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September 30, 2006
Flexibility
頭が固いと思わざるを得ないことなど。
- 床屋にいった。料金を払おうとしたら、現金が無いことに気付い
た。近くに銀行ある?と聞いたら、カードでお支払いできますよ、
ときた。へ~。
- 後で気付いたのだが、なぜかお尻のポケットに実は現金は入って
いたのだった。いつもは右のポケット。金落とした~と大騒ぎし
ていたが、これに気付くまで丸一日かかった。
- オンラインでブッキングしたはずのミラノ行きの席が、チェック
インしようとしたらブックされていなかった。日にちに焦点がい
きすぎ、月をみておらず、翌月の同日でブックしていた。ちょい
と焦ったが、別のターミナルに走りに走って別航空で飛んで、な
んとか会議に間に合った。飛んで(?)もない料金(日本往復以
上)が代償だった。
- オフィスでぺティ・キャッシュが盗まれていた。金庫はオフィス
入り口に一番近い部屋にあり、かつその部屋に入ると死角で誰に
も見えない。その筋の方に聞くと、こういうモノは一番人目に付
くところに置くべきだそうな。へえ~。早速、僕の机の後ろに移
動した。一級建築士のTさん、ありがとうございます。
- 新しい携帯電話(Windows Mobile 5)を入手した。数えるとボタン
(数字以外の)が12個ついている。せいぜいつかうのは3個ほど
(電源、着信、切断)。それ以外は何のためにあるのか知ろうと
もしないこと。きっと便利なんだろうが、いちいち全てスタイラ
ス取り出して操作しているは、すでに年寄りの図。
- オフィスで、5メートル以内にいる社員にメールで返答すること。
社員は僕の時間割りに気を利かせてメールにしてくれているのだ
ろうが、なにも僕までメール使わんでよい。社内メールは複数宛
以外は禁止したろか。メールだと他人の忙し度、気合入り度など
をメジャーする必要がないので、そのあたりの感覚を磨く機会が
失われるね。
- お客様とカラオケの機会に、”赤いスイトピー”で露払いは、い
い加減に厭きてきた(実は昨夜もセミ・ダーティー・ナイトクラ
ブでござった)。もっと明るい、軍歌などを覚えたい。
- バックハンドが脆弱で巧くなりたいと思っているのに、必ずフォ
アから玉を打ち出すこと。シャラポバさんが、たまにバックハン
ドで追い込まれると左手で打ってる、もともと左利きらしい。肩
幅の分だけアドバンテージ、これは大きい。テニスの宮本武蔵式っ
てありえないかな。
常日頃、頭は柔らかくと心がけているが、なかなか。
サンドイッチ
イギリスでサンドイッチといえば、日本のおにぎりであろう。(こじつけ)
昔のおにぎりの中身は梅干、昆布、かつおぶしが基本だったと思い出される。
が、コンビニで海苔がパリッとした感触を楽しむために別包装され、そのパッケージも改良が繰り返されたあたりから、おにぎり革命が始まったようだ。
明太子、ツナマヨ、炊き込みご飯とバリエーションが豊かになり、お米の種類や産地を表示し、水にこだわり、と20-30円の違いで多様なチョイスができる。
さて、イギリスのサンドイッチはこの10年で・・・ほとんど進化してない。
芸のないことである。
稲穂の国から来た私はポテトもパンも嫌いという、本来、この国の食文化に向かない人間だ。パンといっても、イギリスの「食パン」がいやなので、パニーニとか、シバータのホットサンドは食べている。
用事があって郊外へ出かけた。
お腹が空いていたが、駅前にハイストリートが存在せず、改札の前はバス乗り場と駐車場という、商業地開発には無縁、資本主義国にあるまじき都市計画である。
と、駅の売店でサンドイッチを売っているのが見えた。
りんごのほっぺ(死語)で、ドラッグに手を出したこともなければ、クラブ通いもしていない、日曜日は教会に行きます、という雰囲気の田舎娘が立っている。
私が近づくと田舎娘が緊張した。メトロポリタン化していない郊外に行くとこんな反応をときどき見る。
(あ、外人だ。おまけに東洋人。話しかけられたら、どうしよう? ああ、どんどん、こっちに近づいてくる・・・。いやー! やめてー! こないでー!)と顔に書いてある。
大丈夫ですよ、噛んだりしませんよ、と愛想のいい笑顔を浮かべる。
「ハロー」ほらね、英語だって話せますよ。
たかがサンドイッチを買うのにたいした手間と気の使いようである。
地元の「パン屋さん」で作りましたという感じのサンドイッチ。安い! 値段はシティにある強欲なサンドイッチショップの半分以下だ。
飲み物は紅茶を選んだ。めったに紅茶を飲まないが、この手の店でコーヒーを買うとイギリス人好みの超うす味のインスタントで、「コーヒー」ではなくて、お湯の入った「コ」みたいな飲み物になっているからだ。
まず、紅茶を飲み(これは当然マトモである)素朴なサンドイッチを一口・・・。
衝撃が走る。こ、これは・・・。
ひえー、マズーイ!
思わず中を見ると食パンにマーガリンを塗り、ハムがはさんである。昔風で「ごく普通のイギリス家庭の・・・ただし、あまり料理が得意でないお母さんの、サンドイッチ」であった。
あまりのショックに頭の中が10数年前にタイムスリップした。
シティで働き始めて間もなくのこと、レデンホール・マーケットにランチを買いに出かけた。どこにしようかと悩んでいると、一軒のサンドイッチ・バーに長蛇の列。
これだ! とそこに並んだ。
「行列のできるラーメン屋」みたいに「シティのサンドイッチならここだぜ」という店に違いない。で、延々と並んで自分の番になり、カウンターのおねえさん(2人いた)を見ると「超スロー」なサービスぶりだ。おまけに当時の私は巻き舌もケバケバしい「アメリカ英語」で非イギリス系の店員に注文が通じず、横に並んでいたイギリス人のおじさんが見るに見かねて「通訳」までしてくれたのだ。
そこまでして買ったサンドイッチは・・・まずかった。列が長かったのは店員がトロくて時間がかかるせいらしい。
10年前の出来事に思いをはせながら、じっとサンドイッチを見つめる。あまりのまずさにそれ以上食べる気もせず、かといって捨てるにも気が引ける。
あちこちのレストランで食べ歩きをして、「イギリスの食事も、最近はイケてる」と豪語していた私の口には、
「時代の流れに逆行してでも、この味を守ります」と自己主張の強いマーガリンがべったりと残っているのだった。
この、頑固者・・・。
September 27, 2006
サマーホリデー
9月に遅めのホリデーと取った。
義理ママが、憧れのスペインにフラットを購入したので、そこで過ごすことにした。
ダーリンも私もビーチサイドでゆっくりのホリデーが苦手。
私は、まず日焼けができない。
赤くなって、皮がむけて終わるだけ。それにすぐにシミになるので、日焼けは厳禁だ。
なので、ここはあまり楽しめる訳もないのだが、
ママが1人で淋しいだろうし、まあ、1度ぐらいは行ってもいいかな?と思い訪れてみた。
場所は、アリカンテから南に車で2時間程度にあるちっともメジャーじゃない街。
帰ってきてもいまだに名前を覚えられないダメな嫁だ。
小さなローカルの飛行場も最近のリゾート化で増築しているが、次の便を待つ乗客は 屋外にいる始末。
空港でママにあったら、すごーく焼けている。小麦色を越えてコゲチャ色だ。
2週間前に会った時は、真っ白だったのに、太陽の力はすごい!!
「凄く焼けているね。」といったら誇らしげだった。
イギリス人は、本当に肌が焼けているのを自慢する。夏に自国にいたら焼けないので、
「小麦色の肌=バカンスにいった小金持のシンボル」と思っているようだ。
車を借り、さっそくママのフラットへ。
走ると見えるものは畑か新興住宅だけ。あちらこちらにリゾート用の新築の家が立ち並び、さらに建築ラッシュの真っ最。
ママのフラットは、 同じような家が道の両側に並ぶ1つで、目印がなければ迷子になりそうなくらいの団地。
1つの通りに10世帯ほどのテラスドハウスがあり、
上下に分かれているフラットも含めるといったい何人がいるのか、わからない。
それぞれには、前庭があり、後ろには共同プールがある。つまり、各ブロックに1つずつのプールがある。
なるほど、これがウリなんだろうな。
海は近く?にあるが、歩いて20分程度なので、みんなこのプールを利用して日焼けを楽しんでいるかと思えば、
あまり混んでもいない。
多くは、自分の前庭に寝そべり太陽を浴びている。
この前庭がなんとも情けない。というのも何処の家からも丸見えなのだ。
ママの家は、1階(日本の2階)でテラスがお向かいに面した前庭側にある。
ママは、何をするにもこのテラスが好きなので、朝食から夕食までここでいただく。
だから、他人の行動を観察しているようなもの。
来る日も来る日も人々は、飽きもせずに太陽を浴びているだけ。
毎回プールに行くが5分で戻ってくる夫婦、朝から晩までただ座って本を読んでいる旦那。
ここの団地の居住者は、殆どが英国人。近くには、英国の新聞や、パンを売る店もあるとか。
パブがあればみんなここに入り浸っているに違いない。
しかし、脳みそが溶けるのでは?と心配するぐらい、みんな焼いている。ともかく焼いている。
これも自国に帰ってから、自慢するために必要な行為かもしれないが、
ずーと見ているとなんだか、決まったパターンで折に入れられた動物のようだ。
我々と言えば、 昼間は観光に行き、 日が陰る夕方にプールで焼くのではなく泳ぐ。
ママが海に行こう!といったときは、
私は帽子をかぶり、日焼け止めを塗り、万が一のために日傘にできる雨傘を持ち、万全の体制で出かける始末だ。
ママは、一緒に海で楽しめると思っただけに、さぞかしがっかりしただろう。
しかし、ママは1度だけ海に浸って終わり。え、これで海に 行ったと言えるの??
そして、歩いてレストランにはいりお茶を飲む。
確かに暑いので、口が渇く。
面白いことにここのコンガスアクア(唯一覚えたスペイン語。スパークリングウォターの意)は、ちょっとしょっぱい。
自然の物か知らないが、これだけ暑いと多少の塩分補給は必要かな?
ママは、プールに行くといっては、一往復泳いであとは、ご近所の人とおしゃべりを30分以上もしている。
話題は、ゴシップ。
どうもこの通りで、熟年カップルの2組が離婚し、現在、購入した家を売りに出しているそうだ。
ダーリンと私は、こう理解した。
2人で晩年を楽しむためにリゾート地に家を購入したが、
24時間、毎日一緒にゆっくりと過ごしすぎて、気がついたのだろう、
ああ、なんとつまらない人間と一緒になったんだろうって。
リゾート地型バカンスは、肌と将来に気をつけること。と教訓を得た夏休みだった。
September 26, 2006
オーガニック・フードの謎
子供が生まれてから、なるべくオーガニック・フードを購入するようにしている。
どこのスーパーでもオーガニック・コーナーがあるし、近所にローカルのオーガニック・ショップもあるので(チェーン店ではない)よく利用している。
このオーガニック・ショップで買った野菜は確かに美味しい。
ただ、日持ちはしないので、少量ずつ買ってさっさと消費しなくてはならない。
玉ねぎなんか、店にある時点で腐りかけているようなこともあるので、痛んでなさそうなものを必死で選別する。
以前、知り合いに自家菜園で採れたブロッコリーを頂いたことがある。
とても有難かったのだが、房を切り分けようと思ったら、中からゴニョゴニョと青虫が現れた。
卒倒しそうになりながらも、なるほど無農薬野菜というものは、こういうものかと妙に感心したりもした。
しかし市場に出回っているオーガニック野菜には、虫食いのあとさえもない。
特にスーパーの物はピカピカで、ノン・オーガニックの物と見た目も遜色ない。
もちろん虫はいない方がいいのだが、なんでだろう?
環境と野菜に優しい「オーガニック農薬」とかを使っているのだろうか。
どなたか、ご存知の方いたら教えてください。
ちなみに、私が今まで生きてきた中で一生忘れられないと思うほど美味しかったものは、
1. 中国本土の農村地帯で食べた紫芋の焼きいも。
地元のお婆さんたちが道端で売っていた。
ほかほかで甘くて、涙が出るほどうまかった。
2. モロッコの山中の村で食べた、タジン。(ラムのシチューのようなもの)
じっくり時間をかけて煮込んであり、まろやかで心に染み入る味だった。
どちらも日本の七輪のようなもので調理していた。
別に「炭火焼の味!」の看板を立てている訳ではなく、その土地にガスが通っていないので当然の料理法だった。
化学肥料が出回っているとも思えない程の僻地なので、正真正銘のオーガニック・フードだったのだろう。
日本で働いていた頃は食べ歩きが趣味で、パリの三ツ星レストランにまで攻め入ったバブリーな日本人だった私だが、紫芋とタジンに勝る味にはまだ出合った事がない。
今は食の選択が豊富で、何でも食べられる時代だが、実は昔の人の方がずっと美味しいものを食べていたのかも。
September 22, 2006
Technology
よわい13、大往生間近というところでしょうか。僕の車のことで
す。どこぞのテスコ駐車場でドアを凹まされ、先日ふと気付くとヘッ
ドライト辺りに黒いスプレーを吹き付けられていました。エンジン
も次第に音が大きくなり、大分ガタが来ています。先週、出かけよ
うとイグニッションを回したら、プスーッ。またもバッテリーが死
亡、病院行きの頻度も今年は一気に多くなってきました。
ロンドンへ移住して最初に手に入れた車は、470ポンドのルノーで
した。さすがに彼女は1年でご臨終、解体屋に電話して取りにきて
もらったら、郵便受けに5ポンド入っていました。これを元手に、
すかさず入手したのはフィアット・パンダ、900ccのエンジンで、900
ポンド。こちらは結構活躍し3年程頑張ってくれた後、次のAudi 80
へバトンを渡します。この初代青Audiは3,800ポンドもしましたが、
あまり個性が無くてつまらなく、また、僕を裁判所に連れて行って
くれたりして、2年程で現在のAudi A6へ交代。Tornado Red とい
う攻撃的な赤。彼女は12,500ポンドもしました。10年前の事ですが、
俺も漸く出世したなアと思って何度も何度も窓から眺めたものです。
当初は売る時の事を考慮し、MOT(車検)はきちんとAudi専門店へ
出し、ドキュメント類も完備していましたが、はて、5年も経つと
愛着も湧き(いや単に面倒になり)こやつとは死ぬまで一緒に走ろ
う。
過日、88mphにて罰金を食らった時はメルシーデスのレンタカーで
Eシリーズでした。全てが静寂でスムース、パワーもあるし良い車
だなあ、欲しいなあ、と思い30秒間だけ考えてみました。家も車庫
も持たない電気屋のオヤジには、あまりに似合わなく、そもそもそ
んな金があったら、歯医者とか健康診断とか?着目のスーツとか、
別の重要投資先が列をなしています。いや、そういうことは差し置
いても、13歳、引退間際のTornado Redに情が移ってしまっている
のかもしれません。婆さん長生きしなよ~。
ところで、僕の車に新兵器が装備されました。当社の役員Yさんが
まず仕入れて、皆にえーでえ、えーでえ(もちろん大阪城下出身)
いうものだから、気にはなっていましたが、ちょいとしたきっかけ
で今夏入手してしまいました。TomTom君、日本で言えばただの安っ
ぽいカーナビです。が、これはエエでエ!日本に出張に行くと、タ
クシーに付いてたりして知ってはいましたが、実際にこいつと一緒
に運転してみると、実に楽なんですね。”次のラウンドアバウトの
3番目を出なさい”なーんてお姉さんアナウンスしてくれますから、
はいはい、姉さん分かったよ、素直に頷いてそのまま走れば、"You
have reached the destination"といふことで終点に到着。
この技術はすごいなあ。ちょっと前なら、外部アンテナ2本とか必
要だったのだろうと思いますが、こいつはタバコ2個ぐらいの大き
さの中に全て詰まっていて、電源だけ入れてあげれば感度抜群。ど
うしてこんなことができるんだろう。遠い空にあるGPSというサテ
ライトからの電波を受けて動作しているらしいですが、GPSの送信
パワーが最近急にあがっているとは思えません。
無線の送信パワーを上げるというのは大変なことなんです。2倍の
パワーで送信するためのコストって凄いんですが、こちらに届くと
きには、3db(デシベル)という微々たる変化しか無いのです。よく
ご自宅のステレオの音量なんかで、-40とか表示がでると思います
が、それがたったの3個分です。受信側の技術の改良なんですね、
きっと。技術者は偉い。それと、欧州に熱心にカーナビを売り込ま
なかった日系メーカーに比して、ダサいハードウェアでも、ささ~っ
とマーケティングして成功してしまったTomTomの会社も凄いなあと
思います。
September 21, 2006
ウォータールー・アンド・シティ・ライン
「匠(たくみ)の国」から来た日本人にとって、イギリスの「物が壊れる」「物が直らない」「物を直すのにものすごく時間がかかる」のはカルチャーショックのトップ項目ではないだろうか。
日本から10数時間のフライトを終え、疲れきった身体でフラフラと飛行機から降りて、ヒースロー空港の建物の中に進む。
で、最初に目に飛び込んでくるのが「動く歩道」の「故障中」のサインである。
「あー、またか」という思いと同時に、久々に帰宅して古女房から、「おかえりなさい」と気だるく迎えられているような気分になるものだ。(古女房の部分は想像です)
先週、ウォータールー駅とバンク駅をつなぐ、「ウォータールー・アンド・シティ・ライン」の改修工事が終わった。たった一駅、4分間の路線である。4月から始まった工事の「予定期間」は5ヶ月。9月の「初め」に工事が完了すると公示されていた。
「9月1日、再開通!」ではなくて、「9月の初め頃に、たぶん、できるかも・・・(予定)」みたいな曖昧さは日本人には受け入れがたい。
「9月が予定なら、11月ごろに完成か?」
「ま、今年中に乗れれば、『良し』としようか」と利用客の声。
というのも、数年前、バンク駅の動く歩道の修理には延々と時間がかかったからだ。
トロッコ電車のようにガタンゴトンと動き、ときどき石につまずいたようにガタンと盛り上がるのが少しスムーズになった。(100%ではない)それから、手すりのベルトの速度と歩道の動くスピードが微妙に違うので、ときどき手の位置を調整しないと、手と身体がうーんと離れてしまい、ストレッチ運動を余儀なくされていたのが改善された。(100%ではない)
なんせ「先進国」の「首都」の「ビジネス地区」の「メジャーな駅」に存在するのが間違っているようなシロモノだったのだ。
しかし、数10メートルの動く歩道を直すのに確か1年以上かかったはず。他にどこを直したのか知らないが、あれだけの時間がかかった理由は謎だ。
それで、シティの勤め人の間ではなんとなく、
(9月初旬予定なら、実際の完成は11、12月ごろ)と暗黙の理解があった。
すると・・・。
あーら、びっくり。9月に完成した。1週間遅れだったらしいが、すごい、すごい(イギリスの基準にしては)。
「できるものなら、やってみろ」と馬鹿にしていた2歳児にイナバウワーの演技を見せられたような衝撃である。・・・やれば、できるじゃん。
新聞によると、このウォータールー・シティ・ラインは1日に4万人が利用して、日本円なら2億円の売り上げがあるそうだ。 (ちょっと、眉唾。 イギリス人は「総工費10ミリオンポンド」で「6ヶ月で竣工」して「年間売り上げ予想120ミリオンポンド」みたいな話を平気でするのよね、根拠もなしに)
で、1日開通が遅れれば2億円の損失(?)ということで、この工事を落札した建設会社に1日1億5千万の「工事遅滞罰金」を科したという。
そうか、そういうトリックだったのか。
イギリス人でも競争させたり、罰金があったりすると、いつもは引き出しに隠してある「効率性」とか「段取り」とか「確認作業」とか「残業(引き出しの一番奥にある)」を出してくるらしい。
日本ではこの手のものは無料でついてくるが。
新装再開通のウォータールー・アンド・シティライン、なぜか新しいペンキやコンクリートの匂いはしない。なんだか地下牢から流れてくるようなよどんだ空気である。もしかすると、古い壁に穴を開けたとき、埃とかカビ、あるいは「人柱からの邪気」が出てきたのが浮遊しているのかもしれない。身体に悪そうだが、ずっと息を止めておくわけにもいかないし。
これで喘息になった場合、通勤時に罹患したということで「労災」に認定されるだろうか?
しかし、ローラーコースターのような揺れはなくなった。(100%ではない)
今まで(この激しい横揺れ、いつか脱線するかも)と心配しながら乗っていたのだ。
一度、アナウンスで
「電車に少しトラブルがありますが、とりあえず出発します。事故は起こらないと思いますが、座席に着くか、つり革にしっかりつかまっていて下さい」と言ったきり、びびった乗客に降車する間も与えず、扉が閉まり発車したことがあった。
乗客はちびまる子ちゃんのように斜線が入った真っ青な顔でお互いを見つめあい、恐怖の4分が過ぎて無事、バンク駅に到着すると、へへへ、とほっとした笑いを交わしたのだった。
通勤客をおどすなよ。
September 20, 2006
ソウルメイト
知り合いの既婚者駐在員は、日本に一時帰国する際にはよく“ソウルメイト”に会うそうだ。もちろん女性。
でも、一緒に食事をするだけ。彼にとっては、ちょとした栄養ドリンクみたい。
ソウルメイトになるには、魂の触れ合いがなければならないのだから、
きっと過去は、ただのメイトではなかったのだろう。
奥さんは、もちろんこのことは知らない。
でも、この言葉の持つ響き、なんだかいいなーと思っている。
ある一時でも、お互いの本音や思考をさらけ出し真剣に話し合い、つきあったからこそ、
その関係ができるのよねー。たとえ、男女の仲でなくてもね!!
でも、限りなく恋愛関係に近い感情はあるだろうなー。
ずーと見続けてくれるダーリン以外の男性がいるのは理想よね。
ちょっとウキウキしちゃうなー。欲張りかな??
親友が、しばらくぶりに日本に帰国し、元カレにあったそうだ。
というのも、毎晩のようにその彼が夢に現れるので、何かあったのかと思い、心配もあり再会したそうだ。
彼女は、夫婦円満だし、旦那に不満はないが、
しばらくぶりに会う元カレが、どんな感じになったのか、また、成長した自分を見せたい。いろいろ話したいと
それこそ、ソウルメイトになれれば理想だなーと楽しみにしていたそうだ。
2人も同じ会社で働いていた。
彼はまだ同じ会社にいるので、連絡は簡単についた。
6年ぶりに会うが、彼をすぐに見つけられたそうだ。
お互いに年を取ったのは、あたりまえだけど、
ハンサム系の彼の顔がなんだか老け込んだように見えた。
二人は、昔のようにお酒を飲みにちょっと小ぎれいな店にはいった。
懐かしさという甘い言葉にひたり、ちょっといい気分。でも、なんだか落ち着かない彼女。
彼がいうには、○○さんが、突然会社に来た。
あの人もひょっこり現れた。だから、今年は君に会えるような気がしていたという。
(あれ??元カレ弱っているかな??)と彼女は思った。
だって、その彼は、いままでそんな甘い言葉をいうタイプではなかったから。
そして、元カレは自分のことを話始めた。
最近の会社のこと、自分の立場、自分の今後をどうしようかと、いつまでも自分のことを話している。
それも愚痴に近い。
その合間に、綺麗な髪だね。
昔からサラサラの綺麗な髪をしていたね。なんて、言いよって?くる。
(もしかして、この人勘違いしているのかな??)と彼女。
そして、まだ続く彼の愚痴。まあ、彼女に甘えているのだろうけど、
そういえば、昔から愚痴が多い人だった。と彼女はだんだん思いだした。
まったく変わっていないどころか、年を重ねているだけになんだか情けないような気がしてきたらしい。
彼女は、お互いの知らない期間の話をして、「なるほど、そうか。」とうなずいたり、
「あなたらしいね。」と言い合ったり、
大人の時間が過ごせると思った。
それに40才過ぎたら、自分の顔は自分の責任とよく言われるけど、
彼の顔もよく見るとなんだか昔の面影もなくくたびれている。
昔売れっ子だった有名人が数年ぶりにテレビに登場すると、大概は普通の冴えないオヤジになっている。
それと同じだったそうだ。つまり、まったく魅力のない男になってしまった。と。
こうなると女は、急に冷めてくるよねー。
自分は、日本にいる時間も限られているのに、こんなくだらない話を聴くのはもういい。と
「じゃあ、そろそろ帰らないと主人が待っているから。」と嘘をついてさっさと帰ったそうだ。
ご主人は、その時は英国にいた。今回は、彼女の単身帰国。
しかし、“ソウルメイト”になるには、いろいろな条件をクリアしないと無理だし、
片方だけが期待しても成立しない関係なんだなー。
“ソウルメイト”ほしいなー。
September 19, 2006
イギリスの典型的ホームパーティ(ミドルクラスの、ミドルエイジによる)
隣のフィオナからバースデーパーティーに招待された。
天気の良い週末、隣の庭では朝から準備に余念がなかった。
(我が家は2階なので窓から隣の庭がよく見える)
大きなマーキー(テントのようなもの)が張り出され、その隣にはドリンク・バーになると思われるテーブルが置かれている。そのテーブルの下には、おびただしい量のワイン・・・・ダンボール5,6箱はあった。
イギリス人の典型的なパーティーは
「飲んで、会話する。」
日本ではこれに「食べる」が加わり
「飲んで、食べて、会話する」というところか。
ラテン系の国々もこれが当てはまる様な気がする。
ちなみに香港人のパーティーは
「食べて、食べて、食べる。」
チャイニーズの人々は食に情熱を傾けるあまり、一般的にはあまりアルコールには興味がないらしい。
そのせいか、チャイニーズの酔っ払いを街中で見かけることも殆どない。
「会話を楽しむ」という概念もないが、もちろん全く無言なわけではない。
「何処の誰は月に何千ポンド稼いでいる」
「何処の誰はビジネスで稼いだ金で○○ポンドの家を建てた」
など主に銭金の話題を中心に、よく話に花が咲いている。
それはともかく、パーティーのスタートは8時。
30分程過ぎた頃おじゃますると、門とドアの間の前庭にランタンがつるされている。
キッチンと、そこから続く広い庭がメイン会場だ。
庭にもランタン、キャンドル、たいまつ(っていうのか知らないが)で明りをとり、ここらへんの演出はさすがにイギリス人はうまい。
おつまみは生ハム、上等のチーズ数種類、サラダ数種類、チョコレートフォンデュ、フルーツなど、イギリス人のパーティーとしては上の上の上の上である。
客もわらわらと集まり、6、70人はいた。
しかし所詮、メインは「飲んで飲んで飲んで話す」イギリス人パーティー。
しかも彼ら、何時間でも立って飲み続ける。
私はお酒はあまり飲めないし、家のソファが恋しくなり始めた頃、息子がたいまつを振り回して遊び始めた。
すると何かの拍子に、火が服の袖に燃え移ってしまった。
普段は息子が多少危なっかしい事をしても、「怪我をして、痛いと思うことから学ぶのだ」と割と放任主義の私だが、「火だるまになっても自己責任」と言えるほどの鬼母ではない。
すぐに消す事ができたが、しゃれにならない状況になってきたので、10時頃退散した。
しかしベッドに入っても隣から聞こえてくる音楽と話し声のざわめきでタイミングを逃してしまい、寝付けなくなってしまった。
なので、2階の窓からパーティーを観察するストーカー行為をすることにした。
23:00 宴たけなわ。
24:00 宴たけなわ。 音楽が80年代ポップスへと変わる。やはり同世代だったか。
1:00 ぽろぽろと帰る人が出始めた。しかし相変わらず皆、立って飲んで話している。
2:00 やっと音楽終わる。でもまだ人がかなりいる。
3:00 お開きになったらしく関係者の数人だけがマーキーの中でまったりとしている。
日本なら、住宅街で朝の2時まで大音量で音楽を鳴らしていたら隣近所から苦情が出るだろうが、イギリスではごくごく常識の範囲内。
近所もお互い様、ということで文句も言わない。
そういえばイギリス人のパーティーは、色々な国の人が交じり合って招待されているものと、ロンドンの外国人人口比率を全く無視した「イギリス人だけ」のパーティーの2種類に分かれる気がする。
今回のパーティーは後者で、日本人どころか外国人は私たちだけだったと思われる。
しかしモンゴロイドの私には、やっぱり日本のビールを飲みつつ着席して美味しいものをつまむパーティーが懐かしいなあ。
なんだか妙に日本語で話したくなり、日本の妹に電話して朝の5時までしゃべった。(こういう時、時差は便利)
September 16, 2006
Happy Birthday
昨夜も飲んだくれてしまいましたが、クリーンな健康的飲んだくれ
(謎)。当社副社長Mさんと僕の共通の女友達達が、M
さん40歳のビッグ・バースデー・パーティーを企画してくれたの
でした。3人で飲むという名目でM君を連れ出して、レストランに
入ると、暗闇にキャンドル、彼の奥様、お子様達をはじめ、友人達
20名弱がhappy birthday to youの大合唱で迎え、鬼副社長の涙
を眺めるという。この点のみに関しては企画倒れでしたが、子供達
もハッピーでにぎやか、これ以上にフレンドリーな雰囲気の晩餐と
いうのは、年に何度も経験できないなあという、とても素敵な一夜
でした。
以下は、文字を通して僕に大きな影響を与えてくれた故・遠藤周作
氏の受け売りとなりますが、女友達というものは実にありがたい。
性の違いをほんのりと意識しながら、楽しい食事や会話を弾ませ、
時に相談にのってもらい、時に教えられ、勇気づけられ、時に彼女
らの全く違った思考に驚かされ、己の頭の固さに気付かされれる。
女友達は確実に男性の心を豊かにしてくれます。
結婚している男性こそ女友達の4,5人は持つべきです。よき女友
達を持つと、男性は彼女らから前向きな刺激を受け、浮気のような、
うつつの悪戯を企てる意思が希薄になるのです。本当ですってば。
世の奥様方、積極的に夫君に女友達を持つことを勧めてみて下さい。
夫君にとっては貴女が世界でNo.1なのです。大きくゆったりと構え
ましょう。夫君の心が豊かになると、子供達にも伝わります。気詰
まっている家庭は円満となり、円満な家庭はさらに豊かになること
うけあい。
女友達道の第一条は、どんなに親しくなっても手出し厳禁のこと。
線を越えた刹那に女友達は女と化しその後大体は縁が切れます。第
2条は、自分の持たざるなにか一芸を持っている女性を選ぶこと。
仕事でも良いし料理でも芸術でもスポーツでも思想でも。美人なだ
けでは全くワークしません。第3条は、毎回の会合をオープンな楽
しい雰囲気で締めくくること。この三か条を守れる大人の男のみが
女友達を持つ資格を得られます。
Mさんはそういうあたり実に大人の男で、幸せな40歳のbirthday
を迎えたのでありました。Glow old along with family and
friends.
September 14, 2006
冠婚葬祭 オフィス編
イギリスのオフィスにも「冠婚葬祭」はある。
が、規則に従って統一の取れた行動を取るのが苦手なイギリス人の集まりだから、「掟」はけっこう緩やかだったりする。
日本のようにマニュアル本で勉強したり、水引の格を考えなくてもいいから気楽。
とりあえず入門編は「誕生日カード」か。
「顔見知りの同僚」レベルなら職場で一枚のカードに寄せ書きする。名前を見てもどの部門の誰だか、よくわからない場合もあるが、まさか、「知らないから書かない」わけにもいかないあたりが、まさに理不尽なしがらみを強要される「冠婚葬祭」のノリ。
(子供じゃあるまいし、今さら、お誕生日おめでとうでもないだろうに・・・)と思うが、カードが回っているのを見たことがない人もいて、
(この人、もしかして嫌われている?)と邪推を呼ぶ。
カードのメッセージはほとんどが「おめでとう」「これからもがんばって」という類のものだが、さすがはイギリス人、気の効いたジョークもありで、それに次々応えるような書き込みもしてあって、なかなか楽しめる。
英語がネイティブではない私にはひねりの効いた一言はなかなか思いつかず、
「お誕生日おめでとうございます」と日本語で書いてお茶を濁すのが悲しい。
内心、(こんなところで妙にがんばって、文法やスペルのミスしてもちょっとね)という自制心も働くし。
「XXが素敵」とか、「取引先のXXがカッコいい」などとミーハーを言っていると、それをネタにカードでからかわれることが多い。
とんでもないデザインのカードにきわどい下品なジョークがてんこ盛りで、とても人様に見せられないシロモノに仕上がっている。
「バースディ・ドリンク」のお知らせがメールで送られてくる。
誕生日のランチタイムで、オフィスのそばのパブかワインバーだ。稼ぎのいい連中はポンとカードをカウンターに預けて、誰にでも奢ってくれる。若い子の場合は参加したメンバーが自分の飲み物代を払う、と様々である。
この日の午後、本人はもちろん使い物にならず、そのセクション全体の仕事の質が低下するのは公然の秘密である。
「来てね」とは言われても、実際に行かなくてもそれはそれ。
だって、全部に参加していると一年中、毎日のように・・・。
21歳、とか30歳、40歳、50歳は「大台の誕生日」だ。
カードも大きめで、その年齢の数字バッジも贈られる。(わざわざ付ける人はいないが)
大台の年や結婚祝い、出産祝い、退職、転職はカードに集金袋(?)がついてきて、有志でお祝い金を入れる。
額は決まっていないので、中身を見て適当に判断する慣習だ。
ま、嫌いな奴ならパスしても構わないらしい。
ご祝儀慣れしている営業職のセクションや管理職を回ってくると20ポンド、10ポンド札、最低でも5ポンドくらいで、カサカサと軽い袋が回る。地味なセクションならじゃらじゃらと小銭の音をさせながら、重い袋が回る。ひとり平均して1-3ポンドと思われる。
結婚祝いに3万、5万という日本に比べれば信じられないほど小額。
お祝いをしてくれるのはうれしいが、気をつけていないとリフト(エレベーター)の中に、
「ジョンは今日で30歳です。おめでとう!」というメッセージと本人の写真をデカデカと貼られたりするので注意が必要だ。
(30歳? どう見ても40歳だ。老けた奴・・・)と社外の人にまでさらしものにされる。
私も年令の入った風船をデスク周りに山ほど飾られて、偶然オフィスに来たクライアントに年がバレてしまい、準備した秘書の子の首を絞めに行ったことがある。
バースディボーイには両ほほにキスをしてあげることにしているのだが、
「お返しにおひとつ・・・」と迫ってくるのがいる。
「いえ、いえ、とんでもございません」とかわし、
「まあ、そうおっしゃらずに」と、さらなる挑戦に、
「きょうの主役は貴殿ですから・・・」
と、「お返しのキス」は受け取らないことにしている。
礼儀上、遠慮しているわけではない。
September 13, 2006
ご近所(その2)
そうか犯人は、トップフロアーのシングルマザーか。
トップフロアーのシングルマザー、彼女は、ここに来て1年半だろうか。
いまだに18か19だ。
引越して来た時には、既にお腹が大きかった。
聞けば、高校生で妊娠したそうだ。家には、暴力をふるう兄がいて危ないので、
家をカウンシルから提供してもらったそうだ。
ここにも、私の税金が無駄に使われている。(涙、 涙 )
子供のお父さん(これも17か18才の男の子)と一緒だ。
まだ、若い彼らは、他人と一緒に住むルールを知らないので、する事なす事が私をイライラさせた。
しかし、言えば素直に『ごめん』と謝るので、教育されていない可愛そうな子なんて、思っていた。
無事に子供が生まれたが、彼は手のかかる赤ん坊にイライラしていたのだろう、
ファック、ファックという汚い言葉ばかりが聞こえてきた。
きっと、赤ん坊の始めての言葉が、その言葉だったらこの国の悲劇だな、
なんて余計な心配をするほど聞こえていた。
ある日、その男の子が、我が家のベルを押した。
聞けば、追い出されて、鍵を持っていないので家に入れない。
フロントドアを開けて中で待たしてほしいという。
ダーリンは、最近彼と彼女が喧嘩をしていることを知っていた。
どうも彼が暴力をふるうらしい。
鍵を渡さない彼女の考えもあるのだろうと、このフラットの借り主は、彼女だから、
彼女のパミッションがないと悪いけど、中には入れられないよ。
と答えていた。
その数日後、この家に警官がやって来た。
激しく喧嘩をする男の子達を止めたくて、ヒッピーのシングルマザーが警察を呼んだのた。
どうも若いシングルマザーは、新しいボーイフレンドをすでに見つけていた。さすがだ。
この二人は、新旧の彼女のボーイフレンド達。
古いボーイフレンドは、面倒も見ていなかった子供を楯に、
「オレは、子供の父親だ。会う権利がある」なんて、何処かの台詞みたいなことも言っていたが、
この家に住めなくなった。
ファックという汚い言葉は、聞こえなくなったが、若い子の生活は同じようで、
オバさんの私はたまりかねると、注意をしている生活は変わらない。
そこへ、今回の事件だ。
今回は、バシッと言ってやろう!!とダーリンを連れて上に上がっていった。
『あの生け垣を刈ったのは、あなた達なの?』
『ええ、だってベビーカーが通りにくかったから切ったの。』という彼女。
『あの木は、私たちの物よ』
『え? みんなのものでしょう?』
『私たちがいつも手入れをしているのを見ているでしょう!?』
『・・・・・(困惑)。だって、知らなかったの。』
(アホだ、やっぱり。頭がまったく動かないぞ。こいつ。)
『しかも、あんな酷い形にして。悲しいわ。』
『・・・・・(困惑)。知らなかったのよ。』
(弱々しい声になって、困った顔になったきた。)
『しかも、今日ゴミの収集が来たばかりなのに、既にゴミ箱が一杯。ビニールの袋にいれるなど、気をつけてくれないと、、』
となんだか、違う話をするダーリン。
『ごめんさない。』
(困惑顔の彼女)
なんだか、これじゃあ私達が悪者みたいな気になって来た。
『今度、刈る時は、いや邪魔な時は、我々に言ってね。』と優しい言葉使いになった私は、
最後まで怒りのテンションは続かなかった。
もしかしたら、若いシングルマザーが我々よりも一枚上手??
困惑顔をして、謝っていれば、素早く解決することを知っている?!
もし、ここで、彼女が自分の正当性を主張したら、真っ向から喧嘩となる。
それをすっかりかわされた。
うーん。納得のいかない、この怒りのやり場がない。
こんな時は。美味しいポートでも飲むか。
しかし、毎朝、見るたびに淋しい思いをしている。
我々は、こんな奴らと住むのはもう嫌だ。脱出計画を始めることにした。
September 12, 2006
初体験
子供が生まれて最初の年は、「初めて笑った」「初めてはいはいできた」「初めて歩いた」など初めてづくしの一年間だったが、大きくなるにつれて、そういったエキサイティングな出来事が少なくなる。
だがここ最近、4歳を前にして息子の「初めて」がいくつか続いた。
1. 初めてジョークを飛ばした
ある休日、夫が「Fruit picking(果物狩り)に行こうか?」と言うと、間髪いれず息子、
「How about picking nose?」。
Picking noseは「鼻をほじる」という意味である。
Pick という動詞にかけた高レベルなジョーク・・・なんて感心している場合ではない。
できれば、初めてのジョークはもう少し上品なものにしてほしかった。
2. 初めて泳いだ。
体育会系の息子、プールが大好きだが先日初めて自力で泳いだ。
見てる間にどんどん上達し、あっという間に3メートルくらいは泳げるようになった。
プールの底に落としたゴーグルをとりに、潜ることもできるようになった。
私自身は小学校時代、逆上がりができずに残されて特訓されたタイプなので、運動神経のいい人間というものは特に教えてもらわなくても、こうして体が本能的に習得するものなのか・・・と感心。
ちなみに彼は10ヶ月で歩き、2歳で補助つき自転車にのり、3歳で前転ができるようになった。
いい気になり「未来のフットボーラー?」の夢を託してフットボール教室に連れて行ったこともあったが、どうやらチームプレイは苦手らしい。
インストラクターの指示を無視し、一人で勝手にボールを蹴っている。
「協調性がないわね~。これじゃ未来のミリオエナは無理じゃない」とイライラする私だったが、横で見ていた夫、ぽつりと
「僕も個人プレーの方が好きだからなあ・・・」。
はっ。そういえば、私もチームプレイはできないタイプだった。
子供を責められない・・・。
次の「初めて」は何だろう。
ティーンエイジャーになったら、「ガールフレンドができた。」「初めてお酒を飲んだ」くらいは微笑ましいが、「ガールフレンドを妊娠させた」「始めてドラッグに手を出した」などはないといいんだがなあ・・・。
September 09, 2006
US Open
軽い頭痛とともに目が覚めて、時計をみたら・・・うわっ13時!
週末とはいえ、午後まで爆睡することは数年ぶりだろうか、まだ若
いなと一瞬思ってしまった。
一体何時にベッドに入ったのかも覚えていない。昨夜は確かに相当
飲んだ。テニスを通じてせっかく仲良くなれた友達が今月末に帰国
してしまうとのことで、サシでのプチ送別会だった。一軒目は、い
つものSaki Restaurantのバーで白ワインと酒肴。ちなみに、この
店では、バーで軽い食事をとれるようなった。もともとそういうバー
のはずが、最近まで枝豆程度しか食えなかったので、僕のようなの
んべーにはとても嬉しい。昨夜は手羽がうまかったなあ。塩が実に
美味いので、是非お試しあれ。
二人でワイン2本空けて更に飲み、いい加減に帰ればいいのに、2
軒目に行った。いわゆる日系ダーティーナイトクラブに行った。な
ぜ行ったのだろうか覚えていない。友人ともう少し話をしたかった
のかもしれないが、ドッジーナイトクラブは話なんぞする場ではな
い。シャンペン飲んで馬鹿話してカラオケうたってダンスして、と、
世のオヤジ達はびっくりするような料金を支払って、どうしてこん
なことに喜びを感じるのだろうと女性達に馬鹿にされても仕方がな
いような場である。至極ごもっとも。しかし恥ずかしながら僕は年
に数度、酔っぱらうと、こうしたところにパアッ~と行きたくなる
ことがある。昨夜がそうであったのだろう。そして目が覚めたら午
後1時だった。まあ先週末は汗かいて仕事したのでと言い訳しなが
ら、また反省。Kさん、遅くまで連れまわしてごめん。
さて、今週末は US OPEN の締めくくりなのであり、酒なんぞ飲んで
いる場合ではないのだ。昨夜は前述の通りセミファイナル観戦を逃
したが、僕の大ファン Justin Henin がヤンコビッチに辛勝し、な
んとマレズモがシャラポバに負けたそうだ。決勝は実に面白くなり
そうだ。技術的には圧倒的にジャスティン、しかしながら気合と若
さと、あのノイズのシャラポバ。小柄なジャスティンは、体力と粘
り強さの点では、これまでどうにも若干の弱さは否めなかったが、
若手急成長中のヤンコビッチ戦ではじめて粘りを見せた。本人も、
1,2年前だったら負けていただろうという正直かつ力強いコメン
トを出していた。昨日の粘りをもう一度出して、シャラポバの気合
を抑え込むことが出来れば、US Open2度目の優勝。昨夜は良く寝
て体力回復できただろうか。赤ワインと軽い肴も用意した、今夜7
時、いざっ。
September 07, 2006
夏の思い出
9月になり、夏が終わろうとしている。
7月は暑かった。
ヨーロッパの夏は「天気が良くて、日が長い」季節であって、決して「ギンギラに照りつけられて、サウナのようにムシムシ」ではなかったものだが・・・。
この数年、30度を超える日がイギリスでも珍しくなくなってきた。
「女はいいよな、ノースリーブとか着られるし。僕たちはいくら暑くてもスーツを着なければならないんだぞ」とボス。
「このくらいの温度で泣き言とは情けない。オタクの先代は暑さをものともせず、アフリカやインド、ジャマイカなんかを無理やり植民地にして暮らしてたじゃない」
そう、いやがらせを言ってやるのだが、
「暑いものは、暑い」
と、軟弱者もいいところである。
大英帝国の衰退、ここに見たり。さぞや、ご先祖様も嘆かれることであろう。
30度なら、日本人の私には平気。
しかし、外に出ているぶんにはそれほど暑いとは思わないが、問題は乗り物の中だ。
イギリスの乗り物はどう見ても「冬仕様」で、暖房は効くようになっているが、窓は小さくて少ししか開かないし、もちろん冷房の設備はない(一部の新型電車にはついているらしいな)。
私は朝夕の通勤時間、日が当たらず少しでも風が入る位置に電車の席を選ぶ。そして、先人の知恵、花鳥風月の文様の入った扇子で涼をとるという原始的な戦術をとる。
日本なら、
「クーラーが効きすぎて、乗り物の中は寒いから、カーディガンを持っていこう」というのも同じく暮らしの知恵である。
「こんなに明るいのにまっすぐ家に帰るのは間違っている」気分にさせるのも、夏のしわざ。
よく考えると、外のテーブルならともかく、ワインバーの中で日が長いも短いも関係ないのだが。
フルボディのレッドワインではヘビィなので、ホワイトにするか、ロゼになるのもこの季節ならでは。
金融街シティでは季節により服装はあまり変化しない。
ビジネススーツというのは生地の厚みは違っても、パッと見目にはかわりばえするものではない。女のスーツも通年ダークカラーで長袖がほとんどだし、男はよほど寒くなければ冬でもコートを着ない人が多い(なぜだ?)
夏のパブ、昼休みでもネクタイを取り、ジャケットを脱いだシャツ姿は少ない。
聞いてみると、
「タイをはずしたりすると、楽になって気が緩み、午後クライアントに会う前にもう一度、身だしなみを整えようという気がなくなる」のだそうだ。
身体の仕組みが違うのか、暑いと言いながらも、上着も脱がず汗も浮かべない姿はちょっと不思議。
シティはデブ度が低い地区である。
それに少々太めでもダークスーツを着ている限りは見苦しい贅肉も目につかない。
が、ショッピングセンターでカジュアルウエアの連中はすごい。
Tシャツやタンクトップで身体の線がモロに・・・。
「臨月の妊婦」のような腹をした「おじさん」。 下着やスカートのベルトで身体のところどころを締めつけられ、その他の部分はボヨヨーンと膨れた「ミシュランのタイヤ男」のような「おばさん」。 チビピタTシャツから、「コブとりじいさん」のコブのようなお肉をプルプルとはみ出させた「おねえさん」。
こうなると、「視覚による暴力行為」といえよう。
お願い、その霜降り肉を人目にさらすのはやめてくれる?
夏のビーチホリディのためにダイエットを計画したが挫折した連中は冬のクリスマスパーティという目標を立てる (私もだが)。しかし、贅肉をジャケットで覆い隠すと、ホッとしてしまい、クリスマスへ向けた減量作戦も危うい様子。
イギリスの食べ物には季節感がなく、「食欲の秋」になりにくいのがせめてもの救いか。
松茸、さんま、柿、栗、と懐かしい日本の秋の味覚を思う9月である。
September 06, 2006
ご近所(若いシングルマザー)
我が家は、フラットだがグランドフロアー(日本でいう1階)に住んでいる。小さいが前庭がある。
花がいつも咲き乱れるような手入れは出来ていないが、とりあえず雑草はいつも刈り取っている。
なので、愛着がある。
珍しく明るい内に家に着いた日のこと。
玄関に通じる道と庭を分ける生け垣が、無惨な姿になっていた。
誰かが全体を短く刈ってしまったのだ。しかもある枝は明らかに折ったあとがあり、センスもなにもなく、
ただ、闇雲に枝を切ったため、惨めな植物となってしまった。(涙)
いったい誰が、こんなことをするのだろう!!
ダーリンがしたのだろうか??
乱暴で酷い切り方だ。
これは、いくら何でもダーリンの仕業ではない。
うーん。解せない。
いったい誰が。。。。
お腹がすいている事も忘れ、頭の中は、怒りでいっぱいだ。
犯人は、上に住んでいる2家族しかいないだろう。
1人は、上に住んでいるヒッピーのシングルマザー、
もう1つは、トップフロアーに住んでいるこれまたシングルマザーカップル。しかも未成年だ。
そこへ、ダーリンが帰って来た。
ダーリンは、この有様にショックを受け、
むなしい、淋しい、と落ち込んでしまった。
だって、植物が元の状態に戻るには数年かかるからね。
この怒りをはらすために、さっそく犯人探しに行く事にした。(怒りの転換が必要だ。)
私は、ヒッピーのシングルマザーの仕業と踏んでいた。
彼女は、引越と言っていた。
多分、荷物の出し入れに邪魔で刈ったのだろう。
外から見ると部屋には電気がついておらず、どうも留守だ。
こんな時は、ツルツル入る冷やし中華だ。と軽くご飯を食べ終えた。
そうしているうちに、玄関が開く音がしたので、ダッシュ。
ドアを開けるとヒッピーのシングルマザーが立っている。
『元気?』と聞く彼女に、
『ええ。一つ聞きたいことがあるんだけど。。。』とやや無愛想な私。
『私じゃないわよ。』と質問もしないのに答える彼女。
『???』
『生け垣の事でしょう!!。私も残念よ。娘が言うには、上の子とその兄が刈っていたそうよ。きっとあなたが怒るだろうなーと思っていたのよ。はははー。』
と私の行動をすっかり読んでいた彼女。
だから、すぐさま『私ではないわよ』と答えたのだ。
続きは次回。。。
September 05, 2006
父兄デビューの心得 ロンドン編
一昔前に日本で「公園デビュー」という言葉が流行った。
子供を連れて初めて公園に行く時に、既に出来上がっているソサエティにスムーズに参加するために、正しい服装や振る舞い方など、万全の体制で臨むことを現した言葉だった。
間違った行いをしようものなら、その後公園内で母子共に村八分になる可能性もあり、公園デビューは非常に重要な儀式である、という事が、まことしやかにささやかれていた。
あの頃、子供のいなかった私は、マスコミの作り出したネタにしか思えず
「こんな事あるわけないだろー、ガハハー。」
と笑いとばしていた。
もし多かれ少なかれ事実だったとしても、「足並みを揃える」事が大好きな日本の独特の現象だと思っていた。
しかし新聞の日曜版をなにげにめくっていたら、
‘A guide to surviving playground power politics’
というコラムが目に付いて、ぎょっとした。
イラストは、こちらをちらりと見ながらひそひそ話をする母親たちを、子供の手を引いて遠くから見つめる新米ママ。
その背中には誰かに張られた‘Kick me’の紙。
初めは
「日本の現象をパロったライターのネタか?」
とも思ったが、読んでみるとイギリスの学校の親社会でも多かれ少なかれ権力闘争があるらしい。
筆者は息子の入学式の日に早速失敗したという。
「息子には制服を着せていた。だけど自分が着ていなかった・・・。」
正しい母親の服装は、ストレッチジーンズにコンバースのハイカット、そしてストライプのオフショルダーのトップだったそうな。
(日本だったら「紺かベージュなどの基本色で清潔感ある服装を心がけましょう」てなところだろうが。)
またクラスの母親の中にも序列があり、一番エライのは
1. 子供のために仕事を辞めたPTAママたち。お迎えの前にテニスで汗を流す。
以下、
2. 時により学校行事の手伝いをするママたち。勢力を拡大してはいるが、重要度では1にかなわない。
3. パートタイムで働いているママたち。必要な時のみ、こそこそ出入りする。
4. このような権力の構図に全く無関心か、気がついてさえいないワーキングクラスママたち。(私はこれに属しそうだ)
と続くらしい。
服装がヘン(日本で言うヘンとはティストが違う、念のため)だったり学校行事にあまり協力的でなかったりすると、1のグループのママから強烈な嫌味を言われたり子供が村八分にされたりする危険性もあるという。
これがロンドンの、「高級住宅地化しつつあるが、まともな学校が少ない地域」(リアリティありすぎ)の公立小学校の話。
私立になるとこの傾向はもっと過熱するらしい。
知り合いは、送り迎えが高級車の4WDばかりなので彼女もそれまでのセダンをレクサスの4WDに買い換えたそうだ。
主な用途は子供の送り迎えとスーパーへの買い物だというが・・・って一昔前のどっかの国みたいだな。
ロンドンに来て以来、「あ~服装も気にしなくていいし、余計なしがらみもないし楽だわ~」
と思っていたが、結局は外国人として生活していたってことなんだろう。
やはりプロパーの社会に組み込まれれば、どこの国だろうがしがらみはあって当然か。
しかし苦手だなあ・・・どうにか「外国人枠」ってことでカンベンしてもらえないだろうか。
今から黒髪をまっすぐに伸ばし、前髪は眉の下でパツンと切って「謎の東洋人キャラ」でも演じる用意をするか。
September 04, 2006
夏の終り
電気屋はお客様のオフィスの移転にも参加します。意外かもしれま
せんが、電気屋が相当時間をかけないとオフィス移転は成功しませ
ん。内装や家具、もちろん大変重要ですが、いまどきのオフィスで
は、インターネットやメール、電話、PCがきちんと動かなくては
オフィス環境の体をなしません。
先週末は、久しぶりに手ごたえのあるオフィス移転プロジェクトの
総仕上。金曜夜に機器を外して、土曜朝から繋げ、月曜に備える。
言ってしまえば単純な作業のはずですが、世の中そう簡単ではなく、
下ごしらえから当日作業まで、十分かつ繊細な仕込みが必要となり
ます。今回は90点位はいただけるんじゃないかなあ、という仕上
げとなり、肩の荷がちょいとおりて快い疲労感が残っています。今
夜はシャンペンを少々、早めに帰宅。
こうしたイベントでは、相当数の技術屋が週末に集まって、組織的
な作業を進めます。社内の結束力を高める機会にもなり、また低め
てしまう機会にもなり得ます。全てはプロジェクト・マネジャーの
指揮にかかっています。入念な技術的仕込みは勿論ですが、現場の
勢い・士気が重要となります。また、輜重も大事。腹が減っては戦
をする気が出ません。
土曜夜は良い仕事をしてくれた仲間10名と、ホルボーンへ繰り出
し、韓国料理をしこたま食べてきました。達成感からか、良い雰囲
気で、こちらも90点位でしょうか。ちなみに、このお店はお勧め
です。ホルボーン駅の入り口右隣を地下におりたところにあります。
美味しく値段はリーズナブルです。ワインはちょっと高めですが、
ハウス以外で一番安いのがなかなか美味しかったです。
イベントというともう一つ、先週木曜には当社4度目のボート・パー
ティーを無事開催、お天気にも恵まれました。毎年夏の終わりの夕
べに、テームズ川をどんぶらこと上下するただの屋形船飲み会です
が、今回は90名と盛況。日々辛い仕事の皆さん、一夜楽しんでく
れたかなあ。来年100名超えることを祈っています。Grow old
along with me.