February 06, 2013
I believe
昨年の後半あたりから、まったく覚えの無いオンラインショップの注文確認が、
僕の個人メールアドレスに届き始めた。洋服、おせち料理の配達、日本旅館の予
約、はたまた自動車の自賠責保険等々、全部日本のオンラインショップ。その度
にこれらのショップへ、ご本人へ電話しメールアドレスが間違っている旨を伝え
るよう依頼してきたのだが、まったくワークしない。
しかしだ、昨日、とうとう上記の誰かが連絡してくれたのであろうか、僕のメー
ルアカウントに、一通の試験メールが入った。Subject はブランク、本文は
”あ”
であった。送信元が携帯電話系のメールアドレスだが、それはどうみても僕と同
姓同名の彼のアドレスである。ようやく捕えたぞ、ニヤリとしたが、まあよく考
えてみると、これも縁じゃ、やわらかい内容でメールを送ったところ、謝りのメー
ルが返ってきた。よかった。完全にご自身のメールアドレスだと思い込んでいた!
とのことである。
そのことは僕も無論予想していたが、これは長い時間、思い出しては結構笑える。
子供ができたら、その名付けは親の勝手放題であろう。登記こそ行うが、そこで
リジェクトされることはまず無い。メールアドレスというものも、子供の名づけ
のようなものであるべーナ、と勘違いされているおじさんおばさんは、世の中に
山ほどおられるのかもしれないなア、あっはっは。この話、ワイフにしたら、”
あ”テストメールにハマり、腹を抱えながら”可愛いおじさん”という。それは
全く同感で、こういうおじさんは憎めないなア。旅館の予約確認メールからその
ご家族構成をなんとなく知った僕は、きっとおっちょこちょいな、やさしい、そ
して相当ふだんから面白いパパさんなんだろうなあ、と勝手にえを描い
てにやりとしてしまう。
このような小話は単純に可愛くて笑える。昨夜は上の話をネタに同僚とワインを
飲み始めたが、そしたら出るわ出るわ。”ダブルクリックがなかなか出来ないお
じさん、どんどんマウスが前へ出て画面からはみ出しそう”、”そのうち、マウ
スを3次元的に上に挙げ始めた”、”PCを立ち上げてください、ってお願いし
たら、はいっ、といって椅子から立ったおばさん”等々。90年代を振り返るI
T川柳サイトでもつくり、みんなで大笑いしたいなあ。とはいえ、僕はすでに、
属する業界のITインダストリー以外であれば、完全に苦笑の対象になっている
ことは自覚している。是非も無し、この先死ぬるまでに、いくつおもろい小話を
つくってやろうかと発奮している。
February 03, 2013
Ikura
僕は甘いものには絶対に手はつけない。
と始めればニヤリとされる方もおられるかと思うが、いやいや、単に食べ物のこ
と。酒飲みの典型で、和菓子だの、Snickersなどには手を出すことはまったく無
い。他方、塩系はやばいほどOKであり、実際に塩辛も大好きである。なにしろ
函館育ちだ。寒風の港町、塩、醤油、味噌、濃これれば濃いほうが良い、という
この品格の無さは、まだ入院知らずの50を超えた僕にとってはいまさらどうに
もならん。とはいえ、コルステロールだけは、その数値、既に40台前半からや
ばいので、多少気をつけてはいる。
函館の筋子・イクラ系は実に美味しいから、僕も随分子供のころから楽しませて
もらったのだろうと予想するが、なぜ子供というのは、かほどにイクラが好きな
のだろう。良く行くパットニーの日本料理屋の店主さんもそうおっしゃる。英国
人の子供達がぱくぱく食べるのを横目で見ながら、コルステロールのような俗な
ものとは無縁な君らが羨ましいなあとおもう。いくらでも食べるからね。あ、やっ
ちゃった。
January 26, 2013
Tools
モノには全くこだわらないほうだと思う。ワインは値段のわりに美味しければ全
てよし、銘柄を覚えたことはほとんど無い。車は社員に売って貰った中古、ワイ
フは新品だったが・・・その無関心さに腹が立つそうだ、まあそれは別。
寝具を選ぶときは贅沢せいという。一生のうち多くの時間お世話になるのだか
ら至極もっともである。一方、少なくとも30余年、寝具よりも長い時間、ビジ
ネスの季節によってはその2倍をしばしば超えるが、たいへんお世話になってい
るものがある。キーボード。
新しく仕入れたPCに付属してくるようなタッチの軽いキーボードでは、頭の回
路が文脈を指に伝えた後、次の思考に影響してしまう。快適ではないキーを叩く
ことにどうしても意識を少々奪われてしまう。測ってみたことは無いが、なにしろ、
毎日数千から万の頻度でキーを叩いているはずだ。これを気持ちよく叩けないと
いうふうはないだろう。
---
製造日1993年5月のラベル持つIBM製の達にお世話になってき
た。20年前に作られた、戦車のような重厚なキーボードにしがみついている僕
を、周りの人は不思議に思っているようであるが、ここだけはどうしてもこだわ
ざるを得ない。
このロットのIBMキーボードを3個保有してきたが、2つ目のは、a を打つと
aa とか aaa となった。3つ目は、最近数字の 4, 5, 6 が全く入力できなくなっ
た。これは実にまずい、どころの話ではない。IBMは、キーボード製造なんぞ
は、とうの昔に戦略的廃棄しているのだ。
ところが、拾う神あり。昔のIBM製と殆ど同一仕様のキーボードを販売・製造
している会社が見つかった。何て素敵なやつらだ。サンプルとして一個仕入れて
みたところ、これは力作であり80点はあげられる。残り20点は、キーを押す
プレッシャーがオリジナルより愚鈍というか、かろやかさに欠けること、クリッ
ク音の周波数がIBM版より相当低音であること。とはいえ、これは救世主と呼
ぼう。
永年、どうしたもんかと気にしていた人生の心配事が一つ消え、明日がぱっと明
るくなった。僕はどうにも運が良い。
December 29, 2012
Japan 2013
冬眠しようと思ったが、歳のせいか思うほど寝つけない。昼から酒をかっくらった
り子供たちと遊んだりしているが、夜も更けるとやることがない。昨日までであれ
ば無論仕事だが、この2日間それを禁止して(されて)いる。残されるはあまりな
く、是非もなく文字いじり、以下、いつもより高飛車ながらつれづれと。
過日の衆議院選挙、自民党が圧勝した。民主党の大敗、野田さんの責任であること
は事実であり、党代表を即刻辞任された。男子たるべきものの過酷な1年を過ごさ
れた、暫くゆるりとお休み頂きたい。貴兄は歴史に残る政治家となった。野田さん
が次期選挙戦もナントカなると思いながら消費税を上げたと思っていた輩は日本に
ごまんといてこたびの敗戦を喜んでいるかもしれんが、僕は貴兄と多分共通して、
まったく忸怩たる思いでおる。鳩山さん、管さんと、論外の人物が首相として2年
続き、どちらにしても次期選挙戦で負けることが分かっていたこともあるが、民主
党が施策した3年間の政権で、歴史に残るは貴兄の増税だけじゃ。ようやってくれ
た。未だ見ぬ子供や孫、ひ孫が所有するであろう仮想クレジットカードを使って生
活をしているような国。党をぶっ壊してでも断固実施された貴兄は、小泉さん以上
であるかもしれない。これは多分に自民党の皆さんも同じ思いであろう(笑)。1
00年後の教科書には載らぬとも、城山さんのような小説家が現れて、100年前
の、2大政党とはいったいなんぞやというここ一年の野田解釈を、広く未来の日本
国民に知らしめてくれるであろうことを期待する。
さて新政権。願わくば、野田さんが自民党に移籍・・・はさすがに無理があるだろ
うなア。安倍さんは前回に比べると、武士らしきお顔になっておられる、期待。キッ
クオフの組閣、まずはとても面白かった。暫くは、力強く数点の政策にフォーカス
した政策をお願いしたい。1)外交、2)財政、3)憲法。これだけで2,3年は
あっという間だ。
1) 鳩山さんが日本の国際的スタンディングをまったく不必要、不如意におとしめ
てしまったあたりを、極東に位置するユニークネスを最大限に活用し、1年かけ
て回復。四半期に一度は、うるさがられてもワシントン参りじゃ。これをしない
と、安倍さんの理想では防衛費がどんと増える。そんな金は孫にもない。経費なん
ぞはタダみたいなもんじゃ。とはいえ、6月までは対アジアは慎重に行かねばなる
まいが。
2)野田さんが確保してくれたVAT財源をいかに使うか、または使わざるか。政局
的には、来年6月までちょっぴりばらまくは手はあるが、6月以降はみなしっかり
と観ておるよ。一国内の政策でデフレを万全解決できるような時代ではないのであ
るから、やはり1)がプライオリチー。オバマさんに、円高がUSAに不利になると
いうストーリーを無理やりつくるは・・・無理があるかもしれんが、90円までは、
見てみぬ振りしてもらうような外交が肝要。92円になったら逆に日本政府が円買
いするよ、位の前フリ演技は無論必要。
3)これはまず平和に参院で勝たねばならぬなあ。その頃、支持率は大分落ちてい
るであろうが、解散ちらつかせて(実際にやってはいけない)でも進めねば、なん
のための2次内閣か、安倍さんの集大成じゃ。多少腕力をちらつかせてでも、もう
オフィシャルなカタをつけねば、老大国日本のスタンドする位置はずるずると後退
し、国際的雑魚あつかいになるは10年かからん。英国キャメロン首相あたりとの
良きお付き合いは、国際世論を味方にするための鍵となるやもしれぬ。日本は極東
という物理的な位置を最大限に活用しながら、外交的にはそこから1,2馬身ほど
欧州(老国クラブ)よりに身を置き、更なるアジアの変わり種になるべし。
---
安部政権、右傾を心配するむきがあるそうだが、そもそも偏っていたあたりを国際
標準に調整するだけのことであり、心配するほどのことでは無し。
December 25, 2012
Merry Christmas 2012
いつぞや WII というゲーム機の事をここで書いたように記憶しているが、これ
を仕入れた頃は、やもめ暮らしであった。最近5歳の長男が、この白いのはいっ
たい何だというので、そういえばWIIがあったなあと数年ぶりに電源を入れてみ
た。マリオカートというゲームで遊ばせて見たところ、下手ではあるが結構いけ
る。光陰まさに矢の如しかと思いつつ、新しいゲームなんぞはあるかいなアと、
午後からそろり街へ出かけた。彼もついてきた。残念ながら面白そうなのが全く
無い。もう新作がでるようなゲーム機では無いのだろう。ところが拾う神あり、WII
Sports というのが在庫にあった。これは WIIの一番最初のゲームソフトであり、
名作である。以前持っていたが、立つかたたぬかの頃の小さな長男の餌食となり、
傷だらけ、Cannot read でゴミ箱行きとなっていた。早速これを仕入れて遊ばせ
てみたら、ボクシング・ゲームをたっぷり1時間、飽きもせずにWII コントロー
ラを汗だくになって振り回していた。5歳の坊主を翌日筋肉痛にできるゲームは、
名作以外のなにものでもない。
さて師走。1年をふりかえってみることが必要だとすれば、振り回された年だっ
たなあと思う。決して根から能動的な者ではないので致し方なしとも思うが、少
々不甲斐ないなあとも思ったり。路線を変えてみようかなどと思うが、50にも
なればそうひょいと変われるものでもない。天に任せるが良し、さほど無理せず
来年もじわじわと動くのがよろし。それにしてもここ数週間、就寝時間 + 2時間
(飯・便・風呂)以外は、これ全部仕事、という日々が続いていたので、この生
活をそろそろオシマイにし、暫く冬眠したいと思う。即ちクリスマスでもあり、
酒でもかっくらってだら~と年末年始を過ごしたいなあと思っている。英国は雨
の時期なので、南国にでも行って太陽にあたりたいなあと思っていたが、仕事で
うだうだしているうちに、もうチケットなんぞ全く無いそうだ。やはりかっくらっ
て寝るしかない。理想的な父親像とは全く反対側のオヤジがそこにべろりと寝そ
べっているだろうが、天の意思とは、だいたいそんなところにあるのではなかろ
うかいな。仕事とは単なる自己満足である、とまではまだ誰にも言われたことは
無いが、言われてしまったときにどう答えられるかを、正月のだらだらの課題に
しようか。
メリークリスマス & 良いお年を。
August 26, 2012
Border Agency Audit
たまには役に立つかもしれないノウハウを記そうと思う。最近、Border Agency
による外部監査が実施された。その内容は、おおむね以下のようなものであった。
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UK内オフィスの数と各アドレス
全社員数、スポンサー制にてVISAを取得した社員数(以下の監査はこれら社
員が対象)、フルタイム・パートタイムの割合
保管しているパスポート、VISAのコピーを提示せよ
パスポートやVisaのコピーの取得・保管方法、及び、これらの期間切れをど
う処理しているか述べよ
欠勤の際のプロシジャーを述べよ。また、最近の欠勤一覧表を提示せよ。
年間の有給休暇日数、および、病欠や特別休暇等の規定を述べよ。
社員の最近3ヶ月のペイスリップのコピーを提示せよ。
規定している社員ベネフィットがあれば述べよ。
採用時に実施したユーロ内での求人広告のコピーを提示せよ。
社員の自宅住所 をどのように保管しているか、また移転の際のプロシジャーを
述べよ
スポンサーにてVISAを取得した社員が辞職した際のプロシジャーを述べよ
その後、実際の社員と10分程個人面談。Are you happy with the company? と
いう質問もあったそうである。
---
これで3度目の監査。その目的が大体見えてくる。
- スポンサー制にてVISAを得る際に提出した各種書類に虚偽が無いこと、
または取得後に発生した事象があった場合でも、それらが取得時の条件を満たし
ていること(年俸が下がるとポイントが減る等)。
- ゾンビ社員が存在しないこと。マネジメントが社員の出勤・欠勤、仕事場所、
自宅住所(履歴を含めて)を常におさえていること。
- Boder Agency への定められた(辞職時等)報告を実施していること。
監査内容は、いずれもリーズナブルなものであり、普通にHRを経営していれば、
日々実施しているものであろう。しかし、ものごとが監査対象になると、実施して
いることの証拠を提示できる仕掛けを、常に走らせておく必要がある。これを怠る
と監査官の面前で、書類やファイルを探したり、結局時間切れ、などという事にな
る。情報はなるべく一元管理して、その availability を高く保ち続けるが良い。
ちなみに当社では ExHRというITシステムがその役割をはたしている。社員情報デー
タの保持、変更、履歴、パスポートやVisa期限切れの自動警告、欠勤申請、承認、
一覧表、等々を即時に提供する。監査官、にやりとしていたが、ずばり、"List
for Border Agency"というボタンもある。これ一クリックで、上記の半分近い監査
対象を説明できる。上記監査中、書類での提示はゼロ、全てプロジェクターを使用
してエビデンスの提示を行い、個人面談含めて1時間弱、Aの100点を頂いた。
自慢話は見苦しいが、ExHRは当店のSME向け商品でもあり、宣伝させて頂いた。大
変シンプルかつ重宝な一品、ぜひお試しいただきたい。
March 15, 2012
Wireless
明治の、どうだろう、10年前後に僕が生まれていたら、というやっ
てはいけない過去完了時制に対する if をしばしば夢想する。無論、
十中八九どうにもなっていないことではあろうが、万が一の当たりを
思ふて、あれこれ空想するが博打を打つ者の常である。
木村駿吉という立派な無線技術者がおった。ひと昔前にアマチュア無
線などを楽しんだおじさん・おばさんであれば、誰もが知っている物
理学者。1890年代後半、アメリカに渡りエール大学で学んだという国
際派は、その後、日本海海戦における、合戦前・及び合戦中の、無線
技術による情報伝達、という世界的な最前線の技術を駆使しての情報
インフラを設計し実装し、実戦に役立てた。実に偉大な功績であった。
司馬遼太郎さんの’坂の上の雲’では、合戦が終わったあとに、秋山
真之がわざわざ礼を伝えに訪ねたと、いう司馬さんならではの、技術
というものを尊重した名シーンがある。
それ、当時紅顔の青年であれば、木村駿吉氏の直弟子のさらに助手ぐ
らいにはなれなかったであろうか、と思ふわけである。歴史には残ら
ぬであろうが、木村氏の実験を一手に引き受けた精鋭の若手技師が研
究所にいた、とか、それ位の記述には引っかからなかったかなあと夢
見る。その仕事はとても面白く、寝食・人間関係は二の次、ぞっこん
突っ込めていたであろうことは、自分の性格から容易に予想できる。
モノを創るということを、幼少のころから楽しんできた。明治ではな
く、現代のようにモノが溢れていても、どこかに隙はあると思う。王
道ではなく、隙ぐらいしか狙えないあたりが、現代のつまらなさでも
あるが。
初めて社会人となったとき、ある会社に丸3年間お世話になった。技
術的にも社会的にも、様々な勉強をさせて頂いた。一度雇ってもらっ
たからには、その組織の利益に貢献する前に去るは卑怯である、とい
うポリシーは学生時代のバイト生活を通じてすでに僕のものになって
いたのだが、きちんと納得できるほどの利益を貢献する前に去ったこ
とは、まことに申し訳ないことをしたと、今でもしばしば思い出して
は悔やむ。木村駿吉氏は、海軍を退任後、日本無線電信電話会社とい
う組織の取締役に就任された。その組織は、僕がお世話になった会社
の前身にあたる。
March 04, 2012
Guitar
歌がうまいなあとか、重いドラムスだなあとか、音楽はこれ、演る方
も聞くほうも何千何万の違ったセンスがあって、芸術としてもビジネ
スとしても、この世にうんと永く存在し続けるだろう。
7,8歳の頃だと思うが、なぜか父親が母親のバースデーにガットギ
ターをプレゼントした。TAB譜もついていて、”さくらさくら”がその
一曲目だった。音楽というものを意識しはじめるきっかけになった出
来事だったかもしれない。金に余裕のある家庭ではなかったが、音楽
というところでは、贅沢をさせて貰った。物心がつく頃には、コロン
ビア製のステレオがあった。年に1,2度は音が出なくなり、電気屋さ
んが来て真空管を交換する。古い真空管の処理は僕が(無理やり言っ
て)係であった。単に、思い切り向こうに投げるのである。着地と同
時に、パンッと乾いた破裂音がする。抜群に楽しい行事だった。
CDは当然存在しない時代。クラシカルのLPが大多数だったように
思うが、僕はもっぱら母親の好む、エルビス・プレスリー、トム・ジョー
ンズ、ベンチャーズ、越路吹雪(?)、などのLPを何度も何度も聞いた。
母親は小さな僕の手を引いて、エルビス・オン・ステージなどの映画
にも連れて行ってくれた。そしてベンチャーズのコンサートにも連れ
ていってくれたのだ。1970年前後と思うが、僕のふるさとにある函館
市民会館にも、彼らは来てくれたのである。それまではヴォーカルが
無く楽器だけというので、さして気合をいれて聞いていなかったが、
コンサートは実に強烈そのものであり、一気に楽器演奏の世界に興味
が移った。年上のお兄さん達にはフォークソング全盛の時代だった。
なので吉田拓郎さんのアルペジオを勉強してギターというものを本格
的にはじめたが、同時にラジオで洋楽のみのトップ10音楽番組を兄
貴に教えてもらい、これを聴き始めた。
ここで僕は、 Led Zeppelin の4枚目の作品に遭遇してしまった。
Black Dog という、彼らの残した作品のトップと言えるかどうか分か
らぬが(あまりに名曲が多い)、ヒットしたシングル。ここで電気ギ
ターに行くは当然の帰結であるが、とはいえ、Zeppelin というのは演
奏するには技術的に全く楽ではない。なので、現実のバンドでは、矢
沢永吉さんのCarol とか、キャンディーズや演歌等を演奏し、小銭を
稼ぐ数年となった。
その後上京。仕事をしながらバンドは続けていた。オリジナル曲を作っ
たりして、もしかしたら吉祥寺とか高円寺のライブハウス位には出演
できるのではないかと本気で、実に本気で思っていた頃、ベンチャー
ズがたまたまラジオで流れた。キャラバンという曲だったと思う。自
分には、楽器演奏でメシを喰うような実力は無いと、はっきり覚った
瞬間だった。同じ曲を何度聞いても、なにを感ずるかは、その時々の
感受性で大きく違う。楽器に行こうと思ってから、楽器は無理だと思っ
たこの間、ちょうど10年程の年月が流れていた。
とはいえ、我が家に現在、Gibson社の Les Paul というモデルのエレ
キギターが一本鎮座している。木目がとても綺麗なものである。まっ
たく弾いてはいないのだが、なぜだか年に1,2度は弦を全て新調す
る。
February 20, 2012
Up
例によって新しい映画ではないと思うが、 Up というディズニー映画
を最近子供と共に観た。ここのBlogサイトにはアンチ・ディズニーが
割と多いのだが(笑)、なかなか面白かったよ。亡き妻と共に夢見た
遠い絶景の地で持ち家。立ち退きを迫られた都会の持家を、独り者と
なった爺さんが、一瞬のひらめきでもって、多量の風船で一軒まるご
と空中に浮かばせ移動して実現する、という楽しいアドベンチャー物
語。
実際の家一軒の重量というものは、いかほどのものになるものか見当
もつかぬが、ヘリウムガス風船を千個つなげようが1万個つなげよう
が、現実に浮かばせることは不可能であろう。
ところが、僕とその家族の現在の居住空間は、似たようなものなので
である。何十年も地上3階建ての建築物であったものに対して、地下
階を数年前に追加した結果の地上1Fと地下1Fを跨ぐもの。昨夏に
は、通りの別の建物で、同じような工事が始まり、数ヶ月には無事完
成した。時々そろりと横目で現場を眺めていたが、実に興味深いもの
だった。
安全な橋を作るとか、鉄塔を建てるとか、同じ技術屋であっても、電
子回路やソフトウェア設計屋からはまったく見当がつかないスケール
の仕事をされているのが建築・土木の設計屋さんであり、シンプルに
感心するしかない。かくして建築工事現場の見物は、僕の楽しみの一
つとなっている。
地上階を崩すことなく、どうやってその土台を補強しながら同時に地
下を掘って新しい3次元空間を創造するものか、その段取りは緻密な
ものであろう。地震がある地域とそうでない地域では、その強度基準
も費用も大きく違うであろう。工事の最中に地震や水漏れが発生する
というリスクも、無論計算済み。いずれにしても、はじきだした強度
設計や安全係数には、ほぼ絶対に近い裏づけが無いと、そうそう安易
に着工できるものではないだろう。万一、家が崩壊したら人が死にま
すからね。ちょろちょろとしたIT関連の設計の世界しか知らない僕
には恐ろしく、大したものだと思うしかない。人命の関わる医療関連
のサイエンティストやその関連IT技術者さん達も、毎日胃を縮ませ
ながら仕事をされていると容易に想像がつく。本当に、ご苦労様とし
か言い得ない。
この映画では、ちょっと頑固な独り者爺さんと、たまたま知り合いに
なった太っちょのアジア系少年が主役である。このプロットは絶妙で
あり、 "Up" という明るくポジティブな題名は、とても良いと思う。
しつこくなるが、明るく行きましょうや。
February 16, 2012
Writing
タッチタイプの有用性を以前書いたが、僕の愛する日本の小説家で、
原稿をキーボードで叩いている方は、まずおらんだろう。というか、
悲しいかな、おおかたすでに死んでしもうた。保守化ということも以前
書いたが、読み物も典型的なその対象であり、文学ということでは、
ここ何年も開拓が無いに等しい。日々のにぎやかなニュースも日経だ
けは読むようにはしているが、まったく面白くない。疲れた目で寝る
前の数分読むものといえば、マキャッベリであったり、なぜか技術書
のソフトウェア作法とかプログラム書法など、いずれも古典ばかり。
これら著者達を永遠の思想的友人と勝手に思いこみ、幸せな気分で床
に入る。もしタイムマシンがあったら、おいしい葡萄酒でも手みやげ
に、ピスタチオでも齧りながら、ゆるりと彼女・彼らの薀蓄をお聞き
したいものである。
こうしてブログなどで、駄文を起こす者にとって、筆一本でどうして
その長大な起稿なり推敲なりをされておられるのかと、畏怖さえ感じ
る。作品群が素晴らしいだけに、彼女・彼らの文章に関する直感力に、
ただただ恐れ入る。僕にも、少年のころの遊び作りや、社会人になっ
てからの電子回路・システム設計、ここ10年の起業・企業仕事など
を通じて、ゼロからモノを作りあげることの苦しみは多少共感できる
かもしれないが、まったく比較にならない、そして永遠に残るであろ
う質の表現を生み出すのが文章のプロ達である。だからこそ、人を
moved させ、広く知られるということになるのであろうが、いやはや
同じ人間でありながら・・・と驚嘆するしかない。
しつこくなるが、寝る前に同じ小説やら歴史モノを何度も読む。これ
は、TVの水戸黄門シリーズ(残念ながら最近終わってしまった)に
似て、ハピーエンディングが完全に分かっているという保守的な安心
感があるのかもしれないが、実はそうでもなくて、何度も何度も読み
返すマキャッベリの一行に対して、覚える共感の度合いとか、僕のま
わりの現実に照らしてみた例とかが、毎回違うのだから面白い。良き
書き物とは、読み手のそうした毎日の心理の違いでさえも前提にして
工夫をされているのかと思うと、その深さにゾッとする。無論、例え
ば僕の敬愛する塩野七生さんなど言わせれば、あなたプロに向かって
馬鹿言わないでよ、などと一蹴されるのであろうが。
January 22, 2012
2012
新年早々、仕事で急遽一週間ほど東京へ出向いた。年々時差ぼけがひ
どくなっており、ホテルで真夜中に長い時間仕事をするはめになる。
12平米のシングル部屋はキツイので、こたびは銀座にある、多少広
めの部屋を持つホテルを試してみた。スーツケースをジャンプする必
要は無く、客層は穏やかなのか、真夜中に大声で歌いながら部屋に入
る兄ちゃんはおらん。ワイン屋は徒歩10秒、コンビニは徒歩1分。
良し、気に入った。今後も暫くここを利用することになるだろう。
歳を重ねると共に保守的になってきているのがわかる。一度良しと思
えば、それ以上の事はどうでもよくなってしまう。これはよくないと、
思ってはいる。四歳の長男は好奇心の真っ只中、天下一のいたずら坊
主の称号を最近両親から授与された。家では日本語の長男が、英国の
幼稚園で覚えてきたセンテンセスは、"Sit down!" と "Go away!"であ
り、先生や同級生に shout されている図が浮かぶ。他方これはうらや
ましい限りである。何事もやってみなければ、という意思はあるのだ
が、坊主の名誉とはもう比較にならぬ。
枯れたオヤジの回想録となるが、若い頃は、ここに書くは躊躇すべきこ
とも含め、どっぷりと突っ込んでいくという興味の対象がたくさんあっ
たなア。小学時代、新聞店でのバイト給料(不法なるも時効)は、フィッ
シング道具や音楽関連につぎ込まれた。小さなステレオを月賦で仕入れ、
LPを買い、直ぐに擦り切れる高価なダイヤモンド針を替えた。中学
になると、自転車の大改造と洋服(アイビーが流行した)。高専時代
は、サッカー、バンド、アマチュア無線、そしてオートバイ。無論こ
の間、女の娘などは大いに含まれる。中学時代にアマチュア無線資格
を既に取得し、かつ英語が多少できるという、とんでもない男が同年
にいた。これはやらねばと思ったが、20年かかって後者を含めなん
とかした。凝り性ではあったと思う。これら道楽は全て金のかかるこ
とであるが、親の説得やバイトやパチンコ(これ重労働)を通じて、
交渉や仕事をして収入を得る面白みを10代で体ごと知ることができ
たのは、実におもしろきことであり、これらはその後の僕の仕事論に
影響しているのであろうかなあ、と思う。
歴史小説に出てくる50歳前後の偉人たちは、取り掛かっている仕事に
ドップリ浸かっており、道楽の時間は無いように読める。とはいえ、道楽
につながる好奇心とか探究心は、持ち続けていたのでは。これがないと
石頭となり、暮らしが暗くなる。
51度目の正月。時差ぼけをはじめ、さまざま衰えるところが多いの
は自然のいたすところ是非も無し、せめて気の持ちようでもって不自
然にでも若返るべきところは、意識して活を入れていこうと思う。謹
賀新年、とにかく明るく行きましょうや。
December 31, 2011
New Year's Eve
大晦日の朝は少し二日酔いと少しの寝坊、子供達に起こされ、近所の
Battersea Park Children's Zooで猿やら豚を見学したが、彼らはその
後、play area でそのまま豚か猿と化していた。砂だらけで濡れた服を取
り替えてから、昼食はこれまた近所の Cho-san にて。カツ重が美味かっ
た。
午後はゆっくり家でシャンペインをいただきながら、日本のTV番組、
ゆく年くる年をリアルタイムで観た。今年の春先、面白い仕掛けを作っ
てみた。日本のテレビ番組をUKで楽しむというものである。日本のど
こかにPCを置き、テレビのアンテナ・チューナーを接続し、UKから
(または世界どこでも)インターネット経由でこれをダウンロードした
り、リアルタイムのストリームで観るというものである。事業ではなく、
個人が番組を楽しむ分には、今の法律はそう煩いことは言わぬ。当仕掛
けでは、日本でのTV受信PCは函館市に存在している。この為、東京
で見れる番組が、たまに番組表に無い、というマイナーな問題があるが
(日曜の時事放談など・・・)、家の者たちにとって、無くてはならぬ
ものとなっている。しかるに、家人達に唯一褒められるのは、IT(情
報技術)に強い、ということであるが、それは30年来の僕のビジネス
である。弱いというわけには参らず、なんとも情けないことではある。
12月は、我が家ではどちらかといえば凶である。僕は、患者として病
院のベッドで一晩でも過ごすということが皆無である運を持つが、4歳
の長男は既に2度それを経験している。それらがどちらも12月。二度
と起こって欲しくないイベントだった。そもそも、4年前のクリスマス
前後に生まれてくるべきだった彼は、その時期を嫌ったか、7週早く1
1月上旬に出生の日を定めた。そんなこともあり、12月に入るや警戒
レベルをイエローに引き上げ、そろりと師走を過ごしてきた。おかげさ
まで、あと1時間で無事12月も終了だ、ありがたや。TVはBBCあ
たりに切り替え、寝酒のポートワインと共に、恒例のNew Yearどんちゃ
ん花火を楽しもう。
December 30, 2011
Governance
他方のスキャンダルだが、こちらはそう簡単ではない。
最近のニュースでは、旧トップが事の了承を認めたとある。それ以前
には、関与を否定したとあった。組織のトップが、これほどの粉飾を、
自分の知らぬところであったと発言することは、自らが、その資格停
止を宣言すると同じであろう。知らぬところで発生した、だからトッ
プとしては責任は軽い、という考えでの発言なのであれば、それは驚
かざるを得ない。部下や社員の皆さんには、まことに気の毒なことで
ある。
たたき上げで社長まで登りつめたということは、無論大きな功績を何
度も上げてきた、戦略も実行力も優れた方であろう。どういう気持ち
で数年IRを実施してきたのであろうか、心中穏やかではなかったで
あろうが、その行く末に、子供だましのような発言と共に、社長9年
間、70歳で刑事事件の中心人物となってしまう。なんとも言えぬ、
あまり聞きたくないストーリーである。名こそ惜しけれ。
城山三郎氏は、企業のトップ、長くても6年がよろしい、と。一般論
を引き出すのは少々荒っぽいとは思うけれども、大いにうなずいてし
まう、さすがのご識見。大企業のような多くの人材を持たぬ中小企業
では、相当な難しさはある。実際はさておき、それでもポリシーとし
ては、起業当初から持ち続ける事に意義はあるはずだ。なにしろ、世
代交代も視野にいれ、うん十年単位での持続性をポリシーとして持ち
続ける者にとって、順法は、これ最低限。一時的な非営業利益の為の
無用なリスクは取り得ない。
December 22, 2011
Governance
僕の名前は吉田卓弘と書く。父親は国語の教諭であり、次男のはちょ
いとひねってやれと思ったのであろうか、[たく]ではなく、 [たか]ひ
ろと無理やり読ませた。僕と同じ綴りのTakahiro Yoshidaさんにめぐ
り合ってはいないが、数ヶ月前、全く同じ綴りの方、但し随分若そう
な方から、僕のFacebook にリクエストが来た。どうしたものかと思っ
たが、面白そうだったので Accept した。その後、何が起こるでもな
く、メッセージも来ないし、整理のついでに消去したが、先方も単に
なにかあるかもしれないと思ってリクエストしたものであろうか。ち
なみに、Facebookはそれを知る為にアカウントを作った。月に何度か
思い出してはアクセスする程度である。毎日数時間を費やす若者がい
るそうだ。何が面白いのやらとんと分からぬが、こうした新媒体は次
々と出現するのであろう。企業がこれらをすばやく勉強し、PRの新手
段として取り組まねばならぬのは明白であることはよく分かるが。
2年前、長女の名前を決めなければならなかった。その読み音(即ち
英語表記にもなるが)は、わりとすんなりと決めたが、日本語での書
き表記に悩み、結局2文字のカタカナのままで大使館に登記した。僕
の祖母は明治生まれで、[コト]という、なんとも可愛らしい名前だっ
たが、その体系。良い漢字が見つかったら、変更すればよろし。と思
っていたが、これを彼女の祖父、即ち僕の父親に伝えたところ、名を
変更するのは、相当な理由がないと無理であろうという。知らなかっ
た。長女が将来、どの国で永く住むことになるものか、見当もつかぬ
が、それが日本であった場合には、名について多少珍しがられるであ
ろう。父親に似て字が下手だったら、カタカナで計4画というシンプ
ルさが襤褸隠しにはなるかもしれないけど。
まあ、名前なんぞは背番号みたいなもので、なんでもよいと思う。4
9番でも打つ人は打つであろう。数年前に長男ができたとき、画数云
々という事を言うてくれた人もあり、少々インターネットで勉強して
みた。苗字を変えるわけには参らぬから、さっそく尊敬する吉田茂や
吉田松陰の画数を調べたところ、ほぼ最悪の姓名判断結果であったに
て、考慮に値せず。結果、長男は英語で3文字、漢字では1文字、そ
の画数は3。数字を覚えるのに桁数は少ない方が容易であろうが、似
たようなものであろう。父親の勝手な視点では、気に入っている名で
はある。
さて、名こそ惜しけれ。無論、一個の人格を指しての惜しけれなので
あって、その名がトニーであってもタカヒロであっても、そんなこと
はどうでもよい。昔の日本の武士階級の人々が、男も女も子も、かく
仕事すべし、かく生きるべし、というポリシーを示したものである。
人の上に立つ人々の中にも、大いに勘違いしている輩、昔もかほどに
多かったのであろうか。すなわち、名と職位をあべこべに考える。職
位こそ惜しけれ、そして、惜しけれの意が180度反転している。肩
書きに恋々とし後世にゆずらぬ、地位を乱用して公の資産を私の資産
に移動する等々、話題に事欠かない。丹羽中国大使の受け売りだが、
そんなに地位が大事なのなら、毎朝たすきを肩にかけて、私はどこぞ
の社長であるとか、どこぞの元頭取だったと大書してモナコのカジノ
街あたりを歩けばよい。なにが面白いのだろう、全く分からぬ。
ガバナンスという単語を新聞などでよく目にする。カタカナで書いて
しまうと、日本のメディアの使い方からか、順法性を主に指すような
印象を受けるが、本来は広い範囲での”組織統治全般”にあると思う。
軍隊でいうと、”左翼がやばい、援護!”とトップが号令すれば、参
謀が、”中央後方転換、リスクはB”、”よしっ、やれっ”と、トッ
プの判断が前線の兵隊まで迅速かつ正確に行き渡り、かつ実施できる
組織のありようが、強いガバナンスの指すところだと思う。企業も同
様である。”ここ3ヶ月、事業Aは多少手抜きで良し、事業Bにフォー
カス!”。”世間に説明できぬような、ぬるいことはするな!”。トッ
プの意思が前線部隊まで、いかに効率よく正確に伝達され実施される
か。どうそれを計測して素早くPDCAを回すか。様々な組織論がトップ
の頭を悩ますわけであるが。
会社組織のガバナンスでは、取締役会がその組織を統治することが最
初の仕事。今話題になっているカジノファンが元会長だった会社組織
のガバナンスは、きっと平均以上の強さを備え、運用しているのだと
予想する。その一部事業の圧倒的シェアが物語っている。問題は、取
締役会自体を誰がどのように統治するか、というところにある。現代
の年一度の株主総会はワークしないことは事実が物語っている。社外
取締役とか委員会設置会社などという手段もあるが、これを決定す
るのはトップである。名こそ惜しけれという意思を欠いた者がトップ
に着くことから、こうした事件が発生するのだから、解決の本筋には
なれないだろう。日本男児の末席に位するもの、このような子供じみ
たスキャンダルを世界に発することは以後皆無としたい。第一歩とし
て、名なぞ惜しくないという人物を上場企業のトップに据えることを
日本国では断固違法とした、とはできないか。上場会社または売上ウ
ン十億以上の企業では、法律でもって世襲を禁止。優秀な2世だった
ら、他の会社でも出世し、会社や日本国の為に良き仕事をしてくれる
であろう。
December 12, 2011
Jet lag
1990年1月、はじめての欧州、ロンドン・ヒースロー空港行きJAL機に
乗っていた。前職でお世話になった会社への入社面接が目的だった。
当日のロンドンは記録的な大嵐。ひどい風でなかなか着陸できず、パ
リにリルートするかもしれないという機内アナウンスが日本語であっ
た。ちなみに当時、英語は全く解せない。空港上空で、滝のような急
降下・上昇を1時間半ほど執拗に繰り返し、飛行機というものは、か
ほどに残酷な揺れを持ってしても翼が折れないものかと、青い顔をし
ながら妙に関心していたが、暫くすると周りの乗客の女性・子供達の
悲鳴と共に、Terminal 3 に着陸した。 Landingの刹那、機内では乗客
の拍手が湧き、その後1分ほども続いた。
BTのロンドン電話網は嵐の影響でほぼ全滅だったのだが、お目当て
のオフィスに電話が通じないのは、初めてのUK公衆電話の操作ミス
かもしれないし、コインの入れ方がおかしかったのかもしれない、そ
もそもコインが間違っているのではないか、などという、まったく外
地で左右何がなんだかさっぱり分からぬ、という状況に陥った。なん
とか事前に教えてもらったとおり、のろのろ運転の地下鉄を乗り換え
したりして、シティーにある目的地の最寄駅に到着した。ここまで着
陸から3時間程はたっぷり経過していた。ビル名(ワールドトレード
センター)しか覚えていない。道を聞いても英語は分からん。地図も
なし。携帯電話が出現するには5年待たなければならない時代の大嵐
の夜である。目的地の隣のビルに入ってしまい(当時、ワールドトレー
ドセンターは二つのビルからなっていた)、その中を1時間もあちこ
ち歩いた末に、これは何か違うな、などと相当勘に頼った試行錯誤で
あった。O型というのは、予め地図も用意しない良い加減なのだが、
結局は何とか仕上げる、という能力は多少持っている。
勘を評価いただいたのか、その夜、社長さんにさっそく合格を頂
戴し、社員の皆さんにどこぞのイタリアン・レストランに連れて行っ
てもらったが、なにを食うたらよいものか、英語のメニューを将来の
同僚さん達に説明して貰い、なぜかウナギを頼んだが、半分喰ってあ
との半分はその場で寝ていたように記憶している。29歳の新入社員、
現地採用の日本人は僕が初めてだったそうだ。
初欧州の洗礼は、これだけでは終わらない。2泊後の帰路、飛行機が
故障して飛ばなかった。空港近辺のホテルで一泊となったが、これも
英語のアナウンスが多く、なんだか左右さっぱり分かん。金魚の糞を
実施、なんとか航空会社が手配したホテルに宿泊し、翌日午後のフラ
イトに乗ることができた。当時若かったが、それでも、わけのわから
んことにとにかく疲れた。東京のアパートに帰宅後、20時間ぶっ通
しで寝た。これ、運が良いか悪いかとなれば、初の欧州行きでこのよ
うな経験は、そう得られないであろうから、大吉。
---
ロングホールによる時差ぼけというのは、歳をとると共に厳しくなる
と思っているが、そうでもない方々もおられる。東京から先ほど飛ん
でこられて来たこの年齢の方が、なぜこんなにお元気なのだろうとい
うケースは多々ある。残念ながら僕は前者の典型であり、最近では筋
肉痛と同様、3日目が一番きつい。夜、多少のワインを飲んでから遅
めに寝ても、夜中の2時、3時に目が覚める、というような程度のも
のではなく、完全なる覚醒である。是非も無く、うだうだ仕事をする。
その質は無論貧弱。漸く目が疲れてきた朝の5,6時位に2度寝に入
るが、その後2時間で出社の時間となる。これが完璧に晴れるまでに
は、まず1週間はかかる。ところが、その時点でそろそろ帰国となる
ので、逆の同じことが、今度はロンドンでまた起こる。
時差ぼけフリー、かつ超高速な移動手段を発明していただきたいなあ
と思う。酔うといつも同じ事を言出だすが、飲み相手も同様。大体は
地球に縦穴を空けてカプセルでシューっと、という現実性のない貧弱
かつ柔軟性の全く欠如した空想となる。昨年は11月に大雪の降った
ロンドンだが、今シーズンはまだ無い。とはいえ師走に入り、冷たい
風の強い日が続いている。皆様、風邪などめされぬように。
December 06, 2011
Kanji
長らく日本を離れて英国なんぞに住んでいると、東京出張の際にどう
しても気をつかう。タクシーのドアを自分で閉めてはいけない、相手
に酒を注がねばならぬ、リフトでは女性を背にして出たほうが無難等
々、意識をせねばならぬことが多々ある。電車で肩がぶつかったとき
に、反射的に sorry と言ってしまい、たいへん嫌な雰囲気をつくっ
てしまうことなどは、海外土着組の共通の課題であろう。日本で20
年生活している英国人の知人を持たぬが、一度、そのような人とゆる
りと酒でも酌み交わしたいものである。差すのを忘れるのは、無論僕
の方であろう。
気疲れなのか時差ぼけなのか、東京で飲むと普段より酔いがまわる。
心地よい睡眠をブレークされた時、それがタクシーの中であることを
理解するのに1秒かかった。2秒後には自分が何処にいるのかを忘れ、
"What did you say?"。3秒後にその失態に気付いたが、あとに戻れ
ずそのまま通し、Thank you といって下車した。乗ったときには”新
富町のなにがしホテルまで御願いします”と函館なまりの日本語であ
ったろう。運転手さんは狐につつまれたようであったろう、まったく
申し訳ないことをした。
こうした海外ボケ防止もあって、なるべく母国語の新聞や小説を読む
ように心がけている。いや、活字中毒ほどは行かぬまでもそれに近い。
成田空港で最新の文芸春秋を手にいれてからバスに乗りこみ、塩野さ
んのエッセイなどを夢中で読みながら、気がつくと一瞬にして都心に
入っている。至福の時間である。
読むぶんにはまず問題ない。プロの文章家の句読点の打ち方に文句を
つけたくなることもたまにはある。だが絶対的に漢字を書けなくなっ
てしまった。いま”一瞬”という単語を使ったが、ワープロのお世話
になっているだけであり、自分の手では書けるのは、”一”の方だけ
である。しかし、その回復とか勉強は、今時間を割けられる分野では
なく、当面は是非もなしと諦めている。壁に貼られた級友の作文かな
にかの流暢な文字をまのあたりにし、こらあかんと諦め、書き文字と
いうものは自分だけが後に記憶をたどれる程度で十分と、勝手に決心
したのは確か小学5年生の時だったと思う。その後幸運なことに、P
Cやワープロというものが出現し、僕の決心を裏付けてくれた・・・
とは思わないが、漢字を書けなくても、いまのところ大いなる不便は
ない。ないが、恥かしい思いをせねばならぬのが、結婚式とか、ホテ
ルのチェックインとか、公衆の面前で漢字を書かねばならぬ際である。
かくして僕にとって、やはり東京はある種の緊張を迫られる場所になっ
ている。
October 04, 2011
Cold Turkey
節目とは良く言ったもので、自然科学的には殆ど意味が無いのだろう
が、それ、怠惰な僕のような人間にはそうしたイベントが、しばしば
行動のトリガーとなってくれる。
今月は二つ。当社の10回目、および個人の50回目の誕生日を迎え
たこと。
前者だが、特別な感慨は無い。SustainAbility などと偉そうなこと
を言い続けてきた。今でも判断のポリシーの第一はそれである。たか
だか10年でどうこう言う筋合いは無いであろう。最初の小さな1ユ
ニットを、まずはサバイブしたぞえ、と言う位の気で、永く顧客に愛
される組織を維持せねば、いまだ吹けば飛ぶような組織である。せい
ぜい励み続けなければなるまい。
後者は、それほど単純ではない。人が死ぬれば、その将来は死の刹那
に消滅する。将来やるべきこと、いや、確実にやらねばならぬものが
在ると信ずる者にとって、死ぬることなくそれに向かって前進を続け
られたと思えば、それはなかなかのものである。まさに、ありがたい。
以前、運のことを書いた。努力による運、全くの偶然による運。ヘル
シー的には大分お茶目な3、40代を過ごしてきた者にとって、50
年間死ぬることなく過ごせたことは、神仏に頂戴した運がよほど良かっ
たとしか結論付けられない。他方、運によりかかるものは、運によっ
て滅びることも歴史的事実のようであり、そこのところが、実にヤバ
イと思っているこの頃である。簡単に言うと、酒とタバコという悪友
達から、少し距離を置いた付き合いをせねばなるまいだろうなあ思う。
(こういう表現に意思の弱さが表れるなア)
ここまで書いて、いつもの半分程に量を減らした(本日)最後のタバコを
庭でくわえていたら、天から声が降りてきた。”オッサン、10年前の誕
生日にも、同じこと言ふてたで”
August 27, 2011
Realism
吉村昭さんの”三陸海岸大津波”が好評だそうな。氏の小説はみな読
んだと思っていたが漏れていた。東京の書店で平積みの一冊を入手、
うわさどおり素晴らしい。その最初の一行から最終行までの組み立て、
乾いた文体。最近、日経新聞のコラムで、文芸春秋社が臨時・吉村昭
特集号を出版したこと、さらに同誌の広告で生前の氏の講演会CDが
発売されていることを知った。両者、どうにか手に入れねば末代まで
の恥。
敬愛する歴史小説家のみなさんは、おおかた死んでしもうた。寂しい
かぎりである。ご存命であったら、こんにちの我々をとりまく経済状
況、政治のことなど、どう考えどう表現されるであろうか、などと儚
き事を思う。彼・彼女らは共通して、事実・史実の重要性を説き、そ
こから逃避したくなる感情がどう危険につながるかということを、ペ
ンでもって、静かに、そしてドライにあらわし続けてこられた。
現在イタリアで精力的に執筆活動されている塩野七生さんは、200
0年前のシーザーに語ってもらうことで、事実を直視することの有用
さを執拗に説き続けてくれる。
libenter homines id quod volunt credunt.
人は自分の見たいものしか見ない
司馬遼太郎さんの作品群の中で、僕にとっての最傑作は'坂の上の雲'
である。そのひとつ、1905年、日本海海戦で完璧な勝利という結
果で一大仕事を終えた後に、上村艦長だったか佐藤参謀か忘れたが、
どうしてこれほどまでに勝てたのかと問われると、半分は運であろう
と仰る。では残りは、と問われると、それもまあ運であろうと。では
全部が運ではないですかと問われるや、いや、最初のは純粋な運であ
り、残りは自らが切り開いたところの運であると。
さて、日本海海戦で、さほどまでの完璧な勝負がついていなかったら
どうであったかという愚問をひとつ。両艦隊は、おのおの敵の半分程
のフネを撃沈し、敵艦隊の半分はウラジオストックにたどり着く、即
ち最悪でも互角あたりであろうか。佐藤・秋山参謀は、残存日本聯合
艦隊の総力を挙げてウラジオストック周辺を固めるべしとのPlan-B は、
無論準備していたであろう。この時点で両海軍の極東におけるリソー
スは五分五分。しかし、当時の日本外交力は、その史上最も輝いてい
た。ウラジオ閉塞、ロシア危うし、陸戦はまあそこそこに宣伝し(苦
笑)、更なる戦費を海外で調達、長距離砲をもつ巡洋艦などをどこぞ
で買い付け、明石大佐に更なる金を委ね、欧州での後方攪乱を更に進
めたことであろう。そして、史実よりはもう少々時間は掛かったやも
しれぬが、米国大統領に国際的名誉の行司役をお願いし、結局はその
国難を解決せしめたのではなかろうか。
完璧な戦略を立案した日本海軍だが、実際にいくさを始めてみると、
触雷などの、多分に自らが作ってしまった事実・悪運を何度か味わう。
彼らの強さは、事実をその判断基準の極上に置くことにあり、後年の
昭和期軍隊とはまるで別国家の組織のようである。見たくない現実を、
東郷司令長官自らが、その地位においては異常と思われるほど貪欲に
欲し、直視し、アクセプトする。悪しきは直し、弱点の強化を続けた。
短いながらも、この素心を持ち続けた運動の頂点に、日本海決戦の二
日間がぽつんと置かれる。勝つわけである。この二日間、その戦略か
らも予想しえないほど、各個の戦術が自軍に都合よく働いた。結果、
そもそも自我自賛を良しとせぬ当時の軍人達に、”運”という表現を
促すことになったのではないか。それはファクトの重みを知るものの
みが使うべき表現であって、見たいものしか見ない者がむやみに使え
るものではない。
この戦勝がもたらしたものは、残念ながら厳しいものとなった。政府
広報や新聞社という、事実をもっとも直視すべき組織群が見たいもの
しか見ないをことをはじめてしまい、そして国民は一時的痴呆状態と
なる。明治憲法は、統帥権という、事実を直視する者を前提に置かれ
た微妙なところが、その反対の目しか持てない参謀本部の都合のみに
よる解釈に弄ばれ、大戦に突入せざるを得ない状況に達し、結果、一
国の憲法自体が壊滅した。司馬さんが生涯、その馬鹿ばかしさから、
氏の小説の対象からすっぽりと外してしまうような、失われた数十年
となる。
事実を直視することの有用さどころではない。一国のまつりごとを左
右する政治機能がこれを軽視すると、3.11の100倍以上の死者を作り
上げる事態になるという、重い史実である。
June 07, 2011
Cheap Hotels in Tokyo
もっと高級なホテルに泊まらないのが悪いということであろうが、貧乏
会社の出張に一泊何万円も払えるはずもなし。1万円程度の東京のホテ
ルはチェックインの相場が午後3時。2時間前に行っても、荷物を預か
ってくれるだけで、預かるのに300円だったか取るところもある。僕
の東京行フライトは、午前9時とか10時に成田に着いちゃうから、で
きれば昼前後に都内でチェックインしてスーツケースを整理し、シャワー
でも浴びてすっきりし、いざオフィスへ、としたいところだけれど、こ
れが許されない。欧州でも他のアジアの安ホテルでも、あまり経験しな
いことである。ことさらサービス品質世界一の日本では、なんとかなら
なぬものかなあと思う。さほどにコストのかかるサービスでも無いよう
に思うのだが。
荷物預かりに300円取った安ホテルでは、部屋にはトイレだけがあり、
入浴・シャワーは地下の大浴場で、という設備であった。場所が良く、
外国人客が結構宿泊していたことがあった。大浴場から上がろうとする
と、下着をつけたまま入ってきた人がおり、おもわず脱衣所まで戻って
もらい、この難解であるかもしれない日本式を説明し、納得してもらっ
た。聞けば大学教授で、日本での学会に来ているとのことだった。なん
だか大変気の毒に思った。
東京にある当社の本社が新富町に移転し、先週の出張で初めて訪れた。
この界隈は面白い。人通りがまばらで意外であるが、銀座のすぐ隣に位
置する街であり、ぽつぽつと和服を着た女の人が歩いている。東京駅に
行くのがちょいと不便だが、有楽町線、日比谷線に乗れる。少々歩くが
蕎麦屋も見つけた。なかなか気に入っている。オフィスのすぐそばには
ホテルがあり便利だ。こちらも例にもれずチェックインは3時。3時3
分にチェックインし、喫煙室を頼んでドアを開けたら、ひゃあ、ものす
ごいヤニの匂であった。このヘビースモーカーが後ずさる程の匂いであ
る。空調が古いのであろうか、次回は別のホテルを探してみよう。無論、
禁煙してそれなりの部屋を取ればベストであることはわかっているのだ
が。
英国に戻ってその週末に、1年ぶりでテニスした。呼吸がきちんとでき
ず足がもつれるであろうことはすでに分かっていたが、噴出す汗が妙に
ヤニ臭いのには驚いた。さてさて、50回目の誕生日も目前、なにか決
心すべしや。
March 26, 2011
Risk Management
リスク・トリートメント(潜在危機への対処):これは、ある組織が継続的活動を願う際に、多かれ少なかれ、または
意識的にも無意識的にも、避けて通れないものである。例えば企業を
例にとると、社員を採用する際には履歴書を提出させ、さらに面接を
行うであろう。当たり前すぎる話であるが、必要とする職能を持たな
いとか、悪意を持った社員や、他社からのスパイ侵入を防止する等と
いうようなリスクの回避行為のひとつである。
当社にもさまざまなリスク・トリートメント・プランが存在する。上
のような常識的なものや、複数の取締役が同じ飛行機で飛ぶことを禁
止するとか、課長さん達が常に最新の緊急連絡網表を保持している等
々、考えられる限りのリスクを想像し、これらに対するリスク発生の
頻度を予想し、リスクが現実の事象となった際にどう検知できるか、
その際の被害を最小に抑えるためにどうするか、などの計画を立て、
保守し、継続し、必要があれば改良する。
もう一つ例をあげよう。当社では重要な情報データは、物理的に離れ
ている3箇所に分散して保存する、というポリシーを持っており、か
つ実施している。では、3箇所同時に重大な事態が発生し、すべてが
破壊されたらどうするか。
オシマイである。
企業のマネジメントが自己のオシマイをどこかで許容せざるを得ない
事を、ISOという国際的な品質管理標準の用語では、リスクのアクセ
プタンス(こらあもう、しゃあねえーなあ、ということ)と呼ぶ。リ
スク・トリートメントは、だいたい全て、金のかかる話である。企業
は無尽蔵の金を持つはずも無く、どこかで線を引いて、その線を超え
る事象が発生した際には、オシマイ、になるであろうことを予め予想
し、その諦めの一線以下に関しては、あらかじめ、金を使って様々な
具体的対処(これを、コントロールと呼ぶ)を行う。無論、オシマイ
にはなりたくないから、利益が得られれば、さらに金をかけてでも、
一線を高くあげることもあろうし、知恵を絞ってあまり金のかからぬ
有用なコントロールを開発することもあろう。しかし、一線を越えた
事象が起きた場合には、オシマイになることをアクセプトするしか無
いのである。
(ちなみに、こうした有事の際に、可能な限り早くオシマイが近づい
て来たことを検知し、最低線の事業継続を計画したり、素早い会社の
売却等を含めて、ステークホルダーに対して最良と思われる処理を行
うこと予め設計しておくことは Business Continuity Management と
呼ばれ、ISO25999という世界的標準がある。これはまた別の機会に)
以上、企業を例に取ったが、国家・地方自治体・学校・家庭などにも、
あてはまらない理由はない。そして、超国家的とも言える事象が日本
で発生し、その後も危機が継続している。合掌。
October 30, 2010
To be perfect is to change often
///
自民党は9日、新役員の主要人事を正式に決めた。幹事長に石原伸晃
組織運動本部長が就くなど50歳代が党三役ポストを占め、世代交代を
印象づけた。ただ、党内には経験不足から国会や政局対応を不安視す
る声がある。
///
50代のおとな相手に経験不足とは苦笑だが、仮にそれがあったとし
ても、良き方向に作用しないはずがない。英国の首相は43歳、連立
相手の党首も43歳。オバマ大統領就任時は48歳。最近決定した英
国労働党の党首は40歳。日本の政党は本当に人材が払底しているの
だろうか。年齢による線引きを外してみたら、まだ望みはあるのでは
ないだろうか。高校生の体育部みないな年次による絶対性を取り払っ
てみてはどうだろうか。
自民党のオエラさま、中途半端はもうやめて、どうかダイナミックに
党首と幹部の若返りを。何かが変わるかもしれないという期待が醸成
でき、選挙戦術としての効果も高いはずです。
さて、所変わって英国では、今夏、下院選挙戦の結果となった連立政
権が、国の支出を10兆円減らそうと鼻息荒く進めている。その手段
については無論反対意見が多々出ているが、この説得にキャメロン首
相をはじめ現内閣が全力を挙げて戦っている熱意が、僕のような在英
外国人にも伝わってくる。
なぜ10兆円減らさなければならないのかという本質は、国民にもわ
かりやすい。オズボーン大蔵相のスローガンは
"hard road to a better Britain"
分かりやすい目的を分かりやすい言葉で何度も伝える。Britain とい
う単語が聞こえると、自然にピクッと反応してしまう愛国心の強い国
民である。それをbetterにするのなら、まあ暫く我慢すんべえか、と
単純にはいかないかもしれぬが、平たく言えばそういうことで国民の
総意を国家支出緊縮へ向かわせている。
総選挙は5月だったが、はや来年1月4日よりVAT (付加価値税)が、
2.5%増加し 20.0%となる。当社でもその準備を始めたが、いやはやこ
のスピード感。
政局が安定、即ち下院選挙は今後5年間は無いという状況であるから
こそ可能な、ダイナミックな施策をスピード感を持って出せるのであ
り、政治とは本来こういうカタチでなければ、まともに進められたも
のではないであろう。
はてはて。こうしたダイナミズムからは程遠い我らが日本政治の通常
化への第一歩は、やはり思い切った若返りしかないのではないか。
To improve is to change; to be perfect is to change often (Winston Churchill)
急いで perfect にやらなければ、もう取り返しがつかない時期にき
ているのではないか。
October 26, 2010
Deflation
日本の携帯電話の進化・発達を見ていると、実に昔のパソコンのそれ
と一致するところがあると常々思うていたが。こたびは、これをまと
めてみよう。
以下は、70年、80年代に見られたPC・パソコン市場の遷移だが、
- 米国・欧州でその普及がまず始まる。
- 国際的なdefact が2、3出来上がる。乱暴に言ってしまえば、IBM
PC系(オープン系)と、今をときめくAppleの Mac 系(クローズ系)。
- 国内では、日本語という面倒な課題がつきまとうが、海外の
manufacture は日本というまだ小さな市場はとりあえず無視。国内
メーカーがこれに飛びつき、国内向けに独自路線のハードウェアや
ソフトウェアを開発し、国内で大きく普及し高利益をあげる。東京
で僕がPCを仕事で使うようになったころは、PC9801 などで代表
されるNECハードウェアの独壇場であった。
- 無論、こうしたハードウェアは、欧米で売れる要素をあまりにも持っ
ていない。こうして、国内のパソコン市場は世界的に見ると今どき
でいうとガラパゴス状態となる。
- そうこうしているうちに、国際的な defact 機で動作するソフトウェ
アの日本語化が完了する。例えば、Microsoft Windows 3.1 日本語
版、などというものが大きな功績を残した。即ち、海外のメーカー
が日本市場を特に意識しないで設計したハードウェアを、ソフトウェ
アで解決することにより、日本人がそのまま言語の問題なく使える
ようになった(ハードウェアの性能向上が大きく関与)。
- こうなると、国内ユーザーは海外発のハードウェアを購買するとい
うオプションが広がる。Dell, Compaq, Gatewayなどという欧米発
のハードウェアが怒涛のように日本にPC市場に乱入する。
現在の携帯電話市場でいうと、iPhone(クローズ系) がこれにあた
り、次に襲ってくるのがAndroid(オープン系)。国内メーカーがよ
うやくAndroid向けのハードウェアを発売し始めたところである。他
方、これらと同等な機能を有する国内独自のスマートフォンもあるが、
長い寿命を持てるとは思えない。ソフトウェアを作る人間が日本人に
限られるからだ。かくして、日本の携帯電話メーカーは、国際的に見
ると非常に小さなシェアしかもてないことになる。
2度あることは3度あるという。日本の長期デフレの要素の一角に、
国内での過度な競争があるのではないだろうか。もう日本人同士の本
土での利便性追求戦争はほどほどにし、最初から海外を市場とした新
製品への投資を軸とすべきではないだろうか。ソニーがウォークマン
を発想した頃、盛田さんの頭に描かれていたのは、セントラルパーク
あたりをジョギングしている米国人であり、さらに広がる世界という
市場であったと思う。北海道と沖縄で何個売れるだろうかいうことは、
まったく視野の外だったであろう。
(オープン系とは、その仕様を公開し、他社でも同様の機能を持った
ハードウェアを開発販売可能。クローズ系はその逆で、例えば
iPhone は Apple社しか製造販売できない)
August 29, 2010
Sustainability
シンガポールを除いては、アジアに足を運ぶチャンスがこれまで無かっ
たが、今年、上海へ2度ほど滞在することができた。どちらも1,2
泊の短期であり、万博を見学するほどの余裕は無かったが、初めて行
く外国での体験は、それがどこであれ文句なしに面白い。ここでは、
まずはタクシーに度肝を抜かれた。これまでは、イタリアあたりが僕
のタクシー運転手の、やんちゃ度トップに位置していたが、もはやレ
ベルが違う。船でも車でも乗り物に酔うということは無いが、二日酔
いで乗ったタクシーでは、さすがに顔色が青くなってくるのが自分で
も分かった。
一昔前の東京の渋滞はひどく、あちらこちらでクラクションが鳴って
いたように思う。団地では必ず布団や洗濯物が外に干されていた。上
海の現在は、非常に似たような状況になっているが、このタクシー運
転手のように、少しでも前へ前へという、ある種の力強さは、当時の
日本人以上に大きいのではないか。高成長率を維持し、今年中には日
本を抜いてGDP2位となる中国の街は、さすがに活力があるし、成長
指向というか、なりふり構わず度というか、その辺りはより昔の西洋
人的であり、かつ個の抑制力としての宗教が無いというあたりは、外
から見れば不気味であり、その不気味さは日本人が当時持っていたも
のより大きいだろう。拒否権を持つ安保理常任理事国であるこの国の
発展を祈るとともに、不気味さへの健康的な継続した投資を祈る。
成長が止まったときに、もしくは下降が始まる前に、何をすべきかと
うことをぼんやりと考えることが多くなった。この広大な上海という
街も、数十年後には少なくとも安定期を迎えるという歴史の摂理を避
けることはできないであろう。そしてその頃、日本はどういう国家に
変わっているのだろうか。英国はサッチャーさんという解でもって、
一つの老大国の型を示した。
会社、寿命30年説というのがあるらしいが、中小企業ではもっと短
いだろう。これは現在東京で書いている。当社は来年で10周年とな
る。少し距離をおいて当社の現在のスタンディングとその10年後を
あれこれと考えている。成長が遅鈍であった分、まだまだいけるはず
だ。
August 03, 2010
Hi again
なんらのお知らせもなしの長期の中断をお詫びいたします。
頻度はあてにならぬが、本Blogを再開させてもらうことになった。こ
の一年、山に篭ってというか、現実には地下室に潜って、人様にもま
ったく会わず、不義理を続けながら、新しい事業と格闘してきた。新
事業というと攻めのイメージだが、その仕込みの最中は、完全に精神
的守りの毎日となり、めげる。ようやく最初の第一歩、二歩ぐらいを
進めることができたと思う。これから攻めに転じられるかと思うと、
ありがたく、嬉しい。ここ2,3年が楽しみである。
この間にも世間は動く。我が家には昨年夏、2番目のミニが出現し、
先月1歳の誕生日を迎えた。上のミニは典型的トドラーでしばらく大
変なことになっていたが、現在2歳半、食事を一人でできるようにな
り、また言葉を解すようになり、なにかと楽になった。ちなみにミセ
スは同一人物なのでご安心を。
日本にはこの間もしばしば出現している。たまたま参院選の前後に函
館に帰省し、ゆっくりと新聞なんぞを読むことがかなった。選挙日の
前日には、民主党、自民党、一面を使った広告が各紙に掲載されいて
いたが、まあどちらも腰が抜けるようなしろものだった。
管さんは、消費税に触れたことの謝罪と訂正だ。選挙の前日にである。
長年、国のリーダーを目指してきた人たちが、どうしてこうも、”大
事の時”にブレられるのであろうか。リーダーたるものの素養、基本
中の超基本であろう。当社であれば、主任レベルでさえこうしたブレ
はこっぴどく叱られ、減給対象間違いなし。
自民党はまだましだったが、なぜ小泉さんのご子息の写真をいきなり
載せるのであろうか。個人的には小泉さん(お父さん)を大変高く評
価しているが、そのご子息のことは全く知らぬ。国民がそれを知るこ
とができるような若返りを、自民党は現時点では全くしておらん。若
手が亀井さんと郵政問題で一騎打ちできるようなお膳を作ってからに
すべしである。
そして、谷さん(柔道家)が当選した。いかなる理由で日本国国民は、
この人に日本国参議院議員への一票を投ずるのであろうか。世も終わ
り。
色々な新しい党ができあがった。ある新党のWebサイトの貧弱な外交
政策記述をどうかと思い、より施策指針を明記して欲しい旨メールし
てみたところ、”貴重なご意見云々・・・今後ともご指導ご鞭撻云々
・・・”と返ってきた。頭にきて、私のような平民をご指導するのは
あなた方であろうと返信したところなにも返ってこなかった。
日本のどこの党も外務は2の次らしい。円高、高齢化、外に向かわず
してどう施策していくつもりなのであろうか。
僕が、日本という国と多少の精神的距離感を置かざるを得ないのは二
つある。ひとつはこれらのことであり、もうひとつは東京の夏の暑さ
である。後者はなんとか我慢できる。
歳を重ねてさらに愚痴っぽくなってきた。が、またよろしくお願いし
ます。
December 31, 2008
A happy new year
弱い意思はタバコや酒がやめられない事に露呈しているが、いやはや、
随分とサボってしまった。新年のレゾリューションのひとつに入れる
べきかもしれない。そう多く読者がいらっしゃるとは思わぬが、誠に
申し訳なく思っている。少なくとも隔週程度には参加せねばならぬな
ア。
このご時勢で商売が大変なことになっているかというと、さほどにあ
らず。創立以来、渋~い商売をしてきたので、急にどうのこうのとい
うことは無い。とはいえ、この流れには逆らえず、2009年が尋常なも
のとはならぬだろうと思っているが、これまでどおり浮沈に踊らされる
事なく、渋くやっていくしかないのだとも思う。
ところで、大晦日の今日をもって僕は社長業をやめることにした。な
んでや、とよく聞かれるが、たくさんの要素があり2年ほど暖めてき
たアイディアでもある。とりあえず一番大きな理由の、”若返り”と
いう単語を使うことにしている。出来る限りの質の良い仕事を組織に
提供し続けようと思っていることには、なんの変化もない。新年から
は、最終責任者ではなくなるが、経営者の一人として、これまでどお
り精一杯の仕事を提供し、同僚のみなとこの荒波を乗り切りたいを思っ
ている。
ということで、プロファイル名、”社長5年生”の変更が必要となっ
たので、別の素敵な名前をつけて欲しいと、元社長8年生から編集長
へお願いしたい。
A Happy New Year.
November 04, 2008
Did you like this table?
週末、東京からヒースローに戻ると冬だった。コート無しでは歩けな
くなり、時計が一時間進んで、一気に夜の来るのが早くなった。我家
のミニ同居人は風邪をひいたらしく、鼻水ずうずうたらして歩いてい
るが、昨年のように病院に3泊旅行することだけはなんとか避けたい。
読者の皆さまも風邪にお気をつけ下さい。
東京に飛ぶ前にヒースローで両替したが、なんと150円だという。
また、デビットカードでは、一日にキャッシュをおろせる限度額まで
しか両替できないという。英国に住む日本人が日本に行く際に辛い世
の中になってきた。まあ、1ポンドが200円というのも実態と離れ
ているわけで、物価を考えると、100円ちょいというところであろ
うか。
蕎麦が大好きで、僕の出張中、東京の同僚達は毎日昼食に蕎麦屋へ連
れて行かされ気の毒である。が、おいしい親子丼と小丼の蕎麦のセッ
トが920円とは安いではないか。200円で計算すると5ポンド弱。
150円だと6ポンドちょい。英国でハンバーガーのミールが4ポン
ド程度だろうか。価値観の違いはあろうが、親子丼セットの価値は、
ハンバーガーの2倍はあると僕は思うので、いずれにしても格安とい
う気がする。
毎日飲むことに変わりは無いが、出張中は外で飲むことになる。この
場合、居酒屋が安い。メニューも豊富で、ワインも置いている。とは
いえ、連日の居酒屋は流石に飽きてくる。オフィスから数分のところ
にイタリアンを見つけたので、同僚と3人で入ってみた。地下だが、
内装がなかなか凝っており、席もゆったり。”このお席でよろしかっ
たですか?”、これは決して質問を受けているわけでは無いのだと最
近判ってきたのでよしとした。ペローニは置いてなかったが、まずは
日本のビールを飲みながら、レンコンの薄揚げなど、頼んだ肴がみな
美味しい。ワインリストは値段がなかなか良心的。
ビールが終わり、まずは2千円ちょいのワインを選んだ。すると、先
ほどビールを飲んでいたコップ、これは相当ガラスが分厚い、歯磨き
に使うようなしろものだったが、これが3個テーブルの上に置かれた。
3人一瞬きょとんとし、誰からともなく周りを見廻し始めた。どうや
らこのお店は、歯磨きコップでワインを飲ませるとのだと判り始めた。
仕方がないので暫く飲んでいたが、どうにも気分が出ない。お姉さん
に、ワイングラスを頂けないだろうかと聞いたところ、まさかそんな
答えはするまいなあと思っていたのが、そのまま返ってきた。すなわ
ち、”高いワインをお選びいただいた場合にのみ・・・”。Oi! ここ
のオーナーはこの現実を知っているのだろうか。グラス以外は満点に
近いのになア。
October 05, 2008
Bath
ささやかな至福の時、というのは人によって千差万別であろう。人並
みに僕にもいくつかあるが、一つは長風呂で読書というのがある。お
かげで書棚の本は水をかぶって殆どへろへろ、ぼろぼろであるが、読
めさえすれば姿はどうでも良しと思ふている。最近、”逆読書法”と
いう本を読んだ。最終章だけはアゲインストであった。すなわち、本
は大切に扱うこと、そうした親の姿勢を見て子供は本を読むようにな
る、とのことであるが、僕は本をある程度大事にしている親の姿は見
ていたが、子供の頃には一切本は読まず、まともに読み始めたのは単
身上京し社会に出て、人並みに困ったことが発生しはじめてからのこ
とだった。この章だけは僕にとっては一般解とはなりえないが、とて
も面白い本だった。
風呂の入り方というのも人により千差万別であろう。日本から英国に
越してくると、はて、どうしようかと考えてしまうモノの中に、風呂
はまず筆頭の位を占めるのではないだろうか。湯船の深さは浅く、縦
に長く、寝そべるようにして入浴する。洗い場が無い。不衛生なこと
に、厠が隣に鎮座する。しかし入浴せぬわけには参らぬから、各員、
創意工夫することであろう。
開発過程は省くが、僕の風呂を紹介しよう。まずはスーパーに行って、
Dettol Liquid という液体を購買する。いまどきはカラフルなものも
売っておるが、オリジナルの、茶色のものをお勧めする。次に、風呂
用の塩を購買する。家に戻ったら、欧州式湯桶にお湯を貯め、水が8
割ほど溜まったところで入浴用の塩を適量注ぎかき回す。次に、
Dettleをキャップ一杯分を湯桶に注ぐ。すると、あら不思議、茶色の
液体が白濁する。この刹那にて、僕の入浴法は多分、半数の方には嫌
われるであろう。なにしろ、懐かしいクレゾールの臭いがするからであ
る。
こうして準備ができたら、ざぶりと入り、めがねをかけて、本を読む。
手の届く範囲にタオルを置き、曇っためがねを拭う。なるべく体は動
かさぬほうが良い。動くと湯が冷めるやすい。近頃は、いつでもお湯
が出る瞬間湯沸器によるボイラーも多くなったが、まだまだタンク式
のものも多い。この場合、一度湯を貯めると、小一時間待たぬと湯が
でない。なので、じっと湯に浸かりながら、ひたすら読書する。これ
を小一時間も続けていると、耐えられなくなるぐらい湯が冷える。し
かし、その頃にはタンクの湯も熱くなっており、余裕で足し湯が可能
となるものである。こうして長風呂し、足の裏が白くヘロヘロになっ
たころ、読書で目も疲れていることであろう。ここで石鹸なりをつか
って湯船の中で体を洗い、水を抜きながらシャンプーする。全てが終
わる頃には、水位が随分落ちているので、シャワーでほぼ全身の石鹸
を落とすことができる。Dettolの邪道な使い方であろうが、体は消毒
され、なぜか風呂上り後も暖かさが継続する。世の中うまくできてい
る。
October 02, 2008
Bailout
三越ロンドン店が閉鎖になるそうだ。日本人旅行者には、なかなか便
利だったし、地下レストランのざる蕎麦が抜群においしかったので、
大変残念に思っている。
9月には大手の金融企業が複数破綻した。米国を中心に、英国やベル
ギー、アイスランド等でも大手の金融企業がばたばたと倒れ、政府や
民間の救済を受けることとなった。価値の無くなった株の保有者には
まことに気の毒なことだが、どこの株主にも免れないリスクであり、
是非もなし。
以前にも書いたことだが、金融投資は、FSA等の政府系機関が監視の
睨みを利かせても、更にリスキーで複雑な金融メニューが日々作り続
けられ、その利用者が増え続けてきたのでだろう。例えばShort
Selling という方法があり、他人様の落ち目を利用して金儲けができ
るという。これは漸く禁止令が出たそうだが、逆に言うとこれまでは
野放しだったのであり、こういうところに早期に制限をかけることは
できないものであろうか。
産業界では、戦後だけでもオイルショックや円高等、数度の危機を切
り抜けてきた。ところが、サブプライムという単語が飛び回りはじめ
てから、1年以内にばたばたと大企業破綻が発生する。これも僕には
分からぬことだが、金融界というのは、本質的に脆いプラットフォー
ムの上で商売をしてきているような感じを受ける。そういう宿命を背
負っているのだろうか。
毎年クリスマスシーズンになると、その年のシティーの外資金融企業
のボーナスがニュースとなるが、目が飛び出るような数字の羅列とな
る。報酬なので、一度個人の懐に収まれば、その先会社が潰れようが
どうしようが知ったことではない。結局、税金を使って救済が行われ
る。その税金を払っているのは、国民と潰れていない企業である。確
かに儲けるときは儲けるのだろうが、その儲けの前提のあたりで、既
にリアリティーを失っているような感を受ける。
比すると、10年前から数々のbailoutや統合を経てきた日系金融企
業が現在持つリアリティーに力強さを感じる。外資金融に比べて利益
率の低さが指摘されるが、本来どのあたりが、今どきの言葉でいえば
”sustainable"な、適正な利益率なのか、リビューの必要を感ずべき
時なのではないか。
September 30, 2008
Border Agency
以前本ブログで、外国人労働者のUK受け入れ審査に関して多少文句
を書いた。即ち、労働者本人だけではなく、雇用する企業側を審査し、
合格した企業にはそれなりの便宜を、というものであった。
実にその監査を今週受けた。UKでは今年11月から、 Work Permitと
いう長年続いてきた外国人労働許可のしくみが無くなり、代わりに
Point Base System という新しいシステムが登場する。このシステム
では、雇用主側の企業をより厳しく審査することとなった。企業は申
請書と各種証明を提出し、書類審査を経て、実際に審査官の訪問をう
ける。担当は UK Border Agency という、なかなか、いかつい名前の
政府機関だ。審査の結果は、A、B、失格という3つのクラスに分け
られ、Aは花丸、Bは要改善、失格はバツ。Aか、少なくともBを取
らねば、 11月からはEU圏以外からの人材を雇用することができなく
なる。日系企業顧客からの売上が殆どを占める当社にとって、良質な
日本人技術者の確保は生命線である。早速、手続きを進めてみた。
こうした審査には妙に気合が入る。コンサルを雇うという手もあるが、
一度は全て自力でやってみないと、その後、後進にやって見せること
が出来ない、などという大層なものではなく、どうも単に自分でやっ
てみたいという欲求が強いらしい。近頃は引退したが、従来のWork
Permitも最初の数年間は自身で雇用広告を出して、申請し、許可書を
貰ってきた。今度も社員の皆さんの力を借りながら自分で準備した。
審査官は帰り際に小声で当社のHR(人事)システムを褒めてくれた。
最終結果は数週間後にならないと分からぬので、ぬか喜びは控えよう。
合格した企業に便宜、とまでは行かないが、お墨付きが付くというこ
とで、この新しい制度は歓迎する。腕に自慢のIT技術者の皆さん、
当社の仲間達がお待ちしています。こんな宣伝していいのかしらん。
最近、社員数が30名を超えた。ひとつの目標としてきたことなので、
多少の喜びは隠せない。同時に、このサイズはひとつの壁であること
を理解しているつもりである。壁を越えるには知恵が必要だ。これも
我ら自力でやるしかない。
September 11, 2008
The Exorcist
映画をボーっと見るのは好きだ。最新のものはまず見ない。DVDにな
って随分経ってから手を出す。フラガールズは最近見て泣いた。酒席
でたまたま映画の話になり、言いたい俳優さんの名前を思い出せなく
て胸が苦しく、その他のことは考えたくなく話題から一人離れてワイ
ンをちびちび考え込み、急に思い出して顔を明るくし酒席を一瞬沈黙
に陥れるようなことが、年に一度位あるかもしれない。
オカルト映画も好きなほうであろう。ただし映像の汚くないやつが良
い。一番好きなのは名作エクソシストで、今でも年に2,3度は見る。
これは汚いシーンも出てくるが、イントロが素晴らしく、ストーリー
はシンプルながら十分引き込むし、エンディングの余韻も素晴らしい。
35年も前の映画なので若い人は知らぬだろうが、単なる怖い映画で
はないのでお勧め。そういえば、数ヶ月前、瀕死のアリタリア航空
(イタリアのフラグキャリア)のCEOが、組合との交渉が決裂となり、
「この会社を救えるのはエクソシストしかいない」と捨て台詞を残し
て辞任した。日本のフラグキャリアも経営が大変そうだが、「イタコ
しかいない」などとならぬよう頑張って欲しい。
数年前にリングという映画が流行った。僕は米国版の映画を最初に見
たが、これは面白かった。ついでに小説を読んだら、これも面白かっ
たが、気をよくして2作目3作目と読んだら腹が立った。その後、日
本版の映画を見たら、こちらはまあまあだが、主演の松嶋さんは、ち
いとハマッてなかったかも。
最近、物に触れることなしに、気合でもって動かしてみようと思い始
めた。ゴーストという映画があったが、成仏できない仏が練習して空
き缶を蹴れる様になるというあれだ。テーブルの上のアップルとか、
床の上のスピーカーとか、勿論、動かなかった。練習を続けた。そし
て3晩目に突然動いた。何度か失敗するが動く。こうして今では、水
月に力を貯めてエイッ、確実に10センチ程動かせるようになった。
これは大変気持ちがよく楽しい。
無論、夢の中の話である。なぜ最近になって、このような無駄な努力
を夢の中で開始したものか、本人にも一向に分からぬ。そろそろヤキ
が回ってきたということか。読者の皆様で、このような訳の分からぬ
夢を見る方がいらしたら、是非ご一報頂き枕を高くして眠りたいと思
う。
September 05, 2008
Humid
前々回の東京出張時に一人の社員が本社を去って行った。前回には、
また別の社員が一人去り、秋葉原では悲惨な殺人事件が起き、内閣は
改造となった。本社では今度の僕の出張時には何事が起こるかと噂し
ていたそうだ。そんなことあるはずが無いだろう、と笑い飛ばしてい
たら、福田内閣がいきなり蒸発してしまった。多少変な気持ちになっ
た。
都内の電車に乗っていると、否応なしに週間XX等の雑誌の派手な宣伝
が、福田総理がどうだ星野ジャパンがこうだと、たくさん目に付く。
僕は星野ジャパンの4位を予想していたので、残念という程ではなかっ
た。TV番組によく出てくる星野さんを何度か見ていたら、メダルは逃
すやろな、と直感した。そのようなことはミニ同居人にさえ伝えてい
なかったので誰も信じてくれないだろうが、この場を借りてとりあえ
ず自慢しておく。しかし、福田さんの蒸発は全く予想できなかった。
雑誌の宣伝は、おぼっちゃまは駄目だとか二世だから無責任だとか書
いている。この蒸発に肩入れする意思は毛頭持たないが、福田さんの
視点からすれば、これだけ支持率が低迷し、リーダーシップ欠如と馬
鹿にされ、折角辞めてやったのに今度は無責任かい、と言いたくなる
かもしれない。いずれにせよ、政治のことは全くわからんが、与党も
野党も、もう少々リアリティを持って仕事をすべきではないかしらん。
東京は9月に入ってもジメジメと不快な気候が続いている。20年前
は真夏でもタイしてジャケット着ていた覚えがあるから、加齢による
弱体化なのか、欧州に長く居すぎた為か、東京の気温が上昇し続けて
きたのか知らぬが、クールビズのお陰でなんとか持ちこたえている。
とは言え、やはりタイが無いと、どうも収まりが悪い。というのは、
タイを締めるべくデザインされているシャツしか持たぬので、どうも
ダサい。僕はおしゃれからは程遠いオヤジだが、これだけはどうにも
しっくりこない。初めてシンガポールに出張した時は意地でタイとジャ
ケットを通した。3日目に頭がふらふらしていたので、これは断念せ
ざるを得なかったが。カラッと乾燥した欧州の空気がそろそろ欲しく
なってきたが、来週早々帰国。
August 26, 2008
Olympics 2012
ロンドンの自宅で観るオリンピックは今回で5回目となるわけだが、
様々なドラマを楽しませてもらった。次回のオリンピックはロンドン
で開催されることもあり、BBCは気合が入っていた。デジタル放送
では常時5、6種類の競技からどれか選んで観戦することができた。
無論、日本人選手の活躍は、決勝に残った選手ぐらいしか見ることが
できないが、チームGBが勝ってもチームJPが勝っても、どちらも
手を叩いて大喜び。2チーム足して金が28個も取れた。大したもの
である。それにしてもチームGBの活躍は凄かった。
日曜はテニス遊びをしていたので、閉会式はTVでは観なかったが、
BBCのサイトに動画があった。ジミー・ペイジが出てきてギターを
弾いていたので相当ビックリした。通常は、ギターで行くのであれば、
庶民派 Queenのブライアン・メイであるべきだろう。僕のZepplin
好きは並大抵のものではないことは以前にも書いたが、やはりTVの
前で立ち上がって、手を叩いて喜んでしまった。が、そのうち、はて
この白髪の、ギターが妙に巧い爺さんを知る人は視聴者のうちいった
い何%いるのだろうかと、心配になってきた。実際、ベッカムが出て
きたときには何ともなしに安心を覚えてしまった。
好みの分かれるセレモニーであったかもしれない。
BBCのサイトでは、五輪旗を受け取った後の、ロンドン市長・ボリ
ス氏のスピーチが観られるが、これが目茶面白いのでお勧め。ボリス
氏は今年の5月に市長となった。僕より3つほど若い。このスピーチ
を見ても思うが、若い政治家はまったく元気が良くて良い。前回の東
京出張時に日本では内閣改造があったが、新キャビネットの平均年齢
が62歳だそうである。英国の内閣はもっと若いだろうと思って調べ
てみたら、現在49歳であり、60歳以上は一人しかいないという。
この違いはどのあたりにあるのだろうと思うなあ。インテルという超
一流会社の社是には、常に若返りを図る、というのが何十年も前から
あるそうだ。若返らなくてもうまくやっている会社もあるし、若返っ
てから芳しくなく元に戻す企業もあるが、いずれにしても若返りを常
に念頭に置いてきた会社の方が、永続するようにも思う。
オリンピックに出場すべき選手を選ぶ方も、その判断は大変だろうと、
気の毒にさえ思える。新旧、どうすべきか実に悩むのだろうなあ、と
思いつつ、ビールを片手にTVを観て手を叩いてよろこんでいる僕は
単純に4年後が楽しみだ。もしかして、生で選手のプレーを観ること
が出来るかもしれない。テニスは、Wimbledonが会場になるのだろう
か?
August 04, 2008
Quality
若い頃、法に触れることはやらなんだが、こずるいことは随分して
きた。仕事はそこそここなしてきたが、それをいいことに、酒飲む、
女泣かせる、金つかう、嫌な奴だったと思う。そのしっぺ返しか、
四十になってようやくだが、他人様に迷惑かけず、まっとうにやっ
ていこう、という思いに至りはじめた頃にちょうど当店を創立した。
一流企業にしたいという夢はそんなところに因があるかもしれぬ。
それがかなわぬまでも、一流企業と同等の備えを持ちたいと思い続
けて多少の背伸びをしてきたように思う。当社はありがたいことに
設立当初から一流企業の皆様に大変お世話になり続けており、ご愛
顧を頂いているからであり、困ったときに助け続けられてきた。僕
にとって、会社というのはこうあるべきだというお手本を見せて頂
いてきたわけで、嫌な奴、の対極にある、一流というものを勉強さ
せてもらっている。
例えば、当社が請求書を送付する。本来はそこで全く安心できない
のが残念ながらビジネス世界の実態である。が、お客様が一流企業
だと、まず安心して寝られる。そして3週間後には果報が入る(現
金が銀行に入る)。毎回毎回3週後に入る。これはすばらしいこと
であり、真似すべきことだと思った。そして当社も一流企業のマネ
をして3週目には支払いを心がけている。業者のキャッシュがきつ
いというときは、こちらに余裕があるのであれば、即金でも払って
あげる、小企業の顧客が厳しいときは可能な限り待つ。そういう関
係が永く良いつきあいを構築できるのだとおもう。勿論業績がそこ
そこでなければこうはできまいが、できるうちはそうしようと思っ
ている。
時には当社が3週間さえ待てなくなることがある。そんな我侭をよ
しよし、と聞いてくれ、支払いをさらに早めてくれる!そんなこと
あるわけねーだろ、という声が聞こえるが、実際にそうなので、こ
うした一流企業のお客様達の会社名を挙げたいがここでは控える。
まったくこうしたお客様は文句なしにかっこいい。僕らもそうなり
たくなる所以である。
今の僕らができることは、こうしたお客様から頂戴する対価を超え
るサービスを提供し続け、お使いいただくことである。一流企業で
はないけれども、一流のサービスは提供することはできる。今回、
多少旅慣れしてきた東京出張中に、当社東京本店、飲み屋、レスト
ラン等でのサービスを楽しんで観察してきた。本屋で帝国ホテルの
サービスを書いたものを入手した。皆なかなか興味深く、僕が関心
を持ってきたことの一つ、サービス品質ということに、更に関心が
深まったように思う。
July 29, 2008
JPY 220
東京人が今年は厳しいと言ふている暑さの中に居る。出張前に、7月
下旬の東京は暑だろうとそれなりの心構えはしてきたが、天気予報な
どをみると、東京以上に暑い地域が日本にはいくらでもあることに気
づいた。
日本は暑い。例外として、北部の一部はそれほど暑くもない、という
のが正確なところであろう。函館出身の在英18年のぼくにはもちろ
ん残酷なぐらい厳しい。バテぬよう、毎夜ビールなどできちっと涼み
ながら、残りの出張仕事を進めようと思う。
6月に来た前回の出張は1年ぶりのものだったので、いつもどおり肩
に力が入っていたが、今回は大分東京に慣れてきたような気がする。
ざっと、その慣れ具合を並べてみよう。
- 東京到着二日目には、エスカレーターで、さほどの疑問なく左側に
すっと立てるようになった。
- 外出時は、ハンカチを常時携帯するようになった。
- 風呂がほしいと思わなくなった。
- Suicaカード(JR系)が地下鉄でも使えることが分かったので、
Pasmoカード(東京メトロ系)を返却した。こうしたカードは定期入
れに2枚重ねると誤動作するので不便だった。ありがたい。ちなみ
に、Oyster と Suica を重ねるとどうなるか、明日にでも試験して
みようと思う。
- ちなみに東京メトロとは、営団地下鉄が民営化した後の通称である
そうだ。
- 朝9:30を過ぎると、ホームの喫煙場所でタバコが吸える駅があり、
毎朝助かっている(阿佐ヶ谷)。
- 街にいる人に道順を聞かずとも、プランタン前に一人で行けるよう
になった。
同時に慣れないものがある。最もまずいのは、すべてGBPに計算し
なおしてしまい、なんて安いのだと、無駄遣いしちゃうことである。
これはなかなか直らないが、ふと気づいた。そうだ、英国に居るとき
には、いつもJPYに計算しなおし、なんて高いのだと節約すれば・・・
July 17, 2008
Being wild
三島由紀夫氏の産湯の記憶を読んで、ほんまかいなと思っていたが、
女流作家が同じような体験をエッセイに書かれているのを数年前に読
んだ。将来作家となるような乳児は、すでに頭の構造がどこか違うの
だろう、ありえるのだなあと思った。
凡人の僕が記憶ということを始めたのは、5、6歳前後だと思うが、
その頃家族が生活していたのは北海道の南部にある泉沢という小さな
村だった。車で函館市から西に1時間弱走ると、木古内という町に至
るが、その一部が泉沢というなかなか洒落た地名の村落である。海と
山に挟まれたごくわずかな平地、その幅は200メートルも無い思う
が、海岸線に沿うように国道228号線が走っており、この両脇に二
百世帯もあっただろうか、小さな家屋が建ち並ぶ村だった。山沿いに
は国鉄の線路が走っており、その脇に円筒形の小学校が建ち、体育館
の裏口には教育職員住宅が3件並んで建っていた。最も線路に近いの
が僕が数年間暮らした家だった。山まで徒歩20秒、海岸まで徒歩1
分という、実にワイルドな環境だった。
夕食やら家の手伝いに無理やり呼び帰されることはあったのだろうが、
子供達が外で遊ぶのに、親がついてくるということは皆無であった。
山や川で多少危ないこともあったのだろうが、年長の子がリーダーと
なり、なんとかする。この村の子達が10歳にもなれば、万一山で一
人で迷子になっても、雨さえ降れば1週間や2週間は難なく生き延び
るだろうと思う。喰える草の茎や花の葉等の種類を知っており、蕗の
葉を使った雨水の飲み方を知っているからであり、川に出くわしたら
しめたもの、と小さな頭が覚えているからである。もっとも、ヒグマ
に出くわしたら死んだふりをするという迷信は頭に入っていたが、運
よく経験したことは無かったので、本当にワークするのかどうか分か
らぬ。いずれにせよ、当時の日本の田舎の子供達というのは、おおよ
そこうしてワイルドに育ったのではないだろうか。そんな話を都会育
ちの同居人にすると、東京でも子供達が広場で遊んでいるところを親
がいちいち見ていたということは、やはり皆無であったらしい。
我が家のミニ同居人の学校のことをそろそろ考えねばならぬという。
まだ八ヶ月だというのに。いや、生まれる前から入学予約を入れるこ
ともあるそうな。いやはや。泉沢には幼稚園も無かった。円筒形の小
学に入学したら同級生は20名だった。社会性という意味でわが身を
振り返ると、確かに若干問題があるやもしれぬ。。。とはいえ、今3
0名の社員の皆さんと組織的な仕事をさせてもらっているし、友人達
にはとてもよくしてもらっている。ミニをナーサリーに入れることが
不可欠なのかどうも分からぬが、多分入れることになるのかなあとも
思う。思うが、泉沢村で育った父には、どうにもミニが気の毒なので
ある。学校の庭で先生や親の目の届く範囲で遊ぶのもやむをえないが、
少なくとも年に2度や3度は、少年達だけで山を探検したり、川で多
少勇気が必要な遊びを経験させてあげたいなあと思う。
July 07, 2008
No.2
東京の友人が Jake Shimabukuro というウクレレ奏者のCDをお土産
に持ってきてくれた。アルバム・タイトルと一曲目はThe Beatles の
In my life 。無難。ふーんと思って2曲目を追ったら Going To
California とあるではないか。えっ、と思って早速聴いてみたら、
本当にZeppelinだった。Zepを選ぶというだけで僕はこのミュージシャ
ンを一気に評価した。全曲聴いて、本当はZepを1曲目に選びたかっ
たのではないだろうかと思った。
不精なせいか保守的なせいかは知らぬが、一度好みのアルバムに出会
うと、1年程同じものを延々と聞き続くことになる。Jakeさんには暫
くお世話になりそうだ。
日曜日にはこの友人をテニスに誘い、暫くぶりに一緒にプレーした。
サーブ練習が終わって玉を集めながら彼曰く、吉田さん、玉が重くな
りましたねえ。あら、そうかなア、てれるゼ、などとひとりごちてい
たら、そうなの雨で玉がぬれちゃったア、とコーチ。本当にこのコー
チは素敵な人だ。
そして午後はビール・ワインを片手に、コーチもミニも皆でウィンブ
ルドンのファイナルTV観戦である。これをしないと一年が終わらな
い。
ジャスティンの突然の引退があって、僕にとっての今年の女子トーナ
メントは精彩を欠いた。男子はご覧になった方も多いと思うが壮絶な
ファイナルだった。なんとしてもボルグをぬいて6連覇したかっただ
ろうと思うし、僕もそうしてほしかった。世代は変わらねばならぬ、
わかっている。しかし、一回だけ待ってほしかったなア。
フェデラーのテニスは基本形の究極であり、基本形がいかに強く美し
いものかを証明し続けてきた。プロのアスリートというのは、素人が
観たいシーンを提供することがその仕事の本質であろう。フェデラー
には、その仕事にやりがいを感じ続けてほしい。急に引退することは
考えないで欲しい。ランクなどはもうどうでもよい。No.2に落ちたら、
新No.1にとって、これほど嫌なNo.2はいないであろう。そんなあたり
が素人にはとても観たいところなのである。基本の美を永く提供し続
けてほしい。
June 28, 2008
Title
早いもので、僕のブログはもうすぐ2周年を迎える。これが72度目
の投稿となる。飽きやすい、いい加減な性格の僕が続けてこられたの
は、読者の皆様からのコメント・メールや、編集長の飲ませ食わせ戦
法のお陰である。ありがたや。そろそろ、ロゼの美味しい季節ですね
え、編集長っ。
ちなみに当社は設立から7年が経過した。先週土曜日、全社員の皆さ
んに休日返上で集まってもらい、社内セミナーを実施した。7歳にし
て、社員教育や、目的・理念の共有という、とても重要なことが、本
当に重要なのだと、ようやく理解し始めた。当社の設立は僕がちょう
ど40になった時だった。計算は簡単で、50まであと一歩。モトロー
ラという会社の理念に、常に若返りをはかる、というのがある。いや
はや、すごい理念を掲げたものだなあと思うと同時に、創立者達の鋭
い感性に思い切り共感する。当社はこの先50年100年と長生きし
着実に成長したい。そのための礎を築くことが僕らの当面の仕事であ
る。こんな面白い仕事にはそう簡単に出会うことはないだろう。まっ
たくラッキーであり、このおかしみを社員の皆さんと一緒に感じなが
ら、派手さよりは無骨さを好む組織を大きく育てたいと思う。
ところで、2年前から”社長5年生”というタイトルのままなのは、
やはりおかしいので、変えてもらおうかな、とつらつら考えてみたが、
なかなか浮かんでこない。どなたか良い名前をつけてやって下さい。
ちなみに、父親1年生というのは却下させていただきます。
June 24, 2008
Objective
何かしらの問題を解決せしめる際には、その本質を正確に捉え、自己
の主力を本質に集中し取り組むのが上策かと思う。このことにより、
派生する多くの小問題が一気に解決することもある。
日本の省庁オフィスを訪ねたことも無く、その仕事場の雰囲気も全く
知る由も無いが、タクシー接待問題の本質は、官僚のモラル云々とは
別のところにあると思う。24時間営業のジーンズショップの必要性
がどこにあるのか分からぬと思っていたが、官僚の皆さんが、連日の
ように夜中の1時を過ぎまで仕事をせねばならない組織の仕組みも同
様に僕には分からぬ。官僚の皆さんは知的能力が高く、であるからこ
そ、国家レベルの大変重要な仕事を進められている。そんな大事な仕
事をしている官僚の皆さんが、15時間を超える長時間の頭脳労働を
連日続けることに危険を感じる。無論、有事の際には、徹夜が何日続
いてでも、やらねばならない仕事はあるだろう。国会は有事のことで
は無い。睡眠不足や本人も気づいておらぬ精神的な病から、誤った判
断を導き出すことは無いだろうかと心配になる。
タクシー接待問題は民主党の議員が調査を求めたそうだが、なぜ官僚
の皆さんが深夜・朝方にタクシーに乗る必要があるのかという本質に
は触れていない。政権を取ったあかつきには、議員と官僚の関係・構
造を改革し、官僚の実質勤務時間をこれだけ短縮し、その結果タクシー
チケットは全廃する、などというようなクリアーなメッセージは聞こ
えるべくもない。そのオブジェクティブは、あら捜しというと言葉が
過ぎようが、現在のところ、問題の本質とは随分かけ離れたところに
あるのではないか。とは言え、よき一石を投じたと言えよう。これに
より、もし本質が議論され始めれば、会社組織であれば、社長が直接
取り組むべき大きな仕事となろう。官僚組織では誰が取り組むべきな
のか知らぬ。首相か大臣か誰か知らぬが、後進国でもありえぬような
悪文化は、誰かが変革を訴え、改善すべきである。いまどきの若者に、
長時間勤務はウケない。ウケない組織に若い優秀な頭脳は集まらない。
などと、書生のようなことをつらつら考えていたところ、橋下知事、
初の団交出席 - 職員「私たち悪いことした?」 というニュースの
見出しが目にとまった。改革とは、変化とは、かくも人の嫌うところ
かな。
June 15, 2008
Excuse
本Blogの読者の皆さんから、コメントやメールを頂戴することがある。
こんな駄文を読んでいただいているのだなあと、とても嬉しい。この
場をかりて、改めてお礼申し上げます。
最近頂戴したものに、同居人という表現は配偶者に対して失礼千万、
100発位殴られるのではないか、とのご意見を頂戴した。まことに
仰る通り。同居人はもとより、親御さんに知れたら1000発位殴ら
れるのではないかと、ひそかに危惧していたのは事実である。
妻、家内、ワイフ、カミサン、とまあ、男が配偶者を表わす単語は人
により様々である。関西の人はヨメと言うケースが多い。僕は昨年、
新郎が仲人と間違われるような結婚式を東京で行い、晴れて家族持ち
となった。本Blogでは、社長5年生というお題があり、家族の話は避
けようと心がけていたが、まあ、そう力む必要も無いか、とも思い始
めた。僕の近頃の仕事は、物を考え、それを文章やシステムという手
段で表すことにあり、そのことに関しては気合が入る。すなわち、本
Blogで配偶者をどう表現すべきか、思い悩むことになるが、その答え
は既に決まっていた。同居人。
僕は函館生まれの、がさつな男であり、ヨメはん、ヨメとはまずまず
書けない。妻というのはなんだか鼻持ちならぬような気がする。家内
というのはどうも偉そうに感じてしまう。配偶者というのはよそよそ
しすぎる。カミサン、カアチャンあたりが、良いと思うのだが、文体
によってはそぐわない。
というようなことを、100倍上手に、かつ弁解がましくなく表現さ
れているのが、五木寛之氏であり、氏のエッセイでは同居人という単
語を貫かれている。僕に文章の感性が多少でもあるとすれば、それが
氏に共感し、猿真似したものなのであります。
そして、赤ん坊が生まれた。またまた思い悩むことになった。これに
関する氏の表現は全く記憶になく、エッセイ本もどこぞへいってしま
い見つからない。考えた挙句、ミニ同居人となった。これは、なにか
可愛い感があり、かつ同居人との一体感も表現できて、我ながら秀作
ではないかと思うが、如何であろうか。
以上、ミニが大きくなって、いつか僕の Blog を読むことがあったと
きに、父ちゃんを100発殴りたくならないよう、この場をお借りし
て下手な弁解をしておこう。
Akihabara Attack
2週間の出張があって、ロンドンに戻ってみると、我がフラットの庭
の緑が濃くなり、咲く花が一段と綺麗になっていた。一番変わってい
たのはミニ同居人で、表情がちっと男らしくなり、動きがやんちゃに
なっていた。2週間というのは、短いようで長いのだなあと思う。
本社オフィスは御茶ノ水から5分、インターネットで探してみると、
秋葉原に最近できたホテルがあり、ここをベースとした。宣伝どおり
確かに多少部屋は広い。とはいえ、やはり狭い。東京のホテルは安く
狭い。もっとも高級ホテルは広いのだろうが、その中間が無い。この
狭さに2週間ぶっ続けで宿泊するのは辛いので、週末を実家のある函
館で過ごすことにした。
前日の金曜夜は本社スタッフの若い皆さんと酒を飲みにいった。みな
意見を持っており、それを伝える意思も強く、なんだか嬉しくなって
飲みすぎてしまった。最後は朦朧、タクシーで降りたはずが、ホテル
がどこなのかわからなくなり、20分ほど真夜中の秋葉原駅周辺を千
鳥足で散策をしてしまった。午前2時位だったと思う。翌日起床した
ら、飛行機が離陸する30分前だった。あっはっは、目覚ましかける
のを忘れていた。ま、休暇のことなので、是非も無し。次便に無事乗
れた。
実家のテレビのニュースで秋葉原で事件が起きたことを知った。恐る
べし、相手にしてくれない世の中、という社会を対象として、無差別
殺傷をプロット、実行に移した。その過程を携帯電話からWebサイト
にアップロードしていたというから驚く。数ヶ月前にも同様な事件が
茨城で発生した。
実家の家族には羽田行きの最終便で戻ると伝えておいた。たっぷりと
函館の海産物などを楽しみ、酒を楽しみ、会話を楽しみ、最後は熱い
温泉で体を清め、東京に戻る時刻となった。最終確認と思ってチケッ
トを見ると、飛行機が離陸する10分前だった。またか?唖然としつ
つ、調べてみると、函館人にとって羽田行きの最終便というのは、J
ALの7時40分が該当するということが判明した。うーん。僕が何
の疑いも持たずに言った最終便は、日に4便飛んでいるANAの最終
便のことで、これが6時55分である。そもそも函館にJAL便があ
ることなぞ忘れていた。是非も無し。とりあえず空港に向かったら、
そのJAL便に空席があった。僕は幸運な奴だなあ、とまた思うと同
時に、僕の馬鹿さ加減は歳と共に増加の一途であり、もう一人では何
もできないなあとも思う。
秋葉原に着いたのは夜10時過ぎだったが、街では何事もなかったよ
うに、ペアがいちゃつき酔っ払いがふらふら歩いていた。僕もコンビ
ニでカップヌードルとビールを買い、翌週の作戦を練りながら、狭い
ベッドにもぐりこんだ。まどろんでいると、東京勤務時代に夢中にな
っていたロックバンドの、”東京シティーは風だらけ”という曲が頭
の中で聞こえ始めた。20年前の当時も社会は風だらけだったのだろ
が、若者達はしなやかさを備えていたように思う。被害者とその家族
の悲嘆を思う。合掌。
May 24, 2008
Formal Logic 2
吉田のBLOGは堅いぞ、とのご指摘を頂戴することが多い。普段ボケて
いるので、僕を見知らぬ読者の皆さんに多少でもカッコつけてみたい
、という田舎者の願望がモロに出ているのかもしれない。そういう反
省を含めて今回は柔らかい話にしよう。ついでに文体も変えてみよう
かいな。
最近、形式論理学のあまりの厳格さに慄き、悔し紛れに身近な命題で
遊ぶ事を覚えたのは、前回のBLOGで書いた通りです。それ、
ロンドンの地下鉄の正常稼働率は高い
ロンドンの地下鉄の正常稼働率は高くない
これはロンドン近辺に住む人や、旅行時に苦労したであれば、色即是
空の日本人とて、積極的に排中律の原則に従い、後者が真であり、前
者が偽であり、その中間は存在しないことに、ウンウン、とうなずい
てくれると思います。
そこで、地下鉄で尿意をもよおしたらどうするかという問題が発生し
ます。地下鉄に乗り込む前であれば、自宅で済ますなり、去る際にパ
ブで済ますなり、大きな問題とはなりません。しかし、乗りこんだ後
の地下鉄が、その後、正常に運転しなくなることがあります。信号系
統の故障が良い例ですが、これはいつ起こってもおかしくないのが現
状です。
信号系統故障の特徴として、のろのろ運転ではあるが、前に進むケー
スが多い。これに対する解決法は、ためらわず次の駅で降りることで
しょう。この際、地下鉄運賃の高額なことは涙をのんで忘れるしかあ
りません。降りなかったために大きな後悔をするよりは、降りたほう
がよろしい。しかし、もう一つ命題があります。それ、
ロンドンには公衆トイレが十分ある
ロンドンには公衆トイレが十分ない
こちらも、後者が真であることに異をはさむ方は、まずいないと思い
ます。しかし、焦ることはありません。以下は女性にも適用可能な解
決法です。
駅を出たら、まず近辺にパブが見えるでしょう。トイレはまず地下か
1st Floor にありますので、直行します。パブによっては、公の場で
あるという良識の希薄な、セコいパブもあり、 'Customer only' な
どと店員に言われることもあるでしょう。この際も、こやつのセコさに
議論を吹っかけたりする時間は惜しみ、とりあえずカウンターで見せ
金しつつビールをオーダーし、断ってからトイレに急ぎましょう。そ
の後、きちんと金を払い、勝利のビールを飲んでから再び地下鉄にの
るかどうかは、個人の良識次第。パブ以外には、マクドナルドなどの
ファーストフード・レストランも、強力な助っ人となります。
しかし、これで解決できないこともあります。それは、乗り込んだ地
下鉄が、途中でウンともスンとも前に進まず、それが駅と駅の間であ
り、ひたすら待つしかない状態である時に、じわじわと、もしくは意
外な程、急激に尿意が高まる状態です。これは悲惨であります。解決
法は、ただ一つだけあり、死んだ気になって我慢する事でございます
。尿意にも2種類あり、所謂、大の場合と小の場合でございます。前
者の方が我慢が利きにくい、という特徴を持っていますが、前者は、
更に2種類に詳細分類されます。所謂、固いほうと、柔らかい・・・
僕はここにおいて、襟を正し、人の名誉と尊厳について考えざるを得
ず、おのずと文体も堅くならざるを得ない。前者の場合であり、かつ
詳細分類が後者である状況と、地下鉄がウンともすんとも動かないと
いう、極度の不運かつ絶望的な状況に置かれ、死ぬ気になっても、ど
うしても解決せしめることが出来なかった悲惨さを思ふてみよ。詳細
な予想描写は差し控えるが、当事者、周りの乗客。地下鉄はウンとも
すんとも動かない。赤子は激しく泣く。真夏のセントラル・ラインの
車内は40度近い。日本ではまずありえない事故だが、ロンドンであ
りえないとは言えない。幸い僕はこれまでにそうした惨状を目撃した
ことは無い。ちょっと危険な状況になったことはあったが、自分が最
終的当事者になったことも無い。しかし、過去にそうした現場に出く
わしていたなら、その後の僕の人生は、もう少し哲学的なものになっ
ていたかもしれぬ。ウーン、柔らかいのは怖い。
May 19, 2008
Formal Logic
お客様は神様である (AはBである)
お客様は神様ではない (AはBではない)
最近読んだ数学の本が面白かった。上の例は、基本を確か中学校で習
ったはずである。僕の場合は、パチンコやバイク等の余暇に、もう少
々難しい背理法などを習い、その後すんなりと情報処理学に進んだ。
仕事人になってからは、さらにデジタル回路設計やソフトウェア開発
を通じて、いやがおうにも true か false しかとりえな世界で仕事
もした。
この2つの命題は、論理的に共に成立することができない。共に成立
しないこともできない。できない論理は議論の対象になりえず、その
場でポイされる。数学や西洋哲学の世界では、論理は絶対であり厳格
である。
日本人が、論理性を重んじる人達(欧米人が代表格)と一緒に仕事や
交渉を行う際、論理性に関するベースの違いが、しばしば問題となっ
て現れる。
いったい、何を言っているのか、よく分からないと言われる。Yes/No
がどうしてはっきり言えないのか。または、言ったあとで、どういう
論理で後で翻すのか。これを、聖徳太子の時代まで遡り、日本人の思
考ベースにあるものを懇々と説明しても、徒労に近い作業となるであ
ろう。なぜなら、我々は資本主義社会の中で仕事や交渉を行っている
のであり、それは厳格な論理性に基づいてのみ成り立つ社会だからで
ある。そのような社会で、色即是空などと言い出だしても、残念なが
らポイっと捨てられる。中学で習った数学を思い出し、論理的な説明
と行動に努めるしかオプションは無いだろう。
上の例は、矛盾律(the law of contradiction)という基本原則である
が、これに続くのが排中律(the low of excluded middles)という原
則である。
お客様は神様である
または
お客様は神様ではない
以外にない、という原則である。即ち、「神様でもあり、同時に神様
でもない」とか、「お客様は神様と神様でないところの中間にある
」という曖昧さは、一瞬にしてポイっと捨てられるという、それはそ
れは峻厳な原則である。形式論理学とは、近代資本主義とは、ここま
で厳くせなあかんのかいな、とぼやきたくなる。まさに、是非も無し。
悔しまぎれに、身の回りで矛盾を感じていることを、形式論理学的に
吟味して遊んでいる。
同居人は権力者である。
同居人は権力者ではない。
家族や友人との社会、即ち契約の必要性が薄い社会では、排中律でポ
イっとするのは無理があろう、と思うのは日本人だけなのだろうか。
May 07, 2008
Johnson Wins
ここ10年ほど、一つの腕時計を年中使っている。IWCの入門機だそ
うであり、そう高いものではなかったが、僕にはこの入門機が気に入っ
ている。いや、他に欲しいものを見つけられない、というのが2個目
をなかなか入手できない原因になっている。
骨細であり、手首も例外ではない。悔しいかな、直径の大きな腕時計
や、金属製のごついバンドは、全く似合わないことを認めざるを得な
い。これは腕時計コレクターになるには致命的な欠陥ではなかろうか。
直径が小さ目で、皮バンドのみ、という条件に合う腕時計となると、
女性用を除いては、選択肢があまり無い。同居人が、黒い文字盤だと
大きめでもなんとかなるという。しかし、更に汗かきである。どちら
かというと痩せ型なのだが、発汗はげしく、テニス仲間をしばしば驚
かす。汗と金属のコンビネーションはどうにも僕には耐えがたく、短
距離陸上選手が金のネックレスなどしているのが、不思議だと思って
しまう。結局、小さめ皮バンドに戻ってしまう。どなたか良いお勧め
がありましたら教えてくだされ。
時計を探しに行った訳ではないが、同居人に押されてビスター・ビレッ
ジというアウトレットに行かされた。バンクホリデーの最終日に、家
を11時に出たというのがそもそも間違いであった、というのが後で判
明した。近辺までは、M40モーターウェイもすいすいだったが、ラ
スト5マイルに1時間かかった。結局、所要時間2時間半。同居人は
母乳の影響か、腹が減ると、どうにもならぬらしい。ミニ同居人は、
飽きて泣き出す。やっと着いたが、レストランが満席で、長いキュー
が出来ている。この二人には地獄のキューであろう。機転を利かせて
入ったつもりの、アウトレットの外にあるレストランで、今度はオー
ダーからたっぷり1時間待たされた。結局、家を出てからショッピン
グらしきものを開始するまで5時間が経過していた。ショッピングに
2時間。帰りはわりと順調で1.5時間。ガソリン代が数十ポンド。
僕にはどう考えても、さっぱりわからぬ。家に戻って、腕時計を見て、
結局9時間がかりのショッピングだったなあ、と言うと、そんな時間
なんて気にしないのっ、と言う。わからぬが、やらねばならぬ事なの
であろう。是非も無し。
連休明けの翌朝、いつものように East Putney で地下鉄に乗った。
信号系の故障で遅れが出ている、と通知版に書いているが、割とあっ
さりと電車が来たので乗り込んだ。4つ先の駅に到達するまで40分
かかった。そして、その駅でさらに停車状態が10分程経過した。ロ
ンドンに住む方は皆うなずいて頂けると思うが、こういうときの英国
人は、実に忍耐強く、乗客一人一人が立派な殿様に見えてくる。小者
の僕は耐え切れなくなって電車を降り、次の乗換駅である Earls
Court へ徒歩で移動した。他の地下鉄線を選んだものの、時計を見る
と既に9時前のラッシュアワーだ。来る電車全て満席で降りる人も少
なく、なかなか乗れない。3台目になんとか乗り込むが、次の乗換駅
でも同じことを繰り返さねばならなかった。
ようやくの思いでオフィスについて腕時計を見ると、家からの所要時
間2時間弱。ロンドン恐るべし。先週、みごと当選した新ロンドン市
知事のジョンソンさんに申したし、時は金なり。週明け朝の地下鉄の
遅れは、その一週間の士気をおとしめ、市の経済的損失たるや莫大な
ものでござる。なにとぞ地下鉄の信号システムを根本的に見直し、改
良して下され。
April 27, 2008
Marathon
巷では聖火リレー茶番劇が騒がしいが、知人が今年もロンドンマラソ
ンを完走した。ご存知の方も多いと思うが、ロンドンマラソンは大き
なチャリティー・イベントでもある。彼女は、これまで何度もこれに
挑戦し、完走し、さまざまな募金を行われている。その高尚な数時間
を死ぬ思いで駆け抜けられている頃、僕はある行事に参加し、ワイン
片手に、赤ら顔でぶらぶらとケント州の公園を散歩していた。なんた
る違い。
”えらい”、という日本語のニュアンスは、英語に翻訳しにくいと、
どこぞの本に書かれていたが、確かにそうかもしれない。彼女は正に、
えらい。これまでにも挑戦をやめようと思ったこともあるかもしれな
いし、いつかはストップせねばならない難行である。それを数度も続
けたというのは、文句なしにえらい。きっと、なにかしらの抗いので
きない使命感を覚える人なのではないだろうか。これはえらい。
えらい、の別のニュアンスに、偉くなった、課長になった、社長にな
った、というのがある。偉い人の接待は疲れる、などと使われる場合、
その地位が主な対象なのであり、個人の知力・人徳などは対象の外に
ある。偉くなった、なぜなったか、と考えたときに、なにかしらの抗
いのできないご指名があって、たまたま自分がその役割を一時的に演
じていると思えば、地位に固執することもなく、地位を利用した不正
を思いつくことも無く、指名されたとおりの仕事をきちんと進められ
るであろう。duty という単語は日本語になりにくいなあと感じてい
るが、まさに dutyを果す、ということである。僕は稲盛さんの本を
あまり読まぬが、このあたりは全く同感、えらいなあと思う。
普段あまり意識したことは無いが、社長業なんぞは、なんの得も無い
なあとは感じてきた。チャリティーとまでは言わぬが、たまたま当社
を創ってしばらく社長業を営むというのは、神か仏か知らぬが、何ら
かに与えられた自分の役割なのだろう、と思えば、昇給が少ないと訴
えてくる社員への対応や、首を申し渡す時の辛い沙汰も、いたって冷
静に対処が・・・できていないのが情けない。やはり僕はワイン片手
にぶらぶらしながら、これは辛かっただの、これはすごかっただの、
一喜一憂の俗な毎日を、これからもマラソンする事になるのであろう。
是非も無し。
April 12, 2008
6 x 200 = 1,200
おてんと様は下界の人間の期待とは独立して活動しており、夏時間と
なろうが、折角のイースター4連休であろうが、雨を降らしたければ
そうするし、4月になろうとも容赦なく雪を降らす。今年は特に文句
のひとつも言いたくなるような天気が続いているが是非も無し。UKで
最もよい気候と言われる5,6月が昨年のような悲惨なことにならな
ければ良いと思うが。
政治の世界も人間の期待とは独立して活動しているのではないかと、
再認識せざるを得ないことが世界のあちこちで散発する。近頃やり切
れない気持ちになるのは、瀕死の銀行に対する、官による救済である。
中小企業の経営者は、少なくとも従業員に給与を支払い続けるべく、
知恵を絞り、こつこつと小さな金を、懸命にやりくりして営業してい
る。税率が変われば更に工夫をかさね、legislationが変われば仕組
みを変え、情報漏洩と聞けばそれなりの対策する。そして経営が失敗
したら一巻の終わり。誰もが是非も無し、と思うだけで、危ないとき
には銀行も誰も傘を貸さない。現代の資本主義社会でのビジネスとは、
こうした厳さが必ず伴う。
当社の売上げは、昨年度、円でいうと約6億円だった。社員30名と
その家族が生活できる数字である。このまま営業を続ければ、200
年後には1,200億円となる。無論、僕が三途の川を渡ってから百
数十年を経過した頃であろう。こうした大金を3年の間に、利益では
なく、損失として作ってきた経営者というのは、逆の経営結果を出せ
うる人たちなのかもしれないが、今回の賭けは負けと出た。ビジネス
には多かれ少なかれリスクが伴うが、当時の都議会はリスクの方を選
択したのであり、まさに是非も無し。
そして、再生計画に全く説得性の無い破綻銀行に1、200億円の税
金の注入が、数度の会議を経て議決されたという。子供達の間でさえ、
広場や砂場で遊ぶとき、負けたビー玉は返ってこない。ズルをすると、
友たちにズルーイと言われる。ズルをしないまでも、200年分のビー
玉を損失しちゃうような遊び方を避ける知恵は、どの子供でも持って
いる。銀行というのは非常に特殊なビジネスのようで、これまでにも
国が救済するということが何度も行われてきた。その度に、中小企業
のオヤジたちは、ビー玉ってえのは、本当は返ってこないんだよなあ、
との溜息を抑えられない。
プロを集めて作った銀行である。当然、その品質はどうあれ、なんら
かのリスク回避のコントロールが、複数存在したはずであるが、なぜ
ワークしなかったのだろうか。さらに日本には、金融庁という、外部
の強力なモニター機能が存在するが、なぜこうなるまでワークしなかっ
たのだろう。 1,200億というのは、金融庁にとっては小さすぎる数字
だったのだろうか。僕の理解の範囲を超える、もっと生々しい原因が
積み重なったのだろうか。
この零細企業に不正が起きないように、事故が起きないように、当社
のサービス品質がなるべく個人に因らないようにと、社員が懸命に稼
いできてくれた、なけなしの金を使わせて貰って、コンサルタントを
雇い、基本術を教えて貰い、毎日コツコツと当店に合ったシステムを
考える。中小企業の経営者達はそのような努力を毎日続け、インパク
ト度でいえば、100万円程度の事故をいかに防ぐか工夫しているの
だ。1,200億注入、はあ~。
March 23, 2008
Tennis
当社の社員の3名がその翌朝土曜日、 Argos へ走ったという。その
前知識を仕入れ、僕も Amazon へインターネット上で走りオーダーし
た。ずっと気にはなっていたのだ。あれだけ巧みなTV宣伝をしばしば
見せられて、多少でもおもちゃ好きなオヤジなら、気にならぬわけが
ない。しかし1分を惜しむ毎日が昨年から続き、なんの手当てもでき
ずにいた。
その日は当社の新人歓迎会にて、シティーのパブで飲み始めた。ちと
ポッシュなパブであったが、それが置いてあって自由に遊べるのであ
った。今思えばこれを設置したフロア長は大したものだ。他の客がぎ
ゃあぎゃあ遊んでいるのを見ながらその凄さに呆れてしまった。いっ
たいなんなんだこのシステムは。加速度センサーというかジャイロと
いうか、昔は高価で巨大だったものが、こんな小さなコントローラー
に収まるようになったからなのだろうか。そしてそれを安価に提供で
きるまでに開発してしまう、かつ少年のように面白さを徹底的に追う
素敵なオヤジ達が集まっている組織に脱帽である。
カラオケマイクを話さないオヤジもいるが、僕はギネスを片手に、そ
の後たっぷり1時間、汗をびっしょりとかきながら、テニス、ゴルフ、
野球、ボクシングと、大忙しに遊び、WIIコントローラを離さないオ
ヤジと化していた。遊びたかったけど社長がコントローラーを離して
くれなくて遊べなかったスタッフの皆さん、ごめんね。今度ぜひ我が
家に来てください、一緒に遊ぼうよ。
Amazonから届いた箱を開けて3日後、イースターホリデーとあいまっ
て、僕のWIIスポーツのテニス腕前は600点を超えたぞ。既に相当
汗をかかないとコンピューター相手のゲームは勝てなくなっている。
ハード・ソフト共、芸細かく、バランス良く、感心の連続である。長
い道のりだと思うが、現在300点を越した同居人とともにWIIテニ
スプロの道をいつか究めたいと思う。
満足度120%の購買だった。一家の愛犬になりたいというのが開発
陣の根底に流れているのではあるまいか。どうにも見習わねばなる
まい。
March 12, 2008
Agility
我が庵はPutneyの東側に所在している。地下鉄駅まで徒歩3分とい
う場所だが、リスやら鳩やらが我が物顔に徘徊しているあたりがU
Kらしい。
Putneyという街は日本人もそこそこ多いのであるが、どうも社会的
認知度が低いらしく、同居人は友人に、パ゚ディントン駅から何時
間かかるの?と聞かれることも少なくないらしい。それは結構ショッ
クではある。
ここはZone-2なのである。東京でいえば、世田谷区の東の端あたり
であろうか。住めば都というが、僕はかれこれ12年このあたりを
うろちょろしており、なかなかよい街だとますます思いが強くなっ
ている。パディントンからは30分弱で着く街なので、皆さんお立
ち寄り下さいな。
Putneyはテニスで有名なWimbledonの隣町とも言える。そしてすぐ
西にはHeathrow Airportが鎮座している。僕が12年前にPutneyを
選んだのはHeathrow空港に近いというのも一つの要因であったよう
に思う。その後Warterloo駅からパリやブラッセルまでEurostarが
通じたのは大きな幸せでもあったが、昨年この名誉はKings Cross
に譲られてた。おおいに残念に思っている。
いつか書いたが自宅は禁煙となった。従って煙草を吸うときはフラッ
トの周りを徘徊しながら吸うことになる。表で吸っていると人の通
りが多く、大体はgarageへ通じる裏口で吸うことになる。これも以
前書いたが、僕の場合、煙草を吸っている数分間というのは、実に
考えが集中し、まとまる時間でもある。同時に、なにも考えずにリ
ラックスできる時間でもありえる。そんなときは空をぼんやり眺め
る。
裏で煙草をぼんやり吸っていると、上空を通過する飛行機の多いこ
とにいやおう無しに気が付く。PutneyはHeathrow Airportへ着陸す
る飛行機の最終通過地点でもあり、2,3分おきにひっきりなしに
その上空を通過する。
飛行機が飛んでいる姿は美しいとぼんやり思う。767とか777とか、
340だとか、それぞれに美しい。ぼ~っとみていて美しい。面白いの
は、でかい、747等の飛行機は我が庵上空を通過する際、既にスピー
ドが相当落ちている。それに比べて737のような小型は、いまだ元気
にスピードを維持しながらヒースロー空港にアプローチする。これ
だなあと思う。小さい奴らは小回りが利いて元気がいいのだ。
February 23, 2008
Work Permit
Work Permit(外国人労働許可)のシカケが変わるという。外国人(
日本人)への交付が難しくなると、当社は困る。すでに当社のニュー
ヨーク店はこのシンプルな’困る’と何年も格闘しているが、今でも
困っている。これがUKに来ると、とても困る。
難しくする理由は明白であろう。EUの描いた労働力自由化の理想像が
、実際には様々な問題を生み出した。これを調整・整理する為である
。やむを得ないだろうなと僕も同意する。
そして同意できないこともある。新しいWPのシカケが、相変わらずUK
に入国したい’個人’の資質や英語力等を審査の対象の大部分として
いるシカケである。その個人を雇う"企業"の資質や国への貢献度は殆ど
対象になっていない。どれだけUKの経済に貢献しているのか、大いに
審査の対象にすべきだと思う。
こういうあたりは昔のイギリス人達は大変賢かった。日本人も明治時
代には良い国際感覚を持っていた。はてはて、見物させていただこう。
Collision
Rokurakuというシカケを自宅にしかけた。日本のTV番組をインターネ
ット経由で予約、ダウンロードし、ロンドンで見ることがかなう。1
時間の番組が要するダウンロード時間は、約倍から3倍程度。世は実
に便利であり、そういう意味での便は毎日毎日進化している。
Rokurakuに恩恵を全面的に受けている同居人に付合って日本のニュー
スを眺めていたら、イージス艦と漁船が衝突したという報道があった。
僕がびっくりしたのは衝突ではない。翌日の日経の1面にこの記事が
とりあげられ、さらにそのコラムが海上自衛隊の側のみを誹謗してい
たことである。更に調べると、いくつかの他紙でも一面扱いであった。
福田総理に報告がいくまで2時間かかったことを非難するコラムも
あったようだ。
遭難した親子は実に気の毒である。しかし、僕には日経の1面に載る
ほどの事件とはとても思えないし、海上自衛隊が一方的に非難される
事故でもないだろうと思う。イージス艦は7千トン、コンパクト
ではあるが、実のある装備を備えた対空(主に)防衛艦である。沈没
した漁船は7トンであったらしい。
300人の乗組員を抱える7千トンのイージス艦が、いかようにして
7トンの漁船を衝突前に認識して回避できなかったに各紙の論点が集
中している。リスク回避制御が機能しなかったか、リスク回避計画の
どこかに問題があったのであろう。これは海上自衛隊が改善しなけら
ばならない。
しかし僕にもっと不可解なのは、7トンという小さな漁船が、いかよ
うにして、その1000倍の船体を持つイージス艦を少なくも10分間
は感ぜずに、まっしぐらに走って行き、かつ左通行を無視して、自己
を真っ二つに割るまで進んだことである。
誤解を招かないように再び言うが、遭難した親子の安否は分かってい
ないが、実に気の毒である。しかし、この事故で仮にイージス艦が核
をもっていたとしても、衝突相手は7トンの漁船であり、総理に3分以
内に届け出ることにどれだけ実があるのか、僕には分からない。
ワンダーランド日本のtyipicalなinstanceと思ったが、実は僕がワン
ダー日本人になってしまったということか。
January 18, 2008
NHS
投稿サボって遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。クリ
スマスは皆様のんびりされたり、スキーに行かれたりと多少の骨休
みが得られたことを祈ります。
僕が風邪を引いたのは12月中旬であったろうか。ミニ同居人は母
乳なので平気だろうとたかをくくっていたところ、見事にうつして
しまった。更に、大したことはなかんべーと思っていたが、その後
なかなか大したことになってしまい、クリスマスイブの24日、救
急課に運ぶことになり、その後3晩、病院にお世話になった。ミニ
は回復力が凄い。僕はひとつき経った今でも咳がとれない。誰かに
移せば直るのだろうが・・・
病院というところは、これまであまりお世話になったことは無かっ
たが、今はありがたいものだとつくづく思う。NHSというシステ
ムについて、様々な話を聞いたり読んだりしてきたが、僕は現場は
素晴らしいと思う。ナースやミッドワイフ達は、天使のような人た
ちが半分以上を占めるのではなかろうか。特に赤ん坊や子供を扱う
ワードの人たちは、本当に子供が好きで好きでしようがなく、その
仕事を天職として楽しみながら、かつ厳しいプロフェッショナリズ
ムを同居させて仕事をされている。頼もしくクールだなあと思う。
クリスマスも朝も夜中も問わず患者をいつもどおりにケアしてくれ
る。実にありがたい。
こうしてお世話になった病院での、最後の晩の逸話をはずかしなが
ら紹介してみようかいな。
その日僕は夜間前半(24:00まで)、ミニ同居人のケアをする
担当奉行であった。ミニをなんとか寝につかせ、おっしゃあ本でも
読めるか、と思っていたところに、隣のベッドに一家族が入ってき
た。二人部屋の病室の窓側に陣取った新人は若い母親と、これまた
風邪を相当こじらせたミニであだった。カーテン越しに音しか聞こ
えないが、取り巻きの家族が去ってしまうと、若い母親とそのミニ
はなんだか寂しそうだった。ミニの症状はきつそうで、怪獣の赤ん
坊のようなうめき(聞いたことは無いが)を続けていた。
どうも按配がやばくなってきた。隣人の僕に、ナースを呼ぶのはど
うしたらいいのと、カーテンごしに聞いてきたような気がしたが、
オレに聞いているだろうとは思わず黙っていた。そうしたら更にナー
スを呼ぶにはと聞いてきた。ぱっとカーテンを開けてオレにいふと
るのかと聞いたらそうだという。牢名主の気分を味わいつつ、どう
した姉さん、と聞くと、このままでは赤子がやばいという。僕は呼
び方なんぞ知らん。しかし壁に目をやると赤いボタンがある。そう
だ、同居人がミニを生み出した刹那にミッドワイフがこのボタンを
引っ張っていたっけな。”多分これですよ、”と僕はそのボタンを
引っ張ってしまった・・・
3秒はかからなかっただろう。5,6人のナースの男女が血相変え
て当部屋のドアを蹴散らし入ってきた。”どうしたっ!”、若い母
親は相当びっくりして、いやちょいと赤子が調子悪くて・・・隣の
オッサンにナースコールを頼んだだけなんですが・・・
僕はごめんなさいと平に謝った。ナースの一人は相当怖い顔して僕
を睨んでおったなあ。
深夜後半の部は同居人が担当奉行で、僕は仮ベッドに横たわりなが
らあれこれ考えたナ。
- このナースたちは普段どいういう教育受けているのだろうか。あ
の3秒で血相かえた数人がドアを蹴散らすのを目の当りにした。
プロが火事場でどう動くか見させてしまったわけで 大変申し
訳なかったのだが、プロというのは凄いものだなあとただただ
脱帽。
- 教えてもらっていないボタンは押すな(引くな)。しかし、僕は
中途半端にあのボタンを誰かが引くところを見てしまったので、
この事件が起きた。素人に教えてはいけないボタンは、簡単に押
せない(引けない)シカケを施さなあかん。
- もう家帰ってワインのみたい。
今年も元気に行きましょう。
December 09, 2007
A Busker
9月から生みの苦しみにもがき続けてきた。毎度のことだが特に最
初の数週間は暗中模索、一つ問題を解決すると新たな三つの難題が
ふりかかる毎日が続く。赤子のことではない。当社の新しいシステ
ムが昨日ようやく誕生を迎えた。
プログラマと呼ばれる人たちは多少のぶれはあるものの、ほぼ10
年に一度、これまでの仕事を否定されるような愕然とするイベント
を乗り越えなければならない。開発の環境ががらっと変わってしま
うのである。僕の場合、80年代にZ80アセンブラという言語を勉
強しC言語をマスターした。90年代にはMFCという環境で Windows
で動作するプログラムを作った。当時 Microsoftは COM だのCOM+
だの、恐ろしく複雑な開発環境をプログラマに強要していた時代で
あり、その難解さは極まっていた。そしてその流れををせせら笑う
がごとくJavaという優れた環境が登場した。相当数のプログラマた
ちはこれに走った。Microsoftは焦った。そして.NET Frameworkと
いうJavaに対抗する開発環境を作った。僕にとっては最後の10年
毎のイヴェントになるかもしれないが、今回はこの.NETに取り組ん
だ。その開発環境はすばらしい。とはいえプログラマが新しい環境
に取り組むときの苦しみは避けられるべくもなく、昼夜、夢の中ま
で難題に取りくむ毎日が続くのである。これを労働と呼べば僕のこ
の3ヶ月の労働時間は週100時間近くであったろう、まるで日本
にいるようである。
そして、ある日突然全ての苦しみが終わる。体が軽く感じ、新しい
機能の追加なんぞはささーっと作れてしまうこのオブジェクト指向
環境の素晴らしさをマスターしたぞという達成感にプログラマはシ
ャンペンを開けたくなる。
というわけで、ここ数ヶ月、社員や友人達には付き合いの悪いおっ
さんであったが、これをお詫びして平にご容赦いただきたい。赤子
面倒をみているのだろうと思われてたかもしれないが、僕にそのよ
うなことが出来るはずもなく、そのことは同居人が一番知っている
ようでもある。
とはいえ軽くなった体で赤子を登録するという作業はこなしてきた。
日本人が英国で生まれるという特殊性の為、同じような作業を2度
行わねばならない。英国への登録は、簡単な質疑応答で10分で終
了した。日本国への登録は、2通の同じフォームを2種類、更にも
う一枚。本籍なんぞ覚えていないわ、今年が平成何年なのかも知ら
ぬ。そして僕の住所は英国ロンドン市南西15区セントジョンズ通
りなのだそうである、なんのことだろう。赤子の名前は漢字でどう
書くんだっけ。我ながら、このオッサンはいったい何人なのだろう
か、珍しいやっちゃなあ、と思いつつ1時間フォームと格闘し漸く
作業が終わった。
大使館と同じ地下鉄にあるハロッズへ向った。17年間の英国生活
でこれで2度目だ。以前も書いたが僕はこういう環境でぶらぶらで
きないアレルギー体質のようであり、素早く用を足したい。たまた
ま入ったところにインターナショナルインフォメーションがあり、
日本語でどうぞと書かれておる。バウチャーはどこで買えますかと
聞くと地下一階だという。地下一階を歩きまわったが訳が分からん。
たまらずそのへんの店員に聞くと、金額は幾らだという。これこれ
ポンドが何枚というと、それは5階のファイナンシャルサービスへ
行けという。5階といっても広うござんす。漸くたどり着いたらま
さに銀行の窓口だった。化け物のようなデパートだ。アレルギーが
出る前に地下鉄に向ったら、なにか懐かしい音がかすかに聞こえて
きた。エレベーターが降りていくとそれはスキヤキソング、上を向
いてあるこうよ、ではないか。更に近づくと、日本人の若い女性の
バスカーであった。ギターをかかえて、帽子をちょいと被った、気
のよさそうな娘が、その素敵なよく通る声で若干テンポを遅めにし
て歌っていたのであった。思わずポケットを探って一声かけたら、
素敵な笑顔の礼が返って来た。安易なバイトに走る娘もいれば、こ
うして、まあ金目的ではないのだろうが、外国の地で芸を磨こうと
する娘もおる。
彼女はその日朝起きて、今日はやったろうかあと思い、歯を磨き
ながらレパートリから数曲選び、帽子も選び、そしてギターを抱え
てKnights Bridge駅へ向ったのであろうか。世の中の全てを肯定し
たくなるような平和な一日であった。
November 18, 2007
Joseph Oliver Yoshida
その暗闇で親にも分からぬやむにやまれぬ事情があったのだろう。
この肉塊は予定より7週間早く、11月6日に世に出た。医者も母
親本人も父親も誰も、母親のおなかの痛みをデリバリーだとは思わ
ず、感染かなにかだと思っていた。父親はその人生で初めて999
に電話した。
あまりに小さな肉塊。覚悟を必要とした。病院の同居人からの突然
の電話が怖い数日が続いた。さいわい、かかってくる電話はすべて
穏やかなものだった。そして2週間が経過しようとしている。医者
はそろそろ家にと仰っているそうだ。ありがたすぎて、世の神仏の
全てに頭を下げたい。
なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる
November 11, 2007
British Rock
英国にLed Zeppelin という奇跡のバンドがあった。少年吉田が彼
らの音に初めて接したのは、すでに4枚目のアルバムの露払い曲で
あるBlack Dog がラジオから流れた時だった。確か11歳だったと
思うが、その大人の味がするブリティッシュ・ロックに強く強く惹
かれた。ギターを弾きたいと思った。雑多な洋楽を手にし始めた時
期であり、その後もあれこれ物色していたが、彼らとの衝撃的な再
会は、その解散間際のアルバム、Presenceという作品だった。これ
も露払いであるがAchilles Last Stand という10分26秒の大作は、
15歳の少年を音楽的別次元に運んでくれた。それから30余年を
過ぎたオヤジをいまだに陶酔させてくれるだけの力をこの不思議な
曲は持っている。Zepのデビューアルバムの露払いは Good
times, bad times という曲だが、これも凄い。60年代後半の当
時、これで腰を抜かした若者が山程おったであろうなア。アルバム
の露払い曲は最も重要なのである。人をして外国の地まで運んでし
まうだけの強い影響力を持つのであろう。
ZepはドラムのJohn氏の他界を直接原因として解散となった。何し
ろ、奇跡のような4名が集まって10年活動したバンドであり、一
人とて欠けてはZepは存在しない。来月、Jon氏の子息がドラムを担
当してロンドンでコンサートがあるそうだ。勿論 ticket のアプラ
イをしたが、とくに大きな期待はしてはいない。同窓会のようなも
のであろう。無論当たっては欲しいが。
October 28, 2007
Win X
カラオケで歌うという機会はめっきり減ったが、たまには楽しいね。
以前も述べたが、芸の無い僕は大体は松田聖子あたりで露払いし
た後はひたすらもりたて役、その後は酒かウェイトレスとじゃれあ
うのが常だが、隣席ではマイクを離さないまでも、店を去るまで歌
のメニューを離さない方も割りと多い。こういう方達は、まずカラ
オケが上手である。聞いたことも無い新しそうな歌を上手に歌われ
るので、うらやましいなアと思う。
僕の友人にG君という英国人がいる。僕より一回りほど若い彼はご
両親がどちらも大陸生まれであり、某国系二世とでも呼べようか。
実に天真爛漫、愛すべき超明るい大陸系G君なのである。僕がロン
ドンに渡って1,2年も過ぎたころ、彼とは週に3度はパブで一緒
に飲んだであろうか、僕にとっては英語の大先生である。英語を学
ぶに際して羞恥心をいかに克服するかは重大な課題である。パブは
羞恥心を酒と共にかき消してくれるし、英語での話し相手が日本人
でない時は、旅の恥書き捨て的な軽さを伴い、グラマーなんぞは忘
れてぺらぺら喋れるものだ。これは貴重な勉強となる。いつぞや、
flu が流行った時、僕は furu としか発音できず、大いに彼に笑わ
れ、その後パブ客のほぼ全員が店員も交えて furu の大合唱となり
笑の的になったことがある。不名誉ではあるが、楽しい思い出であ
る。
G君とはそんなこんなで、彼の母国に一緒に旅行したし、日本にも
一緒に行って僕の函館の実家にも滞在してもらって、英語を話せな
い両親を笑わせてから、京都や四国にも共に足をのばした。東京に
行けば行ったで、人気者の彼のもとには、以前ロンドンで一緒に仕
事をしていた仲間達がなんやかんやと集まる。そしてカラオケが始
まる。普通はひたすら酒と喋りになるのだろうが、G君の凄いとこ
ろは、知りもしない日本演歌の旋律を器用にものにし、しかし日本
語はできないので、唯一知っている”いち、にいー、さんー、しいー”
をひたすら続けながら演歌を熱演するのである。これは文字では表
すことはむつかしい。仲間は抱腹八倒、笑いから回復するのに30
分は要するという、物凄い瞬芸を披露してくれるのであった。曲は
演歌なら何でもよいのであろうが、みちのく一人旅、だった。山本
譲二さんの曲であろうが、G君と名前が同じところがいとおかし。
October 10, 2007
Q4 has started
いやはや、大分サボりました、申し訳が立ちません、ごめんなさい。
さてさて、この間にも色々な事がありました。
[テニス]
フォアに迷いあり。もともと下手なバックには惑い無く、意外と良
い球が返ります。ティピカルな脱初心者問題にはまっています。
[赤ん坊]
我が第一子がクリスマスに誕生予定だそうな、ひゃア。無事育って
くれて20歳になったとき僕が66歳かと思うとゾッとしますし、
それまで生きているかいな。否、20歳まで金だけではなくて精神
教育すべきは、勝手に赤ん坊作った親の責任でありましょうぞ。と
まあ偉そうなこたー抜きにして、一層の健康管理だなあ、そろそろ
まじめに酒をなんとかしよう。
[ストライキ]
この前時代的な催し物は、UKでは今でもさして珍しいことではなく
て、毎年平気で地下鉄が止まりますね。今夏は二日間ほどやられま
したが、僕の場合、ストの影響の無い国鉄駅まで電車で移動し、そ
こからオフィスまで徒歩で50分程かかることを2度観測しました。
観測には少々汗をかきましたが、健康には良いですね。ユニオンの
皆さんありがとう。あまり参考にはならないと思いますが、僕の場
合、雇われ人であった40歳まで、一度も待遇に文句を言ったこと
はありませんし、それを言う前に静かに転職してきましたので、心
の健康はそこそこでしたし、まして経営者になった今は文句を言え
る対象が存在しません。
[ Liverpool Street Station近辺の文化]
年中道路工事。車の混み様は東京より酷いかも。浮浪者は当オフィ
スビルの喫煙コーナーに、今年は既に2度、茶色のお土産を置いて
いきましたが、これを朝一番に発見せざるを得ないときは、いつも
おぞましい気持ちになります。煙草をくれといわれて、Noと断わる
と、大体はおまえはセコイだの、なんだの、逆攻撃されます。毎年 Rates
という相当なお金を払ってこの場所にいるのに、なんだか理不尽だ
と思います。Kings Cross あたりは90年代に大分浄化されたようで
すが、L市長さんこちらもよろしくね。
[マドリン事件]
これはどうにも自業自得。自己責任・自己解決、がベースのUKな
のに、これだけUKメディアに取り上げられるのはベースが変わって
きているのかなあ。僕はUKの大人ベース文化が好みなので、大分残
念。
[経営]
うまく廻して頂いているので、安心して部下に浮世の商売を任せて
います。システマティックにやってきたつもりですが、やはりがむ
しゃらの6年間だったことは否めず、最近の僕の主な仕事は、僕が
やってきた、がむしゃらdirty仕事のクリーンナップです。自己責任
・自己解決。ビジネスのオブジェクツを洗いなおして、クラス化し、
データ化する、という構造化志向プログラマ的アプローチに没頭し
ています。少なくとも3年後には、この数週間の仕事が会社に貢献
することを確信しつつ。
[反省]
僕のここでのblogは専門的すぎて、分かりにくいと良く言われます。
September 16, 2007
Fixed
2週サボった、すんません。急性アルコール中毒になった訳ではご
ざいませんのでご安心を。仕事のせいにするのは良くないが、僕も
たまには仕事に没頭するのである。本当です。
それはまあいいが、US Openは、なかなか見物だった。順当といえ
ばその通りの結果になった。フェデラーさんはあと2,3回は行け
るだろうが、Justineはどうだろう。今回も見事優勝し、彼女が磨
いてきた技の数々の全てを見せてくれたような試合が多かった。さ
てあと何度このプレーを見ることができるだろう。これだけ華麗な
テニスを披露してくれている彼女の引退が今から惜しくてたまらな
い。余計なお世話だろうが、どうにも今のプレーがあまりに華麗な
だけに、見れなくなる日の来るのが今からとても悲しい。
ちょいと前にノッティングヒルのカーニバルというのに同居人にせ
がまれ、のこのこ出かけてみた。これには腰が抜けたわイ。ヨーロッ
パ最大のカーニバルとか聞いていたが、なんなのだろう。函館のイ
カ踊りの方が数段ノリが良いのではないだろうか。まして本場の阿
波踊りを数年前にタップリ実見した僕にはあまりのノリとオーガナ
イズの悪さに直ぐに帰りたくなった。毎年こんなもんなの?なぜ'
連'の間が30分も空くのだろう、安全の為かな?確かに相当な人
たちも集まっているので、あまりノせすぎると、やばいのかもしれ
ない。それにしても。
ここの編集長のあれんじで、子豚の丸焼きを喰う会、というのに参
加した。お店はファーリントン駅からすぐの、天井が高くてシンプ
ルな僕の好みの内装だったが、子豚が出てきたときは、人間の赤ん
坊の似ているなあと思って、ちと腰が引けた。でも美味しくて沢山
の人が参加されていて楽しかった。またいつかお願いします。
今日は、というか金曜からお客様のシステムに障害がでて、漸くF
IXが先ほど完成した。頭がうに状態なので、とりあえず近況報告
ということでご勘弁ください。
August 26, 2007
A sad man
僕のふりをした男は夜中の12時ちょっと前に実家に電話をかけて
きたそうである。函館の母親が眠い目で電話に出ると、風邪を引い
てオレは最近調子悪いんだという。あんた、ロンドンは寒いのと聞
くと、今年はロンドン寒いんだよと言ふ。あれこれ心配して話を進
めると、最近男性機能が動作せず、医者にも見てもらったがどうに
も駄目で困っているという。話を聞いているうちに、話題がおかし
くなり、更に男の性的興奮が高まり鼻息が荒くなり、あまりのこと
に僕の母親は頭痛が始まって電話を切ったそうだ。その後、眠れな
い一夜を過ごしたことは間違いないだろう。
結果から言うと、いたずら電話である。最初はオレオレ詐欺かと思っ
たが、そうでもないらしい。翌日、母親に電話をもらった僕と同居
人は、最初何のことだかさっぱりわからず目が点になった。
というのは、僕の両親が二人ともすっかり騙され、翌日まで僕から
の電話だと信じて疑わず、息子は頭がどうかしてしまったア、困っ
たアと、一晩心を痛めていたらしい。
わりと信用されてねえよなア、と同居人と苦笑いしつつ、婆さんを
相手にしてまでも自己の性的欲求を達成したいと欲し、かつ行動に
結びつけてしまう、この幼稚な男のバットを、本物のバットで潰れ
るまでへし折ってやりたい気分である。
その後暫く、僕はこの男のことをつらつらと考えてしまった。東京
に住んでいるのであろうか。一人暮らしなのであろうことは濃厚で
あるが、低い可能性ではあるが結婚しているのかもしれない。昼間
は紳士な会社員で女性にも多少もてるかもしれないし、まったく女
性に相手にされない男性としての魅力が皆無に近い男なのかもしれ
ない。今回のいたずら電話には、相当”慣れ”が見える。過去にも
最低、数回の履歴があるのだろう。この先、この男はいったい何度
このような行為を繰り返すのであろうか。この、他人を不幸な、い
や~な気持ちにさせる趣味を、自らターミネートすることができる
イヴェントはどのようなものになるだろうか、最終的には警察やソ
シアルワーカーの助けが必要になるのだろうか。
先週、タマタマ健康診断を受けた。生命保険に入る際の条件であり、
気の毒にも僕のGP(かかりつけ医)は、僕のパンツを下ろしてその
あたりをつぶさに観察するという義務を生命保険会社から機械的に
指示されていたようだ。これは観察される方も、ものすごくこっぱ
ずかしいが、まったく先生の方が気の毒である。何度かおもわず
sorry と小声で呟いたが、やさしい医者で、向こうも sorry と何
度か言ってくれた。
健康な男同士の会話は、通常このようなやりとりになるはずであろ
う。
August 19, 2007
Roulette
古い表現だろうが、飲む、打つ、買う、というのがある。今日は、
打つ、の分野に属するカジノに関して。
僕は浅田次郎さんの小説のファンであるが、氏は競馬のプロである。
長年続けて勝っておられる。こういう方はプロのプロでも珍しく、
ほんの一握りのプロだけである。その希少な方が、競馬とは必ず負
けるものだ、と断言されている。まちがいはないだろう。
僕はロンドンや大陸のあちこちのカジノで結構な期間遊び、賭け方
のメソドロジーもそれなりに研究してみた。その後、勝てるはずが
ないことを悟って卒業した、という訳ではなく、時間と金を使って
その行為を楽しみ苦しみ、もうええわ、というところで卒業した。
勝つこともあった。数時間勝負で、ちょっとした車を買える位の馬
鹿勝ちをしたこともある。しかし、結局負けるのである。その時間
軸が長いほど、必ず結果的には負ける。勝とうと思って行くべきと
ころでは無いのだ。負けるのだけど楽しい、のが健康的なカジノ屋
さんの楽しみ方である。
ルーレットを例に取ってみよう。英国の場合、盤に0から36の数
字が並んでいる。ルーレットを回して白玉を投げ、玉が落ちた数字
が当たりとなる。当たりの確立はシンプルに 1/37 である。仮に1
ポンドのチップを全ての数字に置いてみよう。37枚(ポンド)の
うち、必ず1枚が当たりとなる。当たればなんでも嬉しい。しかし、
配当されるのは35枚(ポンド)なのである。2ポンドの負け。カ
ジノという大元は 2/37、会計的に言うと 5.4% を荒利として商売
しているのである。普通の商売では成り立たない程の低い荒利率で
ある。
カジノが良心的な博打屋であることが分かるだろう。賭ける方から
見れば、94.6%という高勝率なのである。これは競馬やロンドン市
内に多数存在する賭け屋に比べて異常に高い還元率である。ルーレッ
トというと、なにかディーラーが技を使ってかけた数字を外すと信
じている方もいらっしゃるようだが、近代のカジノでそういう商法
を取れば、一週間で客は寄り付かなくなるし、大体そのディーラー
は初日で首になる。ディーラーには、とにかく数字をばら撒くこと、
ランダム性を指導する。
これほど高い勝率なのに、なぜこんなに負けるのか。それはヒトの
心理とか色々あるが、確実なことは、大元が5.4%という微妙な数字
を、荒利として設定して、確実に儲けるからである。確立とは、サ
ンプル数が多いほど計算どおりになる。カジノの場合、サンプル数
は一日の売上げ(客が幾ら使ったか)と、何日間営業したかの掛け
算となる。新装開店のカジノの初日は、もしかして赤字になるかも
しれない。しかし、何日も営業を続ければ、ルーレット台からの荒利
率は5.4%に限りなく近づくのである。
前述したように、5.4%という荒利率は、可哀想な位、商売としては低
い。ここからディーラーに出す給料や設備投資を捻出しなければな
らない。カジノ経営者達の最大のミッションは売上げを伸ばすこと
だ。他の商売と違って、売上げが伸びれば確実にその5.4%の荒利が
出ることがわかっているから、イベントを企画したり、頻繁に内装
工事を行ったりと、客の引き込みに必死なのだ。ディーラーによる
操作の教育なんぞやっている暇は無いのだ。
さて、ここ数年の僕の博打道は、年収の1%を年に1度か2度どば
っとカジノで賭けてみる、というものである。素敵な女性に同行し
て頂くと、大半は初めてという方が多いので、ビギナーズラックが
期待できて更に楽しい。そしてカジノというあの独特の雰囲気とカ
クテルなんぞをお楽しみ頂き、儲けたら利益折半、負けたらそれま
でである。今年は既に2度通い、一度目はちょいと負けた。2度目
は結構勝った。折半利益は僕の同居人の懐に収まった。ラッキーな
奴だ。
August 12, 2007
茫洋
本日、日曜午前の初級テニス会が終わったら、午後は東京から遊
びに来る友人をヒースロー空港にてピックアップし、軽い夕食を皆
で共にするつもりでいた。この友人は以前テニス会で仲良くしてい
ただいた方でもあり、食事はどこにしようか、とテニス仲間に切り
出したら、吉田さん、それって来週末のことですよねえ、と言われ
て良く考えたらそうだった。あぶね、延々とLHRでひとり待ちぼ
うけ喰らうところだった。
金曜日もそうだった。同居人が病院で定期検査があり、てっきり1
0時半だと(前回がそうだったので)思って予定を組み立てていた
が、実は午後2時からだった。午後からは出張が入っていたので、
同行できなかった、わりいわりい。
会う人が多くなったこともあるが、それにしても人様の顔が思い出
せなくなってきた。名刺を眺めても顔が浮かばないことが頻発する
ようになった。会合などで、久しげに挨拶されても、にやにやして、
いやーその後お元気ですか、などととりあえず場をとりつくる自分
は困ったものだと思う。
もともと切れの悪い頭がどうも年を重ねると共にさらに悪くなって
きた。更に、先祖のせいにするのは申し訳ないと多少思うが、O型
の良い加減な性格がより顕著に現れてきたように思う。
若い頭脳にはどうしても敵わないことが増えてくる。敵わないもの
は、任せるべきで、無理やり自分でやるのは年寄りの冷や水と呼ば
れる。おっさんは、その長い経験から築いた危険予知能力や第六感
が必要とされるところで仕事すればよいのだろう。本人はなはだ不
本意ではあるが是非もなし。分相応。
ここまで書いて僕は煙草を吸いに外にでた。と、なんと向かいのフ
ラットの入り口でお爺ちゃんがボコッと倒れているではないか。こ
らあかん、と思い小走りに寄ったら、我がフラットの隣から、真っ
赤なシャツを着た若者が脱兎のごとく駆け寄って、お爺ちゃんをい
ち早く抱きかかえた。幸い大事は無かったようで、よかった。爺ちゃ
ん腕をちょっとすりむいていた様だが、事なきを確認したら、若者
はささっと自分のフラットに帰っていった。スーパーマンのような
野郎だと思った。当社にCV送ってきてくれないだろうか。
やはり敵わないなあ、このスピード、勢い、身から自然にでる義務
感。自分は若者のときどんなんだったろう、と回顧するような年齢
になってしまった。
August 08, 2007
Solution
漸くロンドンが暑くなった。とはいっても30度をヒットすることは
なく、昔のような、おとなしいロンドンの夏、である。
7月下旬には大雨が何度も降って、イギリス西部やウェールズで洪水
となり被害が出たが、僕がホリデーから帰ってきたその日の午前中に
も大雨だったそうで、ガトウィック空港からパットニーの自宅まで、
2時間強のドライブをさせられた。なにしろガソリンを喰う車なので、
渋滞中にガス欠になったらカッコわりいなあ、と心配になる。
ところで、今のバイクには燃料残量計がついているのだろうか。僕
が乗ってた昔のバイク達には、無論そのようなものは装備されてお
らず、タンクをパシッとビンタしたときの音や、注入口の蓋を開け
て、ちょっとバイクを傾げたりして残りの量を確認していた。更に、
燃料の蛇口のようなレバーがどのバイクにも装備されていて、Main,
Off, Reserve というオプションがあった。通常は Main にて走り、
ガソリンが切れるとエンジンがボコボコッと切れそうになる。その
刹那にクラッチを切り、片手でレバーをReserveにひねり予備タン
クに切り替えアクセルを吹かす。エンジンが切れてしまったら、慣性
でそのまま押しがけ始動し、予備タンクのガソリンで、なるべく早
くスタンドに駆け込む、という技を覚えるといっぱしのバイク乗り
というものだ。タンク内部に仕切りがある、という実に簡単な仕掛
けなのだが、とても賢いと思う。
ちなみに、初めてバイクとそのメカに興味を持った少年の頃、バイク
雑誌によくでてくる、この”リザーブ”という単語が何のことかわか
らず、多分ガソリンが切れたら、サントリーのリザーブをタンクに注
入し、このレバーを Reserveに倒すと、混合比か何かが変わって、や
やも暫く走れるのだろう、と本気で思っていた。あっはっは。笑い
ついでにもう一つ思い出した。
初めて手にしたバイクは、カワサキのTR250というバイクで、多分函
館には僕の所有する一台しか存在しなかったであろう、珍しいマイナー
なものであった。そもそもカワサキの小売店が函館では一件しか無か
った。パーツの入手は、いちいち取り寄せとなり、たいそう時間が
かかった。
ある日、(あ、まさか食事しながらこれをお読みの方は居ないでしょ
うね)バイク雑誌で勉強した”チェーンを煮る”という整備をやって
みたくてたまらなくなった。まずはチェーンを外さねばならない。チェー
ンというのは、蛇が自分の尻尾を咥えているような按配になっており、
口と尻尾のところは、クリップ金具を挟んで連結するシカケになって
いる。これをカチッと外して、ガソリンとワイヤーブラシでチェーン
をきれいに洗い、その後、粘度が重めのエンジンオイルを空き缶に入
れ、下から弱火で暖め、暫くチェーンを寝かしておく。これでチェー
ン全体にきれいな油が行き渡り、その後のライドがとても気持ちいい、
というのである。ほら、どうにもやってみたくなるでしょう?
そしてチェーンを煮終わった。オイルというのは、勝手に下水や土に
流し込んだりしてはいけない。ガソリンスタンドに持って行き処理し
てもらうのが正しい方法なのだが、肥溜めに流しちゃえばいいじゃな
いか、しめしめ、とこずるい発想に自己満足した。この慢心が事故
を招いた。クリップも一緒に煮ていた事をすっかり忘れ、オイルと
一緒に肥溜めに捨ててしまったのだ。さあどうしよう。
紅顔の吉田少年、熟考一番、磁石を思いついた。兄がバイク好きであ
ったので、吉田家のガレージにはガラクタがいろいろあった。物色し
ていると、フライホイールが目に付いた。これだ。少年は、磁石に針
金を取り付け、息を止めながら愛する家族全員のブツが鎮座する肥溜
めを掃海すること3度目、見事クリップを奪還したのであった。うーん。
ちなみに当時の函館市宮前町に水洗という文化は到来しておらず、ど
この家も汲み取り式であった。今からちょうど20年前の夏の盛りの
こと。
July 28, 2007
Arbeit
いまだと児童保護法かなんかでパクられるかもしれないが、僕は小
学4年生の時に、仕事をして対価を得るという楽しみを覚えた。当
時はこのあたり、おおらかだったのだろうが、さすがにおおっぴら
にはできないので、新聞配達の中学生か高校生の兄ちゃんの子分に
してもらい、集配所に入ってひたすらチラシの折込をする、という
バイトを続けた。対価は忘れたが、驚くほど安かったと思う。それ
でも小学生には大きな魅力であった。中学に入ると部活動を始めた
が永続きせず、結局その新聞配達集配所に戻り、こちらの方がはる
かに長くなった。毎日1時間強、重い新聞を120件程配達して、
月収が3,4千円だったと記憶している。田舎の中学生には、こん
な割の合わないバイトしか選択肢がなかった。今でも風邪などをひ
いて多少熱がでると、夢の中で、どの家に配達してどの家に配達し
てはいけないのか判断がつかず、汗をかくあたりで目が覚めて、あー
夢でよかったとなる。
以来、様々なアルバイトで稼いだ。高校生、というか僕は高専とい
う毛色の変わった学校へ行ったのだが、普段はサッカーとバンドで
忙しくバイトが出来ない。夏や冬の休暇中に稼ぐことになる。
XXコーラのルート・セールスのトラックに乗りこみ小売店を訪ね、
1ダースの木箱を4つ同時に持って移動する術を覚えたのは嬉しか
ったが、これは体力的・時間的に大変きつく、僕の中では今でもこ
の会社はバイトをこき使うNo1に位置している。日給3,500円。
旧国鉄の設備保守のバイトを近所のオジサンのコネで貰ったが、実
際には仕事が無い。精々列車の車軸に紙やすりを当てる程度。昼に
弁当食べて夕方風呂に入って帰ってくるようなものである。すなわ
ち単なる員数合わせなのである。組織体質がそうだったのか組合が
強かったのか知らんが、そういう社会の一面も見させてもらった。
これは一日3千円位だったろうか。
北海道らしいバイトとしては、当時活躍していた青函連絡船のキッ
チンがある。キ**クが雇用主であり、社員腕章を貰うと、青函連
絡船に自由に乗り降りできる(これはバイトをやめてからも暫く役
に立った)。往復で10時間の間に、レストランが6時間程開店し
ている。この間に皿を洗う、グラスを磨く、子供のゲロを処理する
というものである。この往復を1日に2回行う時と、3回行うとき
がある。3往復だと30時間となるわけで、当然仮眠はするものの、
さすがに陸が恋しくなる。そして、今でも謎だが、2回往復しても
3回往復しても、なぜか対価は5,800円固定なのであった。
更に北海道らしいのは芋掘りだろうか。これはカ*ビーが雇い主で
あったが、冷夏にてジャガイモの確保が難しかった年である。学生
バイトを雇って農協・農家に無料で送りこむ見返りに、ジャガイモ
の供給を確保するものであった。朝5時半にバイクに乗り、集合場
所の農協・事務所へ向う。ここでランダムに行き先の農家が決めら
れ車に押し込まれる。慣れてくると場所もわかって農家にバイクを
飛ばす。そして朝6時から夜6時まで、ひたすら芋を拾うのである。
日給6千円、すげえバイトだったなあ。我々の掘った芋が、ひそか
に農協以外に向けて出荷されていったのを目撃したこともある。し
たたかなものだなあと思った。
函館は港町ということで、倉庫商売も盛んだ。マイナス20度の冷
凍庫に入って、烏賊の冷凍塊を入出させる。寒いなんてもんじゃな
いが、その1時間後には外に出て、今度はトラックの荷台の中で大
汗かいて作業する。2週間も続けただろうか、とうとう風邪ひいて
ぶっ倒れた。さすがに親に、このバイトだけはやめてくれろ、と言
われたのでやめといた。
その他、場末のスナックでキャンディーズを演奏させられたり、こ
こには書けない数々のバイトもこなしたが、学生生活も終りに近づ
くと、多少知恵が出てくるものである。
僕のバイト人生はパチンコ屋で完結する。高専も卒業年になると自
由時間が多い。いや、本来は卒業研究に没頭することになっている
のだが、勘違いしてパチンコに没頭した。平日の朝から晩まで、毎
日同じパチンコ屋に通えば、当時のパチンコ屋のシカケだと、どう
しても勝ってしまうのだ。今はデジタルやら777とかなんとか、
店のコントロールが強いのだろうが、当時は毎日通って多少の予知
能力があれば大体勝てるのであった。万単位で勝つこともあった。
こうして平日はパチンコ屋に通い、気が向けば学校にタクシーで通
い、週末は優雅にバイクと遊ぶ(週末は素人衆が多く商売しずらい)。
今思えば夢のような学生生活の日々が過ぎ、卒業し、東京に出て社
会人となり、初めて手にした月給は、パチンコ人生の2週間分程度
のものであった。
July 21, 2007
Smoking Ban
吸う人も吸わない人もご存知であろうが、英国では7月1日に
Smoking Banが施行となった。
イタリアやアイルランドでは昨年に施行を終えており、いつかは来
ると思っていたが、本当に来てしまった。僕はタバコを嗜む、なん
てえもんじゃなくて、言ってしまえば女房役のようなものである。
例えば物事を考えたり作ったりするとき、熟考一番、ひらめいたも
のを文章や図面にするなりプログラム言語に表現し推敲する。もう
良いぞ、というところでライターをカチッとつけ一服、頭を冷やし
てからまた次のステップに進む、という作業を20数年続けてきた。
アイスクリームで言えばウエハー役である。僕に何らかの仕事上の
作品があったとすれば、それは全てタバコと共に創作してきたもの
である。なので、10年前にオフィスでタバコが吸えなくなった時に
は驚いた。そんな環境で仕事なんて出来るのだろうかと思ったが、
当時は喫煙部屋を作ってくれたり、ビルの外に出て一服、なんとか
その習慣に切り替えた。それでも週末に自宅のPCの前に陣取って、
タバコを燻らせながら進める仕事効率の抜群の良さは否めなかった。
今回は、公衆の集まる場所からの全面禁煙である。レストランは良
い。これは明らかに人様に迷惑のかかる場であり、文句を言うほう
が無理であろう。しかしパブは困る。パブは、喰うという人間の原
始的、生理的欲求を満たす為のレストランとは明らかに違う場であ
り、もっと高尚な場なのである。難しい仕事の話もたまにはするし、
どうやって人を笑わせるか常に考えているし、大変に知的な場なの
である。こういう知的作業が必要な場からタバコを法律で追い出す
のは実に情け容赦の無い殿様のやることであり、これを決めた奉行
たちはきっと良い死に方はせんだろう。英国では施行にあたって様
々な案があった。例えば、食事を出すパブとそうでないパブに仕分
けし、後者はオーナーの一存で禁煙・喫煙が決められる、という英
国人らしい処理案があった。メンバー制のクラブでは、メンバーの
同意で喫煙OKにするという、これまた英国らしい処理法も意見さ
れた。結局は全て却下、全面禁煙となったのである。90年前半に道
路にスピードカメラが取り付けられ始めたとき、英国文化の良さが
また一つ消滅したと残念に思ったが、同様の感がある。
更に追い討ちをかけるように、我が家も7月1日からSmoking Banが
施行された。これには驚愕した。そんなことは全く考えていなかっ
たので一瞬頭が白紙になった。禁煙奉行は無論同居人であり、猛烈
な抗議を試みた。せめて2nd bed room で、と小さな声で最後の抗
議を試みるも一蹴、かくて我が家は全面禁煙となり、英国的良質文
化がまたひとつ消滅したのである。これを決めた人はきっと・・・や
めとこ;
ところで私の顔は真っ黒である。いや、タバコのヤニではなく、一
週間のビーチ・ホリデーの結果である(先週の投稿さぼりました、
ごめんなさい)。もともと地黒であり、更に日焼けしやすく、かつ
また赤くならずに当日そのまま黒くなる、という函館人にも相当珍
しい特異な体質なので、ちょっと日本人に見えなくなってしまった。
そんな顔が真っ黒の白髪のオヤジが自宅の前のストリートでぶらぶ
らタバコを吸っていると、通行人が嫌がる、いや、嫌がっているよ
うに僕が感じる。
ということで、大変肩身の狭い寂しい思いをしておる。いっそのこ
と止めてしまえと人は言う。言わば言え、30年も連れ添った女房役
をそう簡単には捨てらんわい。
July 07, 2007
Freelander
僕の父親は国語の教諭をしていた。いわゆる文系であるが、当時ワー
プロを仕事に取り入れたり、今でもそこそこパソコンを使いこなしており、
多少は技術っ気があるのかもしれない。僕は根っからの技術系なの
だと思う。結局電気屋になったが、機械屋になってもいいかなと思
う時期があった。
中学に入って自転車に興味を持った。サイクリスト?名前は忘れた
が月間雑誌をせっせと読み、新聞配達で稼いだ金をパーツにつぎ込
み、親に買ってもらったごくふつうの黒い自転車が、見た目は軽快
なイエローのスポーツタイプに変身した。高校では無論バイクにな
る。今時のバイクはコンピューター制御されているのであろうが、
昔は機械のみの塊であり、そこそこ単純なもので、少年の技術心を
十分に満足させてくれた。
カワサキのTR250というオフロード・バイクのエンジンをばらばら
にしてシリンダーヘッドを磨いたりして楽しんだ。このバイクは月
に一度はポイントを磨いてタイミングをとってあげないと機嫌が悪
くなるしろものであったし、ケッチンがひどく何度も足に痣を作っ
た。機嫌がよいとその加速はすばらしいものがあった。可愛いバイ
クだった。その後ホンダの良心と呼ばれた CB 400 Fourという素敵
なバイクが愛機となった。函館から1時間弱で大沼公園という観光
場所に着くが、ここの湖畔が格好の私レース場となった。今思えば
実に危なっかしいことをしていたもんだが、していないよりはよかっ
たと今思う。男の子はなんでも体験すべきだ。
自動車の免許をとったあたりから、機械熱はさめ、ただの乗り物に
なってきた。とはいえ今でも車の運転は好きなほうだろう。何時間
乗っていても苦にならないし、天気がよいとドライブも良いもんだ
なあと思う。
何度かこのブログに登場した真っ赤のアウディーがとうとう我が家
を去った。10年以上も僕に付き合ってくれたんだから、写真ぐらい
撮っておけばよかったかと多少後悔している。そして我が家に新た
に登場したのは、濃紺のランドローバーである。このような高い
(値段ではない、車高のこと)車に乗るなんて思ってもいなかった
が、車好きの社員が最近新車に乗り換え、売りに出ているところを、
さっと買ったものだ。社員の中古を社長が買うのは変人だという声
もあるが、そんなことには僕はまったく頓着しない。僕が尊敬する
伊藤忠会長の丹羽さんは、社長時代にも電車通勤し、マイカーはカ
ローラだったそうな。あっはっは、あっぱれ社長。
この車は少なくとも7、8年程度は動いてくれるだろう。実に安く
売ってくれて、ありがたいと思う。動けば良いと思っていたが、乗
ってみると、とっても楽しい車なのに気付いた。 Free Lander と
いう車だそうだが、エンジンがなんとV6で2.5リッターという強力
なもので、重い車体なのに加速が大変良い。オートマなんだけども
マニュアル・モードがあったりして、機械心も擽ってくれる。当面
ドライブが楽しくなりそうだが、天は二物を与えず。大食いなのだ。
ペットロールのゲージが目に見えて減る。まあ年に2千マイルも走
らないので良しとしよう。長生きしてくれよオ。
July 03, 2007
Transfer pricing
当社グループは4月に再編を行い、東京店が本社・親となり当店は
子となった。これを機会にちょいと勉強してみると、移転価格とい
うものがあることが分かった。
例えば、当社の本社である東京店が営業し、欧州での仕事を100円
で受注したとしよう。ごく当然ながら子会社である当社が実際の仕
事を欧州で担当する。わざわざ当店の競争相手に仕事を与える馬鹿
な親はおらんであろう。
さて当店ではこの仕事を70円で請け負ったとする。即ち東京本店は
30円の荒利となり、当店では売上げ70円からコストを差し引いたも
のが荒利となる。ここで、移転価格という概念では、はたしてこの
70円という請負い金額が、世間一般で取引されている価格とかけ
離れていないかどうかが問題となる。
仮に70円が世間一般と比較して大安売りだとすると、英国の税務
署が文句をつけてくる。もっと高く売れたはずだろう、その”はず”
の数字に対して企業税を払えと。
逆も真なりで、70円が世間相場よりも高かったとすると、今度は日
本の税務署が文句をつけてくる。子会社なので、高く買ってあげて
便宜を図っただろう、ついては高く買った分に対して企業税を払え
と。
上の例のような単純な売買のみならず、”技術”や”知的財産”に
も移転価格が適用される。親会社が開発した技術を使って、海外子
会社が製品を作って販売した場合、日本の税務署は黙っていない。
開発元である東京本社に対して、おまえはタダで技術を子会社に供
与した、ついては子会社がそこから得たであろう予想利益に対して
企業税を払えと。
親が我が子に愛情や教育や生きていくための食料や物資を無償であ
たえることは、ごくあたりまえの行為であろう。動物的な本能とい
える。そこに国家がしゃしゃりでて税金をとるのは何ゆえか。
さらに、移転価格の対象者は、国際的に活躍し既に企業税を各国で
納め、世界的な雇用機会を創造してきた企業であり、すでに十分な
社会的責任を果たしている。何ゆえ更なる税金、しかも世間一般と
いう実にあいまいな数字基準を持ったもので絞り上げる必要がある
のか。基準があまいために、この税務署調査には膨大な時間が費や
され(即ち税金が使われ)、膨大なディスピュートが発生するだろ
う。
僕は今のところ、この仕組みの本質が分かっていないのだろう。偉
い人たちが考えたものであろうから、様々な理由や利便もあるのだ
ろう、誰か教えてやってつかあさい。
June 23, 2007
顔
日経ビジネスという雑誌がある。雑誌という性格上やむを得ないが、
調査の掘下げが弱いなあとぶつぶつ思いつつも、なるべく電車で斜
め読み程度はするようにはしている。今週号では、2枚の顔写真が、
別々の記事であったが、対照的だった。一方は、循環取引を続け千
億円水増し世間に叩かれている会長。この方は自ら起業されたが、
50年目にして躓いた。一昔前の悪徳政治家のような写真が載ってい
る。
他方も随分昔に起業しヒット作を何度も世に出てきた食品会社会長
だが、この方は個人で100社以上の優良株を大量に保持する個人投
資家としても有名だそうな。この投資家は株を売ったり買ったりは
せず長く保持するそうで、短期的な投機はしない。ただし、リーズ
ナブルな配当金をしっかり要求する。取締役会にとっては、頼もし
い資金提供者であり、かつ厳しいお目付け役にもなるだろう。理想
的な投資家ではないだろうか。実に良い顔写真が載っている。
どこぞで読んだか忘れたが、リンカーン大統領がどうしても毛嫌い
する政治家が居た。側近が思いあまって意見すると、顔が気に喰わ
ぬと言う。この人格者である閣下が人を顔で判断するは如何かと諫
言すると、40をこえた男は自分の顔に責任を持たねばならぬと。
日頃考えること、心がけること、行動によって男の顔は30代あたり
で変わるという説に僕も同意する。
成田空港の本屋でなにげ手にした本が大当たりだった。ポンティン
グ氏という英国人写真家が明治時代の日本について、大量の写真と
共に書かれたものである。日露戦争に従軍され、奉天に児玉源太郎
陸軍大将を訪問したり、上村彦之丞海軍中将の自宅を訪問したりと、
ポンポンと僕のヒーロー達が登場する。残念ながら彼らの写真は掲
載されていないが、一枚だけ実に印象深い写真がある。
黒木為楨陸軍大将が、ポンティング氏を右に置いて、側近たちをま
じえた記念撮影である。暫く動けなくなった。なぜなら僕の想像力
で描いていた黒木大将の映像ががあまりに矮小なものだったからで
あった。黒木大将が作り出す空気がそこに嗅がれる。風格などとい
う単語は陳腐にさえ感じられる。写真がモノを言う。そしてまた、
大将の周りを固める士官や、ポンティング氏を含めた英国人従軍者
達の顔達がこれまたすごい。
昔の日本には凄い人がなんにんもいた。明治時代に生まれたかった。
June 09, 2007
CSR
5、6月は日系企業で海外赴任や帰国が多く発生する時期でもある。
今年も仲良くなりお世話になった数人がご帰国となり、しばしの別
れとなる。寂しい限りである。確かに国際電話があり、インターネッ
トがあり、電子メールがあり、カメラさえある。連絡手段には事欠
かないのだが、それは一枚のハガキの領域をさほど出ない。時間と
空気の共有が格別なのである。給与改定時のどたばたが落ち着いた
と思ったら、当社でも人事のどたばたが始まり、今年も人材の動き
が激しい初夏となった。
ちょいと前までは、企業は人、金、物といわれたが、今流行のCSR
(企業社会責任)風にいうと、社会、経済、環境だそうな。企業は
法人市民として社会責任をまとうせねばならない。ごもっとも。し
かし環境だなんだというのは、当社のような小企業には大上段すぎ
て白々しいし、上場していないので株主なんてどうでも良い。当社
はヒトの年齢でいえば小学6年生あたり。ぶっちゃけたはなし、悪
いことをしないで、真面目に仕事し、出来るだけ金を儲けて、税金
を毎年国家に納め、残りの金で会社を大きくする、のが当社のCSR
だ。
この際、サービス業の当社に最重要なのはヒトである。そのヒトが
一時期に複数出たり入ったりするのは、なかなか賑やかな風景でも
あるがゾッとする瞬間でもある。最近、こんなちんけ会社にも興味
を持ってCV(履歴書)を送ってくる前途有望なヒトが徐々に増え
てきている。聞けば当社のWebページを読んで応募したという。
確かに昨年相当の時間をかけてリクルートのページを書き込んだ。
これはホントにしんどい作業であり、できれば分散したいが、当面
人事のことは僕に執行責任があるだろう。面白いページには、確実
に反応があるのは分かっているのだから。
May 27, 2007
Wage
当社社員の収入は、年一度、職責・職能の分析と課長会による多少
の調整で決定する。ボーナスは貢献度に重みを置いている。2年前
に職能分析システムを手作りし、多少の改良を続けている。今年は
4月からアプレーザルと分析を開始し、今月の給料にそれらの結果
を反映した。
毎度の事だが、不機嫌になる社員が出てくる。その顔は変わる場合
もあるし、毎年決まって機嫌が悪くなる社員もいる。気の毒だとも
多少思うが、こちらも真剣に評定を重ねた結果である。
他方、給料が驚くほど増える社員もいるが、こんなに増えて僕は一
体何をやらかしたんだろう、今後どうすれば良いのだろう、と言っ
てくるものは一人もおらんなア。
僕は過去に3度転職している。一度目は当時の収入の低さとそれが
退職するまで続くという予想が一番の理由のように記憶している。
大企業であったし、当時、給料の交渉というのはありえないものだ
と思っていたので、静かに辞めた。2度目は渡英に伴うものであっ
たが、日本で貰っていた給料を当時のレート、260円位、でそのま
まポンドに直したものを頂戴した。ロンドンの物価とTAXの仕組
みを知る方なら、その悲惨な生活に共に涙してくれるだろう。厳し
い英国生活を開始したのであるが、日本を離れてしかできない経験
はカネには変えられない。3度目は今の会社を興した時であり、資
本金を入れた後、無論、数ヶ月間給料なんぞはない。なので、僕の
社員番号は今でも4番である。昨年ついに僕の給料が上がり、名実
共に会社のトップになった。手前のカネが増えたのも多少嬉しいが、
漸くまともなピラミッド組織になってきたのが嬉しかった。
思えば社員達は常に仕事に頭を使い体を使い、更に評定や年収・残
業代に気を配りながら毎日仕事している。大変なものである。でき
うれば、社員全員の後者の部分を取り除いてやりたいが、なかなか
そうも行かない。会社の成績を冷たく分析しながら毅然といくしか
ないのだ。この時期、マキアヴェッリを読み直すのが習慣になって
きた。
May 19, 2007
Golf
5月、6月のロンドンは本来すばらしい。今年はなんだってこんな
に暗く湿っぽい日が続くのか恨めしい。
先週末はJCAのゴルフコンペが開催された。第300回ということで、
300ポンドの旅行バウチャー争奪戦となった。あいにく優勝は逃し
たが、小雨しとしとの中、プレーはそこそこ自己満足であった。
そう、僕はとりあえずゴルフをする。するとはいっても腕前は恥ず
かしくてとてもここで書けるようなものではない。なにしろ平均ス
コアは110は超えるだろう(書くなっ)。そのくせ、なんと15
年程のゴルフ暦を持つのだ。僕自身は割と楽しみながらプレーして
いるのだが、どうにもゴルフが僕のことを好きになってくれないら
しい。従って上達の気配すらない。
玉といのはその形状からしても、本来動的なものではないだろうか。
静止している玉を打つという妙なスポーツはゴルフ以外にそう多く
はないと思う。玉突き位しか思い浮かばないが、これも若い頃、ビー
ルを飲みながら朝まで遊んでいたが芽がでなかった。英国のパブに
は玉突き台が置いているところが多いが、最近はちょっと酔うと空
振りさえする。ちなみに僕は玉をひとつずつ親指で弾くパチンコ台
を知るほどの高齢ではないが、小学生の頃にオハジキという遊びが
あって、あれはオフィシャル(あまり周りに馬鹿にされずに)に男
の子と女の子が一緒に遊べるしろものであったが、いまどきの小学
生は知らないだろうね。
当社の若いモンが数人、ゴルフを始めたと聞いた。英国人の二人は
既にコースを廻っているというから、たいしたもんだ。7,8人は
集まりそうなので、今年中に大コンペ(2組・・・)を開催しても
らおうかと思う。入賞者には当社特製ボールペン等、豪華賞品を提
供しよう。仕事仲間が週末にスポーツに取り組むところを横で見る
のは、お互いなかなかおもしろい。豪放磊落な当社M取締役が決し
てウッドを使わなかったり、Y取締役が意外とパットをきちきちっ
と決めたりする。仕事でもこういう面を見せて欲しかったりする。
とはいえ僕のゴルフも割と慎重だったりする。あっはっは、人のこ
とは言ってられねえや。
May 15, 2007
段取り
住めば都という。当社オフィスが現在のCity東のはずれに移転した当
初は、都落ちという単語がちらついたが、やはり住めば都なのである。
レントは安いし、かといってお客様のオフィスに、バスや走りで30
分以内で駆けつけられる。レストランは妙に多く、昼飯の選択には迷
うほどだ。他テナント社員の雪駄・短パン姿も、慣れてしまえばなん
てこたあない。空調もとりあえず冬の間は快適であった。とはいえこ
のオフィスは2009年の秋に契約が切れる。来年の後半に、またまたプ
ロパティー探しを始めなきゃいけないかと思うと気が滅入る。
さて、当社オフィスが面している道路は、先週から通行止めが続いて
いる。昨年越して来たときにも2ヶ月程だろうか、同じく通行止めが
続いていた。例のThames Water社の大々的な水道管の交換工事の一環
であろう。昨年の通行止めは、主水道管の入れ替えであり、今回の工
事は、新しい主水道管から各ビルへの引き込み管の交換のためである。
この段取りは興味深い。工事を2回に分けることにより、総コストを
抑えられるのか、またはサービス停止期間を少なくできるのか。また
は何も考えていなかったのだろうか。
現場には2枚の看板が張られている。これも興味深いので紹介したい。
一枚は、僕のつたない訳によると、「この現場工事は、シティー・オ
ブ・ロンドンの通達による、”静寂な時間”を厳しく考慮している」。
当オフィスは3階にあるが(日本で言う4階)、先週の真昼の騒音は、
相当賑やかなものであった。いったいどいういう通達なのか、もしく
はどういう考慮なんだか。大声で歌いながら作業しているおっさんも
いる。2枚目、「私たちの工事は直ぐに終わりますが、この工事によ
る利便は永い寿命を保つでしょう」。直ぐに終わる、の部分は a
short while と表現されている。既に週末を挟んで一週間経過してい
る。少なくとも今週一杯はかかりそうな現場の進捗状況である。
先週、お客様のシステムが不都合となり、Tolworthまで我が真っ赤な
アウディーで駆けつけた。自宅はPutneyなので、普通に走って20分
かからない程度の距離である。仕事を終えての帰路、A3のRobin Hood
前が大渋滞であった。事故かなあと思つつ、漸くのろのろと信号を通
過すると、2台のでかいトラックが2車線の片側を完全に塞いでいた。
そして無人。誰もいない。A3というのは南西部とロンドンを結ぶ幹線
道路であり、いったい誰がどういう段取りでこういう渋滞を発生させ
るのか、ロンドンではよく見かける光景だが、どうにも腹が立つ。
この国での段取りは一般的に言ってしまえば上記のようなものだが、
火事場には滅法強い。IRAテロの事後や、ダイアナさんの葬式での素
早い段取りや行動力は感動的とさえ言えた。ちょいとずれるが、過去
の戦争でもここ一番という天王山は全て制してきた国である。しかし
普段はシャープさに欠けた、ただの人に戻ってしまうのである。これ
も興味深いと言えばそうでもあろうか。
May 05, 2007
Bank Holiday
日本はGWだったが、えげれすの今週末も3連休。小旅行を楽しむ
方も多いだろうと思う。出不精の僕は予定もなし。
僕が最も効率のよい仕事を進められるのは、困ったことに週末の午
前中である。もういいという程たっぷりと睡眠を取った後の朝は、
頭が良く回転する(除:二日酔)。電話もかからないし、メールも
非常に少ない。自分のやるべき仕事のみに集中できる邪魔なしの数
時間は仕事に最適なのである。当社は物理的な紙を極力嫌うオペレー
ションを行っており、外部からやってくる全ての書類はスキャンさ
れ、サーバーに格納する。なので、自宅からインターネットを経由
してオフィスのほぼ全てのリソースへアクセスが可能であり、自宅
から出来ない仕事はまず存在しない。とはいえ、これまで家族サー
ビスの必要性がなかったから、とは言える。言えるどころか、重要
な問題であろう。しかし僕は社長という機能であり、静かな環境で
一人キーボードと相談しながら週末の朝にモノを考えることを止め
るわけにはいかない。家人には良く良く言って聞かせ、そして書斎
が作れる程度のフラットに移動する必要があるかもしれない。
こうした快適なリモート仕事環境をお望みの方はエクスレイヤまで
ご一報下さい。LibのBlog を読んだと言っていただければ、1ポン
ド引きとさせていただきます。
先月の赤字にて精神的にせこくなっている。赤字月は毎年何度かあ
るし嫌なものだが、同時にこれは確実に精神引き締め剤となる。赤
字になったからどうしようか、というのは順序が間違っているし、
時すでに遅しではあるが、自然、モノをあれこれ考えるトリガーに
なる。今朝もひとつ案が浮かんだ。これは速インプリしようと思う。
部課長達の嫌な顔も浮かぶが。
---
Japan Communication Association (JCA)というソサエティーに参
加させていただいているが、年に2度セミナーが開かれる。今回は
Herbert Smith (弁護士事務所)の方々に、ここ20年の欧州の通
信事情と今後を講義していただいた。さすがはロイヤー、論旨明晰、
大変面白かったし自分の勉強不足が露呈した。内容もさることなが
ら、女性弁護士の発音には、とろけてしまった。出だし聞きとりに
くいなと思ったが、直ぐに慣れ、そして目を瞑るとそこにはサッチ
ャーさんおられてが演説しているようだった。時と場合によってこ
んな発音をしてみたいものだと思ったが、函館の百姓には3代かか
っても無理だろう。
April 29, 2007
A Japanese Firm
東京に行ってきた。
帰りの成田エクスプレスでは(えーい、まぎらわしい、日本発ロン
ドン着便)、発車前から寝てしまい、目が覚めたら成田到着の5分
前のアナウンスが丁度放送された。
チェックインをしたところ、満席。席のアサインはゲートで処理し
ますとのこと。ほう。淡い期待をしつつ、いつもの蕎麦屋に向った。
おきまりの中生ビールとたぬきそばで腹ごしらえを済ませ、最後の
タバコを2本ほどやってからゲートに着いたが、無念アップグレー
ドは叶わなかった。
機内に入ると、めちゃくちゃ暑い。機器の故障で地上からのサプラ
イができないからだそうだ。サウナのような機内を席に向うと、あ
れっ、オジサンがすでに座っているではないか。またまた僕は淡い
期待を抱き、お聞きしてみると、やった、ダブルブックだった。通
りがかったスチュワーデスに声をかけた、少々お待ち下さい。通路
に陣取っているのもなんなので、トイレのあたりに身を避け、手際
の悪いやっちゃなあと思いながらひたすら待つこと10分(この間
もサウナ状態)、なんと先ほどのオジサンがすっと僕の前を通って
ビジネスクラスに歩いていった。。。僕の席に行ってみると、スチュ
ワーデスが、大変お待たせしましたと微笑んできた。おいネエチャ
ン、手荷物持って立って待ってたワシを、なんでわざわざ席でくつ
ろいでいたオッサンと取り替えるんにゃ!と言いたかったが、大人
気ないとも思い直し、おとなしく席に着いた。こういうときは決まっ
てそうだが、隣席は超弩級の英国人おじさんなのである。
そして僕はこの航空会社のエアマイル・クラブに17年間メンバー
であり、17年前から、席の好みは通路側に登録しているにも関わ
らず、窓側なのである。映画を好きなときにスタートできるタイプ
のシステムは設備されていない。インターネットは勿論無いし、食
事はいまひとつ。トイレへ立つのに隣のおじさんを2度まで起こさ
ねばならない苦痛といったら。とはいえ、飛行中80%程の時間は
ひたすら寝た。東京4泊で帰ってくると、時差ぼけが殆どないとい
う利点もあったが、さすがに疲れたのか、家に帰っても更にぐうぐ
う寝た。寝る子は育つが、寝るオジサンはなかなか疲労がとれない。
と、色々不平を書いたが実は本チケット、エアマイルを使ったもの
であり、あまり偉そうなことは言えぬ。あっはっは。
さて、日本では4月は物事が始まる時期。入学式や入社式があちこ
ちで開催され、殆どの会社では新しい会計年度が始まる。ふと気が
付くと、ここではいつまでたっても僕は社長5年生。歳をとらぬの
は気分が良いので、編集部の皆様、このままほっといてください。
そんなことはどうでも良いのだが、当社にも4月に大きなイベント
が発生した。以前、当社は純英国企業だとここにも書いた記憶があ
るが、これが日系企業となった。日系企業とはなんぞや、という議
論もあるが、日本に本社が存在して、その従業員の半分以上が日本
人である、というあたりだろうか。当社は今月から日本の本社が
100%株を保有する海外現地法人になった。今年の年頭から本格的に
練ってきたプランであり、関係する複数の人々にとって、決して簡
単な判断では無かったが、4ヵ月後に実現してしまうあたりは、我
ら実に身のこなしが軽い。
僕は変わらずロンドン店の社長を継続して勤めるが、本社の取締役
の一人という仕事が増える。東京行きの機会も増えると予想する。
April 15, 2007
Merger
もうよかんべえと思って、土曜、日曜とテニスをしてきましたが、
鼻水がまだ相当発生していたので、週末仕事の後、土曜の詫摩コー
チには申し訳ない位走れませんでした。今日はそこそこ軽く動ける
ようになってきたようで、気を良くして初級テニス会後、ビール1
パイントと白の小を1グラス引っ掛けて帰ってきたところ、急に疲
れがでて頭が重く、そのまま2時間熟睡し、風呂にどばっと浸かっ
てみたらもう爽快。僕の体の勝ちで、そろそろ風邪さんは退却のよ
うです。
昨日今日とロンドンは20度を超える快晴で、気持ちよくて暖かく、
今日は人生で初めて、冬の間に密かに仕入れておいた、なんとテニ
ス専門店で仕入れたテニス専用の短パンを着用したのでした。僕の
にわとりのようなテニスをワッチしている人は一人として居ないの
ですが、本格的なスポーツ格好をするというのは、僕のような小心
者には、なかなか勇気が要るのです。ついでに1年半で破れたシュー
ズの新調をしましたが、お店でアシックス製が売られていて、へえ~
と思って買いました。家に戻ったら、Made in Chinaというラベル
を発見してしまい、ちょいと興ざめしましたが、まあそんなもんか
と。イースター前後は皆旅行などでテニス会はお休みでしたが、今
日は新しいメンバーが増えたりして、メイダベールでの初級テニス
サークルは、今シーズンも、笑える週末のひと時を提供してくれる
ことでしょう。ありがたや。
こう暖かくなるとテニスの最中にも相当量の水を飲むわけですが、
僕はVolvic 1.5Lのボトルを持っていきます。半分以上は飲みます。
ここからが問題なのですが、ボトルの最後まで飲まずに、次々に新
しいボトルを開けてしまうという悪癖があって、親のせいにしては
申し訳ないですが、どうもDNAなのではないだろうかと勘ぐってい
ます。開けたボトルを家の何処かに置いて、次の新しいものに手を
だしてしまって、中途半端に水が残っているボトルが最大5個ぐら
い家中に存在することがあります。これはよくないと思い、ある日、
意を決してボトルのマージを試みたところ、これがいけるんですわ。
Volvic同士、クチとクチをくっつけてマージすると、相当な勢いで
片方から他方へ水を移動しても、あら不思議、水はこぼれないので
す。ほら、たまには僕のBlogも役にたつでしょう。早速試してみて
ください。
それと僕は脱ぎ捨てたソックスをあちこちにばら撒いておく、とい
う悪い特技もありますが、オヤジ殿の同様の悪癖を子供の頃から見
てきましたから、これはDNAであることは疑いありません。とはい
え、こちらはマージという楽しい作業もありえず、こまめに洗濯籠
に入れる必要があります。5月に同居人がやってきますのでこちら
は他力本願、ちょっと臭そうで可哀想だけど。来週末は同居人と同
居することを親戚一同その他に宣言する催し物があって東京行きで
すので、Blogはお休みとなります。
April 09, 2007
Easter
イースターともなると、ロンドンは日が長くなり暖かい。日本の季
節感にはかなわないが、そこそこ四季を感じることができる。長く
暗い寒い冬がようやく過ぎて春が来る嬉しさは、こことて格別であ
ることにそう変わりはない。
フラットのベッドルームから、裏の駐車場やUpper Richmond Street
が見える。なにが嬉しそうかって、リスたちである。春の太陽を金
色の背中で満喫しながら、2匹のリスが、恋仲なのであろうか、じゃ
れあって駐車場の屋根で走り回っている。その傍で妙に太った鳩が
足を畳んで、リスたちをゆったりと眺めている。
こんな平和なイースター4連休に、風邪をひいてしまった。数年ぶ
りにきついなあと思う結構な風邪である。最初は喉がひりひりと痛
み、次に鼻水が滝のように流れ、現在は更に胸が痛い。あと数日間
続きそうな勢いでうんざりしている。とはいえ、僕の体にまだ柔軟
性が残っていると思うとちょいと嬉しい気がしないわけではない。
歳をとるにともなって、風邪をひきにくくなる人がほとんどだと思
うが、体が柔軟性を失っている大証拠なのだそうである。僕の場合
はもう5年ほど、風邪と呼べるほどの規模のものはひいておらず、
逆にうんざりしていたのであった。しかし、ひいてしまうとやはり
風邪は憎らしい。
荒療法、テニスで汗をかいて一気に直そうかとも思ったが、朝起き
て、まだまだ症状がひどいのでやめにした。このあたりの見極めは
難しいところだが、あまり過信せぬあたりの判断が適切かと思う。
体からの悲鳴はよくよく耳を澄まして聞いてあげたほうが、永い目
でみて正解なのだろう。なので、暖房を入れた暖かい部屋でイース
ターを無為に過ごしている。
無為に過ごすというのは僕の場合、頭の半分で本を読んだり、テレ
ビをみたり、ごろっと横になってラストシーンがみえみえの恋愛映
画を豆でもかじりながら眺め、他の半分で会社のことをぼーっとな
んとはなしに考えるというものである。これが幸せな時間かどうか
は知らんが、近代人にとって贅沢と呼ぶべき時間であることはまず
間違いない。
そんなこんなで、イースターには結構な量の読書が進んだ。梅原猛
氏が若き頃著されたエッセイ的な作品集や、塩野七生女史など、
本棚から目についたものをランダムに手に取った。こうした哲学者や
小説家の感性に何時間も浸っていられるのは、必要な贅沢ものであ
り、かつこの贅沢は自ら作り出さねばいけないと再認識した次第で
ある。
April 06, 2007
Espresso
出張でパリやミラノあたりに行くと、お客様のオフィスのキッチン
に必ず年季の入ったエスプレッソ・マシンが鎮座しており、これら
が作リ出すコーヒーはとても美味しい。挽いたコーヒーがパックに
なったもの(僕は玉と呼んでいる)をマシンにセットして蓋を閉め
ると、グワーンという音を出しながら相当な圧力でもって泡を適度
に発生しながらエスプレッソを作ってくれる。出した後の殻は勝手
にマシンの後ろの格納箱に移動するので、そのまま定期的に捨てれ
ば良い。実に簡単で手軽。
ロンドンではこの玉が手に入らなかったが、漸くNespressoという
会社が大々的にUKマーケットに乗り込み、本格的な展開を開始し
ている。エスプレッソ好きの僕としては早速自宅用に仕入れてみた。
豆(玉)が風味別に20種類位あるが、もちろん一番濃い玉を10
0個買ってみた。美味い。これならパリに負けない。同居人はカプ
チーノ派なので、どちらも作れるマシンを選んだ、250ポンド也。
玉は一個23ペンスである。カプチーノも一番濃い玉を使って作って
いるが、美味しいそうだ。
昨年オフィスを引っ越したとき、友人のBobさんがコーヒーマシン
を贈ってくれた。これは後で分かったが、なんと650ポンドもする
ものだが、残念ながらエスプレッソが不味い、というかエスプレッ
ソになっていない。即ち、泡をだせないのである。当店、特に日本
人スタッフにはエスプレッソ好きが多い。Nespressoは、エスプレッ
ソ専用のマシンだと100ポンドちょいで入手できる。早速オフィス
用に1台と玉500をオンラインでオーダーした。これでイースター
明けにはオフィスで美味いエスプレッソが飲めることになる。この
程度の出費で自宅やオフィスでのひと時が幸せになれるのは幸せで
ある。
March 31, 2007
日本から飛んでくる電子メールの件名に【至急】とついたのがやた
ら飛び回ることがある。オリジナルに返信するものだから Re:【至
急】 Re: Re: Re:【至急】 となり、至急という文字がメールソフ
トの上から下まで占領することになる。この極太の括弧を大量に見
させられるのは、どうにも耐えられない。
英国人から [Urgent]とついたメールを受け取ることは、スパム以
外にはまずありえないし、僕もそのようなメールは少なくともここ
5,6年は送った記憶が無い。日本人は至急という単語が好きなの
だろうか。
至急なのであれば、電話や即時打ち合わせにて解決せしめるべき一
件なのを、メールでやるものだから、こうなってしまうのだろう。
CC:を複数に出したいのであれば、To:の当事者と電話で話して決め
た、その結果だけを流せば事は足りるはずである。そもそもCC:で
送られてきたメールは即ごみ箱、という人を僕は何人か知っている。
気持ちはわからないではない。
あまりに読み手の感性を無視するメールが増えてくると、こっちも
おちょくってみたくなる。【すでに至急ではなくなったよね】とか、
【以前は【重要】だったが今では些細なことになった】とか、【こ
いつはひとつ、まったりとやってくれい】とか。
メールソフトによっては(殆どそうだが)、重要度 (Priority)の
設定ができるようになっている。受け手には一々重要フラグがつい
ているが、内容が殆ど無いに等しいものも多数ある。更に救われな
いのは、メールソフトの設定により、全てのメールの既定値を最重
要に指定している人も僕は何人か知っている。
以下は好みの問題といわれればその通りなのだが、当社社員には、
なるべく HTML等のような色をつけたり文字サイズを指定できるよ
うなフォーマットではなく、Plane Text でメールを送るように勧
めている。事実、HTMLフォーマットで送ってくるメールで装飾がさ
れているものや、その必要があると認められるものは僅かだ。なの
でPlane Textで十分。サイズは最小だし、環境にやさしい。
通信技術屋としてProfessionalな香りもする。仮に【至急】なんぞ
つけたメールを送った社員がいたら大体は説教部屋に連れて行かれ
ることになるだろう。今のところ、これで説教くらった社員はいな
いが。
March 11, 2007
Q1 2007
今週末は、昨年から10ヶ月間程仕込んできたプロジェクトの総仕
上げで。なかなかの結果となり、明日月曜はまずまずお客様に喜ん
でいただける作品ができあがったと胸をなでおろし、後片付けのメー
ルを出したりして、余韻を感じています。とはいえ、明日は朝7時
には現場に出かけ、山のように発生するご要望(PCの位置が悪い、
プリンターをあっちに移動してくれ等々)に当社社員は走り回され
ます。なのでまだ気は抜けませんが、勝負は見えました。熱い風呂
とワインの1,2杯位は許してもらえるでしょう。
このプロジェクトはお客様のオフィス移転。今日は仕上げとして、
導入したサーバーのダンボールやら、古い機器やケーブル等、相当
数のゴミを出して、整理もしました。このゴミの量は10年前に比
べると比較にならないくらい多いように思います。なぜだかは分か
りません。モノが直ぐに古くなってしまうようにも思うし、梱包が
年々大げさなダンボールになってきているのか。
ゴミといえば、我が家のゴミも相当なもので、一人暮らしの割には
結構な頻度で重いゴミ袋を担いでフラット裏の大ゴミ箱まで持って
いかねばなりません。どうしてこうゴミが多いのだろうと考えてみ
たところ、
1. ワインの空瓶
2. クリーニング屋さんのビニールカバーと鉄線ハンガー
3. タバコの空箱
4. 宣伝メールなど、開けもしないエンベロープ、結構かさばる
大体上の順番のようです。今春には新同居人(つまりつまがやって
くる)ができあがる予定ですので、更に生ゴミ等が増え、ゴミ捨て
の頻度が増えるかと思うとこれはうんざりします。あれって結構重
く、たまに破れたりするとワインのビンが割れたりして大変なこと
になります。そこまで貯めないのが正解なことは分かっているんで
すが。
先週は Blog をサボってしまいましてごめんなさい。別に急性アル
コール中毒になったわけでもなく、インフルエンザにかかったわけ
でもなく、いたって元気です。経営者が忙しさを理由にすべきこと
を実行しないのは最悪、反省。
それにしても当社社員は先週・今週末と、背中から湯気を出しなが
ら、よくもまあと思うほど機敏な綺麗な現場仕事をみせてくれまし
た。僕もまた気が引き締まります。2007年Q1、株市場もばたばたし
ているようですが、当店もばたばた状態にてこちらは幸先は良し。
February 26, 2007
blog
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Y取締役はオフィスで僕の右隣に座っている。その刹那はお互いな
かなか忙しく、各々自分のPCの画面を見つめキーボードを叩きな
がら話をしていた。会話を中断し(たつもり)H課長に電話をかけ、
同じような話題で会話していたところ、妙にシンクロしたようにY
取締役から相槌が発生する。暫くするとオフィス内が笑いで動き始
めた。そう、電話で他人と話している僕に、懸命に相槌をうってい
るのは、僕のBlogにしばしば登場する関西人のYさんであった。
---
10数年ぶりだろうか、英国の結婚式に出席した。いや、僕のでは
なくて友人の結婚式である。シンプルでとても楽しいものだった。
食事は大変よく、酒は美味く、気持ちよく踊ってきた。でかけるま
では腰が重いが、場に入ると楽しい。お幸せに。
---
愛車が直ったと思ったら、駐車違反を2回。どちらも不可抗力に近
いのだが是非も無し。これで我がWandsworth地域の発展に貢献でき
るかと思えば、40%の所得税を取られるよりはなんとなく気がらく
だ。日本に比べればまだ楽だが、TAXというのは重い。会社が1
00円のモノを仕入れて200円で売ると粗利は100円となる。
ここからこれを売るために必死に頑張ってくれた社員に給料を50
円はらう。この50円のうち、40%がTAXとして国に入る。2
0円。更に、残りの粗利益50円から、オフィス家賃やらなにやら
をさっぴいて、10円の純利益がでる。これに対して25%のTA
Xがかかる。2.5円。結局100円もうけて、会社としては22.5円は国
に持っていかれる。経営者としての感覚では1/4は税金。サラリー
マンとしての感覚では40%。経営者かつサラリーマンとしての感覚
では、半分、すなわち1月から6月までは、国のために一生懸命仕
事して、残りの半分が実入りとなる。のような発想でTAXを捉え
てはいけないのだろうけど、つくづく厳しいものですねえ。
---
Touch type をきわめると、キーボードというものに大変うるさく
なる。僕が現在オフィスでも家でも使っているIBM製は、どうだろ
う、1990年前半の製品だろうか。クリック感のある重いキーボー
ドで、これなしには毎日効率よい仕事ができない。あと1台だけス
ペアがあるが、これがご臨終するまでには10年かからないはずだ。
その後どうしようかと気にはしている。
---
女性は反芻するという。男性は変化を快く思う人もいるという。こ
のあたりは最近は変わってきているのかもしれない。
---
ネタください。。。
February 20, 2007
kinn benn
Blog commentにて、ちょいと考える機会を頂戴した。
勤勉さということと、長時間働くこと、というのは相関があるよう
で実は無いはずだ。ドイツ人は勤勉だ、という(ちょっと古い)日
本での通説があるが、ドイツ人が長時間働いているかというと、全
くそんなことはないことは、僕の欧州での長い生活で知っている。
では、なにを持って勤勉と捉えるか。それは例えば作品だと思う。
ドイツが誇るメルシーデス。デザイナーやエンジニア達、そして販
売する人々や経営者の芸の細かい勤勉な仕事なしには、あのような
素敵な車は作れないだろう。そしてレクサス。我らがトヨタの自信
作、助手席にしか乗ったことしかないが、これも素晴らしい車だ。
なかなか他国では難しいかもしれないし、作ったとしてもコスト的
に合わず商売にはならないのではないか。両社共、勤勉な経営陣や
社員がこれらの作品を作っているのだと思う。
勤勉で、かつ長時間働くことを受け入れる日本人の美質・努力や、
それをささえる文化・教育無しには、あの奇跡のような日本の高度
成長はありえなかったであろう。しかし、日本の現在は、もはや高
度成長期ではない。ドイツもしかり、である。
Gパン屋の例を挙げたのは、勤勉のことではなく、過度の狭い競争
意識と、時間に関する(経営者の)無意識さに疑問を持つからであ
る。どう考えても夜中のGパン屋が高い利益率を維持しているとは
思えない。しかしながら、あるGパン屋が24H営業を始めると、
競合他店も当然これを検討するだろうし、実施するかもしれない。
こうしてGパン屋の24H営業という利益率の希薄な店があちこち
に現れる。これが長時間勤務に直接つながることはないのかもしれ
ないが、狭い過当競争に24H営業という精力を費やすよりは、昼
間の利益率向上や、品質・メニューの改善に知恵と時間をかけるこ
とにより、時間のゆとりが得られるのではないだろうか。何処かに
線を引いて、売上げは上がるがこれ以上GPR(荒利益率)を得られな
いなら、経営判断で止めちまうというオプションをなぜ取れないの
だろうか。僕の知っている限りでは、ドイツには24H営業のGパン
屋は存在しておらず、その違いは、経営者が競争力というものを、
ドメスティックな国内に限定して考えているのか、国際的な視野で
考慮しているのか、のあたりにあるのではないだろうか。
毎晩終電まで仕事せざるを得ない日本人が何%いるのか数字は持ち
合わせていないが、相当数になるだろう。知り合いの英国駐在員で
も大変な生活をされている方が多数に上る。Gパン屋の話はドメス
ティックな競争という課題で、僕の問題意識をさほどくすぐるもの
ではないが、問題は国際競争力である。
毎日終電や夜中まで仕事して、タクシーに乗って帰宅するまでの長
時間労働を前提にしないと、日本企業は国際競争の中で通用しない
のだろうか。よくよく考えて、本当にそうなのだろうか。その答え
がYESならば、遺憾ながら日本の経営者達が持つDNAの何処かに、欠
陥といえば言い過ぎであろうが、なにかそのようなものが存在して
いるのではないだろうか。日露戦争でいえば203高地とか、戦国
時代だと長篠の戦での無駄な屍の山を連想してしまう。太平洋戦争
に至っては触れたくもない。
後世から冷静に観察すると、当事の作戦司令部や殿様が、いかに馬
鹿だったと簡単に言えちゃうかもしれないが、当時の当人達は最も
よかれ、という判断だったはずである。現在も前途のように、現場
では長時間労働が行われている。これらの企業の経営者は、良かれ
と思っているか、やむを得ないと思っているか、いずれにしても生
産効率を改善をしようとしてはいないか、又は意思はあるが行動に
時間がかかっているのかどちらかであろう。
あまりのんびり野放しにして良い問題ではないと思う。
日本は少子化が進み、確実に急速に労働リソースが減ることが分かっ
ている。GDPは、0.1%でも良いからとにかく上向きであることが最重
要である。既に国際平均に比して極端に多い労働時間を更に増やし
てGDPを維持するのか、または生産効率を上げることに時間を割くの
か、これは政府云々というよりは、中小企業も含めた日本の経営者
達が多少でもマクロ的・国際的に考えるべきことなのでは無いだろ
うか。
February 11, 2007
ExJob
僕はコンピューターのプログラミング作業は全く苦にならない。と
いうよりは、むしろ嬉々とした楽しさを覚える。徹夜なんぞ平気の
平左だ。
開発言語には色々と手を出した。学生時代のFortranから始まり、
仕事でBasicやZ80や8086のアセンブラ、C言語と呼ばれるプログラ
ミング言語を若い頃にマスターし、英国に渡ってからも、Visual
BasicやC++という言語を、商用レベルになるまで覚えた。これらに
比べると、Web開発で使われるhtmlやcssと呼ばれるも新しいものは
(開発言語では無いが)実に簡単で、赤子の手を捻るようなもので
ある。生の外国語は下手くそでなかなか覚えられないが、発音や聴
く必要の無いプログラミング言語は、そこそこいけるクチである。
今週は、ある社内開発システムのアップグレードで、久しぶりに徹
夜に近いプログラム人生をおくった。社内開発といっても、実は僕
が一人で、Access Basic という言語を使って、しこしことコーディ
ングしてきたものである。外注するカネも無いし、自分の考えをダ
イレクトにシステム開発社(自分)に伝えられるのだから、出来上
がりは思い通りのモノとなる。自社の主ワークフロー・システムを
社長自らが開発する会社も珍しいかもしれないが、そこは我ら、技
術オリエンテッドなのである。
このシステムは、見積・購買・請求という、会計3種の神器を巧み
にオペレートしつつ、かつ当社標準のISO9001に準拠した品質管理
やオーソライズ・ポリシーを実現するという社の重鎮ともいえるシ
ステムなのであり、当社に自慢があるとすれば、そのひとつに確実
に数えられるものである。このシステムに則って見積りや請求書を
出している限り、新入社員でも明日からExlayerの品質管理に即し
ていると言える、なかなかたいした奴なのである。
会社を作った頃、SAGEという市販の会計ソフトを使用していた。一
番安いパッケージを買ったところ、請求書が作れない。開発元に電
話したところ、更にカネを払ってアップグレードが必要だという。
なので払った。次に、見積りが作れないことに気付いた。電話した
ら、更に金を払ってアップグレードが必要だという。結局結構なカ
ネを払ったが、システムとして見積・購買・請求書に、なんの関連
も得られず、ただの発行・印刷機だったということが分かった。仕
方が無いので、Excelでこれらの関係を纏めていたが、1年、2年
と経過し、トランザクションが多くなると、もう管理不能。思い立
ったのが ExJobと命名した上記システムであり、リリースから4年
が経過した。いまだSAGEには、請求書以降の処理に抜群に活躍して
もらっているが、それ以前のプロポーザル段階や、プロジェクトの
インプリ期間はこのExJobが活躍している。
とはいえ、プログラマーとしてはとうにさかりを過ぎた年齢でもあ
り、プログラマー的指差し確認等のあたりは呆けに呆けており、今
回もリリースしたら、いきなり過去の見積データが261件消滅し
ていたという障害が出てしまった。皆、頭にきているんだろうなあ
と思いながら、大して文句も言ってこないのは、開発元が社長だか
らなのだろうなあ、と気の毒になってしまった。ごめんごめん。ま
あこれは毎度のことだから、メジャー・アップデート後のシステム
は、誰も最初から信用していないのかもしれない。なので何とか復
旧できてしまうのだ。半日かけて問題を解決せしめたが、これでま
た僕のプログラマ・SEとしての評価が一段と落ちたことだろう。
今週末も小さな手直しを続けている。テニスも例のコーチに入って
もらって2時間。こういう週末は至福である。
February 05, 2007
No more spin
"Did you miss the baby?"
"Well she's a little too old as a baby. How naughty was she ?
"675 pounds and 77 pence, Yosh"
"Oh, well not too bad, thought it could be double."
"I could charge double!" "No!"
本当に直ったのかどうかは今週末のテニス場へのドライブで検証す
るが、10日以上の入院にしては3桁で収まった。我が真っ赤なア
ウディーもそろそろ老衰が近い。ここ暫く入用が続くので、あと1
年半程は耐えて欲しいところだが。
テニスといえば日本の東レ・パン・パシフィックはヒンギスが優勝
したそうだ。シャラポバさんは途中で棄権。ジャスティンは、まだ離
婚騒動で出ていなかったので、あまり気合の入るツアーではなかった
が、決勝はイバノビッチに勝たせてあげたかった。この人巧いことは
巧いんだけど、勝てない。運もまだ強くないかもしれない、というと
あれだけど、運というのは、うんと大事なことだと思う。
・・・
さて今日は、ほんの軽くだが、腰が妙だ。週末2時間のテニスの結
果だとは分かっているし、これ以上重くならないことは体の声で分
かっている。しかし、日曜も今日も冷え込んだので油断は禁物。ス
トレッチ、ヨガ、風呂、その他で柔軟な腰筋(造語)を保って強化
を続けねば、また昨年のような、ソックスをはくのに3分かかる状
態になってしまう。気をつけよう。
そして今日は月曜日である。僕のBlogは不定期投稿ということで編
集部殿には大目に見てもらっているのだが、週末にはduty callsと
自らを励まし、多少のプレッシャーがかかる。先週末もあれこれ考
えてはいたが、ネタがなかなかあがってこない。そうして今日月曜
になってしまった。ネタというのは思いつくときは1分間に3つも
4つも思いつくのにね。
なので、今日はいつものテニスネタにて、うだうだしようと思う。
これだとBlogの5、6回分位はいつでも書けるかもしれない。
近年というか、もう10数年以上前からテニス界では強烈なトップス
ピン打ちが全盛となっている。素人は、テレビやライブで見る贔屓の
トッププロのスイングを真似したくなるのが人情だ。僕も例にもれず、
かっこだけのトップスピンを目指してウェスタン・グリップなど試し
ていた。しかしだ。昨年夏、ありがたいことに素敵なコーチを友人に
紹介してもらった。いかに馬鹿なスイングをしていたか、真っ先に指
摘されその日のうちに矯正された。いや、されたという過去形を使う
のは僭越、現在も猛練習中である。フラット・ドライブ、即ちラケッ
トに玉を乗せるようにして、ナチュラルに、かつ力強く運ぶ術を覚え
ずして、トップスピンなどはお話しにならないと。
僕は、特に仕事では、基本形習得派(これも造語)である。ベーシッ
クの習得無しに目先の仕事ばかりしたって、いくらたってもモノを習
得できないし新たな展開ができないという考えに100%同意するも
のである。ジャスティンのようなウェスタン・グリップでのフォアや
シングルバックを打ちたい気持ちはあっさりと捨て、「わかった、が
んばります先生」。
こうして4,5ヶ月経過した。僕のフォアは確実にフラット・ドラ
イブに近くなってきた。まだまだベースラインをオーバーすること
が多いが(玉が落ちないので難しいのです)、ネットに引っかかる
よりは良いと先生も云ふておられるので、この際、先生や仲間に甘え
てホームラン打とう。フラットドライブは、向こうのコートに深く落
ちて、バウンドしてからの玉が低い弾道をえがく。10本に1本でも
巧く打てればこれは快感である。この快感のためにテニスをやってい
る。更に、肘や手首に無理がかからないので、あまり若く無い体に故
障が出やすい年齢の人(一言でいうとオッサン)には、最適な打ち方
なのである。現在僕の課題は、インパクトで体が伸び切ってしまうこ
と、玉を見ていないときがあること、もっと縦スイングせねばならぬ
こと等々。なかなか体が覚えるまで時間がかかるものだ。多分、テー
クバックで左手をどこまで長くラケットに沿わせられるかが解になる
のではないかと先週発想して練習している。
ちょっと先生の話をする。今のところ、その先はフォア以外なにも教
えてくれない。強いて言えばサーブをちょろっと教えてくれるが、ま
ずは僕のフォアハンドをなんとかしようと真剣にしつこく継続してく
れているのだ。ちゃらちゃらボレーとか練習するまえに、基本である
フォアハンドを、僕の年齢と運動神経で可能な、最上のところまで持っ
て行きたいと思われているのではないか。こういう教え方は、また実
に僕の好みであり嬉しい。先生は、過去にワールドランキングの20
0位まで極めたプロプレーヤーであった。そして若い。そして長身の
美人、そう女性なのである。そして日本人でもある。倫敦で受けられ
るコーチとしては奇跡のような先生なのだ。まだまだ生徒はとれるよ
うなので、テニスが本当に巧くなりたい方、お子様に本格的なコーチ
をと考えている方、僕が保障します、良い先生です、こちらまで一報
下さい。
January 29, 2007
Site Site Site
手足が震えるだけ怖いと思った。先週土曜日は、お客様のコンピュー
ター室の引越しがあり、当社エンジニアが15名強集まって朝から
現場を走り回ってくれた。各員、動きがきびきびしており、声も良
く出ていた。笑いと緊張がほどよく共存していた。僕が理想とする
週末現場仕事の雰囲気であって、ちょっとした感動モノであった。
チーム割りもうまく機能し、新人達は課長達の体の動きや頭脳の使
い方を目の当たりにして、当社の現場文化(僕の造語)や現場サー
ビス品質のレベルについて、大いに感じてくれたところがあったと
思う。
なんと力強い組織だろうと思った反面、とても怖いと思った。
’現場文化’は一日で成るものではない。当社のような小さくて新
しい組織の場合、まずは一人か二人による文化の造り込みから始ま
る。それが役員に伝達し、そして課長に伝わり、更に社員全員に徐
々に浸透せねばならない。何年もかかるし、どこかの伝播経路でこ
けると、その下の社員には、こけた文化がそのまま伝わる。まるで
コンピューターのように論理的で、構造的で、階層的である。最初
に僕が造り込む文化が並のものだと、全社員に伝わる文化も並のも
の、またはそれ以下となる。上質のものであって初めて全社員に上
質のものが伝わる可能性を得られるが、あくまで可能性であり、途
中でこけることも大いにありえる。そんなことを、週末に走り回っ
て良質な仕事を何時間も継続してくれた社員達を見ながらつらつら
思っていたら、足が震えるだけ怖くなってきた。多少の心地よさを
伴う恐怖感であるが。少しは社長という立場の怖さを身をもって分
かってきた、ということだろうか。40にして不惑というのは正直に
いって分からない。単に怖いのみである。
営業力の問題を抱えつつも、現在25名の組織となった。僕が当面
の目標としてきた、ある素敵な会社組織(もうなくなったが)が3
0名規模だったから、6年目の当社にとって、あともう一歩。毎朝、
緊張で手足を震わせてながら気を引き締めていこうと思ふ。
---
さて、僕の車がまたぶっ壊れた。今回は、デフロスタ(窓乾燥ファン)
がスチーム発生器に化けた。10日ほど入院が必要だという。お代は
まだ聞いていないが、恐ろしいことになりそうだ。
こちらも怖い。
January 22, 2007
Profit Rate
渡英してから数年後、短期間集中型のプロジェクトがあり、毎
日朝から23時まで(をチームの約束事にした)仕事をする生
活が半年間続いた。若かったし集中力は継続できた。プロジェ
クトの終盤を向え、週末イベントを控えて念入りに仕込みを進
めたが、土曜日の当日、病院行きとなってしまった。腕に斑点
が現れ高熱を出してしまったのだ。仲間が大いに頑張ってくれ
てこのプロジェクトはうまく完了した。
さて、このプロジェクトの後、僕は急速に体力の衰えを感じ始
めることになる。長時間仕事を毎日続けたのが原因とは思って
いない。単にタイミングなのであろう。皆、ある年齢になると
急激に体力の減退を覚えるという。僕の場合は他人よりちょっ
と早かったようだが、ではその後さらに体力減退しているかと
いうと、そうでもない。今から5年前とさほど変わっていない
ような気がする。気がするだけかもしれないが、自分の体は自
分が一番知っているつもりでもある。
帰省兼ビジネスで日本に飛び、現在東京に滞在している。4階
の窓から下を眺めると、ジーンズ等を売っている店がある。店
の周りに旗を沢山ならべて、なかなかにぎにぎしいが、24時
間年中無休という旗も立っている。服屋が24時間開いている
のは確かに便利な時があるのかも知れないが、もし東京の何処
にも24時間営業のジーンズ屋がなかったとしても、さほど困
ることは無いように思う。むしろ、夜中の売上がはたしてどれ
程のものになるのか、人件費や光熱費を費やして、はたしてど
れだけの粗利率になるものかと心配してしまう。
郷里の函館に2日間滞在し、親兄弟や友人達と久しぶりに楽し
く談話をした。友人は30歳の頃、毎日朝8時から夜中の2時
まで仕事をし、それが3年間続いたそうだ。壮絶なものではあ
るが、似たような話は日本ではどこでも聞く。長時間働くこと
が一つのステータスになっている、というと言い過ぎであろう
が、これだけの長時間を費やさないとビジネス社会で競争でき
ないというのは、あまりに知恵が無いと言ってもよいのではな
いだろうか。高度成長を経て、日本は現在確実に低成長・安定
期に入っているのだから、もう少し知恵を絞って時間をかけず
に利益率を上げる努力にも時間を割いたほうが良いのではない
か、などというと高度成長を支えてきた先人や猛烈社長さん達
からお叱りを受けるだろうが、今回の旅の正直な感想である。
時代時代の経営をすべきではないか。
以下蛇足ながら。前述のプロジェクトは10年前の事だったが、
あまりの忙しさに会社にアルバイトを入れてもらえるようお願
いした。当時英国にて遊学していたうら若き日本人女性が雇わ
れ、現場事務所で僕に平気でこき使われていた。半年間の勤務
の後、日本に帰っていったが、縁というのは実に不思議なもの
である。この歳で誠に赤面ものだが、10年続いた僕の独身生
活がピリオドとなりそうだ。
January 13, 2007
Cash
数年前に会社を作ろうと決心した時に、こらあかん、と思ったのは
会計のことだった。損益だとかバランスシートだとか全く知識がな
い。できあがるであろう会社の財布は、結局僕が握るんだというこ
とに気付き、はじめてゾッとして、翌日本屋に出かけなるべく分か
りやすい3冊を仕入れた。なにしろ会計のプロを雇うなんて不可能だ。
更に会計ソフトを購買し、架空の会社を作って、架空のトランザク
ションを入力して、PL/BSにどう現れるのか練習を重ねてみた。技術
屋的なアプローチなのだろうが、これはなかなかワークし、減価償
却とは何ぞや、発生主義とは何ぞや、VATとは結局だれが負担してい
るのか等々、良い勉強となった。会計の世界は技術の世界と同様、
大変システマティックなのだなあと思ったし、意外としっくりきた。
毎年のことだが、師走から年頭にかけて当社のキャッシュが極端に少
ない状態となる。今シーズンも相当厳しく、年末から数週間、銀行口
座に3万ポンドという状態が暫く続き、ちょいと緊張が続いた。売上
高 1/100のキャッシュのみで数週間凌ぐのはエキサイティング、など
ということは過ぎてから言える事であって、実際には毎回胃の痛いも
のである。とはいえ、クライシスを乗り越えた後には、ちょいと自分
を褒めて上げたい気分を3分間だけ味わうだけの達成感がある。会社
の財布は確実に守らねばならない。受注が山のようにあるのに倒産
する会社が山ほどあるらしい。毎日Profit and Loss を眺め、Bank
Recoincileをこまめに実施し、キャッシュの先行きを常時気配りし
ないと、小企業はあっという間に不渡り。
個人の家計もしっかり守ればよいのだろうが、どうもこちらは興味
がないのか、からっきし駄目である。
本年度の予算が確定し、早速課長会を開いた。殺人的な数字の羅列で
あるが、特に文句はでなかった。もしかしたら達成できると思ってい
るのか、まったく見たことも無い数字にボーっとしているのか、その
あたりは分からないが、通った予算は知恵を絞って力強く行動し達成
したい。
さて、明日は日本に飛ぶ。前から欲しかったRimowaの4輪ケースを入
手し、ぼちぼちパッキングを開始した。ポンド高がちょいと嬉しい。
いってきまーす。
January 06, 2007
A happy new year.
Christmasが4連休、年末年始は3連休だったが、どうも休んだ気
がしない。ちょっとしたビジネス判断の時期が迫っており、頭が過
熱気味である。加えて忘年会・新年会が毎日続き内臓も大分疲れて
いるらしい。本日は何も考えず酒ものまず、風呂と読書で一日無為
に過ごそうかと思う。
金曜は、当社非常勤取締役のトニーさんと午後を過ごした。彼は僕
の頭がもがいている時に必ず現れて、豊富な経験と鉄のような力強
い意志を大量のジョークと共に惜しみなく与えてくれる。ありがた
いことに、彼のようなビジネス経験豊富な英国人オヤジ数名が僕ら
のビジネスを常に見守ってくれている。吉田に過ぎたるもの二つ有
り、知恵の課長会と、静かなるオヤジ達、というところか。昨年は、
それぞれのスタッフが将来への手ごたえを多少感じてくれたと思う。
本年度も気を引き締めて計画通りの成長を達成したい。
さて年末年始は日本に帰省された方も多いと思う。今週は電車とパ
ブが比較的すいていた。ビジネス・フル稼働は来週からなのだろう。
ふと気付いたが、日本に帰省する際には、文字どおり日本に”帰る”
と普通は表現するだろう。が、渡英10年を超えるあたりになると、
日本に帰り、英国に戻るときにも”帰る”になる。どっちも”帰る”
なのが面白い。更に20年近くなると、日本へ”行く”になり、英
国に”帰る”と、まるであべこべになってしまう。所用にて来週末
から日本へ行き、実家にも顔を出してこようと思う。日本は飯がう
まい。ごく普通の朝ごはんが、味噌汁が、なんてうまいのだろうと
感激さえ覚える。それと、日本産ワインが評判良いらしく、これも
2年ぶりの日本の楽しみにしている。
今年もよろしくお願いします。
---
ところで、昨年暮れに編集部のご好意で忘年会が開催され、本ブロ
グ執筆者達が集まった。初めてお会いした印象(あくまで個人的な
もので、文責は全て私にあります):
子育てママ - 知的でかつ相当な美人、落着きと暖かさ。
ダーリンは英国人 - 素敵な感性と細やかな気遣いを笑いのオブラー
トで包むあたりはさすが。旦那さんとも久しぶりに飲みたいなあ。
キャリアウーマン - 文句なし、滅茶苦茶おもろい。文章が面白い
人は喋りも面白いというのは例外ない。感性、無尽蔵の想像力に脱
帽。
現役駐在員 - えっ若い!このアイコンは偽りです。素敵で太っ腹
なエリート駐在員。
電気屋のオヤジ - ただの酔っ払い、大変失礼しました。。。
一同、2007年もLiBブログを盛り上げることを誓い乾杯しました。
今年もご愛読・活発なコメントをお願いいたします。
December 23, 2006
Party Time
一連のクリスマス・イベントが終わり、英国は今日から4連休。半
分は仕事になりそうですが、半分はぐーたら過ごします。師走はそ
の名の通りで、先週はblog投稿を一度パスしてしまいました、ごめ
んなさい。
昨日Christmas前の金曜日は、例年通り2時頃に仕事を切り上げ、
近所のテスコで酒やらつまみを仕入れて、オフィスでの忘年会でし
た。いつもは5時位には皆帰るのですが、昨日は8時ぐらいまで皆
で賑やかに楽しく酒飲み談話でした。昨年とは何か雰囲気が違うな
あと思ったら、女性社員がぐっと増えたことに気付きました。
毎年10月、当社では全社員が集まって、これまたオフィスで酒を
飲んでぎゃあぎゃあした後に、プロの写真家に全員揃って撮って貰っ
たものを Christmas Card にする、というのが恒例行事になってい
ます。最近、美人沢山集めたねエ、社長の好みでしょう、と言われ
ます。が、今年から採用は基本的に部長・課長に任せた結果、たま
たまこうなったのです、と言い訳しておきます。1月にはさらに二
人の女性が入社と聞いています。なにか場がなごむというか、良い
ものだなあと思います。仕事は細やかだし、ちょっとした女性らし
い気遣いを目の当たりにすると、どうして5年間、男だらけのむさ
い職場だったのかなあと悔やまれますが、はて社長の好みだったの
でしょうか。
当社のChristmas Partyは毎年土曜日に開催です。この日だけは奮
発して、名の通ったホテルにてブラックタイ。今年はBrownsでした。
これまでは所帯が小さかったので、シェア型でしたが、今年は初め
てプライベート・ルームに40名強集まっての賑やかな会となりま
した。人の採用は悪い事だと思えと自分にも部下にも言い聞かせて
きましたが、慎重に採用を進めた結果少しずつ組織が大きくなって
くるのは嬉しい限りです。このホテルでは11時ぴったりに終了し
て、ディスコは無しということらしく、たまたま運悪く隣が Dover
Street ということで、酔った僕には no option、数名引き連れて
またDover Street Restaurantに行ってしまいました。今回は早く
入ったので、ライブのソウル、翌日軽い筋肉痛が出たほど、たっぷ
りと音とダンスを楽しんできました。
忙しい忙しいといいつつ、遊びも飲み会もたっぷりの師走です。
December 09, 2006
Dec 2006
やらねばならぬことが師走に毎年やってくる。
今年のMOT(車検)は厳しかった。タイヤ磨耗で2本交換、連結棒交
換?その他諸々、何の事やらようわからんが600ポンド也。こういう
のって no option、是非もなし。カード渡して高いなあとそっと囁
いてみたら、車が古いと金がかかるのだと店主にだみ声で説かれた。
へいへい。しかし今年は歯医者だ何だと出費が重なった。そうか僕
自身が古くなってきたということか。
TAX Disk の購買も毎年12月なのだが、これはInternet経由で購買、
郵送で送ってくれるようになった。DVLAから送ってくる書類に印刷
されたパスワードみたいのを入力すると、勝手にMOTと保険が完備さ
れているか確認して、クレジットカードで決済、郵送してくれる。
この時期、街の郵便局ではドアの外まで人のキューが続いているの
で、ありがたい。しかし、あちこちに保存されている個人情報が、
目的限定とはいえ公開され始めているのがわかる。上の例では確実
に個人に恩恵をもたらしてくれるが、反面怖さもある。個人データ
ベースの結びつきという進化が、悪い事は出来ない、という方だけ
に向かうのは構わないが、万一それら情報が一般Internetに流れた
ら、その削除は既に不可能に近い。過去、インターネット・メール
というものが実に脆い仕様のまま、一気に普及してしまった結果、
スパムのような迷惑メールや、なりすましメールが現在世界中で氾
濫している。何事も進化の過程では利便性が先行しがちなのであろ
うが、個人情報に関しては過去の段取りの拙さを十分勉強し、知恵
を絞って陋見なシステムを作るか、またはシステム化を諦めるべき
である。
当社では毎年12月、ITセキュリティーの外部監査が入る。課題は多
いものの、今年もなんとか合格のサインを頂いた。
Xmasカードへサインする、というなかなか手間のかかる作業がある。
先週は日曜返上しサイン会とした。千枚超えたら印刷で勘弁してい
ただこうと思うが、そこまで組織は大きくない。組織を大きくでき
ていない罰として、ここ数年は週末にサインしながら新顧客獲得の
戦略を練るべきだろう。
この時期には忘年会が何度か開催されるが、年々きつくなってくる。
過去には普通に飲んでいても、そうそう他人様に迷惑をかけること
は無かったと思うが、最近は量を抑えないとまずいことになりつつ
ある。ワイングラスの隣に炭酸水のグラスを置いてみたりしている
が、効果は知れたもので、やはり酒量を抑えるしかない。戦略とし
ては、特に最初の1時間に飲む量を半分にしようと思う。ゆったり
と飲むことを覚えるべき歳なのだ。内臓も古くなっているのだ。
ありがたいことに、今夜はお客様のXmasパーティーご招待いただい
ている。苦い思いがあるので、仕事から戻ってすぐに、ディナージャ
ケット、シャツ、タイの目視検査・指差し確認を実施した。と、ま
た不具合が見つかった。シャツの首のボタンがどこぞに飛んでいる
ではないか。どうも僕の black tie には何度もケチがつくなあと思
いつつ裁縫セットを探したらベッドの下からようやく出てきた。ア
メンドは普段、洗濯屋に任せているが、そんな時間は無し。はて、
どうやってボタンというのは縫い付けるのかと一瞬考えたが、さい
わい手が覚えていた。子供の頃に体で覚えたものは意外と忘れない
もんだなあと感心した。
最初の1時間に半分、半分、半分、、、そろそろ出かけるとしよう。
December 03, 2006
WM5
たまに電気屋らしい話題を。ロンドンでもビジネスマン・ウーマン
が電車で携帯端末(携帯電話ではなく)でメールを読んだり書いた
りしている風景があたりまえになってきた。BlackBerryがまずは
USAで成功し、ちょっとのタイムラグでUKに浸透してきた。携帯電
話に比してサイズの大きなこの端末がなぜ欧米で受けるか。その鍵
は文字通りキーにあったと思う。タッチタイプをマスターしていな
い欧米人も沢山いるが、2百年程我々よりタイピングの経験が長い
だけ、キーボード叩き慣れは彼らのDNAにそろそろ記録されている
だろう。
携帯端末のお勉強をちょいと開始したのが今年の春。いや、なにも
携帯端末を販売して儲けようということではなく(これは数千単位
でようやくまともな商売になる)、動向調査及び頭のお遊びである。
結果、当社企画が今一番面白い・将来伸びる、と思っているのは
Windows Mobile 5 (以下WM5) というMicrosoft社の開発した携帯
端末用のオペレーティング・システム(OS)である。ベースが
Windows なので、オフィスのPCやIT環境と透過性が高い。メールは
勿論、WordやExcelを読んだり変更したりすることが出来る。
Outlookのアドレス帳やスケジュールとUSBケーブル経由で同期をと
ることも出来る。ほんとに便利。
このOSを装備した携帯端末ハードウェアは色々あれど、現時点では
台湾ベースのHTCという会社がもっとも元気良く開発を進めている。
殆どOEMなので、一般ユーザーは聞いたことが無いかもしれないが、
VodafoneやT-Mobile等にどんどん OEM提供しており破竹の勢いであ
る。こうした端末は、本来日本メーカーのお家芸なのだろうが、携
帯電話によるメールが世界一進んでしまったものだから、意外と
Windows Mobileのような携帯端末の開発は遅れている。シャープが
漸くウィルコム用の WM5端末を販売したのが今年の夏だった。
僕のWM5端末は既に2代目。初代は画面が大きくて見やすかったが、
あまりのサイズの大きさに疲れて誰かに譲ってしまった。現在の2
代目もまだ厚さがあるが、ベルトにケースで引っ掛けて持ち歩くぶ
んには全く気にならない程度まで軽くなった。日帰りや1,2泊の
出張には、モバイルPCを持参しないようになったのは大いに楽で
ある。メールは日本語でも読める(要追加ソフト)。書くことはし
ない。読んで必要があれば、そのまま電話すりゃ良いのだ。この分
野はハード・ソフトとも進化のスピードが激しいので目がはなせな
い。
WM5端末買ったものの、日本語化等でお困りの方はこちらまでご相
談を(ちゃっかり宣伝)。
November 25, 2006
蚊
今朝は目覚めたら重い二日酔いの11時だった。昨夜はNYからの
友人を10名程で歓迎接待し、その後2次会に行ったことは覚えて
いる。Dover Street にある、その名も Dover Street Restaurant
というクラブに至るまでの経緯は実はよく覚えていないが、昔々何
度か行ったことがあった。もうつぶれているかもしれない、なんて
ことは酔っ払いには通用せず、とにかく勢いでTaxiに分乗し
Dover Streetにて待ち合わせ。分乗とはいえ、酔い加減にみな恐れ
をなしていたのだろうか、しんがりの僕はなぜか一人でさびしく
Taxiに乗っていた。店はちゃんとあった。車を止めて皆を集め入場
料を支払うと、すでにライブの音楽が聞こえてきた。ソウルではな
いかいな。
いやー、ライブのソウル、もうたまらん。バーマンの人数が少なく
てドリンクなかなか手に入らない。既に夜は更けすぎていて、結局
3曲程でバンドは終わってしまったが、久しぶりのライブとダンス、
15分ほどソウルにノリまくることが叶った。
こんな場には、もう同年代の友人とは行けないのが悲しい。昨日は
テニス仲間が主な集まりで、僕を除けばみな若い。テニスというの
は夜中でもありがたいのだ。家に着いたら3時だった。
さて、今週もミラノに出張があった。このプロジェクトも大詰めと
なり12月中旬には終了の予定。そういえば今年もあっというまに
師走入りだ。この1年間、僕の仕事には何点あげられるだろうかと
思うと、あまり良い点数はでてこない。多少売上げが増えたようだ
が、予想外からのものであり、もともとターゲットにしたマーケッ
トからのものは極少ない。この課題はもう2年続いており、いい加
減にしないと停滞感で社員のやる気が腐っちゃう。知恵を出さねば。
ミラノではまた蚊に2箇所やられた。いや、実はこの解釈でもめて
いる。こんな冬に蚊がいるはずがないという説、ダニだという説、
シーフード食べたのでアレルギーやら、諸説入り乱れているが、僕
は蚊だと思っている。まだ痒い。女性にはだめだが、どうも僕は蚊
には良くモテる。アムステルダムなんぞに行けば、必ず数箇所刺さ
れて帰ってくる。なにか良い対抗策、誰蚊ご存知でしたら教えてつ
かあさい。
November 18, 2006
V
昼飯のテイクアウェイを買うのにキューに並んだ。偶然前のカップ
ルが日本人だった。旅の人っぽくオーダーするのに苦戦しつつもな
んとか通じていた、がんばれ。最後にコーヒーを二つ注文していた
が、片方がブラックで片方がホワイトで計2個というのがなかなか
通じなかった。そろそろやばいかなあと思い始めた、出しちゃいか
ん、いかんぞ。そして店員が、計2つですねと聞いたその刹那、彼
氏からスッとVサインが自然に、そしてやはり甲が店員に向かって
登場してしまった。写真にうつるときはピースで手のひらが自然に
向こうに向くのに、数を表すときは、半数以上の方は甲が向こうに
向いてしまうように思う。僕もそうだったので、それは人様を侮辱
するときに使うものだと教えてもらった時には驚いた。
友人とCityのパブで飲んだ後、Waterlooまで一緒の電車で帰って駅
の階段を上がっていたら、おいYosh、バタバタ音たてちゃ駄目じゃ
ないか、階段はつま先で上るんもんだと親に教えてもらってないの
か、ときた。
(普通の)男同士が体を触れ合うのは握手しかない。親愛をこめて
肩を叩いたり揉んだりすると、あとであいつはホ*か真顔で聞かれ
る。レストランで全員のプレートが揃うまで待てとか、給仕の目を
見てサンキューと言えとか、こうしたルールというか慣習というか、
もっと一括りに言うと文化というのは、異国人とっては教えてもら
わないと気付けないことが多い。俺は異国人なんだと無視するオプ
ションもあるかもしれないが、少なくとも他人に不快感を与えるこ
とは避けるべきであり、最低線は郷に従うべきであろう。
逆に、君ら親に教えてもらっていないのかと言いたくなることも多
々ある。電車で自然に席を譲る優雅さを持つ割には、乗り込む時に
は全く正反対。多くの乗客が降りようとしているドア付近に陣取っ
た不動明王。君は墓場まで新聞持って行く気か、こんなに混んでる
んだから我慢しろよ。僕の場合、朝の通勤電車に乗るという行為は
週に10回(含む乗換え)発生する。東京はストレスフルな通勤で
国際的に有名だが、僕はロンドンの方が実は酷いと思う。
こうした事例を英国人の友人に示すと、ほとんどが同意して理解を
示してくれる。そして僕も、階段はつま先で上ったほうがベターだ
と自然に理解する。互いに気付けなかっただけの事であり、教えて
もらえばすとんと腑に落ちることが多々存在する。
教育なんだと思う。文化的ハーフ人は天に与えられたなにかの縁が
あってそうなった。難しいことはできないが、文化の枠を超えて世
界的に不快感を減少せしめ、より住みやすくするという草の根程度
の行動に出る義務を負っているのかもしれない。これだけ広まった
インターネットという文明は、超文化教育のひとつのキーになるだ
ろう。
November 11, 2006
売上げ倍増計画 2
いやはやインターネットというの有難いもので、プライベート・ス
タイリストが現れた。本当です。素敵なお姉さんが僕のショッピン
グに2時間お付き合してくれた。というか僕が彼女の後ろをちょろ
ちょろついていったというのが実情だが。前述したが、そもそもシ
ョッピングは大の苦手、一人でスーツを買ったりするの実に苦痛だ
ったが、素敵なお姉さんと一緒となると楽しささえ感じるんだなあ
これが。
初冬のコート目当てだったが、こんな機会は死ぬまでに何度もない
とだろうと思い、結局スーツ2着、シャツ数枚、タイ数個を選んで
もらった。一着目のスーツはダークなもので青系のストライプ、こ
れはすんなりとOKした。問題は2着目、お姉さんの選択は薄い薄
いグレーのチェック、しかも5cmおきに赤というかピンクというか
細いストライプが入ったもの。そして店員のお洒落なオジサンも一
緒になってコーディネートに汗かいてくれた結果、ピンクのシャツ
とピンクのタイを合わせた。ひゃあ、これ吉田のオッサンが本当に
着るの?
試着してみた。股上が短い。そういうデザインなんだという。街で
見かける若い女の子のへそ下まで出したジーンズをはいた気分でど
うも違和感が強い。こまった。しかし、お姉さんも店員さんも口を
揃えて、良い良い言う。このぐらい挑戦しなさいと言う。言うか、
そうか、受けて立とうじゃねえか、OKだした。
2週間後、アメンドが終わって取りに行った。自宅に戻ってあれこ
れ眺めていたが、どうしても例の2着目は臆してしまう。このピン
ク・セットをいきなり着て仕事に行ったら社員は卒倒し仕事になら
ず、お客さんは契約解除に走るだろう。そこで経営者の癖で早速ロ
ジカルな作戦を練って行動に出た。
1. 新ダークスーツに旧白シャツそして新ピンク・タイで序盤戦の
様子を伺う。
-> 誰も卒倒せず、コメント皆無。よしよし。
2. 新ダークスーツに新ピンクシャツそして旧赤系のタイでジャブ。
-> この新ピンクあまり薄くないというか結構まぶしいので、お
客さんの視線が胸に来るのを数回感じたが契約は続いた。社
員ではT課長だけが、濃いピンクですね~とコメントした。
3. 新薄グレースーツに旧白シャツ、新ピンクタイでそろそろしめ
にかかる
-> T課長がみるや、吉田さんものすごいスーツきてますねときた。
でもいいチェックですね、とも言ってくれた。
4. 総仕上げ。新ピンク・セット。
-> 反応なし。作戦成功したかもしれない。夜、リボンで飯くって
たらじゅんこさんが、吉田さんはいつも素敵ですねえと言っ
てくれた。いや2週間前からちっとは素敵になったんです、
と正直に顛末を説明した。そしたら色々更にアドバイスして
くれた。女性はかくも細かく見ているんだなあと感心した。
なにを馬鹿なことに時間割いているんだとのお叱りが聞こえてくる
が、このあたりは僕は実に保守的というか小心者であり、このプチ
改革にご協力してくれたK嬢とAquascutumの親切なおじさんの挑戦
に深謝。
November 04, 2006
Janglish
日系企業かと聞かれると、はっきりした答えができずに窮する。日
本人社員が6割、取締役は3/4が日本人なので、日系といえばそうな
のだろうか。しかし日本に大株主(親会社のような)がいるかとい
うと、そうではない。8割以上は英国内の資本で作られた普通の会
社組織なので、僕としては実は純英国企業だと思っているが、単に
それが理由で仕事がもらえなくなるのも癪なので、日系のお客様に
はハーフぐらいにしてお伝えしている。嘘にはならないと思う。
英国人の新入社員などに、あなたはなに人かと聞かれると、こちら
もちょっと答えに窮する。無論日本人である。だけれども、社会人
としての期間でいうと、圧倒的に英国での生活が長く、日本での一
般的な仕事の仕方は忘れてしまっているかもしれない。税金も日本
政府には一切払っておらず、英国には十数年間あきれるぐらい払い
続けてきた。西洋かぶれなのだろうかと自問しても、どうもこの言
葉自体、インターネット時代の人たちを説明するには古すぎて使い
物にならないように思う。こちらもハーフぐらいに感じている。
生まれたときは純日本人で、オッサンになってからハーフというの
はなかなかおかしい。無論外面的なことではなく、考え方とか動き
方に自然に出るあたりのことである。
ビジネス等に代表される文明というものは、すでにボーダーレス。
多国籍企業なんて単語はもうすぐ死語になるだろう。そんなこと言
ったらこの極小当社でさえ多国籍企業だ。一般人でも世界中のオン
ライン・ショップから、クレジットカードで購買が可能になった。
他方、人というのは、自分と限られた仲間が持っている固有なもの
に包まれることに大きな安心感を持ちこれを死守する。これが文化
と呼ばれるらしい。文明がどんどんボーダーレスで世界的に共通し
て広がると同時に、文化はどんどん研ぎ澄まされて鋭くなっていく
のかもしれない。そしていまどきの言葉でいうと切れたときに戦争
やテロが発生する。
オッサン(オバサン)・ハーフの効用は、このあたりのバランス感
覚に表れるかもしれない。彼・彼女らは、複数の文化を心の中に維
持することに、さほど抵抗を覚えないだろう。お叱り覚悟で言って
しまえば、割といい加減な性格の人が多いかもしれない。いい加減
なので、あれは嫌、これは駄目、という判断すら面倒、とりあえず、
まあいいじゃねえか、ということで全部取り込んでしまう。そんな
ことをしているうちに、一方の文化が頭の中で暴走しそうになると、
他方の文化がそれを適度に抑制する回路が形成されるのかもしれな
い。現地の友人ができやすいのも効用のひとつ。
ところで、僕が不思議に思っていることに、日本語がぺらぺらの英
国人が現れたときのことがある。これはどうにも説明がつかないの
だが、相手が日本語めちゃくちゃ巧く、日本語で話し始めて全く会
話も楽しいのだが、次第に時間がたってくるとどうしてもこう、首
根っこがぬるっとしてきて、駄目なんだなあ。なので、結局、相手
には気の毒なのだが、最後は下手な英語で無理やり喋っている。こ
れはどういう現象なのだろうか、どうにも分からん。アジア顔が英
語喋っているのは自然なんだけど、英国顔がアジア語を話している
のがどうにも2006年の時点では珍しすぎということなのだろうか、
単に慣れの問題なのだろうか。誰か説明してやってつかあさい。
October 29, 2006
Heathrow
好きなロンドンの風景の一つに夜間飛行がある。大陸あたりに出張
し、帰りのフライトで快い疲労感をワインで癒し、日のとっぷり暮
れたロンドン上空に差し掛かると、あの落ち着いたアンバー色の街
灯が次第に眼下に広がりはじめる。皆仕事で疲れているのだろうか、
夜更けのフライトはいたって静謐で落ち着いている。
あの優しいアンバー色は、十数年前、初めてロンドンに到着したと
きも迎えてくれた。
その日は、はでな嵐だった。風が強すぎてなかなか着陸できず、ヒー
スロー上空で1時間半程旋回していたが、飛行機は揺れに揺れ、女
性の悲鳴さえ聞こえてきた。僕もさすがに気持ち良いわけがなく、
英語も全くできなかったので、手に汗かいてどうなるかと不安だっ
た。なにかアナウンスが入って、ようやく降下が始まった。それま
で真っ暗だった眼下に一瞬アンバー色が広がった。
このとき アンバー色 = 落着き という図が僕のなかで出来上がっ
たのかもしれない。アンバーが広がってくると、自然とリラックス
した気持ちになって、家に戻る安堵感に包まれる。
そしてブラックキャブを拾って家路に着くのもまた良い。彼らは接
客のプロも多く(酷いのも中にはいるが)、口数はこちらに絶妙に
合わせてくれるドライバーが多い。
色々不便もあるけど、なんだかんだ言って英国というのは実に良い
国だと思うし、すでに故郷である。
October 21, 2006
Productivity
パソコンのキーボードを人差し指だけで打っている方へ、以下余計
なお世話。
ブラインド・タイプというのは和製英語だそうで、タッチ・タイプ、
タッチ・タイピストというのが正しいらしいですが、要はキーボー
ドに視線を落とすこと無しに、画面をじっと見ながら高速でタイプ
する技でございます。
タッチタイプがどうして優れているか:
- タイピングが一気に速くなり、楽しさすら感じる。
- 手書きするより速く、思考スピードを邪魔される度合いが低くな
る。特に英語の文章を構成している時に顕著。
- Cool。特にIT関連で飯を食っている人にはプロらしさが一段と加
わる。
ちょいと試算。いったい一生に何回キーを叩くでしょうか。例えば
このblog をざっと測ると日本語で2,000文字。日本語なので一文字
に2回キーを叩くとして4,000回。これを毎日続けると、4,000 x
360 =約1,500,000。これを30年続けると45,000,000。一秒に2文字打
つと仮定すると、22,500,000秒で、約徹夜260日分となります。秘書
やジャーナリスト等の場合、商売柄この5倍10倍、いやもっと沢山の
文字を打つでしょう。実にタイピングに数年分以上の長い時間を費
やすことになります、彼女・彼らは一秒に4から6文字を簡単に打ち
ます。相当な時間の節約ができることがわかります。自分が今、ど
れ程のスピードでタイピングできるか、早速測ってみましょう。例
えば:
http://www.typeonline.co.uk/typingspeed.php
wpmとは word per minute で、1 word は5文字で計算します。 2回
やってみました。47wpmと59wpmとでました。一秒に4, 5文字という
結果です。
タッチタイプを練習し始めると、一時的にタイピングが遅くなりま
すので、一ヶ月だけイライラが続きます。ここを我慢できるかそう
でないかが、天下の分かれ目。いまどきですと、様々な練習ソフト
ウェアが発売されています。楽しみながら練習できるようになって
いますので、これで一ヶ月間続け、さらに昼間仕事でキー打つとき
も、きちん教えに沿って辛抱します。
最初は手を定位置に置くことから始まります。これが実に苦痛に感
じますが、我慢我慢。左手の人差し指がF、右手のがJに位置しま
す。FとJのキーだけに突起が付いているのはこのためです。この
位置から手は動くのはせいぜい2センチ程度。あとは指の運動のみで
す。
次に徐々に各キーの位置を手が覚えるようになります。車でいうと、
クラッチとギアの関係みたいなもんで、教習所時代は頭で考えるで
しょうが、路上に出るころにはいちいち頭で考えていませんね。
もう少し上達すると、こんどは手が単語を覚えます。こうなればタ
イピングが楽しく感じてきます。例えば、 confirmation,
suggestion, investigation なんて長めのものでも手が覚えてくれ
ます。タッチタイピストは、confirmationを、一文字づつc, o, n,
f, というように文字のキーの位置を意識しているわけでは全く無く、
単語単位でその運指を体で覚えます。
このレベルまで来ると、思考を書きとめるというどうしても必要な
作業が、思考のスピードをあまり邪魔しなくなります。こうなれば
しめたもので、僕がなぜtouch typeを強くお勧めするのか実感し感
謝することになるでしょう。早速、ビール一杯奢ってください。
---
20数年前の日本、個人のパソコンが電話回線・モデムでネットワー
ク接続され始めました。パソコン通信の創成期です。勿論インター
ネットというものは存在しておらず、先進のIT企業がホスト・コン
ピューターを提供し、パソコン通信の実験を始めました。一番人気
のあった(株)アスキーの場合、当時モデムが50台程度設備され
ていました。全国のパソコンオタクから電話がかかってきますが、
50人しか同時にネットにアクセスできないという、今では信じられ
ない時代でした。
僕も300bpsのモデムを入手して参加しました。皆さんのADSLが仮に
2Mbpsだとすると、実に1/7,000の超スロースピードですが、これが
最高スピードだったのです。当時こんな遊びをしていたのはコンピ
ューターのプロか、オタク。パソコンの画面上で知り合って仲良く
なったものの、お互い会った事が無いという、今では普通のことが、
当時実に不思議な体験でした。オフ会呼ばれる飲み会がたまに開催
され、普段画面上でコミュニケートしている仲間が実際に会ってワ
アワア。僕もちょっと怖いながらしばしば参加していました。いき
なりマント着てくる奴とかも居たなあ。
ある日どこかのオフィスでオフ会があり参加しました。そこにほぼ
歳が近いと思われるお兄さん(当時)がパソコンに向かっていまし
た。ネットで面白い書き込みをする人で旧知(画面上で)でしたが、
画面を見つめたまま物凄いスピードでタイプしていました。Cool!
近寄って彼の運指をみて更に腰を抜かしました。なんとローマ字入
力ではなく、50音で打っているではないか。ひゃあ~
帰路、同行した友人と共に誓いました。そしてひと月後にはお互い
にそこそこのタッチ・タイピストになっていました。なんの難しさ
もなく、一ヶ月だけ一時的に遅くなるイライラを我慢するだけだっ
たのです。キッカケが必要だっただけ。なので、機会があれば社員
や人にお勧めしていますが、今のところ僕に勧められてタッチタイ
ピストになったひとはゼロ。あのお兄さんのような説得性が無いん
だなあ。
October 13, 2006
You can't.
マダムの英語ネタblogに触発され、自分の英語力を棚に上げつつ以
下つれづれと。
英語、特にイギリス語の発音というのは子音がきつくて、母音のき
つい日本語ネイティブにはむつかしい。日本の西側で育った方たち
は更に母音がきつい。 例えば、Softbank という偉大な日本企業が
あるが、英国人に発音してもらうと、その美しきこと。当社にもこ
てこての関西人がいるが、この人が発音すると、ソフウトオバンク
ウー。 AS400、というIBMの名機ともいえるコンピューターがあった。
エイエス・ホー・ハンドレッドオ。この、ホーが英国人には伝わら
ない。多分 AS まできたところで、相手はfourを期待しているんだ
ろうけど、その刹那に ho が来るので、言語処理回路がかき乱され
るのであろう。
ちなみにこの彼も、カプチーノを頼んでティーが出てきた経験を持
つ、実に愛すべき明るい性格の持ち主であり、きっと自分で笑いな
がら美味しくティーを啜っていたことと思う。ちなみに、西側には
自己を笑いのネタにして大笑いする明るい人が多く、北海道で育っ
た僕には実に素敵だなあと思うし、いつも真似てみたいと思ってい
る。
渡英して3年程経過したころだろうか、仕事仲間のBob氏に、textの
発音を指摘された。当時僕は テキスツ 程度の発音をしていたよう
に思う。即ち最後の t は、何とかきちんと子音で終えていた。し
かし問題は キ であった。x の発音は i という母音とは無関係で
ある。あくまで x の子音で次の t つながらなければならない。たっ
た4文字の単語だが、この単語で、発生してもよい母音は e だけで
ある。テキスト vs テクスツ。
なるほど日本語でカタカナになっている単語ほど、発音は要注意だ
と気付かされた。他にも、テレフォン vs テリフォン、テープ vs
テイプ等きりがないが、文部省に提案したくなる。エー、ビー、シー、
デー、イー、エフ、ジー♪という歌で小学だか中学でアルファベッ
トを覚えるのがあった、今考えるとこの辺から既に間違いは始まっ
ていた。最近はどうなってんだろう。
さらに、子音のきつい英語発音を相手に伝わるように発音するには、
肺活量というか、より吐く気流をきつく出さないとならないのも、
日本人というか母音のきついネイティブには厳しいところである。
f, p あたり。僕は渡英後16年経っても w がどうにも改良できない
でいる。Where do you live? とか聞くと、今でも必ず pardon? が
返ってくる。誰か教えてください。
脈略なく話を続けるが、今でも恥ずかしくて、忘れたいけど忘れる
ことができないことが渡英6年目にして発生してしまった。can't
の発音である。もうお分かりの方もおられると思うが、まあ聞いて
つかあさい。米語だとキェーントみたいな音になるらしいが、イギ
リス英語だと、”エ”という音にはならない。文字通り”カ”であ
る。もともとこの発音には自信がなかったので、cannot という単
語を使っていたが、さすがに6年も経ったので、カッコつけてそろ
そろ挑戦と思っていた。場所は某日系銀行のお客様のディーリング
フロア構築中のサイトオフィス、相手はEBSという金融ブローカー
相手に商売する企業の英国人女性プロジェクト・マネージャーであっ
た。必要なデータ回線をこの日に導入したいがどうだ、と聞かれ、
そんな悠長な日程ではとても間に合わないと言いたく、"You can't"
と言った(つもりだった)。と、同時に僕の英国人部下2名が腹を
抱えて床を転げ回った。僕は何が起きたのか分からなかった。can't
はカーーントと、カ を伸ばさないと大変なことになります。この
小話はパブリックな場では説明できないので、分からない人にはメー
ルでお答えします;
結構難易度が高いのが、s と sh の違い。人差し指を口に当てて、
静かにしてね、のシーがsh 。吐く気流がしゅるしゅるしている。
これに対して s はスィー、口は横に開いており、shと違って尖っ
てはいない。I see のつもりが I she と発音している日本人は多
い。最近当社に Cissie さんというSweden出身の女性が入社した。
これでまた、大変なことになっている。。。日本人社員集めて、発
音練習会を開こうと思う。
October 08, 2006
Memory
去る月曜日、飽きもせずにまた歳をひとつ増やしてしまいました。
この前後になると、いたって平凡な人生なれど少年時代から今にい
たった出来事がつらつらと思い返されます。
僕が紅顔の若き日に最初に入手したパソコンは、Z80というCPU(中
央演算処理装置)を持ったもので、メモリーが128Kbyte、ハードディ
スクは付いていませんでした。今自宅で使っているパソコンは、皆
さんのパソコンとほぼ似たような仕様と思いますが、Pentiumとい
うCPUで、メモリーは1Gbyte, ハードディスクは80Gbyte内蔵されて
います。メモリーの量は、この25年間で実に8,000倍となりました
が、僕の頭脳の記憶装置は1/8,000位に減っているかもしれません。19
歳あたりを境に、頭脳の細胞はどんどん減るらしいですね。いやな
ものです。
昼時、オフィスから徒歩1分のレストランで社員と着席して昼食を
していました。女性客二人が入ってきて、”あら吉田さん、こんに
ちは”。見上げて、”おー、どうもどうも”(ありゃ、またかっ、
どちらの方だっけ・・・)。
結論から言うと、レストランを出るまでに思い出すことができまし
た。そして、はたと気が付きました。仕事関係の方々は、上からお
顔を見た方が思い出しやすい。仕事柄、お客様はオフィスで着席さ
れていて、コレが動かない、アレが昨日までは動いていたのにとい
う状況で、これらを傍に立ってお聞きしながら問題を解決せしめる
のが、僕の重要な仕事の一つでありました。自然、上からお顔を拝
するわけです。実際、レストランを出る時に、着席されていたその
方に”お先に”と歩きながら声を掛けた瞬間に、会社名とお名前が
ばっと出てきたのがおかしみ。
非対称性(asymmetric)という言葉はちと意味が違いますが、犬とか
猫の顔もそうかもしれません。僕は腰が丈夫でなく、年に一度は壊
しますが、必ず左側が問題となります。医者曰く、左の足が右より
大分長いそうです(どちらも短いが、相対的に右がより短いという
言い方もある)。英語で電話で話すとき、必ず左に受話器を持ちま
す。右だと何言っているのか分かりません。日本人相手でも、相手
の声が小さかったり、うるさいパブで会話するときは、顔を右に振っ
て左の耳を向こうに向けています。キーボード打つときは3度ほど
左の肩を引いているかな。
歳を重ねると非対称性がより顕著になるのかもしれません。バラン
ス感覚保っていきたいとは思いますが。
September 30, 2006
Flexibility
頭が固いと思わざるを得ないことなど。
- 床屋にいった。料金を払おうとしたら、現金が無いことに気付い
た。近くに銀行ある?と聞いたら、カードでお支払いできますよ、
ときた。へ~。
- 後で気付いたのだが、なぜかお尻のポケットに実は現金は入って
いたのだった。いつもは右のポケット。金落とした~と大騒ぎし
ていたが、これに気付くまで丸一日かかった。
- オンラインでブッキングしたはずのミラノ行きの席が、チェック
インしようとしたらブックされていなかった。日にちに焦点がい
きすぎ、月をみておらず、翌月の同日でブックしていた。ちょい
と焦ったが、別のターミナルに走りに走って別航空で飛んで、な
んとか会議に間に合った。飛んで(?)もない料金(日本往復以
上)が代償だった。
- オフィスでぺティ・キャッシュが盗まれていた。金庫はオフィス
入り口に一番近い部屋にあり、かつその部屋に入ると死角で誰に
も見えない。その筋の方に聞くと、こういうモノは一番人目に付
くところに置くべきだそうな。へえ~。早速、僕の机の後ろに移
動した。一級建築士のTさん、ありがとうございます。
- 新しい携帯電話(Windows Mobile 5)を入手した。数えるとボタン
(数字以外の)が12個ついている。せいぜいつかうのは3個ほど
(電源、着信、切断)。それ以外は何のためにあるのか知ろうと
もしないこと。きっと便利なんだろうが、いちいち全てスタイラ
ス取り出して操作しているは、すでに年寄りの図。
- オフィスで、5メートル以内にいる社員にメールで返答すること。
社員は僕の時間割りに気を利かせてメールにしてくれているのだ
ろうが、なにも僕までメール使わんでよい。社内メールは複数宛
以外は禁止したろか。メールだと他人の忙し度、気合入り度など
をメジャーする必要がないので、そのあたりの感覚を磨く機会が
失われるね。
- お客様とカラオケの機会に、”赤いスイトピー”で露払いは、い
い加減に厭きてきた(実は昨夜もセミ・ダーティー・ナイトクラ
ブでござった)。もっと明るい、軍歌などを覚えたい。
- バックハンドが脆弱で巧くなりたいと思っているのに、必ずフォ
アから玉を打ち出すこと。シャラポバさんが、たまにバックハン
ドで追い込まれると左手で打ってる、もともと左利きらしい。肩
幅の分だけアドバンテージ、これは大きい。テニスの宮本武蔵式っ
てありえないかな。
常日頃、頭は柔らかくと心がけているが、なかなか。
September 22, 2006
Technology
よわい13、大往生間近というところでしょうか。僕の車のことで
す。どこぞのテスコ駐車場でドアを凹まされ、先日ふと気付くとヘッ
ドライト辺りに黒いスプレーを吹き付けられていました。エンジン
も次第に音が大きくなり、大分ガタが来ています。先週、出かけよ
うとイグニッションを回したら、プスーッ。またもバッテリーが死
亡、病院行きの頻度も今年は一気に多くなってきました。
ロンドンへ移住して最初に手に入れた車は、470ポンドのルノーで
した。さすがに彼女は1年でご臨終、解体屋に電話して取りにきて
もらったら、郵便受けに5ポンド入っていました。これを元手に、
すかさず入手したのはフィアット・パンダ、900ccのエンジンで、900
ポンド。こちらは結構活躍し3年程頑張ってくれた後、次のAudi 80
へバトンを渡します。この初代青Audiは3,800ポンドもしましたが、
あまり個性が無くてつまらなく、また、僕を裁判所に連れて行って
くれたりして、2年程で現在のAudi A6へ交代。Tornado Red とい
う攻撃的な赤。彼女は12,500ポンドもしました。10年前の事ですが、
俺も漸く出世したなアと思って何度も何度も窓から眺めたものです。
当初は売る時の事を考慮し、MOT(車検)はきちんとAudi専門店へ
出し、ドキュメント類も完備していましたが、はて、5年も経つと
愛着も湧き(いや単に面倒になり)こやつとは死ぬまで一緒に走ろ
う。
過日、88mphにて罰金を食らった時はメルシーデスのレンタカーで
Eシリーズでした。全てが静寂でスムース、パワーもあるし良い車
だなあ、欲しいなあ、と思い30秒間だけ考えてみました。家も車庫
も持たない電気屋のオヤジには、あまりに似合わなく、そもそもそ
んな金があったら、歯医者とか健康診断とか?着目のスーツとか、
別の重要投資先が列をなしています。いや、そういうことは差し置
いても、13歳、引退間際のTornado Redに情が移ってしまっている
のかもしれません。婆さん長生きしなよ~。
ところで、僕の車に新兵器が装備されました。当社の役員Yさんが
まず仕入れて、皆にえーでえ、えーでえ(もちろん大阪城下出身)
いうものだから、気にはなっていましたが、ちょいとしたきっかけ
で今夏入手してしまいました。TomTom君、日本で言えばただの安っ
ぽいカーナビです。が、これはエエでエ!日本に出張に行くと、タ
クシーに付いてたりして知ってはいましたが、実際にこいつと一緒
に運転してみると、実に楽なんですね。”次のラウンドアバウトの
3番目を出なさい”なーんてお姉さんアナウンスしてくれますから、
はいはい、姉さん分かったよ、素直に頷いてそのまま走れば、"You
have reached the destination"といふことで終点に到着。
この技術はすごいなあ。ちょっと前なら、外部アンテナ2本とか必
要だったのだろうと思いますが、こいつはタバコ2個ぐらいの大き
さの中に全て詰まっていて、電源だけ入れてあげれば感度抜群。ど
うしてこんなことができるんだろう。遠い空にあるGPSというサテ
ライトからの電波を受けて動作しているらしいですが、GPSの送信
パワーが最近急にあがっているとは思えません。
無線の送信パワーを上げるというのは大変なことなんです。2倍の
パワーで送信するためのコストって凄いんですが、こちらに届くと
きには、3db(デシベル)という微々たる変化しか無いのです。よく
ご自宅のステレオの音量なんかで、-40とか表示がでると思います
が、それがたったの3個分です。受信側の技術の改良なんですね、
きっと。技術者は偉い。それと、欧州に熱心にカーナビを売り込ま
なかった日系メーカーに比して、ダサいハードウェアでも、ささ~っ
とマーケティングして成功してしまったTomTomの会社も凄いなあと
思います。
September 16, 2006
Happy Birthday
昨夜も飲んだくれてしまいましたが、クリーンな健康的飲んだくれ
(謎)。当社副社長Mさんと僕の共通の女友達達が、M
さん40歳のビッグ・バースデー・パーティーを企画してくれたの
でした。3人で飲むという名目でM君を連れ出して、レストランに
入ると、暗闇にキャンドル、彼の奥様、お子様達をはじめ、友人達
20名弱がhappy birthday to youの大合唱で迎え、鬼副社長の涙
を眺めるという。この点のみに関しては企画倒れでしたが、子供達
もハッピーでにぎやか、これ以上にフレンドリーな雰囲気の晩餐と
いうのは、年に何度も経験できないなあという、とても素敵な一夜
でした。
以下は、文字を通して僕に大きな影響を与えてくれた故・遠藤周作
氏の受け売りとなりますが、女友達というものは実にありがたい。
性の違いをほんのりと意識しながら、楽しい食事や会話を弾ませ、
時に相談にのってもらい、時に教えられ、勇気づけられ、時に彼女
らの全く違った思考に驚かされ、己の頭の固さに気付かされれる。
女友達は確実に男性の心を豊かにしてくれます。
結婚している男性こそ女友達の4,5人は持つべきです。よき女友
達を持つと、男性は彼女らから前向きな刺激を受け、浮気のような、
うつつの悪戯を企てる意思が希薄になるのです。本当ですってば。
世の奥様方、積極的に夫君に女友達を持つことを勧めてみて下さい。
夫君にとっては貴女が世界でNo.1なのです。大きくゆったりと構え
ましょう。夫君の心が豊かになると、子供達にも伝わります。気詰
まっている家庭は円満となり、円満な家庭はさらに豊かになること
うけあい。
女友達道の第一条は、どんなに親しくなっても手出し厳禁のこと。
線を越えた刹那に女友達は女と化しその後大体は縁が切れます。第
2条は、自分の持たざるなにか一芸を持っている女性を選ぶこと。
仕事でも良いし料理でも芸術でもスポーツでも思想でも。美人なだ
けでは全くワークしません。第3条は、毎回の会合をオープンな楽
しい雰囲気で締めくくること。この三か条を守れる大人の男のみが
女友達を持つ資格を得られます。
Mさんはそういうあたり実に大人の男で、幸せな40歳のbirthday
を迎えたのでありました。Glow old along with family and
friends.
September 09, 2006
US Open
軽い頭痛とともに目が覚めて、時計をみたら・・・うわっ13時!
週末とはいえ、午後まで爆睡することは数年ぶりだろうか、まだ若
いなと一瞬思ってしまった。
一体何時にベッドに入ったのかも覚えていない。昨夜は確かに相当
飲んだ。テニスを通じてせっかく仲良くなれた友達が今月末に帰国
してしまうとのことで、サシでのプチ送別会だった。一軒目は、い
つものSaki Restaurantのバーで白ワインと酒肴。ちなみに、この
店では、バーで軽い食事をとれるようなった。もともとそういうバー
のはずが、最近まで枝豆程度しか食えなかったので、僕のようなの
んべーにはとても嬉しい。昨夜は手羽がうまかったなあ。塩が実に
美味いので、是非お試しあれ。
二人でワイン2本空けて更に飲み、いい加減に帰ればいいのに、2
軒目に行った。いわゆる日系ダーティーナイトクラブに行った。な
ぜ行ったのだろうか覚えていない。友人ともう少し話をしたかった
のかもしれないが、ドッジーナイトクラブは話なんぞする場ではな
い。シャンペン飲んで馬鹿話してカラオケうたってダンスして、と、
世のオヤジ達はびっくりするような料金を支払って、どうしてこん
なことに喜びを感じるのだろうと女性達に馬鹿にされても仕方がな
いような場である。至極ごもっとも。しかし恥ずかしながら僕は年
に数度、酔っぱらうと、こうしたところにパアッ~と行きたくなる
ことがある。昨夜がそうであったのだろう。そして目が覚めたら午
後1時だった。まあ先週末は汗かいて仕事したのでと言い訳しなが
ら、また反省。Kさん、遅くまで連れまわしてごめん。
さて、今週末は US OPEN の締めくくりなのであり、酒なんぞ飲んで
いる場合ではないのだ。昨夜は前述の通りセミファイナル観戦を逃
したが、僕の大ファン Justin Henin がヤンコビッチに辛勝し、な
んとマレズモがシャラポバに負けたそうだ。決勝は実に面白くなり
そうだ。技術的には圧倒的にジャスティン、しかしながら気合と若
さと、あのノイズのシャラポバ。小柄なジャスティンは、体力と粘
り強さの点では、これまでどうにも若干の弱さは否めなかったが、
若手急成長中のヤンコビッチ戦ではじめて粘りを見せた。本人も、
1,2年前だったら負けていただろうという正直かつ力強いコメン
トを出していた。昨日の粘りをもう一度出して、シャラポバの気合
を抑え込むことが出来れば、US Open2度目の優勝。昨夜は良く寝
て体力回復できただろうか。赤ワインと軽い肴も用意した、今夜7
時、いざっ。
September 04, 2006
夏の終り
電気屋はお客様のオフィスの移転にも参加します。意外かもしれま
せんが、電気屋が相当時間をかけないとオフィス移転は成功しませ
ん。内装や家具、もちろん大変重要ですが、いまどきのオフィスで
は、インターネットやメール、電話、PCがきちんと動かなくては
オフィス環境の体をなしません。
先週末は、久しぶりに手ごたえのあるオフィス移転プロジェクトの
総仕上。金曜夜に機器を外して、土曜朝から繋げ、月曜に備える。
言ってしまえば単純な作業のはずですが、世の中そう簡単ではなく、
下ごしらえから当日作業まで、十分かつ繊細な仕込みが必要となり
ます。今回は90点位はいただけるんじゃないかなあ、という仕上
げとなり、肩の荷がちょいとおりて快い疲労感が残っています。今
夜はシャンペンを少々、早めに帰宅。
こうしたイベントでは、相当数の技術屋が週末に集まって、組織的
な作業を進めます。社内の結束力を高める機会にもなり、また低め
てしまう機会にもなり得ます。全てはプロジェクト・マネジャーの
指揮にかかっています。入念な技術的仕込みは勿論ですが、現場の
勢い・士気が重要となります。また、輜重も大事。腹が減っては戦
をする気が出ません。
土曜夜は良い仕事をしてくれた仲間10名と、ホルボーンへ繰り出
し、韓国料理をしこたま食べてきました。達成感からか、良い雰囲
気で、こちらも90点位でしょうか。ちなみに、このお店はお勧め
です。ホルボーン駅の入り口右隣を地下におりたところにあります。
美味しく値段はリーズナブルです。ワインはちょっと高めですが、
ハウス以外で一番安いのがなかなか美味しかったです。
イベントというともう一つ、先週木曜には当社4度目のボート・パー
ティーを無事開催、お天気にも恵まれました。毎年夏の終わりの夕
べに、テームズ川をどんぶらこと上下するただの屋形船飲み会です
が、今回は90名と盛況。日々辛い仕事の皆さん、一夜楽しんでく
れたかなあ。来年100名超えることを祈っています。Grow old
along with me.
August 26, 2006
The Terminal
3時間も遅れやがった某アルタリア航空ミラノ行きが漸く到着し、
打ち合わせを急いで進め、その後進行中のお客様のオフィス新築工
事現場を見に行くことになった。
お客様と4名でドームから南へ向かってしばらく小路を歩いている
と、向こうから若い日本人兄ちゃんが歩いてくる。短パンはいてぷ
らぷら歩いてくる。顔を見ると、おえっ、うそっ、ありえねー、う
ちの社員だ。せいぜいこの小路で人様とすれ違うのは30秒である。
この刹那に、出張中のオヤジとホリデー中の社員がすれ違うという
確率はいったいどういう数字になるのだろう。この社員はもともと
目が点になる癖があるが、今度は僕の番であり、暫く両者、固まっ
てしまった。お客様は何が起こっているのか、こちらも固まってい
た。
こういう珍しい現象は、偶に人様から聞くことはあるが、四捨五入
して40年間、僕には起こった事が無い。どうにも気味が悪いので、
美味しいパスタを沢山食べ、しこたまワインを飲んでしまった。翌
朝の4時起きはなかなかキツかった。
ところで、たまには人様、特に短期出張に役に立つかもしれない報
告を。現在も空港はセキュリティーのレベルが高く、何かと制限さ
れています。
まず、eTicketの自動チェックインの機械は全て停止していますので、
人のキューが長く遅く。早めに空港に向かわれたほうがよいでしょ
う。手荷物の大きさは制限されており、私のサムソナイトの普通の
ブリーフケースは、長手方向であと1.5cmというところで失格でした。
到着しても手荷物回収で延々と待たされることになるので、会議の
開催時刻は要注意。
また、化粧品や水類、ライター、マッチの手荷物持ち込みは禁止さ
れています。XRAY前の机の上には、回収されたグッズが山のように
積まれており、なにか商売を考えたくなってしまうの図です。ライ
ターを2個回収された後ろのおっさんが、検査後吸えないじゃない
かと抵抗すると、売店で買えという。WHSmithに走ったら、全部売れ
切れでした。隣のお土産屋にあるかもしれないと言うので、多少高
いライターを覚悟して行ってみたら、ここも売れ切れ。困った顔を
していたら、店のおばはん、スペアがあるから貸してあげるよと。
おー、親切なおばはん、ありがとうーと言ったら、 50P位置いてい
けという。フライトが遅れていたので1ポンド置いて、1時間程拝
借し、このまま持っていこうかとも思ったが、おばはんの商い根性
に敬意を表して返しにいったら、あら、あんたに逃げられたと思っ
てたわ、と笑っていました。
XRAYでは靴とベルトも脱がされます。ソックスに穴があいていない
か確認してから空港に向かうことをお勧め致します。
August 20, 2006
軽犯罪
今週末も、テニスで臭い汗をどろどろ流し、自分だけは爽快に帰宅
し、どぼっと風呂に浸り、一週間溜まっていた郵便物を片付けてい
たところ、また罰金通知。
どうも最近、罰金支出が多い。数週間前のCongestion Chargeから始
まった。平日はまず運転しないので、そんなものがあることを完全
に忘れていた。次に、家の前にきちんと駐車していたのに、Discが
はっきり読めない位置にあるという理由(どうみたって読めるだろ
うがア)で二日連続チケット切られた。そののち、タイヤが黄色の
二本線を踏んでいたとかでまた切られた。
今回のは、M6高速で70mphのところを88mphで走っていたらしいが、
ぜんぜん知らないナンバープレート、しばし考えたら、あ~、レン
タカーで、湖水地方からリバプールに向かって、ぶっ飛ばしていた
時だ。パッセンジャーにA型が一人もいないという不利な状況で、
その日は朝からのんびりと行き当たりバッタリ観光ドライブしてい
た。が、後半時間が詰まりに詰まって、あわくって高速に乗って
100mph平均で飛ばしていたのだ。88mphでよかった。罰金も駐車違反
のそれとさほど変わらないし、これで紙の免許証がカードタイプに
変わるらしいから、良い機会としよう。但し、点数3点もらってし
まったので、これが消えるまでの3年間、おとなしく運転しようと
も思う。
僕は酒もタバコもやる。殆どお世話になった事の無い National
Insurance もDirectorレートにて多少高い。犯罪はしないし、世間
ではおとなしくしている(はず)。会社創立以来、利益の25%を毎年
納税している。英国にとっては実に都合の良い善良な市民であると
思う。
犯罪はしないと書いたが、実はした。10年以上前の出来事なのでも
う時効であろう。英国の裁判所で、私は吉田であると手を挙げて宣
誓してから判決を受けたことがある。車の保険に入っていなかった
のだ。いや、車を買い換えた際に、素早く保険屋に連絡を入れてい
なかったのが敗因。書類が送られてきて、当時英語ほとんど解せな
い僕は、辞書を片手に、plead guilty (私は罪を犯しました、裁判
無しで、罰金払いますからよしなに願います)、にtick して送り返
した。しばらくしたら、お前の罪は重いにて、裁判所に是非出頭せ
よと云う。
ひゃあ、これは面白い。午前中お休みもらって朝から出頭し、2時
間程待った。弁護士はどうせ英語が分からないだろうから要らん言っ
た。部屋に入ると6名ほど、誰がなんの担当なのか分からない人達
が僕を囲むように座っていた。当時知っていた200の英単語を駆使し、
弁明し、日英文化の違いを大いに主張し、時に泣きじゃくり、時に
怒ったふりをし。実に良い経験になった。結局、罰金は100ポンド位
で、フェアーじゃん。しかもクレジット・カードで払える。シャイ
なだけでは、ここでは食っていけないなあとも思った。
August 13, 2006
売上げ倍増計画
ビジネスのハウツー物はあまり読まないようにしているし、読んで
もごく冷静に解釈するように努めていますが、先週、社員から回覧
本が回ってきました。日本でビジネスコンサル会社を経営されてい
る社長さんが著されたもので、これは面白かった。例えば、女性読
者に対して、彼氏は彼女がいる男から選べとか大胆な内容が多く、
一気に読んでしまいました。根底に流れているテーマは、変化し続
けること、培ってきたものを捨てる勇気を持つこと。5年生の当社
には勉強になるものがありました。
その中で服装についてのチャプターがあり、著者ご自身が、愛着あ
るダサいスーツをかなぐり捨て、今ではおしゃれな社長という評価
を得ていること、それが会社にとってプラスになること等々。こう
いうところに自分の金を投資しないと駄目なんだと仰る。
はて。
僕は全く駄目の部類に入るでしょう。靴は汚い、スーツはダサい、
だいたい何着も持っていない。半分白髪でドライヤーなんて持って
いない。せいぜい下着、シャツ、ソックスを毎日替えるのが関の山。
ちょっと考え込んでしまいました。
私が多少お洒落になったらどうだろう。まず、社員は笑うだろうが、
そんなことは良い。新入社員の面接時には確実にプラスになるだろ
う。腕の良いエンジニアが会社選びしているときに、最終判断の一
要素になるかもしれない。たまにあるパーティーなどでもプラスの
印象になるだろう。マイナスの要素を探すのはどうやら難しそうだ。
そういうわけで、まずは最低限のお洒落をインプリメントし、会社
のプラスにしようと思っています。無論センスゼロです。分からな
いものは分かる人に任せるのが一番。どこかに服装センスのよいう
ら若き女性で、電気屋のオヤジのお洒落改革を助けてくれる殊勝な
方がおられましたら、是非ご一報ください。
August 05, 2006
怪メール、怪電気屋
友人からメール、奥様が、受信したある特定のメールを選ぶと、必
ずOutlook がフリーズしてしまうと。昔はそんなこともたまにあっ
たなあと思いながら、Web Mailから該当メールを削除してもらった。
しかし、受信してしまった該当メールは既に Inbox の一番頭に鎮
座しており、Outlook をあけると自動的にそれが選ばれ、やはりフ
リーズすると。これはもう素人さんには無理、当電気屋にPCを持っ
てきてもらった。
メールデータのバックアップを取ってから、新規データファイルを
作ってOutlookを立ち上げ、問題メール以外をバックアップからコ
ピー。ついでにOffice 2003のアップデート。ここまでは素直に解
決。
万一また起こったときの対処として、こういう障害に強いメール・
ソフトを導入。しかしこれが動かない。随分時間をかけてしまった
が、Norton Internet Security というのが入っていて、これが新
メール・ソフトのパケットを全てブロックしていたことが判明。こ
れを'Allow'に直して解決。
システムというものは、極力シンプルにすべきである。Windows XP
自体にファイアウォール機能が入っていて、かつNortonでも同様な
機能が二重に入っている。となると問題発生時の切り分けが難しい
し、セキュリティーが2倍強くなるかというと、そんなことはない。
Nortonに言わせれば Microsoft が勝手にFirewall機能を入れてき
たのが悪い、ということになるのだろうが、エンドユーザーにとっ
てはわけわからない。電気屋の活躍する場があるのは当店にとって
は良いことだが、こういう例はどうにもユーザーさんが気の毒であ
る。
奥様、お代を払おうとされるから、
「そんなんはいらねえよ」
「えーっ」
「じゃあ2時間だから2千ポンド」
「・・・」
今度旦那さんに1パイント奢ってもらうことで話がついた。
July 31, 2006
EC2
どうにもまだ慣れないでいます。新オフィスのリフトに乗っていた
当社社員が、乗り込んできた他テナントの社員に、タバコ一本くれ
とせがまれたらしい。このリフトに乗ってくる人で、タイをしてい
るのはどうも当社社員だけのようです。半ズボンとサンダルで仕事
しているもの。どうみても薬漬けという女の子が足を引きずるよう
にビルの前を通ります。駅(Liverpool Street)に向かって歩くと、
やたら人が多い。朝から晩まで人が多く、この暑さもあいまって疲
れます。新オフィスのリースは2009年9月まで。I miss EC2... 頑張っ
て仕事して、適正に儲けて、またEC2に戻ろうと思ふ引越し一週間後
の月曜日。
July 23, 2006
そこそこでいこう
今週もまた飽きもせず色々な事が起こった。
入ったばかりの社員が辞めた - これはちょいと痛かった。アカデ
ミックな香りのする若い優秀なトルコ人技術者だった。当店の電気
屋の風には馴染めなかったか。新入社員受け入れは、まだまだシス
テム化されていない。課長会での機運は上がってきているから近々
期待。
3年勤めた社員が辞めた - これはあまり痛くなかったが(ごめん)、
タイミング悪すぎ。小企業では、この人がいないと、という分野が
ありがち。かつ当店は多少背伸びしプロダクツの幅を広げている。
ここ最近、立て続けに社員が辞めた。既にそこそこの手は打ったつ
もりだが、結果がどう出るか祈る気持ち。小企業は祈りが多い。
東欧からやって来た若者が入社した - 感じのよいポーランド生ま
れ、学生時代からロンドンに出入りしていたそうで英語も相当いけ
る。以前にも人様に頼まれ、ポーランド人のプログラマを選んで大
変喜んで頂いたことがあった。日本人よりは自己をを前に出すかも
しれないが、この国ではごくおしとやかな部類。そして、主張する
だけの腕や人格を確実に持っているのが良い。勿論、個によるだろ
うが、一般的に東欧の人材は優秀と言ってよいのでは。
意中の日本人技術者にWork Permitが下りた - 6月に一度却下され
たものの再申請の結果だった。嬉しくてたまらん、夜一人でシャン
ペン開けた。再申請では多量の説明、というか懇願、泣き、に近い
文章を切々と綴って送りつけた。今回だけは特別に許可だとか、次
回この手は通用しないぞとか言ってきたが、まあ話せばわかるじゃ
ん。
オフィス移転した - 1年近く時間を使ってきた甲斐あって、3ヶ
月分タダ、現状復帰工事免除、デポジット免除、サービスチャージ
はキャップあり、というそこそこの条件で契約できた。リフトが2
台以上あって、冷房がまともに利いたオフィスを夢みていたが、こ
れで実現。場所が以前ほど良くないが、社員がそこそこ喜んでくれ
ると嬉しい。
人の出入りが激しい近頃。CityのIT系人材給与水準がじわりと上がっ
ているそうな。従来より労働分配率が極端に高い当店、今年ようや
く完成した人材評価システムでもって、極力ブレずに行こうと思う。
July 14, 2006
Tennis
そもそも本ブログは、最近日本にご帰任された財務省にお勤めのT
さんがご担当されていたものの引継ぎです。Tさんはむろん頭脳明
晰ですが、フレンドリー、感性高く表現が多彩で、そしてお酒がお
好きで。それはそれは素敵なお兄さんであられます。このような方
々が日本の国家レベルの大きな財務を運営されているんだと思うと、
わが故郷の将来はきっと明るい、と思わせるような方でした。
Tさんとお知り合いになれたのは、London MBA Club (LMC)という
会が運営する初心者テニス会が、四十の手習いのような私を参加さ
せてくれたのがきっかけです。彼はテニスも会で一番上手で、我々
の打つ、どこにぶっ飛ぶか分からない玉を、きちんと同じ場所に打
ち返してくれる方でもありました。
参加してから1年少々経ちますが、テニスは面白くて楽しくて。下
手でもなんでも、実に良い思いを時にさせてくれます。全てはイメー
ジから始まります。プロの試合をTVで観たり、教則本の解説に頷い
て、これを打ってみたい、と思ったヒットが100本に一度でも出た
ときの快感といったらもう。動いているモノをひたすら追いかけて
ぶったたく、というのは、人類のいわば原始的な楽しみなのでしょ
うか。どうしてこんなに楽しいものを若いときからやっていなかっ
たのか、実に悔やまれます。ゴルフと違って、何時間もかかるスポー
ツではありませんし、ロンドンではそこらの公園にはコートがあり
ますし、料金も安く、週末テニス1回で確実に翌週の体調が違いま
す。
これが嵩じてよくTVでテニスを見るようになり、Putneyに10年住ん
でいますが、今年ようやく Wimbledon を観戦することがかないま
した。Day-2のCentre Courtに着席し、私がもっとも好きな
Justin Henin が入場し場内の拍手、この雰囲気、数分間動けなく
なる感動を受けました。こんな素敵な瞬間はもう何年も忘れていた。
2試合目はフェデラー、3試合目がなんとアガシ、4試合目が英国
期待のアンディー。Wimbledon行って頭をやわらかくするのは今後
の年一度の行事になりそうです。Tさんに感謝。
July 12, 2006
ごあいさつ
子供の頃に、大きくなったら何になりたいかとしばしば聞かれます。
ラジオのアナウンサー、音楽家、魚釣コンサルタント、と答えつつ
子供心にも夢のまた夢と諦めていたように思いますが、電気屋のオ
ヤジという実に現実味のある対象が”なりたい”に浮上してきたき
っかけは、小学6年の時に手に入れた、工事現場などで今でも使わ
れる、市民バンド・トランシーバという無線機でした。
当時、家電量販店は存在せず、町の電気屋さん達がお得意さんを抱
え、顧客の家を定期訪問し、洗濯機からテレビ、何でも販売し、故
障がおきたら何でも修理し、さらに田舎町では、サンヨーなどが運
営していたローカルTV局の宣伝に作業服を着て登場できる、とい
うなかなかの職業でした。同級生にいた電気屋の息子が、羽振りが
よかったというのも要因だったかもしれません;
TVやステレオが故障すると、機械の蓋を開け、とてつもなく沢山
の、わけの分からない部品が並んでいるところに、テスターをあて、
半田鏝で部品を交換し直してしまう。その傍には、なんて凄いオヤ
ジなんだろう、と感嘆の眼差しの私が飽きもせず作業を眺めていま
した。
近所の友達と、お正月のお年玉で何を買おうか相談し、どうやって
トランシーバーという結論を出したのかは覚えていません。線も何
も何も無いのに遠距離で通話ができるということが、もう面白くて
面白くて、毎日これを使って遊びました。
ある日恐る恐る蓋を開けてみたら、これまたとてつもなく小さな部
品が基盤の上にぎっしりと詰まっていました。このカラクリ、アン
バイをどうしても知りたくなって、本や雑誌を読みまくり、世の中
で最小限の部品で構成できるゲルマ・ラジオというものを作り始め
たころが、私の電気屋のオヤジ人生の基点で、その後、割と迷わず
に電気工学科を卒業することになります。
上京し就職した私は、どちらかというと専門的な電気(電子)の世
界で仕事をはじめました。電気屋のオヤジというよりは、研究・開
発の仕事で、これはこれでまた、面白くてたまらない毎日でした。
縁あって16年前に渡英しましたが、ここではコンサル的な仕事を続
け、更に縁あって、5年前に小さなIT会社を作りました。モノ作る
ことは幼いころから好きでしたが、会社を作ることになるとは思っ
てもいませんでした。いざ作ってみると、電気屋のオヤジ・お兄さ
ん・お姉さんが何人か集まって、町のお客さんの利便をはかるとい
うような会社ができあがったのがおかしみです。実際には企業向け
のIT全般に渡るサービス提供をしていますが、電気屋のオヤジ的
部分が一番ご好評頂いているようです。
IT (Information Technology) という単語を厭きるほど聞かされて
いると思いますが、 90年には存在すらしていない単語です。コンピ
ューターやインターネット、通信技術が一気に発展し、この分野を
大まかに捉える単語として新しく創造されたものです。同時に技術
者の分野細分化が進みました。例えば、ネットワーク技術は得意だ
が、コンピューターはほぼ駄目とか。 ITと単に括られていても、更
にその先に各IT分野の専門家が何人も寄り集まる必要が生じてきま
した。
現在、これら細分化されたIT技術を全般的に眺めて、広く、かつち
ょっと深めに各種技術を捉えて、優しく提供できる技術屋の集団を
主力にしたサービスを提供しています。日系顧客が多く、こうした
電気屋のオヤジ、お兄さん、が求められているからです。
一回目ということで、自己紹介を兼ね、長いブログになってしまい
ました、恐縮です。電気屋のオヤジ、中小企業のオヤジ閑話で暫く
本ブログを汚すことになります。駄文に懲りず、おつきあいいただ
けるとさいわいです。