は3クラス。そして、9年生は5クラス持っているのです。

4年前なんて、7年生を7クラス(学年は8クラス)担当したこともあり、その時は泣きそうになりました。

一学年であまりにも多くのクラスを教えると、準備は少なくていいのは確かなのですが、困ったことがあります。

まず、繰り返し繰り返し同じ内容教えることになるので、教えているほうとしては少し退屈です。3クラスくらい教えると、あとはちょっとマンネリ。

もちろん、クラスの特色・能力によってタスクを少し変えたりはするし、同じタスクをやらせても、反応が全然違うので面白いこともあるのですが、それにも限度があり、、、。

そして一番の問題は課題の採点。数週間ごとにエッセイなどの課題を宿題として課したりするのですが、5クラスも6クラスも教えていると、生徒が課題を終える時期もほぼ同じなので、私はその全部のクラスの採点を一気に抱えることになるのです。

そういうわけで、今回も8年生はまだ良いものの、9年生の採点には相当苦労しました。採点しても採点してもまだある机の上の9年生のテストの山。

いくつか前のブログにも書きましたが、最初の知識問題のパートは比較的早く採点できるものの、エッセイ問題は読むだけでも時間がかかります。

結局、一クラス約30人なので私は9年生だけでも150本くらいエッセイを読んだことになります。あ、中には7行くらい書いて終わりの子もいましたが。

そんな子に対しては最後はがっかりの気持ちよりも思わず感謝の気持ちが勝ちそうでした。「ありがとう、たくさん書かないでくれて」って(笑)

9年生の採点がすべて終わったときはどんなに嬉しかったか、、、。あ、その後にはまだ10年生の採点が残っていたのですけれど。とにかくほっとしたのです。

ただし、その後も「採点終わった~」と言っていられないのがこの仕事。

今度は試験結果と一年間の課題の評価などを元に成績をつけます。そして、Effort grade(努力度)とProgress grade(進歩度?)や来年のための目標(Action points)も生徒一人一人に対して与えなければなりません。

そして、そのデータを学校が使っているSIMSという情報管理システムに入れるのです。データを集計した後は、学校がプリントアウトし、保護者と生徒に成績表として配布するのです。

自分自身はExcelで生徒の成績を管理しているのですが(といっても単純な機能しか使ってませんが)、ExcelからそのままSIMSにデータを移すことは出来ないので(逆は可能)、結局ひとつひとつ打ち込んでいくことになります。

これもかなり面倒な作業で、もう何クラスもやっているうちに目の前がちらちらとしてきて、目は乾いてしばしばに。コンピューターを一日中使うお仕事をされている方には脱帽です、、、。

なにはともあれ、、、今日、無事にその作業が全て終わりました。

これでしばらく、M-wordは封印できそうです。はぁ。

投稿者 lib : 09:51 AM | コメント (2)

July 12, 2009

ロイヤルアスコット その2

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さて、ロイヤル・アスコット競馬である。

厳しいドレスコード(服装規定)に沿ったドレスと帽子を用意する期間はたったの2日。

外国の方は正式な民族衣装も歓迎です。 ――と書いてある。 そうか、その手があったか。 着物姿で華やかに登場すれば、テレビに映るチャンスもあるのでは? が、私は自分では着つけができない。 盆踊りじゃあるまいし、アスコット競馬に浴衣とゲタ姿ではひんしゅくを買うだろう。

ということはワンピースかドレススーツだな。 おパンツ見えそうなミニスカートとか腹丸出しプルプルでなければ、ドレスコードはクリアとしよう。

困ったのは帽子だ。 あんな場所にかぶっていけるような帽子は持っていない。 といってもマイフェアレディみたいな大げさな帽子もアウト。 小柄な私があんなものをかぶったら、 「歩く 毒きのこ」状態になってしまう。

しかたない、買うか。 二度とかぶることはない帽子に大金を払うのもなあ。 が、せっかくのロイヤル・エンクロージャーでの観戦。 ここで帽子代をケチって入場拒否なんかされたら、一生の不覚。 さて、帽子ってどこで売ってったっけ?

とりあえず、シティの駅の構内にあるアクセサリーショップをのぞくと・・・あるはあるは、壁一面にそろっている。 どうも帽子は 「季節モノ」らしい。 アスコット競馬か、それとも結婚式への参列か、女の人が群がっている。 値段も25ポンドから40ポンド程度と、会社員にも優しい価格だ。 

えーと、どれにしよう。どんなタイプが自分に似合うのかと帽子になじみのない私のような客がウロウロ、キョロキョロと途方に暮れた顔で店内を歩き回っている。

ヘアバンド式のものも多い。 つけた瞬間インスタントに頭が鳥のトサカになったり、円盤が乗っかる感じ。でも、ヘアバンドってサイズが合わないと頭痛がするのよね。一日中つけるのはきついかも。

じゃ、帽子にするか。

さすがに30ポンドの帽子では六尺玉花火のようなスペクタルな効果は望めない。 派手な羽飾りやリボンにも心惹かれるが、「歩く ジャポニカ・テングダケ」 になる危険もあり、初心者としてはおとなしめを選んでおくほうが無難だろう。

帽子選びに時間がかかってしまった。ああ、女って面倒、と思ったが、男の人はもっと大変だったらしい。

「レーシング・ポスト」という競馬新聞を買って、馬の研究をし、勝負予想を立てる予定だったが、そんな暇もなく、当日に突入。

いやー、久しぶりのアスコット・・・って全然見覚えがない施設になっている。 で、全員がトップハットに帽子姿だし。 以前に行ったのは、どうやらロイヤルでないアスコットだったらしい。 今の建物になる前のことなので施設はもっと小さかった。

一般席
メンバーズ・エンクロージャー
ロイヤル・エンクロージャー

の3種類があって、メンバーズ・エンクロージャーに行ったのだ。 

最初は会社の接待で現地集合。 よくわけがわからなかった私はまず一般席に行き、
「マダム、あなたの席はあちら。もっといい席ですよ」と言われ、
その次にロイヤル・エンクロージャーに行き、
「マダム、ここはロイヤルの席なので、残念ながら、あちらです」と追い払われた。 が、ここのおじさんは親切でメンバーズ・エンクロージャーの入り口まで私を連れて行ってくれた。 そのときのロイヤル・エンクロージャーは広い広い競馬場のほんの一角にきらびやかに存在する雲の上の場所だったのだ。

その記憶があって、ロイヤル・エンクロージャー = 王族、貴族専用席 の刷り込みがされたらしい。 で、今回は友人と一緒に
「キャー、女王のそばの席だったらどうしよう? 声かける? どうする? サインとかしてくれるかな?」と騒いでいたのだ。 (友人もよく状況の理解ができていなかった)

が、この日、ここにもあそこにもロイヤル・エンクロージャーの人々が。 いったい何人のキャパシティ? 千人以上か? 全然特別じゃないじゃん!

結論、今回のロイヤル・エンクロージャーはただの 「やや高価な一般席」でした。

続く

投稿者 lib : 11:46 PM | コメント (0)

July 06, 2009

ロイヤル・アスコット その1

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ロイヤル・アスコット競馬に行ってきた。

アスコットには2回ほど行ったことがある。現在のモダンな建物になる前のことだ。そのときはメンバーズ・エンクロージャーでの観戦だったが、今度はロイヤル・エンクロージャー! ロイヤル・エンクロージャーといえば、王室、皇族のやんごとなきお方と席をご一緒するのかしらん? (ものすごく間違っていたことは後でわかった)

「私はロイヤル・エンクロージャーに招待されたのよー」と声を大にして触れ回りたかったが、実際にやってしまうと、バカ丸出しなので、ウキウキする気持ちを抑えた。(実はたいしたことはないと後でわかった)

ロイヤル・アスコットの5日間、木曜日はレディス・ディで、奇抜さを競う帽子の日だ。 ランチタイムにインターネットでアホ帽子の数々を見ていると友人からメールが入った。
「超急ぎ。 土曜日空いてる? 空いていればロイヤル・アスコットのロイヤル・エンクロージャーに招待するけど」

ロイヤル・エンクロージャーの文字がネオンのようにピカピカと光ったね。 (錯覚だったことは後でわかった)

ロンドン広しといえど、私ほど、「困ったときの穴埋め補欠選手。最後の最後にコールしても、気持ちよく駆けつけます」として重宝されている女もいないことだろう。
私は 「出不精」(デブ症ではない。・・・ちょっとあるかな?)の上に 「つきあいのいい人間」なので、自分ではめったに週末の予定を立てない。が、遊びの誘いを断らないのでも有名。

おかげさまで 「明日、チェルシーの試合をボックスルームで」とか 「あさって、ロイヤル・アスコットをロイヤル・エンクロージャーで」だの 「週末ローリングストーンズ見たい?」なんて、おいしい話が転がり込んでくるのだ。 「枯れ木も山のにぎわい」でパーティ要員としてかり出されることもある。 招待だと財布にも優しいしね。

「即決。行きます」の返答は当然だろう。 (ま、確かに他の用もなかった)

「じゃ、ドレスコード(服装規定)と予定表、読んで」とメールが送られてきた。

ご婦人の方々に: 昼用のフォーマルドレスと帽子をお召しください。肩がむき出しになっているとか、胸元が顕わなもの、スパゲティシェイプの肩ストラップや、肩ストラップが2.5センチより細いドレス、またミニスカートは、アスコットにはふさわしくないとお考え下さい。おなかは出さずにきちんと服で覆ってください。パンツスーツは足元までの長さのものを。服地の材質や色合いが揃うようになさってください。

意味: まーったくこの頃の客は下品でしかたがないのよね。肩だの胸だのバリバリ見せるわ、おパンツ見えそうなミニスカートは履いてくるわ。腹の脂肪をプルプルさせちゃって。エセックスの場末にあるクラブじゃないんですからね。 安物のペラペラドレスなんか着てこないでよ。ここはスノッブが売りの貴族の遊び場なの、いいわね?

ご紳士の方々に: 黒かグレーのモーニングスーツ(あのペンギンスーツね)でお越しください。ウエストコートとトップハット(マジシャンがウサギを出す、あの帽子)も必要です。トップハットはいつもかぶっておられるようにお願いいたします。お脱ぎになってもいいのは、レストランでの食事、プライベートクラブ内、等一部のみです。

意味: どうせ、持ってないだろうから、早く貸衣装屋に行ったほうがいいよ。天気が良すぎると暑いだろうけど、我慢、我慢。女王だって暑いのにずっと帽子をかぶってるんだから。ほとんど毎日だよ、女王の場合。何せ一日中かぶりっぱなしだから、サイズに注意。翌日も額に帽子の跡の横筋が入っている人を見たら、 「お、アスコットにお出かけでしたか?」と聞いてあげるように。

当日のスケジュールはプライベートロッジで
11時 シャンペン、ワイン、ピムズとカナッペのレセプション
12時 5コースのランチ (私はダイエット中なのだが・・・)
2時  女王陛下をレース場でお迎え (馬車で登場!)
2時半 最初のレース
3時半 アフタヌーン・ティはサンドイッチ、ケーキ、ストロベリーとクリーム、そしてピンクシャンペン 
5時半 最後のレース
6時 伝統のバンド演奏に合わせ、みんなで大合唱 (カラオケみたいなもんだ)

いやでも、期待は高まる。 
続く

投稿者 lib : 12:49 PM | コメント (1)

あれから5年。

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ちょうど5年前の6月半ば。

無事に教育実習も課題も終えて、教職課程(イギリスではPGCEという)はあと1,2週間で終了という段階。

それなのに、、、。

私の就職先はまだ決まっていませんでした。

ビザが切れるのは7月31日。

そう、あと1ヶ月ちょっとで仕事が決まらなければ、大学院での勉強が終わってから、イギリスの教員免許取得のために2年も滞在を延長した意味も虚しく、帰国せざるを得なくなる状況だったのです。

コースの仲間たちが次々と就職を決めていく中、10校くらい面接に呼ばれても採用とはならない私。

まさに崖っぷち。

駄目かもしれない、、、と思い始めていた頃、指導教官だった恩師Rに受けてみなさいと言われた学校に応募する(この学校、のちに実は今住んでるところから結構近いと気付く)ことにしました。

無事、面接に呼ばれ、授業(普通、前々日くらいにトピックを与えられ、面接当日に20-30分ほどの授業をやらされる。もちろん、本当の生徒の前で)も面接も終わって、かなり手ごたえを感じた私。

学校の雰囲気もすごく気に入ったので、期待を膨らませていました。

ところが、何と一緒に面接を受けていたコースメイト(しかも同じTutor group)のSがその学校での就職を決めたのです。

、、、正直、これで私は日本に本帰国だと思いました。

それまで散々経済的に援助を受けていた親からは「就職も出来るというから、滞在延長を認めたのに、、、」と言われ、本当に何も言えず。すでに少しずつ、日本に帰ってからのことを考え始めていた私でした。

ところが、その後再び恩師Rが「東ロンドンの女子校で募集がある。私の去年の教え子がそこで教えている。あなたと相性の良さそうな学校だから受けてみなさい」と声をかけてくれたのです。実は、この学校が今の勤務校。

無事面接に呼ばれ、当日、その学校へ向かった私。受けに来ていたのは私も含めて5人。、、、そのうち一人はアメリカ人で他の人は全員イギリス人だったと思います。

その中の一人は、いかにも自信があって仕事の出来そうな若いイギリス人の女性。言うことも明確。やる気もある。内心、この子が「Strongest candidate」だと思いました(実際、学部主任は彼女を推していたようです)。

がけっぷちの私は、はっきりいって心臓ばくばくで胃もキリキリでしたが、20分の授業に臨みました。その時に与えられたトピックは大航海時代の貿易について。

絵と文の入ったカードを作って、授業では生徒たちがそのカードの情報を使って、「なぜ、世界貿易が発達したのか」を説明するという、Causal explanation(因果説明?)のスキルに焦点を当てたものにしました。

すごく緊張していたものの、生徒はよくついてきてくれたので授業はやり易かったと思います。

そして、昼食。サンドイッチを食べたものの、緊張で味覚がおかしくて、全然味わえなかったのを覚えています。そして、それからはひたすら、自分の面接の番を待つことに。

実は順番が最後だった私。どのくらい一人、スタッフラウンジで呼ばれるのを待っていたのでしょうか。あの時間はかなりつらかったです。

「あなたの番よ」と同僚H(今は退職)に呼ばれ、面接会場の会議室に入りました。

そこには4人の面接官が(っていっても、今思えば教頭Aをはじめ、全員私の同僚だったのですが)。 用意されていた質問は6つくらいだったでしょうか。それに一つ一つ何とか答えていく私。

実は、あの頃は英語が今よりずっと下手で(今でも面接は大の苦手!!!)、なかなか瞬時に自分の言いたいことを言えないことがありました。

さすがに10校以上面接を受けていた私は、ちょっとはコツを掴んでいたものの、この面接では少しでも伝わるように実習校で教えてた時に作った学習指導案と教材などをフォルダーにまとめておいたのです。

いくつめの質問だったか忘れましたが、たしか、授業計画に関する質問をされて、すかさずフォルダーの中身を披露。

崖っぷちだったので、あの時はもう恥ずかしさもためらいもなにもなく、フォルダーの中身を見せて、必死に自分を売り込んだように思います。

ところで、面接の最後の質問は決まって、「もし、オファーを貰ったら、承諾しますか?」というもの。

もちろん、「はい」と即答した私。

面接後はもう、とりあえずやることはやったと開き直り。

でも、、、あのイギリス人の女の子とのことが頭にちらついて自信はありませんでした。事実、学部主任は彼女を推したかったらしいのですが、彼女の契約開始可能な時期が学校側の希望と合わなかったらしいです。私にとってはまさに幸運でしたが。

ところで、教員試験の凄いところはその日の夕方に結果が分かってしまうこと。 普通、面接後に校長や学部主任などが集まって会議で採用者を決めるのです。

その時も結果は6時くらいに電話で知らせるということだったので、当時住んでいた北ロンドンの家で連絡を待っていました。 家にいたのは私とフラットメイトのE。

キッチンで突然鳴り響く携帯。

私の心拍数、一気に上昇。

ぽちっ、と応答ボタンを押す私。 電話してきたのは教頭のAでした。

しゃべりだした彼の声の調子でこれは駄目だと思った私。

そしたら、次の瞬間。

「あなたにこの職をオファーしたいけれど、承諾してもらえますか?」

、、、、。
、、、。


一瞬、頭真っ白になった後、私は思いっきり叫んでいました。

「ぎゃーーーーーーーーーー!」(実際、なんて叫んだか覚えてないのですが)

たぶん、教頭Aは相当驚いていたでしょう。別にオーディション番組で優勝したわけではないんです。教員の職が得られただけで、そんな反応するイギリス人は普通いないですからね。

電話を切った後は、フラットメイトEに抱きついて興奮状態で半泣きになりながら報告。

いや、今考えると恥ずかしいです。

でも、それまでの人生の中で一番、衝撃的で嬉しかった瞬間だったことは間違いありません。大学合格した瞬間なんて比ではなかったのです。まさに人生のTurning point!!!うきゃぁぁぁ~~~って(文字では表せない)感じでした。

なにせ、これ駄目だったら日本行きの航空券買わなきゃいけませんでしたから。

それからの1年間、正直、「なんでこんな無謀なこと(イギリスで教員になること)したんだろう」と泣きまくったことが何度も本気でありました。やりきれなくて、放課後の人のいない教室でロッカー(あ、生徒のじゃなくて自分のですが)を蹴ったことも本気でありました(って、自分がティーンネイジャーのようですね。笑)。

最初の頃、9年生の授業なんて地獄でしたよ。一部の生徒が恐ろしい悪魔にみえたくらいに。

気づいたらあれから5年経っていました。やんちゃな生徒でも私なりの愛情(?)を感じるようになりました。生徒といい信頼関係を築けることが多くなりました(それでもたまに裏切られますし、あまりの理不尽さに怒りで血管切れそうなことありますが)。

でも、難しいこと、嫌なことがある度にあの感動を忘れちゃいけないと自分に言い聞かせています。

実際仕事をする中で、いろんな面で不満があったとしても、私にこの国で自立する機会を与えてくれたこの学校には一生忘れられない恩があります。

そして、恩師のRとP(Pは修士課程の担当教官)、両親をはじめ、当時支えてくれていた人には感謝しても感謝し足りないのです。

2009年。永住権を申請するこの夏は5年間を振り返るいい節目となりました。

永住権取れればいざという時(考えたくないけど、職を失う、とか)の保険になると、それを支えと目標にやってきたのです。

長い道のりだと思ったけど、気づけばあっという間でした。

これからどんな選択を自分がしていくか分かりませんが、でも、とりあえず、これで一息つけるかな、と思っています。

投稿者 lib : 12:45 PM | コメント (2)

July 01, 2009

暑~い、暑~いロンドン。

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今週は、30度超える日が続いているロンドン。今日の天気予報では、「最高気温が32度、湿気が多い日となります。」そして、天気予報のお姉さんが「気分が悪い時は、NHSに」と電話番号を言っていた。ああ、これでまたまたNHSが混みそうだ。
しかし、これが湿気??我々日本人にとって、こんなの湿気に入らないよー。快適だ。
そうか。英国の弱点が見えた気がした。暑さだ。日本なんて30度なんて可愛いもの。こんな人たちに「東京は40度よ。(どうだ、まいったか!)」なんて言ったら、「さすがに変態の国の日本ね。」なんて負けず嫌いの言葉を投げ返してくるだろう。

私は、ビーチホリデーも嫌いだし、マイケル(冥福を祈ります!)のようにロンドンでも日傘をさして日差しを防いで夏を過ごしていた。しかし、最近ちょっと変わって来た。暑いのが、うれしい!!のだ。英国生活が長くなるにつれ、英国人の太陽大好きの気持ちがわかって来たようだ。だって、秋から冬と暗い日が長くてつらかったんですもの。
そんなもんで、イタリア人の友人に「あなたが南イタリアに行く時は、一緒に行きたい!!連れて行って。」と懇願すると、「あんたは、日傘をさし、帽子をかぶるから、私と一緒に行動できないよ。(=そんな人種とは過ごせないよ。)」と言われる始末。そう、私のこれまでの太陽嫌いをまったく理解できない彼女、常にマイケルのように変人扱いしてきたので、いくら、私が太陽を好きになったの。といっても信用をしていない。日々の行動の積み重ね、、ってその人を表すのよね!!ああ、人間も変化するのを理解して~!!

暑くて一番不快なのが、地下鉄やバスを使う事。バスなんて、もう乗れたもんではない。なんでもあのバス、仕入れ先はノルウェーかスウェーデンで、寒さをどう防ぐか。なんて考える北欧仕様。だから、こんな暑い夏に向いていないまったく開けられない小さな窓。仕入れ先を変えてほしい。

動物愛護のこの国、 聞けば、動物を運送する際には、ある程度の環境を整えないといけないようだ。その規定に温度についても設定されている。だから、我々が大我慢して乗っている32度の炎天下での動物の移動は大犯罪になる。
しかし、人間にはどうもそんな制度がないようで、おかまいなし。
そう言えば、山の手線が朝の10時迄椅子に座れないと聞いたときもそうだが、どうも人間は時々、動物以下の扱いを受けるなー。なんか変だ。
車内の温度も不快だが、匂いを放す人間を我慢ずるのはもっと苦痛だ。先日もついうっかり座ったら、隣にはデブの汗男がいた。うっ。臭い。おまえ、シャワー浴びた??皆の前で聞いてやりたいぐらいだ。鼻で息をしないでいるとなんだか息苦しくなってきた。うー。つらい。
そして、体臭人間もコワイ。これは、性別に関係ないようだ。女が安物の香水なんてつけていたら、さらに事態はひどくなる。ちょっと動いただけでその香りがこちらに来る。ああ、拷問だ。過去にあまりにも辛くて、次の駅で地下鉄を降りたこともあった。

そうか、暑い夏を楽しむとは、拷問のような電車やバスに乗らずに、ゆったりと過ごすことに意味があるんだなー。やっぱビーチホリデーを試す時が来たかしら??

投稿者 lib : 09:50 AM | コメント (0)