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September 27, 2007
断食月
今月の12日からラマダンが始まりました。日本でしばしば断食月と呼ばれるものです。イスラムカレンダーの9ヶ月目に当たる日から30日間、イスラム教徒は一日で日の出ている間は断食(Fasting)をします。
今の時期ですと朝7時ちょっと前に日が出て、日の入りは7時くらいのはず。つまり、約12時間の間、彼らは食事(水分も含め)一切取らないことになります。妊娠中や病気をわずらわっている人、お年寄りや小さな子供(女性だと月経が始まる前の子供)は断食を行わなくてもいいことになっていますが、敬虔な教徒は自ら進んで行うこともあるようです。
ちなみに私の勤務校は生徒の90パーセント近くがムスリム(イスラム教徒)。場所柄、ほとんどがバングラデッシュ系の子供たち。そのほかにも中東系、アフリカ系のイスラム教徒もいます。そんな学校ですから、このラマダンという月は学校の行事表に載せられるくらい無視できない月なのです。
育ち盛りの子供たちが12時間も飲まず食わずいる。ムスリムの同僚に言わせると要は慣れなのだそうですが、それでもお腹が空いて間食ばかりしてた自分の成長期のことを考えると、断食という行為は私の想像を遥かに超えます。数年前までは私の持っていた断食をする人々のイメージは苦行を行う仏教の修行僧みたいなものでした。
子供たちを観察していると苦行に耐えているという印象はなく、わりと普通にすごしているようにも見えますが、授業に影響が出ることはあります。まだ断食に慣れていない7年生、8年生の中には具合が悪くなったりする子も。断食月も3週目くらいになると全体的に生徒の集中力が下がり、クラスが普段よりも落ち着かなかったりすることもあります。
さらにラマダンを理由に「居残り」(Detentionといってイギリスの学校では子供に与える典型的な罰)を逃れようとする子もいます。毎晩Break fast(断食を終える)の準備で特別な晩餐の用意のために母親たちを手伝う子が多いようですが、普通Detentionは15分のみ(規則上、それ以上長い居残りの場合は24時間前に保護者に了解を得なくてはなりません)。それを理由に15分間居残りできないなんてあるわけないんですが、子供はまぁ、あらゆる手段で必死に逃れようとするわけです(苦笑)。
幸いなことに3年も同じ学校に勤めている私の場合、彼女らも私がどういう教師か知っていますから、そういう見え見えの嘘をつく子は少なくなりました。そのかわり今年入った同じく歴史教員の同僚(白人イギリス人クリスチャン)にはあいかわらず必死に言い訳しているようです(笑)。私も勤めたばかりのころは、このムスリムの習慣をあまり分かっておらず、それを逆手にとって罰を逃れようとしたり、横柄な態度を取る子がいて苦労したのを思い出しました。
もし私が日本の学校に勤めていたら、このような宗教に関する事柄、ましてやムスリムの人たちの考えや習慣などに日常的に接し、色々考えさせられることはまずなかったでしょう。そういう意味でも様々な人種・文化・宗教が混在するロンドンで教師をしていてよかったなぁと思うのです。
September 26, 2007
ブログ100回記念
私のブログもついに100回を迎えました!
これを記念して、在英の方には日本への里帰り便の航空券、また日本にお住まいの方にはロンドンへの往復航空券を 「応募者全員」にお送りします。
私からのささやかなプレゼントです。
ご希望の方は住所、氏名、電話番号を明記の上、お一人あたり、日本円なら120万円、ポンドなら5000ポンドを添えてお申し込みください。経由便エコノミークラスの航空券をもれなく差し上げます、って、詐欺だな、これじゃ。
――― 仕切りなおして、もう一度
国際電話の恐怖
うちのクライアントは英語に不自由しない人が多い。
ロンドンやニューヨークの元駐在員だったとか、日本語のほうが苦手という帰国子女とか、留学経験があり、ずっと外資系企業で働いているとかだ。文書も95%が英語。
しかし、ごくまれに、英語はダメという人もいる。
先日、私の直通番号にかかってきた電話に同僚が出て 「英語」で答えたら、相手が息を呑むのがわかったらしい。向こうが私の名前を言ったので、同僚は 「英語」で、
「今、席を立っているので、後ほど、こちらからかけさせます」と言ったが、
―――全然、通じない。
「デスクにいません」 「トイレに行っています」 「ここに見当たりません」 「働きもせず、一体、どこにいるんでしょうね」とありとあらゆる言い回しをしてみたが、
―――やはり、通じない。
相手がパニック状態なので、電話を切ることもできず、同僚も汗をかきながら、必死で説明している内にやっと私が帰ってきたのだ。
「あー、助かった」と泣き声のクライアント。
(同僚は 「もしもし」 と 「お元気ですか?」しか言えない無教養な男だ)
以前、日本から電話が入った。この人もあまり英語に自信がなかったらしい。
(ロンドンに電話しろ、って、どうしよう)と悩んだ挙句、話すべきことを全部、紙に書いて準備しておいたようだ。
「こちらはxx会社の東京本社です。そちらに出張中の当社の者が伺っていますでしょうか? 電話をつないでいただきたいのですが。もし、そこにいない場合は部長まで折り返し電話をするようにお伝えください」といった内容だったと思う。
英語だったが日本からの電話だとわかったので、私は日本語に切り替えて、 「もしもし」と話しかけた。が、彼女はそのまま一心不乱に英語の原稿を読み続ける。
「もしもし、もーしもし、もーしもしー!」と叫ぶ私。
と、最後まで読み終えたのか、ふっと小さなため息が聞こえた。で、もう一度、
「・・・もしもし?」と話しかけると、
「ああー、日本人だったんですかー?」とびっくりされた。
―――すみませんね、日本人で。せっかく原稿を書いて用意したのがすっかり無駄になりましたね。
彼女も部長かなんかに、
「鈴木さん。ロンドンに出張中の吉田君に電話をしてみてよ」とか言われ、
「えー、部長、私は英語なんか話せませんよ」
「なーに、言ってるの。毎週、英語のレッスンに行ってるじゃない。じゃ、よろしく」と無理やり頼まれたのだろう。かわいそうに。
―――緊張が伝わってきて、私もドキドキしましたが。
たまにフランスに電話をかけろと頼まれると基本的には断ることにしている。
だって、フランス人の英語なんて電話で聞き取れないもん。それに、フランス人のオペレーターも英語だとわかるとオタオタしてしどろもどろになるから始末が悪い。
「なんで、アシスタントがいるのに、僕がかけるんだ」とぶつぶつ言いながら、ボスが直接電話する。
「まー、フランス語おじょうず、おじょうず」と誉めてあげることにしている。
(ボスはフランス語が話せる。上手かどうかはフランス語の知識がないので判断不能)
これは友人の話だが、電話でスペルの確認をするときに、
「ニューヨークのN、スペインのS、メキシコのM」と言っていたら、相手が 「ちょっと待ってくださいね」とやたらと時間がかかる。で、不思議に思っていたら、N,S,M と書かずに、 「ニューヨークのエヌ、スペインのエス・・・」と聞くままに全部を書きとっていたらしい。
みんな国際電話では苦労をしている。料金は安くなったけどね。
到着した日にすぐに帰国すると決めていたのに、、、(その2)
人間なんてなんて、いい加減なんだろうか。
英国をさっさと去ると決めていたのに、いざ生活を始めてみると、なんだか楽しい。
それは、なんでもが新鮮だからだ。
しかし、円が1ポンド260円の時代。
物価の高さに気づき、このまま長く住むには、アルバイトをしないといけないことを悟る。
元来貧乏性なのだろう、お金がなくなる前に仕事をさっさと探してしまおうと、
いろいろ探し出すがなかなかそう簡単にいい仕事は見つからなかった。
そんなあるとき、ある企業を訊ねれば仕事がもらえるかも、、と日本にいる友人が英国で一度あった人を紹介してくれていた。
のこのことそこへ訪れ、「仕事はありませんか??」なんて聞きにいったけど、生憎、そこでは人材を探していないとのこと。
ああ、残念。
しかし、英国に到着して1週間しかたたないのに、仕事を探している私に同情してくれたのか、
面接してくれたその人が、
「来たばかりで大変でしょう。彼女から英国のことでも聞いてみたら?」
と 同じような職種でそこに働く女性を紹介してくれた。
縁とは、こんな所から始まるのだろう。
彼女は、その当時、 引越したばかりだったが、新しい家がお気に入りだったのだろう、なんと初対面の私をその家に招待してくれた。
さっそく、その週末にそこの家にお邪魔する。
そこは、 天井が高く、広いフラットで、大きな庭もあり、 念願の猫を飼うことができると喜んでいた。
英国では、広い家を数人で借りるシェアーというシステムがあり、彼女も英国人2人とシェアーしていた。
その1人がダーリンだった。
すでに日本語を勉強していて、私に会うなり日本語で自己紹介をした。
私の第一印象は、ああ、日本好きのへんな外人!!だった。(笑)
しかし、なんと彼の大学と、私の英語学校が3分とご近所。
うーん。これは便利な人に巡り会ったぞ。とさっそく銀行口座作りの手伝いを頼み、数日後に会うことを約束した。
こうして、ダーリンは年上の日本人女性のお願いを何度も聞かねばならず、必然的に会う機会も多くなり、
気がつけば2人でデートしていた。
さっさと帰るはずが、その後お金がつづく2年間も英国に居座った。
これもダーリンと出会ったことが大きな要因だったのだろうなー。
ああ、人の運命なんて不思議なものだなー。
September 25, 2007
日英比較
今年の夏は、実に両極端であった。
夏休み期間中に一時帰国したのだが、今年の日本の夏ときたら
まさに「灼熱地獄」と呼ぶにふさわしい酷暑である。
「地球温暖化」をひしひしと肌で感じた日本滞在であった。
最高気温36℃という、ほとんど体温状態から
ロンドンに帰ってみれば最高気温はなんと16℃。
息子はヒースローで空を見上げて、雪が降り出すのではないかと案じる始末である。
こんな、いかにも体に悪そうな極暑・極寒を体験しながら
今まで気づかなかった日英の違いを改めて感じた。
まずは人々の視線だ。
日本では、街中で他人と目が会うことはほとんど無い。
一方ロンドンでは。。。路上で道を譲られてはニコッ、
スーパーのレジでHallo~と言いながらニコッ、
同じエレベーターに乗り合わせてもニコッ。。。とまあ、よく目が合う。
これは背後に様々な歴史や文化の相違があってのことなので
一概にどちらが良い悪いとは言えないが、こちらのニコッに慣れてしまうと、
日本ではいささか寂しい気がするのだ。
まぁ、視線は合わなかったところで、ちょっとさびしいかなぁ、程度の問題だが
ロンドンでの日常生活において、時にかなりの精神的・物理的ダメージを引き起こす元凶であり、
日本人にあってイギリス人に無いもの、それは「労働者のプライド」ではなかろうか。
先日、ロンドンの家の配管工事を業者に依頼したのだが、
工事が終了した翌朝、真新しいパイプの継ぎ目から
盛大に水が噴き出し始めた。絨毯は水浸しだ。
こんなことがもし日本で起ころうものなら、担当の業者の胸中には
「プロとして何と恥ずかしいことを・・・」という気持ちが湧き上がってきはしまいか?!
しかしながら、我が家の担当者は(予想通り)
「あ~、ここがゆるんでた~。えいえい。これでよし。じゃ、バ~イ」と
鼻歌交じりに帰っていった。
「俺は○○でメシを喰ってるんだ!」という気負い、プライドがほぼ完全に欠落していると思われる。
車の運転も、こちらはかなり荒い。
片方切れたブレーキランプで、ウィンカーも出さずに強引な車線変更、
そして歩行者を人とも思わぬ、傍若無人な運転。
しかし、こと運転に関しては妻の意見は私とは少し違う。
日本全国、運転マナーワースト3の常連県の出身である彼女には
こんなイギリスの交通事情でも、すこぶる快適らしい。
(特に女性には)道をすんなり譲ってくれたり、
逆に譲ってあげれば、かなりの確立で「サンキュー」のサインが返ってきたりすることに
いたく感激している。
イギリスも、悪いところばかりではなく、良いところもあるよね、と
日英両国の生活が新鮮に見えた、今年の夏休みであった。
そして・・・「こんな殺人的な日本の夏には、もう二度と一時帰国はすまい・・・」と
心に誓った夏休みであった。
中国の農村の子供 1
息子のバリカンヘアを、「中国の農村の子供ヘア」と名付けて喜んでいたら、本物の「中国の農村の子供」の事を思い出した。
あれは2002年の2月、香港に行ったついでに夫とふたりで中国本土まで足をのばした。
私のお腹の中には小さな小さな息子の心臓が動き始めていた(はず)。
広東省にある、広大な渓谷が有名な観光地を訪れた。
渓谷は美しく、その周りに作られたウオーキングコースでは、お婆さん達が地元でとれるらしい紫芋を七輪のようなもので焼き、観光客目当てに売っていた。たしか一本10円くらいの値段だったが、涙が出るような美味しさだった。
電気もガスも通ってなさそうである。
公衆トイレに入った。一応男女別には分かれているものの、女子トイレには個室はおろか何の仕切りもなかった。
床に掘られた一本の溝を人々が一列に並んでまたぎ、前の人がぺろんと出したお尻を見ながら用をたすという、生涯忘れられないトラウマ・・・いや、貴重な経験もした。
ウオーキングコースを夫とふたりで歩いていると、いつの間にか、私たちの横に12歳くらいの女の子が並んで歩いている。
地元の子らしく、日に焼けて健康そうな肌色をしていた。
「将来、観光ガイドになりたいの。一緒に歩いて案内してもいい?」
と言う。
その前の年にモロッコを旅行した私たちは、行く先々で「頼んでもいないサービス」に小銭を要求された記憶がまだ新しかった。
(一番怖かったのは、レンタカーを運転していたときに信号待ちで急に車のドアを開けられ勝手に車内に座られ、『案内してやる』と強引に車から降りなかった男。ガクブルしている夫に代わり『すぐに降りろ、降りないと警察を呼ぶ前に私の鉄拳が飛ぶわよー!アチョー!』と叫びつつカンフーの真似事をして、何とか撃退したが、それ以来発展途上国を旅するときは自分では運転しないことにしている)
そんな記憶がまだ新しかった私たちは、少女の申し出を、「お小遣い稼ぎだな」と直感した。
まあ罪のなさそうな可愛い女の子だったし、地元の子供と話すのもいいかなと思い、そのまま一緒に歩かせることにした。
つづく
September 20, 2007
教師の敵?
新学期早々風邪を引きました。そういうわけで、今日は「風邪」についてお話したいと思います。
一体、教師の仕事と風邪に何の関係があるのか?これが大有りなのです(少なくともうちの学校では)。
実は学校という場所は雑菌の巣窟です。必然的に風邪を非常に引きやすい環境なのです。では、雑菌が主にどこからやってくるのか。それは何を隠そう生徒たち。子供っていつどこで何を触ってくるか分からないもので、実際観察していると、食べ物を食べた手であちこち触ったり、うちのクラスでも自分の制服で机の汚れをごしごし拭いたり、、、。ちなみにその制服が毎日洗われることはないでしょう。親の衛生管理や躾がなっていないと言われたらそれまでなのですが。
正直に申しますと、イギリスは湿度や気温が年間を通して低いせいで日本ほど物にカビが生えたり、すぐに腐ったりしない。そのせいなのか、子供に限らず、どうも社会全体の衛生観念が日本よりも低いような気がするのです。それに加えて、お世辞にも綺麗で環境のいい地域とは言えない東ロンドンの一部の地域、特に食べ物を扱うマーケットがある場所は道端にゴミが目立ちます。悲しいかな、周辺に住む私の生徒たちも道にゴミが落ちている環境に慣れきっているんですね。うちの校舎の廊下にチョコレートマフィンが落ちているのを見たときは一瞬目を疑いました。最近ではサンドイッチが落ちていても驚きませんが、、、。と、自慢にならないですね。拾いましょう、生徒達!
さて、そういうわけで私の勤務校は目に見えない様々な菌が飛び交っているのです(と半ば決め付け?)。さらに不幸なことに、築10年というロンドンでは新築の部類に入る我が校舎は、防犯と安全のために窓が全開できないようになっています。教室によっては立て付けが悪いせいでその窓すら開けられないこともあります。実際に私の教室(こちらでは教師ではなく、生徒が授業ごとに部屋を移動します)も去年までは二つある窓が両方とも壊れて開かないことがほとんどでした。
皆さん、想像してください。初夏の暑い日、生徒30人(プラス雑菌軍団)、クーラー無し、窓開かず、あるのは小さな扇風機一つの環境を。そしてそこで100分間の授業がおこなわれることを(驚くことにこれが我が校の一時限の長さです)。
、、、息ができません。
実際、授業が終わった後の教室は人のにおいで溢れたサウナのようです。一回部屋を出て入りなおすとわかります。ロンドンで地下鉄(特に混雑時のセントラルライン)に乗ったことのある人はあれと似たようなものだと思ってください。冬はまだましですが。
このような環境で一度誰かが風邪を引くともう止まりません。一人、また1人と風邪は急速に広がっていきます。同僚の間でも同様です。私も何度うつしうつされたか。しかも声をたくさん使う仕事なので、少しでも水分補給を怠ると、疲れた喉が大抵先に細菌にやられます。風邪をあまりひかない自信のあった私も教師になってからは教師の商売道具(?)である声が出なくなり、欠勤せざるを得なかったこともありました。特に学期末、心身の疲れの溜まる時期は風邪の全盛期で毎回欠勤者が続出します。欠勤者の表に10人以上の名前が連なることも少なくありません(全ての人が風邪で欠勤とは限りませんが)。まぁ、ここはイギリス。「具合が悪くて人にうつすくらいなら休むべき」という暗黙の了解があるので案外皆あっさり休んでいるのかもしれませんが。実際、私が風邪の治りきらないまま学校に出たとき、欠勤者のために代理の先生を手配する役職につく同僚に「駄目じゃない、帰って寝なさい!授業は心配しなくていいから!!」と帰されたことがありました。有難いことなんですが、日本だと「這ってでも行け。任務を全うしろ」という考えが根底にあるような気がしていたので驚きでした。
ちなみに同僚の話では、教師は最初の3年間、免疫がほとんどないため特に風邪を引きやすいそうです。教師4年目の私は果たして丈夫になったといえるのか謎。
一体、今年も何回風邪を引くことになるのか、、、。表でもつけてみようかな、とふと思った私です。
September 19, 2007
結婚生活の不満 金持ち妻編
某金融機関のパーティで恐ろしい話を聞いた。友人が勤めている米系の会社だ。
「ほら、あそこ」と友人が指さすのを見ると、イギリス人女性が談笑している。
「ふたりとも夫はマネーマーケットでバリバリのやり手。特にミセスBのダンナ、去年は20ミリオンポンドのボーナスだったらしいよ」と友人。
20ミリオンポンドって、1ポンドを240円として、よ、よんじゅう、48億円かい?
ということは、あそこにいらっしゃるのは (急に敬語になる私)48億円をお稼ぎになる人の奥方様なのか。天文学的な額の金を稼ぐ人たちがいることは私も知っている。
が、そんな人 (の妻)を目の前で見るのは初めてだ。
と、じろじろ見ていると向こうがこちらの視線に気がつき、友人に向かって手招きをする。いや、別にガンをつけてたわけではなくて、たんにびっくりしていただけですけどね。貧乏人なのでお金持ちが珍しかっただけなんですよ (と、卑屈になる)。
簡単に紹介してもらう。ふたりともディレクター、といっても、中間管理職というあたりか。課長さんとか副部長さんといった役付きと見た。感じのいい人たちで社交的だ。
さて、48億円の妻というのはどんな服をお召しになっているのか?
目利きの友人なら、 「スーツはアルマーニ、バッグはプラダの新作、ただし、フェラガモの靴は去年のスタイルね」と一瞬で値踏み。ファッション雑誌のエディターか、質屋のおやじか、という能力を示す。が、うすらぼんやりした私には、スーツは高級そう、バッグの色は黒、靴は皮製である、ことしかわからない。
今思うと何がきっかけだったのかわからないが、ミセスAが急に、
「夫はまだ子供が欲しくないっていうのよ。間に合わなくなるわ」と言い出した。
女性としての体内時計がカチカチと鳴り、妊娠の可能性の残り時間を告げているのだ。
イギリス人の同僚たちもよく話している。まず 「相手を見つける」というミッションがあり、次に 「結婚を申し込ませる」という策略があり、 「なんとか40歳までに妊娠にこぎつける」というゴールがある。
そのために、日々、涙ぐましい努力を・・・しているようには見えないが。
(同僚の皆さんへ、努力が足りません。もっとがんばりましょう)
ミセスAのダンナは40歳近くで、高給を手にしているのに、 「まだ」子供が欲しくないというのは、モラトリアムな男なのか?
話がまずい方向に進んでいると思ったら、友人が 「あ、ちょっと知り合いが・・・。すぐに戻るね」と逃げた。
私ひとりを置いて逃げるなー。行くなら私も連れていけー。
と、ミセスBが身を乗り出し、実は・・・と話し始める。
「夫ったら、忙しくて、忙しくて。帰りは毎日11時」
「ん、まー、何てことでしょ」とミセスA。
(5時に終わるような仕事で48億円も稼げるほうがおかしい)と思う私。
48億円稼いでくれるなら、私なんぞは夫の顔を3年や4年見なくったって、気にならないと思う。いや、前言撤回、10年くらいでもOK、・・・と本人には言えないので、顔では同情してみせる。
「土曜日は昼過ぎまで寝てるの」
「ひどいわね」
(疲れているんだから、寝かせてやれよ。いいじゃないの、48億円も稼いでるんだから)と私は思う。
「日曜日は翌週の仕事の準備とかで忙しくて、家事も手伝ってくれないの」
「信じられないわね」
(48億円も稼いでいるのに、家事までやらせる気なのか?)と考える。
その後、ますますアルコールが入ったふたりは18歳未満お断りの内容にまで進み、さすがの私ですら、いたたまれない思いにさせられた。
露骨過ぎるぞー、イギリス女。
私を見捨てていった友人が向こうのほうから手招きをしたので、やっとその場を離れたが、このふたりはそのまま延々と結婚生活の不満を話し続けていたようだ。
よく考えると、毎日帰りは11時、土曜日は朝寝ぼう、日曜日は接待ゴルフとかって、典型的日本のサラリーマンのお父さんの生活ではないか。
―――― 言うまでもありませんが、お父さんたちのボーナスは48億円もありません。
結論、48億円も稼がないのに、いつも忙しくて家族サービスをしない夫に文句を言わない日本の妻は偉大だ、ということである。日本のお父さんは妻を大切にしましょう。
到着した日にすぐに帰国すると決めていたのに、、、
私がロンドンに住もうと決めて、ヒースロー空港に着いたのは確か9月23日頃だったと思う。
あの時はこんなに寒くなかった気がするけどなー。
長くいる方法としては、やはり学生ビザを取得することだと知り、渡英前に英語学校に入学の申し込みをして、
飛行場からホームステイ先までのミニキャブをアレンジしてもらった。
ドライバーはしっかりと待っていてくれて、荷物を車まで運んでくれた。まずは、これで第一関門を突破した。
なんていったって、ロンドンは初めてだ。地下鉄の乗り方もしらないし、それに結構小心者の私。
大きな荷物をもって、ウロウロするのはあまりいいアイディアではないと判断したためキャブを頼んだ。
ドライバーは、開口一番にステイ先に連絡したけど誰もでなかったんだよ。というような事を私に言った。
今よりも更に英語の理解力がないので、多分そんなことを言っていたと思う。
はっきり覚えていないが、ナショナリティーとしては英国人ではなかった。
ステイ先は、北ロンドンのアーチウエイ。
ヒースロー空港からなら、車で1時間30分もあれば到着するはずだから、
遅くとも8時ごろには着くので、夕ご飯を食べると伝えてあった。
しかし、8時を過ぎても到着しなかった。
なんだか、淋しい工場街を走り、うすぐらいライト、風があったのか、道に落ちている紙くずが舞い上がる。
なんだか不安な感じになって来た。
特に街灯、オレンジ色はなんだか気分を憂鬱にさせるよね。
日本の蛍光灯のように明るくないので、誰もがこのライトにイラつくようだ。
どうなっているの?とドライバーにも聞けず、ただいろんな想像だけが頭に浮かんだ。
ホームステイ先に連絡ができないので、ということを理由に別の場所へ連れて行かれるのでは?
そうだ、タクシーで飲み物をもらい、飲んだら睡眠薬が入っていて身ぐるみ取られたという話を読んだような気がする。
いや、このまま何処か知らない所に連れていかれて、売られてしまうのでは?(自分の容姿を無視しての発想だけど。)
ああ。やっぱり外国は危ないんだ。こなければよかったかなー。
夜のせいもあるけど、どこまで行っても車からみる景色は荒れている環境で、スラム街のようだ。
もし無事に到着しても英国からは直ぐに出ようと決めた。
走り出して2時間。ドライバーもだんだん不安になったようで、ガソリンスタンドに立ち寄り自分の行き先を聞きに行った。
ここで車を降りて助けを呼ぼうと思ったが、なんと説明していいか、分からない。どうしよう。いいチャンスかもしれないのに。
あ、まずい、ドライバーが戻ってきた。どうも間違った方向に行っていたというような事を言った。
そして、「ごめん」と言って、私にコーラをくれた。
飲み物だ、、。これって飲んでもいいものか。うーん。困った。
ドライバーは、行き先がわかったようで、鼻歌なんて歌っている。そして、コーラを飲みなよ。と勧めてきた。
困った。 困った。コーラを手にした私は、飲むに飲めずに、どうしようか、迷っていた。
しかし、コーラは缶だ。それにまだ開いていないぞ。
まさか開けてもいない缶に、睡眠薬も入れられないだろう。
しかし、この話はうまく出来ているよなー。このコーラは、彼が店で買ったものかどうかはわからない。
油断させているのでは?と疑り深くなるばかり。
そんな事を考えていたら、急に周りが住宅地になってきた。
そして、なんだか明るい。活気がある。ドライバーの迷ったということは本当かもしれない。
コーラ、飲んでも大丈夫かも。
缶を開けた。
すると急に車が停まった。
ホームステイ先に到着したのだった。
さすがにステイ先の家族も心配して、ドライバーに文句を言ってくれた。
私は、そーっとコーラの缶を逆さにして、中味を捨てた。
今覚えているのは、テムズ川を渡ったこと。
ヒースローからアーチウエイに行くのには、ぜったいにテムズを渡らない。
いったいドライバーは、どこを走っていたのだろうか。今でも謎だ。
September 18, 2007
クールな俺。をプロデュース 3 言葉編
狙っているのかいないのか分からないが、言葉でも笑わせてくれるようになった。
身長計で背を測った時、夫が
「おっ高くなったな。3フィート(約90センチ)は軽く超えてるな」
と言うと、
「3フィート?僕2フィートしかないよ。でなきゃ靴が3つ必要だよ」
と言い放った。
夫と顔を見合わせて、大爆笑。
当の息子はきょとんとしていたので、冗談のつもりでなく、本当にそう思ったのかもしれない。
ただし、その後はウケをねらって、同じギャグを繰り返すようになった。
ああこうして、だんだん姑息な大人になっていくのね。(←知恵がつく、と言ってあげてください、お母さん)
お昼にラーメンを作って
「ラーメン食べる?」というと、
「ラーメン」という単語がわからないらしい。
(それまでは、ヌードルといっていたかも知れない)
「ラーメン?それは、教会のもの?」
と聞くので、なんで教会を連想したんだろう・・・と私も謎解きの心境になった。
(私は無宗教だが、夫はクリスチャンなので息子も小さな頃から教会に通っている)
しばらく考えて、「ラーメン」→「アーメン」に行き着いた。
日本のオヤジギャグにもなりそうにないが、何気にイギリス人の好きなRhyme(韻)になってるな。
でも学校で先生に
「Rhymeの例を挙げてみましょう~」
と言われて発言しても、誰にも分かってもらえないのが悲しい。
(いや、最近は「ramen」とメニューにあるレストランも増えてきたし、もしかしたら日英両国で通用する初の駄洒落・Rhymeの第一発見者かもしれない。でも結局は両国で「駄洒落オヤジ」程度の扱いしか受けなさそうだが・・・。)
「オヤジ」といえば、大人の様な性癖も現れてきた。
日本人でよく、本屋やCD屋に行くと便意を催すという人がいるが、息子もまさにこの傾向がある。
息子と一緒に図書館やDVDレンタルの店に行くと、必ず
「マミー・・・・プー・・・・」
と緊迫した顔で訴えられる。
よりによって、DVDレンタル屋にも図書館にも利用者用トイレがない。
DVDレンタルの場合は隣のマクドナルドに駆け込み、図書館の場合は家がすぐなので、あわてて家まで駆け戻っているが、先日一緒にCD屋に入ると、やはり同じ現象が現れ、トイレ探しに疾走した。
私自身にはこの経験がないのだが、これってどうしてなんでしょう?
本屋→トイレの関連性、メカニズムについて、知っている方がいたら教えてください。
September 16, 2007
Fixed
2週サボった、すんません。急性アルコール中毒になった訳ではご
ざいませんのでご安心を。仕事のせいにするのは良くないが、僕も
たまには仕事に没頭するのである。本当です。
それはまあいいが、US Openは、なかなか見物だった。順当といえ
ばその通りの結果になった。フェデラーさんはあと2,3回は行け
るだろうが、Justineはどうだろう。今回も見事優勝し、彼女が磨
いてきた技の数々の全てを見せてくれたような試合が多かった。さ
てあと何度このプレーを見ることができるだろう。これだけ華麗な
テニスを披露してくれている彼女の引退が今から惜しくてたまらな
い。余計なお世話だろうが、どうにも今のプレーがあまりに華麗な
だけに、見れなくなる日の来るのが今からとても悲しい。
ちょいと前にノッティングヒルのカーニバルというのに同居人にせ
がまれ、のこのこ出かけてみた。これには腰が抜けたわイ。ヨーロッ
パ最大のカーニバルとか聞いていたが、なんなのだろう。函館のイ
カ踊りの方が数段ノリが良いのではないだろうか。まして本場の阿
波踊りを数年前にタップリ実見した僕にはあまりのノリとオーガナ
イズの悪さに直ぐに帰りたくなった。毎年こんなもんなの?なぜ'
連'の間が30分も空くのだろう、安全の為かな?確かに相当な人
たちも集まっているので、あまりノせすぎると、やばいのかもしれ
ない。それにしても。
ここの編集長のあれんじで、子豚の丸焼きを喰う会、というのに参
加した。お店はファーリントン駅からすぐの、天井が高くてシンプ
ルな僕の好みの内装だったが、子豚が出てきたときは、人間の赤ん
坊の似ているなあと思って、ちと腰が引けた。でも美味しくて沢山
の人が参加されていて楽しかった。またいつかお願いします。
今日は、というか金曜からお客様のシステムに障害がでて、漸くF
IXが先ほど完成した。頭がうに状態なので、とりあえず近況報告
ということでご勘弁ください。
September 14, 2007
また一歩
長い夏休みが終わりました。
久しぶりに会った同僚達の表情は明るく、休み明けのお決まりで「How was your holiday?」とお互いの休み中の様子を聞きあっていました。学期中は忙しくてストレスも溜まり、楽しい会話をする余裕がないこともあるのですが、今日は学校全体が和やかな雰囲気。私も同僚たちと会えてうきうきしていました。内心、英語忘れてたらどうしようと心配してたんですけど。
さて、初日はスタッフ全員参加のミーティングが開かれ、今年の学校としての方針・目標についてや授業が始まる前に用意すべきこと、夏の間に発表になったGCSEとA-levelというコースの試験結果などが報告されました。GCSEは強いて言えば、日本の高校レベル(ただし二年間ですが)、A-levelはそれよりも一つ上の教育課程で、大学に進学したい子供たちが進む二年間のコースです。A-levelは特にこの試験の結果で入学する大学が決まりますから、いわば生徒たちの人生を左右する大切な試験です。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、イギリスにはいわゆる学習塾・受験予備校といったものがありません。良い学校に通って一流大学を目指す子供たちは特別なサマーコースに参加したり、個人の家庭教師に教わったりするのかもしれませんが、私の知る限り、普通の公立では教師が試験のコツ、解答の仕方、問題の傾向などを教えます。イースター休暇中には補習授業をやったり、試験が近づくと放課後に試験対策のための授業を行う教師もいます。私は教師歴やっと3年になったところでやっと手探り状態を抜け出してきたところですが、やっぱり日本の予備校教師のようにはいかないなぁと悩むところです。詳しく書く機会があると思いますが、私の担当教科である歴史では、私がかつて日本で経験したように「とにかく暗記!」ではなく、自分の言葉で論理だてて説明することが要求されるので教えるほうも難しいのです。
さて、その歴史教科の試験結果ですが、私はGCSEのクラスを一つ受け持っていたので休み中もかなり気になっていました。しかもこのクラスはコースの初めから通しで2年間受け持ったクラス。初めの頃はクラス経営に悩んで同僚達に助けてもらったこともありました。でも、二年目だった去年は「今日の授業すごく面白かった」と言ってくれる生徒もいて、「教師をやっていて良かった」と思えるくらい励みになって教えるのも楽しかったのです。思えば、初めて日本人としての私を素直に出せた生徒達でした。日本に生まれ育ったからこそ教えられること(例えば、冷戦との絡みで朝鮮戦争や現在の北朝鮮の話をしたり)もあるんだなと自信につながったのです。同時に私を心底悩ませる生徒達もいて、彼女らとのバトルも多々ありましたが(笑)
そんな思い入れの深い私の生徒達。嬉しいことにたくさんの子達が私が予想したとおり、もしくはそれを上回るよい結果を出しました。歴史科全体としても上位の成績に当たるグレードA*(エースターと読みます)からCまでを取った生徒が67パーセントと去年よりも大幅に上回る好結果。ロンドンの中では比較的貧しい地域に当たる東ロンドンの公立で決して学力の高い子がそろっているとは言えない我が校にとって、これは本当に嬉しいことなのです。実際、去年半ばに産休・育休に入った同僚の代わりに学科主任を務めている身としてはほっと胸をなでおろした瞬間でした。
さぁ、私の「教師モード」のスイッチが入りました。休み中は教師という肩書きをはずし、「ただの私」に戻ってしまうので。今年は教師4年目。今までのように「まだまだ新米だから」と周りを頼ってばかりいられません。同僚を指導する機会も多くなるでしょう。ここからどう自分が前に進めるか、緊張感が増す瞬間です。
September 12, 2007
日本で英語教師
ミセス Wは私の英語の先生だった。
50代後半のイギリス人で「外国人に英語を教える」のが専門、日本人の友人と一緒に文法や作文の家庭教師をしてもらっていたのだ。
何年も英語圏に住んでいれば、とりあえず生活には困らない程度の英語はあやつれるようになる。
主婦なら主婦英語、「買い物」とか、子供の学校の先生との 「教育」に関する会話、近所の奥さんと 「ゴシップに興じる」ときに有効なボキャブラリーが増えるはずだ。
働いていれば、「うちの会社は業界でもたいへんに良い評判をいただいています」みたいな 「つくり話」、あるいは同業者をこきおろす 「中傷」などを中心とした英語力が伸びる。
友人は 「商談で取引先をめちゃくちゃに叩きのめして、有利な立場にたつ」英語がとっても得意である。・・・ま、英語というよりは性格なのかもしれないが。
このミセス Wから数年ぶりに電話が入った。
お嬢さん (オックスフォード大学卒業)が日本に行き、1年間英語の先生をすることになったという。それで、簡単な日本語のフレーズや生活習慣や文化について教えて欲しいとのこと。
というわけで、ミセス Wは一人娘のEちゃんを連れてやってきた。
話には聞いていたが背がすごく高い。183cmって、イギリス人の男でも長身といえる。日本の家のあちこちの鴨居に頭をゴンゴンぶつける姿が目に浮かぶようだ。
しばらく前にイギリス人の英語教師の女性が、プライベートレッスンという言葉につられて男の家に行き、殺された事件があり、犯人の男はまだ逃走中なのを思い出す。
「気をつけてね」と言っておいたが、いくらかわいい顔をしていても183cmの彼女をターゲットにする日本人の男はいないかもしれない・・・。口には出さなかったが。
「私はアイゴの先生です」とEちゃん。
アイゴ? 動物愛護?
「あ、それはね、 『エイゴ』 英語の先生」
Eちゃんはペンを取り出し、持参した 「日本語の基礎」の例文にさらさらと書き込む。アルファベットで書いてはあるが、日本語のローマ字表記では実際の発音がわからないらしい。
「イギリス人って日本語でどう言うの?」
日本語流にイギリスじん、と発音してみせると、 「リ」の部分をDiと書いていた。
そうか、そうきたか。日本人は R や V が苦手なように、英語圏の人に 「らりるれろ」を発音させると何かおかしい。 (試してみて。おもしろいから)
この 「ら行」って、 L と R と D が混ざったような音なんだよね。
さーて、生活習慣と文化の紹介だ。私はこれが大好き。
ずいぶんと楽しい思いをさせてもらっている。外国暮らしの楽しみのひとつといってもいいくらいだ。
日本について誤情報を持っている人は多い。どうせなら、と、さらなるガセネタを提供。
アメリカのすごーい田舎の人 (まず、日本に行く機会はないはず)に
「CDプレーヤーになってから、誰もウォークマンを聞かない。で、駅前では消費者金融が宣伝のティッシュと一緒にウォークマンを配っているが、みんなティッシュだけもらって、ウォークマンはゴミ箱に捨てている」とかね。
すんなり信じたのでウケたが、消費者金融の説明に苦労したのを覚えている。
ああ、ホラ話とガセネタをつかませる絶好の機会。口がウズウズするー。
「麻薬の所持が見つかると死刑になります。でも、銃殺されるときに目隠しするかどうかは本人が選べますよ」みたいなのが言いたい。すごく言いたい。
が、相手は 「恩師の令嬢」だ。そうもいくまい。
「何か質問は?」とウズウズする心を抑えて聞いてみる。
いろいろな質問を用意してきていたが、
「神道の神社と仏教の寺院の相違点を400字以内で簡潔に述べよ。制限時間は2分」みたいなことをいくつか聞かれた。うーむ、オックスフォード卒なのを忘れていたな。
「これだけはやっちゃダメっていうものは?」と聞かれて、
「人の家に土足で上がらないこと。それくらいかな」と言っておいた。
「なにかまずいことをしても、 『ごめーん、私は外国人だから、知らなかったー』と言っておけば、まず許してもらえるよ」とアドバイスした。
これは私がいつもイギリスで使う言い訳である。 (相手の口封じに、たいへん、よく効く)
September 11, 2007
つながり
いやいや、ロンドンの日本人社会がこんなに狭いとは。
先日、子豚を食べる会に参加したときの事(その模様はこちらから)。
17名の人数が集まった。主催者以外、参加者同士はあまりリンクのない人たちの集まりだった。
そのうち、3人が非日系、そのうち2人は、日本語ベラベラ。
その1人が後から入って来た人を見て「あっ!!」と声を上げた。実は、以前の同僚だったそうだ。
そして、私の前では、「あれ?もしかして、、、」と斜め向かいの人に声をかけていた。
どうも日本の職場で、1週間だけだが一緒に働いていたそうだ。
そして、私の隣では、「あの、あそこに座っている人は、もしかして、××さん?」
どうもご主人とよく飲み歩いている方で、会うのは初めてだそうだ。
「これもいい機会だから、ご挨拶してこないと。」と話を始める2人。
17名中に6人は、お互いが知り合いだったことになる。
この集まりの共通項は、ただの食いしん坊だけなのに。
英国には、同窓会や県人会などのサークルがあるけど、そこでもこんな話はよくある事だそうだ。
日本にいたら、こんな集まりはみんな忙しくて参加しないかもしれないけれど、これも結構参加すると面白い。
私なんか、同年代で姉妹校に行っていたということで、急に親しい気持ちになったものね。
同じ制服や同じような校風で話が盛り上がり、彼女には常に親近感がある。
私は、札幌で産まれて、御殿場、山中湖、忍野、鶴ヶ島、を経て東京の大山、池袋に住んでいた。
まあ、これだけよく引越したものだ。
英国で日本人同士の始めの会話に、出身地を聞くのは一般的だ。
しかし、私は札幌で生まれているが、幼いころに本土に引越しため札幌の記憶がない。
そのため出身を聞かれるとつい
「産まれたのは、札幌なんですが、父がサーカス団にいたので各地を転々としていたのです。」と言ってしまう。
一方、ダーリンなんてロンドンの大学に通うまでは、1ヶ所の町で生まれ育って来た。
いまだにその町には、ママや親戚が住み続け、町の景観の変化もずーと見続けて来ている。
クリスマスなどに帰省すると、昔はこうだった。ああだった。などと説明してくれる。
ちょっぴりうらやましいな。
クールな俺。をプロデュース2
「トドラー」から「少年」へと脱皮しつつある息子、笑える言動がまだあった。
3歳の頃から、車で出かける時以外は、いつもキックボードに乗っている息子、まさにキックボードは彼の体の一部となった。
近所でも、キックボードで疾走する息子の姿は目立つらしく、たまに歩いていると知らない人から
「あら、今日は乗ってないの?」
と聞かれるほど、切っても切れない関係となっていた。
最近、キックボードに片足乗りしたり、ボードの上でジャンプしたりしている。
・・・スケボーのつもりで格好つけているらしい。(特に、周りに人が多いと荒業の挑戦率が高い。)
(ちなみに「どこで買ったの?」と聞かれることの多いキックボードは、スイス製のこれ(http://www.micro-mobility.com/)です。軽量で操作性が良くて超お勧めですが、幼児用のキックボードは生産中止になったのかも。心ならずもレア物になってしまった。)
「When I was a baby….」と昔話を語るのは相変わらずだが、
「When I grow up……….」と、将来の夢にも言及するようになった。
将来なりたいものは、「バスの運転手」「医者」「料理人」「道端でDVDを売っている人」とその時の気分で変わるが、先日季節はずれのクリスマスもののDVDを見ていると、
「大きくなったら、サンタになりたい」
と言い出した。
普段は物をねだるばかりなのに、与える立場になりたいとは珍しく殊勝なことだと思い、
「いいねえ、サンタになって皆にプレゼントをあげるんだね」と言うと
「でも、大きな袋と、ベルと、トナカイが必要だから買ってくれる?」
ときた。
サンタになっても、設備投資はすねかじりかい・・・・・。
将来の夢を語るだけでは飽き足らず、
「マミーは大きくなったら何になりたいの?」
私にも聞いてくる。
そう聞かれると、
「私って、大きくなったらいったい何になりたいんだろう・・・」
と一瞬、真剣に悩んでしまい、少し切なくなる自分がいる。
マミーもまだ、脱却の途中なのよ。
September 06, 2007
みなさん、こんにちは。月子と申します。
この度、こちらでブログを書いてみないかというお話をいただきまして、筆を取る(正確にはキーボードを打つ、、、ですね)ことにしました。友人向けの日記はSNSで度々書いているものの、ブログを書くのは人生初。一体どなたがお読みくださるのか、どきどきしています。
さて、私は何者なのでしょう。
こちらで職業を聞かれたら、「Secondary school teacher」と答えます。イギリスでは公立校は中高一貫が普通で、Secondary Schoolと言われます。私は3年ほど前から東ロンドンにある公立の女子校で歴史を教えているのです。
私がなぜイギリスの公立校で教師をすることになったのかは、またの機会にお話しすることにして、今回は夏休み中ということで、イギリスの教師の休暇中の実態(?)について書きたいと思います。ただし、あくまでも私の勤務校での経験に基づくものですから、その辺の程、ご了承くださいませ。
地域によって異なるかと思いますが、イギリスのSecondary Schoolは9月の新学年度の始まりの前に5-6週間の夏休みがあります。
さぁ、この長い休み、教師たちは一体何をしているのでしょうか。
答えは、、、休暇をひたすら楽しむ・活用する、です。
事務員と違って、教師は基本的にイースター休暇・クリスマス休暇・夏期休暇の間に学校に出てくることはありません。Half-term holidayといわれる一週間の学期の中休みにも補習授業があったり、よっぽど仕事がたまっていない限りは出勤することはないのです。休み中は教師の本業である「Teaching」の場である授業が行われないから、教師が出勤するは必要ないという考え方が根底にあるようです。よって学校側が教師に登校を強制することはありません。強制しようとすれば、「権利侵害」と労働組合を巻き込んで大騒動になるでしょう。
こんな環境で教師が休日出勤すると一体どういう反応をされるのか、、、。
結構変人扱いです(笑)
実際、たまった仕事を片付けようと休暇中に出勤した私を見た用務員のおじさんは「休みなんだから学校なんかにいたらだめだよ。」と奇妙な視線を向けて一言。
では、同僚たちは具体的に何をしているのでしょうか。例を挙げれば、数年前の夏休みに私の上司に当たる学科主任が6週間にわたるアメリカ大旅行を決行。彼女はなんと終業式の日に旅立っていきました。彼女の場合、中間管理職でお金に余裕があったのと、独身で家を長期で空けられるからだと思いますが。(私にはとても6週間は、、、)
私の学年主任にいたっては、「私は教師歴25年だけど休み中に一度も出勤したことがない。休みは休むものだから」と断言。彼女、学年主任の仕事はきっちりとこなしながら、私の所属する教員労働組合の我が校の代表でもあるんですけれど、なるほど「休みは働くものの権利」なのですね。日本で教師をやっている友人に申し訳ないと思うくらい、こちらでは「休みは休み」なのです。
確かに周りを見ても休日出勤をする教師は少数派。普段も授業が終わると早々に学校を後にする同僚が結構多いのが現状です。普段から勤勉・勤労と程遠いと思っている私でも学校が閉まる午後6時までいることが多いのに。同僚達は一体いつ仕事をこなしてるのかと首を傾げたくなります。自宅で教材研究をしている熱心な先生もいるとは思うんですけれど、、、(というかそう信じたい)。
そんな環境で日本の感覚で仕事をすると「月子はまじめだ。働きすぎだ」と言われます。3年間でだいぶ怠け者になったと思ったのに。
イギリス人と関わる職場で働いていらっしゃる方はお分かりかと思いますが、彼らは仕事とプライベートをきっちりと線引きして考えています。どっちが優先かといえば、もちろんプライベート。教師という責任ある仕事ですし、別に同僚たちがいい加減に仕事をしているわけではないのですが(見方によってはそう見えなくも無いですが)、驚くほどに要領がいいのです。与えられた時間でどれだけ「最小限の苦労と努力」で仕事をこなすかにかけたら、彼らはぴか一。その姿勢を学ぶべきなのか否か、私の心の葛藤は続きます、、、。
ちなみに同僚どうしで「夏休みまであと何週間残ってる?」なんて毎週聞きあうのは日常。
休暇を待ち望む心。まぁ、これはきっと万国共通ですね。
September 05, 2007
警察ざた (その2)
ボスと話していると経理のAが私たちの様子をうかがっている。ふたりが、
1. 談笑している (半分は下ネタ)
2. 仕事の話をしている (半分は悪だくみ)
3. 議論している (半分は罵りあい)
の内の何をしているかが知りたかったようだ。3の場合、同僚は誰も近づかない。別にケンカしているのではないのだが、ボスも私も声が大きく、ボキャブラリーに放送禁止用語がひんぱんに登場するのでびびるらしい。遠慮しなくてもいいのにー。
私たちはそのとき、珍しく普通に仕事の話をしていたので、彼は話を切り出した。
「えーと、実はね、このクライアントのことを聞きたいんだ」
差し出されたのは 鈴木花子 (仮名)宛のうちの会社の小切手。額面は小さい。
うちはメイルオーダーサービスみたいに不特定多数を相手にしているのではないから、クライアントの数なんかしれている。取引先は名の知れた会社か、個人客ならほぼ全員の顔を知っていて、ロンドンか東京で食事くらいはしたことがある仲だ。
「知らなーい」と私。
「聞いたことがないな」とボス。
でも、この署名はボスのだ。
「小切手にサインしてるじゃない。忘れたの?」
「覚えがないね。知らないよ、こんな人」
このチャンスにボスの老人ボケを笑ってやろうと思ったら、Aが、
「やっぱりね」と言う。
メインバンクの担当者がうちの会社から振り出された (はずの)この小切手を見て、何かひっかかるものを感じて、確認の電話をしてきたらしい。
このクライアントが口座を持つ日本の銀行の支店もわかっている。
「ちょっと、この銀行に電話してみてくれない?」とA
イギリスから電話をしていることを告げ、簡単に状況を説明して、担当者 (何の担当の人と話せばいいのか、私にもわからなかったが)に代わってもらうように頼んだ。
しばらく待たされてから、若い男の人が出た。で、開口一番、
「当支店では責任が持てません。弁償はできませんからね」と言う。
先制攻撃というのがあるが、 「先制防御」である。
弁償してもらわなくても、うちの会社は 「被害」に遭っていない。詐欺に巻き込まれそうになったが、こちらの銀行の機転で逃れている。電話をしたのは情報をシェアしておこうと思っただけだ。
「いや、そういうことではなくて、この口座の人はトラブルがありそうなのをお知らせしておこうと・・・」
「とにかく、当支店には関係ありません。関係ありません。関係ありません」
「まだ、送金していないんです。別に・・・」
「警察に連絡してくださいよ、警察に。当支店のせいではありません」
だから、おたくを責めてないじゃないのー! 私の話を聞いてー!
何を言っても聞く耳を持たず、 「こちらに責任はありません」の一点張りなので、私もあきらめ、
「わかりました。警察に届けておきます」と電話を切った。
なりふり構わず自分の銀行を守ろうという態度はあっぱれだが、私の話をちゃんと聞いていれば、別に 「守る必要もない」ことに気づいただろうが・・・。
当然、うちの会社は警察に連絡した。このあたりの警察って シティポリスなんだって。ちょっとカッコいいと思った。ま、シティにある警察がシティポリスなのは当たり前なんですけどね。新宿なら新宿警察、八つ墓村なら八つ墓村警察だろうし。
後日、Aから聞いたところによると、小切手が入っている (とあたりをつけた)郵便物を盗み、署名を偽造して振りこませる詐欺だったらしい。額面が大きいと会社も気をつけるので、少額にしてあるという。
これに気づいたうちの会社のメインバンクの担当者もりっぱ。それから、身体をはって責任を否定した日本側の銀行員もりっぱだった・・・と言っておこう。
まだ、犯人は捕まっていない。たぶん、捕まらないだろう。少額だったし、警察も本腰を入れて捜査するとは思えない。
しかし、 鈴木花子 (仮名)って何者なんだろう? ちょっと気になる私だ。
September 04, 2007
英国のスーパーマーケット
我が家でも土、日曜日のどちらかにスーパーに行き、一週間の買い物をする。
近所には2件のポピュラーなスーパーがあるが、ほとんど1件しか利用しない。
その理由は、地域のせいかもしれないがその1件がなんだかシャビーなのだ。
このスーパーブランドは嫌いではないが、近所にあるこの支店に一歩、入った瞬間に買い物の気持ちが薄れる。
レイアウトのせいだろうか? ああ、 多分このスーパーの住民の嗜好とまったくあわないと思う。
魚コーナーは、極端に小さいし、並べ方もセンスがない。
ダーリンなんて、デプレッションになると言って決して近寄らない。
ということで、毎回いつも少し遠いスーパーに出向く。
まずは、野菜コーナーで選び、 精肉コーナーに入ると、一気に北国に来たかと思うほど寒い。
ここでいつも不思議なのは、チキンの価格だ。
まるまる1羽が£3程度で買えるニワトリちゃんと、
フリーレンジで育ったオーガニックになると£12もするスノッブなニワトリさんとなる。
いったい同じチキンなのに、なんでこうも値段が違うのか。不思議だ。
なんだか、そうなると気のせいか£3チキンが色白でファットが多いようで、
見ているだけで食欲がなくなる。私は洗脳されやいかもしれない。
うーん。と考え込み、買い物のトローリに入るのは、中間的な価格のニワトリさん。
しかし、いつ見ても肉コーナーはでかいなー。それに比べて魚コーナーはなんと惨めなサイズか。
同じスーパーでもエリアによってこの魚コーナーのサイズは違う。
インテリで高所得者が多いエリアは、ぜったいに魚コーナーが広い。(私の独断的な調査より)
我が家のエリアは、ここ最近、地代があがってきているけれども、魚コーナーは小さいので、
インテリで高所得者が多いエリアではないことは確かだなー。
そのせいか、魚の売れる回転が悪いのか、魚売り場が 時々臭いのだ。
新鮮な魚屋は臭くない。
そう、ここのスーパーのサバの目なんて死んでいる(そう、既に魚は死んでいるのだけども、完全に死んでいます)
めったにイキのいいサバにお目にかかれない。
それで、定番のサーモン、ツナ、トラウト(ニジマス)をよく買う。
これらは人気の商品らしく、まあまあ鮮度がよさそうだ。
以前、ムール貝を買ったら臭う。でも、火に通せば大丈夫かな?と思ったら、
もう臭くて 臭くて、料理したけどそのままゴミ箱行きだった。
それ以来、ピチピチの魚に会いたい時は、お気に入りの魚屋にいくことにしている。
その上、売っているお兄さんもなぜかみんなイキがいいのです。(ふふっ)
さて、スーパーですが、魚コーナーを過ぎて、 卵コーナーへ。
もちろん、他の人がしているようにふたを開けて、中味の卵が割れていないか確認する。
この行為、大切です。本当に卵がよく割れているんですよねー。
そして、パンコーナーへ。
パンには、不満がいっぱいある。フランスに近いのだからもっと美味しいフランスパンが食べたいのに売ってない!!
先日テイスト・ディファレントと書かれているブランドのパンを購入したが、すっかり期待を裏切られた。
だって、味のないいつものパンと同じだったのですもの。
ダーリンいわく、「テイスト・ベターとは言ってないからね。うそじゃないよ。」ウーンなるほど。
ディファレント(違い)とは、美味しいよ。と言っている訳ではないので、上手な広告かもしれないなー。
しかし、なんだかんだといってもスーパーは大好き。
特に、楽しみはレジで会計をすませる時。
レジを待つ間に,前の人や隣の人の買い物の中味をみて、その人の生活ぶりをいろいろ想像するのが楽しい。
本当に見事にタイプが分かれている。
オーガニック好きは、野菜から肉、牛乳までオーガニック商品で身なりもそこそこなインテリさん。
賞味期限切れに近いため値下げラベルがついた物しかない買わない節約さん。
小さなポテトチップスが沢山はいった大袋を3つ、4つにコーラの巨大ビン、冷凍チップスを大量に買い、
それにミルクさえ飲んでいれば健康と勘違いしているジャンク家族。
野菜嫌いの若者カップルなど様々だ。
我々の買い物の中味は、ノーチップス、ノーコカコーラ大ビン、ノークリプス(ポテトチップス)のはずだが、
たまにダーリンがこれは身体にいいクリプス(ポテトチップス)といって、知らぬ間に買い物のカートに入っている。
私もダーリンが見ていない隙に、 化粧品やクリームなどを入れている。
だって、我が家ではスーパーの会計はきっちりと2人で折半するのですもの。
自分が使う物を沢山いれておかないとね。
このスーパーは、いま売り場面積拡大のために工事をしている。この秋には、洋服や雑貨のコーナーが増えるらしい。
私が使える物があるといいなー。ああ、スーパーは楽しいな。