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August 16, 2011

Initiation

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怒涛のテスト期間、採点、成績付けも終わり、無事に夏休み突入、、、。

と思っていたら、もう8月も半ばじゃないですか!

というわけで、普段出来ないことをやってみつつ、気持ちは既に9月に向かっております。

なぜなら、来年度(つまり9月からの新学年)は私にとって新たなチャレンジの年になるからです。

まず、私が新任として働いたときからずっと一緒の同僚Mが二度目の産休。それに伴い、ジョブシェアで一緒にやってきた学科主任の仕事が私一人の責任に。

そして、3年前から副教頭、そして歴史教諭として一緒に働いていた同僚Vがなんとケニアの学校へ副校長として移ることに。

つまり、歴史の専任教師が私一人に。でも、それでは歴史の授業をカバーしきれないので、一年契約で一人フルタイム採用が決まったものの彼女は教師一人目。

彼女はマーケティングの分野で10年経験を積んでからの転職なので、社会人としてはもちろん先輩。色々な経験を経て教師になる人はこの国では多いのでこれ自体は不思議ではないのですが、ちょっと不思議な感覚です。

さらに、、、去年、いろいろなことがあって自分の教師としての価値が見失いそうになっていた私が、9月からはなんと7年生から上は12年生まで、つまり全学年教えることになり、授業数も増えます。10年生11年生はGCSE、12年生はA-levelといって全部受験のためのクラスですから責任は重大です。

まぁ、去年はsabbatical (安息期間)に近かったんですけど。おかげで9年生の教材作りに時間を割けて良かったのですが、教えることそのもののチャレンジは少なかったので、9月からはそれから180度変わります。歴史好きがたくさん試験クラスに入ってくれたようなので試験対策はもちろんしなければですが、その子たちの純粋な興味を押しつぶさないような授業をしたいものです。

極めつけはたぶん春学期にやってくるOfsted(政府の学校監査)。3年前の学校の異様な雰囲気を思い出します。今回はそうでないといいのですが。今週・来週と発表されるGCSE&A-levelの試験結果によってずいぶんとプレッシャーも変わるので今からドキドキです。

こういうわけでして、今月は羽を伸ばしつつも9月からの長期計画を練っています。新任の先生にもわかりやすく指示を出す必要があるので、マニュアル作りのようなもの。

そして、毎年恒例(?)の私のオリジナル手帳作り。手帳といっても、要は自分の時間割表と簡単な授業計画表、行事予定表を合体させたものです。受け持つクラスが多いとどのクラスがどの範囲まで進んだのか、宿題は何が出されていつ提出期限なのかなど、かなり混乱します。それプラス授業以外の予定を書き留められるようにしたもので、これを印刷してリングバインダーに挿入して使っています。

普通、Teacher’s plannerは学校が既製のものを用意してくれるのですが、2年目くらいから同僚からヒントを得て自分で作るようになりました。学期が始まると手放せない私の相棒です。今はスマートフォンもあるし、自分のネットブックに記録すればいいんですけど、どうも予定表だけは紙媒体じゃないと落ち着かなくて。

そして、何よりもこれを用意することがいつの間にか私の新学年開始前の通過儀礼になっていたのです。これをやらないと自分の中で新学年がスタートしない。

一枚の紙に自分の受け持ちクラスを自分で打ち出すと、色々見えてくるのです。自分が受け持つクラスが一週間の中で何曜日なのか何時間目なのか、そしてどの学年なのかによって授業のダイナミズムも変わります。不思議と事務の人がコピーしてくれる時間割表とは似て非なるものになります。

さっそく仕上げた来年度の時間割表。うちは二週間で一巡りするTwo-week timetableといわれる時間割なのですが、9月からは両方の週の金曜日5,6時間目が9年生の授業を担当することに。

9年生は一番難しいといわれる学年なのでこれは、正直かなりの貧乏くじであります(汗)

、、、金曜日までにエネルギーを消耗しすぎないようにテンション上げて頑張らないと。

生き残りをかけた戦いが始まる、、、?!

投稿者 lib : 04:32 PM | コメント (2)

June 27, 2011

来る~きっと来る~~~~~。

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訳の分からないタイトルですが、一応「リング」の主題歌の感じで。

いや、何が来るって。

身震いしそうになるほどの怒涛の一年が 。

実はご無沙汰している間に色々ありました。

学校には1月から新校長が就任。去年は色々あったものの、割と落ち着いた一年だったのですが、、、。

今学期は同僚Mの産休入りにともなって、約一年ぶりにGCSEの受験クラス(10年生)担当に。

ここまでは良かったんですけれど。

かなり恐れていた事態が発生。

もう一人の歴史教員Vがなんとケニアの学校に移ることになり、それは彼女にとって喜ばしいことですが、私にとってはちょっと困ったことに。

同僚V+同僚M+私=歴史科

だったのが、

歴史科-(同僚V+同僚M)+新任C に。

ありゃ、わかりにくいですかね?

つまり、ベテラン教員2人が去った後(同僚Mは一年後に復帰)は学科主任の私とこの間採用した新任教師のCのみに。

一人足りなくない?

はい、足りないんです。

でも、不況の中、学校はお金が無さ過ぎて、もう一人歴史の専任教師を雇ってくれないのです。

そこに追い討ちをかけるように、人数足りないから開講しないと思っていたA-level(16-18歳のコース)がどうやら10人集まりそうなので開講する可能性が濃厚に。

A-levelが開講されるうちの学校の6th form college(中高と大学の中間に位置する教育機関)はこれまた貧乏で、生徒が他の学校に流れちゃうとそれだけ自治体からもらえる予算が減ってしまう。だから、どんなに歴史学科内の人手不足が分かっていても、無理やり開講してしまうのです。

ちなみに希望者が5人とかですと人件費と割に合わないので逆に開講してもらえません。今年A-level教えてた同僚Mと同僚Vは2人ともいなくなるので、同僚Mと私は来年に限っては開講されないほうが我われにはいいのでは、、、と話ていたところでした。

それが、見事開講されてしまう兆し。

で、誰が教えるのか。

、、、はい、私です 。

新任で一年契約の新同僚CにいきなりA-levelまかせるのはリスクがあるから、A-level教えたことある私にまかすという上の判断。

でも、、、A-levelは2年教えてません。しかも、その間にカリキュラム改編あり。

そういうわけで、ここ数年、受験クラスへのプレッシャーが益々半端無いことになっているのに、私は2年ぶりにA-levelを教えることになりました。

一人で全コマ教えるから、一週間に300分。ぐはっ。 (衝撃波を受けた私の反応)

で、GCSEの受験クラスも10年生11年生と一学年一クラスづつあるから、プラス週300分 。

つまり、週600分、受験クラス担当。

ゼロから600って、、、。

今年一年、低学年ばかり教えていて、ノートとテスト添削以外では割とのんびりしていた私。

9月からはもうすごいことになりそうです。

ところで、誰が低学年教えるのか?ちなみに私は教えていい規定の授業時間をオーバーするため教えられません。

直属の上司である学部主任Oはあっさり、

「地理や宗教の先生たちに振り分けるしかないね」

、、、今に始まったことじゃないないですけれど、Non-specialistの教員の皆さんの足並みを揃えるの大変なのです。学科のミーティングもしようにもみんなそれぞれの教科で忙しくて集めるにも大変なんです。

私も今年は地理と宗教を7年生に教えましたが、やっぱり専門教科外教えるのは難しいことがありますし、我われにとっても生徒にとっても理想ではありません。

こんな状態のところに、来春にはどうやら魔のOfsted(国の教育水準監査院)からの審査官がやってくるらしい。

オーノー!

生き残れるのか、自分、、、?!

勢いで波に乗ってやる!

と意気込んでいますが、、、

、、、勢いで波に飲み込まれないように気をつけます。

投稿者 lib : 03:27 PM | コメント (0)

May 09, 2011

思考の果て。

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みなさん、ご無沙汰です。

初めに、、、

今回の東日本大震災の被災者の皆様に心からお見舞いを申し上げます。

私のブログをいったいどんな方が読んでくださっているか。毎回気に留めていることではありますが、今回はいつもより色々と思いをめぐらせ、考えながら記しています。

実は3月の震災後、書き始めては消し、また書き始めては消した記事がいくつかありました。こんなに自分の頭の中が整理できなくなったのは久しぶりです。

震災に関して私自身が感じたこと思ったことは様々で、これからも何か明確な答えが出ることではないし、うまく自分の力で表現できるものでもないんだろうと思っています。あんなに人の気持ちにアンテナを伸ばそうと、もがいたのは初めてだったかもしれません。どう感じ、どう考え、どう行動するのか、、、自分の人間性を大きく試されているようにすら感じていました。

でも、やはり最後にたどり着くのは、当事者の気持ちをいくら私が分かろうとしても、彼らの気持ちに添おうとしても一緒にはなれない。思いを向けることは出来ても、それは結局、私の想像の範囲を出ることはない。だからといって何も考えず、行動しなくて良いはずが無い。そこに正解も何もないない、ただの独りよがりかもしれない。けれど、自分の人間性を信じて考え、行動するしかないのだと。こうやって、毎回、長い思考の最後には、あやうやな、単純そうな、でも決して簡単ではない結論に達します。そしてまた自分の中の「正解」を求めてあれこれと考え始める、、、。この繰り返しです。

3月11日の地震発生以来、4月のイースターの休みに入るまで、私の同僚・生徒たちは毎日のように温かい言葉をかけてくれ、続々と義援金を集めるための活動をしてくれました。本当に胸が熱くなりました。被災地の人々はもちろんのこと、混乱の続く関東圏の人たちに直接届いたらどんなにいいのにと思います。

この人たちの活動を日本にいる人たちに伝えられるのは私以外にいないのだし、伝えずにはいられない気持ちなので、今回のブログは、そのことについて端的に報告させてもらいます。

集まった義援金は学校名義でイギリスの赤十字社に送っています(うちの学校の会計システム上、イギリスベースでしかも小切手で送れる団体じゃないと不可であるため)。

1、Red Nose Dayというイギリスで毎年恒例のチャリティデーにうちの学校で集まった1500ポンドのうち500ポンドが日本への義援金として送られました。

2、同僚Rが自分で作ったProfiterole(ちいさなシュークリームみたいなお菓子)を売って集まった148.50ポンド。

3、同僚R&Aが企画してくれたチャリティフットボールマッチで生徒から約200ポンド。

4、同僚Tが担任クラスの子供たちとチャリティマラソンを企画。なんと、生徒、同僚から500ポンド以上集まりました。

5、私の担任クラスの子がやったケーキセールで約150ポンド。このケーキセールには9年生、10年生の生徒、私の同僚4人が手作りのケーキ、クッキーを提供してくれました。

6、多数の7年生の生徒たちがSponsored silenceで50ポンドくらい集めてくれました。(注:Sponsored silenceというのは例えば、一日一言もしゃべらないかわりに、周りの人にスポンサーになってもらってお金を寄付してもらうこと。おしゃべり好きな子供たちにはつらいことだけど、その努力に対してスポンサーはお金をあげるという仕組み。イギリスの学校ではポピュラーな方法です)これはまだまだ続いています。

7、私の担任クラスの生徒Eが自分の家で自発的にSponsored silenceをして17ポンドくらい集めてくれました。とっても責任感が強くて心優しい子です。

他の7年生のクラスもケーキセールで義援金集めたけど、金額は私が集計したわけではないので不明です。ここに書いた以外でも個人として義援金を送ってくれたひとはたくさんいるし、活動中のものもあります。

ちなみに前も書いたことあると思いますが、私の学校はロンドンの中で一番貧しい区にあります(といってもあくまで先進国イギリスのなかで、です。スラムがあるとかそういうわけではありません)。失業率も高いし、国の教育予算カットでかなり打撃を受けるだろうといわれている(というかすでに受け始めている)地域です。

そんな地域にもかかわらず、そして、日本という場所も今まで知らなかったくらいの子供たちが(中にはいままで私を中国人かベトナム人だと思っていた子もたくさん)、一生懸命身近な問題であると感じて行動してくれました。 私が彼女らが実際に知る唯一の日本人であることもあり、私を通して日本を考えてくれているのがわかりました。私自身が「チャンネル」のような存在になっていることが、無力さばかり感じていた震災直後の私の支えにもなっていました。

今回、こうして金額をリストしたわけですが、誰がいくら集めたからどうということではないのです。関わった全ての人の心に尊さを感じています。各界著名人たちが送る義援金とは比べものにならない額ですが、すごく思いやりの詰まったお金です。これが日本に送られます。簡単なことではなく、長い道のりかもしれませんが、少しでも東日本の、特に地震、津波で甚大な被害があった地域の復興に少しでも役に立ちますように。

イギリスはイースターも終わり、ロイヤルウェディングのあった週末も終わりました。いよいよ新学期です。休みで得た新たなパワーで私自身、ここで終わらずに一個人として考え、被災地のためにできることを続けていきます。

投稿者 lib : 11:19 PM | コメント (1)

February 28, 2011

収集癖

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どの職業を持つ人間にも、その道にどっぷりと漬かるうちについた、癖みたいなものがあると思う。

教師7年目突入の私も、教師であるがゆえに染み付いてしまった癖はいくつかある。

そのなかのひとつが変な収集癖。

集めてしまうのはボールペン。

でも、わざわざ買うのではない、基本的にはもらい物のボールペン。

何かの景品で貰ったり、研修先で貰ったボールペン、さらには郵便受けに入っていた保険やさんやチャリティ団体のパンフレットについてくるボールペンまでも、すかさずストックしてしまう。

それもこれも、、、全ては生徒たちのため。

いや、、、私の余計なストレスを減らすため?

というわけで、事情を説明しよう。

実は、私の学校ではペンすら学校に持ってこない子供がいる(といっても多いときでクラスに2-3人)。

しかも、そういう生徒が年々増えているように感じる。大体9年生くらいにそういう子が多い。気が一番緩む学年だ。

私の勤務校は東ロンドンにある公立の女子校。学区もロンドンで一番低所得者層の多く住む地域にある。

じゃあ、その子供たちはボールペンが買えないほど貧しいのか、、、?!

いやいや、そんなことはない。ペンを持っていなくとも、彼女らのかばんとポケットにはちゃーんと携帯電話やMP3プレーヤーが常駐している。家にはもちろんコンピュータがある。MSNやFacebookは彼女たちの庭。

このペンすら持って来ない風潮。これは、単に彼女たち自身の「常識」と「向学心」の欠如の表れだろう。そしてそれに厳しく対応してこなかった大人たち(学校、親、われわれ教師)の責任でもあると思う。

他の学区、学校ではどうなのか知らないが、私の学校では授業で使う文房具のほとんどを学校が提供する(ということは公立の学校ではこれらのものは我われの税金から捻出されているということだ)。

生徒が使う学科ごとのノート(といっても日本の某文房具メーカーのキャン○スノートの十分の一くらいの質)、のりやはさみ、ポスター用紙、ホッチキス、色ペン、色鉛筆など、授業で使われるものは全て学部、学科の予算で購入し、生徒はペンだけ持ってくれば良いというわけである。

この国で教壇に立ったばかりの頃は驚いた。そういうものは保護者が購入して子供のために揃えると思っていたからだ。低所得者地域である東ロンドンならではの対応なのかと納得していたが、そうでもないらしい。

もちろん、自分で文房具一式持ってくる子もいるけれど、クラスの半数にも満たないのではないだろうか。

私がひたすらボールペンを収集するようになったのも、そういう彼女たちに対応するためなのである。

うちの学部で作ったルールに「文房具一式を持参する」という項目があったが、いつのまにかそのルールも消えてしまった。同僚たちもほとんど匙を投げてしまった。

同僚たちが「余ってるボールペン、常に教室に常備してるんだよね~」という話をしているのを聞いて、最初は「そんな対応でいいものなのか、、、」と思っていた。実際、二回続けてペンを忘れた子には居残りなどの罰を与えていた私。

それがここ一年ほどの間に、私自身も授業の始めにすばやく対応するためにボールペンをあらかじめ備えておくようになってしまった。

たかがペン、されどペン。こうやって規律は乱れていく、、、。教師である私としては情けない事態なわけだが、周りを見ると教師も生徒もこの状況をそう真剣に捉えている様子は見られない。

この問題について由々しきことであると声を大にして問題提起する同僚も最近はほとんどいない。生徒たちも文房具などただの使い捨てのものだと思っている様子が伺える。所有意識もないのか、あっさり持ってきたペンを置いていく生徒も多い。

それにしてもこの風潮を正すためにはどうしたらいいのだろうか。こういうものは、元来、強制し、忘れたものには罰を与えて持ってこさせるものなのだろうか、という疑問もある。

本来なら彼女たちの頭の中に、「授業に必須のもの=ノートとペン(私の学科では教材はこちらが用意する。低学年では教科書の持ち帰りも無い)」という図式がなければならないのに。

ここ数年で生徒たちの「向学心」「子供らしい興味、好奇心」が低下していることは目に見えており、それに対する懸念が同僚との会話でも顕著だ。経済の影響か、家庭環境か、それとも文化の影響か、、、要因は色々なところにあるだろう。

そんな中、皮肉な出来事があった。実は私の学校にはアフリカや中東、アジアの何カ国かに提携校がある。一番交流があるのはケニアと南アフリカにある学校だ。

先月、文房具の不足するケニアの小学校にペンを送ろうという試みがなされ、学校側が生徒から各家庭で余っているペンの寄付を募ったのだ。生徒も何人かがそのキャンペーンに率先して参加した。学年集会では南アフリカ出身の同僚と次回、その小学校を訪問する予定の教師がプレゼンをおこない、その中でその学校の様子などが紹介された。そのなかには顔を輝かせて登校する生徒たちの姿、真剣に学ぶ姿を写した写真などもあった。

これを見ると我が校の生徒たちが恵まれた環境にいることは明らか。ペンすらない環境でも(いや、だからこそか?)一生懸命学ぼうとする子供たちの姿をみて、ペンすら持ってこないほど学習意欲の無い生徒たちは何を思ったのだろうか。

投稿者 lib : 07:50 PM | コメント (0)

February 21, 2011

Life goes on…

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今日の放課後、私に居残り(Detention)させられた生徒たちにお説教していたときのこと、、、。
トントンとドアをノックする音が。
ふと見ると、そこには懐かしい顔がありました。
ドアのガラス窓から覗いていたのは去年まで私が担任を持っていたクラスの生徒二人。
そのうちの一人は今でもうちの学校付属のSix form collegeに通っているのですが、もう一人は11年生で卒業後に他のSix Form Collegeへ進学した子。会うのは去年の7月ぶりです。(注:Secondary education、いわゆる中等教育終了後に通う学校。日本だと高校と大学のちょうど間に位置する教育機関)
その瞬間まで真剣怒りモード(まぁ、半ば演技なんですが)で7年生に淡々と話をしていた私ですが、思わず顔が緩んでしまいました。
この子達は7年生から11年生まで私がずっと担任として一緒に過ごした生徒たち。彼女たちの成長振りは目覚しく、再会するたびに「大きくなったなぁ」と思わされます。
そして、私もずいぶん遠くまで来たなと思うのです。生徒達はいわば私のマイルストーン。
ところで面白いのは、卒業生と会うと、あの頃の教師・生徒という関係からは外れたために話す内容もだいぶ変わること。
今日も話していたのは彼女達自身の近況と彼女達の仲良しグループのメンバーの近況。それぞれが違う学校に進学したにもかかわらず、連絡を取り合って、一緒に遊びに行くこともあるようです。
他のカレッジに進んだ方の子は、なんと、ダンスの道に進む決心をしたようで、学校だけでなく、プライベートでもレッスンを受けているのだとか。ダンスカンパニーとの契約をもらえるチャンスがあるかもしれないということで、難しい道だけれど頑張りたいと言っていました。17歳でしっかり前を向いて頑張ろうとしている彼女は本当にきらきらしていました。
今でこそ、こんなに和気あいあいと話が出来る彼女達ですが、実は10年生くらいの時にその子たちの仲良しグループの中では色々あり、そのうちの一人が結局違う学校に移る結果になったことがありました。その他に家庭の事情でだいぶ精神的に不安定な時期を送っていた子が二人。
今日遊びに来てくれた生徒の一人はとってもリーダーとなる素質のある明るい女の子なのですが、とても個性的で我も強く、9年生くらいのときは私も彼女や他の生徒達に関する問題をめぐってクラス運営に悩んだ時期もありました。
それが数年たって今日、すっかり成長した彼女達と交わす会話は本当に楽しいものでした。
グループのメンバーの一人だった子が実は妊娠中でもうすぐ臨月というのには驚きましたが。でも、彼女は幸せそうだと聞いたので、若くてもしっかりしたお母さんになってほしいと思いました。
この学校で働き始めてから6年経った私。自分が教えていた生徒はこうして年々増えていくわけです。実は元教え子が生徒の保護者として(といっても生徒の叔母にあたるのですが)、三者面談に来ることもあります。
それはとても不思議なことですが、教師として学校にいるというのはこういうことなんだなぁと思います。
毎年、新しい出会いと別れを経て、人間の成長を目の当たりにするわけです。時間の流れをほんとうに感じます。
私くらいの年だと1,2年経っても自分がそれほど変化していないように思うこともあるのですが、生徒達を見るとその間の成長振りに本当に驚くのです。
私も1X年前まではそういう成長の真っ只中にいたんですね。そして、今の自分がある。とっても不思議です。
これからも何十人、何百人、何千人という子供達と出会っていくのだと思うと、教師という職業がやはり特別なものに感じます。
去年、今年とまだまだ課題が山積みな自分。私も立ち止まらずに彼女達のように成長しなければ、、、!

投稿者 lib : 02:05 PM | コメント (0)

December 23, 2010

日本のママさん、感激?!

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今日、イギリス人の友達と日本とイギリスの違いを話していて、ふと思い出したことがある。
あれは私がまだイギリス3年目で、はじめての教育実習先で悪戦苦闘していたころ。
なにせ、その実習先はかつてロンドンでも一二を争う「rough school」(rough=荒れてる)だったという北ロンドンの男子校(その二年前から共学になったので、8年生まで女子もいた)。
私がいたときでも、内情はそれほど知らなかったものの、掴み合い・殴り合いのけんかが目の前でおこったり、女子のクラスで机に突然、ライターで火をつけた子がいたりと、まぁ、ラフといえばラフだった。
でも、そんなラフでタフな実習で6年以上経った今も忘れなれないエピソードがある。
あれは7年生(11-12歳)のクラス。
実習が始まって間もない私は、20人くらいの男の子たちに囲まれながら、教師のサポートみたいなことを授業中にしていた私。
生徒の一人に、ギリシャ系の将来イケメンになること間違いなし(というか今頃絶対イケメン)な男の子がいた。名前もラテン系の名前でかっこよかった。
たまに悪ぶれるけど、なかなか頭脳明晰だったことを覚えている。結構リーダー的な存在になるタイプ。
私がそんな彼のノートをふと見たとき、、、。
ある言葉が目に飛び込んできた。
「Mum’s birthday」
授業ノートには必ず、日付を書くのが習慣なのだけれど、その子は日付の隣に「お母さんの誕生日」と記していたのだ。
そのときの私の感情を日本風(秋葉原風?)に表現すると、「萌ぇ~」だろうか。
それについて言及してみたら、嬉しそうに「そうなんだよ、ママの誕生日なんだよ。何あげようかな~~~」なんて、可愛い笑顔。
再び「萌ぇ~」な私。
こんな、ちょっと生意気言って、かっこつけちゃうような12歳の男の子が、ママの誕生日を大切にしてる。
日本では、こんなことありえないでしょう。中学生の男の子がこんなこと書いているのをみられたら、からかいの対象になること間違いなし。いや、「マザコン」というレッテルを貼られるかもしれない。
でも、日本のお母さんたちがこの話を聞いたら、感動の涙を流すかもしれない、、、。
私の家庭でも、兄が思春期に母親とまともに口なんて聞いているのを見たことがなかったし。私もそれが普通だと思っていた。反抗期がないことのほうがおかしいと思っていた。
それがイギリスに来て実際に、母親の存在を本当に大切にしている子供たちを多くみて、よく見聞きするような日本の子供の異常なまでの反抗期のほうが、もしかしたらおかしいのかもと思うようになった。
まぁ、もちろん、親を一人の人間として見るようになり、反抗心を感じることは自立への自然な道かもしれないし、全ての子供をひとくくりにすることはできないと思う。実際、イギリスでも親に反抗しまくるティーンエイジャーもたくさんいるわけだし。
それでも、信頼と愛情の笑顔を交し合える親子関係がもっともっと生まれたら、そして、それを表に出すことが恥ずかしいことでもなんでもないという感覚が生まれたらどんなにいいことか。
あの子の笑顔を思い出すと、今でもそう望まずにはいられない。

投稿者 lib : 02:56 PM | コメント (0)

December 07, 2010

恐怖のミーティング

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イギリスでは冬になるともともと天気が悪い上に日照時間を短くなるので、どうしても気分が滅入ってしまう人がたくさんいます。

さすがに在英10年目にはいった私は、冬の過ごし方も上手くなり、正月明けの仕事も難なくこなせるようになってきたのですが、かつては正月を日本で過ごした後のロンドンへの帰還は本当に苦痛でした。

ところが、、、大丈夫と思っていても仕事のストレスは確実に脳に蓄積されるものなのか、先日とんでもない夢を見ました。
そこはどうやら私の勤務校の教室(でも、不思議なことに並べてある机は日本のような茶色の木の机)。

私はあるミーティングに呼ばれます。

行ってみれば、そこには校長と同僚数人、そして、謎のアフロカリビアン系の
女性(40歳くらい?)二人がいました。

その女性と私に何の接点が、、、と思っていたら、一人がしゃべりだしました。

「去年一年、彼女(私のこと)と仕事をしましたが、、、」(え、そうだっけ?と心の中で思う私)

何せ夢の中なので会話の内容を全てを覚えてはいないのですが、どうやら、私の英語の問題点を指摘しているようです。

しかも、問われているのは私の書く能力。どうやら、彼女は私のスペルミスが多いと言いたいらしいのです。うーん、普段から自分の語彙のなさにあきれていますが、スペルには結構自信がある私(ネイティブは結構間違えます、スペル)。

なんでこんな夢を見たのか。それは私の心の片隅に常にある、自分の英語力への自信のなさの現われでしょうか。やっぱり、心の中で常に英語をネイティブと同じように使えないことに恐怖を感じているんですね。

もちろん、夢の中では夢と思っていませんから、そのときの私の心は奈落の底でした。あぁ、教師人生終わりだ、、、と思ったのです。今考えたら、スペルミスの多さで解雇の心配かい?って感じですが、夢の中ではまるでこの世の終わりでした。

で、不思議なことに夢を見ながら必死に「こ、これが夢であってほしい、夢であってほしい」と祈ってました。そしたら、本当に夢だった(笑)目覚めたときは本当に嬉しかったですよ。

それにしても、この国で生活し、教師を続ける以上、英語力向上は私の一生の課題です。私は中学から英語を勉強し始めましたが、会話を習い始めたのは大学3年で留学準備を始めたころ。それまでは、英語は興味あるくせに常に苦手でした(まぁ、勉強を怠けていたからなんですけれど)。大学受験のときも、実は憧れの某大学には英語力がネックとなって行けなかったというトラウマが。

日常会話をまともにしゃべれるようになってきたのは、たぶんイギリスに渡って修士課程の途中くらいから。それでも限られた語彙を駆使してやっとのことです。最初のころは専門用語の難しさも加わって、授業もちんぷんかんぷんでした。

あれから10年。今でも私の英語力はやっぱりまだまだだなと思う場面があります。さすがに日本語を英語に直すということはしなくなりましたが、頭の中にあることをもっと自由に表現できたらと思うことも多いし、「ネイティブの感覚」で文章の良し悪しを自由に判断できたらと思うことも多いです。

授業中でも的確にわかりやすく指示する、思っていることを伝える、生徒の思考を高めるような問いをする、、、どれもこれも経験の中で向上していると思いたいですが、上を見ると本当に果てがないのです。もちろん、こういうジレンマは母国語で教師をしてもあるとは思うのですが、やっぱり、ネイティブじゃないコンプレックスはいつまでも消えないんですよね。まぁ、いつまでもコンプレックスなんて言い訳をして勉強を怠けるのが一番悪いのは分かっているのですが。

私の場合、過去6年は仕事上「必要に迫られて」英語を吸収してきました。それがここへ来て、もっと違う方法で英語力を伸ばすことは出来ないかなぁと考えています。

語彙力増強のために前よりも本を読むようにしていますが、いかんせん、大好きなジェーン・オースティンは語彙自体が現代語と違うことが多いようで、あまり参考になっていません、、、。彼女の時代の英語を鵜呑みにしたら、ちょっとおかしなしゃべり方をする人、になってしまうかもしれませんし(汗)語尾が「~ですわ」みたいに。

と、考えていて、ふと思い出しました。かつて、マンガ「北斗の拳」で日本語を勉強した私のイギリス人友達のことを。彼は「お前ら」「俺様はなぁ」「貴様ぁ」って、今でも普通にマンガ口調でしゃべれます(笑)

こうなったら、私は(ちょっと古いけど)Bridget Jones’s diaryで英語を勉強するべき?!

、、、いえ、真剣に、英語上達のヒントがあったら皆様からご教示に預かりたいと思っています。

投稿者 lib : 11:50 AM | コメント (4)

November 26, 2010

ただいま!

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皆さん、本当に本当に、、、本当に、お久しぶりです!!!
すでにこのブログの存在も忘れ去られていそうですが、スクールティーチャー月子、健在。そして、ここに復活です!

1月にブログを皆さんへのお断りもなしに中断してしまった理由、すぐに再開できなかった理由は今も自分の心の中に色濃く残っています。とにかく仕事でもプライベートでも色々あった10ヶ月でした。

そんな中で、自分の現実である日常生活のことをまっすぐ見つめて考察し、ブログとして書くという作業にどうしても足を踏み入れることが出来なくなっていました。

1回こうなってしまうと戻るのは案外大変で、気持ち的に逃げる状態になってしまったんです。もちろん、10ヶ月間、毎日テンションが低かったのか、そんなにどん底だったのか、、、というとそうじゃないんですよ。

その間に喜びも楽しみもちゃんとあったわけです。ただ、仕事でもプライベートでも、心がバズーカ砲で打たれたんじゃないかと人生で初めて思ってしまった出来事がいくつかあったものですから、回復にちょっと時間を要してしまったんです。

それでも最近になって、せっかく自分の経験を語る貴重な場をいただいたのにそのまま終わらせてしまうの?それでいいの?と思うようになりました。

なにせ、一時期穴だらけになったと思っていた心の隙間を埋めてくれたのは、家族、友達、同僚、、、そして、私の生徒たちだったんです。

そう考えたら、やっぱり彼女たちのこと、少しでも書きたいなぁと思いました。

そういう流れを経て、ついにこの度、ブログを再開させていただくことになりました。

全て綿密に記すことは無理かもしれませんが、これからしばらくは、過去10ヶ月の間に本当に心に残った出来事を回想録としてちょこちょこと書いていこうと思っています。

さて、これからまた、よろしくお付き合いくださいませ!

投稿者 lib : 04:46 PM | コメント (7)

January 06, 2010

出戻り。

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皆様、ご無沙汰しております。

さて、ロンドンはまたまた雪です。ほかの地域より降っていませんが。

今朝、起きてみると3-4センチは積もっている模様。ラジオの交通情報では私の路線に影響は出ていないようで安心していつもどおり支度をしていました。

ところが、、、駅につくと人だかりが。雪と気温低下が原因かわからないのですが、私の最寄り駅と2つ先の駅の間で線路が壊れた(割れた?)らしいのです。

こうなると当然、電車では出勤できず。

バス停を見るとすでにすごい人です。

前回、同じように電車が使えず、バスを乗り継いで学校行ったら、普通は20分で行けるのに2時間半かかったことがあります。今回もそうなるのかと思い気分は低下。

実は今日は二週に一回、朝は教職員の研修の時間がある日で、授業開始は11時です。

11時にも間に合わないかもしれない、、、と学校に電話したところ、教頭のMが「午後はもしかしたら雪で学校が閉まることになるから、11時までにたどり着けなかったら、来る意味ないわよ」と。

うーん、どうしましょう。

幸運なことに私の家は駅から一分です。一応、家に戻ってネットやラジオでニュースをチェックしながら対策を練ることにしました。

バスを乗り継いでも1時間半はかかる模様。しかも、待っている人の数を見ると、乗れるのはいつになることやら。

一応、たどり着けないときのために同僚に9年生と7年生の授業のための課題を用意してもらい、
教頭Mには私が来ないことを前提に代理の先生を手配してもらいました。

そして、ネットでGoogleマップをチェック。

私のエリアから学校まではどうやら徒歩で1時間20分のようです。

、、、行けるのか?

、、、、、、、、、日本人根性(もともとほとんど持っていませんが。笑)出しちゃうのか?


イギリス人同僚だったら絶対とっくの昔にあきらめてるなと思いつつ、ハイキング装備の準備を開始。ウォーキングシューズに、ズボン、レッグウォーマーにフリース帽。そして、上に防水ジャケット着用。仕事道具はリュックに収めて。

雪で早く歩けないから2時間くらいかかるのかなぁ、と思いつつ再び家を出発。

そして、20分くらい大通りを歩いていたのですが、一応、午後どうなるのか教頭に再び電話をしました。

そうしたら、「引き返したほうがいいわよ。昼休みで学校閉めるから。まぁ、それでも来るかどうかは貴方次第だけどね」 と教頭M。

、、、。

、、、、、、、。


はい、この言葉であっさり折れました。

たどり着いても授業して1時間半後にはまた家に向かって2時間歩くことには十分に予想され、さすがにそんな気力は私の中には生まれず。

同じく歴史科主任の同僚に電話で私が来ないことを報告。

そして、情けなくも家に戻りました。

雪装備した意味もなく。

罪滅ぼしに今日はおとなしく溜まった採点物を片付けます。

最後になりましたが、皆様、今年もよろしくお願いします!皆様にとって良い一年になりますように。

投稿者 lib : 12:42 PM | コメント (3)

November 16, 2009

人生の選択

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最近、自分で自分の人生に対して責任持って選択していくことの難しさを感じることが多くあります。

正しい選択してるかな?

これからどういう選択をしていけばいいのかな?

仕事のこと然り、結婚・出産・育児のこと然り。

年を重ねるごとに、昔は「あたりまえ」と思っていたことが実はそうでないことに気づかされます。正しい答えなんかないと分かるから余計に混乱するのです。

先を見ようとすればするほどわからなくなるので、とりあえず今をエンジョイすることを心がけていますが。

ところがそんな風に迷っている自分が馬鹿らしく思えるくらい衝撃的な話を同僚から聞きました。

なんと、ついこの間卒業した11年生のなかに既に母親になった子たちが3人いるということ。

11年生といえば16か17歳。

何とそのうちの一人、生徒Kはもう2年以上前に妊娠し、夏の試験結果発表には子供と一緒に来ていたらしいのです。その時はまさか彼女の子供とは思わなかった私。高学年は校舎が違うので、そちらにあまり行かない私は彼女の妊娠のことを全く知りませんでした。

しかも、複雑な事情が絡む場合は、生徒の在学中は守秘義務が学校にあるらしく、カウンセラーやHome-school link workerと呼ばれる特別なスタッフ以外には家庭の事情が知らされないのが現状です。

生徒Kの場合も知っている人は知っていたらしいですが、私は完全に蚊帳の外で、聞いたときも7年生から9年生まで教えていただけに「えっ、あの子が?!」と本気で驚いたのです。

あとの2人は現在妊娠中。もうすぐ出産、あるいはもう産んでいるころか。

そのうちの一人は2年前に私の歴史クラスにいた生徒Fで、素直でかわいらしい印象だった子。のちに授業に毎回来ていない、課題の提出が遅れていると私の同僚から聞いていたけれど、今思えばその頃から何かあったのだと思います。

同僚から聞くまで、彼女が年上(たしか現在は20歳くらい)の男の子とそういう関係にあることも知りませんでした。彼女の担任でさえ、その試験結果発表の日に他の生徒から事実を知らされたそうです。

ちなみにイギリスでは16歳以下の子供と性的関係を持つことは違法ですが、その法律にはグレーゾーンがあり、男女ともに若い場合、実際に起訴されることはまれのようです。

今回の一連の話を聞いて、私が思ったこと、、、。私の歳くらいになると特に妊娠・出産を人生の大切な選択肢として捉えて、慎重に決断を下す人が多いと思うのですが、16歳の彼女らは一体どのくらい真剣に考えていたのか。年上男性に付け込まれて性的関係を持たされるケースも多いので一概に彼女らの無責任さの結果と言えないことはわかっていますが。

ところで生徒Fはイスラム教徒の家庭の子供です。親は彼女が妊娠を継続することに断固反対(でも本来イスラムでは結婚前の性的関係、堕胎は禁忌)したにもかかわらず、彼女は産むことを主張。

怒った母親が彼女を彼氏の家まで引きずっていき、目の前で結婚の約束をさせたのだそう。で、現在、彼女は16歳にして舅、姑、夫と同居。

担任だった同僚Lには「来月子供を産んだら2週間で学校に戻って、勉強を続けたいの。子供は親が面倒見てくれるから」と言ったそうです。勉強を続けて資格を取るメリットは大いにあるものの、何だかな、と思ってしまいました。

果たして彼女はいい母親になるのでしょうか。責任を持って子育てできるのでしょうか。私の歳でさえ努力し、苦労しながら育てている人がたくさんいるのに。根は決して悪くない彼女。子供が子供を産んだといわれざるを得ない状況にならないことを祈ります。

イギリスはヨーロッパ各国の中でもティーンエイジャーの妊娠率が以上に高いのですが(スコットランドはヨーロッパ一(いち)だそうです)、まさかうちの学校に(しかも同じ学年に)16歳、17歳で妊娠・出産する生徒が3人もいるとは思いませんでした。

国を挙げて性教育を促進しているけど、子供を産むことの責任、大変さを想像すらできない、しない子供達相手には果たしてどれほど効果があるのでしょうか。特にイギリスでは産んでしまえば「なんとかなってしまう」国の補助制度があります。

この悪循環に、福祉国家の成れの果てを見ているような気がします、、、。

投稿者 lib : 10:30 AM | コメント (2)

October 12, 2009

優秀な助手

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昨日はYear 6 Open eveningというイベントが放課後にありました。

6年生は小学校の最終学年です。この時期は公立のあちこちのセカンダリースクールが6年生とその保護者たちを学校に招くのです。

来訪者たちは学校長のプレゼンを聞いたり、学校の施設を見たり、各学科の教室を訪れて、アクティビティに参加したり、展示物を見たり、教師からカリキュラム内容の説明を聞いたりします。

私の学校の場合、東ロンドンの地域に根ざした普通の公立学校で、学力で秀でているというわけでもないので、入学者が殺到ということはありません。

ただ一応、毎年30人学級8クラスという体制が続いているので、生徒が集まらなくて困るということも無いのです。

というわけで、無理やり私の学校を宣伝する必要性もあまり無いのですが、それでもこのOpen eveningは毎年開かれます。私の学校のある自治体のほうから開催する日にちが指定され、今年も昨日、そして来週の2回開かれることが決まっていました。

というわけで、同僚と相談した結果、今回は私が、次回は同僚が歴史科の展示を担当することにしました。

展示の内容は主に使っている教材、生徒の作品(Students’ workって日本語でなんというのでしょう。具体的には授業の課題として作成したポスターやエッセイ、その他諸々)などです。

歴史の場合、まさか理科のように実験をしたり、体育科のように一緒にボールで遊ぶわけにもいきません。考えられるのは歴史人物の格好をしたり、歴史に関するクイズをして遊んだりすることですが、毎年そこまで準備ができず。

今年はなにか違うことを、、、思い、歴史を学んでいる12年生(A-levelという大学入学のためのコースに入っている生徒たちです)3人に助っ人になってもらいました。

このうち2人は去年、一昨年と私が教えていた生徒たち。A-levelでも歴史を選んだくらいの歴史好きです。

展示を手伝ってもっていたのですが、「先生、これじゃ、地理の展示に負けてしまう!歴史人物のマスクとか帽子とかないの?」と聞かれ、ふーむと考えていたら、、、。

そうだ、隣りの教室に長い間使われなかったトランクが二つある、と思い出しました。1つは第二次世界大戦中のイギリスに関する資料が詰まったもので、もう1つは東ロンドンのテムズ川沿いにあったWharf(埠頭・波止場)に関するもので、東インド会社が扱っていた交易品(紅茶、スパイス、カシミアなど)の複製品が詰まっています。

これを広げたら教室は一気に博物館のようないい雰囲気に。そこにBilly JoelのWe didn’t start the fireのミュージックビデオを流して気分を盛り上げます。

これは毎年私が冷戦史、アメリカ史を教えるときに流している曲で、戦後アメリカで流行ったもの、人物、歴史的イベントをどんどん羅列していくという面白い歌詞がついています。曲調も耳に残るので、GCSEを終えた生徒もいつまでも覚えているようです。

この日もこの助っ人の生徒たちから「先生、あの曲かけるよね~~~!」と念押しされていたほどでした(笑)

このほかにもポスターをそこら中に貼ってくれたり、展示物の前に置くカードを作ってくれたり、3人とも頑張ってくれました。

そして、いよいよ6年生とその保護者たちのツアー開始。何組かが一緒になってツアーガイドである私の学校の生徒に連れられて学校内をまわります。

最初の組が歴史科の教室に到着。が、その時、なんと助っ人の女の子たちがちょうど教室を離れていました。ちょっとフェイントを食らった気分でしたが、私一人で満面の笑顔でお出迎え。軽く説明を始めたところに女の子たちが帰還。そのままバトンタッチしました。

もう、それからは彼女達にぜーーーーんぶお任せでした。最初の回では少し緊張している様子が見られたものの、2回、3回と続くうちにもう、立派に案内役を務めていました。私は後ろに立って、ニコニコしてるだけ。

何組目かを迎えた後、なんと、校長のAも来訪。それでも助っ人の一人生徒Sは堂々と保護者の前でスピーチ。見事に歴史科をプロモートしてくれました。

いつもは7時までほぼ一人での対応で退屈なのですが、今年は強力な助手3人がいたおかげで終了までの時間がすごく短く感じたほど。本当に感謝です。

これは、2月の9年生向けのOpen eveningでも協力してもらわないと。と、今から色々画策している私です。

投稿者 lib : 10:46 AM | コメント (2)

October 02, 2009

Swine Fluの次は、、、。

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先週の木曜日、スタッフ全員に校長と学校のITを管轄する部からメールが届きました。

訳すと以下のような内容です。

「学校のネットワークにウィルスが進入したため、ネットワークをシャットダウンして処理をします。そのため、明日一日、そして最悪の場合は来週までコンピューターが使えません」

他の学校のネットワークも荒らしているというこのウィルス、どうやら私の学校のアンチウィルスシステムの定義に含まれていなかったらしく、今までウィルススキャンにもひっかからなかったようなのです。

実は、ここ1,2週間、学校のコンピュータでいつも使っているUSBのFlash Driveを自宅のコンピューターで使うたびに入れてあるアンチウィルスソフトが変なウィルスを探知するのでおかしいなと思っていました。

そこまで深刻なウィルスではなかったようですが、他校では処理が遅れた為に一週間もネットワークがダウンしたままだという話も聞いたので、これは1日では済まないなと誰もが思っていました。

IT技術はここ数年で我々教職員にとってなくてはならないものになりました。

私が教師になりたての頃は、授業で使う機材といえば、OHP(オーバーヘッドプロジェクター)とテレビデオぐらいしかなかったのに。

今や、生徒の出席状況、成績、細かい個人情報までもSIMSという特別なシステムで管理され、授業も出席簿の代わりに、各教室にあるコンピューターで出欠を取り、プロジェクターも付いているので、ほとんどの教師がPowerPointやInteractive Whiteboardを使って授業をしています。

それが今回、コンピューターにログインすら出来なくなるという状況になり、私たちは正直焦りを隠せませんでした。

なにせ、指導案も教材もほとんど電子化しているため、ネットワーク上に保存されているものに全くアクセスできないわけです。

ただ、一応古い時代(=OHP&ホワイトボード&テレビデオ)から教えてきている教師たちは対応も早く、既存の教科書やプリントを活用して授業をこないしていました。

私は幸い、PowerPointを多用する高学年の授業がほとんどなかったので、予定をあまり変更せずに授業をおこなうことができました。

一番困った様子だったのは今年からトレーニングを始めた同僚LとE。なにせ、彼らは最初から電子機器に囲まれていましたから、授業でコンピューターが使えないということで相当に焦ったようです。

お仕事でPowerPointなどのソフトを使ってプレゼンテーションをされる方は分かると思いますが、一枚一枚のスライドにタスクやトピックの要点をまとめておけるので、話の流れを変えずに計画通りに進められます。

教師にとってはPowerPoint自体が授業案の代わりにもなるので、非常に便利なのです。

私も新米の頃は授業の初めから終わりまでの流れを紙に書いて授業に臨んでいました。最初の頃は、生徒への質問まで書き込んでいたように思います。そして、それが手元にないとかなり心細かったのを覚えています。

ただ、慣れてくると生徒との会話のキャッチボールも上手くなって、基本の質問をした後にどんどん発展した質問が投げかけられるようになるのです。

授業の構想も大体計画を立てたときに頭に入ってくるので、あまり事細かく書きとめる必要もなくなりました。だから今回もPowerPointがない授業といってもそこまで焦りはありませんでした。それでもPowerPointはあったら便利なのですが。

さて、前述の同僚LとE。どうしてるのかと先日、教室を見たら、、、。

あら、なんと、プロジェクターとPowerPoint使っていつもどおり授業をしているではないですか。まだ、ネットワークは復旧していないはずなのに。

実は彼ら、自前のラップトップ(ノートブック)コンピューターを教室のプロジェクターに繋げていたのでした。お見事。

その後、4日経ってやっとネットワークは復旧。学校はすぐにいつもの様子に戻りました。

今回、いきなり「原始時代」に戻ることを余儀なくされた私。

同僚と文句を言いながらもコンピューターに頼らない授業もたまにはいいな、と正直思ったのでした。

あ、手書きのレポート書き(通信簿のようなもの)x200人分だけは勘弁願いたいですが。

投稿者 lib : 09:58 AM | コメント (0)

September 20, 2009

自分に出来ること

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新学年が始まって、色々と考えさせられた2週間でした。

実は、ブログに書こうか書くまいか、何度も考えた出来事が二つほどあります。かなり暗い話になります。

まず一つ目は、私の勤務校の生徒の一人が夏休み中に亡くなったことです。

我々が知ったのは新学年が始まって3日目。前日に彼女の御両親が学校を訪れて正式に報告があったため、教員一同にも知らされたのでした。

英語環境の職場のため、私のブログを目にする関係者はいないと思うものの、やはり公共性のあるブログでは学校名も生徒・同僚たちの名前も常に伏せている私です。

今回のことはいくら名前を伏せていても、死因なども含めて書くことが躊躇われ、しばらく他に書くことも考えられなかったのですが、教師として、そして、やがて自分も人の親になるかもしれない者として、そして一番に一人の素の人間として、色々と考えさせられたので少しだけ触れることにしました。

私は実はその生徒のことを知りません。彼女のクラスは2年ほど教えていたのですが、彼女は去年転校してきたため、私自身は面識が無いのです。それでも、15歳という若い命が失われたことはひたすらひたすら衝撃的でした。

生徒たちと彼女の死をどうやって受け止め、どうやって進んでいけばいいのか、最初は私自身、なんとも表現しにくい恐怖に似た感情すら感じました。

私自身が高校生だったとき、クラスメートが亡くなるという出来事があり、その時の恐怖、無念、虚無感、、、など様々な感情が生々しく思い出されたのでした。

夏休み中、彼女の死について地元の新聞に実名で載っていたこともあり、我々が報告したときには生徒の大半が既に知っている様子でしたが、彼女らの大半は実際どうやって反応したらいいのか、躊躇っている風でした。

今現在は亡くなった生徒とかなり親しかったらしい生徒F以外は、どの生徒も落ち着いているように思えますが、実は彼女には8年生の妹がいて、学校側からは彼女への配慮が重要であることが何度も伝えられました。彼女の心の痛みは計り知れません、、、。

実は、本当に悲しいことですが、私の勤務校では親、兄弟姉妹を亡くしている生徒が少なからずいます。

私の歴史クラスの11年生の生徒も2年前、母親を亡くし、他にも父親を亡くした生徒がいました。

そして、夏休みに亡くなった生徒について報告を受けた日に、もう1つ知った出来事がありました。

2年前に一学期のみですが教えていたクラスにいた生徒Mの3歳の妹が亡くなったということです。彼女も15歳。

彼女は頑張って初日から学校に来たものの、非常に心が不安定で、学年集会にも出席できないほどでした。私の担任クラスの生徒がその子と非常に仲がいいことから知ったのです。

一昨日、私がES(Emergency support。授業中に生徒が問題を起こしたときに教師のサポートをする係)で校内を見回っていたときに、泣いている彼女が友達に支えられながら、教室を出て行くのを見ました。

その時は一緒にいた生徒にそっとして欲しいというジェスチャーをされたので声をかけなかったのですが、同じ日にまた、今度は違う友達と教室を感情的に出て行くのを見ました。

さすがに何かあったと思い聞いたところ、彼女のクラスの先生が欠席のため、代理で入っていた教師(私の学校の教師ではなく、日雇いで来る先生です)が自分の苦しみを理解しようとする姿勢を見せてくれなかったことにひどく傷ついたことを話してくれました。

ひたすら感情的な彼女に少し落ち着くまで時間をかけるように言い、一緒にいた彼女の友達に様子を見てもらっている間に、この話に出てきた教師に会いに行きました。実は、お悔やみを言った後に、泣く彼女にどういう対応をしてあげればいいのか分からず、「学年主任に会いに行けばいい」と勧めて授業を進めたらしいのですが、それを生徒Mは冷たく反応されたと思ったようです。

この後、少し落ち着いた生徒Mと別々にもう一度話をし、彼女の悲しみが我々の想像を超えるもので、その教師があなたを傷つける気持ちはなかったのだ、皆、あなたの悲しみが想像を超えるほど強いものだということを知っている、無理をしないで、少しずつ時間が薬となってくれることを祈っていると伝えました。彼女も少し落ち着いた様子で、

そう、本当に目の前で泣き続ける彼女の前で私ができることは、お悔やみの言葉を言うこと、彼女が落ち着くまで思い切り泣く場所を作ってあげることだけでした。本当に自分が弱く、無力で小さな人間に感じた瞬間でした。

とても可愛がっていただろう幼い妹を亡くした痛みは私には想像しても足りないものです。それでも時は否応無く進み、彼女自身も前に進んでいかなければならないのです。人の死というものを彼女がこんな形で目の当たりにしなければならないなんて、、、本当に心が痛みました。

それにしても教師でいると、本当に自分の人間性を試されているように感じることがあります。今回のこの二つの死は、まさにそういう出来事でした。そこに模範解答はなく、どのような行動を自分が取るのか、どのような言葉をかけてあげるのか、生の自分の心に直接問いかけられた出来事でした。

私自身、まだ人間として未熟です。年齢が上がるにつれ、自分の中の根拠の無い自信、驕った部分を認識するようになりました。人生の楽しく明るい部分だけではなく、昔はぼんやりとしか認識していなかった人生の暗く重い部分が前よりも形を露にしてきたように感じるのです。

正直、私が人の生死をどれだけ感じて理解しているのか分かりません。でも、私が見た生徒Mの涙はたくさんのことを私に教えるものでした。これからどんなことがあるにしても、私は死と生をいろんな形で感じ続け、考え続けていくのだな、、、と思ったのでした。

投稿者 lib : 06:33 PM | コメント (0)

September 07, 2009

それぞれの夏。

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新学年が始まってばたばたしており、すっかり更新が遅れておりました。

実は先週の木曜日は我々教師、そして卒業した11年生にとってとても重要な日でした。

そう、GCSEの試験の結果が出る日だったのです。

この日は結果を見るために出勤してくる同僚も多くいます。

私も学科主任として結果が非常に気になるので生徒への結果配布が開始される10時前に学校へ行きました。

すると既に門の外にはたくさんの生徒たちがいました。

実は校長、教頭、副教頭たち、そしてExam office(試験部?)はすでに前日に結果を見ており、その日は生徒に配布する準備のためにかなり忙しかったようです。

私も副教頭の一人であり、歴史教員でもある同僚Vから大体の良し悪しは聞いており、とりあえず「素晴らしい出来でもないけれど、安心していい結果」ということだけは知っていました。

去年は前年より6パーセントも結果が落ちた歴史教科の試験結果。Humanities(人文学部)としても結果が下がった科がいくつかあったため、試験直前までかなりのプレッシャーに晒されていた私たちでした。

同僚Vのオフィスへ行くと、そこにはなんと校長も。早速、歴史の結果を見せてもらいました。結果は去年より7パーセントUP。61パーセントの生徒たちが良いとされるグレードA*(エイスター。トップのグレード)からCまでを取れました。

気になるのは一人一人の生徒の結果。復習クラスに毎週通ってくれた生徒たち、最後まで私の頭痛の種だった生徒たち、、、色々な生徒の顔が私の頭の中によぎります。

ざっとリストを眺めてみたところ、ほとんどは私が期待していたどおりの結果。何人かの生徒は私の期待以上の出来でした。やる気は素晴らしいのにどうしても読み書きが苦手な生徒S、最後まで心配でしたが何とBを取りました。

そして、模擬試験でA*を取り、最後まで復習を一生懸命頑張っていた生徒SAは本番でも頑張り、見事A*!

春学期の後半と夏学期の試験期間直前まで、毎回復習クラスに参加していた生徒たちのうち、本当に頑張った二人はAをそれぞれ達成。

そして待ちに待った結果配布開始。配布場所である体育館にはそれぞれのクラスのために机が並べられ、その上に出席番号順に生徒の結果が書かれた紙が置いてあります。

そこへ不安な表情を浮かべた生徒たちが次々に入場。一人ひとり結果を受け取るのです。

一分も経たないうちにあちらこちらでわぁっと喜びの声が上がりました。抱き合って喜ぶ生徒。先生に走り寄って報告、お礼をする生徒、、、。

喜び、感動も多くありましたが、もちろん、自分で願っていたグレードが取れず、泣き崩れている子もいました。そして、私のクラスももちろん、頑張って良い成績を取ってくれた子ばかりではありませんでした。

その中の一人は生徒L。能力は非常に高いのに集中せず、驕ったところのあった彼女の結果はなんとCでした。私自身、正直言ってこの結果に驚くことはありませんでした。彼女は前述の頑張り屋さんのBとは対極にいるような生徒だったので、こういうこともあるのではないかと思っていたのです。

生徒Lは7年生の頃から周りから頭がいいと期待され続けていましたが、5年後、彼女の試験結果はBやCばかりでした。彼女ほど基礎学力の高い生徒ならばオールAも取れていたはずです。

実は、後で少し彼女と話しましたが、なぜこういう結果になったのか自分で痛いほどわかっている様子でした。これを教訓に彼女がこれから真摯な態度で勉学に取り込んでくれることを願います、、、。

Aが取れるだろうと思っていた非常に頭の良い生徒二人がBやCを取るという結果に終わりました。一人は私のクラスではありませんでしたが、どうやら生徒Lと似たようなケース。

もう一人は、読み書き能力はA-levelクラスなのに試験になるとどうしても点数が伸びない生徒でした。彼女は難しいことをたくさん書こうとしてしまい、どうしても全問解答せずに終わってしまうのです。試験前に授業で過去問を解いたときに何回か個人的にアドバイスをしたのですが、やはり本番でも難しく感じたようです。

教師としての私の感想は、、、一言で言うのは難しいです。生徒一人一人の結果を見ると、それぞれのストーリーがあるわけで、200%頑張ったね、偉いねといえる生徒もいれば、最後まで努力せずに「あぁ予想通り、、、」という生徒もいました。

それでも、コースが終了した今は、全ての生徒にお疲れと言いたいです。決して読み書きの強い生徒が集まっているとはいえない私の勤務校。歴史に興味があっても、勉強すること自体がチャレンジである生徒も多い中、多くの生徒が最後まで頑張ってくれました。

教師として決して完璧ではなかった私。でも、やれることをやった気持ちは強くあります。ただ、今年のように最後のほうで諦めて可能性を満たせなかった生徒を来年見たくはないと強く思います。

さて、今年の新11年生の初授業は来週の月曜日。6月の模擬試験で結果が思わしくなかった子達をどうやってサポートしていこうかと、色々と思考をめぐらせている私です。

また一年、夏までの忙しい毎日が始まったわけですが、教師、生徒、双方が満足できる結果を出せたらと思います。

投稿者 lib : 11:38 AM | コメント (0)

August 17, 2009

習う楽しさ、面白さ

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今年の夏休みは永住権申請を控えていることもあり、大きな旅行計画の無い夏となりました。

せっかくの長期休暇なのに少しもったいないような気はしましたが、申請料は大きな出費でしたし、申請への不安で旅行の計画を立てる気にもなれなかったのです。

そのかわり、なにか新しいことを始めようと思いました。しかも、ずっとやりたくても実行に移せなかったこと。

それは、絵を習うことです。

実は数週間前からデッサンのレッスンに週一回ですが通い始めました。

他にも普段、ピアノを初め、2つほど習い事をしている私ですが、もともと絵は描くのが好きで、ちゃんと習いたいと思っていたのです。

そして、ある日、アーティストの方が個人でやっていらっしゃる教室を見つけたのでした。

数回レッスンを受けてみただけなのですが、鉛筆の持ち方一つでもちゃんと習うことの大切を実感しています。

そして、目に映る物の捉え方。描く対象である物質の質感、その周りにある空気、光、それが作り出す影、、、。意識してなかったことが習うことによって見えるようになってきました。

初めのレッスンでリンゴを描いたのですが、4回習作を描いて出来上がったのはリンゴというより桃。それが、コツを教えてもらうことによって、だんだんリンゴらしくなり、家で仕上げたときにはどう見ても艶のあるリンゴに変身。不思議で嬉しい瞬間でした。

この「習う」ことによって自分の中に生まれる感覚。私にとってはとても大切なものです。教師としてのキャリア長くなればなるほど、誰かに手ほどきを受けるというのは新鮮で純粋に面白いのです。

そして、その道の知識・経験を持っている方と接することが楽しみでもあります。彼らの世界を覗き見ることが面白いのです。

本格的にやっている方から見れば、わたしのやっていることは中途半端なのかもしれませんが、自分のキャリアとは違うことに必死になって打ち込んで、ほんの少しの間、現を忘れられることも魅力です。教師じゃない自分、ただの素の自分に戻れますから。

9月に入っても、この新しい習い事、できる限り続けて行きたいなと思います。

さて、そろそろ提出する作品の仕上げに取り掛からないと、、、。

投稿者 lib : 04:26 PM | コメント (0)

August 11, 2009

Croydonくんだり

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ついにこの日がやってきました。

、、、そう、以前お伝えした永住権申請の日です。

先月にHome OfficeのPublic Enquiry Officeに2日間電話して何とかアポイントメントを取った私。

このブログを書いている今日が申請の日だったのです。

初めに結果を書いてしまうと、、、

はい、無事に永住権取得しました!!!

そういうわけで今日は、長くなりますが申請の流れを書いてみたいと思います。移民に関するルールは常に変わるイギリスですが、近いうちに申請される方の参考になることを祈って。

申請には郵送か南ロンドンのCroydonという地域にあるPublic Enquiry Officeで直接申請するかを選ぶことができます。どちらの場合でも専門の弁護士(日本でいう司法書士かもしれません)を通して申請も出来ます。

私は迷わず自分で直接申請することを選びました。この場合、申請料が200ポンドほど高くなるのですが、郵送だと6ヶ月ほどかかるかもしれないことと、パスポートや大事な書類を郵送で送るリスクを考慮すると安心料だと思ったわけです。

申請には申請用紙とともに、様々な書類の提出が求められます。パスポート、英語能力やイギリスに関する基礎知識を問うLife in the UKテストの合格証、雇用主である勤務校からの手紙や私の銀行口座の明細、給与明細など。

私の場合、雇用主も5年間変わっていないし、複雑な状況ではなかったのですが、それでも移民関係専門の情報サイトを参考に一つ一つまとめて、フォルダーに整理して用意しました。

さて、予約時間の1時間前に無事、オフィスに到着。セキュリティチェックを受けた後に25分ほど並んで、最初の書類チェックを受けました。

ここでは、私に申請権があるか、必要書類を持参しているかをざっと見られます。実は、このときに嬉しいことがありました!

担当官がにやりと笑ったと思うと「君、Life in the UKテストの結果が何点だったか知りたいかい?」と言うのです。実は、このテスト、普通は合否しか教えてくれないはずなのです。「えっ、教えてくれるんですか???教えて欲しいです!」と私。

すると、、、「君、24点だよ。24点中。一問も間違えなかったね」と言われました。あぁ、苦手な暗記に耐えた甲斐がありました。なんだか全て上手く行きそうな気分になった私。でも別にこれで申請が有利になることは全く無いんですけれどね。

さて、次は申請料の支払い。結構な額(1000ポンドちょっと)なので、カードで払ったのですが、そんな高額の支払いを普段しないせいか(笑)、カードの認証が暗証番号だけでは駄目だったようで、電話越しに銀行と直接話をして、この支払いが私の許可の下おこなわれていることを口頭で証明しなければならないハプニングがありました。まぁ、たまにあるようですが、一瞬心配になったことは確かです。

無事に支払いを済ませると、いよいよ申請。Case workerといわれる審査官がずらーりと並んでいる申請室に進みました。呼び出し番号を貰い、40分くらい待って、いよいよ私の番がきました。

私の担当官はアジア系(たぶんインド系ですね)の初老の女性。目が合った瞬間、そう、ほんの一瞬だけ彼女の表情がゆるみました。でも、すぐに真顔に。

まず、申請書とパスポートを提出。担当官はさっと申請書に目を通すと、すぐにコンピューターで何かをチェックし始めました。

こちらからは画面は見えませんが、彼女が何かメモ書きしているのを見ると、私の過去約6年間の住所の郵便番号が、、、。学生ビザ所持時のからです。たぶん、私の滞在暦を調べていたのでしょうね。

そして、パスポートをじっくりと見始めました。実は申請書の出生地欄に実際に生まれた母の実家の市・県名を書いていた私。パスポートに書いてある本籍と違うことに気づいた彼女がどこで生まれたのか聞いてきました。戸籍のことを説明し、実際に生まれたところと、籍を入れられたところが違うことを説明。これ以上は深く追求されなかったものの、素直に本籍地の県名を書けばよかったと思いました。イギリスには戸籍も無いですし、わかりにくかったのかもしれません。

彼女はさらに私のパスポートの署名が日本語でしてあり、申請書の署名と違うことも指摘。そんなところまで見るのかと驚きましたが、申請書に日本語での署名を付け加えてOK。最初、パスポートのページをさかんに捲っているから何を見つけようとしているのかと思えば、署名だったんですね。日本語で書かれた私の名前がまさか署名だとは思わなかったようです。

次に私の雇用主からのレター(私がいつからどういうポジションで、いくらの給料を貰って働いているかが記されています。これからも必要な人材であり、雇用が継続されるという一文も)、給与明細、銀行口座明細、Life in the UKテストの合格証の提出を求められました。

今思えば我ながら甘かったのですが、私は教師だから書類のチェックは厳しくないだろうと思っていました。雇用主が5年間変わらない場合、申請は楽らしいと、25分ほどで審査が終わった人の話も聞いていたので、自分もそうだと思っていたのです。

、、、これが大きな間違いでした。担当官は私が念のために持っていっていたP60という税金関係の5年分の書類にも目を通し、Absences from the UK(イギリスから離れていた期間)を私自身でExcelを使ってまとめておいたスプレッドシートも念入りにチェックし始めたのです。

しかもパスポートのスタンプ、Home Officeのシステムにある私の出入国記録とひとつひとつ照らし合わせる念の押しよう。

実は1つだけ、日帰りで生徒の引率で行ったベルギー旅行について書き忘れていたのですが、それについても指摘されて焦りました。まぁ、日帰りの場合はカウントされないのでOKでしたが。

さらには最新の渡航である4月の日本への一時帰国のスタンプがないことにも言及。この時はIRIS(the iris recognition immigration system)といって、瞳のパターンを機械でスキャンすることによって個人を識別できる出入国のためのシステム(自動改札みたいなものです)を初めて利用したのです。

そのシステムだと入国スタンプが押されないのです。ただ、本当にラッキーなことに、当時のBAの荷物に付けるの札の控え(私の名前、便名、行き先、日付入り)を持っていたので、それを見せることによってクリアーになりました。

この時点でたぶん45分くらいは経過していたと思います。予想以上の綿密さに途中、「申請拒否されたらどうしよう、、、」と正直不安になりました。

ようやく全ての書類に目を通した彼女、書類のコピーを取った後に私に「じゃあ、これから判断を下すから、後ろの待合席で待っていて」と言いました。

「えっ、、、その場で判断してくれるのではなかったの?」

と内心驚きつつも窓口を後にする私。これ以上不安にならないために行きに買っておいた雑誌を必死で読みました。でも、ほぼ30秒ごとに彼女の動向をしっかり目で追っていて、全然集中できませんでしたが。

それから20分くらいでしょうか。彼女が再び私を呼びました。

そして、、、

初めて私にスマイルを見せた彼女。「全てOKよ。パスポートに貼るステッカーを用意するのに最長1時間半くらいまでかかるけど」

「えっ、OK?OKね?!」

と思わず聞きなおしてしまいました。だって、申請中、あまりにも彼女の表情が硬かったから。

もう、私の心はまさにローラーコースター状態でした。もちろん、最後で一気に急上昇!

この後は実にスムーズで25分ほどで受け取り窓口に呼ばれ、受付のおじさんが私のパスポートに貼られたステッカーを見せて永住権が下りたことを確認。

そこには

「Indefinite」

とはっきり書いてありました。今まではLimited leave to remain(期限付き滞在許可)だったのが、「Indefinite leave to remain」(無期限滞在許可)に変わったのです。

教師になったばかりの頃は、この「Indefinite leave to remain」の文字を見るまでは長い道のりだと思っていましたが、いざ振り返るとあっという間だったように思います。

はっきり言って、まだ永住権を取った実感がそんなに涌いていませんし、実際に9月から仕事に影響を与えるわけではないのですが、何とも言えない安堵感があるのでした。

まぁ、1つ不満があるとすれば、昨日急いで撮った証明写真の自分が非常に老けて見えることでしょうか、、、。ステッカーにそのまま使われたこの写真、うーん、10年後も違和感無く見られそうです(笑)

さぁ、というわけで私の教師人生、まだまだ続きます!

投稿者 lib : 06:24 PM | コメント (3)

July 30, 2009

All the best

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先週水曜日に無事に学年が終了しました。

生徒は午前中の終了式を兼ねた色々な賞の表彰式に出席してから解散。

教師は毎年恒例の退職者のスピーチを聞くために学校内の小劇場へ集合しました。

前にも書いたと思いますが、ロンドンにあるいわゆるinner city schoolと呼ばれる都市部の学校は教師の移り変わりも激しいです。

パーマネント契約で雇われても一年で次の職を探して他の学校に移る教師もいます。

実は今年は今までで一番、私が悲しく感じた学年の終わりでした。

去年も同僚であり、私の上司でもあった学部主任のKが退職して、淋しい思いをしましたが、実は今年は一気に4人もうちの学部から退職者がいたのです。

私と同じ年に入った社会学(Sociology)教師のA。

長期のSupply teacher(期間限定の契約で教える教師)として地理、宗教を教えるAZ。

一昨年、うちの学校で実習、そのまま就職した宗教教師のS。

そして、3年前に実習生として来て、そのまま就職、去年は地理科の主任も務めたE。

退職する理由は様々です。

Aは元々、教師を続けるよりも研究の道に進みたかったそうです。そんな彼女は心機一転するために9月からヨーロッパ、アジアに長期の旅に出るそう。その間に次のステップを考えるようです

AZはもともと一年で契約終了ということは決まっていたのですが、ちょうどいい学部内にポジションに空きが出れば、応募したいといっていました。ただ、結局学校側の事情でそれはならなかったのでした。

同僚Sは私よりも若く、新任にもかかわらず、教師として光り輝く人でした。お母様がイギリスでは有名なArt therapist(アートセラピスト、芸術療法士)だそうで、その影響か、彼女の授業には生徒の視覚にアピールする様々なアイディアが詰まっていました。

私も彼女と一緒に働きつつ、軽やか、かつパワフルな彼女から様々なことを学びました。私から見たら、まさに教員になるために生まれてきたような人物です。

そんな彼女もプレイベートの事情でフィリピンに移住することになりました。名残惜しかったようですが、その時その時のチャンスを逃さないという考えの彼女。思い切って決断したようです。でも、きっとまた、彼女は教壇に立つのではないかと思います。

最後に同僚E。彼女は実質ふたつの学科の仕事を背負っているにもかかわらず、ほかの地理教員たちは学校内の他の仕事を兼任しているか、長期の契約教師のため、彼女をサポートすることが難しく、彼女は一人でいつも苦労していました。

実は、私と同じ歳で、教育や仕事に対する考えに共感を覚えられる人、本当に尊敬できる人でした。彼女の仕事に対する姿勢は(イギリス人には珍しいくらい)非常に真面目で120%きっちりやっている姿をいつも見ていました。実際、彼女が作る教材、そして学習指導案のきめの細かさは脱帽ものでした。

よく学校が閉まるぎりぎりまでいる彼女と二人で最寄り駅まで一緒に帰っていました。もう半年くらい前から、「来年か、再来年か、、、彼女はやめてしまうんじゃないか」と感じでいました。そして、二ヶ月ほど前に、彼女は自分自身でもっとサポート体制がしっかりしていると思われる学校を探し、無事に就職を決めました。

彼女のような人材を失うことは学校の真の損失だと思います。なぜ、常任の地理教員を雇って、彼女と協力できる体制を学校が作らなかったのか、、、。実は、これは今の学校の経済状況が大きく関係しており、下で働く我々の力など到底及ばないことを実感させられました。この問題については、また書く機会もあると思いますが。

とにかく、期間の長短に関係なく、今回去るこの4人の同僚たちは色々な意味で私に影響を与えたし、共感できる部分を持つ人たちでした。だから、彼女らが来年からいないのだと思うと正直淋しいです。

元々、私はプライベートと仕事での人との付き合いを結構分けており、同僚とはお互いのプライベートについて話すことはたくさんあっても、休日とかに学校外でほとんど会うことはありません。

そんな私でも、この4人とはこれからも付き合いを続けたいなぁと願っています。 今はSNSもあるので、お互いの様子が少しでもわかったらいいなと思います。

とにかく、それぞれの新天地での彼女らの健闘を祈ります。

投稿者 lib : 02:27 PM | コメント (2)

July 20, 2009

奇遇

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先週、すごいことが起こりました。

私は某SNS(Social Network Service)のサイトを利用しているのですが、そこに私がイギリスで通っていた大学のコミュティ(メンバー同士が交流できる場所)があります。

メンバーの誰かが進路についての質問を載せていたのですが、それに回答した男性が「イギリスの公立学校で6年教師をしていました」と書いていました。

実は、私以外にも現地校で教えている、教えていた日本人はいます。小学校で先生をされている方、中高で日本語教師をされている方、実際に会ったことの無い方ばかりですが、色々なルートでその存在を存じてはいるわけです。

ですので、その時は「おぉ、仲間だ」と思って、その方のプロフィールなど読ませていただきました。

そして次の日、、、。私にその方からメッセージが届いていました。

実は、このサイトでは他の人のページを訪れるといわゆる「足跡」というものが付くので、誰がアクセスしているか分かるのです。

彼も私のプロフィールを見て、私が東ロンドンで教師をしていることを知ったのでした。

そのメッセージを読んで驚きました。

なんと、彼も歴史を中心に東ロンドンの学校で教えていたのです。彼も周りに日本人がいないため、同じ境遇の人間がいたことに驚いたとのことでした。

私はこの「東ロンドンで歴史を教えていた」という一文にはっとしました。

そして、「あ、この人、私は知っている」と。

前々回の『あれから5年』で書きましたが、私はビザが切れる寸前まで色々な学校の面接を受けていました。そして、その中にとても気に入った学校があったのです。そう、結局コースメイトが就職を決めてしまった学校です。

その学校も東ロンドン。実は、面接を受けたとき、そこの教科主任が「実は以前にも日本人の教師が一年ほどいたんだよ」と話していたのです。

しばらくそのことを忘れていましたが、この男性のメッセージで記憶が舞い戻りました。

そしてすかさず、「もしかして(でも90%くらいの確信を抱きつつ)、XX(地域名)のXXXという学校で以前、教えていませんでしたか?」と質問しました。

案の定、「そうです」という返事が。

まさに奇遇という言葉が当てはまる瞬間でした。

彼はイギリスの現地校で歴史の教師になったということでは私の先輩。先駆者な訳です。

こういうSNSというものがなければ、一生彼と知り合う(といっても実際は会っていませんが)ことはなかったでしょう。

ネットの普及の弊害はもちろんありますけれど、私はこのブログも含めて、ネットの社会を通じてたくさんの素敵な出会いを経験しました。

社会人になるとどうしても交友範囲が大学の頃と比べて狭くなるような気がしていましたが、今は限りなく広がっていっているような気がします。

今回の出来事も本当に素敵な出会い。

彼はすでに日本に帰国されたのことですが、これを機に色々情報交換できたらいいなと思っています。


投稿者 lib : 10:08 AM | コメント (2)

July 13, 2009

M-word封印。

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Mで始まる単語で一番に思いつくものを書けといわれたら、、、

迷わず「Marking」と書くであろう私。

そう、この仕事を始めて5年、学期中は常にMarking(採点)がつきまとっています。

特に夏学期は学年末に向けてテストがあるので忙しいのですが、今回も例に洩れず、 山のような採点に襲われました。

まずは、7年生の宗教のテストを採点。自分の専門科目ではないので、エッセイ問題の採点には戸惑いましたが、最初の1クラス分ということで気力たっぷりだった私は、難なく片付けることに成功。

次は7年生の歴史クラス。テスト問題を作ったのは私だったので、採点もしやすく、他の学年よりも問題数が少なかったのでこれも軽やかに終了。

、、、とここまでは順調だったのですが、これからは非常に苦労しました。体力的にというよりも精神的に。

私はKey Stage 3と呼ばれる7年生から9年生のクラスを多く担当しています。

7年生が前述の2クラス。8年生は3クラス。そして、9年生は5クラス持っているのです。

4年前なんて、7年生を7クラス(学年は8クラス)担当したこともあり、その時は泣きそうになりました。

一学年であまりにも多くのクラスを教えると、準備は少なくていいのは確かなのですが、困ったことがあります。

まず、繰り返し繰り返し同じ内容教えることになるので、教えているほうとしては少し退屈です。3クラスくらい教えると、あとはちょっとマンネリ。

もちろん、クラスの特色・能力によってタスクを少し変えたりはするし、同じタスクをやらせても、反応が全然違うので面白いこともあるのですが、それにも限度があり、、、。

そして一番の問題は課題の採点。数週間ごとにエッセイなどの課題を宿題として課したりするのですが、5クラスも6クラスも教えていると、生徒が課題を終える時期もほぼ同じなので、私はその全部のクラスの採点を一気に抱えることになるのです。

そういうわけで、今回も8年生はまだ良いものの、9年生の採点には相当苦労しました。採点しても採点してもまだある机の上の9年生のテストの山。

いくつか前のブログにも書きましたが、最初の知識問題のパートは比較的早く採点できるものの、エッセイ問題は読むだけでも時間がかかります。

結局、一クラス約30人なので私は9年生だけでも150本くらいエッセイを読んだことになります。あ、中には7行くらい書いて終わりの子もいましたが。

そんな子に対しては最後はがっかりの気持ちよりも思わず感謝の気持ちが勝ちそうでした。「ありがとう、たくさん書かないでくれて」って(笑)

9年生の採点がすべて終わったときはどんなに嬉しかったか、、、。あ、その後にはまだ10年生の採点が残っていたのですけれど。とにかくほっとしたのです。

ただし、その後も「採点終わった~」と言っていられないのがこの仕事。

今度は試験結果と一年間の課題の評価などを元に成績をつけます。そして、Effort grade(努力度)とProgress grade(進歩度?)や来年のための目標(Action points)も生徒一人一人に対して与えなければなりません。

そして、そのデータを学校が使っているSIMSという情報管理システムに入れるのです。データを集計した後は、学校がプリントアウトし、保護者と生徒に成績表として配布するのです。

自分自身はExcelで生徒の成績を管理しているのですが(といっても単純な機能しか使ってませんが)、ExcelからそのままSIMSにデータを移すことは出来ないので(逆は可能)、結局ひとつひとつ打ち込んでいくことになります。

これもかなり面倒な作業で、もう何クラスもやっているうちに目の前がちらちらとしてきて、目は乾いてしばしばに。コンピューターを一日中使うお仕事をされている方には脱帽です、、、。

なにはともあれ、、、今日、無事にその作業が全て終わりました。

これでしばらく、M-wordは封印できそうです。はぁ。

投稿者 lib : 09:51 AM | コメント (2)

July 06, 2009

あれから5年。

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ちょうど5年前の6月半ば。

無事に教育実習も課題も終えて、教職課程(イギリスではPGCEという)はあと1,2週間で終了という段階。

それなのに、、、。

私の就職先はまだ決まっていませんでした。

ビザが切れるのは7月31日。

そう、あと1ヶ月ちょっとで仕事が決まらなければ、大学院での勉強が終わってから、イギリスの教員免許取得のために2年も滞在を延長した意味も虚しく、帰国せざるを得なくなる状況だったのです。

コースの仲間たちが次々と就職を決めていく中、10校くらい面接に呼ばれても採用とはならない私。

まさに崖っぷち。

駄目かもしれない、、、と思い始めていた頃、指導教官だった恩師Rに受けてみなさいと言われた学校に応募する(この学校、のちに実は今住んでるところから結構近いと気付く)ことにしました。

無事、面接に呼ばれ、授業(普通、前々日くらいにトピックを与えられ、面接当日に20-30分ほどの授業をやらされる。もちろん、本当の生徒の前で)も面接も終わって、かなり手ごたえを感じた私。

学校の雰囲気もすごく気に入ったので、期待を膨らませていました。

ところが、何と一緒に面接を受けていたコースメイト(しかも同じTutor group)のSがその学校での就職を決めたのです。

、、、正直、これで私は日本に本帰国だと思いました。

それまで散々経済的に援助を受けていた親からは「就職も出来るというから、滞在延長を認めたのに、、、」と言われ、本当に何も言えず。すでに少しずつ、日本に帰ってからのことを考え始めていた私でした。

ところが、その後再び恩師Rが「東ロンドンの女子校で募集がある。私の去年の教え子がそこで教えている。あなたと相性の良さそうな学校だから受けてみなさい」と声をかけてくれたのです。実は、この学校が今の勤務校。

無事面接に呼ばれ、当日、その学校へ向かった私。受けに来ていたのは私も含めて5人。、、、そのうち一人はアメリカ人で他の人は全員イギリス人だったと思います。

その中の一人は、いかにも自信があって仕事の出来そうな若いイギリス人の女性。言うことも明確。やる気もある。内心、この子が「Strongest candidate」だと思いました(実際、学部主任は彼女を推していたようです)。

がけっぷちの私は、はっきりいって心臓ばくばくで胃もキリキリでしたが、20分の授業に臨みました。その時に与えられたトピックは大航海時代の貿易について。

絵と文の入ったカードを作って、授業では生徒たちがそのカードの情報を使って、「なぜ、世界貿易が発達したのか」を説明するという、Causal explanation(因果説明?)のスキルに焦点を当てたものにしました。

すごく緊張していたものの、生徒はよくついてきてくれたので授業はやり易かったと思います。

そして、昼食。サンドイッチを食べたものの、緊張で味覚がおかしくて、全然味わえなかったのを覚えています。そして、それからはひたすら、自分の面接の番を待つことに。

実は順番が最後だった私。どのくらい一人、スタッフラウンジで呼ばれるのを待っていたのでしょうか。あの時間はかなりつらかったです。

「あなたの番よ」と同僚H(今は退職)に呼ばれ、面接会場の会議室に入りました。

そこには4人の面接官が(っていっても、今思えば教頭Aをはじめ、全員私の同僚だったのですが)。 用意されていた質問は6つくらいだったでしょうか。それに一つ一つ何とか答えていく私。

実は、あの頃は英語が今よりずっと下手で(今でも面接は大の苦手!!!)、なかなか瞬時に自分の言いたいことを言えないことがありました。

さすがに10校以上面接を受けていた私は、ちょっとはコツを掴んでいたものの、この面接では少しでも伝わるように実習校で教えてた時に作った学習指導案と教材などをフォルダーにまとめておいたのです。

いくつめの質問だったか忘れましたが、たしか、授業計画に関する質問をされて、すかさずフォルダーの中身を披露。

崖っぷちだったので、あの時はもう恥ずかしさもためらいもなにもなく、フォルダーの中身を見せて、必死に自分を売り込んだように思います。

ところで、面接の最後の質問は決まって、「もし、オファーを貰ったら、承諾しますか?」というもの。

もちろん、「はい」と即答した私。

面接後はもう、とりあえずやることはやったと開き直り。

でも、、、あのイギリス人の女の子とのことが頭にちらついて自信はありませんでした。事実、学部主任は彼女を推したかったらしいのですが、彼女の契約開始可能な時期が学校側の希望と合わなかったらしいです。私にとってはまさに幸運でしたが。

ところで、教員試験の凄いところはその日の夕方に結果が分かってしまうこと。 普通、面接後に校長や学部主任などが集まって会議で採用者を決めるのです。

その時も結果は6時くらいに電話で知らせるということだったので、当時住んでいた北ロンドンの家で連絡を待っていました。 家にいたのは私とフラットメイトのE。

キッチンで突然鳴り響く携帯。

私の心拍数、一気に上昇。

ぽちっ、と応答ボタンを押す私。 電話してきたのは教頭のAでした。

しゃべりだした彼の声の調子でこれは駄目だと思った私。

そしたら、次の瞬間。

「あなたにこの職をオファーしたいけれど、承諾してもらえますか?」

、、、、。
、、、。


一瞬、頭真っ白になった後、私は思いっきり叫んでいました。

「ぎゃーーーーーーーーーー!」(実際、なんて叫んだか覚えてないのですが)

たぶん、教頭Aは相当驚いていたでしょう。別にオーディション番組で優勝したわけではないんです。教員の職が得られただけで、そんな反応するイギリス人は普通いないですからね。

電話を切った後は、フラットメイトEに抱きついて興奮状態で半泣きになりながら報告。

いや、今考えると恥ずかしいです。

でも、それまでの人生の中で一番、衝撃的で嬉しかった瞬間だったことは間違いありません。大学合格した瞬間なんて比ではなかったのです。まさに人生のTurning point!!!うきゃぁぁぁ~~~って(文字では表せない)感じでした。

なにせ、これ駄目だったら日本行きの航空券買わなきゃいけませんでしたから。

それからの1年間、正直、「なんでこんな無謀なこと(イギリスで教員になること)したんだろう」と泣きまくったことが何度も本気でありました。やりきれなくて、放課後の人のいない教室でロッカー(あ、生徒のじゃなくて自分のですが)を蹴ったことも本気でありました(って、自分がティーンネイジャーのようですね。笑)。

最初の頃、9年生の授業なんて地獄でしたよ。一部の生徒が恐ろしい悪魔にみえたくらいに。

気づいたらあれから5年経っていました。やんちゃな生徒でも私なりの愛情(?)を感じるようになりました。生徒といい信頼関係を築けることが多くなりました(それでもたまに裏切られますし、あまりの理不尽さに怒りで血管切れそうなことありますが)。

でも、難しいこと、嫌なことがある度にあの感動を忘れちゃいけないと自分に言い聞かせています。

実際仕事をする中で、いろんな面で不満があったとしても、私にこの国で自立する機会を与えてくれたこの学校には一生忘れられない恩があります。

そして、恩師のRとP(Pは修士課程の担当教官)、両親をはじめ、当時支えてくれていた人には感謝しても感謝し足りないのです。

2009年。永住権を申請するこの夏は5年間を振り返るいい節目となりました。

永住権取れればいざという時(考えたくないけど、職を失う、とか)の保険になると、それを支えと目標にやってきたのです。

長い道のりだと思ったけど、気づけばあっという間でした。

これからどんな選択を自分がしていくか分かりませんが、でも、とりあえず、これで一息つけるかな、と思っています。

投稿者 lib : 12:45 PM | コメント (2)

June 28, 2009

でも羨ましい話。

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試験期間終了後、私を待っていたのは大量の採点物。

7年生2クラス(うち1つはRE=宗教を教えているクラス)、8年生3クラス、9年生5クラス、10年生1クラスを担当している私は、11クラス分の試験の採点をしなくてはなりません。

10年生の分は成績をシステムに打ち込む締め切りが7-9年生の1週間後なので後回しすることを即決定。

試験期間一週目で7年生分は早々に終えたものの、8,9年生の分を採点し始めて一気にスローダウン。

それぞれ4ページにわたる試験問題ですが、そのうちのいくつかは史料読解、そして2つの問題は小論文。

例えば、9年生の問題のひとつに「奴隷制は長い間存在し、たくさんの文明がその恩恵を受けてきた。したがって、奴隷制を否定することはできない(最後の部分はオリジナルの文章がTherefore, we cannot argue against itなのですがうまい訳が思いつかず、、、)」という論題に対して、反対か賛成か(Agree or disagree)論ぜよ、というものがあります。

生徒は自らの奴隷制(主に三角貿易の時代)に関する知識と与えられた史料をEvidence(証拠、論拠)として使って、意見を述べなければなりません。

採点基準(Mark scheme)があるので、一つ一つ読んだ後に、達成レベルと点数を個別に付けます。

1クラス30人分なのでここで非常に時間がかかります、、、。自分の意見を的確に読みやすく書ける子もいるのですが、なかには段落の使い方や、connectives(Therefore, on the other handなど文と文を繋げ、相互の関係を表す言葉やフレーズ)がしっかり使えない子が9年生でも多いのです。

そういう子の文章はIntroduction, main bodyとConclusionに一貫性がなかったりと意味を追うのが大変なので、最終的な評価に迷うこともあります。

採点で一番楽なのは最初のセクション。単に知識を問う問題が中心なので、これはかなり早くできます。いつもここを先にやってしまうので後がつらいんですよね、、、。

さて、今のところ、なんとか7クラス分は終えたのですが、来週末の成績提出までに今週末も使って9年生の残りの採点を終えなければなりません。

正直言って、日中は自分の授業とその準備もありますし、放課後は疲れきっていることもしばしばなので、採点もなかなか進まないこともあります。しかも、今回は謎の腹痛に3日間も悩まされ、予定どおりにはなかなかいかず、、、。

採点は5年経っても苦手分野な私です。それでも、締め切りがいよいよ迫って来ているので、もう言い訳なんかしていられません。

今日も同僚たちと「採点しても採点しても終わらないよね、、、」と愚痴交じりに話していたら、一人の同僚Aが「私は終わった」と発言。

彼女は一日の授業が終わるとすぐに学校を出るし、家では仕事はしないという(私の中では典型的なイギリス人の)スタンス。

頭脳明晰な彼女ですが、それにしても一体いつ山のような採点をこなしたのかと、聞いてみると、、、。なんと、彼女、6月に入って一日中、授業の全くない日があるというではないですか!

実は、11年生、13年生はPublic exams(GCSEやA-levelといわれているもの)が終わるとそのまま卒業で学校に登校しなくなるので、その学年を担当している教師はその分の授業がなくなるのです。

彼女は11年生、13年生のクラスをいくつか担当し、私ほど7-9年生を教えていないので、その分、採点するものも少なかったようです。

かくいう私も11年生の授業がなくなった分、二週間に3コマ空きが出来たのですが、その分は今学期の授業教材準備に見事消えてます(涙)

試験クラス、つまり10-13年生を教えるのは責任も重いですし、準備も大変です。そういう授業をたくさん担当している同僚はすごいと思います。私なんて去年、A-levelのクラスの週二回の授業を準備するのにもてんてこ舞いでしたから。

それでも、毎年この時期になると正直、授業が減る同僚を「うらやましい!」と思ってしまう私。

まぁ、自分でタスク管理をして時間を決めてこなすのが苦手な私は、時間があったとしてもきっと時間を有効に使えず、無駄に過ごしてしまうことも多そうですが。

こんなことを思った私は「そう、忙しくていいのだ、、、!」と、無理やり自分を納得させて、今日も(嫌々)採点、採点、採点。

あと2週間、頑張ります!

投稿者 lib : 09:36 PM | コメント (2)

June 14, 2009

終わった、そして宝物貰った。

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木曜日に無事に11年生の歴史のGCSE試験が終わりました。

歴史のGCSEは二種類試験があって、1つは生徒の歴史事件に関する知識量とその知識を使ってどれだけ歴史的変化やその原因などを論じられるかを見るもの。

もう1つは史料解釈のスキルと史料と生徒自身の知識を使ってどれだけ歴史的考察ができるかを見るものです。

いわゆる四択や短答式の問題がなく全て記述式なので、暗記だけでなく時間内でエッセイを書くスキルが求められます。

とはいえ、GCSE(日本の高校1,2年に該当)なので、論文といっても大学のように先行研究に触れてなおかつ新しい歴史解釈を自分で組み立てて論じるというよりは、既存の歴史的事実・解釈を説明するだけですが、私が高校時代にしていたことと比べるとかなり高度だと思います。

歴史のGCSEは試験で総合的なスキルが求められるので、難しいと感じる子も多いのです。生徒に考えさせて興味を持たせ、歴史を学ぶことを楽しみながら、なおかつ試験に必要な理解とスキルを身に付けさせながらコースを進めていく必要があります。

ただ、実際、暗記は得意なのだけれどどうも論じるのが苦手な子、すごく理解力があるのだけれど、紙の上で論じるのはどうも苦手な子、、、色々な生徒がいます。

その辺を見極めたうえで授業を計画、実践する上で、現実には難しいことも多いのです。でも、やはり最後は生徒が納得できる結果を出して欲しいですから、5年目の今も私は試行錯誤しています、、、。

さて、今年の11年生の試験。授業内の復習や放課後の希望者を対象とした復習授業などを、例年よりも早い時期から今までよりも意識してやってきました。特に放課後の授業は5-6人の少人数だったこともあり、綿密に行うことができました。

私のクラスは生徒が26名いたのですが、そのくらいの人数になると生徒の集中力も散漫になることがあります(だから、日本の40人学級はすごいと思います)。復習授業に参加していた生徒たちも話し合いをしているはずなのに話が脱線しておしゃべりが始まってしまったり、なんてこともありました。

でも、放課後の復習授業ではみんな集中してくれて、やっぱり少人数はいいなぁと私も実感。本当に教えがいのある貴重な時間でした。

実は、水曜日にその中の一人、生徒Bが私に会いに来ました。もうその日で11年生の授業はほぼ終了で、あとは試験のある日だけ登校すればいいので、その日は他にも最後に挨拶をと何人かが会いに来てくれたのですが、生徒Bは挨拶だけでなくて私にカードもくれました。

後で読んでみたら、、、まわりに同僚がいるのに思わず涙腺がゆるみそうになりました。

カード一面に綺麗な字で書いてくれた彼女からの言葉。ここで全ては書きませんが、一番嬉しかったのは、

「Since you've started teaching me, I’ve realised how much I love history」

と言ってくれたこと。本当に、本当に私にとって最高の褒め言葉です。

実はその子はとても賢い子で廊下なんかで会うと非常に礼儀正しいのですが、たまに素直でないところもあって、注意すると躊躇いもなく言い返してくる、機嫌の悪いときには「つまらない」といったりと正直その変化に驚かされたこともあったのです。

ただ、2月ごろからは彼女は希望のカレッジに進学するために、GCSEでいい成績を取りたいと集中してきたようで、試験のための復習を自分でかなり頑張っていました。復習授業のあとはいつも丁寧に感謝の言葉を言ってくれてました(驚くことに最近はちゃんとお礼を言えない生徒が多いのです、、、)。

私が大学生の頃に思っていたこと。

「教師になったら生徒みんなが歴史を好きになってくれるような授業ができるようになりたい」

「みんなが」のところはまだまだ未達成ですが、このカードを彼女にもらって私の夢に一歩近づけたような気がします。

正直、去年の12月ごろからOfstedの準備やそれに関して色々あったことで、「一体、私はあと何年、頑張れるのだろう、、、」と精神的に落ち込んだことが多々ありました。教師として5年間積みあげてきたと思った経験と自信を失ったように感じさせられた出来事もありました。

でも、このカードのメッセージが半年ほど貯め続けていた私の迷いを打ち消してくれました。こういう瞬間のために私は頑張ってるし、これからも頑張れるのだと思います。生徒Bには本当の宝物を貰いました。

と、言ったところで、、、さて、早速、私は目の前にある採点物の山を何とかしなければ。

投稿者 lib : 07:17 PM | コメント (0)

June 07, 2009

バーチャル日本観光。

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先週はハーフターム。

木曜日に同僚Uとピカデリーサーカスにある日本食レストラン(Yで始まる名前)に昼食を食べに行きました。テイクアウェイのお寿司だけでなく、内容盛りだくさんのセットメニューが安くて美味しいと評判の店です。

もう半年以上も前から、同僚Uと「お休みのときにご飯食べに行こうよ」と言っていたものの、いざ休みになるとお互い色々忙しくて実現に至りませんでした。

今回は私も週の最初は「休みは休み!のんびり過ごそう」と予定をあまり入れなかったのですが、「そうだ、同僚Uは暇かな?」と急に思い立ち、連絡を取ってみたら何とOK。めでたく実現しました。

彼女の希望で日本食を選んだわけですが、彼女自身は日本食というとイギリスでは有名な回転寿司のチェーンでくらいしか食べたことがないらしく、これはぜひ安くて美味しいところを思い、Yレストランにしたわけです。

これが大正解でした。(いや、決してお店の回し者ではありません)

ただ、お料理が出てきて彼女が真っ先にご飯に醤油をかけたのには驚きましたが(笑)、白米の淡白な味に慣れてないんだなと思い、あえて何も言わず、、、。

まぁ、5年前に日本食レストランでバイトしたときにはもっとすごい人いましたし(緑茶に砂糖を入れて飲むとか)。

お料理は私自身も大満足。お刺身と、鯖の塩焼きと、ほうれん草の胡麻和えと、、、彼女も喜んでいました。

ところで、私は普段、仕事帰りにパブ(イギリスの居酒屋)にもいかないし、プライベートで同僚としょっちゅう出かけることもありませんが、彼女はポーランド出身のEAL(English as an additional language)の専門教師で学校でちょっと話しても気が合うので、いつか落ち着いて話をしたいなと思っていました。

食事をしながら、初めは時折お互いの私生活のことを話していたのですが、やはり同僚となると仕事の話がどうしても出てしまいます。次第に話が盛り上がってきて、気づいたらお店に入ってから二時間近く経過。

お店に入ったときは半分以上空席だったのに、いつの間にか全ての席が埋まっていました。伝票を渡されて初めて、「あ、混んでるから出て欲しいんだなぁ」と気づいた私たち。それほど会話に夢中になっていたのです。

そして次に向かった場所は、ピカデリーという通りにある日本食品や日本の百均グッズ(でも値段は3-4倍がほとんど)、書籍などを売るお店へプチ観光。彼女は前から好きだという玄米茶を、私は安売りのカレールーを購入して生活感を丸出しに。

それから近くのカフェに場所を移して、お互いの学科の話(ほとんど愚痴)やら、担任クラスのことなどについて再びおしゃべり。「ゴシップなんだけどねぇ」と苦笑いしながら、いろいろな話をしてくれる彼女。他の学科の内情を知ることは滅多にないので、私も野次馬根性で聞き入りました。色々ごたごたがあるのはうちの学科だけじゃないんだなぁと妙に納得することもあったり、、、。

自分は楽天家と語る彼女。生徒のことを一番に考えて、英語のまだあまりしゃべれない生徒のためにあれこれ工夫を凝らして教える彼女の姿勢は前から尊敬していましたが、今回も話をして色々彼女から学びました。

そして、最後の締めは、、、。同じくピカデリーにある和菓子屋さん。別に寄る予定はなかったのですが、次の用事までちょっと時間があるというのでじゃあ、せっかくだから日本らしいものを見ようということで。

綺麗に並ぶ和菓子を前に、素直に店員さんに聞けばいいのに、頭の中にある限りの知識で必死に説明をする私。練りきりがいかに味だけではなく、見かけも美しい職人魂の詰まった芸術品なのかを熱く語ったりと、ちょっとエセ評論家になっていました(笑)

で、ひとしきり見た後、見るだけ見て買わないで出て行くのが非常に躊躇われた私。

ところが、どう見ても日本で買える数倍のお値段の和菓子たちばかり。うーんと内心うなりながら私が選んだのは、、、。

どら焼き二つでした(笑)

「かえって恥ずかしいでしょ、それ」

と心の中で自分で突っ込みを入れながら、同僚とのバーチャル日本観光はこうして無事に終了したのでした。

投稿者 lib : 12:32 PM | コメント (0)

May 28, 2009

別れの季節。

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今週はハーフターム。学期の中休みです。

今年はイースター休暇から4週間でハーフタームとあっという間でした。このハーフタームが終われば、夏学期の終わりまで8週間あります。

さて、毎年この季節になると今学期いっぱいで学校をやめていく教師もいるので、新しい教員を雇うために面接があちこちの学科でおこなわれます。

先日もArt&DesignとMathsで面接があったようで、朝から志望者たちが受け付け付近で待つ姿が多く見られました。

そして、、、私の学部Humanitiesでも二人の同僚が学校をやめることになりました。

そのうちの一人は地理教師E。彼女は私が知るイギリス人の中でも驚くくらい真面目で働き者。一昨年、教育実習で初めてうちの学校に来て、翌年にそのまま就職しました。

二年目の今年は地理の学科主任が学校内の他のポジションに移ったため、彼女が学科主任代理を務めていました。

ところが、彼女以外の地理教師が一年契約の臨時教師であったり、副校長を兼任していたりと、授業計画や教材作りを協力できる教師は皆無。そして、地理だけでなく、Travel and TourismというVocational course(職業訓練コース)の主任も実質務めており、学科主任の事務も含めてほとんどの仕事を彼女が一人でこなす状況でした。

私と同僚Eは歳も同じ、お互い学校が閉まる6時まで仕事をして帰ることが多いので、帰り道でお互いの仕事の愚痴を言うこともしばしばでした。

それでも、5年目で少しは要領も得て、集中してきっちり仕事をこなすところと手を抜く部分のバランスが分かってきた私と、二年目でなんでも一生懸命やろうとする(しかも私の二年目よりも仕事はたぶん二倍以上)彼女とでは大変さが違うのはわかっていました、、、。

この状況でも学校は予算の都合からもっと学科運営の経験のある教師をパーマネント契約で雇うこともなく、他の人文系の学科の教師に地理を教えさせるという有様。

これでは来年か、再来年か、彼女は教師を辞めてしまうのではないかと私は思っていましたし、実際彼女も今の学校のあり方に疑問を持っていることを常日頃話していました。

そして先週、違う学校での仕事を見つけた彼女は見事面接で受かり、その学校での就職を決めたのです。そんな彼女が選んだのは「学科主任」ではなく「普通の教師」のポジション。雑務に追われてまともに「教えること」に集中できない今の状況を限界に感じたのです。

こんなに努力家で生徒の学びのことを第一に考えていた教師をサポートせずに追いやった代償は大きいと思います。

この間の教員組合のミーティングでも、Ofstedの学校監査以降の上層部の対応、特に教員をまるで「監視」するかのような体制に不満が噴出していることは明らかでした。

私もここ数ヶ月はOfstedがらみで色々あり、精神的にきつい思いをしていたこともあったので、他にも似たような経験をしている教師が多数いたことに驚きました。

この今年に入ってからの経験で、私自身成長したことは間違いないし、やっと前向きに捉えて自分のやっていることに自信を取り戻しつつあるものの、学校全体が暗い雰囲気に包まれていることへの不安はぬぐえません。

私はまだ今の学校でチャレンジし続けたいと思っていますが、他の学校に行きたいと思ったときに自分の長所、自分が学科のために今までやってきたことをアピールできる自分でありたいなと正直思いました。

それにしても、9月から帰り道が淋しくなります。でも、同僚Eには新天地でのびのび頑張って欲しい。そして、お互いそれぞれの場所でまた良い出会いがあることを祈って、、、。

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May 16, 2009

ESの力。

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今日の5時間目と6時間目は私のES Duty(Emergency Support Duty)がありました。

授業時間中に学校内で色々な問題が起こったときに呼ばれて,その場を収め、事後処理をするのがESの教師の役目です(詳しくは23 October 2008の記事「ES」を参照)。

私の場合、二週間に一回、ES Dutyをまかされています。ただ、いつもは本校舎があるキャンパスから10分ほど歩いたところにある高学年用のキャンパスでの任務なのですが、今回は本校舎のほうでした。

実は、前回の自分のDutyを他の先生に代わってもらったので今回はお返しに彼女が普段やってる任務を引き受けたのです。

今日は、金曜の午後ということもあり、週末に向けて生徒も浮き足立っているでしょうから、ES Duty中に携帯してなければいならない専用の電話機も鳴りっぱなしになるのではないかと予想していました。

重大な事件がおこらないで欲しいなぁと願いつつ任務スタート。

、、、開始後15分くらいでまず、1件目の対応。

9年生の生徒が男性と歩いていちゃいちゃしているところを見てしまったがために(イスラム教家庭では男女交際を厳しく禁じる親も多い)、その日からその生徒に登校中に付けまわされたり、昼休みに汚い言葉でののしられたり、背中を押されたりしたという11年生の生徒二人と事務室の受付前で遭遇。

彼女らが自分たちの学年主任に報告したところ、その生徒の名前を確認するように言われたらしく、顔写真のリストを見たいと私に依頼してきました。

実は苛めている側の生徒の友達と私が5分ほど前に別件で廊下で話しているのを見ていたらしく、彼女らは私を見た瞬間に「先生、さっき先生と一緒にいたあの子の友達に苛められている。どの子か見当つかないか?」と懇願してきました。

「すごく攻撃的。怖い。汚い言葉を使ってくる(いわゆるSwear words-罵り言葉。有名なのはFxxkとかBixxhとかですね)」生徒。そして、さっき私と一緒にいた生徒の友達。

それらの特徴を聞いて、ほぼ一瞬でどの生徒かわかりました。

それは生徒T。学校内でも5-6人でギャングのように行動するグループのリーダー格の生徒。その11年生の彼女達に写真を確認してもらうと一発で「この子だ!」と。

すぐに学年主任に名前を報告してこの件はひとまず終了。それにしても9年生が11年生を脅すとは。

そして、再び受付に行くと、「先生、お昼休みの監視員に暴言(これまたBixxh)を吐いた生徒がいたので対処してください」とIncident Report(事件報告書)を差し出されました。この生徒も9年生。しかも、私が歴史を教えているクラスの生徒の一人です。この生徒もすぐに攻撃的になりやすく、こういう事件をよく起こす生徒です、、、。

基本的に教職員に対して暴言を吐いた場合はすぐにIsolation Unit(隔離部屋というと怖いですが、処罰として問題をおこした生徒を連れて行く場所です)に送られます。今回もことがことなだけに、生徒側からの話を聞いた上で、Isolation Unit送りになることが決まり、この生徒を副校長のところまで連行。

これも滞りなく終わり、さぁ、ちょっとは座って休めるかなと思っていたら、、、。私の学部のオフィスがある廊下に9年生の2人の生徒の姿が。そうやら授業態度が悪くて教室から追い出されたようです。追い出したのは同僚A。

このクラスは私も教えていますが、かなりのツワモノ揃い。100分授業をした日にはエネルギーがかなり消費されます。しかも、金曜の最後の授業。正直、同僚が気の毒になります。

同僚Aは実は、教頭から授業観察を受けている最中で、放り出した生徒が廊下をうろうろしているのも良くないだろうと思い、彼女と話をしてその生徒二人を他のクラスへ移動させました(授業態度が悪い生徒に良く与える罰です)。

、、、そして時計を見ればもう3時近く。色々対処するためにあちこち歩き回っていたので気づいたらもうそんな時間でした。授業終了は3時20分。ちょっと時間があるのでオフィスに戻りました。

それから少し同僚とおしゃべりをして食べてなかったお昼を食べ終わると終業のベルが。

一斉に教室から飛び出していく生徒たちを眺めながら、ESで使った携帯を事務室に返しに行こうと廊下に出ると、ある教室の前で人だかりができているのに気づきました。

なんと、生徒の一人が意識を失ったというではないですか。どの生徒かは最初分かりませんでしたが、とにかくFirst Aider(応急手当の資格を持つ人。教職員の中で校内に数人います)を呼びに受付へ。

一緒に戻ると倒れていたのは9年生の生徒Iであることに気づきました。この生徒は前も私の授業でパニックアタックを起こし、保健室のスタッフを呼んだことがあります。今回も授業終了間際にパニックアタックで過呼吸をおこして床に倒れこんだようです。

彼女が保健室へ連れて行かれるのを見ていたその時、ふと違和感を感じました。何かおかしいのです。

、、、彼女はそのクラスでは授業を受けていなかったはずなのです。違うクラスの生徒ですから。じゃあ、何でそこで倒れていたのか。

その授業では本来の教師が病欠で、代理の教師が担当していました。私がその教師に話を聞くと、なんと生徒Iは授業中、ずっとそのクラスにいたそうです。どうも出欠を取った時点で彼女は嘘の名前(たまたま欠席していた生徒の名前)を言ったようなのです。もちろん、そのクラスを知らない彼女は生徒の言うことを鵜呑みにし、生徒の写真リストを持っていたものの、鮮明ではなく気づかないでいました。

このまま、誰も気づかなければ彼女は他人に成りすましたまま、自分の授業をさぼって友達がいる授業に居座っていても何の罰も受けないところでした。今回、私が見たことによって、彼女は何らかの処罰を受けることになります。Truancy(さぼり)は処罰として時に停学になることもあります。

彼女が今回どういう経緯でパニックアタックになったのかはわかりませんが、私は彼女の起こした行動にただただ驚くばかりです。平気でこういう嘘をつくとは。そして、それを指摘しなかったまわりの生徒たちも。実は、この生徒Iの友達の一人は何と、先ほどの苛め問題で出てきた生徒T。たぶん、他の生徒たちは触らぬ神に祟りなしという心境だったのでしょう、、、。

というわけで、これを最後にES終了。かなり校内を歩き回った100分でした。あぁ、疲れた。それにしても今日のESでわかったこと。やんちゃな9年生でも私がES Dutyを担当していることがわかるとえらーく素直に言うことを聞くこと聞くこと。なにせ、ES担当の教師に無礼を働くと生徒はすぐに処罰されますから。

これが権威ってヤツなのねと妙に実感してしまいました。生徒って本当に相手やその時の状況で態度をえらく変えるものなんです。普段は野獣のように(失礼)校内を駆け回る生徒も校長の前では借りてきた猫みたいに大人しくなりますから。

あぁ、ふだんもこのくらい私に反応してくれたらいいのに、と私は内心つぶやいていました。

投稿者 lib : 04:41 PM | コメント (0)

May 11, 2009

まるでファッションショー

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今日の放課後、いつものように自分の教室であれこれ来週の授業準備やらメールのチェックやらをしていると、窓の外から賑やかにおしゃべりをする声が聞こえてきました。

その声の主たちは11年生。

今日は一日中、11年生の式典がおこなわれていたのです。一応、彼女らの達成を祝う卒業式みたいなものなので、生徒はここぞとばかりに着飾ってくるのです。

その様子はファッションショー並み。色とりどりの服を着て、楽しそうに写真を撮ってはしゃいでいます。これから学校内の劇場(といってもたいしたことありませんが)で生徒たちが踊ったり歌ったりするディスコイベントが開かれるようで、そしてその後にはディナーパーティがあるようです。

うちの学校は女子校なので、男の子が女の子を誘って踊るプロムみたいなダンスパーティみたいなのはないのですが。まぁ、女の子だけでも相当楽しいようです。

中には太ももまで丸出しのタイトなワンピースを着て、10センチ以上もあるハイヒールシューズを穿いて、我々から見ると「何の職業?」と思ってしまうような出で立ちの子もいたのですが、、、。まぁ、(ちょっと間違えているにしても)みんな大人の格好をしたいのでしょうね。

でも、この式典、学年主任や担任たちにとっても嬉しいイベントですし、生徒の中には感動して泣いてしまう子もいるようですが、何とも奇妙なのは式典が開かれるタイミング。

今はまだ5月上旬。これから徐々に11年生が受けるGCSEの公式の試験(Public examsと通常呼ばれます)が始まるわけで、私の担当教科の歴史も6月の上旬に試験があります。

今日式典を迎えたからといって、彼女らの授業が終わるわけではなく、最後の教科の試験が終わるまで登校が義務付けられています。

実際、今日着飾っていた子達も何事もなかったかのように来週月曜日には普通に私の授業に来るわけなのです。

普通の感覚だと、全ての試験を終えた時点で卒業だと思うのですが、学校の方針なのか、自治体の方針なのか、式典だけ二ヶ月も前に終えてしまうわけです。

そして、もっと奇妙なのが、生徒には最後まで学校への最終登校日を知らせないこと。

これは、学校への最終登校日となる日に毎年といっていいほど一部の生徒が問題を起こすためです。例えば、Flour fight(小麦粉合戦?)。つまり小麦粉をそこら中に投げつけるのです。もちろん、標的は他の生徒たち、車、そして運が悪ければ教師自身にも被害が、、、。想像しただけで恐ろしい。どうか、粉だらけにされませんように。

なにはともあれ、この11年生たちを教えるのもあと一ヶ月となりました。今年の11年生は私がこの学校で働き始めた年に7年生だった生徒たちです。あんなに小さかった(そして素直だった。泣)子達が大きくなって育っていく。

大人だけがいる職場と学校という職場が大きく違うのは、人間の成長を目の当たりにするところですね。いろいろ紆余曲折がありながら、それでも最後は大きくなって巣立っていくんです。

来年は私の担任クラスの子達の番。うーん、あと一年もあるのに想像するだけでちょっぴり淋しくて切ない気持ちになりますね。

投稿者 lib : 09:41 AM | コメント (0)

May 05, 2009

やっぱりNHS。

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今日の午後はイギリス生活7年目にして初めてNHS(イギリスの国民健康保険制度)の病院に行きました。

たまたま午後に授業がなかったので、昼休みに早退する許可を得て、診察後はそのまま帰宅するつもりでした。

で、なぜ私が学校を早退してまで病院に行く必要があったのかといいますと、、、。

巷では豚インフルエンザの感染拡大のニュースが連日報道されていますが、私の学校では去年から一部で別の病気の集団感染が懸念されていました。

実は生徒の中で一人、結核の診断を受けた生徒が去年いて、そして今年は別の生徒も感染経路は別のようですが、感染し発病したらしいのです。しばらく欠席が続いていたので、どうしたのだろうとは思っていましたが。

去年のケースよりも今回の生徒からの二次感染の確立は非常に低いと説明されたものの、私の教えるクラスの生徒の一人だったので、授業なので直接接触のあった教職員、生徒には手紙が配られ、接触者検診を促されました。

結核は以前のように感染して発病しても、正しい治療をすれば死にいたる病気ではなくなりましたが、潜伏期間が長い場合もあり、感染に気づかないと二次感染を引き起こす可能性もあります。

ここ十年でイギリスでも日本でも以前より、感染者数、死亡者数が増えているようですので全く安心できる病気ではありません。

私も初期の結核の症状など自覚症状は全くない状態のものの、万が一感染している場合もあるので、学校がアレンジしてくれた専門病院での検査を受けることにしたのでした。

と、こ、ろ、が!

やっぱりここはイギリス。スムーズに行くと思ったら大間違いでした。

勇んで病院の受付に来院を告げると、受付の女性が困った顔をしています。

嫌な予感がしました。

案の定、「あなたの予約は一昨日、キャンセルされてるわ。手紙を送ったはずだけど受け取ってない?」

って、受け取ってません。この国の郵便が次の日に届く確証はないのですから。

よく聞いてみると、金曜日の午後には外来の初診は受け付けていないとのこと。だからキャンセルされたとのこと。

そういうことは予約入れたときにお願いだから気づいて欲しい、、、。そして、そんな直前に変更するならお願いだから電話で直接教えて欲しい。

というわけで、私はまたしばらく、豚インフル、結核と複数の病気の心配をしなくてはならないようです。

投稿者 lib : 11:49 AM | コメント (0)

April 24, 2009

夢か現か、、、

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2週間の一時帰国を終え、ロンドンに戻ってきました。

最初の週には春真っ盛りの京都へ小旅行。数週間前までは知人に「来る頃にはお花が終わってるね」と言われていたのに、着いてみれば満開。

実は前の週に急に冷え込み、開花が始まったものの満開までだいぶ間があったようなのです。まるでロンドンから来る私を待っていてくれたかのようで嬉しくなりました。

お天気もほぼ毎日晴れ。気温も20度まで上がる日があるほど暖かく、ロンドンの涼しい気候に慣れている私には暑くて、半袖で歩き回っていました。

一年ぶりの日本は変わったようで変わっていない。でも、ロンドンに住み始めてからは帰るたびに東京の大きさと人の多さに圧倒されます。

私の実家は千葉ですが、中学から大学まで東京に通学していたために朝のラッシュもターミナル駅の大きさにも慣れていたはずなのに。

West EndからEast Endまで頑張れば(頑張らなくても?)徒歩で行けてしまうロンドンに住んでいると、東京はロンドン10個分、もしくはそれ以上の規模に思えます。まぁ、人口の比を考えれば驚くことではないのかもしれませんが。

ところで、最近、日本に帰る度に不思議な感覚に囚われます。

日本に帰ると、ロンドンでの生活がまるで夢の中の出来事のように思えてくるのです。

日本は20数年、自分が住んでいた国。成田に降り立つと最初は実感がわきませんが、しばらくするとすぐに住んでいたころの感覚が戻ってきます。そして数日経つと、すっかり落ち着いてしまいます。

ここ数年、東京近辺で外国人を前よりも見かけるようになったものの、周りの人はほとんど日本人ですし(耳に入ってくる言語も、電車のなかの広告も日本語。

ホリデー中なので仕事のこともあまり考えませんし(といっても今回は泣く泣く採点物を持っていきましたが、、、)、心は常にリラックス。

あまりにも自然な落ち着きぶりに脳も現実逃避するのか、何だか自分が教師であることも、ロンドンにフラットがあって、そこに生活用品や愛車、全てがあることも忘れていくような感覚なのです。

まさに夢と現の狭間にいるような、、、。

「あれれ、どっちが現実だったかしら」なんて。

今回も友達と会っている時に「ロンドンではどう?」と聞かれ、「そうだ、、、私、ロンドンに住んでいるんだ」と急に現実に引き戻される感じなのです。

一人のときにふと、担任を持つクラスの子達の顔と名前をひとりひとり思い浮かべながら、「よ、良かった、覚えてる」と妙にほっとする自分。

しまいには、「帰ったら英語忘れているんじゃないか」と変な心配も、、、。

働いていれば2週間など、忙しさの中であっという間なのですが、ホリデー中は時間の流れの感覚も変わるようです。実はロンドンに住んでいる自分は存在していなくて、日本にずっといたんじゃないのか、なんて錯覚し始めるほど。

でも二週間はあっという間です。気づいたらもうロンドンに戻る日。一気に現実に舞い戻ります。

ヒースローに降り立つと、そこはロンドン。様々な言語が飛び交い、様々な人種、宗教の人々が行き交っています。

その中にいる自分。

7年住んでいても、イギリスの学校で5年教師をしていても、この国に100パーセント感化されることもないし、自分自身が完全に溶け込めることはないなと常日頃思う私。

でも、帰りの電車で何だかほっとしている自分がいました。

そして月曜日、学校に着くと一気に教師モードのスイッチが入りました。何気に心配していた英語も忘れていないし、ちゃんと授業できました(笑)

新学期の忙しさの中、今週一週間はあっという間に過ぎました。すると今度は日本に2週間いたことが夢だったんじゃないかという感覚に。そんな私は夢じゃないことを確かめるように日本でたくさん撮ってきた写真を度々大事に眺めています。

また日本に帰るのはもしかしたら来年の春。それまでには友人二人に子供が生まれるし、他にも色んなことが変わっているかもしれません。

よく聞かれます。「いつか日本に帰りたい?」と。正直、今の自分にはわかりません。

日本の自分。イギリスの自分。どちらも本物。どちらも夢じゃなくて現実。でも、イギリスに長くいればいるほど、自分がこれからどこで人生の時間を過ごしていくのか、過ごしたいのか、どんどんわからなくなります。

まぁ、家族や友人と離れている寂しさはあっても、生活基盤のあるこのロンドンが今の自分の居場所なのだと思います。

いざ何らかの理由で日本に帰ることになった時のことを考えると正直、やっていけるのか不安ですけれど。自分の居場所作りをまたするわけですから。

そんな私にとって、日本はいつまでも「帰りたいときに帰れる場所」であって欲しいなぁと思います。

さぁて、そんなことを考えつつ、夏までまた仕事、仕事、です!

投稿者 lib : 09:52 AM | コメント (2)

April 05, 2009

学期末

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今日は今学期最後の日でした。これから二週間の休みです。

でも正直に言って、学年末、つまり夏学期の終わりまではまだまだ先が長く、11年生の試験も6月に控えている、試験センターに送る課題の採点もたまっているわけで、休みといってもなんとなく落ち着きませんが。

つい先日、日本で教職を持っている人のブログを読んでいたら、「明日入学式です」という一文がありました。

そう、日本は「春=別れ、そして新たな始まりの季節」なんですよね。

気づいたらイギリスに7年いて、3月の卒業式、4月の入学式シーズンの日本の独特な雰囲気を忘れていました。日本で教員をされている方たちは準備などで忙しい時期ですね。

対照的に私の勤務校は「式」といえるようなフォーマルで厳かなイベントというものがありません。学期最終日だった今日も至って普通。放課後に生徒や同僚と「Have a good holiday!」とすれ違うたびに声を掛け合って終わりです。

思えば、日本みたいな入学式もありません。私が担任を持つクラスがはじめて学校に登校したときも学年集会はありましたが、別に上の学年が歌やスピーチで迎えるといった演出もありませんでした。

なにせ、わが校は7年生から11年生までの生徒数が1200人以上。この人数を簡単に収容できる唯一の場所がスポーツホール。それも日本の体育館のようにステージがあるわけではないので式典や集会にはもともと向いていません。

全校集会と呼べるものは年に一回あればいいほうです。そう、あの教職員や生徒がパフォーマンスを披露する「クリスマスショー」くらいでしょうか。

Secondary schoolの最高学年である11年生も5,6月の試験が終わると学校から姿を消し、一応、最後に皆で着飾って集まって祝うイベントはありますが、教職員全員と下の学年が送り出すような場面がありません。担任はその集会に出席するのが常のようですが。

こう考えると日本の学校は、今覚えば行事・式典を大切にしている国だなぁと思います。学期ごとに終了式や始業式がありますしね。

自分自身の記憶をたどっても、小学校から大学までの入学式や卒業式の思い出は割と残っています。内容は鮮明に覚えていなくても、式典のあの独特の空気と、緊張しながらも期待に胸を膨らませていた感覚がいつまでも体のなかに残っている感じです。

これと比べると、私のイギリスでの経験はほんとうにあっさりとしたものです。イギリスでも格式と伝統のある学校ではこういう式を度々おこなうところもきっとあるのでしょうけれど。

実は明後日から二週間、日本へ一時帰国します。きっと新入社員や新入生たちが溢れる街で、懐かしい光景を目にすることになると思います。そんな特別なシーズンの日本を楽しんでこようと思います。

ただ、今は泣きたいくらいポンド安。お財布の紐を引き締めつつの滞在になりそうですが、、、。

投稿者 lib : 12:01 PM | コメント (0)

March 27, 2009

Intervention

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もうすぐ4月。

あと2ヶ月で11年生の試験が始まります。

二週間前から放課後の補習授業を始めたのですが、参加者は少ないものの生徒から貰う感想はポジティブで、彼女らの試験勉強に役立っていることを嬉しく思っています。

さて、私はイギリスの教員組合に入っているのですが、数日前からメールや組合の代表委員やメンバーから「金曜日のミーティングにぜひ参加してね。重要な話し合いをするから」と言われていました。

メールに書かれていた議題は「Year 11 Intervention」。Year 11 とは11年生のことでInterventionとは普通、「介入」「干渉」「調停」などと訳されますが、この場合、「介入」という言葉が一番近いでしょう。

11年生への「介入」。一体どういうことか。

実は11年生の1月の模擬試験の結果から、今夏の試験結果が去年を下回る可能性が示唆されました。そして、2月のOfsted。去年の結果が思わしくなかったこともあり下から二番目の評価「Satisfactory」を出された我が校。

今年の結果が再び悪いとなると、どうやら来年もOfstedの監査が入るらしいのです。

校長をはじめとするSLT(Senior Management Team)はたぶん内心相当焦っているのでしょう。ここ一ヶ月で何回か教職員の会議が開かれ、「データが、、、」「試験が、、、」と何度もこのことについての言及がありました。

そして、SLTが先日下した判断。

試験結果向上のために、これから二ヶ月間、数学・理科・英語などの主要教科では普通クラスから一部の生徒を引き抜いて特別授業をおこなう。

そして、非主要科目では模擬試験で成績が思わしくなかった生徒についてはその教科をDropさせる、つまり試験を受けさせないで、上のグレードを取れそうな教科を集中的に勉強される措置を取るというのです。

実は先週、私のクラスの生徒一人について「歴史を落としてICT(情報処理)の勉強に集中させる必要がある」と教頭の一人からメールが来ました。

担当教師への事前の相談もなしのこの措置。生徒は十分納得しているのか。一体誰の決断なのか、何を基準にしているのか、歴史を落としたらその時間は生徒を誰が監督するのか、、、。

その教頭に実際に話をしても「生徒との話し合いは十分におこなわれた。生徒は納得済み。あなたの授業時間中にその生徒は図書館や情報処理室で一人でICTの自習をできる。彼女が5教科でグレードA-Cを取るための最善の措置」というだけ。

「話し合い」、、、?「あなたはグレードA-Cを取れる教科が少ない。このままでは歴史も落第するだけだから受けるのをやめて他の教科に集中した方がいい」とでも言ったのでしょうか。ただでさえもプレッシャーのかかっている時期なのにそんなことをいってしまうとは。

月曜日にその生徒から話を聞きましたが、相当に困惑し、不安な様子でした。「先生、私はどうすればいいの、、、」と。

私としては例えC以上を取れなくても最後までやり遂げて欲しいのです。歴史の授業時間を使ってICTの勉強を「自習」することが彼女にとって最善のことだとは思えません。専門の教師がちゃんと監督して彼女の勉強を見てあげるのならまだしもそんな対策はSLT側は用意していない。

歴史のGCSEをまるまる落とす上に、最悪の場合、ICTも結局D以下をとることになるかもしれないのです。

それに今まで二年間彼女が費やしてきた時間と努力はどうなるのでしょうか。彼女の場合、コースワークの提出も出来ているし、これも加味されれば最終的に今より上のグレードを取れる可能性は大きいのに。

そして、彼女の模擬試験の結果だけを元にInterventionを決めるのは軽率です。暗記とをともなう全問筆記の歴史試験の場合、1月の模擬試験は復習や過去問を使っての練習を怠れば頭のいい子でも悪い成績を取ることがあります。

どんな生徒でも夏に向けて復習と過去問を一気にやるので実際の夏の結果は模試よりも二つ以上上のグレードを取ることが多い教科なのです。

過去の結果からもこの傾向は顕著なはずなのに、、、。地理教師の同僚Eと「主要科目でない人文学系の教科はこうして軽視されるんだね」と半分冗談、半分本気で言っていました。

教員組合のミーティングに行って、こういった不満が私のものだけでないことがはっきりと分かりました。11年の学年主任すら初めの段階の話し合いに招かれておらず、教科担当の教師たちの中には生徒からInterventionについて初めて知らされたという最悪なケースもあったらしく、発言するどの教師も厳しい表情でした。

過去のブログでも触れていたかもしれませんが、この問題、実は去年もあったのです。それで余計に教員側の不満も大きいのです。今年はこんなことを繰り返してはいけないと誰もが学年初めに言っていたのに。

組合としてはどんな結論をSLTが出すにしろ、我々、生徒と直接接している前線の教師たちとの事前の協議の場が設けられていないのはおかしいという点で組合員の意見は一致しました。

生徒のためといいつつも生徒に無駄なプレッシャーを与えて学校全体の成績向上を優先させている(しかも去年はこうしたInterventionの効力が疑問視される結果しか出なかったのにも関わらず)。

もちろん、何パーセントの生徒がA-Cを取るかで学校の良し悪しが判断される厳しい現実があります。でも、Cを取れそうになくても可能性を信じて本当に頑張っている生徒を見ている私たちにはなんとも納得の行かないこのIntervention(もちろん、やる気もなければ努力もしない生徒もいるわけですが、、、)。

イースター前の大切な時期。SLTが下した決断が覆されることはないと正直思いますが、来週、SLTが我々の問いかけにどう答えてくるのか。非常に気になります。

投稿者 lib : 09:47 PM | コメント (1)

March 20, 2009

焦りまくりの午後。

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今日は教職とはあまり関係のない話です。

実は今年の6月で今の学校に職を得てからまる5年になります。

もともと学生として英国に来た私は、その時に労働許可証を申請してもらって今に至ります。

さて、現行のルールでは5年間この国でフルタイムで働くと永住権の申請権を得られます。つまり、私もあと3ヶ月ほどで申請することが可能になるのです。

そのことについては覚えていたのですが、つい先週末に「そういえば、永住権の申請前にパスポートが切れるんだったよな」とふと思い出しました。

そして、その後一瞬頭がパニックに!

実際にパスポートを見たら、なんと5月の初頭が有効期限ではありませんか。

つまり、4月のイースターホリデーに日本に一時帰国する私がそのパスポートでイギリスに再入国しようとすれば最悪の場合、パスポートコントロールで入国を拒否される可能性が。

期限内に戻ってくるとしても、どの国でもパスポートの有効期限まで3-6ヶ月ほどなければ駄目という規定がありますよね。イギリスは確か6ヶ月だった記憶が。

私はそのことについてすっかり忘れていたのでした。

新しいパスポートに永住権のシールをもらうという計画にばかり気をとられていて、その前にもうすぐ期限の切れるパスポートを使って旅行することなんてすっかり忘れていました。

慌てて在英国日本国総領事館のサイトでパスポートの切替申請についてリサーチ。一週間で受け取り可能と知ってまずは一安心した私。

でも、受付時間を見てがっくり。

受付終了4時半。

「フ、フルタイマーはどうやって申請すればいいんだろう?」

教職は休暇が長いことがよく言われるし、ありがたいことにその恩恵をたっぷり受けているわけなのですが、その代わり自由に取れる有給はありません(特別な事情で校長の許可を受けられる場合もあり)。

ですので、いくらイギリスとはいえ半休とって用事を済ませることが容易ではないのです。

かといって代理申請を頼める家族もいない。友人達も私と同様働いているわけだし。


私の授業が終わるのが3時20分。いつもなら6時まで学校にいてミーティングをしたり、次の日の準備などをするのですが、今回はどうにかして申請に間に合うようにするしかない。

地下鉄の路線案内サイトで私の学校の最寄り駅から総領事館のあるロンドン中心地の駅までの所要時間を調べると30分。歩きを入れると最低でも40分はかかります。

授業を時間きっちりに終えたとしても片づけをしたら学校をでられるのは早くても3時半。

つまり20分で申込書に記入して申請。

日本のお役所はきっと時間もきっちりだから、窓口も時間ぴったりで閉められてしまうのだろうと勝手に想像をした私。しかも、もし他にもたくさん申請者がいたら、、、。

小心者の私は頭の中でシミュレーションしてみたものの、前日の夜はなんだか落ち着きませんでした。

そして悩みの種はそれだけに尽きず。申請用の写真はその辺の機会でセルフで撮るものでは駄目だというので、薬局でお姉さんに撮ってもらったのですが、その出来にがっくり。その日は一日中授業だったので私の顔は見るも無残な疲れ顔だったのです。

さらに追い討ちをかけるように家に帰って写真に写る顔のサイズを定規で測ってみたら、規定より0.5ミリほど微妙に小さいような気が。「この写真じゃ申請はできませんねぇ」と冷たく拒否される瞬間を勝手に想像してさらにブルー。

午後の授業はそんなわけで、最後の20分くらいはちらちらと時計を見やりながら内心不安で落ち着きのない私でした。ごめんね、私の生徒たち、、、。

そして、いつもなら授業後に生徒としゃべったりのんびりするのに、今回はベルが鳴ったと同時に勢いよく片付け開始。

トイレも我慢して(失礼)学校を飛び出しました。

総領事館のある駅までは乗換えが一回必要です。上手く接続できるかなぁと心配しつつ、最寄り駅に着くとすぐに電車が来たので「おっ、これはいけそう」と安心。

でも、ロンドンの地下鉄はそんな私に冷たかった。

乗り換えの駅に着いたら何かがおかしい。そう、乗り換えるはずの路線への通路が封鎖されているのです。アナウンスを聞けばなんと、人身事故のため一区間が運転中止になったというではないですか。

そんな、乗り換えれば目的地まであと一駅なのに!!!

それでもそこから総領事館は歩いてすぐ行ける距離ではありません。急いで路線図で他のルートをチェック。2駅先に行けば他の路線を使って行けることを確認。少し遠回りになっても歩くより早いはず。

もうそれからは電車を待つ数分がまるで永遠のように(って大げさですが)感じられたのでした。

さて、そんな私のパスポート申請がどうなったかというと、、、。

結果はセーフ。

総領事館になんとか到着。セキュリティチェックを受けて、慌てて申請書を記入する場所へ。座った席に備え付けのペンのインクが出なくて、どたばたと移動する私。はたから見たら見事な慌てっぷりだったことでしょう。

申請書も普段は慎重に記入する私なのに見本を横目に見ながら一気に書き上げ、またまたどたばたと受付窓口へ。

出てきたのは男性の職員さんでした。恐る恐る問題の証明写真を差し出すと駄目だし受けずにセーフ。それで一気に緊張が解けました。

が、職員さんから3箇所も記入漏れを指摘されました。本籍地の記入欄なんて、本当は番地まで記入するのに「OO県」までしか記入してなかった私。日本での連絡先も両親の名前を書く部分を空白で提出。両親健在なのに、、、。

職員さんもきっと「おいおいちゃんと確認してから窓口に来いよ~」と思っていたに違いありません。いえ、実際には本当に丁寧に指摘して頂きました。

何はともあれ、無事に申請が終わったのでした。

皆さん、パスポートの期限のチェックはどうか怠り無く。

投稿者 lib : 10:05 AM | コメント (0)

March 13, 2009

Work Experience

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先週、学校から10年生の姿が一斉に消えました。

実は毎年この時期、10年生がWork experience(職業体験)に出かけるのです。

それぞれの行政区の認可を受けた受け入れ先に、1-3人ずつ我が校から職業体験生として2週間派遣される仕組みです。

受け入れ先は薬局からスーパー、保育園や小学校、そして会計事務所まで実に様々。

早いもので今年は私が担任を受け持つクラスの子達が職業訓練に出る年で、彼女らも色々な場所へ派遣されていきました。

一応、体験したい職業、派遣先の地域をおおまかに選べるものの、全てが希望通りにはならないため、彼女らの間では多少不満はあったよう。

残念なことに数人ほど最後まで受け入れ先が見つからず、うちの学校で職業体験をすることになった子も数人いました。

何はともあれ、先週からこの職業体験期間が始まりました。

まぁ、朝の会がないと私の一日の始まりは平和そのもの(笑)でも、静かなのも少し寂しいのでした。

そういうわけで、うちの学校で職業体験中のクラスの子を見つけると一層親しみを感じて思わず声をかけてしまう私でした。

さて、この職業訓練中はもちろん10年生の授業がないわけですが、だからといって「授業がない!ばんざーい!!」というわけには行きません、、、。

10年生の担任、そして10年生を教えている教科担当の教師たちはこの期間中に最低3人の生徒の派遣先を訪問しなくてはいけないのです。

訪問の際には生徒自身と生徒のSupervisor(監督者)と面談をし、簡単な報告書を提出しなくてはいけません。

今年は自分の担任クラスの年ということもあり、私はこの訪問をいつもより楽しみにしていました。

ただ、訪問先を決めるのは早い者勝ちなので学校から近い場所、3人以上の生徒が同時に派遣されている場所は結構他の同僚たちがすでに訪問を決めてしまっており、私が行くことになったのはどれも地下鉄を使わないと行くのが難しい場所。

早速、クラスの生徒3人の受け入れ先に電話でアポイントメントを取り、先週の金曜日の午後に向かいました。

一つ目の場所は東ロンドンにあるイギリスのチェーン系のスーパー。二人の生徒が一緒に派遣されていました。

どちらの子も真面目でしっかりした子。訪問先到着後、彼女らのSupervisorと話をしましたが、どうやら文句1つ言わず一生懸命やっているようです。

彼女らとの面談も済ませて、最後に学校への報告のために写真を一枚ぱちり。

そして、次に向かった先は、イギリスの金融街にも近いオフィスの並ぶ地域。さっきの場所とは全く雰囲気の異なる場所です。それもそのはず、この訪問先は会計事務所なのです。

ここに受け入れてもらっている生徒は数学で秀でた才能を見せているL。根が真面目で頑張り屋、まわりの友達からも人一倍信頼されています。

彼女と面談して話を聞くと、数字に関係したことなら何でも好きらしく、この派遣先を大変気に入っている様子。

彼女のSupervisorもそんな彼女の働き振りを高く評価してくれ、担任として本当に嬉しく思いました。この子には本当にこの東ロンドンの環境に負けずにしっかりと自分の道を切り開いて満足のいく人生を送って欲しいなぁと思います。

ここでも彼女と、そして彼女の直属の上司を写真に収め、移動も含め、午後3時間以上に及ぶ訪問の旅が終わりました。

といってもこの職業体験、こんな美しい話ばかりではありません。実は、派遣先を嫌って、Supervisorの指示を無視したり、失礼な態度を取ったり、昼休み後にさぼって戻らなかったり、無断欠席・遅刻をして、事実上「解雇」になった子が学年で数人いました。

そのうちの一人は実は私のクラスの生徒で、あと一回問題をおこせば退学になる子です。去年から停学を繰り返し、立て続けに問題をおこしていた彼女。

そのなかにははっきりいって背筋が凍ってしまうような話もありました。15歳の子供がこういうことをできてしまうのか、と。今回も学年主任から話を聞いても正直全く驚けない自分がいました。

私の認識していた「常識」を超える彼女達。残念ながら自分の我がままを絶対の権利だと主張してやまない彼女らが学校を卒業したとき、社会はどのように彼女らを受け止めるのでしょうか。

大学入学や資格取得のためにGCSEよりも上のコースに進まなければ来年で卒業する彼女ら。経済が不安定な今、その彼女らに一体どんな現実が待っているのか、、、。

生徒たちの成長ぶりをみて感動すると同時に、灰色な未来も垣間見た今回のWork Experience。なんとも複雑な気持ちになったのでした。来週は全員と再会。皆、一体どんな体験をし、成長したのでしょうか。楽しみでもあり、少し不安でもあります。

投稿者 lib : 09:39 AM | コメント (1)

March 09, 2009

Happy Reunion

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昨日は木曜日にもかかわらず、服装に気合を入れた私。

学校に着くなり、同僚から「いつもと違うね~」という声が。そう、普段はズボンに普通のトップス。スカートを穿くことすらあまりない私です。その私がサテンのブラウスに黒のスカート、それにヒール靴で決めていたものですから、たぶん周りの人間は何事かと思ったことでしょう。

でも、昨日は特別な日だったのです。2007年11月のブログ「地球の裏側から。」で私の大学院時代の友人Yについて書きましたが、その彼女が目出度く博士課程を修了し、昨日はその卒業式典に招待されていたのです。

私と同じく海外留学生としてイギリスでの生活をスタートした彼女。そして、今、博士号取得という素晴らしい目標を達成した彼女が、私をゲストとして式典に招待してくれた。

その旨のメールをもらった時、本当に嬉しかったし、何よりも私を大切に思ってくれている、彼女の大切な瞬間に立ち合う機会を与えてくれたことに感謝と幸せを感じました。

実は6年前の修士課程の卒業式典は彼女が台湾に帰国した後だったので一緒に参列したことはなかったのです。それが今回は彼女が何とか職場の上司から海外渡航の許可をもらい、晴れて式典に出れることになったのです。

博士のみが着れる特別な朱色のローブを身にまとい、待ち合わせの場所に現れた彼女。他の学生たちはほとんどが修士号や教職課程の卒業者なので地色は黒。彼女は相当目立っていました。

そんなわけで、私は自分が博士号取ったわけでもないくせに一緒に並んで写真を撮っているだけですごく誇らしく感じるのでした。

式典は私の参加した式と構成はほぼ同じでした。が、前回と何が違うって、、、。それは、カメラを握り締めて彼女が壇上に上がって証書を授与されるのを待つ私。

もう、気分は保護者そのもの。いえ、彼女のほうが私よりいくつか年上ですが。とにかく、シャッターチャンスを逃してはならないと気合を入れて連写モードに設定を変え、何人か知らない人を撮って練習したりしながら彼女の登場を待ち続けました。

ただ、博士号の授与はいわゆる「トリ」なので最後なんですね。だから待つ時間が長いこと。でも、待った甲斐あって、もう彼女が壇上に上がったときは感動でした。でも、カメラ握ったままだったので肝心な拍手が全く出来なかったんですけれど。

そのあと、気が抜けた私はやけに長い閉式の辞はすでにあまり聞いていませんでした。

式典後、祝賀会に20分ほど参加して、その後は私にとっては修士課程の時の恩師であるPと、教職課程の恩師であるR、そして私の友人(Pは彼女の博士課程のTutorです)の4人で食事に行きました。

私と友人Yにとって彼らは先生という存在を超えています。二人とも元中高教師ですので、教員としての先輩でもあるわけですが、それよりも何よりも彼らはイギリスで心から尊敬できる人生の先輩、人生の導き手です。

彼らがいなかったら私はイギリスで教師になっていなかっただろうし、彼女も博士課程に進むことはなかったと確信できるくらい。

でも、彼らは決して私たちを彼らの思う道に進ませようとはしない。私たちが決めたことについて的確にアドバイスしてくれて、最良の道に進めるようにサポートしてくれたのです。

昨日も今の仕事について、プライベートのことについて、、、彼ら自身の経験談を交えながら色々なアドバイスをしてくれました。

実は数週間前は自己不信に陥っていた私。でも、昨日、彼らとまた再会して「やっぱりこの道に進んでよかったな。幸運だな」と素直に思えたのでした。

また4人で食事をする機会がいつになるのかは分かりませんが、次に会ったときもポジティブな自分でいたいです。自身を持って自分の仕事のこと、プライベートのことを報告できる自分でありたいなと思いました。

最後に、、、友人Yの大きな達成に乾杯!

投稿者 lib : 12:45 AM | コメント (0)

March 01, 2009

深い眠りにつけた日。

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終わりました。

3か月続いた落ち着かない日々が。

そう、来たのです。12月から待っていたOfstedが。

読者の皆様にはもしかして「月子、Ofstedを前に雲隠れか?!」と思われていたかもしれませんが、ちゃんと生きておりましたよ。ただ、ちょーっとブログを書ける状態ではなかったのです。

ここ数週間は学校中が張り詰めた雰囲気で、ハーフターム中もいつもならもっとリラックスできるのに、準備やら復習授業やらで結局4日間も仕事に出る羽目に(でも、普段よりはずっと楽でしたが)。

そしてとうとう、月曜日、校長から「Ofstedが水曜・木曜にくる」というメールが来ました。

正直、教職員一同驚きました。当初はOfstedが何の前触れもなく当日に突然訪れることもあると聞いていたからです。

それが2日も前に通達を受けるとは。しかも、今回は綿密な授業案は必要とされていないと言われていたのに、一つ一つの授業のために書いておかなければならないと言われ、みんなてんてこ舞いに。

先週まではいつ来るかまったくわからない状態で、しかも、先週はとうとう「2月には来ないのではないか、、、」とささやかれる始末。現実的にはこの何とも言えない緊張感にこれ以上耐えられないと誰もが思っていました。

「Satisfactoryどころか最低評価を受けることになるかもしれない」という警告(これ以外の言葉が思いつきません)まで校長の口から飛び出す状態で、周りの同僚と一緒に最悪の状況も覚悟しつつありました。

Satisfactoryに満たない場合はA notice to improveやSpecial measuresという通知を受けることになり、監査から数ヶ月以内に向上のための具体案と実践を見せなければ本当に最悪の場合、閉校に追い込まれます。

まぁ、最悪のケースになるとは思ってはいませんでしたが、私たちの場合、やはり、去年の試験結果が思わしくなかった事が響き、Ofstedは私たちの生徒の成績向上などを示すデータ管理・分析を厳しく追及することが予想されていました。

で、肝心な私はというと、、、。

実は、木曜日は授業が1つ。8年生の100分授業のみ。さらに木曜日は前もって予定されていた他校への研究訪問があり、学校に一日中いなかったのでした。代理授業のための教材や授業案作成は大変でしたが、自分で実際にOfstedの「恐怖」を感じながら授業するよりもずっとましでした。

Ofstedの来訪を知りながら、校長が私の他校への訪問を許した背景には、実は色々とあるのですが、とにかく私にとっては他校の教師からたくさん学べたうえに、Ofstedの訪問を免れるという何とも幸運な結果になったのでした。まぁ、私が授業をおこなったとしても、結局、その日は人文学部の教師、誰一人としてOfstedに授業観察をされなかったのですが。

さて、気になるOfstedの監査結果は、、、。

「Satisfactory」

前回が「Good」だっただけに、お世辞にもいい結果ではないのですが、Ofstedが指摘した試験結果の弱さを考慮すれば私たちがどんなに頑張ったとしてもこれ以上の結果を出すことはできなかったようです。

私がこの結果の連絡を受けたのは木曜日の夜6時。同僚が携帯のメッセージで知らせてくれました。心臓をバクバクさせながら携帯をチェックし、Satisfactoryの文字を見た瞬間、もう何ともいえない脱力感が。嬉しさで飛び上がるというよりは、もうほっとする気持ちだけでした。

その夜は3ヶ月ぶりに本当にすっきりと眠れたように思います。脳みそがしっかり休んでくれました。

おかげで今日の授業はペースもよく、生徒もいつもより反応がよく、積極的に課題もやってくれて大満足の結果に。他校で学んだテクニックを活かせた事もプラスでした。こんな気分はほんとうに久しぶりでした。

これからももちろん、我々の教師としての生活は続くわけですが、少なくとも「生徒の成績のレベルが、データが、、、」とあたふたせずに授業に集中できます。

とにかく、まるでちょっと早い春の到来を感じるような金曜日でした。

投稿者 lib : 05:53 PM | コメント (2)

February 07, 2009

Here comes the girls

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昨日の放課後、学校内の劇場で開かれた生徒のダンスショーを観てきました。

GCSEという試験コースの生徒(10年生と11年生)を中心に、中学生も何人か出演していました。

実はこのショー、年末に開かれる予定だったらしいのですが、諸事情で延期になっていました。昼休みを利用した小さな公演はクリスマスのあたりにあったものの、100人くらいの生徒が次々とダンスを披露する大規模なショーは私も見たのは今回が初めてでした。

放課後、しかも6時からなので同僚は教頭・副教頭たちを除くとほとんど残っていませんでしたが、出演する生徒の父母、兄弟姉妹、友人らが200人ほど集まり、劇場は人でいっぱい。

私は自分が担任として持っているクラスの生徒が何人もいるし、彼女らが自分たちの踊りを披露することをすごく楽しみにしていることを知っていたので、疲れてはいましたがぜひみたいと思っていました。

6時15分、少し遅れての開演。

最初の演目に出てきたのは私のクラスの生徒たちを含む10年生達。振り付けの面白い、とっても面白いナンバーでした。嬉しかったのは生徒Kが最後に重要なパートを踊ったこと。彼女は去年から色々な事情で情緒不安定で一時は普通授業に参加せずに、RUという学校内に併設された特別な施設でセッションを受けていました。

そんな彼女が周りの生徒と息を合わせて、そして最後は堂々とソロで締めた姿はとても頼もしく見えました。

それからもう1つ嬉しかったこと。私のクラスにはEAL(English as an additional language)、つまり母国語が英語ではない生徒が3人いるのですが、彼女らの成長振りを目の当たりにできたことでした。

初めは片言しかしゃべれず、何か説明するにもベンガル語でクラスの子に説明し訳してもらわなければならないこともありました。それがここ一年で彼女らの英語力は飛躍的に伸び、たぶんそのうち何の不自由もなくしゃべれるようになりました。

そして意思の疎通が英語できちんとできるようになってからは前よりも活発な姿を見せてくれるようになり、今回のダンスショーでは他の生徒との見事な連携プレー。

この子達にはこんなに光り輝く才能があるんだなぁときれいに踊る姿を見て、本当に感動しました。子供のパワーに圧倒されました。

そして、クラスではグループで固まりがちな彼女らが、一緒に息を合わせて踊る姿は新鮮でした。まぁ、担任としては「普段もこのくらい自然に協力し合えたらいいのに」と正直思ってしまいましたが。

イギリスの公立校では日本の運動会や文化祭のように全校生徒が参加する大規模なイベントが皆無なので、教室の外で頑張る生徒の姿を見る機会はあまりありません。だからこそ、このショーは貴重な体験でした。

それにしても、このショーを作り上げるのに一番苦労したのは他ならぬダンス教師である同僚達、そして音楽や照明を担当していたテクニシャンのスタッフでしょう。

100人の生徒をまとめ、指導するのはどんなに大変なことだったでしょう。昼休み、放課後とリハーサルに一体、どれだけ時間をかけたのか、、、。頭が下がります。

でも、これからもこういうショーを度々見せて欲しいなと思いました。

来年は11年生になる彼女達。担任を持つのは初めてだった私と7年生のときから一緒に成長してきた彼女達。

彼女らの担任でいるのも考えたらあと一年半です。あの子達はこれからもっともっと成長していく。そして、いつか離れて行ってしまう。それが嬉しいような悲しいような。ちょっと複雑な気持ちになった私でした。

投稿者 lib : 04:17 PM | コメント (0)

January 31, 2009

近づく足音。

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ここ数週間、学校に変な雰囲気が漂っています。

その主な原因は数週間前にもお伝えしたように2月に「Ofsted」の監査が入るせいなのですが、、、。

クリスマス前までは校長を始め、経営陣一同、Ofstedの最高評価である「Outstanding」を目指しましょうと盛り上げムードでした。

それが先週、今週と急激に変化を見せたような気がします。Ofsted準備の一環としておこなわれた模擬監査での評価は非常に良くないもので、もしかしたら下から二番目の評価である「Satisfactory」に留まる結果になるのではないかという疑念がちらつき始めたのです。

私自身も今週初めは色々なことが重なって精神的に落ち込む場面が多く、ただでさえ色々な採点物に追われて疲れているのに、かなり気持ちが下降していました。

「いますぐ教師をやめて日本に帰ったら、、、」なんてネガティブな考えが頭に張り付くほどでした。完全な現実逃避状態です。

生徒は教師のストレスや疲れを敏感に感じ取ります。知らず知らずのうちに教師の表情、声の調子、ジェスチャーに余裕のなさが表れるのですね。

そういう時は生徒も落ち着かなくなります。こちらもエネルギー不足でぐいぐい生徒を惹きこんで行く様な勢いのある授業ができなくなりますし、そこにわざと漬け込む生徒もいます。

そうするとまさに悪循環。なかなかまとまらなくて、さらにいらいらがつのり、、、といった感じで最悪なのです。特に難しい9年生の100分授業がいつもの倍のつらさに感じられます。

そして自分で自分を駄目教師扱い。後ろ向きな気持ちが大行進を始めるわけです。

そんな状態に久々に陥った私がいつもすること、、、。

一人で抱え込まない。

私には同じ年頃の同僚が多いのですが、彼女らに話を聞いてもらったり、アドバイスを貰ったりして心を落ち着かせます。

聞いてくれる存在がある。一人で闘わなくていい。これって本当に幸せなことですね。

もちろん最後は自分のクラスの生徒・授業なわけですから自分で向き合って対処しなくてはいけませんが、それでも誰かと情報を交換する、他の教師の話を聞くことは私の力になるし、何よりもいざという時は私の後ろに立って支えてくれる存在があることは非常に頼もしいのです。

このおかげで木曜日の授業は9年生が2クラスあったにもかかわらず、ポジティブに授業ができたと思います。生徒もその私の心の元気さを感じ取ってくれたのでしょうか、いつもよりよくついてきてくれたと思います。

また一週間が終わり、今もふとカバンを見やればマーキングしなければいけない生徒のノートの山が。そして、月曜の授業準備、やり残したOfstedの準備も。

来週月曜日はもう2月。つまり、ここから一ヶ月はいつOfstedが来てもおかしくない状態になるわけです。早く来て欲しいような、エネルギーが充填できる2月のハーフターム休暇後に来て欲しいような。あぁ、できればずっと来て欲しくない、、、。

とにかくまだまだ心休まらぬ日々が続きます。

投稿者 lib : 02:58 PM | コメント (2)

January 24, 2009

東ロンドンで韓流体験。

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イギリスに来て6年半。

もともと流行りモノに疎い私でしたが、イギリスに来てからはそれにさらに拍車がかかり、こちらの日系の情報誌に載っている芸能人のニュースや音楽のチャートを見ても、知らない名前のほうが多くなってきました。

さらにはここ数年前から日本で韓国のドラマが流行り、俳優や歌手の進出も多くて、「韓流」なんて言葉もあるということは一応把握していました。

ただ、日本にいる友達が「ヨン様」と叫んでいても(あ、この時点ですでに古い?)、韓国のアイドルグループ(名前が思い出せません。でも、ジャニーズ系に似てる)に燃えていても、母親が韓国のドラマにはまっていても、私自身、実際にネットなどで目にすることはありませんでした。

ところが、なんと数日前、「韓流」に関して私の生徒から教えを受けるという奇妙な機会がありました。

それは火曜日のお昼休みのこと。学年集会での研究発表に向けて練習をしたいと言う9年生の生徒たちに教室を開放し、私自身もお昼を食べながら採点などをして過ごしていました。

すると、ひととおり練習を終えた生徒の一人生徒TがUSBフラッシュメモリ(USBスティックっていわれてるあれですね)に入ってる音楽ビデオをコンピューターで再生しはじめました。

その子ともう一人の生徒Eは去年、私が日本語を少し教えていた大の日本好き。アニメも音楽も日本のものが大好きです。

また日本の曲かなと思ったら今回は違いました。流れてきたのはR&Bスタイルの曲。ところが、歌詞が英語じゃありません。でも、日本語でもない。どこの音楽かと不思議に思って画面を見ると、東アジア人の男の子(私から見るとどうみても17-8歳くらいに見えます)のグループが踊りながら歌っているじゃないですか。

彼女らに尋ねると、なんと今、韓国で大人気の「東方神起」という韓国人のグループだそうで、彼らは日本でもデビューしているのだとか。今彼女らが相当好きなグループなようで、日本名と韓国名両方教えてくれました。よく知っているなぁと感心しているとさらに驚きの発言が。

生徒E「日本ではオリコン1位になったくらい人気の曲だよ」

私「ふーん、、、、えっ?」

イギリス、しかも日本とはほとんど縁のなさそうな東ロンドンのこの地域で「オリコン」の名を聞くとは。それをあたりまえのようにさらりと言ってしまえるとは。さすが日本通の生徒E。恐るべし、です。

ちなみに彼女たちは韓国や日本とは地球の反対側であるイギリスで生まれ育ったバングラデッシュ系イギリス人とポルトガル系イギリス人。私がもし彼女らのことを全く知らなくて、街で普通に見かけたとしたら、日本や韓国のことをそんなに知っているとはまさか思わないでしょう。

ところで、イギリスにいると小奇麗で眉毛も整えているような細身の東アジア人の男の子たちは中性的に見えることが多く、そういう感じの子達がR&B長の音楽を歌って踊る姿はかっこいいというより「かわいい」と私は感じてしまいます。彼女らの意見を聞いてみると、ちょっとフェミニンな印象を受けることには同感だけれど、容姿は関係なく、単に音楽のメロディに惹かれて聴いているのだそうです。

彼女らが言葉や文化、人種を越えて東アジアで流行っている音楽に慣れ親しみ、好きだと言ってくれること。何でしょう、すごく嬉しいんですよね。数年前までは子供たちがなかなか日本の言葉や文化、音楽に触れることはなかったような気がします。

それがここ数年、インターネットやデジタルテレビの普及で日本のアニメや音楽が気軽に鑑賞できるようになり、人気が増しました。

うかうかしていると、私の生徒のほうが日本の流行に詳しくなってしまう日が来てしまうかもしれません。あ、、、いや、もうすでに負けている?

投稿者 lib : 01:06 AM | コメント (0)

January 18, 2009

Surprise Visit

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金曜日は7年生の特別プロジェクトFlexible Fridayの授業のある日(Flexible Fridayについては2007年6月27日の過去ブログ「Freaky Fridays」を参照)です。

私が担当しているプロジェクト「Our East End」は主に東ロンドンの19世紀、20世紀初頭の女性と女性の市民権運動に焦点を当てています。

女性たちが当時、どのように生活し、実際どのような困難と向き合っていたか、そしてそのような状況で東ロンドンの労働者階級の女性たち、そして彼女らを支えた政治家や市民権運動のアクティビストたちがどうやって女性の権利のために立ち上がり、権利獲得のために戦ったのかなどを色々なアクティビティを通して学ぶのです。

具体的には私の勤務校の近くにまだ建物が残るマッチ工場の女性労働者たちの賃上げや労働条件向上のためのストライキ、そして東ロンドンが大きな舞台となったイギリスの女性参政権運動などに焦点を当てています。

ただ、このプロジェクト、単に歴史事件の内容を学ぶというよりは、この題材を通してチームワーク、資料の使い方、ディスカッションの仕方、効果的な質問の問いかけ方(effective questioning)などを学ぶのです。前にも述べた「Learning to learn(学ぶための学び)」のコンセプトが根底にあるのです。

今日のセッションもSocratic talkという哲学者ソクラテスの「問答法(相手の持つ考えに対し、疑問を投げかけることによって考えを深めていく)」のコンセプトに基づいた討論を実践してみる、というものでした。

授業が始まり、前回のおさらいをして、今日のアクティビティの説明をして、、、と授業を進めていると、突然、副教頭のVとVisitor(訪問者)バッジを付けた見知らぬ顔の女性が教室に入ってきました。

私の学校では授業の途中で色々な用で人が入ってくることは非常によくあることなのですが、いくら副教頭と一緒とはいえ、さすがに部外者が突然入ってくることは滅多にありません。

一瞬止まってしまった私に副教頭Vが「あっ、そのまま普通に授業を続けてください」と言うので、言われたとおり普通に続けました。といっても、私がしゃべり続けるというよりは、生徒が自分たちのグループでディスカッションの準備として資料を見ながら与えられた議題について話し合うというタスクを私が手伝うという形でしたが。

副教頭Vがさりげなく近づいてきて、この訪問の目的が書かれた紙を私に手渡してきました。そこにはこの授業観察が「子供と直接対話し、子供自身がどのように授業でおこなわれていることを理解し、どんな風に学んでいるか、そして、子供たちがどのように自分たちの学習を自覚し、評価しているか、教師がその過程をどのように助けているかを知る」という目的でおこなわれていること、放課後に授業の担当教師が授業観察のフィードバック(感想?)をもらえる機会があるという旨が書いてありました。なるほど、その訪問者をちらりと見ると、生徒に話しかけて色々と質問しては紙に色々と書き込んでいます。

この突然の訪問、私のほうは不思議とあまり驚きも緊張もしませんでした。滞在時間も10分強くらいでしょうか。そんなに長くはありませんでした。そして、その後は何事も無かったかのように授業は進行し、10分後には誰かが観察しに来たこともすっかり忘れるほどでした。

ところがその後、お昼休みに教職員のラウンジに行くと、例の授業観察が複数の教師の授業でおこなわれていたこと、他の教師はOfstedの予行練習のように捉えていた事を知りました。そこで初めて、「私、あれで大丈夫だったんだろうか」と、放課後に予定されている授業観察者との対話を少し不安に思いはじめました。

が、実際にはそれも杞憂に終わりました。別にするどく突っ込まれることも無く、私がプロジェクトの目的や内容、今日の授業の全体像や普段やっている取り組みの趣旨などを説明、そこに1,2点、観察者がコメントを加えるといった感じでした。ただ、私の悪い癖で質問にずばり簡潔に答えず、内容を冷静に整理せずに弾丸のごとくしゃべってしまった感が。

とにかく、面接などで間があいて沈黙が続くのが嫌でしゃべり続けるタイプ、それが私なのです。そのうち、聞かれた質問から話が外れそうになります。それを必死に戻そうとすることもしばしば。でも、そこで焦ると頭が真っ白になることも。ちなみに日本語でもやってしまいます、、、。この不得意分野、というか大きな弱点、Ofsted訪問のためにも鍛えたほうがいいなと心底思いました。

それでも、今日のこれが本当のOfstedの監査だったら良かったのにと思ってしまいます。かえって事前告知の無い電撃訪問のほうが気が楽かもしれないですね。だって、いきなり来ていきなり終わってしまうんですからね。

投稿者 lib : 02:29 PM | コメント (0)

January 08, 2009

もういくつ寝ると、、、。

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皆様、寒中お見舞い申し上げます。いつも私のブログを読んでくださり有難うございます。

昨年末には実際に私のブログを読んでくださっている方に偶然お会いしました。私のつたない文章を読んでくださる方がいると思うだけで恥ずかしいですが本当に嬉しく思います。

これからもどうぞよろしくお願いします。

さて、新学期が5日から始まり早くも一週間が終わろうとしています。今年は前々回にも書いていたとおり、Ofstedという機関による学校監査が入るので新年早々、連日のようにOfsted準備関係のメールが届きます。

学校全体もいつもと違う雰囲気に包まれているように思います。とにかくやることが多いのです、、、。

実は私のブログを読んでくださった方から「Ofstedの準備とは具体的にどんなことをやっているのか」という御質問をいただきました。今日は学校全体としてというよりも学部・学科を中心に進められる具体的な準備の内容をまとめてみます。

Ofstedの監査の基準は毎年少しずつ変化していますし、ここ1-2年ではシステム自体もだいぶ変わりました。昔は何日も何日も監査員が学校を訪問し、1つの授業をじっくり観察、各学科の文書類も事細かくチェックされていたようですが、ここ数年は授業観察も時間は1つのクラスにつき15分程度だけれども、生徒に直接質問をしたり、生徒のノートをランダムにチェックしたり、彼らが自分の到達レベルをどう理解し、向上するための目標を自覚しているかどうかなど、生徒を主体にみる傾向にあります。

そして、学科・学部がどんな内容をどう教えているか教えているかだけでなく、我々教師が生徒の能力・到達度などをどのように理解・分析・判断し、生徒の学びの向上のためにどのような取り組みをしているのかを審査されます。

そのとき重要なのは、「Self-evaluation(自己評価)」。我々が現在重点的に取り組んでいること、向上した部分、そして改善が必要な部分を自分たちで評価することです。ここ数年のOfstedの関心はここにあります。

そのための具体的なプラン(Development planと呼ばれます)を練ることは重要で、それを示せなければその学校は「向上のための努力を怠っている」ということで監査をパスできません。

要するに今現在の実力や弱点を必死に気にするよりも、今後のために自分たちのstrengthとweaknessを知り、どんな取り組みをおこなっていくのか自覚することが求められているのです。

ですから、Ofstedの準備というと各学部・学科が証拠として以下のようなものをしっかり用意しなくてはなりません。

1、 Department・Faculty Policy-その年の学科・学部の運営指針をまとめたもの(学習に関することや生徒指導についてなど様々な点を含む)。
2、 Faculty SEF(Self-evaluation form)-学部学科の自己評価表。
3、 Development plan – 自己評価を元に作られた計画表(Action pointsといわれる達成目標とそのためにおこなる取り組みを明示する)。
4、 G&T provision-各学科において特別な能力・技術をもっている生徒たちをさらにどう伸ばすのか、その指針。
5、 各学部の学習指導要領
6、 Assessment portfolio -我々が生徒のwork・assessmentをどう評価しているのかを示すためのサンプルフォルダー。例えば、生徒が書いたエッセイとそれに与えられた教師の評価(点数、レベル、そして具体的なコメント)のサンプルをファイルにまとめます。特にイギリスの歴史の課題は暗記・短答式のテストがほぼ皆無なので評価が難しいため、教師の間の評価のばらつきを防ぐためにどんな取り組みをしているのかをAssessment portfolioのなかで示さなければなりません。つまり、一番高い評価を得た生徒のもの、平均的なもの、平均以下のものなど、各レベルごとにまとめて、各教師がそのサンプルを評価の基準として参考にすることが必要とされています。
7、 Self-evaluation sheets -これは生徒が記入するもので、生徒の自己評価と目標設定をするためのフォームです。私の学科では歴史で必要なスキル(歴史文書の解釈など)、学習態度など様々な点を子ども自身が5段階で評価します。その上で自分のStrengthとこれからの目標を定めて書いておくのです。
8、 Target sheets-これは一人一人の生徒の現在の到達レベルと、次のレベルに到達するための目標を示したフォームです(このレベルを決めるために大量の採点物をこなさなければいけないんですよね~。つらい!)。教師が記入し、生徒たちのノートに貼っておいて、彼らがいつでも見られるようにしているミニ通信簿という感じでしょうか。レベルばかりにこだわる政府に半ば閉口している私ですが、近年Ofstedは生徒自身に「今のあなたのレベルは?」「次のレベルに行くためにどんなことを目標にしているの?」と突然質問を浴びせるのが好きなのです。生徒が答えられなければ「この学校は生徒の学習に関する自覚を育てていない」ことになってしまうのです。歴史理解とそのための知識・スキルを数字でたった一つの数字で示そうなんて不可能に近いのですが、学部としては他に選択肢がないのです、、、。

と、大変読みにくい今日のブログですが、少しでもOfstedがどんなものか伝わればいいのですが。ただ、私が述べたことは学部・学科に関することの一部に過ぎず、学校全体の評価には他にも細かい要素が山ほどあります。それにしても、こうして並べると学部・学科に関してだけでも書類のオンパレードですね。

さあ、Ofstedまであと一ヶ月ほど。といっても具体的に何日に来るかというのは前日、最悪の場合当日の朝まで知らされないので結構恐怖です、、、。

これからちょっと緊張する毎日が続きそうです。

投稿者 lib : 11:38 PM | コメント (2)

December 22, 2008

デビュー報告。

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金曜日、今学期最終日。

大きなスポーツホールに12,13年生を除く全校生徒1000人ほど、そして教職員が集まったクリスマスショーで同僚R率いる教員バンドは見事にデビューを果たしました。

ショーは11時過ぎに開始。教員のグループと生徒のグループがほぼ交互にパフォーマンスしていく構成です。プログラムでは私たちの出番は6番目くらいなのでそれまでは他のパフォーマンスを生徒たちに混じって見ることに、、、。

Access and Inclusionという科の同僚たちはティーンエイジャーの間で爆発的にヒットしたHigh school musicalという映画に出てくる曲でマイム(歌は口パクで踊りだけおどる)をして歓声を浴びました。

そして、同じ学年の他のクラスの担任を持つ英語教師Aは(これは本当に意外でした)クラスの生徒たちのバックコーラスに助けられながらソロで歌を披露。

生徒たちと教師たちの合同のパフォーマンスは他にもあり、趣向をこらしたパフォーマンスがいっぱい。それから、色々な科の男性教員数人が流行のボーイズグループの曲を歌うと生徒達は大興奮。本当に多彩な内容でした。

そして、いよいよ我らが教員バンドの出番。(あ、そういえば、私たちのバンド、名前がありません)

出だしと曲のリズムを決めるのは私のシンセサイザーの音なので、第一音を鳴らす瞬間はかなり緊張しました。が、始まってしまえばこっちのもの。最後まで同僚一同楽しくパフォーマンスできました。

実際、ほとんど子供のように同僚たちとはしゃいでいましたね(笑)こういうことを普段やりなれない私たちにとっては相当なチャレンジだったわけですが、とにかく新鮮で楽しかったのです。指導してくれた音楽教師R曰く、これはまだまだスタート地点だそうで、来年まで活動が続けられたらもっと難しい曲が披露できるかもしれません。

私たちのパフォーマンスの後にも何人かの教師、生徒が引き続きパフォーマンス。なかでも11年生のAがマライア・キャリーのHeroを見事に歌い上げるともう全校うっとりでした。

と、ショーは生徒と教師のパフォーマンスで感動的に終わるはずだったのですが、、、ですが!

最後に強烈なのがありました(笑)

プログラム上では理科の男性教師二人がトリを務めることになっています。ただ、リハーサルも無かったので何をするのか関係者以外誰一人としてその内容を知ることはありませんでした。

そう、あの瞬間までは。

大音量で突然流れ出したのはCheeky GirlsのCheeky Song(あのルーマニア出身の双子のユニット。4-5年前のこのデビュー曲は一回聴くと耳から離れません、、、色んな意味で)。

そして、生徒がひしめき合うホール後方のドアから突如現れたのは、体にぴっちりと密着するタンクトップに太もも丸出しの(これまたぴっちりな)ショーツで身を固め、かつらにど派手なメイクをした同僚Jと同僚I。

初めは何が起こっているのかわからなくてざわめく生徒たち、そして一部の生徒の歓声(もしくは悲鳴?)。

一部の同僚から「見るに耐えない」と酷評を後に浴びたこのパフォーマンス、生徒には大うけでした。一時、生徒総立ち状態になり、まわりの同僚と興奮する生徒を抑え、座らせるのに苦労したのは言うまでもありません。

私はあまりのビジュアルのキツさ(笑)に数秒間放心状態でしたが(同僚いわく、本当に口をあんぐり開けてあっけに取られていたようです)、一応最後までなんとか正視することができました。

この捨て身のパフォーマンスには同じ教師として脱帽でした。だって絶対に真似できませんから。しばらく(もしくは一生?)は生徒のネタにされるにこと決定ですね。

ところで、普段から私たちに「教師らしい服装を」と呼びかける校長Aの心のうちは果たしてどんなものだったのでしょうか。心なしかショーの後の教員のクリスマスランチでの彼女の表情は非常に硬かったような。

同僚JとIの今後が少し心配、いえ、かなり真剣に心配になった私でした。

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December 15, 2008

デビューまであと一週間。

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今週はあっという間でした。なにせ、月曜日はEidで学校が休み。

1月末か2月にOfstedという機関の学校監査がうちの学校に来るので(これについては今度たっぷり書きます、、、)、火曜日はその準備日として授業がありませんでした。

そうなると一週間はあっという間で、気づいたら金曜日。

金曜日といえば、放課後に毎回お楽しみのあれがあります。

「あれ」というのはですね、以前ブログで書いた教員コーラスのことではないんです。実はコーラスのほう人が集まらなくてすっかり御無沙汰で。

その代わりに、先々月くらいから音楽教師のRが立ち上げた教員バンドに参加していたのです。

メンバーは様々。演劇の先生や歌の先生をはじめ、理科、宗教、フレンチの先生たち、EAL(英語が母国語じゃない生徒を専門的にサポートする先生)の先生など。

さて、私の担当楽器はというと、、、なんと、ミニサイズの「シンセサイザー」。

歌でも良かったんですが、ポップスやロックを英語で歌う自信がいまいちなかったので、ピアノかキーボードを希望したところ、「これやってみて」って。

「あの、シンセサイザーなんて使ったこと無いんですけど」

と、とまどう私に同僚Rはシンプルな単音のメロディを弾くよう指示。

「ちぇっ。単音かい。せっかくピアノ習ってるのに」と内心がっかり。

でも、でもですね、すごいんですよ、シンセサイザーって。音色を簡単に変えたり、単音に好きなスピードでリズムをのせられるんですね。

1つのキーを押すと「ドドドドドドド」みたいに連続音に聞こえるんです(ってわかりにくいでしょうか)。単音だけ弾いてるのに音は妙にゴージャズ。しかも、私が短いイントロを弾いた後に皆が加わるのでちょっと得意な気分になれます。

とにかくこれ以来、この子が毎週金曜日の私のかわいいおもちゃになりました。同僚も「いいねー、それ」と弾きたそうに見つめてくるくらいです(笑)。

ちなみに同僚Rが私たちに選んでくれた曲はTainted Love。80年代にSoft Cellがカバーしてヒットした曲です。イギリスではずいぶんはやったようで誰に聞いても「知ってる~」と言われます。

元々ノリのいい曲な上に、みんな一週間溜まったストレスを見事に発散するので毎回大盛り上がり。そんな私たちに先週、同僚Rが爆弾発言。

「学期末のクリスマスのスタッフショーへの出演決まったから」

、、、スタッフショー。去年は教員コーラスとして出たあれです。全校生徒が見ている前でパフォーマンス。

音楽教師以外は楽器、ほぼ素人な私たち。それがいきなりデビューです。

これは全校生徒の笑いものにならないように頑張らなければ、、、。

投稿者 lib : 12:27 AM | コメント (2)

December 05, 2008

Henna体験

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えー、、、今日は私のHenna体験について。

「Henna」=「変な」ではありません(寒い?)

「Henna」= 植物の「ヘナ」です。

日本ではヘナの髪染めが知られるようになったようですが、私の学校の生徒の間でHennaといったら主に中央アジアや中東、北アフリカのムスリム(イスラム教徒)のコミュニティで手や足などに施すボディアートに使う染料のことです。

細い円錐型のチューブから細くHennaを出して、手のひら、甲や足、腕などに綺麗な草花模様や幾何学模様を描くのです。

こちらではHenna Tattoと呼ぶ人もいますが、正式にはMehndi(メンディ)と言います。そして、このメンディ、伝統的には花嫁さんがするものだったようで、ムスリムの女性たちは結婚式を挙げる前(何日前だったかは忘れましたが)に、女性同士で集まってMehndiを施すようです。

それが今では以前のブログにも書いたようにEid(イード)などの大きなお祭りの前には子供から大人、女性からどうやら男性までメンディを施す習慣があるそうです。生徒に聞くまで男性もやるとは知りませんでしたが。

うちの学校の生徒たちもEidの前にはイスラム信仰の柱の一つであるチャリティ活動の一環として、教師や生徒に募金してもらう代わりにメンディを無料でサービスする子たちが目立ちます。今回も月曜日に今年二度目のEidが来るので、ちらほらメンディをした生徒を見るようになりました。

今日も廊下で休み時間に見回りをしていたら7年生の生徒たちがやって来て、「先生、昼休みに先生の教室を使ってもいいですか?」と聞かれたので理由を尋ねると「皆でチャリティでメンディをしたいから」という答えが返ってきました。

子供が自分たちで施すメンディ、、、きっと腕もデザインも大したこと無いだろうと思うと実際見たときに驚くと思います。今まで何作品も見てきましたが、彼女らのデザイン、もちろん色々な場所で学ぶのだと思うのですが、非常に美しいのです。そして、素晴らしいスキルを持った子がたくさんいます。そういう子はまわりからも一目おかれる存在のようです。

さて、「昼休み、、、仕事が溜まってるなぁ、どうしようかな」と一瞬思ったものの、「たまにはいいか」と思い、教室を使用する許可をあげると生徒たちも嬉しい様子。

そしてすかさず私が言った言葉。

「じゃあ、部屋を貸す代わりに先生にもやってちょうだい」

そう、自らもメンディのおねだりです。

生徒たちは快くOKしてくれました。私は手のひらに描かれるのには抵抗があるので手の甲にかわいい花模様を描いてもらうことに。

途中、チューブからのヘナの出が悪くて苦労していましたが、見事7年生の女の子が素敵なお花を描いてくれました。

「いくら募金すればいいの?」と聞くと30ペンスくらいという謙虚な答えが、、、それはさすがにと思い、1ポンドあげたのですが、「お花1つしか描いてないのにこんなに悪いから明日また何か描いてほしかったら描きますよ」という親切な反応が返ってきました。

私はイスラム教徒ではありませんが、メンディを通してなんだか彼女らと大切な繋がりができたようでとても嬉しかったです。

その後の授業でしっかりと10年生にメンディ施術後の長持ちさせるためのお手入れ方法を聞いたので、このお花、しばらく大切にしようと思います。

投稿者 lib : 12:45 AM | コメント (0)

November 28, 2008

心が一気に階段を駆け上がった日。

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先週は暗い話題だったので、今週は私の幸せ話を1つ。

つい先日の放課後、6th form Open Afternoonというイベントがありました。6th formとは普通、大学進学のためのA-levelのコースやもっと職業訓練を目的としたVocational courseがある学校なのです。

私の学校のようにSecondary schoolそして6th form一環校の中だと12年生、13年生と呼ばれる生徒たちの学年です。

6th form が無いSecondary schoolならば、生徒は願書を出して行きたい6th formへ進学します。

うちの学校は女子校なので、中には「共学に行きたい」と言って外部進学したり、うちの学校よりもレベルの高い6th formへの進学を希望して出て行く子も多いようです。

そんな事情もあって、学校側はなんとか6th formの生徒数を増やしたいようですが、11年生までの人数と比べると私の学校の6th formの規模は決して大きいと言えません。

さて、前述の6th form open afternoonは現11年生と外部生にうちの学校の6th formをアピールするという目的で開かれます。

生徒や親がそれぞれの学科が用意している展示を見て回り、直接担当している教師とコースの内容について話をするというものです。

今年は同僚Mが最初のセッションを担当。外部者も来る二つ目のセッションは私が担当しました。

が、予想通り、外部から見学に訪れる人はかなり稀。結局、全体的に人もまばらで、私は割り当てられた部屋でほとんどの時間、一人むなしく生徒の課題を採点していました、、、。

と、そこに突然、校長Aが現れたでありませんか。それぞれの学科の様子を見に来たのでしょう。私にもどんな調子かどうかいくつか質問をしてきました。

そして、そのまま歩き去ろうとした瞬間、突然彼女は何かに思い出したように止って振り向きました。

「そうそう、そういえばずっと言ってなかったことがあったのよ」

ネガティブマインドな私は「えっ、私何か悪いことした?」と緊張。

そしたら、なんと、、、。

「よく10年生の生徒と会って話をするんだけどね、その子達がMiss ○○(私の名前)の歴史の授業をとってる。Missの授業が楽しくて好きです、って言ってたのよ。ずっと教えてあげなきゃって思ってたのに、なかなかチャンスがなかったわ~」

と私があまり反応を示すまもなく彼女は軽やかに去っていきました。

残された私が一人にんまりしたのは言うまでもありません。

確かに今年の10年生のクラス、全体的に活気に満ちており、歴史好きが揃っています。一体、その子達だったのかはわかりませんが、校長にそんないいこと言ってくれるなんて、泣かしてくれるじゃありませんか(でも、おしゃべりが過ぎる子も多いので今日も厳しく叱ってまいりましたが)。

とにかく、退屈な午後が急にキラキラに変わった瞬間でした。

投稿者 lib : 10:15 AM | コメント (4)

November 23, 2008

作戦会議。

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今学期も恐ろしいことに残すところ一ヶ月になってしまいました。

あれもこれもと毎日、様々なことに追われながらなので、一週間は本当にあっという間に過ぎてゆくのです。

さて、今週は放課後にミーティング続いて忙しい上に、9年生で私を一番悩ませているクラスの授業が水曜日、木曜日と続く気の重い週でした。

私の学校は二週間で1サイクルのタイムテーブルです。9年生は100分授業一回と50分授業が一回、二週間で150分歴史を学びます。

このWeek Bと呼ばれる週。水曜日はこの9年生のクラスの100分授業があります。

「I don’t care」「(授業も始まらないのに)This is boring」と平気でのたまう生徒が集中するクラス。その生徒たちを相手に100分の授業は正直言って非常に難しいです。

実は彼らを教えるのは今年が初めて。学生指導の上手な同僚Mが去年は途中から担当(一年の途中で担当していた同僚がやめたので)していましたが、彼女が「このクラスはどうしても好きになれない」と言っていました。

今までも9年生を教えるのは一番難しいという認識でしたが、同僚Mがそんなことを言うのはめずらしいので9月に初めてクラスに会ったときは久しぶりにかなり緊張していました。

まぁ、初めの数回は順調に授業も進み「杞憂だったかな」と思ったものですが、その後すぐに同僚Mの言葉の意味を嫌でも知ることとなりました。

なにせ、5分と黙っていられない子が多数。一度静めても数分後にはおしゃべりが始まる、、、。考えられる様々なテクニックを使ってみるものの、クラスとして上手にまとまってくれません。先頭きって教師を怖れない態度をとる生徒数人に他の生徒も追従するような雰囲気なのです。

それから、やはり7年生から教えてきたクラスとそうでないクラスでは、生徒との間の信頼関係作りも難しいのです。9年生はすでに学校にも慣れきり、隙があれば横柄な態度をとる子供も多いので要注意です。

去年は9年生で学年の途中から担当したのにも関わらず上手くいった例もありましたが、私はやはり毎年教え続けてきたクラスは教えやすく感じます。

例えば今年の10年生のクラス。過去3年間で必ず一年間は私が教える機会のあった生徒たちが多数です。生徒も私を信頼してついてきてくれているように思います。

やんちゃだった子も10年生になって落ち着いたし、数ある選択授業の中で歴史を彼女ら自身が選択したことが大きいからかもしれませんが、彼らが失礼な態度を取ったり、おしゃべりをした時に厳しく指導しても、決して悪びれたり、強く反発することがないのです。悪かったことは素直に謝る雰囲気がクラスにあります。

この9年生のクラスの子供たちが少しでもこういう心構えでいてくれたらどんなにいいことか、、、。もちろん、全員が手の付けられないほど態度が悪いわけではないのですが。

担任のJとO, 学年主任のAも彼女のボスである教頭のRもこのクラスともう1つのクラス(私は担当していません)には頭を抱えているようです。同僚他の間でも「明日あのクラスなんだよね、、、」というと哀れみと同情の視線をお互い隠せません。

そういうわけで、水曜日の放課後にはとうとう、上記の同僚O,AそしてRと人文学部の中でこのクラスを担当する教師たちが集まって、どうやって彼らに対処していくのか話し合うためのミーティングが開かれました。

私は教師5年目になってもまだこうして生徒指導で頭をかかえる自分が情けなくも恥ずかしくも思っていましたが、このミーティングに参加して、他の教師と話し合ううちに協力して諦めずに頑張ろうというポジティブな気持ちが戻ってきたように思います。

これまで度々、これがあと二学期以上続くのかと同僚一同、くらーい気持ちになっていたので。

おかげで心機一転、木曜の授業は私の迫力を感じたのか、生徒たちは文句も言わずに授業中に課題をこなしていました。自分のやりたい授業像とはかけ離れていますが、少し前進したように思えました。

ただ、この日の小さな成功は単に一番態度の悪い生徒のうち2人がこの日、停学中だったのが大きな要因であったのは否めませんが。

彼らとの「戦い」はまた二週間後。なんとか少しでも良い方向に進み、「戦い」から「調和」が生まれますように、、、。

投稿者 lib : 11:50 PM | コメント (2)

November 15, 2008

心温まる午後。

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今日はFlexible Fridayというプロジェクトの一環で、私の学校周辺にある歴史的建造物や歴史的人物の石碑などを見せに7年生を学校の外に連れて行きました。

私の担当するプロジェクトは私の学校のある東ロンドンの歴史を学ぼうというもの。普通の歴史授業と違ってクラスサイズが20人と小さいこともあり、普段できないアクティビティをたくさん取り入れています。

今日の「Walking Tour」(徒歩で名所を色々回るツアーをよくこう呼びますね)でも、ただ現場を訪れるだけでなく、授業で得た知識をつかって生徒同士がその場所に関する質問をしあうというインタビュー形式のアクティビティをおこないました。

最近学校が購入したビデオカメラも持っていって生徒のインタビューの様子を撮影。途中で同行した同僚Aの発案で生徒全員で即興でドキュメンタリープログラム風にしたり、、、。NG連発に皆で大笑いしながらとても楽しいツアーになりました。

でも、ツアー中で私の心を一番温めてくれたのは授業内容に関することではなく、生徒Jとの会話。

私は目的地に向かう生徒の列の最後方にいたのですが、彼女は私と並んで歩いていました。とっても体の小さい、はたから見たら小学生じゃないかと思ってしまいそうな可愛らしい女の子です。

その彼女が授業の始まる前にちらりと「お母さんが赤ちゃんを生んだ」と言っていたので、歩きながらふと「いつ生まれたの?」と聞くと、何と昨日。

月曜から入院していたお母さんが今日は赤ちゃんを連れて帰ってくるそうです。そして遠方からもたくさんの親戚たちがお祝いにやってくるそうです。もう彼女はうきうきして仕方がない様子。

実は彼女、妹や弟ができるのは初めてではなく、下にすでに年がそんなに変わらない弟と6歳の妹がいるそう。今回生まれた女の子を入れて4人きょうだいになったわけです。

そんな彼女が言った言葉。

「今日は私の人生で一番幸せな日。」

11歳の小さな女の子が胸いっぱいに感じている幸せ。それを素直に言える純粋な心。私の心まで温かくなりました。一体「あぁ、人生で一番嬉しい瞬間!」と私が最後に思ったのはいつだったか、、、。


「私はね、長女だからこれからいっぱい妹と弟のお世話を頑張らなきゃ!オムツの替え方も頑張って覚えなきゃ!!」と誇らしげに語ります。

「大きくなって弟と妹がいたずらしたり、悪いことしたら叱らなきゃだけど、でもやっぱり私は妹と弟たちのそのままが好き」と言った彼女。彼女の言葉には愛情が溢れ、その姿は本当にまぶしいものでした。

きっと今頃、彼女の家では彼女の家族とお祝いに来るたくさんの訪問者たちと一緒に生まれたばかりの妹を囲んで幸せなときを過ごしていることでしょう。

そんな彼女に感化され、私も日本にいる家族のことを久しぶりにゆっくり考えたのでした。

投稿者 lib : 11:53 PM | コメント (0)

November 10, 2008

ガジェットオタクの心をくすぐるヤツ。

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先週はここ数年のIT技術導入によるイギリスの教育現場の変化について書きました。なんと、今年はさらに「ガジェットオタク教師」月子の心を刺激するものが登場しました。

その名もFronter。

今イギリスの教育界でさかんに騒がれているvirtual learning environment(VLE)やmanaged learning environment(MLE)とよばれるコンセプトに基づいて導入されたコンピューターシステム(プログラム)です。

あるサイトではこのシステムを’a set of teaching and learning tools designed to enhance a student's learning experience by including computers and the Internet in the learning process’ と説明しています。 

平たく言えば、教師と生徒、教師同士、生徒同士がネットと接続されているコンピューターを通してコミュニケーションをとることを可能にしたり、生徒の学習を助けるためのシステム。

従来のようにやみくもに生徒がWebにアクセスして情報を得たり、教師と生徒がE-mailなどでやり取りをするのではなく、Fronterというプログラムはその学校に属し、アカウントを持ったユーザー(つまり教職員と生徒)だけがアクセスできる空間であり、実に様々な機能が備わっています。

具体的にどんなことができるかというと、例えば、教師がFronterのサイト内に担当する各クラスのためにホームページみたいなものを作成できます。

Fronterは学校に在籍する生徒の個人情報(成績、出欠率、学習障害の有無など)を管理するSIMsというシステムと互換性があり、Fronter上で各クラスにアクセスすると生徒の名簿が見られるわけです。例えば、9年E組のページはそのクラスの子供だけがアクセスできるようになっています。ちなみにページを作成する権限は基本的に教師にのみ与えられています。

そこには教師からのメッセージや写真を載せるばかりでなく、様々なリンクを貼ることができます。例えば、授業で教材として使うPowerPointやWordの文書を載せておいたり、生徒に見せたいビデオクリップを載せたり、宿題としてやらせたい課題を載せたりも出来るのです。

また、生徒同士、または生徒と教師が意見交換が出来るフォーラム(掲示板のようなもの)を作成したり、生徒にアンケートをとったり、投票させたりすることもできます。単にメッセージを送りあうことも可能です。

さらには、生徒がやり終えた課題(例えばWordを使って書いたエッセイなど)をアップロードすることができ、クラスのページから直接教師に提出することもできます。教師は各クラスのページで課題提出を終えた生徒、そうでない生徒を一覧できます。

Fronterを使ってmultiple choice (あらかじめ複数の解答の候補が与えられた問題)の問題を作成しておけば、生徒が提出した際に正答かどうかのチェックもFronterがおこなってくれ、点数も付けてくれます。

このFronter,一応夏休み前に導入されたものの、我々教師は研修もまともに受けないままで新学年に突入してしまい、なかなか活用されることの無いまま数ヶ月が過ぎた状態でした。

一応、飛び入り参加OKの研修会も度々ありましたが、ミーティングがあったり、授業があったりでほとんどの教師が参加できないまま。ハーフターム前にようやく学校の上層部も重い腰を上げ、半日を費やして教師の一斉研修をおこなったのです。

私自身も「Fronter?そんなことやっている場合じゃない。生徒のノート150冊も採点しなきゃなのに!」と休み前は全く余裕がありませんでした。

が、この研修でFronterに一気に惚れました(笑)

とっつきにくいシステムではありますが、一回使い方を覚えれば、ページの作り方も、リンクの貼り方も、フォーラムの作り方も簡単です。でも、プログラムのことを何も知らない素人の私でも色々なことができてしまうわけです。

イギリスではどうやら2010年までに全ての学校でこのVLE・MLEを導入しなければならないようです。

なんというか、すごい時代に教師になったんだなぁと実感させられます。もちろん、生徒と直接交流することが大前提なわけですが、このFronter, 上手に使えば授業を欠席した生徒やコースワークが遅れがちな生徒、復習をしたい生徒などを効率よくサポートできる便利なシステムだと思います。

さぁて、次はどんな機能の使い方を覚えようか、、、。

ガジェットオタク心をくすぐられる毎日です。

投稿者 lib : 12:45 AM | コメント (0)

November 03, 2008

「ガジェット」オタク教師。

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実は私、典型的な文系人間として生きてきたため、ITの勉強なんてしたことないですし、コンピューターの中身が一体何なのかをほとんどわかっていません。

が、妙に面白い機能満載の携帯やらパソコンのプログラムに好奇心を燃やしてしまいます。

要は「Gadget(ガジェット)」オタクなんです。Gadgetとは英語で「目新しい道具、面白い小物、携帯用の電子機器」などのことです。

しかも、ガジェットオタクの特性なのか、こういう電子機器はマニュアルを読みながら使うよりも自分で新しい機能を発見したりして使い方を覚えていくのが好きでたまりません。

まぁ、もちろん私のIT知識ではガジェットを使いこなすにも限界はあるのですが。

ここ数年、この私の「ガジェット探求力」が教育現場で活かされつつあります。

実は、イギリスの学校では公立でも各教室にInteractive whiteboardとよばれる電子黒板(コンピューター、プロジェクターと連動しており、専用のペンを使うと黒板のように自由に文字を書いたり、コンピュータースクリーン上のものを自由に投影できる便利なホワイトボード)があります。

私が5年前に初めて勤務校に来たときには各教室にコンピューターも無く、プリント、教科書、そしてOHP(透明のフィルムに手書きで文字を書いたり、資料を印刷して、光をあてて壁に投影する器械です)を使った授業が主流でした。

かろうじて学部に一台、モバイルのプロジェクターとラップトップコンピューターがありましたが、20人近くいる同僚との共用ですから使うことはまれでした。

それが今ではOHPは化石のような扱いになり、授業でプロジェクターとパワーポイントを使った授業はごく普通になったわけです。板書もほとんど必要がなくなり、直接ワードかなんかで文字を打ち込めばそのままホワイトボードに投影されるわけです。

おかげで「先生の文字が読めないー」なんていう生徒からの苦情も減りました(笑)

自称ガジェットオタクの私にとって、パワーポイントのスライド作りは骨の折れる作業ではありますが、私にとっては非常に楽しい時間でもあります。常に新しい機能を探求し、その機能を活用できた時は一人で喜びをかみしめます。

とういうわけで、この数年間の新技術投入による教授法の変化は相当なものです。授業にITをより多く取り入れることが奨励されていいます。

便利になった反面、教師が常に新しいIT技術に目を向けていなくてはならなくなりました。私も波に乗り遅れないように、これからもせっせと自己トレーニングを続けていくわけであります。

投稿者 lib : 10:20 PM | コメント (0)

October 23, 2008

ES

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今年になって初めて体験するようになったことがあります。それはES dutyというものです。

ESとはEmergency Supportの略です。これはいわば、授業中の教師をサポートするシステム。Dutyは日本語だと義務、ですね。

普通、生徒の間で激しい口論がはじまったり、生徒の態度が非常に悪く授業にも悪影響を及ぼす状態など、教室で生徒が問題を起こした時には、いくつかのステップを踏んで解決することが教師に求められます。

大抵は、居残りをさせる・隣の教室に「送還」されるなど「今態度を改めないとこういう罰を受けることになるよ」という警告を与えると生徒も落ち着くものなのですが、それでも聞かない場合は落ち着かせるために廊下に少しの間立たせておいたり、その場で他の先生の教室に生徒を送ります(生徒はこれをされるのが嫌いです)。

それでもクラスが収まらない、学部内の教師同士の協力では状況が解決できない場合にその時のES Dutyを課せられた教師が教室に呼ばれます。

私の今年の時間割には私もこのESとして待機しなければいけない時間が二週間に一回あり、その時は学校が管理している携帯電話を校舎内で持ち歩いていなければいけません。そして、問題が発生したら携帯に電話がかかってきて呼び出されるというわけです。

私の場合、高学年しかいない校舎担当なので割りと授業は落ち着いている傾向にあり、しょっちゅう呼ばれることはありませんが、一度は学校内でも有名な生徒(もちろんネガティブな意味で)が教室で問題を起こしているということで呼ばれました。

瞬間湯沸かし器のような感情の起伏の激しい生徒、その生徒の感情を逆撫で無いようにしつつ、教師のESを呼んだ訳を聞き、生徒の言い分(大抵は頭ごなしに教師を否定するのですが)を聞いて状況を改善しなければなりません。とっても神経を使う瞬間でした。

まぁ、普通ESが呼ばれる状況になると生徒もこれ以上問題を起こしたら校長から居残りを貰うか、下手をすれば停学になるので大抵の生徒はそこで収まります。

昨日は再び私のES担当日。でも、穏やかな日でした。一人授業中に具合が悪くなった子がいて、その生徒を家に送り返すか否かを決定するために呼ばれたことはありましたがそれ以外は何事も無く。

で、私が取った行動。採点しなければいけない生徒のノートがあったのですが、いつもはオフィスに閉じこもってやるところを、思い切って屋外のベンチですることに。

だって、すごい良いお天気だったんです。雲がほとんど無い美しい晴天。ロンドンの秋は雨も多いですからこれは幸運なこと。昼間は普段ほとんど校舎に篭りっきりで、仕事を終えてでると外ももう暗いですから、久しぶりに日光浴をしながら効率よく仕事もできて大満足な私でした。

さぁ、次回のES Dutyはハーフターム後。何事もなく終わりますように、、、。

投稿者 lib : 06:30 PM | コメント (2)

October 16, 2008

SATsの終焉。

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一昨日、フォトコピー室で教材準備をしていると、同僚のVがやってきました。「BBCのニュース聞いた?」と私にたずねる彼女。

一体何のことかと首をかしげていると、驚きの情報が飛び込んできました。何とKey Stage 3のSATs(サッツ)が廃止されるというのです。

Key Stage3というのは7年生から9年生までの三年間の過程で、日本でいうと中学校にあたります。

SATsというのはイングランドのNational Curriculum(学習指導要領)に基づいた数学、英語、理科の全国統一試験(過去には情報処理のテストが導入された年もありましたが去年廃止)で、小学校6年と中学校3年の時点での受験が求められます。

ところが今回、この中学校3年、つまりイギリスではKey Stage3の最後の学年で受験されていたSATsが廃止されることになったのです。

元々このSATs、子供から学ぶ楽しみを奪っている、スキル重視になりテクニックさえ身につければ点が伸ばせるため、学力試験としての信頼性が低下しているなどとその弊害・欠点が多く語られ、教師の労働組合から毎年批判が寄せられ、廃止が叫ばれているテストです。

子供の学力低下を危ぶむ政府としては断固として廃止にはしないとは思っていましたが、今回、夏にSATsの結果発表が全国各地で大幅に遅れた批判が相次いだこと、もともとKey Stage3のSATsはGCSEなどと比べると結果が重んじられることも少ないため、今回の廃止に繋がったようです。

それにしてもイギリスで「イギリスの子供はヨーロッパ一、試験漬けにされている」とよく聞かれますが、中学校受験からはじまり、中学高校と学期末試験、学年末試験と学力が頻繁に数字ではっきりと評価され、大学受験に至るまでかなり勉強漬け、テスト漬けな日本の教育を受けた私から見たら、「そんなにすごくもないのでは、、、」と正直思ってしまいます。試験漬けがいいのか悪いのかという議論はここでは置いておいて。単に個人的な試験量比較です。

実際、日本の試験のフォーマル度(?)から比べたら、我が校でおこなわれる各教科の試験は非常に曖昧なものに思えます。試験期間というものは学年末に一応存在していますが、厳しい試験の時間割があるわけでもなく,歴史科では特に一学期に一度ほど、何らかの形で生徒の学習到達度を評価していればOK。

最後の学年末の試験も一年でやった全ての内容を細かくカバーして無くてもよく、実際、悪い点をとっても「どうせGCSEで歴史取らないし」と堂々と開き直る子供の姿も見られるほどです、、、。なんというか、「試験」=「必死に頑張らなきゃいけないもの」という図式が成り立っていないというか、とにかくフォーマル性に欠けるのですね。

こういう状態でSATsが無くなると、もちろん数学、英語、理科の教師のプレッシャーは大幅に軽減されますが、一体、生徒がどのように反応するのやら。ここは東ロンドンの公立。生徒の間で「なーんだ、SATsがないならそんなに勉強しなくてもOKじゃん」なんてことにならないといいのですが。

まぁ、今までSATsが終わると同時に反動で歴史を含めたほかの教科でも一気に学習意欲をなくしてしまう子供が少なくなるは有り難いことですが。

ところで今朝、今年の夏にSATsを受けたばかりの10年生である私のクラスの子供たちが発した言葉。

「私たちがSATsを受けたことに一体何の意味があったの?!」

、、、疑問に思うのも不思議はありません。大人の決め事に一番振り回されたのは子供、本人ですからね。さて、SATs導入、そして廃止、本当に意味があったのかなかったのか、これから数年で明らかになるのでしょうか。

投稿者 lib : 11:56 PM | コメント (0)

October 12, 2008

M-Word 再び

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今年も始まりました。

M-word連発の日々(過去ブログ「M-Word」参照)、つまり怒涛のマーキングの日々が(泣)

このマーキング日本語だと「採点」と訳されますが、実際、7年生から9年生までの 歴史では課題やテストを数字で評価をする場面は少ないです。

歴史を教えれば教えるほど、点数を付けることが困難な教科だと痛感します。

今、最優先でやらなくてはいけないのは9年生の生徒のノートのマーキングですが、授業で与えた課題、宿題として与えた課題を含めて全部いわゆる記述式の解答です。


生徒に課題を出す際にはあらかじめ生徒が目指すべき到達目標、教師が評価する際の基準を示しておきます。例えば、エッセイならばどのくらいの史資料を使わなければならないのか、どういった語彙を使わなければならないのか、史資料はやみむもに丸写しせずに、自分できちんと理解し、情報を選択した上でしっかりと生徒の文章の中に表現されているかなど、明確に示しておきます。

これは教師にとって注目すべきポイントがあると客観的にしっかり評価できるので重要ですし、課題をやる生徒にとっても含めなければいけないポイント、注意すべきポイントがわかるのです。

今回、9年生に出した課題は、奴隷制・三角貿易に関連し、アフリカ人がどのように奴隷となりアメリカに渡ったのか、奴隷船の様子はどんなものだったかなどを史料を使って、まるで奴隷自身が書いているかのように手紙式に生徒が表現するというものでした。

もちろん、当時奴隷となったアフリカ人たちが実際にこのような手紙を書いたはずも無く(元奴隷の書いた伝記はありますが)、ましてやアメリカへ向かう奴隷船の中で自分たちの体験をその場で直接表現する機会はなかったので、こういった課題を出すには生徒が間違った認識をしないように注意が必要ですが。

それでも生徒はこういった形(手紙形式や日記形式、もしくは実際に自分たちで演じてみるDrama形式の課題など)で自分たちの理解・知識を表現するのが好きなのでよく歴史の時間ではこういった課題が出されます。

さて、この課題はそれぞれの生徒がノートに2ページ近く書いているのでそれを一つ一つ読んで評価をつけるとなると一冊のノートをチェックするのに最低10分から15分ほどかかります(大体ノートチェックは6週間ごとにされます)。

課題の評価にはよくイギリスのナショナルカリキュラム(学習指導要領)に基づいて作成された「Level descriptor」と呼ばれる到達可能レベル表が使われます。例えば、あまり史料を用いずに書かれたものは到達レベルが3や4、もっと積極的に多様な史料が効果的に使われ、なおかつ明確に説明されていればレベル6や7など、生徒の課題をレベルで評価するのです。

ただレベルだけを記すだけでは生徒がなぜそのレベルしかもらえないのか、上のレベルに到達するにはどんなところを頑張ればよいのかがわかりませんから、レベル表にはそれぞれのレベルの特徴が明示されており、教師もそれをもとに生徒にアドバイスとしてコメントを書きます。

初めはこのレベル付けが私の苦手な分野で、1つ上のレベルを上げるべきか否かなど、判断に迷うこともしばしばありましたが、最近はその作業も早く自信を持ってできるようになってきたとは思います。

なんとも骨の折れる作業なのですが、生徒がどのように課題の目的を理解して取り組んでいるか、このレベル表を使うと手に取るように分かります。忠実にやっている子、自分の知識(と想像力)だけを使って到底歴史的事実と合わないことを書き連ねてしまう子、実に様々です。

ところで、本日採点したノート冊数20冊。再来週の水曜日までに採点するノート、約100冊。

100冊×(かける)15分、、、思考停止。

うーん、長い道のりに気が遠のきそうです。

投稿者 lib : 11:39 PM | コメント (0)

October 05, 2008

神に救われた日、、、?

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今週の火曜日はイスラムのラマダン(断食月)明けを祝う聖なる祭日、Eidの日(正式にはEid ul-Fitr)でした。

ムスリムの生徒たちにとっては気分はクリスマス。新しい服を新調してもらったり、長いラマダンが明けて美味しいものをたっぷり食べれる日なのです。

実はこのラマダン、太陰暦に合わせて毎年来るため、毎年始まりがずつずれます。

去年もラマダンについて書いたのですが、日付を見てみると何と12月でした。今年のラマダンは9月初頭からでこの次期はまだ日も長いので、断食する人たちは去年より大変だったことでしょう、、、。

さて、ラマダン明けがいつなのかは何とイスラムの高僧が月の満ち欠けを見て判断をするそうで、毎年、普通のカレンダーで見て29日目に来るのか30日目にくるのか微妙に変わります。

今年のムスリム教徒の同僚の予想ではちょうど30日目に当たる火曜日でしたが、なんど行政区の判断では10月1日水曜日。

イスラム教徒が90パーセントを占める我が校ではEid当日は登校する生徒がほとんどいなくなってしまうので水曜日は休校になるというアナウンスがされました。

ところが月曜日の夜の発表でEidは火曜日に(まぁ、同僚の予想が当たったってことですね)、、、。

私はそんなことを知らずに火曜日に登校したのですが、なんと朝一で緊急スタッフミーティング。登校してくると予想される生徒が一学年で30人くらいづつしかいないので(本当は一学年240人)、特別編成授業がおこなわれること、水曜日は予定通り休校ということが説明されました。

どうやら学校側、行政側も、仮に火曜日を休校にしていたとしても、Eid翌日の水曜日も欠席者が大半になるはずだと予測していたそうです(つまり、結局休校にするのはどっちの日にちでも良かった)。

さて、予想は当たり、火曜日は一学年30人にも満たない出席率でした。バングラデッシュ系、ソマリア系、、、とにかくイスラム教徒の教師も生徒も全くいない状態なので必然的に学校は白人の生徒、アフロカリビアン系の生徒、少数ですがアジア人でもヒンズー教徒、そしてベトナム系・中国系の生徒だけとなりました。

普段は80パーセント以上がバングラデッシュ系のアジア人ですから私にとってはなんだか異様な光景でした。
人文学部では1,2時間目に9年生全員を集めて授業、3,4時間目には7年生を集めて授業をすることになり、私は同僚二人とともに7年生の担当をしました。

授業といっても普通のカリキュラムを教える授業はできないので、生徒みんなで人文学系の教科(歴史、地理、宗教など)について話し合いをした後、グループでポスター作り。7年生なので皆夢中になってやってくれました。9年生の授業になると「なんでうちらだけ学校来て授業受けなきゃいけないのー?」という空気が漂うものですが。

私としてはTeam teach(複数の教師がチームを組んで授業をすること)をしたことのない同僚と授業をやれたし、何よりも授業のあるはずだった1,2時間目、午後もかなり溜まっていた授業準備をたくさん進めることが出来たので満足でした。

そして翌日水曜日は休校で学校も閉まっていたので自宅でゆっくり過ごし、溜まっていた疲れも取ることができました。これは本当に助かりました。

全く本来のEidの意味とかけ離れてますが、私までちゃっかりアラーの神の御加護を受けてしまったわけです。

不謹慎にも「神に救われた日」でした。

投稿者 lib : 08:08 PM | コメント (0)

September 25, 2008

珍入者

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今日は闖入者ならぬ珍入者について。

授業をしていると度々クラスに人が訪ねて来ることがあります。

教室に椅子が足りないといって借りに来る生徒、授業をさぼった前歴がある子の出欠をチェックしに来るスタッフ、教室においてある教材を取りにくる先生、、、。

でも、今日の訪問者は一味違いました。

それは7年生の授業中の出来事。

今日の課題の説明をしていると、窓際に座っている生徒が困った顔で「先生!」と助けを求めてきました。

なんと、床に「巨大な」蜘蛛がいるというではありませんか。

それを聞いた他の子の顔が引きつります。

実物が見えない私はまた生徒が大げさに「巨大」なんて言ってるんだなと思い、「蜘蛛は噛み付かないし、何にも悪いことしないよ。授業に集中しましょう」と生徒の意識を授業に戻そうとしました。

でも、蜘蛛の真隣りに座っている生徒は床に足を付けることすら怖くて出来ません。

「え、そんなに大きいの?」と思い、実際見てみたら、、、確かに大きい。全長3センチ以上あるでしょうか。

私もひとりで自宅で遭遇していたら驚いて叫びそうなサイズでした。

子供たちが何とかしてくれという顔で私を見つめます、、、!

これが9年生だったらここぞとばかり騒ぎ立てることでしょう(ほんと、一度、蜂が教室に入ってきて大騒ぎになったことが、、、)。

でも、まだまだ学校に慣れない7年生たちはどう反応すればいいのかも分からず、かといって授業に集中することも出来ず、固まってます(苦笑)。

こうなったら、私も躊躇う気持ちを押し殺してなんとか蜘蛛に退場してもらうしかありません。

実は、私、蜘蛛が苦手です。家にも場所柄、数匹入ってくることがありますが、いつも目撃してしまうと数秒固まります。

「蜘蛛を殺してはいけない」という親からの教えでゴキブリみたいに叩いて殺せない私(それに蜘蛛は虫を採ってくれますしね)。

そんな私がとった行動。机にあったA4サイズの紙を手に持ち、蜘蛛のいる列に座っている生徒全員に退避を促しました。

そして、おもむろに蜘蛛と対峙(内心どきどき)。

手に持った紙で内心「頼むから手に乗ってこないでー、あんまり動かないでおくれー」と叫びながら蜘蛛をすくう作戦に出ました。

でも蜘蛛はすばしっこいのでなかなか乗ってくれません。私の足の周りを逃げ回る、逃げ回る(涙)周りの生徒も失敗するたびに「あーーーーっ」と半ば恐怖の声を上げて反応。

4回目くらい試みてやっと乗ってくれました。火事場のクソ力ならぬクソ根性全開にしてそのまますかさず、窓からぽいっ(ごめんね)。

その直後に生徒から「わぁぁぁ」という歓声(そして安堵の声)。

うーん、不思議と教師という立場にいると人は恐怖に勝てるんですねぇ。全然誇るようなことじゃないくせにちょっと誇らしい気持ちになってしまった私。

それにしてもあの場で一番怖かったのはきっと、あの蜘蛛本人だったことでしょう(笑)なにせ30人もの(蜘蛛から見たら)巨大な生徒があんな小さな小さな生き物を見つめていたわけですから。

果たしてこれが巨大ゴキブリだったら私は同じことが出来ていたのか、、、。ゴキブリの滅多にいない国にいて良かったと心底思う私です。

投稿者 lib : 11:04 PM | コメント (0)

September 19, 2008

ハラハラドキドキ。

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新学期が始まって3週間目も終わりに近づきました。

私の「天敵」である「採点」作業はまだほとんどありませんが、授業計画、教材作りにかなり追われている毎日です。

なにせ、今年は7年生から新しい学習指導要領が導入されて、より「学ぶためのスキル向上」に焦点を当てた、より「子供が授業内の活動の中心となる」ような授業作りが推進されているため、授業で子供に与える課題、そのための教材も工夫がなされたものでなくてはいけないのです。

一昔前ならイギリスでも教科書や情報を載せたプリントを使う授業があったようですが、歴史教育の現場、特に私の学校ではそういうものから離れて授業をおこなう傾向が強いです。

また、新しい指導要領では教科間の垣根をなくして幅広い知識とスキルを身につけさせようという考えが根底にあり、歴史を学びながら地理、宗教などの同じ人文学系の科目のみならず、英語、美術など他の分野との関連性を強調した授業案作りがおこなわれています。

私も今年は学科主任として7年生の学習指導案を書いているわけですが、何か新しいことを始めようと思い、同僚の地理教師であるEと一緒に歴史科と地理科の共同プロジェクトとして7レッスンを一緒に計画しました。

テーマは「自分のルーツ探し、そして自分の生活基盤である地域を知る」。具体的には自分史を書くところからスタートし、私の学校のある東ロンドンの過去、現在、未来について学び考えようというテーマで、歴史の授業では特にユグノー、ユダヤ人、ベンガル人など、その時代時代でBrick Laneという場所に移り住んできた移民たちの歴史や、現在再開発が進んだDocklandsの過去、Dock(造船所、波止場)の過去、重要性などを考えさせるというもの。

同僚Eが担当する地理では、歴史でカバーした内容をふまえて、今、移民の街だったBrick Lane一帯がどうなっているか、昔工業地帯、船着場としてにぎわっていたDocklandsが今、どのようになったのか、なぜ変わったのかに焦点にあて、その上でその両地域のこれからを考えるという内容で授業をおこなうことにしました。

なおかつ実際に両方の地域を生徒が実際に訪れるというFieldwork(現場訪問)も加えたのですが、この計画、実行のための手続きがなかなかの大作業。

まずは人文学部の主任である同僚Oへの打診のために大体の構想をまとめて文書作り。今年は歴史、地理、両教科ともに4-5名の教師が7年生の授業を教えているため、それぞれの先生が何月何日に、何時から何時まで生徒を連れて行くのかを全てチェックする作業からはじまりました。

それから現地までの行き帰りにかかる時間の想定、現地到着後の課題の計画、教材作り、そして実際うまくいくか確かめるために放課後にTest drive(試乗運転)ならぬTest Tripをおこなうなど、ここ数週間はこの諸々の作業でへとへとでした。

それでも、私も同僚Eも作りたい授業のビジョンが似ていて、一緒に働いていても苦にならず、彼女もどんどんアイディアを出していってくれたので、教材を作り上げる作業は大変やりがいのあるものでした。

さて、ここまでやっても校長から最終的に実行してもよいという許可が下りなければ駄目なのですが、学校もこういった教科間同士の連携を奨励しているわけですからNoとは言えまいと信じています(でも、内心かなり心配しています)。

実行まであと二週間ちょっと。成功するのか、計画に携わらなかった先生たちにも明確にFieldtripの内容を伝えられるか、そしてそれをしっかり実行してもらえるか。生徒たちは学ぶ喜びを見出してくれるか。今から心配はつきません。

でも、例え大成功に終わらないとしてもこれだけ時間をかけて準備したのですから後悔はない、そう大胆にも思っている私です。

結果はそのうちまたブログでお伝えしたいと思います。

投稿者 lib : 07:39 AM | コメント (0)

September 12, 2008

コーンビーフよ、さようなら。

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今回のキーワードである「コーンビーフ」、実は私にとってはこの学校で働き始めてから起こった様々な出来事のなかでも忘れられない記憶を呼び起こすモノです。

私の学校、教員も利用できる生徒用の食堂があるのですが、我々が利用することは滅多にありません。なにせ、お昼時は忙しいので生徒と一緒に列に並んでお昼を買って、一緒に座って食べる余裕がありません。

そのため、大抵のスタッフは自分で家からお昼を持ってくるか、外のお店に買いに行くか、スタッフルームで売られているサンドイッチなどの軽食類を買って食べています。

私は朝に弱い性質でして、朝起きてサンドイッチやおにぎりを作ることが一年に数回あれば良いほう。

外に買いに行くのも面倒な私は、いつもはスタッフルームでサンドイッチやサラダを買うことがほとんどです。

ですが、そのサンドイッチ、とってもイケてません(笑)

巷のカフェのサンドイッチの味が私が7年前に始めてロンドンに来た頃と比べると格段に向上したように思える昨今、私の学校のサンドイッチは時代を逆流するかのような代物です。

使ってあるパンも耳が異様に硬い、お世辞にも美味しくないものなのですが、特にサンドイッチの中身がすごい、、、。

4年前に初めて見たときはそのラインナップを見てかなり引きました。

ツナマヨとコーン、ツナマヨとキュウリ、ハムとサラダ、、、とこのへんは至って普通(でも味は普通以下)なのですが—

チーズとサラダ。

まぁ、ベジタリアンの人は食べたいかもね。でも、なんでチーズがピザ用のみたいに細かく切ってあるわけ?

サラダだけ。

、、、えっと、ダイエット中だったらいいかも?

ソーセージとケチャップ。

ボ、ボリュームを求めている人にはいいのかな?でも、冷たいソーセージって、、、。

そして、

コーンビーフとオニオン。

えっ?

サンドイッチにコーンビーフ?

しかもオニオンは薄いスライスではなく、かなり大雑把に切っていかにも水にさらしてなさそうな生オニオン。

コーンビーフも味付けしてあるわけでなく、缶詰からそのままGO!といった感じ。

そんなサンドイッチ、見たことの無かった私には衝撃でした。

そしてある日、お昼ご飯を買いそびれていて、昼休みの最後のほうになってからスタッフルームへ行ってみると、食べ物はほとんど売り切れ状態。

そこにぽつりと残されたサンドイッチが目に入り、(大げさではなく)祈るような気持ちで中身を確かめるとそれは、、、

コーンビーフとオニオン。

「物は試し。お昼食べないよりはまし!」

と、そのサンドイッチを買いました。

そして、すぐに激しく後悔。

コーンビーフはぽそぽそ(あたりまえですが)、オニオンはからいはオニオンくさいは、そして胃にもたれるはで泣きそうでした。

特に水にさらしていない生のオニオンがあんなに強烈であったとは。

一生懸命うがいを試みたものの、あのオニオン臭さは口の中に強烈に残りました。それは今でも記憶と嗅覚に焼きついているほど。誰も何も言わなかったけど、あの時の私は相当オニオン臭かったに違いありません。

、、、となると一番の被害者はあの後、私の授業を受けた生徒たち。ごめんなさい。

さて、そんなコーンビーフ事件から数年たち、何と今学期からあの恐ろしいサンドイッチ達とさようならをすることが出来ました。

何とあまりの評判の悪さに痺れを切らした用務員のおじさんたちが、新しいサンドイッチ売りの女性を学校に招いて、その彼女が新鮮なパンと中身でその場でサンドイッチを作ってくれるようになったのです。

あぁ、学校でこんなに美味しいサンドイッチを食べれるようになるなんて。

コーンビーフ&オニオンよ、永遠にさようなら!

投稿者 lib : 01:14 AM | コメント (2)

September 05, 2008

5期生

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今日から新学年の授業が始まりました。

月曜からの3日間、様々な授業やプロジェクトの準備でてんてこ舞いになっていたので、結局今日の授業準備をまともに始められたのは昨日帰宅してから。

今日は9年生2クラスと10年生の授業だったのですが、特に10年生の授業はGCSE (The General Certificate of Secondary Educationという資格をもらうための試験コース)のクラスなので生徒たちが歴史への興味を持ちつつ、試験のための知識・技術を向上させることができる内容でなくてはいけません。

はじめの授業でどれくらい生徒を引き込めるかで今後の授業の雰囲気も決まってくるので準備にはかなり力が入りました。

今年の10年生クラスのメンバーのほとんどは7年生の時に私が歴史を教えていた生徒たちでそのうちの半分くらいは9年生までずっと私が受け持っていました。

彼女らの学年は8クラス中7クラス教えていた年もありましたし、私が担任を持つクラスと同じ学年ということもあり、ほとんどの生徒の顔と名前を覚えているという私にとってかなり馴染みの深いグループなのです。

7年生のときはあんなに幼顔だった子たちが本当に成長して、今年からGCSEだなんて、、、時が経つのは本当に早いものですね(どうりで私もこんなに歳をとるはずです)。

それにしてもこの今年歴史を選択した生徒達はしっかりと考える力を持ち、読み書き能力も高い頭の良い子ばかり。8年生、9年生のときはかなりおしゃべりでやんちゃな印象だった子、態度がかなり悪かった子も今日の授業では非常に落ち着いた様子。

選択科目のクラスのために同じ組の友達ばかりに囲まれているわけではないからか、それとも10年生になって精神的に大人になったのか。

とにかく、今日の授業は本当にスムーズに進行し、風刺画の解釈をする課題やディスカッション、その後にしたグループ課題も活気のあるものになりました。

教えているこちらも楽しみながらリズムで授業を進めることができて非常に嬉しかったです。生徒の反応も上々。久々に次の授業が待ち遠しくなるようなそんな達成感を味わいました。

思えば、私がGCSEを教え始めてから丸4年がたったわけで、この新しい10年生達はいわば私の5期生。

これから2年間、あきらめずに最後まで皆に頑張って欲しい、そう願っています。

投稿者 lib : 12:05 AM | コメント (0)

August 28, 2008

それぞれの結果 其の弐

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先週に引き続き、GCSEの結果について。

私のクラスの他の生徒たちの結果はどうだったのか。

ほぼ予測したとおり、もしくは数人が私の予想を超えて良い結果に終わっていました。大体、私の学校ですとA-Cを取ることが目標なのですが、最後まで授業を受けていた大半がその目標を到達したので嬉しかったです。

でも、途中から諦めてしまってやる気をなくしてしまった生徒、最後の一ヶ月半、引き抜かれた生徒の結果はやはり良いとは言えないものでした。これに関しても予想とそれほど外れたわけではなかったので驚くこともあまり無かったのですが。

それでも心残りなことはありました。なんとかCを取りたいと言っていた生徒の一人がその目標に到達できなかったことです。

その子は読解や暗記など歴史に必要なスキルがなかなか伸びず、試験が不得意で一年目は授業中もあまり積極的ではありませんでした。それが二年目である11年生に入ってからは態度も落ち着き、目覚めたように歴史が好きになり頑張っていました。

明るくて、冗談が好きで、たまに素っ頓狂なことを言ってはクラスを笑わせるH。他の教科でも勉強はそんなに得意ではない彼女は、なんと昨年の夏学期のSchool production(生徒でおこなう舞台)であったミュージカルGreaseでは主役を務めたくらい演劇の才能があるのでした。

彼女は歴史を続けたい、せめてCを取りたいと思う反面、自分の能力に自信が無く、母親に「不得意ならやめて他の科目に集中しろ」といわれて益々落ち込んだり、一時は数学の補修クラスのほうに行ってしまって最後だけ歴史クラスに戻ってきたりと落ち着きませんでした。私は「ここ一年でたくさん成長した。努力は報われるはず。最後まで信じて続けるべき」と言い続けてきましたが、彼女自身、最後まで不安で迷っていたようでした。

教師として冷静に見たとき、確かに彼女は理解力、筆記力などCを取るのは難しいレベルにいました。私はそれでも彼女に歴史の勉強を続けて欲しいと願っていました。「あなたならCは絶対とれる」と確たる根拠も無いのに安易に言うことはできませんから、授業中にとにかく良いところを褒めて、試験問題のアドバイスも丁寧にやるくらいしか出来ませんでしたが。

なんとか復習を頑張って試験を受けた彼女。試験後に会った時に、彼女は思ったよりも出来た感触のあった自分にほっとしたと言っていたのですが。

この国の歴史試験では単純な選択式の問題は1つもありませんから、生徒の理解・読解力、暗記力、説明力、筆記力などの総合的な力が結果としてはっきりでてしまいます。まぐれが通用しないようになっているのです。

そして、いったん結果が出れば他の教科とあわせてAやA*がいくつ取れたかで結局のところ判断されてしまう厳しい現実が待っています。

それじゃあ、成績はなかなか伸びないけれど人一倍歴史が好きで理解しようと頑張る生徒はどうなるのか。もともとの能力はあるのに教科に積極的に取り組まず、努力しない生徒と向き合う授業よりHのような生徒たちがいてくれる授業のほうがどれほどやりがいのあるものか、、、。

でも、これが結局試験というものなのですね。なんというか、私自身、中高時代に歴史は大好きなのに暗記が不得意でテストの成績はいつもいまいちだったこともあり、彼女に自分の昔の姿を少し重ねていたこともあったのかもしれません。

さぁ、様々な生徒と出会い、喜び、葛藤した一年が今年も終わりました。私がもっといい教師、力のある教師であったのなら生徒たちももっと努力して、試験の結果も違っていたのではないか。そう思ってしまいそうな瞬間がありました。これは教師として人間として非常に怖い問いかけです。自分自身の教師としての自信を常に揺るがす可能性のある恐ろしい想像、、、。答えは誰にも分からない、でも完全に打ち消すことは難しい問いであります。

だからこそ、このときたま恐怖とも思える緊張感を頭の片隅に持ちながらこれからも前に進んで努力していかなくてはならないのだと思います。だって、ひとりひとりの可能性を最大限に伸ばす、生徒の興味を惹く力のある授業、やっぱりやりたいですから。そして、最後に満足そうな生徒の笑顔を見たいですから。

長い長い教師の道のり。これからもずっとこれが私の課題です。

投稿者 lib : 11:53 PM | コメント (2)

August 26, 2008

それぞれの結果 其の壱

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8月21日はセカンダリースクールで教えている教師たちにとって特別な日でした。

6月・7月に11年生が受けたGCSE試験の結果発表の日だったのです。

もちろん、ここはイギリス。ホリデーでどこかに行っている同僚も多いでしょうし、わざわざ学校に出向いて結果を確認する教師はそんなにいないのですが。かくいう私も去年は日本にいて、結果を知ったのは9月に入ってからでした。

でも今年の夏はロンドンで過ごしたこともあり、この日が近づくにつれ気になること気になること。今年のクラスは人数も例年より少なかったので一人一人に思い入れがあるというか、彼らの成長(または退化?)をつぶさに見てきたこともあり、結果は非常に気になるところでした。

また、試験の一ヶ月半前には今年の11年生の模擬試験の主要科目である数学の成績の悪さ、夏の本試験への影響を懸念した学校の上層部が急遽、私の歴史クラスや他の非主要科目の授業から数人を引き抜いて数学の補修クラスへの参加を強制するなど、ごたごたのあった年でもありました。

それなのに最後はほとんど無勉強な状態にもかかわらず、彼女らは結局歴史の試験を受けさせられる形になり、なんというか上層部のお粗末な対応を見たのでした。

主要科目の成績は学校のランキングに直接影響を与えるので彼らが焦った気持ちはわかりますが、もうちょっと早くからのフォローは出来なかったのでしょうか。

このような歴史科目を非常に下に見るような扱いに私たち歴史教員は相当な不満であり、生徒からもこの対応に疑問を持つ声があったのですが結局は上層部の決断が通りました。

すごく正直に言って、選ばれた数人のほとんどが普段も素行が悪く、授業態度も他の生徒に悪影響を与える側面もあったので彼女らのいない授業は格段にやりやすかったのは事実なのですが、、、。

否が応でも結果は出てしまう訳で、不安な思いを持ちつつ私は当日に学校に向かったのでした。そしたら、学校まであと3分というところで遠くから「Miss ○○○(私の名前)」と呼ぶ声が。

試験結果を貰った帰り道であるらしい生徒Fです。彼女は本当に努力家。でもその努力を苦労ととらえず常に積極的なのが彼女の素晴らしさ。

でも同時に教師への要求は高く、授業中にわからないところはすぐに聞いてくるし、試験問題を授業中に出せばすぐにチェックするように私に頼んでくる子です。まさに生徒の鑑なのですが私をなかなか休ませてくれません(笑)

クラスで一番模擬試験の結果もよく、間違いなくグレードA(最高はA*-エイスター)は取れると思っていたのですが、、、。そんな彼女、私のところへ駆け寄ってきて、なんと開口一番に「信じられない、Bを取ってしまった!」と。

試験の感触も良かったと言っていただけに私も驚き、彼女が「納得できない。再採点してもらいたい」と言うので一緒に試験関係の事務を総括する同僚Mのもとへ。

一緒に試験結果を分析してみると、なんと、彼女は少しの差でグレードAを逃していたことがわかりました。

グレード(A*からGまで)は、二つの歴史試験(一つは史料解釈、もう一つは主に自己の知識を基にエッセーを書く問題)、そして二つのコースワーク(学習課題)のそれぞれの結果を基に特殊な方法で算出された点数によって決まるのですが、彼女の場合、それがAを貰うには1点足りなかったのです。

史料解釈の試験で点数が伸びなかったのが明らかな原因ですが、何しろ全て筆記試験。採点基準は同じものの試験管によって点数のばらつきがあるのは事実です。もし、最採点をリクエストすれば4-5点でも伸びることはあります。もちろん、点を減らされる危険性もあるのですが。

話し合った結果、彼女もそのリスクを理解した上で、それでも点が増えることに賭けたいというのでこの試験だけ彼女の解答の再採点を申請しました。

さぁ、これが吉とでるか凶とでるか、、、それでもBを取れることはまず間違いないのですが、なんとか彼女の努力が報われるような良い結果を祈るばかりです。

(他の子たちの結果については次週のブログで)

投稿者 lib : 09:51 AM | コメント (2)

August 15, 2008

再挑戦。

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8月も半ばになり、夏休みに入って少しずつ進めていた9月からの新しいカリキュラムの準備も本腰を入れて取り掛からなければと思う日々。

教師になってから4度目の夏休み。毎回夏休みが来るたびに「この時間を上手に使わなければ」と思いつつ、どうも自分が向上しているように思えません、、、。

普段は学校のタイムテーブルに沿って日中を過ごしているせいか、休日になるとその反動で全く区切りのない生活になってしまうのです。まぁ、これは言い訳に過ぎず、元来のぐーたらな性格が出てしまうのでしょうね。

今年は日本から来た身内が私のフラットに泊まっていたりといつもと違う夏休みではあるのですが、毎日一緒に出かけることはないので予定の無い日はついついだらだらしてしまいます。

時間の制限も無いとどうも仕事もはかどらず。逆に一回仕事をやりだすと7時間でも8時間でもご飯も食べずに座りっぱなし、、、。規律もなにもあったものではありません。

実はそんなだらだら生活を送る自分が嫌でこの夏始めたことがあります。

それはピアノ。

ただ、ピアノを習うのは初めてではありません。幼稚園のころから6年ほど習っていました。ところが始めてから数年後、当時習っていた先生が結婚を機に個人の教室をやめてしまったのです。

その先生のレッスンはピアノの練習だけでなく、連弾をしたり歌も歌わせてくれて、子供心に非常に楽しいものでした。

その後、某チェーンのピアノ教室に通うことになり、そのあたりから私の「ピアノ嫌々やる病」がでたように思います。

思えばその時の先生にとって私はいかにもやる気のない、教えがいのない生徒No.1だったことでしょう。だって、練習がつらくても上達しよう、頑張ろうという前向きな気持ちがなかったのですから。

自分も今は教師だからわかりますが、子供って自分の興味があることに本当に情熱を持って取り組めるものなんです。目の輝きや好奇心が違います。ほんとに飛びついてくる感じなのです。

逆に興味を持てないものは苦痛以外の何物でもないんですね、、、。7年生ですともともと好奇心旺盛なのですが、思春期真っ盛りの9年生くらいになると興味が無いと面白いほど態度にでるというか。

まぁ、興味がそれほど無くてもじっとこらえて学ぶか、教室で自分のやりたい放題やるかはその子次第なのですが。特に私の学校の子供は真っ正直というか。とはいえ、最初は興味の無い子を引き込むような授業をするのが私の役目で教師の力量が出る部分なのですが。これについてはまだ私は恥ずかしながら試行錯誤状態であります。

さて、本題のピアノ。

以前書いたコーラスのように長年やりたくてもやる機会にめぐり合わなかった分野でありました。

それがやっと出張ではなく自宅で教えていただける先生を見つけ、ついこの間初めてのレッスンに行ってきたのです。

住んでいるフラットにピアノがない私にとって自宅でやってくださる人は貴重です。ロンドンでもセンターからアクセスできる場所ですと住宅事情で自宅でのレッスンが出来る先生はそういませんので。

ほぼ18年ぶりのピアノレッスン。自分で驚くほどかちこちに緊張していましたが、これほど楽譜を眺めて自分で鍵盤を叩くのが面白いものなのかと感動しました。弾ける曲はきっと小学生レベルなのですが。

指練習もひとつひとつの記号も今見ると非常に意味のあるもの、大切なこととして捉えられるのです。当時は嫌々練習し覚えていたのに。不思議ですね。

ピアノに向かいながら私は一生懸命小学校の頃の自分と向き合おうとしていたように思います。どんな気持ちだったか、どんな風に弾いていたのか、、、。

レッスンと自己練習を重ねると感覚も少しずつ戻ってきます。そして嬉しいことに昔は意識をしたことの無かった「曲を自分のものにしていく、感情をこめて、イメージを作り上げて弾いていく」喜びを感じています。先生は大人のピアノはこれが大切なのだといいます。

今までこんなにブランクを空けてしまった自分に後悔する気持ちがありましたが、こうして10何年も経って再挑戦できること、新鮮な気持ちで自発的にピアノに向き合うことができたことは本当に良かったと思います。

で、家にピアノが無い私がどうやって練習しているかというと、、、。

ここぞとばかりに学校に勤めている特権を活かして夏休みの音楽室に忍び込んでせっせと練習している次第です。

投稿者 lib : 02:32 PM | コメント (0)

August 08, 2008

You either see it or you don't

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今日は不思議な体験をしてきました。

9月から東ロンドンの歴史を授業のカリキュラムに大幅に取り入れることにしたので、ここ数ヶ月私も色々と勉強しているのですが、たまたま日本から訪ねてきた親戚に「昔をそのまま再現した家がロンドンのLiverpool Street駅の近くにある」と聞き、一緒に行くことにしたのです。

Liverpool Streetといえば、現在はオフィスが立ち並ぶビジネスマンの街。隣のエリアであるOld StreetやShoreditchは若者に人気のナイトスポットですが、Liverpool StreetというとSpitalfieldsマーケット以外には観光客が特に訪れるような場所もないと思っていました。

訪れた場所の名前はDennis Severs’ House。Dennis Seversはアメリカからロンドンに渡ってきた芸術家で、1960-70年代にはかなり荒廃していたSpitalfieldsエリアの一角、Folgate Streetにある家を買って移り住みました。

やがて彼はその家の一つ一つの部屋を18世紀から19世紀の各時代の特徴を忠実に再現するように調度をそろえて改築していったのです。

現在、前もって予約をして月曜の夜にこの家を訪れると、ろうそくの光だけで家の中を自由に歩き回ることが出来ます。ただし、いったん家に入ったら誰とも口を利いてはいけません。そして、家の中にあるものに絶対に触ってはいけないのです。

この家を1つの作品とみなしていたSeversは、フランスから宗教迫害を逃れてやってきたプロテスタント(ユグノー)であるJervisという架空の家族を創り上げてその家に住まわせました。つまり、まるで各部屋にそのJervisファミリーが今でも住んでいるかのように表現したのです。

まず、家に入ると一階の居間に入ります。ろうそくに照らされた薄暗い部屋の中で、鳥かごには本物の鳥が羽を休ませており、テーブルには直前まで人がいたような跡が、、、。どこからともなく、床がきしむ音、人がしゃべっている音まで聞こえてきます。

そして、地下の部屋に下りると18世紀に時代設定されており、Jervisファミリーがユグノーとしてイギリスに渡ってきた当初の生活の様子がそのキッチンから垣間見られます。

暖炉には本物の火がはいっており、水周りには料理をしている跡が。テーブルにも新鮮な野菜や果物が置かれています。

そこから時代は19世紀へ。SeversのストーリーではJervisファミリーは絹織物のビジネスが軌道に乗り、生活もかなり豊かになります。2階付近の部屋はそんな19世紀の彼らの生活が反映され、地下と1階とは全く違う、立派な調度で部屋が調えられています。

私が部屋に入る直前までJervis夫人が朝ごはんを食べていたのでしょうか。ベッドの上のシーツは乱れ、ベッドサイドにはなんと食べかけのトーストと入れられてからそう時間の経っていないコーヒーが置かれたテーブルがありました。本当にコーヒーの香りが部屋に漂っているのです。

まぁ、これにはここの職員さんたちが直前までセッティングしていたのを私が一瞬見てしまったという残念な経緯があったのですが。

このような感じで、この家にあるものすべてがその家に生活する人々と繋がっており、普通の博物館と違ってそこら中に説明書きがあるのではないのです。テーブルにおいてある手紙、壁に張ってある写真、数あるアンティーク、360度、いたるところにヒントが隠されているのです。

訪れた人々は自分の想像力、視覚、そして嗅覚、すべての感覚を頼りに部屋の中を観察しながら当時の様子を探り、そしてそこにいた(Seversによると「今もいる」)人々と実際に会うことはないものの、ある意味コミュニケーションをとるわけなのです。

ですから、この家のモットーはタイトルに書いたように「You either see it or you don’t」。自分でこの家のストーリーに引き込まれなければ何も見えてこないわけです。まるで実物大のロールプレイングですね(まぁ、我々は傍観者ですが)。

残念ながらDennis Seversは1999年に亡くなりましたが、生前は彼自身がツアーのガイド役となってJervisファミリーの歴史を話していたようです。私も彼の案内で部屋をめぐりたかったです。

以前にも書いたとおり、このSpitalfieldsはユグノー、ユダヤ教徒、そしてバングラデッシュ人とロンドンの移民たちの玄関口となった地域で非常に歴史のある地域です。でも再開発が進む中、なかなか250年もの歴史をそのまま残す建物は少ないのです。

そんな時代だからこそ、その地域にこんな素晴らしいタイムカプセルを残してくれたSeversには本当に感謝したい気持ちでいっぱいです。

皆さんにも機会があったらぜひ訪れて欲しい、そんな不思議で素敵な場所でした。

投稿者 lib : 12:56 AM | コメント (0)

August 02, 2008

昼の顔 夜の顔

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今回は教師生活に関係あるような無いような話をひとつ。

実は夏休み二週目に入った今日、南ロンドンのBrixtonというところへ行って来ました。

かつてはかなり治安の悪い地域として有名でしたが、ここ数年はだいぶ街も綺麗になり、犯罪率も以前よりは低くなったとのこと。とはいえ、東ロンドンに住んでいる私は普段全く行く機会の無い場所です。

では何で今日そんなところへ?しかも、夜の7時に、、、?

実は、同僚のTがBrixtonの駅の近くにある某チェーン系のジムでエクササイズクラスを教えていて、そのクラスに無料で参加させてもらえるというので行ってきたのです。

同僚Tは私の学校で心理学や宗教学を教える白人サウスアフリカ人。すごーくスタイルが良くて、無駄な脂肪が一切見当たりません。

それもそのはず、彼女の趣味は水泳。仕事が終わってからもしょっちゅう泳ぎに行っているようです。仕事帰りにチップス買っちゃう私とは大違いですね、、、。

そんな彼女がジムで教えていると私が知ると、私が今まで出会った教師で間違いなく一番心が綺麗で優しい同僚Tは「月子も今度ぜひいらっしゃい」とたぶん一年くらい度々誘ってくれていました。

でも実際、平日の仕事帰りに南ロンドンまで行く気力がなく、その好意に甘えることもなかったのですが、夏休みにも入って余裕が出来た私は今回思い切って行ってみることにしたのです。

「ヨガとストレッチを取り入れて音楽に合わせて体を動かす気持ちのいいプログラムよ」と言っていた彼女。

ヨガは好きだし、動きもゆっくりなので私でもいける、、、と思っていたのですが。

感想:スーパーハード。

最初の20分は体を温めて代謝を上げるためなのか、テンポの速い音楽に合わせてまるでエアロビのよう。そして、その後もヒップと腿にかなりくるつらーいつらーいエクササイズの連続。

体の硬い私はほんとに無駄のないしなやかな動きの彼女に合わせてついていこう必死だったのですが、鏡に映る自分は彼女の半分も体を伸ばせていないという情けなさ。1時間のエクササイズの後は足がへろへろで、明日が真剣に怖いです。

それにしても、同僚T、心理学という非常に難しい学問を教えられる上に、こんな才能(でもこれはもちろん彼女の努力の賜物でもあるのでしょうが)もあるなんて感動ひとしきりでした。

自分が汗だくになって必死になっているところを見られるのは相当に恥ずかしいものでしたが、それ以上に同僚の仕事以外での姿を見るのは本当に不思議で嬉しいものでした。

ちなみに面白いことに彼女が指導する姿はやっぱり学校で教壇に立つ彼女そのもの。なんというか、エクササイズに来ているのは全員大人なんですが、彼女の話しかけ方、声の調子が学校の生徒に話しかけている教師なんですね。

まぁ、彼女の場合、普段も物腰が柔らかで生徒に対しても本当に穏やかで丁寧なので余計にそう思えたのかもしれませんが。

私も趣味のグループの主催者として参加者に色々と指示を出すことがあるんですけど、「やっぱり教師だねぇ」と言われます。本人自覚は全く無いのですが、やっぱりそういうのあるんですね。

投稿者 lib : 12:43 AM | コメント (0)

July 25, 2008

Empty Desk

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火曜日で無事に今年度が終了しました。

午前中は終業式で学習態度、生活態度など様々な条件に照らし合わせて各教科や学年から選ばれた生徒たちを賞を授与するセレモニーがあり、生徒は終了後帰宅。午後はスタッフのお別れ会、そしてその後、校庭でスタッフの食事会がありました。

ロンドンの都市部の学校では普通かと思いますが、毎年、というか毎学期、スタッフの入れ替わりがかなり頻繁にあります。

産休・育休に入る教師、戻ってくる教師、そして新しい職を得て去っていく教師、新しく採用されて働き始める教師(常勤・非常勤を含め)など、常に人の動きがあります。

特に学年度の終わりに合わせて学校を離れる教師は毎年多く、今年も少なくとも常勤教師5人、短期の契約で働いていた教師も数人、去ることになりました。

そのうちの3人が実は私のFaculty(学部)からで、1人は今までも何度も私のブログに登場してきたHead of Facultyである同僚Kです。

同僚Kは過去ブログ「嬉しくも悲しいニュース」で書いたとおり、私の直属の上司であり、私がこの学校に採用されてからの4年間、常に私の一番身近な指導員そして同僚でした。

その彼女が結婚してロンドンを離れるため、それを機に退職することになったのです。

それを知ったのが3月の初め、それから約5ヶ月、実感の涌かないまま時は過ぎ、気がつけば今年度も残りわずか。そして、ついに同僚Kが私の学校から去る時が来たのでした。

スタッフの送別会では離職する教師に向けて校長がひとりひとりの功績や功労を称えた後、各学部・学科の同僚たちがスピーチを行い、プレゼントやカードが手渡されます。

同僚Kには同僚M(同じく歴史教師で私と一緒に学科主任をしている)と同僚L(宗教、社会学の教師)が合同でスピーチをおこない、その後、同僚Kもスピーチをおこないました。

実は彼女、今回離職する先生の中では一番勤続年数が多く、7年でした。ロンドンでは1,2年で違う学校に自ら移る先生が多いので彼女は長いほうなのです。

その7年間の思い出を語りつつ、彼女はHumanities Facultyの一人ひとりに向けてメッセージをくれました。

彼女のいった言葉、一生忘れられない本当に嬉しいものでした。

「Mと月子(←もちろん実際は本名で)、あなたたちは教師暦は二人合わせても私のより短いけれど、私に歴史教育って本当は何なのか、よい歴史教員になるってどういうことなのか、たくさん教えてくれたのはあなたたちです」

歴史教育はここ5-6年でも教育理念そのものやITなどの技術面の変化に影響され、大きく変わった部分がありました。私もMも割りと最近教職トレーニングを受けた方なので、同僚Kよりもこの流れに乗りやすかったのだと思います。

同僚Kはいつも私の教材や授業案を高く評価してくれていたのでそれが私の励みでもありました。なにせ、生徒指導の面ではいつも威厳に満ちた同僚Kには頭が上がらず、彼女に相談したりして頼ることが多かったのです。

歴史科は教師がもともと少ないので常に私たち3人は上司と部下、先輩と後輩の枠を超えて新しいアイディアを出し合ったりしながら進んできました。一方通行ではない対等な関係が築けたことは本当に幸いでした。そして彼女のスピーチは私を教師というプロフェッショナルとしてそして一個人としても評価してくれたようで嬉しかったのです。

木曜日、学期は終了し夏休みに入ったものの、同僚Kが自分の机や教室を片付けに出てくるというので、私も9月からの準備をしに学校に出ることにしました。これが彼女の契約上での最後の日なのです。

どんどん彼女の机から物が消え、目の前に貼っていた色とりどりのポストカードも剥がされ、しまいには後任者であるOへ引き継ぐファイルだけが寂しく机に残されました。

そして学校が閉められる午後5時、本当に彼女にお別れを言う時がやってきました。笑って「幸せにね。さようなら。また会おうね」と言おうと思っていたのに、ハグした瞬間にやっぱり感情がこみ上げてきて涙が出てしまいました。

思えば、仕事でつらかった時、私の日本にいる身内の病気が分かって動揺していた時など様々な場面で話を聞いてくれてアドバイスをくれたのは彼女でした。

普段はあまり感情を表に出さない同僚Kは周りにわりとクールだと見られがちなのですが、本当はとても温かい人なのだと私は知っていました。その時々のことがいっぺんに頭の中をめぐり胸が熱くなりました。

「やぁねぇ、あなたに泣かせられちゃったわ」と見ると彼女の目にも涙が。

感動的な別れでした。

またいつか会える日があるとは思いますが、もう彼女が学校に来ることは無いのです。

、、、本当に寂しくなります。

投稿者 lib : 03:06 PM | コメント (0)

July 19, 2008

Japanese Experience

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先週の火曜日はHumanities Faculty(宗教、社会学、歴史、地理などの教科が集まる人文学部)の同僚たちと一緒に夕ご飯を食べに行きました。

大体一学期に一回のペースでそういう企画があるのですが、今回は学年末、しかもうちの学部から3人も教師がいなくなるので、そのお別れ会も兼ねて。学校全体で行う正式なお別れ会もかねた食事会は来週火曜ですが。

さて、どこに行こうかと話し合い始めたのが2-3週間前。今まで行ったのはポルトガル風炭火チキンのチェーン店、中華料理屋2軒、インドなど中央アジア料理屋4軒(そのうち一軒はバングラデッシュ系の同僚たちが絶賛し、行列が出来る東ロンドンの隠れた名店)。

やっぱり地域性でインド料理系が多いです。それから、Lime Houseという駅の近くにある中華料理屋は同僚に人気で2-3回行ったでしょうか。

で、今回は、バングラデッシュ系の同僚たちの希望で「カレー以外のもの」となったため、じゃあ、また中華になりそうだったのですが、同僚の一人が「Japaneseは?」と言い出しました。

実は学校の最寄り駅のすぐ近くに日本食レストランがあるんです。ただ、そこのレストランは夜の6時じゃないとオープンしない。私の同僚は宗教だけでなく様々な理由でお酒を全く飲まない人が多いので、開店時間になるまでパブで飲んでようということも無い。さらにもともと早く帰りたい派が多いので、その日本食レストランは自然却下され続けてきました。

私もずっとその存在は知っていたのですが、どうもプライベートでわざわざそのレストランに行くのは学校にも近いし躊躇われ、行くことのないまま4年が過ぎていました。

それが今回、驚くことに「たまには遅くからでも(っていっても6時なんですけど)いいじゃない」とみんなの意見が珍しく一致し(なかなか個性派集団なので)、めでたく日本食レストラン行きが決定いたしました。

実は一人を除いて私の同僚たちはほとんど日本食を食べたことがありません。知っている食べ物はSushiくらい。たぶん日本食と中華料理の違いも知らないし考えたこともないはず。

当日、レストランに到着後、メニューを眺める同僚たち。、、、1分後(いや、30秒後?)、気がつけば「あなたが頼りよ」的な目線が私に集中。

まず、メニューの先頭にあったGunkan MakiとHosomaki、Temaki、Nigiriの違いは何か?という質問に始まり、この魚は英語で何か、材料には何が使われているのかと質問攻撃。

「軍艦巻きは形が軍艦に似ているから、、、」と説明しておいて、「そっかぁ、そうだったよね」と心の中で自分でも妙に納得。日本をほとんど知らない人に私の限りある知識を総動員して日本食指南。心の中で結構あせる自分がいました。

でも、さすがロンドンの日本食レストラン、スタッフはたぶん一人を除いて全員中国系の人。そして、豊富なメニューの中にはチャーハン、餃子、キムチなど、日本でも広く食べられてはいるけど厳密には日本食でないものが並んでいました。なかには聞いたことも無いものが並んでいたのでこれにはさすがに「日本でも食べたことが無い」と強調しておきました。

さてさて、20分後くらいにやっと、皆それぞれ食べたいものが決まり、それから前菜として頼んだ寿司(←こういう頼み方がすでに日本じゃないですよね)やら餃子やら枝豆を頬張って待つこと、数十分、みんなのメインディッシュが到着。

私が頼んだのは天麩羅弁当。なぜかイギリスでは日本でいういわゆる○○御膳みたいなセットものが「○○Bento」として一般に認識されています。味噌汁が付いて、大きなお弁当箱にご飯、サラダ、小鉢系のもの、メインのおかずが入っているようなものです。

一応、同僚にはこれを薦めておいたので、何人かはBentoを注文。ほかにはラーメン、チャーハン、焼きうどん、中華丼を頼んでいる同僚がいました。日本だと町の食堂かラーメン屋に出てきそうな内容ですよね。でも、よっぽど日本人しか行かないレストランではないと日本食レストランってこんな感じが結構多くて、みんなが頼むのもこういう系が多いのです。

で、肝心なお味はというと、、、。

うーん、天麩羅はいまいちでした。すごく正直に言ってしまえば、私でもこれくらい作れると思ってしまう感じ。そして、普段から大抵のものを心から美味しいと思える大食いの私でも、特にだめだったのが白ご飯でした。水気が多くて粒がぐちゃぐちゃにくっついているような感じなのです。

決して食べれないものではないんです。ほら、お腹のすいている私の胃袋にはしっかりとおさまりましたから。

ここはロンドンだということもわかっているのです。でも、私は心の中でかなりがっかりしてしまいました。最初に頼んだお寿司はロンドンの基準で普通に美味しかったのですけれどね。

同僚は皆「うんうん、結構おいしいよ!」と言っています。まぁ、反応が微妙な人もいたので両手を挙げて美味しいとはたぶん思わなかったのでしょう。唯一チャーハンを頼んだ同僚二人があまりの脂っこさにはっきりと不満を言っていたので、味見させてもらったら皿の底の方は本当にご飯が油がびしょびしょ。これについては私もすかさず同意。

でも、他の楽しんでいる同僚にはどうしてもわざわざ「あんまりおいしくない」「これは日本だったらねぇ」などと言えず、しかもあの場で日本食について講釈を垂れるような身分でもないと思い、ひたすら黙っていた私でした。

真の日本食伝道師にはなれそうもない私です。同僚たちとの初Japanese Experience…まぁ、おしゃべりできて楽しんだから良しとしますか!

投稿者 lib : 10:05 PM | コメント (0)

July 11, 2008

東ロンドン再発見

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今日のブログは先週の予告どおり、東ロンドンの歴史についてです。

ロンドンに住んでいる皆さんはEast Londonにどのようなイメージをもっていらっしゃるでしょうか。

東ロンドンといってもBankやLiverpool Street、Tower Hill、Monumentといった駅の周辺はロンドンの金融の中心地ということもあり、常にスーツを着たビジネスマンで賑わっていますが、それよりも東にあるAldgate East、Whitechapel、Mile End,そして私の学校のあるBowという地域はどうも「労働者階級・低所得者層の居住地域」「犯罪多発地帯」というイメージが強いように思います。

実際、この地域はTower Hamletsという行政区で統計上、ベネフィットをもらって生活している低所得者が多いのは事実ですが。西ロンドンで生まれ育ったイギリス人の友人の中には「東は怖いイメージがある、できれば住みたくない」という人も結構います。

確かに東ロンドンは再開発が進んでいるとはいえ、殺伐・雑然とした雰囲気のある通りが今も多くあります。過去数百年の歴史を見ても、政府からは見放されがちな低賃金労働者の住む貧しい地域でありましたし、住環境も恵まれないものでした。

昔は重要な交通網であったテムズ川や運河が多くある東ロンドンは工場や船着場が多くあった場所であり、第一次世界大戦ではドイツ軍による空襲で一番大きな被害を受けた地域でもあります。そのため、ロンドン中心地や西ロンドンのようにしっかりと手入れをされてきた古く歴史のある邸宅が立ち並ぶという風景も限られています。

しかし、昔の面影を残すものは少なくても歴史を紐解くと東ロンドンは非常に興味深い地域であることがわかります。テムズ川にも近いAldgate East周辺は常に移民の玄関口だった地域であり、ロンドンが現在のように多文化・多宗教・多民族の都市となったルーツを探ることが出来ます。

その一番良い例がBrick Lane。カレー屋さんやナイトクラブ、バーに行くために訪れたことのある人は多いかと思います。今ではすっかりバングラデッシュ移民が経営するカレー屋の立ち並ぶバングラタウンとしてのイメージが定着しました。

それに加え、ここ10年くらいでは若いアーティストたちの活動の中心地としてたくさんの若者が暮らし集うようになりましたが、驚くことに19世紀後半から20世紀初頭までは人口の90パーセントがユダヤ人という地域でした。

さらに歴史をさかのぼれば、17世紀にフランスから宗教弾圧を逃れてきたプロテスタントのThe Huguenots(ユーグノー)たちが移住してきた地域であることが今も残る通りの名前や教会など建物の様子から分かります。かつては彼らがフランスから持ち込んだ絹織物産業の中心地でした。その産業に惹かれ、ユダヤ人、アイルランドや北イングランドからも織物職人たちが移り住んだこともあったということです。

そして、19世紀後半にはロシアから宗教弾圧を逃れてやってきたユダヤ人の移住がピークに達し、一時は150ものシナゴーグが東ロンドンにはあったということです。その歴史の変遷を象徴するユニークな建物が今でもブリックレーンに残っています。何と、もともとユーグノーの建てた教会が後にユダヤ人によってシナゴーグに変えられ、ユダヤ人たちが東ロンドンを去ってからはモスクとして使われるようになったのです。東ロンドンの移民の歴史の縮図ですね。

その後、絹織物産業が廃れるとともにこの地域も廃れ、小さな織物産業は存続したものの、産業革命時代の終わり、19世紀後半までには犯罪、売春、貧困の巣窟となってしまったのです。コレラがロンドンを襲ったときも真っ先に伝染したのが劣悪な居住環境だったこの地域でした。切り裂きジャック(Jack the Ripper)の話を読んだことがある人は当時の雰囲気がつかめるのではと思います。

第二次世界大戦後、ユダヤ人たちはロンドンの北部に多く住むようになり、この地域には徐々にバングラデッシュ移民が住むようになりました(戦前でもバングラデッシュ人の若い船乗りたちの小さなコミュニティは存在していたようですが)。

さらに1960年ごろからバングラデッシュからの移民の数が増えはじめ、1971年のバングラデッシュ(かつての東パキスタン)独立戦争後にはさらに難民・移民として移り住む家族が急激に増えました。私の学校の生徒たちはほとんどが二世・三世。彼らの子供・孫の世代にあたるわけです。

今日の東ロンドンは活気にあふれています。ここ数年、SpitalfieldsやAldgate East周辺もだいぶ変わりました。Shorditchというエリアにいたっては若者に非常に人気のあるおしゃれなエリアになりつつあります。

かつてユーグノーやユダヤ人たちが住んでいた荒れ果てた多くの建物は内部が改装され高級なフラットに様変わりし、おしゃれなレストランやカフェが増えました。駅周辺もオリンピックが2012年に来ることもあり、再開発が急ピッチで進んでいます。

古いものがある。古いものが見直され、形を変えてまた蘇る。そして、新しいものが生まれる-今、変化の真っ只中にある東ロンドンは他の地域と比べても本当に面白い地域なのです。

皆さんも機会があったら訪れて欲しいと思います。そして、時間をかけて東ロンドンの過去と現在を堪能して欲しいと思います(下記のサイトが参考になります)。

http://exploringeastlondon.co.uk/Spitalfields/Spitalfields.htm

投稿者 lib : 09:40 AM | コメント (0)

July 05, 2008

ハイテクたんけんぼくのまち

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今週の火曜日は勤務校でCitizenship Afternoonと称するイベントがありました。

イギリスでは国そして国を越えて地球社会の一員としての自覚を高めよう、政治・健康・環境などに関連した知識やスキルを身につけようという趣旨でおこなわれているCitizenship教育。

うちの学校でもTheme Day(今年は半日でしたが)のひとつとしてGlobal musicやPainting Environmental Bags、Global cookingなどCitizenshipに関連したワークショップ、校外学習(博物館見学なども含む)を含む数あるオプションから生徒自身が興味のあるものを選び参加する特別なイベントを去年から年に一回おこなっているのです。

私はここ数ヶ月、Local History(地域の歴史)に関連した7年生10数名が参加しているプロジェクトに関わっているのですが、今回もCitizenship Afternoonに合わせてそのプロジェクトのリーダーである同僚Jが計画したA Global Boroughという地域の歴史を学ぶツアーに参加することにしました。

このツアーは、イギリスの観光局公認の資格を持っているガイドさんと一緒に東ロンドンのAldgate EastやSpitalfields周辺を歩いて、そこに残っている古い建造物を訪ねながら東ロンドンの歴史を学び、東ロンドンを再発見しようというものです。

私の学校の生徒はほとんどがバングラデッシュ系のイギリス人。生まれや育ちも東ロンドン、特にBow, Stepney,Mile Endといったエリアなのです。でも、彼女らは自分たちの住む地域がどういう変遷を遂げてきたのかをほとんど知りません。彼女たちが生まれたときからすでにこの地域は人口のほとんどがアジア人というコミュニティですから。

今まで4年もこの学校で教えてきた私も地域の歴史に目を向けることが少なかったので、今回このツアーに参加して生徒とともに本当にたくさんのことを学びました。

あっ、次回のブログではぜひ私が今回学んだ東ロンドンの歴史について書きたいと思います。みなさんもきっと東ロンドンを今までとは違った感覚で見れるようになるのではないかと思います。

ちなみに今回のツアーで特別だったこと。企画者の同僚JはICT(日本でいうと情報処理という教科でしょうか)の教師で、私たちのために今回のツアーに学校が所有するHandheld PC(手のひらサイズの小さなコンピューター端末機)を持ってきてくれました。

生徒や教師の私たち一人ひとりに手渡されたPC。これを使って地図を見たり、GPSで現在地を確認したりできます。さらには内蔵されているソフトを使ってメモを取ったり、これまた内臓のカメラで写真を撮ったりとなかなかハイテク。私が中学生の頃はコンパクトでハイテクなモノといえばポケットベルやCDウオークマンくらいだったのに、、、。

さすが多機能な携帯やPCを使い慣れている現代っ子の私の生徒たち、短時間で見事Handheld PCを使いこないしていました。

技術的にも内容的にも、まさに「Eye-opening」な午後でした。

投稿者 lib : 10:41 PM | コメント (0)

June 27, 2008

Freaky Fridays

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今日は週の半ばにもかかわらず教職員の研修日でした。

つまり、生徒にとっては学校はお休みで(といっても何かの用事で来ている生徒はちらほら)、校内には基本的に教師と事務員だけ。

うちの学校の本校舎は廊下が3階まで吹き抜けになっており、まるでドラマのPrison Breakに出てくる刑務所のような作りで(ってわかるでしょうか?)普段は生徒の声ががんがん響くのですが、今日は本当に静か。

こういった校内研修日は毎年数回あります。今年は特に9月から改正された中学生とA-levelの学習指導要領が導入されるため、それに備えて新しい指導案や教材作りが進められており、先月に続いて2回目の準備日でもありました。

そして、もうひとつの目的は「Flexible Fridays」の計画。

9月から7年生に実験的に導入される企画で、毎週金曜日の半日(150分)を使って、生徒たちが普通授業から離れてプロジェクトワークをおこなうというものです。

大体240人ほどいる7年生の生徒たちは20人くらいのクラスに分けられ、それぞれのクラスがオリンピック選手、East London の歴史、Script writing(脚本を書くこと)、Healthy fun foodなど6つの違ったテーマを扱ったプロジェクトに参加します。

1つのプロジェクトの期間は6週間。1つのプロジェクトを終えると次のプロジェクトに参加するという仕組みで、一年後にはそれぞれの生徒たちが6つの全てのプロジェクトに参加したことになります。

さて、このプロジェクト、おもに二つの目的があります。一つ目は以前にも書いた「Learn to learn(学ぶために学ぶ)」、つまり子供が効果的に学習するための姿勢やスキルを学ぶ機会を与えること。そして二つ目は普通授業で個々の教科を単独に教えるだけではなくて、このプロジェクトを通して1つのテーマの中に色々な教科の要素があり、つながりがあるということを伝えようというものです。

例えば、歴史は地理や公民と切り離せないし、ディベートのしかた、研究の仕方、プレゼンテーションの仕方など学ぶべきスキルには共通点があります。そしてこれらの教科の理解を深めるには英語(こちらでは国語ですね)のスキルも必要、また、全ての教科の根底に多文化理解などの共通のテーマも存在します。

ただ、歴史を歴史として教えることは非常に大切であり、単なる子供の愛国心や市民育成の道具になってはならないというのが、歴史教育者の見解です。歴史を探求すること、探求するための理解やスキルを向上させること自体にちゃんとした意義があると信じるからです。

そのため、このプロジェクト導入がアナウンスされた当初は、それによって削られるであろう普通授業数とその影響への強い懸念がありました。現に歴史は二週間に与えられる授業数が150分から100分に削られてしまいます。うちの学科内でも「これでますます生徒の歴史や地理など人文学系の教科離れが進むのではないか」という批判がなされました。

とはいえ、学校がこういったプロジェクトを試験的にとはいえ導入することはすでに決められたことであり、私たち教員が決定を覆すことはできないのは事実。

「では、せめて歴史や地理特有の要素を強く持ったプロジェクトをせめて立てよう」

そういう思いで6つのプロジェクトの中のひとつは地元の歴史に焦点を当てたものになったのです。

私も一歴史教員として関わりたいと思いサポート員として関わることになったのですが、今日の会議では9月からはじまるというのにまだ各セッションの学習目標やトピックを決めた程度。

これから各セッションでどういう活動を生徒がするのかタスク設定をしたり、そこで使われる教材作りをするために我々教員が資料集めをしなくてはなりません。

骨のいる作業になりそうですが、関わった以上は何とか形にしなければなりません。

さて、この「Flexible Fridays」、このブログのタイトルでは「Freaky Fridays」となっていることに気づかれましたか?

実は同僚K(この間書いた、もうすぐ結婚を機に退職をする私の上司です)が文字ってこの企画をこう呼んでいるのです。

Freaky=Very strange, unusual、(日本語の辞書では)筋の通らぬ、風変わりな。

うちの学校はこういった企画が多数おこなわれるもののいまいち綿密な企画や準備が足りずに失敗に終わること多し。

「うーん、うまい!」

初めて聞いたとき、思わず感心してしまった私でした。でもこれからはこれに共感している場合ではないですね。

頑張らなければ、、、です。

投稿者 lib : 01:02 AM | コメント (0)

June 22, 2008

Road to China

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先週、同僚Nから教員全員へメールが送られてきました。

9年生の生徒Mが今年の夏、テーブルテニスのトレーニングとオリンピック観戦のために3週間中国へ行くというのです。

実はこの同僚N、Greenhouse Schools Project という公立学校やコミュニティでのスポーツ振興を目的としたプログラムを提供しているチャリティ団体から派遣されているイギリスのテーブルテニスのプロなのです。

私の学校ではこのテーブルテニスの選手育成プログラムが去年からスタートし、希望者や教師から推薦された子供たちがプロのコーチである同僚Nからほぼ毎日トレーニングを受けているようです。

生徒Mも当然そのうちの一人。去年、全く初心者の状態ではじめたわけですが、今では何千人もの子供たちの間から選ばれた中国に派遣される28人のうちの1人になるくらい素晴らしいプレーヤーに成長したのです。

実際、この間の放課後、体育館を通りかかったときに彼女がコーチと練習しているのを見たのですが、思わず窓にへばりついて見てしまいました。だって、彼女のストロークをする姿、まるでプロ並みなのです。

私は自分でもテニスをやるので球技する人のフォームって気になるのですが、本当に彼女のフォームは美しかった。一年前に初心者だったころの彼女のプレイを覚えているだけに本当に感動でした。

さて、日本にいる皆さんは、コーチに習って学校でスポーツをすることがそんなわざわざプロジェクトになるような特別ですごいことなのかと思われるかもしれません。

実はイギリスの公立学校には日本のような部活動がありません。教師が有志でおこなっている同好会のような活動はあるのですが、日本のように毎日週末も休まず練習する姿が見られることはないのです。もちろん、学費が一年で百何十万もする良い私立校に行けば、テニスクラブやクリケットクラブなど普通にあるのかもしれませんが、、、。

今、子供の肥満が社会問題として取り上げられるイギリスでは、政府が子供たちの間にスポーツを振興させようと必死です。実際、10年生、11年生でも体育がGCSEの必修科目になったりと政策での変化はあるのですが、それも二週間に一回授業があれば良い方で、子供たちが運動をする機会はほぼ皆無です。

特に私の勤務校は校庭も狭く、体育も敷地内の体育館や校庭では場所が足らず、学校から10分ほど離れた公共のグラウンドを使わなくてはならないほどです。

それに、私の生徒が多く住む東ロンドンは都心に近いので幹線道路が多くあり、車の交通量も多く、また、犯罪率も高いので小さな子供が自分たちで安心して走り回って遊べる場所は少ないのです。

また、親が子供にスポーツをさせない傾向もあるように思います。特に私の学校はムスリム家庭が大半の女子校ですから、水泳やサッカーを娘にさせることに抵抗感を持っている親御さんが多いのも事実。

ちなみにスポーツをするときはヘッドスカーフを安全上外さなくてはならないのですが、それもスポーツを積極的にさせない要因になっているのかもしれません。

そういう事情もあって、このテーブルテニスプロジェクトは、普段スポーツをする機会のない子供たち、特に親の経済事情でスポーツを定期的にやりたくてもできないような子供たちにチャンスを与える良い機会なのです。

さて、生徒M、渡航・滞在費用はGreenhouse Schoolsが負担するものの、これから夏までの間に自分でもFund raising(募金活動)をしなくてはならないのだそうです。先日、私のところにも来たので、いつもは数ポンドで済ませてしまう私もお札を渡しました。

アフリカ系のイギリス人である彼女、中国へ行くことも、家族(特に彼女の妹は同じ学校の8年生、それも同じプロジェクトに参加しています)と離れて3週間過ごすことも、オリンピックゲームを見ることも全て初体験。

彼女にとってこの旅が素晴らしい思い出になること間違いありません。そして、彼女がイギリスの代表選手となるのもそう遠い未来ではないかもしれません。

「あぁ、私もそんな体験がしたかったなぁ」と大人気なくも14歳の彼女を羨ましく思ってしまう私でした。

投稿者 lib : 12:22 AM | コメント (0)

June 12, 2008

チョコレートの国

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先週は、前回のブログに書いたように歴史旅行の引率で9年生とベルギーに行ってきました。

7時15分にコーチ(大型バス)に乗って出発し、Channel Tunnel のシャトル(ものすごく大きい電車に大型バスがそのまま載るのです)を利用してまずはフランスへ。そして、目的地のベルギーのフランダース地方へまた再びコーチにて向かいました。およそ3時間半くらいの旅だったでしょうか。

今回の旅の目的は第一次世界大戦の戦場をめぐることです。イギリス連邦やドイツ軍の戦没者墓地や保存されている塹壕、博物館などを訪ねます。

イギリスでは膨大な犠牲者が出た第一次世界大戦の追悼が大規模で、特に戦争が終結した11月11日に向けて毎年さまざまなイベントがあります。

その時期に限らず、大戦で亡くなった兵士たちの家族たちや退役軍人たちが年間を通してフランスやベルギーの墓地を訪れるようです。また、現役の兵士たちも軍教育の一環として戦場ツアーに参加することが必須だそうです。

私自身、このベルギー旅行は4年続けて参加していますが、墓地へ献花に訪れている人々を多く見かけてきました。

ちなみにいくら引率する私たちが歴史教師とはいえ、大戦の知識は限られますので、毎回知識豊富なツアーガイドさんに同行してもらっています。私たちがいつもお願いしているのは退役した元軍人の人たちなのですが、今年はなんと現役の軍人さんが担当になりました。

去年はアフガンで任務についていたそうですが、今年はイギリスで待機しており、副業として訓練中の兵士や学校向けのガイドの仕事を引き受けているそうです。

私も生徒も現役軍人と接するのは初めて。イギリスが現在関わっている戦役についてここで詳しく語るのは控えますが、とにかく彼は現在も軍事行動に関わっているわけです。

私自身、第二次世界大戦後、ベトナム戦争も幼少時に終結した世代に生まれた人間ですから、戦争というのはどうも本やテレビの向こう側という感覚が拭えません。それが今回、実際に戦場で自分の命を危険にさらしている人と接し、不思議な気持ちになりました。

たぶん彼は30代後半か40代だと思いますがとても明るい人で、生徒を自分の話に引き込むのが上手。今まで一番子供と接するのに慣れているガイドさんだったと思います。実際、戦闘に出たことのある人物の言葉は子供たちの心にもいつもより響いたようです。私たち教師は「来年もあの人にお願いしたい」と思ったほどです。

周りで人が怪我をし、死んでいく恐怖、悲しみについて、ちらりと語ってくれましたが、とても良かったのは彼よりもずっと若い部下が書いたという詩。

9年生も授業で第一次大戦中に兵士たちが書いた詩(War poem)を勉強しており、かつての兵士たちの気持ちと今も戦っている兵士たちの心の中にたくさんの共通点を見出したようです。

それからこのツアーの目的のひとつに、イギリス連邦のなかでもインドやカリビアンから戦場に送られた中央アジア人・アフロカリビアン、そして男性兵士だけでなく、看護師として戦場に赴いた女性たちについても学ぶこと、というのがあります。

私の学校の生徒は大半がバングラデッシュ系移民の子供たちですから、曾祖父の世代までたどればもちろんインドともつながりがあります。それでも第一次世界大戦が自分たちの祖先と関わっていることをなかなか実感する機会はありません。

どうしてもキリスト教、白人イギリス人の戦争というイメージを強く持っているようです。それがこの旅の中でイギリス軍にシーク教徒やイスラム教徒もいたことを発見し、驚きを隠せないようでした。

さて、ツアーの最後にはYpresという街を訪れます。生徒にとってはお待ちかねの自由行動の時間です。毎年街の中心にあるチョコレート屋に立ち寄って、それから一時間ほど生徒だけで買い物にいそしむのです。その間に私たちは近くのレストランで夕ご飯。

実はその街を訪れる理由は他にあります。そこにはイギリス連邦の兵たちを追悼する大きな門(Menin Gate)が立てられており、1929年から毎年ここで(ナチスドイツ軍が占領していた4年間を除いて)一日も途切れることなく午後8時から10分ほどの追悼式(The Last Post Ceremony)開かれています。

毎年私たちが訪れるときは生徒数人に代表になってもらい、儀式のなかで献花をおこなっています。他にも観光客やイギリス各地から訪れている退役軍人のグループでいつ訪れても人で溢れ返ります。

式が終わると帰りのシャトルに間に合うようにすぐにコーチで帰途へ。イギリスに戻り、学校へ到着したのは11時半ごろでした。全ての生徒が無事保護者に迎えられ帰宅の途についたころにはすでに12時近く。ずっと気を張っていて疲れましたが今回も無事に終わりました。

毎年同じ場所を訪れるとはいえ、参加する生徒も違うし、ガイドさんも変わるので私自身新しい発見が毎回あります。今回もとても充実した旅になりました。来年もまたどんな発見があるのか、、、楽しみです。

投稿者 lib : 11:21 PM | コメント (1)

June 06, 2008

(Please)

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明日は早朝から9年生の歴史旅行の引率でベルギーに向かいます。

彼女らはちょうど今、第一次世界大戦について授業で学んでいる最中です。この旅行では、フランダース地方のtrench(塹壕)跡や、戦没者墓地、博物館を巡ったりします。

旅程表や大型バスの手配、ツアーガイドの手配などは完全に旅行会社にまかせるので楽なのですが、それ以外の準備は私が担当です。

今年は準備期間も一ヶ月しかなかったので、例年のように最初にある程度希望者を募るのではなく、一クラスから5人ほど選びました。来年、GCSEで歴史を選択した子、いつも授業で頑張っている子、最近、すごく伸びた子などを基準に選びました。

その後は、それぞれの生徒から保護者の許可証、Medical form(生徒の健康状態、疾患などを保護者が申告するための書類)を提出させ、旅行費用の生徒負担分である10ポンド(約二千円)を集金し、コピーをとるためにパスポートの回収します。

問題なく提出してくれた生徒はいいのですが、「親が許可をくれない」「パスポートが切れてていけない」「単に行きたくない」など、辞退する子供が10人ほど現れ、さらに困ったことに、その辞退した生徒たちのかわりに旅行に行きたいばかりに「Miss! Can I go? Can I go?」と毎日のように私に会いに来る生徒が続出。

私が担任として持ってるクラスの生徒Tもその一人。毎朝朝礼に来ると「Miss, is there any place left for the trip?」と聞いてきます。他にもうちのクラスに希望者は3人ほどいたのですが、その中でも彼女が一番積極的。

その時点では選ばれた生徒からの参加表明は全部そろってはいないものの、リスト上では空きのない状態。行けるよとは言えません。

しかも、そのTは過去3年間、度々その勝気な性格から喧嘩をしたり、授業中の教師への態度の悪さが問題になったりした生徒。

普段の授業で態度が悪かったりする生徒はもちろんかなりの注意を要する海外旅行へは連れて行けないので、どんなに本人が行きたいといってもどの子にチャンスをあげるのかは慎重に考えなくてはいけません。

ただ、この機会をあげることによって態度が好転したり、授業で頑張りだしたりする子がいるのも事実。Tも最近だいぶ成長して落ち着いてきたことに違いはないのですが。

そんな風に色々考えていた矢先、旅行に参加するはずだったうちのクラスの一人、Kがパスポートの期限が切れていることに気づいたため突如辞退しました。

さぁ、誰がかわりに行くのか。希望者の子供たち数人の目が急に輝きます。「放課後までには決めるからね。遅くとも明日の朝には教えてあげるね」とその場をおさめましたが、内心焦り。そう言った以上、私が決断しなくてはいけませんから。

結局、希望者の生徒たちの普段の態度、今まで参加した旅行の回数の多さなどを考慮した結果、Tにチャンスをあげようと90パーセントくらい心に決めた私。

そして帰り支度をしようと、オフィスの自分の机をふとみると、小さな小さなメモ(というよりも指でちぎられた紙切れ)が置いてありました。

そこに一文。

「Can you call my house if I got a space for Belgium trip?」

そして、その隅に明らかに付け加えて、(Please)と括弧付きで書いてあります。

うちの学校の生徒って「Please」と付けないで教師や友達に物を頼んだりしてよく叱られるのです。書き終わってからPleaseを付けないとまずいと思ったのでしょうね。思わずにんまり笑ってしまいました。

しかも読み終えた瞬間、誰が残していったのか直感で分かりました。Tに違いないと。

案の定、裏を見たら彼女の名前が。

これで10パーセントの私の迷いは消えました。括弧つきのPleaseに手で適当にちぎられた紙切れのメモ。彼女のなんというか、ちょっと中途半端な情熱表現に負けたというか、、、。

その後、電話越しで彼女のとても嬉しそうな声を聞いて、この子は当日も大丈夫かなと思いました。もともと参加したい動機が歴史への興味ではなく、ベルギーでのチョコレートショッピングであることは彼女の言動から明らかでしたが、まぁそれには目を瞑ってあげて。

とにかく、明日出発です。(旅行記は来週のブログで)

投稿者 lib : 11:25 AM | コメント (4)

May 30, 2008

初心にかえる

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今週はハーフターム。

普通の授業はお休みで、試験に向けた補習授業だけがおこなわれています。

私も金曜日は1コマ授業をおこなうのですが、一体何人来ることやら、、、。なにせ、去年は6人くらいの参加でしたから。

さて、ここから本題。

先週の金曜日は研修日(INSETと呼ばれます)でした。生徒は一日早くハーフハームホリデーに入り、この日は校内にいるのは教職員だけ。

研修の目的は、来年度(9月)から7年生に導入される新しい学習指導要領に基づく指導計画を各学科でおこなうこと。

歴史学科も私、同僚Mと同僚K,そして5月中旬から新しくAssistant Headteacher(副校長より1つ下の役職)に就任したベテラン歴史教諭でもある同僚Vで計画を立てることに。

新しい学習指導要領について説明するにはイギリスの歴史教育の概念なども説明する必要があるので、これはまたの機会(たぶん夏休み)に書きたいと思いますが、とにかく、この会議ではどのように新しい基準に合わせて授業をデザインしていくかが話し合われました。

日本の歴史科のように国の検定教科書を使って編年史を教えるわけではなく、中世、チューダー朝、産業革命時代などといくつかの時代をわりと掘り下げて教えるイギリスの歴史授業。しかも、教えるトピックの選択、課題のデザインなどは各学校で異なり、教師の自由裁量によるところが大きいので、一から全部作り上げていくのは大変な作業です。

なんとかここ数年で作り上げてきた授業の指導計画表、教材などを活かしつつできないものかと、同僚と朝9時半から午後3時までお昼の間以外、みっちり話し合いました。

色々な意見が飛び交い、時には同僚M・同僚Kと新しい同僚Vの間に意見の食い違いから微妙な空気が流れる場面もありましたが、なかなか充実した時間になりました。

実は私、教育実習のころから授業計画を立てて教材を作るのが好きです。当時(そして今も)英語は完璧ではない分、教材作りには時間をかけて自分で納得できる、自信のあるものを作れるようにしようと一番努力をしていた部分だったのです。今でももっと時間があれば色々作れるのにと思います。

今回、また、新しいアイディアを活かした教材作りができそうなので楽しみです。なんでも一から教材を作っていた実習生だったころの新鮮な感覚が蘇ってくるようです。

これからかかるであろう時間と労力を想像すると恐ろしいですが、、、。

投稿者 lib : 09:28 AM | コメント (0)

May 22, 2008

弾丸トーク

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弾丸トークという表現、今でも使われるでしょうか。要は弾丸のように間髪入れずにしゃべりまくることをいうのですが。

で、なんでこんな言葉をテーマにブログを書くのかというと、、、。

今日の私がまさにその弾丸トーク実践者だったからです。

うちの学校では各学年で一年に一回、生徒と保護者が各教科担当の教師と三者面談をする機会があります。放課後におこなわれるのでよくParents’ eveningと呼ばれます。

今日は7年生の保護者・生徒との三者面談の日でした。

3時半から7時までの間、ほぼノンストップで面接をおこないました。5分ずつのアポイントメントですが、あまりにも面談しなくてはいけない生徒が多いので1つの時間枠に無理やり二人予約をいれたりもしました。

面接ではこちらがその子供の普段の学習態度や成績について話したあと、今後の目標について話したりするのですが、その間、保護者から積極的に質問したり、生徒の様子などを話してくれることはまれです。

英語が母国語でない親も多いので、どうしても私の弾丸トークで終わってしまうことも多いのです。生徒に通訳してもらわないとなかなかこちらのいうことも伝わらないことが多いです。

そして、文化なのでしょうか、イギリス生まれでないバングラデッシュ系の生徒のお母さん方は途中で意見を求めたり、質問があるかたずねてもひかえめな反応です。最後にかすかに微笑んで「ありがとうございました」というのみ、な場合が多いのです。

どちらかというと男親、白人・黒人イギリス人の母親のほうが色々質問をしてきます。

教師生活も4年になると、保護者との面談もだいぶ慣れました。でも、生徒も色々、親も色々で、普段はやんちゃなのに親の前だと借りてきた猫のようになる生徒もいれば、ここぞとばかり自分の正当性を主張したりする子もいます。

まれに面と向かって教師を批判してくる子供も(過去二回ほどこういう場面に遭遇しています。私から見れば全く持って責任転嫁なのですが)。

そんなわが子を前に親の反応も様々。子供を律することが出来ずに途方にくれる親、目も前で子供を叱るものの子供は上の空な親、子供の主張を真に受けて子供の肩ばかりもつ親、、、。

とはいえ、私の勤務校の保護者は総じて理解があり、サポートする姿勢を見せてくれる人々ばかりです。

子供の気持ちを汲もうと努力し、我々学校側の人間を理解しようとしてくれる姿勢のある親御さんには本当に感謝しています。

なかには実際に学校でアシスタントをしていたり、私と同じように教師をしている親もいますのでそういう保護者と話すと大抵は、「わかるわよ、あなたの気持ち。お互い色々あるわよね」となります。

ただ、今日の面談は低学年である7年生の生徒とその保護者ですから、前々回の9年生の三者面談とは趣きがかなり異なりました。7年生はまだ総じて素直で純粋な学びへの好奇心が強いので、授業も楽しんで頑張ってくれる生徒がたくさんいます。

特に今年教えている2クラスは教えてるこちらも本当にやりがいがあり、リラックスして教えられます。向こうの瞳がキラキラ輝いていると私も頑張らなくてはと自然に思わされるのです。

こういう純粋さは8年生になると薄れることが多く、9年生になると本当に個性が出るというか、まとめるのは難しくなっていくものですが。

とにかく今回も無事に終わりました。弾丸トークの末に声はガラガラになりましたが、有意義な時間であったと思います。

明日は久々の研修日。授業がないので喉をゆっくり休めます。

投稿者 lib : 11:54 PM | コメント (0)

May 16, 2008

バナナパワー

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先週は9年生のSATsテストがありました。

SATs(サッツと読みます)というのは、Englandの学校でおこなわれる英語、数学、理科の3科目の学力テストのことで、国の定めたNational Curriculum(学習指導要領)に基づいて全国統一の問題が出題されます。

初等教育の後期課程にあたるKey Stage 2と中等教育にあたるKey Stage3の最後におこなわれるテストです。学年でいうと6年生と9年生で受験します。

このSATs、子供に試験のための詰め込み式の学習をさせることになるため、子供が本来持っているはずの「学ぶことへの意欲・学ぶことを楽しむ心」を失わせ、授業も点数を取るためのテクニックばかりが偏重されるようになり、現在の教育問題の根源だとして廃止を求める声も多いテストです。

しかしながら、現実問題として学校として良いスコアを出さなければ学校の評判は落ちるわけですから、各教科を教える同僚たちは必死です。

結果がはっきり点数に出てしまうテストですから彼らにかかるプレッシャーは計り知れません。何度も補習・復習授業をやったりと、先週までの同僚たちの苦労は相当なものだったと思います。

さて、SATsの週は9年生は毎日試験のため、当然、私の担当する歴史も含めて他の教科の9年生の授業がおこなわれません。

代わりに試験と試験の合間にある授業時間に普段担当しているクラスの復習を手伝ったり、試験監督をしている先生の代わりに代理で授業を担当したりします。

手伝うといっても専門外の教科だと本当に教えるのが大変で、実際、理科の過去問題を解くのを手伝いましたが、英語で理科の専門用語を知らなかったりとかなり冷や汗モノでした。楽しい経験でしたが。

ところで、表題の「バナナパワー」って何だと思います?

ある日の放課後、理科の学科主任である同僚Jが職員用の廊下でバナナが何十本も入っているダンボール箱をチェックしているので「何なのそれ?」とたずねたら、「明日は9年生が理科の試験だから朝にこれを配るんだよ」と。

確かにその日の朝、うちのクラスの生徒が「理科の先生が試験の日にバナナをくれるんだ!」と言ってましたっけ。そのときはそんなこと本当にするのかなぁと半信半疑だったのですが(ごめんなさい、J)。

なんと彼は各クラス20本ずつほど、計160本ものバナナを生徒のために買ってきたというのです。

バナナはとても良いエネルギー源で、実際に頭の働きや集中力を高めてくれるらしいです。朝食をちゃんと食べずに(って私は人のこと言えないのですが)朝からスナック菓子ばかり食べがちな子供たちになんとか健康なものをと彼が考案したこのプレゼント。

「スーパーで全部レジに持っていったら数が多すぎて最初清算拒否されたんだよ」とバナナを買いに行ったときのエピソードを笑顔で披露するJ。生徒を思いやる先生の鑑ですね。

これから夏学期もあと二ヶ月ありますが、9年生はSATsが終わるとどうしても気が緩みます。「試験終わったから夏まで勉強しなくてもいいじゃーん」と。

そんな緩みきった9年生の脳をどうやって活性化させられるか。

、、、私もバナナ配ろうかな。

と、ちらりと考えた私です。

投稿者 lib : 11:16 PM | コメント (0)

May 08, 2008

嵐のあと。

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ついこの間春休みが終わり、夏学期が始まったと思っていたらあっという間に3週間が過ぎてしまいました。

実は先週までの2週間は11年生のGCSEコースの必修課題(Courseworkと呼ばれています)の成績提出を試験機関にするための作業に追われていたのです。

GCSEは日本でいう高等学校レベルの二年間コースなのですが、歴史コースでは最終学年である11年生の夏に行われる4つの試験の受験に加え、二年間の間にエッセイなどの個人課題を2つ終わらせて提出することが必須です。

試験と課題、両方の成績から最終的なグレード(A*から下はGまで。それ以下の成績だとU-Ungradedとなる)が決まるのです。課題が占める割合は25パーセント。結構な比重ですね。

イギリスの教育制度は日本とかなり違い、それを分かりやすく説明するのは難しいのですが、国の定める基準をもとに、OCRやEdexcelなど複数ある試験機関がそれぞれカリキュラム・シラバスを作成し、試験問題も作成します。

それぞれの学校・それぞれの学科がどの試験機関を選ぶかは自由で、特に歴史教科ではどの時代・トピックを教えるか、我々に比較的広い選択肢が与えられています。学校が違うと教えている内容が全然違うなんてことはよくあるのです。

課題のエッセイトピックなども選択肢の中から学校が選ぶのですが、Edexcelを使っている私の学校ではVotes for Women(イギリスの女性参政権運動)とIndian Independence(インド独立)の二つを課題のトピックとして選んでおり、それに合わせて生徒の指導しています。

さて、去年・今年と今の11年生に課題を提出させるまで色々ありましたが、それもようやく済み(といっても結局提出できなかった生徒もいるのですが)、いよいよそれを評価する時期が来ました。課題の評価をするのは私たち教師の仕事です。

まず、それぞれの生徒の課題をマークスキームと呼ばれる採点基準をもとに評価し、点数を出します。それから、採点に関わった教師全員でModerationという作業をします。

Moderationというのは、一人の教師が採点した課題を他の教師が読み直し、与えられた評価が妥当なものかチェックする作業です。評価の均質化とでもいえばいいでしょうか。

歴史の課題はすべてエッセイなど生徒がそれぞれ書いたものですから、もともと教師にとって点数を出すことは決して容易ではありません。それに加え、自校で評価が行われるわけですから評価の公平さが非常に重要なのです。

同じ課題を採点しても評価をする教師が違えば評価自体に多少の差が出てくることがたくさんあります。評価の偏りや不公平さを限りなくなくすためにModerationをしっかり行うことが大切なのです。教師が自分の生徒の課題を贔屓目で評価することはあってはなりませんから。

ですから、Moderationが終わると生徒全員の点数をEdexcelに提出すると共に、我々の評価の公平さを証明する目的で、Edexcelに無作為に選ばれた何人かの生徒の課題をサンプルとして外部の採点官に送らなければならないのです。
そこで再度評価さて、我々の評価に問題がないと判断されて初めて提出した評価が認められるわけです。

そういうわけで、5月上旬の締め切りに間に合うように、今年も春休み後の一週間の間、授業の合間や放課後、週末の時間を使って課題の採点をおこない、二週目の最初に丸一日使って同僚とModerationをおこなったのです。一日中エッセイを読み続けなくてはならないので毎年これはとても疲れます。

この作業が終わると、一日でも提出が遅れてはならないので、Edexcelに送る成績表と、外部の採点官に送る課題とそれに添付して送る書類や、Moderationをおこなった証拠となる文書をチェックします。不備があると大変なので緊張する作業です。全て整ったことを確認し、先週半ばやっと私の学校の試験オフィスに持っていくことが出来ました。

放課後にそのオフィスで働く同僚から「ちゃんと郵送しておいたよ」といわれたときは本当にほっとしました。まさに嵐が過ぎたといった感じ。毎年毎年繰り返すことなのですが、何度やっても緊張する作業です。

お世辞にも要領がいいといえない私はきっと来年もどたばたすることでしょう。

投稿者 lib : 11:21 PM | コメント (2)

May 02, 2008

着物デビュー

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今日はタイトルそのままのお話です。

そう、先週の金曜日、私の勤務校で着物デビューしました。

実はここ数年、母の若いときの着物を譲ってもらったのをきっかけに着物に興味がでて、ロンドンでも機会があれば着るようになりました。

といっても着付けは初心者で袋帯を使った帯作りはお太鼓さえ自分でやったことが無いので作り帯でしのいでいる状態ですが。

さて、数ヶ月前のある日、私の教室に8年生の生徒たちがやってきました。

「先生、ファッションショーにでませんか?」

その子たちは私のJapanese Clubにも来てくれていて、思いやりのある真面目でよい子達。彼女たちのクラスでチャリティイベントとして教師と生徒がモデルとなって出演するファッションショーを企画しているというのです。

数年前にも中央アジアの衣装を着て生徒が企画したファッションショーに出たことはありましたが、今回は国際色に富んだショーになるとのことなので私にも着物で出て欲しいと依頼されました。

もちろん、チャリティのためならと即OK。それに生徒と授業以外で交流できるのは本当に楽しいのです。彼女らの違う面も見れるし、逆に私の教室以外での姿もちょっと見て欲しいという気持ちもありますし。

で、いざ引き受けたものの、冷静になって考えるとちょっと心配に。なぜなら、ショーは平日金曜日の放課後とのこと。

「一体、どんな着物を着ればいいのか、、、」

せめて、小紋くらい着れたらどんなにいいかと思うのですが、なにせ着付け初心者の私にはこれは大仕事。以前、初めから自分で着付けたときも着物を着終えるのに二時間はかかったのです。作り帯を使ったとしても完成までに3時間は時間に余裕をもたせないと駄目な私です。

とてもじゃないですが、一日中授業があって忙しい金曜日にそんなことできるはずありません。ショーも4時半からですし、急いだって間に合いそうもないですし。

となると簡単に着れるのは、、、浴衣。

4月に浴衣なんて常識から考えたら変なのですが、もうこれしかありません。

というわけで、着ました。季節はずれの浴衣を。

しかも、母が着付けを習っていたときに使っていた本当にベーシックな柄の紺色の浴衣です。自分の手持ちの浴衣よりも色使いや柄が女の子受けしそうなかわいらしいものだったので決めました。そして帯はトンボ柄が入ったからし色の半幅帯。

着付けに費やした時間-約10分。

人生で最短です。おはしょりの出方が多少均等じゃなくてもいいやー、と半ば投げやりな気持ちで着付けました。帯結びも一番簡単な文庫結びで。誰も着付けの上手い下手が分かる人が観客にいないので相当大胆になっていました。

さて、肝心の私のキャットウォークパフォーマンスですが、同僚3人(彼女らはサリーやカミーズなどのアジアの衣装で)と一緒に手短に動きも打ち合わせていたのでスムーズにいきました。歓声を浴びるのって結構気持ちいいものですね。

ステージの中央では「なっ、なんか日本人っぽいことをしなければ」と日本式にゆっくりとお辞儀をしておきました。そういう動作ってうちの学校の生徒は見慣れていないので良い意味で面白く思ってくれたようです。

ショーでは他にもオーストラリア人の同僚たちが国旗を身にまとってラグビー技を披露したり、音楽教師のAが一人で登場してなかなかセクシーなキャットウォークを見せてくれたりと盛りだくさんでした。

学校で着物。また機会があれば着たいものです。ちょっとあれで授業をするのは不便でしょうけれど、、、。

投稿者 lib : 12:47 AM | コメント (0)

April 24, 2008

春が来た。

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実は先週、先々週は春休みで二週間学校が休みでした。その間、ロンドンを離れて地球の反対側にいたのですが、帰ってきてびっくりしました。

二週間いなかった間に日が一気に伸びているという事実に。

イギリスに在住の皆さんはもちろん日々実感なさっているかと思いますが、ついこの間まで朝の出勤時は薄暗く、帰宅時間には外は真っ暗な毎日が続いていたと思ったのに、3月末に夏時間が始まってからは特に急速に日が長くなっていっているように感じるのです。

イギリスの冬は天気も悪いし、日もかなり短いです。12月の下旬だと朝の8時ではまだ薄暗く、午後の4時過ぎには日が翳り始めます。緯度を考えればイギリスは北海道よりも北の地ですから不思議ではないのですが、この国に来た当初は本当に驚きました。初めて来たのが7月だったのでその年の冬は余計に暗く感じましたっけ。

逆にイギリスの夏は日が長いです。夜の10時くらいでもまだ外が結構明るい感じです。すでに4月下旬の今でも8時半くらいまで外が明るいほど日が伸びでいます。本当に待ち望んでいた季節の到来です。

教員という仕事は外で活動することがあまりありませんし、私自身、休み時間もめったに外にでることがないのですが、ふとしたときに目に入る窓の外の景色に結構影響されます。冬の間にこういう風に朝起きれなかったり、憂鬱になったり、症状が進めば本当のうつ症状が出る人も多いと聞きます。これはSeasonal Affective Disorder(Winter Depression)といわれ、冬の日照時間の短い国々では一般的です。イギリでは特に北のスコットランドで症状に悩む人が多いそうです。

やはり、私も暗い冬は何事もネガティブに捉えてしまいがちなような気がします。冬の間は朝日で目が覚めることが無いので、もともと目覚めの悪い私にはもっと朝がつらくなります。イギリスの某家電メーカーが出している「Wake-up light」なるものの購入を真剣に考えたほどです。これは目覚ましと卓上ランプが一緒になったもので、朝に起きたい時間をセットしておくとそれに合わせてランプが徐々に明るくなって、人間の交感神経に働きかけて、自然な形で脳と体を眠りから覚ましていくというものです。

一日のスタートがそんな感じだと、日中、なんとなく気分が晴れず、授業中にあったささいなことでも重く受け止めてしまったり、放課後の教室で真っ暗な外を横目に見ながら憂鬱な気分で採点をしたり、、、。これでも数年前よりだいぶ慣れて、心に余裕が出来たのですが。

それが今回、休みからロンドンに戻ってみたら急に明るい。天気や日の長さに加えて、木々の新緑が美しい。

今日も放課後いつものように採点をしたり、たまった仕事を片付けていたのですが、窓から入ってくる爽やかな風と外から差し込む明るい日差しに私の集中力も増したようで、いつもより要領よく仕事ができました。こんな日が毎日だといいのに。

さらに、私の教室のすぐ外には色々な草木、花が植えられており、その植物たちが日に照らされてきらきらと輝いています。しばらく眺めていても飽きない景色です。

何とも贅沢な気分になった放課後でした。

投稿者 lib : 11:27 PM | コメント (0)

April 17, 2008

お窓様

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今回は教室についてのお話をひとつ。

イギリスの中学高校では授業毎に教師が教室を移動するのではなく、生徒が移動するのが基本です。日本でも理科室や家庭科室など学科の用途に合わせて作られている教室がありますが、イギリスではそういう特殊な道具や施設が必要な教科に限らず、全ての教科に専用の教室が割り当てられています。私の学校ですと、私の専門教科である歴史科の教室は三つ。本校舎の1階部分にあります。

もちろん教室の数より教師の数の方が多いので、一教師一教室というわけにはいかないのですが、フルタイムで教えている専任の教師は授業をおこなう教室がなるべくいつも同じになるように時間割が組まれています。歴史科は数学科や英語科と比べると教師の数も少ないので、私は幸運な事に一年目から自分の教室を貰えました。私の授業は10年生より上の学年以外は全てその教室でおこなわれます。

私の授業の時間になると生徒が私の教室にやってくるのです。もちろん他の学科の教師が、教室が足らなくて使うこともありますが、基本は私の独占状態ですので教材や授業で使う道具も全てそこに置いておけます。授業準備も休み時間の間に移動せずにできるので楽です。

自分の教室があると机や椅子の位置や部屋のデコレーション(掲示板に貼る背景の紙の色やポスター、掲示物も含めて)も自分好みにできるので自然愛着が生まれます。ちょっとした「自分の城」なのです。どうしたらカラフルで面白くて子供の学習意欲を高めるような教室作りができるか、という内容の校外研修を主催する会社もあるくらいです。はじめてその研修会の広告を見たときは驚きましたし、今でもわざわざそれに参加してまで学ぼうとは思いませんが。

さて、そんな私の「城」ですが、かなり困った事があります。以前にも書きましたが、私の学科がある本校舎では窓にかなりの難があるのです。一体窓のちゃんと開かない部屋が校舎の中にいくつあることか、、、。建て付けが悪かったり、窓を支える金具が壊れていたりと、開かずの窓に苦しむ教師は私だけではありません。なにせ、窓が開かなければ30人の生徒と夏の暑い日でも新鮮な空気が入る事のない教室、いえ、「サウナ」で100分授業をすることになるのですから。

思えば私があの部屋で授業をするようになってからの約3年半、下手をしたら窓が開かなかった期間の方が長かったのではないでしょうか。私の学校の校舎はもちろん建設業者が建てた物で、現在、学校と契約している管理会社が設備のメンテナンス・校舎の警備をおこなっています。ところが、肝心な窓枠を入れた業者が随分前に倒産したらしく、どんなに難があっても窓枠ごと新しく換えられる事はないのです。

一旦壊れれば、メンテナンス会社と連絡をとって修理するしかありません。でも、その修理がなされるのが遅い。現に数ヶ月前に壊れた窓が修理されたのはつい数週間前の事でした。用務員のおじさんに言っても「俺らには直せないよ」と言うばかり。どういう手続きをすれば直してもらえるのかも教えてはくれません。彼らの雇い主である管理会社に連絡してくれれば済むと思うのですがそれすらしてくれない。今回のことについても滅多に会うことのない校舎・設備の総責任者である同僚Dに直談判をしてやっと直してもらったのです。「はじめから彼に頼んでおけばよかった」と心底思いました。

さぁ、これから夏。イギリスとはいえ、天気が良ければ気温は上がります。私の城が快適な環境であるために不可欠である二つの窓。その窓が壊れればまたサウナ状態での授業になるのです。それはどうしても避けたい私。「お願いだから壊れないでね」と毎日窓にご機嫌伺いをする毎日が続きます。

投稿者 lib : 10:38 PM | コメント (0)

April 04, 2008

The X-Factor

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「The X-Factor」というテレビ番組がイギリスにあります。いわゆる才能のある歌手を発掘しようというオーディション番組で、イギリスでは人気のシリーズになっています。

実は去年から私の勤務校でこの番組を真似たイベントが音楽学科主催でおこなわれています。企画名も「X-Factor」。完全なるパクリですね(笑)

生徒の中から参加者を募り、一次選考、二次選考とオーディションを行って本選出場者を決定します。今年は10組くらいが本選まで残ったでしょうか。

その中に実は、私が担任を持つ9年生クラスの生徒R、そしてクラスは違いますがそのこと一緒にデュオとして出演する同じく9年生のGがいました。

生徒Rは元気のいい女の子。時々突拍子も無いことを言ったりやったりして私とクラスの皆を驚かせ、そして笑わせますが、パワー全開、快活で素直な生徒です。そして、決して他人に流されない、とても独立心のある子供。そのせいでちょっと他の子から浮いてる、、、と見られがちなのですが、クラスのポジティブムードメーカー的な存在です。

彼女のお母さんとは何回か三社面談で会ったことがありますが、実は今までで一番印象に残っているお母さんです。他にも娘さんがいて、「私はね、自分の子供をすーごく愛してるのよ。宝物なのよ」と嬉しそうに「いつも持ち歩いてるの」と娘さんたちの写真を私に見せてくれた人です。こんな歳の私でも「いいなぁ、ああいうお母さんがいて、、、」と思ってしまいました。

本当に素直な人で、生徒Rが悪いことをしたと聞けば叱り、でも愛情は惜しみなく注ぐ、、、生徒Rがなぜあんなにいつも幸せそうで素直なのか分かる気がします。まぁ、去年はそんなRも思春期だったからなのか、少々感情の起伏が激しく、接するのが難しい時期もありましたが。

さて、そんな彼女と一緒に組んだのは私が歴史を教えているクラスにいる生徒G。実は、一月に書いた「アニメの力」という話に出てくる生徒Gと同一人物です。机に向かってする勉強が本当に苦手(というよりも怠けモノ)な彼女。でも、Japanese Clubに来るときは夢中になって質問したり、漫画を描いたりするのです。音楽もそんな彼女が情熱を注ぐものの一つです。

この二人、順調にオーディションを勝ち抜き、今週の火曜日に終に本選出場となりました。私も普段見られない生徒たちの姿が見れるので、火曜日の放課後に本選を見てきました。

最初はGとRだけちょこっと見るつもりでいったのですが、パフォーマンスを見だしたらこっちが夢中になりました。全ての生徒がすばらしかった。お世辞にもすごく上手いと言える生徒ばかりではありませんでしたが、100人近くいる観客(保護者も何人か来ていました)前で歌うなんて大の大人でも簡単に出来ることではないはずです。なかには「えー、あの子があんなに上手なんて!」と嬉しい発見もありました。

そして、いよいよGとRのパフォーマンス。彼女たちが選んだのはJohn LegendのOrdinary People という曲です。はっきり言って、最初の数フレーズを聞いただけでたぶん会場のほとんどの人が「この子達、すごく上手い」と思ったと思います。声量も音程のとり方も抜群。堂々とそして落ち着いた雰囲気で二人はこのとても難しい曲を歌いきりました。会場からは曲が終わった瞬間に大きな歓声が。

残念ながら私はこのあとやらなければならないことがあって結果を聞く前に会場を後にしたのですが、この子たちが優勝するなとほぼ確信していました。

そして、程なくイベントが終了したらしく、がやがやと廊下を歩いていた生徒たちに結果を聞きました。「RとGのデュオが優勝したよ」と。

やったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

うきうきしながら歩いていた駅までの帰り道、生徒Rが家族と一緒に道を歩いていました。思わず遠くから「R!よく頑張ったね!!あなたたちがほんと一番すごかったよ。おめでとう!」と叫んでしまいました。

すこし恥ずかしそうにでも嬉しそうに振り返って手を振ってくれたR。とても幸せになった夕方のひと時でした。

投稿者 lib : 09:54 AM | コメント (0)

March 27, 2008

お星様きらきら、瞳きらきら。

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イースター明けの今日、兼ねてより楽しみにしていた授業がありました。

実は、EAL(English as an additional language) group、つまり英語が母国語ではない子供を集めた小さなクラスでEAL専門の教師である同僚UとTeam teaching(複数の教師がチームになって一緒におこなう授業)をする約束を数週間前にしていたのです。

移民の多いロンドンでは大抵どこの学校へ行っても必ずEALの子供がいます。学校によってサポートする体制に多少差はあるかと思いますが、普通、In-class supportと言って、専門のアシスタントスタッフが普通授業のなかでEALの子供を個別にサポートするか、Withdrawal sessionといってEALの子供たちだけを集めてEAL teacherが別の場所で授業をするかのどちらかになります。

最近では「Inclusion」というコンセプトが当たり前になってきていて、EALでもビギナーレベルの生徒以外はなるべく普通の授業に参加して他の子供たちと一緒に学ぶほうが英語の伸びが良いとされています。これは現場では是非の問われるところですが。

さて、なぜ歴史教員の私がそのEALの授業に参加することになったのかといいますと、、、。同僚Uが授業で自分が日本の俳句について教えるからその延長で私に日本語、それから日本の書道について子供たちに教えて欲しいと頼んできたのです。

私自身、書道は実は幼少期から小学校の高学年まで習っていたので基礎は知っていますし、自分の運営する部活であるJapanese Clubでも教えたことがありました。道具もそのために日本から3組ほど持ってきていたのがあったので即OKしました。

そして今日の二時限目にその授業はありました。そのEALのクラスは私の教室でいつも授業がおこなわれているので、たまに彼女らの授業の様子を垣間見ることがあります。生徒も全員で6人。私がいつも教える授業は大抵30人クラスですから、本当に小さなグループです。

生徒の国籍と人種は様々。バングラデッシュ人もいればソマリア人、リトアニア人(恥ずかしながらLithuaniaが日本語表記のリトアニアなのだと後から気づきました)の子もいます。

彼女らの英語のレベルは私が少しゆっくりとしゃべれば、ほとんどこちらの言うことは理解でき、簡単なことならば自分たちで知っている単語を使って説明できます。Writingはまた違うのでしょうが。

簡単に日本語の成り立ち、中国との関係、書道の道具や歴史を説明した後、授業で使われた松尾芭蕉の俳句にあった「音」という漢字をお手本として楷書で書いてみることにしました。二年ぶりくらいに向かい合った半紙。筆も久々に握ったので少し違和感がありましたが体は覚えているものですね。持ち方もちゃんと覚えてました。

同僚Uとアシスタントで入っているもう一人の同僚、そしてEALの生徒たち6人が注目する中、なんとか無事に書き上げました。仕上がりはというと、自分の中ではお世辞にも上手いとは言えず。それなのに周りは「Wow!」とかなり感心した様子。かなり複雑な気持ちになりました。

「書道は間違えてもなぞったりして修正してはいけないのよ」と私が言うと

「じゃあ、Xと線を引いて隣に書き直せばいいのかな?」と生徒の一人が(笑)

「書道は何度も何度も新しい紙に書いて失敗せずに美しく書けるまで練習するものなんだよ」と言うと納得。ちなみに漢字がいかに難しいかを知り、さらに私が日本の小学生はひらがな・かたかなに加えて1000字くらいの漢字を何度も何度も練習して書けるようにするんだよと言うとすごく驚いていました。

私も日本語を習っている友人がこちらで何人もいて、漢字を覚える難しさについてはよく耳にするので、自分自身母国語とはいえあれだけの数の漢字を覚えたというのは確かにすごいことだったのだなと思います。まぁ、それだけ当時の私の脳みそも柔軟だったのかもしれませんが。

生徒の一人が「The Sun(太陽)」を書きたいと言ったのですが、今日は一文字書くのが目標だったのでとりあえず、「日」という文字を教えました。もっとチャレンジしたいと言った子には「陽」の漢字を。厳密にはこれだけでは太陽の意味にはならないのですけれど。

それから「Star(星)」という漢字もリクエストされました。そこで私が気づいたこと。

「今まで教えた漢字、『音、日、陽、星』全てに『日』の文字が使われているね」

なるほど、とみんなで納得。日本人なのに私自身、あまり意識してなかったのです。そして、「星」という漢字を見て思ったこと。

「星って『日』という漢字と『生』という漢字が組み合わさって出来てる。もしかして日(太陽)から生まれるのが星って考えたらいいのかな」と。

子供もこのアイディアを気に入った様子。あとでネットを調べても星という漢字の成り立ちを正確に知ることは出来ませんでしたが、この「太陽から生まれる無数の星たち」というイメージが私も好きになりました。

たった一時間ちょっとの授業でしたが、私自身、多くのことを感じ学んだように思います。彼女らと学ぶ感動を共有させてもらったというか。なかなか生徒全員に歴史を面白いと感じてもらえない、そういう授業をなかなか思うとおりにできないと日ごろ感じることもある私。この授業は私に素直な驚きと感動を与えてくれました。

彼女らは英語があまりできないことなど気にしていません。よく、EALの生徒も自分の普通授業の中で教えますが、中には他の生徒に圧倒されて満足に発言したり質問したりすることすらできない子もいるのです。それに比べ、EALのクラスでは生徒の一人ひとりが主役。みんな堂々と、そして活き活きとしているのです。「学びたい!」という気持ちが伝わってくるのです。

彼女らの瞳の中に無数の星がきらきらと輝いていました。

投稿者 lib : 07:41 PM | コメント (2)

March 22, 2008

ほっとした瞬間

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先週は気の休まらない週でした。

前回のブログで書いたように採点物が多かったせいもありますが、それよりも何よりもずっと気にかかることがあったからです。

実は数週間前、Six form(うちの学校は12・13年生がA-levelというコースをやるための学校であるSix form collegeが併設されています)のHeadである同僚Sからメールが届きました。

「17日にあなたの12年生の授業(最初の半分である50分間)を観察します」

観察の主眼点は『Challenging Lesson』。ひとりひとりの生徒の知識と理解を深め、より高いレベルまで教科に関わるスキルを伸ばせるような内容の授業を教師がおこなっているかをモニターするのが目的です。授業観察自体はこの国で教師になってから数え切れないほどされたので慣れているのですが、観察の目的が目的なだけに自分がどれほどレベルの高い授業を生徒にわかりやすくやれるか問われるということもあり、メールを読み終わった後は緊張感が体中に走っていました。

A-levelはほぼ日本の大学のゼミに近いような授業をします。割と小規模なクラスで、討論なども活発に行われます。歴史に関して言えば、史実をそのまま知識として教えることの多いGCSEと比べ、より生徒の史資料(一次史料・二次史料含めて)の理解力・分析力が問われ、それから著名な歴史家たちの学説などもある程度理解・考察する必要があります。そのため、そういう知識・スキルを問うA-levelの試験は短答式ではなく、すべて記述式なのです。

日本で教育を受けた私自身、歴史家の学説にまともに触れたのが大学2年でゼミに入ってからですから、A-levelを教え始めたときはずいぶん高度なことを早いうちにやらせるのだなと思ったものです。

A-levelの試験結果は生徒がどの大学にはいれるかを左右するものですから、教える側も慎重に授業計画をしなくてはなりません。私自身、A-levelを教えるのは今年で3年目ですが、特に今年から教え始めたナチスドイツ史の週二回の授業準備には毎回相当時間をかけています。

そんなわけで、先週一週間はこの月曜日の授業のことで頭がいっぱいで、相当ナーバスになっていたわけです。実際、金曜日の放課後から日曜の夜まで、空いてる時間はすべて準備に当てたわけですが、やはり観察授業となるといつもより気を遣う点も多く、結果的にいつもの3倍は時間をかけることになってしまいました。

そしていよいよ当日。教室に着くとほどなく同僚Sが。彼女は宗教を教える教師でもあるので歴史とは学部が一緒のため、よく顔を合わせる同僚です。とはいえ、今回は私の上司として観察するわけですし、彼女に授業を見られるのも初めてなのですごく不思議でした。

生徒もそろい、授業開始。緊張するかと思いきや、授業が始まってしまえばこちらもリズムに乗ってきて観察されていることもあまり意識せずにできました。生徒もいつもどおり(もしくはそれ以上?)、積極的にディスカッションに参加したり、面白い意見を出してくれたりして好調。計画したよりもひとつひとつのタスクに時間がかかってしまいましたが、結果的には内容の濃い授業をみんなで作り上げたという満足感がありました。

あっという間に50分の観察終了。昼休みに感想・注意点なども含めたFeedbackをもらえるというのでどきどきしながらそのままあと50分授業を進めました。

そして昼休み。同僚Sから授業の感想を貰いました。彼女の授業観察の紙には観察のチェックポイントがならんでいたのですが、そこには「Y」という文字がいっぱい!「Yes」の「Y」で目標到達した部分が多かったという証拠なのでほっとしました。

最後まで授業計画案よりも時間がずれたことが気になっていましたが、そこには全く触れられず、私が生徒一人一人の学力に合った課題を与えたこと(Differentiationと呼ばれます)、授業中のディスカッションの質問も適切で授業に良い流れがあったこと、そしてなによりも生徒が意欲を持って授業に臨んでいたことなどがあげられました。

実はこれは教師4年やっている中で一番嬉しいフィードバックでした。なにしろ、12年生の生徒は16・17歳くらい。下手をしたら私よりもボキャブラリーが多く、(あたりまえですが)流暢に話すので、ネイティブでない私は彼らとのディスカッションをスムーズに進めるだけでもチャレンジであったりするのです。

今日の授業を土台にしてもっと自信と実力をつけたい。久しぶりにすごくポジティブな気分になれた出来事でした。

投稿者 lib : 09:37 AM | コメント (0)

March 13, 2008

M-Word

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教師になって一番大変なことは何か、、、。

教師一年目に同じ質問されていたら迷わず「生徒指導(Pupil management)」と答えていたでしょう。教師としても新米で、今よりずっと英語が流暢でなくて(特に子供との会話で必要なフレーズ・単語)、毎日が戦いだったように思います。

そして4年経ち、生徒との関係の築き方も自分なりに学び取り、教師としての自信も少しずつではありますが持てる様になってきた今日この頃。

では何が一番今、大変かといえば、、、「Marking」です。

日本語だと「採点」ですが、私たちのやっている「Marking」はいわゆる日本の採点とは異なる点がたくさんあります。

そもそも歴史科の学習到達目標には「史資料から歴史的事件の要因を理解することが出来る」や「自分の議論を明瞭に説明することが出来る」などがあり、とても短答式のテストでは評価できないスキルを子供たちが伸ばすことが求められているのです。

私自身が中学や高校で受けていたようなテストのように「邪馬台国の女王の名前は?」などの質問に対する解答に教師がマルかバツかで点数を付けていく、、、ということがほとんどありません。

こちらで必然的に生徒に出す正規の課題(Formal assessment)はエッセイ形式のものや史資料を与えて生徒に解釈させて説明させるような記述式のテストが多いのです。

より詳細で明瞭な解答に多くの点数をつけるので、結果はもちろん点数で出して生徒たちの学習到達を比較することも出来ますが、記述式のため点数を付けるには時には1ページもある生徒の解答をすべて読まなくてはいけないわけです。そしてどの到達レベルに達しているのか判断して成績を付けなくてはいけません。

特に今年大変なのは9年生の採点。5クラス(一クラス約30人)担当する私は一つのトピックが終わったときに考査をおこなうと一度に5クラス分のテストをマーキングしなくてはならないのです。

そして、教師の採点は考査に限らず、生徒のexercise books(日本ではノートといいますね)のマーキングです。別に点数を付けるわけではないのですが、これもformative assessmentといって生徒の解答に対して、間違いを指摘したり、改善のためのアドバイスを書かなくてはいけません(逆に点数やレベルだけで評価することをSummative assessmentといいます)。もちろん、一答一答時間をかけて読む必要はなく、特に評価したい部分だけ読み進めるのが一般なのですが(でないと一生かかっても終わりません!)。

我が校では教師がこのようなノートチェックを6週間に一回ほど行わなくてはいけないというポリシーがあります。

私は中学1年生2クラス、2年生2クラス、3年生5クラス(事情で現在もう1クラス)、10年生1クラス(生徒は14人ほど)の担当ですから、ざっと計算しても300冊以上のノートを6週間に一回チェックしなければいけないことになります。11年生と12年生はそんなに頻繁にチェックすることは無いのでここではカウントしません。

地理科の教師である同僚Tが計算した結果によれば、私のように10クラス以上担当する教師が6週間に一度チェックするには一日平均10冊は常にマーキングしていなくてはいけないことになるそうです。

他にも様々な課題の採点や教材作り、授業計画、会議、事務的な作業を授業の合間を縫ってこなさなくてはいけない教師にとって、マーキングは本当に『苦痛』なのです。生徒のノートを見ればその生徒がどのような考えを持ち、学んでいるのかがわかって教師・生徒双方にとってプラスにはなることは間違いないのですが、それにしても量が半端ではないのです。

私だけではなく、ほとんどの同僚がこのBook markingを苦手としていて、「これさえなければ教師という仕事がほんとに好きなのに、、、」と嘆きあいます。

教師とは全く関係の無い職についている私の友人は私が「Marking」という言葉を口にしようものなら嫌そうな顔で「またか、、、」という反応をします。はい、そうです。年がら年中マーキングなのです。

最近では私とその友人は「F-word」ならぬ「M-word」という新語まで作って、Swearword(ののしり言葉)と同じくらい避けたい言葉として扱っている次第です。

私のM-wordとの戦いは果てしなく続きます。

投稿者 lib : 08:43 PM | コメント (0)

March 06, 2008

嬉しくも悲しいニュース

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今週は何について書こうかなと思い巡らせていた私に今日、嬉しくも悲しいニュースがもたらされました。

Head of Humanities、つまり人文学部の主任である同僚Kが休み時間に私のところにやってきました。「同僚Mと二人に少し話したいことがあるのでお昼休みに私の部屋に来てくれるかしら?」というK。

同僚Mは2月の初頭から育児休暇が明けて一年ぶりに職場に復帰した学科主任。私は彼女の復帰まで学科主任代理だったのですが、彼女がパートタイムで週の半分だけ働くことになったので現在はJob shareといって、ふたりで一緒に責任を分担しながら学科主任を務めています。

その同僚Mと一緒にということは、来年から大幅に変わる歴史のカリキュラムかなんかについての話かな、、、と思っていました。この間もそのことについて話さないとね、なんて言ってたので。

さて、お昼休みになり、Kの教室へ。しばらくして授業を終えたMが合流し、3人で席に着きました。そして、Kが慎重な面持ちで「実は話したいことがあるの。あなたたち二人が一番影響を受けることになるから、、、」。

これを聴いた瞬間、「カリキュラムのことなんかじゃないんだ。もっと深刻な話、、、?」と私の胸に一瞬で緊張感が走りました。

少し間を空けた後、Kが思い切ったように口を開きました。

「実は私は今年の夏で学校を去ります」

「ええっ?」

全く予想もしていなかったことでかなり衝撃を受けた私。隣に座っていたMも同様の反応です。

その直後、さらに驚きのニュースが。

「そして、9月に結婚します。」

「えぇぇぇぇぇぇ?」

心臓が飛び出しそうでした。驚きの声を通り越して半ば絶叫を上げた私とM。一瞬にして寂しさと喜びの気持ちが同時に溢れ出て私の頭の中はパニック状態。

何せ、私の学部ではKはほとんど自分のプライベートのことをしゃべらないことで知られている人。お付き合いしている人がいるのかいないのかも謎で、MがよくKの細かい変化に気づいては「きっと新しい彼氏が出来たんだよ」と想像を張り巡らせていたものです。

それから彼女は自分が去年の夏に婚約していたこと、お相手の男性がロンドンから離れたところに住んでいるのでどうしても通勤が出来なくなること、大学院のコースに進む考えがあることなどを最初は少し緊張した様子で、でも嬉しそうに話してくれました。

「相手はどんな人?どこで知り合ったの?」様々な疑問が次から次へと涌いてきます。私自身、あまり根掘り葉掘りプライベートなことを聞くのが好きではないのですが興味津々。隣に座っていたMは逆にそういう話が大好き。見事に私の代わりにKに質問を浴びせてくれました。

彼女の話を聞いていて本当に嬉しいと思う一方、来年度から彼女がいなくなるという寂しい現実を突きつけられて正直、足元がぐらつくような感覚を覚えた私でした。

彼女は私が今の学校の面接を受けにきた時に初めて私を迎え入れてくれた人物。面接日に私の授業を観察したのも、面接をしたのも彼女です。私をイギリスの教育界に迎え入れてくれた一人なのです。また、彼女自身も歴史が専門で教師経験も私よりずっと豊富で、立場的には日本でいうように私の「上司」なのですが、イギリスという環境のせいもあり、上下関係を感じずにいつでも気軽に色々と相談をしてきた人なのです。

教育についての考えや生徒に対するスタンスなど、色々な面で私と異なることも多いのですが、それでもアドバイスはいつも的確で助けてもらったことは数え切れません。

歴史科、地理科、宗教科など、人文学系の科目を統括する学部長という立場で、個性派ぞろいの学部の教師たちを相手にするのは大変だったと思います。でも、それを絶対に外に出さずに学部をまとめてきた彼女。

その彼女がいなくなる。来年のことを想像すると不安でもあるし、純粋に悲しくもあります。それでも彼女が人生の中で新しい一歩を踏み出すことは本当に喜ばしいことですが。

毎年新しい生徒と同僚に出会い、そしてさよならを告げる。そんな職場に慣れていたと思っていたのですが、身近にいたKの退職については書かずにいられませんでした。

彼女に頼らず、しっかりと学科を運営しなければ、、、と気を引き締められた一日でした。

投稿者 lib : 10:02 PM | コメント (0)

February 28, 2008

Behaviour for Learning

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前回、Student Voiceというタイトルで私の勤務校でおこなわれている取り組みについて書きました。

ここで中心となるのは「Children-centred」という考え方です。学校の主体はあくまで子供たち。教師はあくまでも子供たちの学びを手助けするfacilitator (促進者・うながす人)なわけです。今、学校側は子供がどのようなことを学校に期待しているのか、彼ら自身どういう学びの方法が効果的だと考えているのか、理想的な学習環境はなにか、などを知ろうと必死です。何しろこれから学校のカリキュラム・方向性を変えるにあたって、子供の声を無視するわけにはいかないのですから。

この子供の声を聞こうという試みの一環で私の勤務校ではついこの間、校長や管理職クラスの教員たち自らが9年生のいくつかのクラスで「Behaviour for learning(学ぶための態度)」という授業をおこないました。Behaviour for learningというコンセプトは前回のブログで書いた「Learning to learn」と密接に関連、または重なる部分の多いもので、要は子供のLearning experienceをより効果的にするためには「学ぶための正しい姿勢・態度」を意識させ、身につけさせることが大切という考えです。

この間、たまたま校長のおこなったこのBehaviour for learningの授業を見学したのですが、そこではまず「学ぶために必要な教室でのルールは何か?」をグループで話し合わせていました。「先生と他の生徒の意見を敬意を持って聞く」「先生が話しているときは静かに聞く」「校則に違反するもの(携帯など)を持ち込まない」など、色々な意見が出ていました。これを読んでいられる方の中には「なにもこんな当たり前なことをルールとしてあげなくても、、、」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私の勤務校では普段、黙って座っていられない、話を聞けない生徒がたくさんいるのです。

そして、次に校長が生徒に話し合わせたのは「自分が頑張ったときにどのようなRewards(ほうび)が欲しいか?」というものでした。私が中学・高校にいた頃は、授業中に特に褒められて何かをもらったという記憶がありません。もちろん、何かで賞を取ったときには賞状と景品をもらいましたが。イギリスの学校ではこのrewardとsanction(処罰)のルールが学校ごとにあります。そして、これをいかに効率よく使うかがBehaviour managementの鍵だとされています。よく出来た子には褒美を、悪いことをしたら仕置きをというものです。授業中のRewardでさかんなのは、Merit stickerなるシール(一定の数を集めると賞状、景品がもらえる)をあげること、Sanctionで一番使われるのが「居残り」でしょうか。

ただ、教師によってはこのような紙切れ一枚のRewardでは現代の子供たちの学習意欲は高まらないと言います。極端な例を言えば、GCSE(11年生の受ける試験)の成績を上げるために、褒賞として現金をあげるくらいすればいいと豪語する同僚もいました。実際におこなった学校があると聞いたときはさらに驚きましたが。「いい成績さえ取れば金がもらえる」、、、そんな考えを学校が子供に植え付けるべきではないと私は思うのですが。営利主義が学校教育にも入り込んだら世も末だと感じるのは私だけではないと思います。

これだけ携帯やらMP3プレーヤーやら高価な物のあふれた社会の中で生きている子供がmerit stickerや賞状を貰うことを馬鹿らしいと思うか、それとも誇らしいと思うか。私はこれは教師や親、大人たちがどれだけこのシステムも意味のあるものだと真剣に信じ、子供たちに見せるかにもかかっていると思います。9年生くらいになると私のクラスでも「シールなんていらない、子供っぽい。集めるのは馬鹿らしい」と拒否する生徒がいますが、それでも「私があなたの頑張りを認識して、それを形で示したいからあげたいんだ」と真剣に言えば、まんざらでもない顔で受け取るのです。

私はやんちゃな子ほどこの「ごほうび」が好きな子が多いと思っています。昨日普段は結構騒いだり生意気なことを言ったりする生徒で、テストの結果が良かった子がいたのですが、その生徒にPraise postcard(賞賛の言葉を書いた絵葉書)を保護者宛てに送るから住所を書くように言ったら、うれしそうに黙って書いたのです。そんな姿を見ると、教師として嬉しくなりますし、こういうコミュニケーションの大切さを実感します。こういうポジティブなやりとりの積み重ねが生徒の今後の態度にも影響するのです。

さて、話は元に戻りますが、校長の授業を受けた9年生のクラスの子供たちは「貰いたいご褒美」についてどんな意見を持っていたのでしょうか。結果は様々でした。無難にシールや賞状を上げる子もいれば、遊園地やアイススケートなど遠足に連れて行ってもらいたいという子も。授業中に音楽をかけて欲しいという意見もありました。これはすでに実行している教師が結構いますが。また、懸念していたとおり、「現金」という子もいれば、MP3プレーヤーが欲しい、どこどこのお店の商品券が欲しいという子も。

こんな珍回答もありました。「Sleeping time (眠る時間)」・「Day off (一日休み)」。これはこの間の教員会議でも紹介されたのですが、これには一同大笑い。もちろんこんなことを学校側が実現させるわけには行かないのですが、現代っ子たちの発想とこの正直さには脱帽です。

そして、「こんなに頑張っている教員たちへのご褒美に一日休暇はないの?」と冗談好きの私の同僚たちの間で声が上がったのは言うまでもありません。

投稿者 lib : 08:39 PM | コメント (2)

February 21, 2008

Student Voice

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この間、中高時代の恩師から今、日本の教育界でフィンランドの教育が注目されているということを耳にしました。フィンランドでは「子供の学びの力を育てよう」という教育理念に基づいて授業が実践されているそうです。

この間日本に一時帰国した際にもテレビで特集が組まれており、番組では日本のある小学校教師の実践が紹介されていました。彼女は「6年生」というテーマで生徒達にBrainstorming(日本語では「ひらめき」方法というようです)させるというものでした。黒板の真ん中に「6年生」と書かれ、そこから放射線状に生徒から出されたアイディアが書きこまれています。一つ一つのアイディアが線で結ばれ、違うアイディアどうしの関連がわかるようになっています。(英語ではspider-gramやconcept mapと呼ばれます) つまり、この授業では生徒達が「6年生」という言葉からどのようなこと(例えば、「卒業」など)を連想できるか、それを個別にどのように説明できるか、そして自分と自分以外の生徒の意見の相違点をどうやって見つけられるかが鍵なのです。

このように子供の「考える力」を主体にした授業はイギリスでは以前から実践されています。私の専門教科である歴史でも史資料を使いながら歴史的事件の要因を考えさせたり、奴隷制や原爆投下の是非を議論させたりなど(もちろん人道的に考えたら奴隷制や原爆投下を正当化する事はできませんが)、子ども自身の思考力・説明力が試される場面がたくさんあります。教師は絶対的な知識を授けるのではなく、あくまでも彼らの学びの手助け・導きをする存在なのです。

我が校も含めて、都市部の学校の一部では子供の向学意欲の低下が問題となっています。学校が権威を揮って強制的に子供を学ばせるということが難しくなっているのです。では、どうやって子供に学ぶ事を「意義のあること」「楽しい事」と思わせられるのか。最近ではこのような問題を解決するために、子供の「学びの力」を主体としたアプローチを教科の垣根を越えて実践しようという動きがあります。改革を上から一方的に行うのではなくて子供の声を取り入れながら進めていこう、そして、子ども自身に自分達の学びについて自覚・責任を持たせようという目的が根本にあります。それが達成された時に子供は主体的に意欲を持って学びはじめるという考えがあり、今、全国で様々な試みがなされているのです。

その中の一つに「Learning to learn(学ぶための学び)」というものがあります。子供が一方的に教えられるのではなく、自分の学ぶ物理的・心理的環境についての意識を高め、さらに自発的に学ぶために必要な力・技術そして姿勢を育むことが含まれます。例えば、子供の授業態度・マナーや他者とのコミュニケーション能力もより効果的な学びに必要な要素であると考えられています。

では、実際にこの「Learning to learn」がどのように我が校で実践されているのかというと、私の学校では「Student voice」といわれるプロジェクトがあります。このプロジェクトの一環で、生徒達を研究者として育てようと言うものがあります。選出された生徒たちは教育理論・教授法をある程度学び、Mentor(精神的支援者、・助言者)として訓練されます。そして次のステップとして実際に教師の授業観察などをし、教師にフィードバック(結果に含まれる情報を原因に反映することで、ある行為に対して応答する)するのです。彼らの意見をどれだけ反映すべきかは教員の中でも議論を呼ぶところですが、少なくとも生徒は自分の学びの場を教師の側から視点を変えてみることによって「学び」という行為を客観的に捉えられるのです。私も以前、授業を観察・フィードバックされる機会がありましたが、教師と生徒の相互理解を深めるにはいい取り組みだと感じました。でも、さすがに毎回だときついですね(笑)

さぁ、このStudent voiceの行き着く先はどこなのか、楽しみでもあり、不安でもあります。子供の意識改革・向上のためとはいえ、彼らにどこまで自分達の意見を言わせてよいものなのか、どこで線引きをすればいいのか、殆ど生徒に発言権のない学習環境で育ってきた私にはいささか疑問な点もありますが、その点については次回に書きますね。

投稿者 lib : 07:36 PM | コメント (0)

February 14, 2008

I’m a teacher, GET ME OUT OF HERE!

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ちょっと不思議なタイトルで始めてみました。「俺は教師だ、ここから出してくれー!」とでも訳せばいいでしょうか。

これ、実はFrancis Gilbertという人の書いた本のタイトルなのです。イギリスに住んでいる人は気づいたかもしれませんが思いますが、このタイトル、「I’m a celebrity, get me out of here!」というリアリティTV番組のタイトルとかけています。このTV番組は、芸能人たちがジャングルのなかで様々な課題にチャレンジしながら生活する様子を番組にしたものです。かなり気持ち悪いチャレンジ(生きた虫を食べるとか)をさせられるので耐えられなくなる芸能人もいます。イギリスでは芸能人の意外な一面が見られるのでなかなか人気のある番組です。

さて、本題の「I’m a teacher, GET ME OUT OF HERE!」ですが、Francis Gilbertはこの本の中で、新任教師として働いたロンドンの都市部の学校(Inner-city school)での出来事を綴っています。国で1,2を争う問題校(英語ではOne of the worst schools in the countryと書いてあります)として名高かったというその学校での彼の体験談は衝撃的で、問題行動ばかりの生徒との関わりだけでなく、同僚たちとの関係の難しさなど、学校でおこる出来事を素直な視点から書いており非常に面白いです。彼は「問題校で教壇に立つということ」を「ジャングルで生き残らなくてはならないくらいの大変な状況」だと捉えてこういうタイトルにしたわけですね。

同じくInner-city schoolsで教育実習のときから教えてきた私には彼の体験には共感できる部分もたくさんあります。特に難しい生徒とのやりとり・対応など、似たようなことを目にすることはありますから。

実は今日の職員会議は「Behaviour policy review」でした。日本でいう生徒指導はこちらではPupil managementやBehaviour management(生徒管理、行動管理とでも訳せるでしょうか)と呼ばれます。今日の会議の目的は、このBehaviour managementに関する学校の方針、生徒に守らせるルールについての見直しを話し合おうというものでした。私の勤務校のように都市部の公立ではBehaviour managementが学校経営、そして個々の授業を進める上で大変重要な部分です。こういうと語弊があるかもしれませんが、授業中で生徒を「操る(Control)」ことができなければ、授業自体が満足に進みません。いわゆる日本の「学級崩壊」のような状態になってしまうわけです。

私の勤務校では悲しいことですが向学心の薄い子供たちも多くいます。ボールペン一本すら学校に持ってこない子供もいます。そんな彼女らを前に私は「さぁ、面白いことやるわよ!」と場を盛り上げ、「えらいわね、今日は言われなくても自分の席につけたわね、静かにしていられたわね」とどんなに小さいことでもすかさず褒め、それでも問題行動があったら「いうこと聞いてないと居残りよ」、「親に電話するわよ」と警告を与えたり叱ります。時には怒っている「振り」もします。演じるわけです。褒めて叱って、また褒める、そんなことを毎日繰り返しています。

こちらでは教師はほとんど口をそろえて「教師は演じるのが仕事だ」といいます。私自身も教師としての経験が長くなればなるほど納得する言葉です。どんなに理不尽な状況にあっても、侮辱と取れるようなことを言われても、その場では自分の感情をうまくコントロールし、子供の心理を探りながら冷静に指導できなければ子供はさらに難しい行動を取ったりするものなのです。

ましてや(いい意味でも悪い意味でも)自分本位であること、権利を主張することに長けた社会で育っているティーンエイジャー達、自己主張や要求も激しいです。思い通りにならなければまるで3歳児のようにとことん駄々をこねる子供、感情を爆発させる子もいます。我々教師は、そんな彼女らにも他人へのRespect(敬意・尊重)や配慮、ルールに従うことの大切さを日々教えなければならないので大変です。

私も最初の1,2年は「なぜ、自分の半分の年数しか生きていない子供たちにこのような屈辱的な行動を取られなければいけないのか」と放課後ひっそり泣いたこともありました。そういう時、同僚たちは必ず「Don’t take it personally(生徒の発言・行動を自分への個人攻撃だと考えるな)」と言います。子供たちは集団化すると特に教師を普通の感情のある一人の人間だと見ず、攻撃的になることがあります。それを真に受ければ精神がもたないのです。私は東アジア人・英語がネイティブではないというコンプレックスから来る自信の無さに加わって、最初のころは生徒の言動にいちいち反応して自分を追い込んでいたように思います。

と書き連ねてみると私がどれほどひどい環境にいるのかと心配される方もいらっしゃるでしょう(笑)。でも、ご心配なく!色々な表情を併せ持つのが子供たち。もちろん、フレンドリーで優しく、素直でかわいい一面やすごくユーモアのある面白い一面もあるのです。それが一日、一時間ごとに変化するカメレオンのような存在なのです。そんなエネルギー満点の彼女らと接するのは並々ならぬパワーがいりますが、それでも教師を続けたいと思うのは彼女らが時折見せてくれるかわいらしさや突拍子の無さに魅了されているからかもしれません。


投稿者 lib : 08:41 PM | コメント (0)

February 08, 2008

Gang Culture

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この国に私が来たのはちょうど6年半前。それから現在まで日本では体験したことのなかったようなことが多々ありました。

もちろん、すばらしい経験となったもの方が大半なのですが、なかにはあまり思い出したくないものもあります。その中で一番ショックなものは引ったくりの被害にあったことでしょうか。人間気が動転すると思わぬ行動に出るもので、私の場合、ひったくり犯と取っ組み合いをしてしまいました。今考えると恐ろしいですね。刺されたりしなくて本当に良かったと思います、、、。

日本でもこういう犯罪はたくさんありますけれど、ここへ来る前はどこか遠い国の出来事のように思っていた節があります。そんな感覚でいた私がこういう経験をしてしまったわけでして、今では「犯罪をより身近に感じる街」というのがロンドンの正直な感想です。

小さな子供や若者を巻き込む犯罪も多いのが現状です。特に最近では立て続けにギャングの闘争に巻き込まれて若者が命を落としたりと悲しいニュースを目にすることが多くなりました。

ナイフを持ち歩く若者が増えていて金属探知機を導入した学校もあると聞きます。私が実習生だった時にも研修先で教員から目の前で殺傷沙汰があった話、自分自身生徒に脅されてナイフを向けられた話などを半ば信じられない気持ちで聞いていたこともあります。その学校はかつてロンドンで1,2を争うほど荒れているということで有名だったそうですが。

さて、私の勤務校はというと、幸いなことに女子校ですので日常的に暴力を目にすることはほとんどありません。小突いたり、顔を引っかいて喧嘩をして処分を受けたという話はちらほら聞いたことがありますが。女の子同士はむしろ悪口の言い合いなど、隠れた場所での言葉を使った暴力が多いように思います。

ただ、これも過去の話になりつつあることを最近実感しています。実は、この「Gang culture(ギャングカルチャー)」とでもいうのでしょうか、若者たちがグループを作り、暴力を使って闘争を繰り返すという文化の兆しは女子校でも少しずつ見られるようになってきました。

というのも先週のある日の放課後に学校のすぐ外で何十人もの生徒が関わったある事件が起こったのです。翌日、10年生のL組の生徒RとAが警察に捕まり停学になったという話をその生徒たちを担任として受け持っている同僚から聞きました。その時点では彼も学校からまだ詳細を聞かされてなかったのですが、どうやらその生徒二人を含む10数人が体育科のある建物からバットとはさみを持ち出して他の生徒に攻撃しようとしたというのです。

すぐに警察が介入し、誰一人として怪我を負うことは無かったようですが、一歩間違えば流血沙汰になったかもしれません。そして数日後に事の真相が明らかになるにつれ、さらに10数名に渡る生徒が退学・停学処分を受けていたことがわかりました。事の発端は前日の昼休みに9年生と10年生の生徒の間で生じた口論だったらしいと聞かされたのは今週に入ってからです。

私が歴史を教えている9年生のクラスからも何人も処分を受けていました。私の学校では授業の出欠をコンピューターで入力するのですが、画面に「E(Exclusion)」つまり停学・退学のマークがついた子供が何人もいて、この子達にも何かあったとは思っていましたがまさか彼女らも関わっていたとは。

その中には普段のクラスではおしゃべりで注意されることはあっても特に態度が悪いわけでもない子も含まれていました。毎週接していた子達ばかりなだけに信じられない気持ちです。教室で話をしたり、笑ったり、時に失礼だったりやんちゃだったりで叱ることもあるけれどなんとなく憎めない彼女たち。今回の事件で彼女らの持つ違う一面を知ってしまい、その子達が急に別人のように思えたことは否めません。

コミュニティ、親、学校の三者が協力して子供たちをそういう文化から遠ざけることが必要と政府もマスコミも言います。そんな中で今の私に一体何ができるのでしょうか。少なくとも停学処分を受けた彼女らが戻ってきたら私は彼女らの良心を信じて接し教え続けていくしかない、そう心に決めていますが、、、。

投稿者 lib : 11:03 AM | コメント (0)

January 31, 2008

Options

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以前にも書いたとおり、私は9年生(日本でいう中学3年生.年齢的には2年生)のクラスの担任をしています。

毎週火曜日の放課後は色々な会議があるのですが、今日は学年の主任・担任が集まる学年会議の日でした。私の学校は一昨年あたりから一クラス二担任制を導入したため、学年の8クラスの担任たちが全員集まればかなりの人数の会議になります。

今日参加したのは16名。議題の一つは『GCSEのOptions(選択)』についてでした。GCSEとはGeneral Certificate of Secondary Educationの略で、日本の高等学校教育に該当する課程です。10・11年生の2年間でうちの学校では必修・選択科目両方含めて全部で12科目を勉強し、11年生の夏学期に全国の統一試験を受けるのです。教科ごとに成績が出るのですが、トップのA*(エイスター)から下はGまでとグレードがあり、それにも満たないとU(Unclassified)といってGCSEの資格がもらえません。イギリスのSecondary schoolの良し悪しは合計5教科でA-Cを全校で何パーセントの生徒が取れたかによって判断されることが多いです。私の学校は5つの教科でA-Cを取れるのが60パーセントに満たないというのが現状です。

さて、現在9年生である彼女たちは、SATS( Standard Assessment Tests)という数学・英語・ICT(情報処理)の3教科の統一試験を5月に受けるのに加え、3月末には来年からスタートするこのGCSEの科目を選択しなくてはなりません。私の勤務校の場合、学校が定めた必修科目の数がかなり多いのですが、必修科目以外にも与えられた選択肢の中からどの教科を勉強したいか決めなくてはならないのです。私の担当教科である歴史科も選択科目のひとつになります。

この選択科目の希望を出す日はOptions Dayと呼ばれて9年生にとっては非常に大切なイベントです。また、現在うちの学校ではさまざまな理由で将来的に大学への進学を希望しない生徒たちのためにVocational Course(職業訓練コースとでも訳せるでしょうか)も用意しています。Social care, Media StudiesやHair&Beautyなど、GCSEよりもずっと実践に即した内容の資格コースです。生徒たちはアカデミックな方向に進むのか、ヴォケーショナルな方向に進むのか、将来の方向性を定めなければいけません。

担任や進路指導の専門スタッフが一丸となってこれから9年生たち一人一人に適した進路指導をしなくてはなりません。生徒の中にはとにかく友達と同じ教科を取りたがったり、なかなか自分のやりたいことを見出せずに悩んだりする子も多いので、これから数ヶ月で彼女らに少しでも将来のことを考えさせ、興味とやる気を持って2年間自分が本当にやりとおせる自信のある科目を選べるように促してあげなくてはならないのです。

ただ、生徒のことを考えようと言いながらも現実は一人の生徒が取れる選択科目は限られています。そのせいで選択教科間の生徒獲得競争はなかなか激しいです。何しろいかにまじめで優秀な生徒たちに自分の教科を選択させるかがその教科の成績、そして最終的にはその学科の評価にかかわってくるのですから。実際、毎年Optionsの前になると、遠足や校外学習がたくさんあることをアピールしたり(生徒はこれが大好きなのです)、優秀な子に直接アプローチしたりしている同僚がいます。私も歴史に興味のありそうな生徒に個人的に声をかけたりしてアピールすることはありますが、この「営業」がとても苦手です。

私としてはどんなに優秀であっても「歴史なんてつまんない」と思っている生徒より、たとえ勉強が苦手でも本当に歴史に興味を持ってくれている頑張り屋の生徒に選択してもらいたいのですが。学科主任としてそうとばかりは言っていられないのが現実です。さて、今年は何人の生徒が集まってくれるのでしょうか。

投稿者 lib : 08:36 PM | コメント (3)

January 24, 2008

Keeping fit

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昨今、テレビや新聞で健康に関する番組や記事が増えました。

この健康志向の高まりとともにイギリス人の食への関心も高くなってきたように思います。栄養バランスの悪い学校給食への批判も高まり、私の勤務校でも生徒の意識を高めるためにHealthy eatingに関する特別なイベントをおこなったり、給食の内容を変えたりなど、日本のあの完璧なまでにバランスの取れた給食とは程遠いものの少しずつ改善され始めています。

食だけではなく、フィットネスついても然りです。スポーツジムというとアメリカ人が行くところという半ば偏見に近いイメージを持っていたのですが、ここ数年、イギリス人の友人や同僚の中でもジムに通う人が増えています。

ちなみに私の学校の隣に一昨年でしょうか、学校の付属施設として新しいスポーツホールが建てられたのですが、そこには立派なジム施設があります。教員は簡単な研修を受ければ放課後などに無料で自由に使うことができます。私はどうもああいった機械たちとのにらめっこが苦手で研修は受けたものの一度も利用していませんが。

さて、1月に入り、New year resolution(新年の抱負)の一つに「健康な体作り」を掲げた私。その私のところに先々週、私の担任クラスの学年主任である同僚Sから教職員全員に充てたメールが届きました。内容は「週一のYogaセッションに参加しませんか?」というもの。Yogaの講師を学校に招いて教職員たちで一緒にYogaをしましょうというのです。

数学期前から彼女ら数名の同僚たちが活動していたのは知っていましたが、平日の放課後はいつも授業準備やら何やらで余裕がなかったため参加を検討したことはありませんでした。ただ、最近余裕も少しはでてきましたし、何よりも去年の秋から教員コーラスを始めたりして、放課後の時間を有効に使うことの充実感に目覚めたとこともあって、今回思い切って参加したい旨を伝えました。

実はこの記事を書いている今日の放課後が初日でした。10名ほどサインアップしたはずですが、結局今日参加できたのは私、前述の同僚S、地理教師のT、Citizenship(公民科でしょうか)教師のKとうちの学校のIT技術者であるVの計4人のみ。そこに講師の女性が丁寧に指導に当たってくれました。これで1セッション5ポンドなんてお得です。

ちなみに私のYoga歴は無いに等しく、前に住んでいた地域のスポーツセンターのセッションに友達と何回か通ったことのある程度。それでも勝手はわかっていたので無理なくついてゆけました。講師の方も今学期最初なので簡単な動きだけを選んでくれました。

私は週に二回ほどテニスをしますし、普段も教師なのでほとんど立っていることが多いのですが、それでも普段使ってない筋を伸ばすことは気持ちよく、何よりも精神的にリラックスできたので良かったです。コーラスとはまた違ったStress reliefといった感じです。

セッションが終わり、うきうき気分で仕事場を後にした私。これで健康に一歩近づいたなぁ、これからも頑張ろうと思っていたのもつかの間、帰りに最寄り駅の近くで誘惑に勝てずに夕食をテイクアウェイにしてしまいました。現在猛省中であります。食生活も気をつけなければ意味ないですね、、、。

投稿者 lib : 08:41 PM | コメント (0)

January 17, 2008

アニメの力。

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先週の水曜日だったでしょうか、とても驚く出来事がありました。

まだ学期も始まったばかりの先週は、私も採点や授業準備に相当追われてばたばたしており、昼休みものんびり座ってお昼を食べる余裕がないほどでした。その日もそんな状態で、次の時限の授業のことを考えながら廊下を足早に通っていました。

その時廊下には、雨天のため昼休みに建物内にいることを許可された生徒たちが立っていました。普段は生徒は休み時間中に監督できる職員のいない教室や廊下に留まることを許されていないのです。

さて、その時廊下にいた生徒たちの中には私のクラスの生徒(Rと呼びます)と他の9年生クラスの生徒の一団が一緒におしゃべりしていました。すると、私の生徒Rがこっちを見てすかさず、「先生、片側の髪の毛立ってるよー」と一言。

あらら、と思って手をやってみると確かに髪の毛が片側かなり乱れていました。忙しく動き回っていたので言われるまで気づきもしなかったのです。「えー、恥ずかしいわね。ありがとうね」と生徒に手伝ってもらって髪を整えていたその時です。

「ダイジョウブデスカ?」

、、、えっ?

耳を疑いました。そのグループの誰かが日本語で話しかけてきたのです。ネイティブの発音までは行きませんけれど、一語一語しっかりしていてイントネーションもなかなかのもの。

驚きながら発言の主を見ると、何と私の教えている9年生クラスの生徒の一人、生徒Gでした。

生徒Gは普段の授業では「具合が悪い」・「お腹が痛い」などと授業中の課題を逃れたいがゆえに色々と言い訳をする達人(本当に具合が悪いかどうかは本人と周りの様子でわかるものなのです)。読み書きに自信が無いところから来ている部分もあるのですが、なかなか感情の起伏が激しく対応するのが難しく衝突したことも過去に多々ありました。

彼女が一体なぜ日本語を知っているのか不思議でたまらず、「すごいじゃないの!どこで学んだの??」と私も興奮を隠せずに聞くと、「日本のアニメを見て覚えた」とのこと。

デジタルテレビが普及してきたせいでしょうか、アニメが好きな生徒が見渡せばたくさんいます。最近、日本語を学びたいと言ってきたり、あるいは生徒Gのように日本語を自分で覚えて私に話しかけてくる(ほとんど単語や短いフレーズですが)生徒も多くなったように思います。この間も私の運営するJapanese clubで生徒が「先生、日本の音楽かけていい?」とMP3で嬉しそうに日本語のアニメソングや宇多田ヒカルの曲などを聴いているのです。

日本ではアニメに関して教育上での賛否両論があるかと思いますが、英語環境の中で突然聞く日本語はすごく新鮮で、生徒が日本語を覚えてくれることが素直に嬉しくもあります。アニメの力、侮り難しです。

投稿者 lib : 09:17 PM | コメント (0)

January 10, 2008

1月に思うこと。

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新年明けたばかりだと思っていたのに気がつけば松の内も過ぎて、月の半ばにもうすぐ突入というところまで来ていました。日本ではもう新年の挨拶ではなくて寒中お見舞いですね。

さて、今週の月曜日から新学期がスタートしました。休み中に2日ほど学校に出ましたが新学期開始までに終わらせたかった採点物はほとんど片付かず、今年の抱負に早くも「現実的な計画を立ててそれに徹する」の一文を加えたい私です。こうしてほぼ無計画な私は毎日採点に追われています。

年末年始は普段なら日本に一時帰国するのですが、事情で今年は数年ぶりにロンドンで年を越しました。門松もなければ御節もないお正月。街も日本のお正月とは全く異なる雰囲気です。それでも少しでも年末年始を日本風にと思い、大晦日に年越しそばと2日にはお雑煮を食べましたが。日本に帰れば連日忘年会やら同窓会やらで中高大時代の友人たちや元バイト先の仲間と出かけたりするのですが今年はそれもなく、住み慣れたロンドンでのんびりと過ごしました。

実は教師になってからの過去三年間、この1月は自分の中で一年で一番つらい月でした。11年生の模擬テストの採点に新年早々追われるせいでもありますが、一番の理由は重度の「ホームシック」。年末年始に日本に帰って家族や友人と時を過ごすとあまりにも心地よくて、それにどっぷりと浸かった状態で新学期開始にあわせてロンドンに戻ると妙に異国での一人暮らしが寂しいものに感じるのです。「あぁ、なぜイギリスに来たのだろう、ここで教師になったのだろう、、、」と。

最初の1,2年は特に教師としての自信も経験も少なくて、学級経営・生徒指導に悩むことも多々ありましたから、その年末年始の日本での楽しい時を経て急に教育現場に戻ることが半ば恐怖でもあったわけです。かといってイギリスで教師になることは自分で決めたこと、そして周りの協力があってここまで来たわけですから簡単に弱音を吐くわけにもいかない。こういう精神的な要因ともともとのイギリスの日照時間の短い長くて暗い冬の陰鬱さが重なって私の心はさらに沈んだものでした。

それが今年は何だか違うのです。さすがにイギリスの暗い冬に慣れたのでしょうか、それとも日本に帰らなかったがゆえに、日本、そしてそこにいる大事な人たちを恋う気持ちと直面せずにすんだからなのか、いつものホームシックがないのです。相変わらず仕事上での心配事は多々あるのですが、以前よりも肝が据わってきたのもあるのかもしれません。実際、いつもなら最初の授業は緊張するのに、今回は2週間ぶりに生徒と会って、授業をして楽しんでいる自分がいるのを感じましたし。

今年は教師としても5年目に突入する年です。5年という数字は自分の心のどこかで節目だと感じていたものでもります。実際にイギリスでは5年間フルタイムで働くと永住権を申請することが可能となるので私のイギリスでの生活の大きな区切りにもなります。今後どういう道に進んでいくのか、色々な意味で考えさせられる年になりそうです。

読者の皆様には今年も私のつたない文章にお付き合いいただくことになりますが、少しでもイギリスの学校の様子(といっても私の経験と知識の範囲内でですが)がわかるように色々お伝えしていければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 lib : 08:01 PM | コメント (0)

December 21, 2007

初舞台

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先月のブログで私が教員コーラス(Staff Choir)に初参加したことについて書きました。あれから一ヶ月ちょっと練習への参加を続けまして、先日初めて観客の前で歌いました。

練習といっても実際には私自身風邪で数回お休みしてしまいましたし、毎週欠かさず来れた教員の方が少なかったのですが、何とかコンサートで歌う予定の歌も皆で歌える状態に仕上がりました。これも指導にあたってくれた音楽教師の同僚Lと毎回素晴らしい伴奏で盛り上げてくれた同僚Aの技量によるところが大きいのですが。

初舞台となったのは昼休みの生徒向けのコンサート。私の学校はPerforming Artsが盛んで、普段から希望者に楽器の演奏法を教えたり、ダンスセッションをおこなったりします。そして、学期末に近づくと歌やダンス、演劇などの様々なイベントがおこなわれます。今回もその一環で4日間に渡って音楽科の教師が主催して普段から練習をしてきた生徒達が歌・それぞれの楽器の演奏を披露することになったのです。教員コーラス部(?)はコンサート初日に参加しました。

前もって鑑賞希望の生徒達にはチケットが配布されており、私が担任を持っているクラスの子にも「私も出るよ~」と伝えておきました。内心、わざわざ貴重な昼休みに音楽鑑賞になんて来ないかなぁと思っていましたが。

ところが、会場である音楽室に行ってみてびっくり。あれよあれよという間に生徒が集まり、人数を数えていた同僚Aによると、どうやら70人近く(そのうち約20人はJunior Choir - 低学年コーラス隊の子たちですが)は来ていたようです。そんなに大きな部屋じゃありませんからもちろん全員が座れるはずも無く、会場は立ち見の生徒でひしめき合いました。わたしのクラスからも5人くらい来てくれました(って私を見にきたのかは定かではないですが)。同僚も10数人集まり、気分も盛り上がってきたところでいよいよ本番。

一曲目はChristmas carolの定番の一つ、Good King Wenceslas。歌い始めから曲の半ばまで、緊張してる気持ちは無いのに私の膝はかすかに震えていました。最初はそれを隠すのに必死でした。教師のくせにもともと人前で注目を浴びるのは苦手なのです。自分の教室では平気なんですけどね。おしゃべりやめない生徒に「私に注目しろー」って年がら年中怒鳴ってるくらいですから(笑)。さて、二曲目はRentというミュージカルからの一曲でSeasons of Loveという歌。これはメンバー達が一番入れ込んでいた曲でメロディや歌詞が本当に美しいのです。私なんか惚れ込み過ぎて連日家に帰ってからYou tubeのクリップでメロディを確認しながら一人で練習していたくらいです。皆さんにも一度聞いていただきたい曲です。

そして最後はお決まりでJingle Bells!英語の歌詞を知らなかった私は本番でも終始歌詞カード見ながら歌ってましたが。この曲では観客の生徒たちも加わり全員で大合唱。中学生も高校生もです。クリスマスソングを中学・高校で合唱した記憶なんてない私にはとても不思議な光景。皆で歌って楽しんでいる彼女らの純粋さ・無邪気さに感動してしまいました(教室ではぜーんぜん素直じゃないんですけどねぇ)。

というわけで大興奮の中イベントは終了。大成功でした。生徒って教員がイベントに参加することをすごく好意的に捉えてくれるのです。教室以外でいつもと違うことを夢中でやってる教員達を見るのはおもしろいのでしょう。私もこういうことを通して生徒達と交流することができて嬉しく思います。教師一年目の時は余裕が無くて参加することなんて考えられませんでしたが。

さて、その後、勢いに乗った私たちは終業式の日にあったパフォーマンス・ショーでは全校生徒の前で前述のRentの曲を歌い、翌日の教職員の昼食会とお隣にある特別養護学校のクリスマスショーではクリスマスキャロルを3曲熱唱しました。

これはもう、病み付きになりそうです。願わくば1月以降も活動が続きますように。

投稿者 lib : 12:21 AM | コメント (3)

December 14, 2007

Power of Eid

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今日の2時限目、9年生の授業の最中にMid-day supervisor(休み時間中の生徒の監視員。授業中の構内や学校付近のパトロール、事務の手伝いなどもする)の女性が教室に入ってきました。彼女の手には校長からの全校生徒と保護者に宛てられたレターの束が。

なんだろうと受け取って見ると「End of Term Arrangements(学期末の予定)」とあります。数週間前に同じような手紙が全校生徒に配布されていたので「何でもう一度、、、?」と不思議に思って読み進めると大切な予定変更があるとのこと。

当初の予定では来週火曜日が生徒にとっての終業日で一時限目は学級会(というよりパーティ)、二時限目はスタッフによるパフォーマンスを鑑賞した後に生徒はお昼休み前に帰宅、午後は教職員の研修会があるはずでした。そして水曜日は引き続き教員の研修日となるはずでした。ところが手紙の記載を見ると終業日が月曜に研修日が火曜日に変更になったというではないですか。学期中に学校が突然休校になったり(冬に暖房設備用のボイラーが故障したとか、職員のストライキなどで)、イベントの予定が変更になったことは過去にも何度かありました。が、ただでさえも予定が立て込んで忙しい学期末、しかも終業日が突然変更になったことなど初めてです。

しかし、理由は簡単でした。実は来週の木曜日はEid ul-Adhaというイスラム教徒の大きなお祭りがある予定だったのですがそれが突然水曜日に変更になったのです。イスラム教徒の教員も多い学校なので彼らに考慮すると研修日を水曜日にするわけにはいかず、一日繰り上げるというわけです。

このお祭り、イスラム教徒にとっては年に二回あるEid(イード)と呼ばれるお祭りの一つで、一つ目はラマダン(断食月)が終わった直後のお祭り(Eid ul-Fitr)、今回のEid ul-AdhaはHajjと呼ばれる聖地メッカへの正式な巡礼の日の翌日に行われるのが慣わしのようです。このようにEidは宗教上のお祭りですが、実際に生徒達にとっては美しい衣装を親に新調してもらって美味しいものを食べて家族や友達と出かける恰好の機会のようです。

さて、クリスマスのようになぜ毎年同じ日にお祭りが行われないのかと思われるかもしれませんが、イスラム教のカレンダーは太陰暦に基づいているため、太陽暦のカレンダーで見ると毎年日にちが変わるのです。そして、Eidがどの日になるかはイスラムの聖職者が月の満ち欠けを見て決めるらしく、このように直前に変更になることもあるとのことです。全校生徒の約90パーセントがイスラム教徒である私の学校の場合、このような宗教行事が学校の全体行事までをも動かしてしまうのです。

というわけで、イスラム教徒ではない私もちゃっかりこの恩恵を受けて水曜日が休みに(でも本当は採点が山のように溜まっているのですが、、、)。当日はこれまたキリスト教徒でもないのにしっかりとクリスマスショッピングに勤しむつもりです。

投稿者 lib : 09:39 AM | コメント (0)

December 07, 2007

カルチャーショック?

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月曜日にA-levelの歴史を学んでいる12年生の生徒5人を一般にstudy conferenceと呼ばれるイベントに連れて行きました。

A-levelというのはAdvanced levelの略(正式にはGCE A-level)で、11年生(日本だと高校2年生)がGCSE(General Certificate of Secondary Education)という試験コースを終えた後に進むことのできる二年間のコースです。A-levelのコースを持つ学校を6th Form Collegeと呼びます。私の勤務校の場合はSecondary schoolとSixth formが繋がっています。もちろん、Sixth formの無い学校、Sixth formだけの学校もあるわけです。

このA-levelでは大学で学びたい教科を視野に入れて、ほとんどの生徒が3教科をより専門的に勉強します。大学の予備コースのようなものでしょうか。そして2年間の間に試験を受けて、その結果によって行ける大学が決まるのです(もちろん選抜を厳しくするために面接を課す大学もありますが)。

さて、私が教えているクラスは生徒数が6人。お世辞にもうちのSixth formは人気があると言えず、とくに人文学系の科目は生徒数が少ないのがここ数年の傾向です。現在、私が教えてる単元は「エリザベス朝の政府と政治」というタイトルだけだと「つまらなそう」と言われそうなトピック(笑)。エリザベス1世は一般的にはイギリスでは成功した君主と高く評価され、様々な小説家や映画やドラマ制作者が好んで取り上げる歴史人物です。一般的なそのポジティブなイメージにいかにチャレンジし、エリザベスの君主としての成功を主に政治的な観点から評価していくのがこの単元での一番の目的です。

今回行ったイベントはこのエリザベス朝の政治問題、宗教問題、議会と君主の関係などについて、大学の教授陣が講義を行うというものでした。1月にある試験に向けて生徒にとって良い復習になるかなと思って連れて行ったのです。一つの講義は40分。それが朝と午後に二つずつで計4本。私たちのほかにも会場にはイギリスのいろいろな地域からやってきたA-levelの生徒達が100人以上いました。

こういう時に気付かされるのは、いかに私の学校のある東ロンドンが特殊な地域かということ。私の連れて行った生徒は全員が人種的にはバングラデッシュ系のアジア人。彼女らは生まれも育ちもイギリスで英語もネイティブですが、ほとんどの家庭で両親と話す言語はベンガル語、宗教はイスラムで一人を除いては全員ヒジャブ(頭にかぶる布)を付けていました。普段そういう子供たちと当たり前のように接してる私は地下鉄でも会場に行くまでの道でも何とも思わなかったのですが、会場についてあたりを見回すとほとんどが白人イギリス人の若者たち。ちらほらインド系と見られるアジア人の生徒もいましたが、ヒジャブをかぶっているアジア人女性はうちの生徒だけ。さらに驚いたのは体格の違い。東アジア人である私の背丈はまぁ標準で、自分の生徒と同じくらいの体格ですが、周りの他校の生徒達は頭一個分以上大きい子が大半!特に女子校勤務の私には男子生徒が大きく見えること!!私のほうがきっと子供に思われていたことでしょう。現に他の学校の生徒の隣りで一生懸命内職(いえ、生徒のノートの採点です)してたら、ぎょっとした目で見られました。

私の生徒たちもこれには相当驚いたようです。女子校でずっと学んできた上に、ムスリム女性は家族以外の男性と交流する機会もそんなにありませんから(例外あり)、当たり前といえば当たり前ですね。休み時間に「圧倒されたよ~」とさざめきあってました。そして講義中はいつもより緊張した面持ちでまじめにメモを取る生徒達。自分の学校にいるとあんなに堂々としてるのに外に出るとすごくシャイなのです。これは彼女らに限らず、うちの学校のほかの生徒にも言えることですが。低学年は恐ろしいことに集団化するとどこに行ってもすごいうるさいですけれど。

さて、肝心の講義の感想を聞いたら、全員が口を揃えて「情報は役には立ったけど講義自体はつまらなかった」ですと。理由を聞いたら「だってただ座って聴いてメモ取るだけなんて!もっと講師と生徒の対話があった方が良い!!」と意見が。「大学の大講義って基本はこんなもんだよ」と言うと「えぇぇっ?大学行きたくなくなった、、、」なんて冗談半分本音半分の反応が返ってきました。イギリスの生徒達は授業中に発言の機会がかなり与えられており、普段からディスカッションを通して学んでいくことが多いので、大学スタイルの講義というのは未知の世界だったようです。まぁ、貴重な経験になったと思います。

今回はそういうわけで色々な意味で彼女らにとってはカルチャーショックとなった一日でした。さぁ、一月の試験に向けて私も根気入れて指導にあたらなくては!

投稿者 lib : 12:20 AM | コメント (0)

November 29, 2007

いつか来た道

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9月から新学年が始まり、早いもので今学期もあと3週間で終わりというところまできました。

そして気が付けば、学科主任である同僚が産休・育休に入って早くも10ヶ月が経ちました。実は、彼女の代理を務めていた教員が夏で辞めたので、九月からは新しい同僚(以下、Aと呼びます)が私の学科で働いています。彼はNQT(Newly Qualified Teacher)といって、夏に一年間のトレーニング(PGCEといいます)を終えて教員資格を得たばかりの教師です。

イギリスではトレーニング期間中の実習生をTraineeとは言わずに、BT(Beginning Teacher)と呼び、学生というよりも教員として扱われます。教員生活の中でBTの年が一番つらい年という人が多いですが、私自身はあの頃は必死でやっていましたから、辞めたいほどつらいと思ったことはありませんでした。

私はNQTの一年間の方がはるかにハードだったと思うのです。なぜならば、PGCE期間中の授業数は普通の教師の半分、それがNQTになると一気に90パーセントになります。つまり、担当するクラスがほぼ倍増するのです。その学校のカリキュラムに慣れること、授業準備をすることはもちろんですが、その上にBTだったころはそんなに関わることのなかった成績評価や様々な事務処理などももちろんこなさなければならず、学級運営も生徒指導も自分が中心となってやることになります。

人によって感じ方はそれぞれですし、NQTなのにまるで今まで様々な経験を積んできたかのように卒なく堂々と仕事をこなす人もいます。ただ、大半の人は慣れない環境で新しい生徒に接し、自分のスタイルを確立し、自信を持ってやっていくのに苦労するようです。私ももちろんその一人でした。子供は正直で新任の教師にチャレンジするようなことをしてきます。最初にどのくらい自信を持って厳しくそういう子供たちに接することができるかどうかが鍵になります。慣れている先生はそういうのが非常に上手で始めに厳しさを見せると子供は学び、それ以降わざと困らせるようなことをしないものです。もちろん厳しいだけではそれがまた反抗を助長するのですが。とにかく、メリハリのある対応がきっちりできないと一人一人は良い子達でも集団化すると子供たちは普段以上に反抗的な態度でクラスを支配しようとします。その時の子供の持つエネルギーは凄まじいものです。

同僚Aは一学期も残り少なくなってきた今、そういう子供たちに接して大変な苦労をしているようです。悩みの中心ははやり授業中の生徒指導。私たち教員の間ではBehaviour managementやPupil managementと呼ぶものです。どうやってクラスをコントロールして授業をスムーズにおこなうかという問題なのですが、3年間教えている私ですらクラス全体を見つつ、生徒個人個人の問題行動に細かく迅速に対処していくのに苦労することがあります。一つの対処の誤りがその日の授業をめちゃくちゃにすることだってあるのです。特に感情の起伏が激しかったり、多動行動が見られる生徒がクラスに4人も5人もいると難しいです。

昨日、同僚Aの授業を観察したのですが、やはり色々な場面で子供がやりたい放題という状況がはっきりと見える状況でした。同僚Aも「生徒が言うことを聞かない」→「ストレスが溜まる」→「心の余裕がない」→「子供の行動に余裕を持って対応できない」→「子供がそれを察知してさらに増長する」→「さらにストレス」という悪循環に陥っていました。そういう時って、クラスで生徒の行動が全てネガティブに思えてしまいます。本当はクラスの半分が教師のいうことを聞いて取り組もうとしている状況であってもです。実はクラス運営の鍵は「子供の良くできたところをタイミングよく上手に褒めて、学級の雰囲気をポジティブにして生徒の意欲を高める」なのですが、教師自身が授業を余裕を持って楽しめない状態だとそういう部分が悲しいことに見えないんですね。まるで生徒と教師が敵対関係に陥ってしまうのです。特に女子校ですから頭ごなしに叱ることがさらなる反発を呼ぶ結果となり逆効果という場合がほとんどなので。

4年前の自分の状況を見ているようで、同僚Aには同情・共感の念が絶えません。私自身、放課後に何度も「なぜ生徒にあんな態度を取られなければならないのか」と屈辱を感じながら涙し、教師にあれほどなりたいと思っていた情熱が吹っ飛んでいくくらい悩んだのを今も鮮明に覚えているからです。「学校に出てくるのが苦痛」。そう言った同僚Aの気持ち、痛いほど分かります。

昨日は同じく歴史教員である人文学部主任の同僚K(教師暦14年ほど)も交えて3人でこれからどういう対処をしていくか話し合いました。まずは同僚Aが生徒の前で(例え演技であっても)余裕を見せられるようになることが大切であるという合意に達しました。それでも経験してきた私にはそれがどれほど難しいか分かるのですが。

これから同僚Aが生徒ともっとポジティブな関係を築いていけるために何ができるのか、私も自分の来た道を思い返しながら考えていきたいと思います。

投稿者 lib : 10:46 PM | コメント (2)

November 22, 2007

School Trip

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色々な世代の方が私のブログを読んでくださっていると思いますが、皆さんが中学校・高校に通われていた頃は校外学習などありましたでしょうか?

私自身は、小学校の時に、普通の遠足以外にも近くの消防署や醤油工場(って出身地がばれそうですね)に社会科見学として訪れた記憶はありますが、中学と高校になるとそういった記憶がほとんどないのです。美術館や博物館に行ったことはあると思いますが、それも数えるほどです。

イギリスのほかの地域ではどうか分かりませんが、私の勤める学校ではとにかくこのSchool tripがさかんです。教室での授業時間が潰されるため、校外学習自体に是非を問う声もあります。私が見ていてもあまりにも生徒が安易に校外学習を「楽しいもの」、教室での授業を「つまらないもの」と捉える傾向にあるので、そういう機会を与えすぎると逆に校外学習の意味そのものが薄れていってしまうのではないかという危機感はあります。全員は連れて行けませんから、どの生徒に校外学習の機会を与えるか、どのように生徒間の機会の不平等を無くしていくのかなど、課題も多いです。

このような論議はおいておいて、うちの学校で実際に実施されている校外学習についてお話しましょう。以前にも書いたとおり、うちの学校はPerforming Arts系の科目が盛んですので、演劇鑑賞やコンサートに行く機会が他の学校よりあります。それに限らず、各教科でカリキュラムに沿った校外学習が行われ、学年としても自然学習・情操教育の一環でキャンプに行ったり、ワイト島という島に旅行に連れて行ったりと毎週生徒も教師も誰かは何かの校外学習に関わっているという感じです。もちろん、いずれの場合も一クラス、または学年全体を連れ出すということは極めて稀ですが。日本のように修学旅行・林間学校的な一大行事もありませんし。

さて、実はかくいう私も今週の金曜日(みなさんがこのブログを読まれる頃ですね)には私自身が企画した9年生対象のschool tripで生徒達を校外学習に連れて行きます。各クラスから選んだ4人ずつの生徒、計32人(私の学校は規模が大きく8クラス制なのです)を同僚の歴史教員と一緒にDocklandsというところにある歴史博物館へ連れて行くのです。

9年生は現在、西アフリカ人奴隷史からアメリカにおける国民の人権運動までをカバーする単元を学習しています。明日の目的地である歴史博物館がSlavery Study Dayという生徒のための特別な企画をやるというので申し込みをしたのが9月半ば。それから色々とペーパーワークを終えて、生徒を選出してようやく実現というわけです。ただの博物館見学だけではなく、俳優さん達が当時の様子を再現しながらキャラクターを演じてくれたり、生徒が実際に参加できるアクティビティが多いというので連れて行く私も楽しみです。

ところで、実際に校外学習を実現させるにはいくつかの手順を踏まなければなりません。まず、行き先を決定、現場でどのような活動をするのかなど目的を明確にしてから、企画書と保護者へ送る手紙を作成して校長へ提出、その間にリスクマネジメントという災害時・緊急時の対処に関する書類を作り、訪問先へ仮申し込み・保証金や料金の支払い・交通手段の確認・アレンジ(貸し切りバスの場合はその手配)を済ませておきます。校長から許可が下りたら、申し込みを確定、参加する生徒を選んで、保護者からの許可書と医療関係の書類(持病の有無などを記載する)を集めます。そして最終の参加者リストを作って、生徒のお昼用のサンドイッチを注文したりして当日の準備をするわけです。

新任として勤め出してから4年、今まで何度も色んなschool tripを企画し、二年前には8年生の学年全体をHampton Court Palaceという宮殿に(同日に全クラス一度ではありませんが)連れて行ったこともありました。ですので、School tripの企画・実行は慣れているといえば慣れているのですが、意外に細かいところでかなり時間を消費するものなのです。それでもやはり、校外学習は意義深いものとされていますので(私も実際にそう思いますし)、教科主任として色々と企画をしていくことが奨励されているのであります。

School trip当日は私が引率者となるわけですが、そんなに遠隔地ではないとはいえ、やはり生徒の安全のことなどを考えると気を緩められません。それに加え、地下鉄でたむろするロンドンの若者(そして一部の大人も)を目にしたことのある方ならお分かりかと思いますが、子供って集団になると公共の場で目を疑うような行動をとるので目が離せないのです。今までに一体何度恥ずかしいと思いながらも「Be quiet! Behave yourself!!」などと声を荒げたことか。そして周囲の非常に痛~~~~~い視線を浴びたことか、、、。

あぁ、どうか生徒たちが何も問題を起こさずに、地下鉄でも静かに行儀良くしてくれますように。神にもすがる思いです。

投稿者 lib : 11:56 PM | コメント (0)

November 15, 2007

地球の裏側から。

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先日、一通のメールが届きました。

私の大学院時代の友達(以下、友人Y)からでした。彼女は台湾人の歴史教師で6年前にロンドンの教育系大学院のコースが一緒で知り合いました。

私たちの在籍していたコースは歴史教育という修士課程ではマイナーな分野なせいか、当時、フルタイマーは私と彼女の2人。あとの3人はパートタイマーでロンドンの学校で歴史を教える現役の男性教師達でした。

友人Yと私は歳も近く、女性同士、しかもお互い東アジア出身。そして昼間の授業に出るのはフルタイマーである私と彼女の2人だけ(今考えると贅沢ですね)。自然と2人で一緒に授業準備をしたりすることも多くなり、授業後にご飯を食べに行ったりと交流が深まりました。

それだけに留まらず、お互い母国を離れての留学でしたから家族の話や自分の国の話、そして恋愛の話など、本当に色々なことを話し合える仲になりました。国を越えて、お互いの国の歴史のしがらみや文化の違いなども越えて(そして同時に共通点も見出せる)、本当に自然に物事を話せる関係を築けたのです。

そんな私たちも一年後、無事に修論を書き上げてコースが終わり卒業。私はイギリスに留まって教師を目指すことになり、彼女は台湾で教師を続けながらロンドンの同じ大学院でパートタイムのドクターコースに進み、台湾とイギリスをたまに往復するようになりました。

会える回数は減ったもののメールでの交流は続き、彼女がイギリスに来るたびにうちに泊まったり、ご飯を食べに行ったりして何時間もおしゃべり、、、こうして現在に至ります。

今回のメールは友人Yがついにドクター論文の下書きが書き終わったという報告とこれからの進路についての相談でした。お互い歴史教育に関わっているとはいえ、彼女は研究の道へ、私はイギリスでの実践の道へ進み、お互い自分のやったことのないことをやっているということでadmire(敬服?)しあうのですが、そんな彼女が今後の進路について悩んでいると言うのです。

研究者として大学で働くのが目標の彼女。理想は台湾での就職のようですが、現在は空きがなく、今考えているのは私の恩師でもある彼女の指導教官の紹介である北米での職にアプライすること。ただ、仕事の内容は研究に留まらず、歴史の教職課程に所属する学生への指導・講義なども含まれているそうです。

彼女は経験のある中学・高校教師ですが、北米に渡れば使うのは英語。母国語ではない言語で現地の学生に自分になじみのない歴史教育制度に基づいた指導をしていくことに不安があるそうです。普段は何事にもチェレンジして、今までも私なんかよりもよっぽど困難な状況で勉学・仕事を両立させてきた彼女。それでも今回のことは一歩踏み出すのに勇気がいるのだと言います。

イギリスで母国語以外の言語で現地の生徒を教えている私がどうやって英語でのインタビューを乗り越えたか、どうやって現地のカリキュラムについて学び教えるまでに至れたのか、そういうことを聞きたかったそうです。

そう言われて考えると、当時の私はとても無鉄砲だったように思えます。英語も不完全なくせに怖いもの知らずというか。ただの自己中心的行動・究極的我が侭というか。「教師になれる!」という(あまり前提のない)確信をひたすら持ち続けただけのような気がするのです。そして周りの人に精神的に支え続けてもらえた(実際は半ばあきれられてもいた?)、その結果だと思うのです。実際のトレーニングやインタビューはとにかく必死でしたから一日一日をとにかくsurviveする感じでした。結果がどうなるか深く考える余裕もなく、同時に深く考えて不安になるのを避けていたのだと思います。

結局こんな私が彼女に言えたのは、どんな選択をしても間違いではないし、どんな結果になってもそこで終わりじゃないということ。実際に仕事が始まったらそこからはまた学ぶのみ。でも毎日が向上への道のはずだから困難があってもいつのまにか螺旋を描くように上に登っていける。そして私や私たちの恩師も含めていつだって話を聞いて支えてくれる人はいる。可能性を信じてチャレンジして欲しいと伝えました。

これらの言葉。実は自分自身が今まで色んな経験を通して気付かされ、いろんな人にかけてもらった言葉です。そして今も自分に必死にかけ続けている言葉なのです。なぜなら、私も自分の可能性や能力に疑問を持つことは多いし、不安に思うことも多いから。

人生の選択肢ってありますね。私も選んだし(そして周りの人に選ばせてもらった、そういう環境をもらった)、彼女も選んでいくんですね。ひさびさに友人Yのメールで考えました。自分の今までとこれから。

最後に、このブログを友人Yが目にすることはないでしょうが、彼女に地球の裏側からエールを送ります。

投稿者 lib : 09:35 PM | コメント (2)

November 09, 2007

Sing to de-stress

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教師生活も4年目にはいると仕事が単調に感じることがあります。

教材作り、授業計画、授業、生徒のノートチェック、課題やテストの採点からSchool trip(遠足?)の計画、その他諸々の事務処理などと常にやることは色々あるのですが、それでもそういう日課だけをこなしているとどうしても変化が欲しくなるのです。

周りを見ていても同じように感じている同僚はたくさんいるようで、それぞれに色んな活動をしています。チャリティ活動を先頭に立ってやったり、Gifted & Talented students(学習能力が高い子供、特別な技能を有している子供を総じてこう呼びます)のためのプロジェクトに関わったりなどなど。

私も変化を求めて、先週書いたように海外からのお客様をホストしたわけですが、そのチャレンジも過ぎるとまた「他にもやれることないかなぁ」と心が漂い始めるのです。

そんな中、音楽教師である同僚から全教員に向けて送られてきたメールがありました。「教員合唱団に参加しませんか?」という内容のもの。

もともと(素人ですが)歌うのは大好きな私。

迷わず飛びつきました(笑)

練習日は毎週金曜日の放課後。先週の金曜日に始めて練習に参加しました。集まったのは音楽教師3人と、私、それから理科教師、演劇教師の同僚の計6人。小さな合唱団の結成です。

どうやら、12月の恒例のクリスマスイベントで全校生徒を前にキャロルを歌う計画のよう(いやー、教師のくせにこれは緊張しそうです)。キリスト教ではない私はもちろんクリスマスキャロルなど歌ったことがありません。子供向けのクリスマスの歌ならありますけれど。しかも英語で歌ったことの無い歌を突然歌うのは初めて。かろうじてその日に歌ったのは有名なキャロルだったのでメロディだけはほとんど知っていましたが。

10分ほど発声練習をしてからさっそく楽譜を渡され、まずはみんなで歌詞を音読。中には古い英単語やラテン語のフレーズもあって隣の同僚の発音を聞きながら何とかしのぎました(汗)

そして、いよいよ音楽教師の同僚のキーボード伴奏に合わせて歌うことに。合唱なんてたぶん中学校以来です。ちょっぴり恥ずかしいようなちょっと緊張するような感じ。それが、あらっ、歌い始めたら楽しい。気持ちいい!!!

それにしても音楽教師の同僚達には脱帽です。即興で音程をかえたり、楽譜をすばやく読んでテノール、アルト、バスなど違うパートをマスターし、最後にはハモるハモる!!!そしてハモる瞬間の気持ちいいこと。

それから50分もの間、私たちは無我夢中で歌い続けました。その週一週間のストレスがどんどん溶け出していくようでした。一日中授業で声を使った後なので喉にはかわいそうでしたが。でも、歌っている時はそんなことも忘れ、ひさしぶりに時間が経ってしまうのがもったいない気持ちでした。

教員に限らず、ストレスを抱えている方、合唱はかなりおすすめです。これから毎週金曜日が楽しみになりそうです。

投稿者 lib : 12:24 AM | コメント (0)

November 01, 2007

初めの一歩

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ハーフタームも終わり、再び学校が始まりました。

始まると授業準備に生徒の課題やノートの採点などやることが多くて忙しいですが、その代わりに休みと違って一日の中にリズムが生まれるので休みの時より格段に充実しているように感じます。

さて、先週のブログの中で「ハーフターム前に多忙でストレスレベルが最高潮に達した」と書きましたが、今回のテーマはあの時なんでそんなに忙しかったのかについて。

実は、ハーフタームに入る前の週に日本から大事なお客様が我が校にいらしたのです。火曜日は日本でイギリスの歴史学で研究しておられる方、水曜日にはCitizenship教育(いわゆる公民教育?でもちょっと日本の学校の教科にある「公民」とはコンセプトが異なるようです)の研究をなさっている三人の研究者の方々。いずれの研究者の方も日本では教授・助教授と呼ばれる方々で、長年社会科教育学研究をされています。その方達が研究の一環で現地校を訪問されたいというので私がcoordinatorとなってお迎えしたのです。その準備と当日の対応でハーフターム前はてんてこ舞いでした。

でも一体何故研究者でもない私が日本の研究者と知り合ったのか。それはネット時代の賜物としか言い様がありません。

始まりは実は私がイギリスに来て一年目に歴史教育学のマスター(修士課程)をやっていた時でした。実は日本の歴史教科書について修士論文を書いたのですが、その資料集めをしていた時にどうしても日本に一時帰国する前に情報が欲しく、ウェブサイトを持っておられる社会科教育学の研究者の方とメールで連絡を取って力を貸していただいたのでした。

それから教師になって二年経って教師と言う仕事にようやく慣れてきた頃、教師をそのまま一生続けるのか、それとも他に自分が進める道があるかと考えるようになりました。そして自分は元々日本で教員になりたかったわけで、日本で教職に就くことは無くとも、何か日本の教育界と関わってできることがないかと漠然と思ったのです。思い始めると居ても立ってもいられなくなり、かといって日本とコネクションがあるわけでもない。どうしようかと考えていたところで、ふと、マスター時代にお世話になった研究者の方のことを思い出したのです。

それからはあっという間でした。その方と無事連絡も取れ、その方にイギリスの教育を研究されている大学教授の方を紹介していただいたのです。なんとその先生は私がマスター時代に読んだ多数の学術文献の著者でもある方でした。折りしもその先生と他の方々が訪英するので、私の学校を研究の対象として訪問したいというお話をメールでいただいたのでした。

今回の訪問で生まれて初めてコーディネーターとしての仕事を経験しました(といっても所詮素人ですが)。見学してもらう授業や教師とのインタビュー、校長や生徒会委員達との面会などのスケジュールを組みましたが、日本の研究者の方々(しかも実際に一度もお会いしたことがない)と私の学校のスタッフとの間に立って双方の希望に沿いながら計画表を組むのは思ったより大変でした。当日もインタビューの時間が変更になったり、面会の時間がずれたりとかなりスリリングな状況に。私の悪い癖で必要以上に一人であれこれ考えすぎて胃がきりきりしていました。まぁ、結果として何とかなったのですが。校長の秘書に「顔が強張ってるよ、大丈夫だからリラックス!」って言われてしまいました。相当顔に出ていたんですね。

訪問予定日の数日前は教師としての仕事も山積みで「何で引き受けてしまったのだろう」とかなり現実逃避しかけていましたが、訪問された先生方に非常に参考になったとおっしゃっていただけて、そんな思いは遥か彼方に吹っ飛んでしまいました。ここに書ききれないほどいろいろなことを学びましたし。今は「引き受けてよかった!」です。

日本の教育とイギリスの教育が繋がるための架け橋になるための第一歩を踏み出せたようで自分としては本当に貴重で充実感溢れる幸せな体験でした。

、、、その日の帰宅後、爆睡したのは言うまでもありませんが。

投稿者 lib : 11:10 PM | コメント (2)

October 25, 2007

教師の特権?

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今週はハーフタームです。

現地校にお子さんが通われている方は御存知かと思いますが、イギリスでは1学期の半ばに1週間休みがあります。その休みがハーフタームホリデーなのです。

イギリスの公立校はほとんどが3学期制だと思うのですが、1学期の長さやハーフターム・長期休暇に入るタイミングは自治体によって少しづつ異なるようです。私の勤務校ですと1学期の中で6-8週間経つとハーフタームがやってくる感じですね。

休みの長さは教師の特権とよく言われます。以前にも書いたように授業の無い休み中に教師が出勤することは義務ではありませんから尚更です。実際イギリス人の友人にも休みの長さを羨ましがられます。それでも彼らは決して「私も教員になりたい!」とは言いませんけれど(笑)。「毎日毎日騒がしくて我が侭な子供たちを相手にするほど忍耐も気力も無い」というのが彼らの教師になりたくない主な理由。特に荒れた学校も多いロンドンでは教科(特に理系)によっては未だに教員が不足している状態であり、悲しいかな教師が憧れの職業となることはないようです。私立やグラマースクールといわれる選抜制の公立校では状況も違うかもしれませんが。

全般的にイギリス(というよりもロンドン?)では日本のように俗に「先生」と呼ばれる職業(教師や医者)に対して人々が尊敬の念を持つということがあまり無いような気がします。大抵私が教師だと自己紹介すると「よくやるよねぇ」という敬意というよりも驚きに近い反応が返ってきます。よほど割に合わない仕事だと思われているのでしょうか。それでも学校教育は子供にとって重要だと思うし、一教師である私は意義のあることをやっていると信じたいものです。それでも私の専門教科である歴史は医者やエンジニア、ITプログラマーのように目に見える技術を使うわけではないので、心が沈んでいる時は「私の代わりなんて山ほどいる。教師なんて誰にでもなれる。別に私がいなくても生徒も学校も困らないし」なんてマイナス思考になってしまうのですけれど。

さて話がそれましたが、私はこの「教師の特権」であるハーフタームを活かしていったい何をしているかと言えば、、、。

1、 体力・気力の回復(実は先週仕事が忙しくてストレスレベルが最高潮に達していました→その原因については来週書こうかと検討中です)
2、 小旅行(ハーフターム中は子供たちも休みなので海外や有名観光地は避けるようになりました。かわりにKentの美しい景色を見ながら村や街をめぐりました。おすすめです!)
3、 溜まった仕事の処理(結局行っちゃうんですよね、、、学校。でも、授業がないとどうも時間ばかり過ぎていくようで仕事自体はあまりはかどらず)

巷では「ハーフタームが青少年の犯罪を助長する」という批判があったり、「ハーフタームをなくせ!」という意見があったりするようですが、なくなったらかなりきついですね。両親共に働いている家庭では確かに一週間子供が家にいるというのは大変かもしれませんが。それに日本の先生は休みもほとんどなく頑張っていると聞くので贅沢いえないかもしれません、、、。

それでもハーフタームが存続してくれることを願ってやまないばかりか、(ずうずうしくも)すでにクリスマス休暇のことを考え始めている私。「一日でも多く働いて教師としての自分の使命を全うしたい」と思えないあたり、私のイギリス化が進んでいるということでしょうか(ちなみに今日学校行ったらイギリス人の同僚も数人出てきていました。イギリス国民全員が怠け者なんて間違っても思っておりません。あしからず)。

投稿者 lib : 09:08 PM | コメント (0)

October 18, 2007

Japanese Club

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2週にわたってかなり重い題材で書きましたので、今回は暗くない話題をひとつ。

実は私は今の勤務校で働き始めてからずっと「Japanese Club」なるものを運営しています。今年で4年目。要は部活動なのですが、イギリスの公立学校では生徒が必ず部活に属さなければならないなどのルールが無いため、運営する教師もボランティア感覚でやっています(といっても時間給でお給料が結構でるので実はこれを半分目当てにやっている教師もいるとかいないとか、、、)。

私も学科や学級指導以外に何かやってみたいという思いから始めたのですが、まず思ったこと。

「自分って日本語や日本文化に関する知識が薄いなぁ」

それでも何とか子供が楽しめる内容をと思って、折り紙・習字から始まって漫画作り・雛人形作り・お箸の持ち方講座などなど。「Tea tasting session(色々な種類の日本茶の味見をする)」と、かなり無理やりな企画も多々ありました(笑)。習字だけは小学生4年生までしっかり先生について習っていたのでちゃんと基礎から教えられたのですけどね。

雛人形に至っては(というか普通の人形でさえ)、知識ゼロの素人が到底作れるものでもないし、私自身人生で作ったこともありません。それでもやってしまいました。たまたま私の教室にあった粘土とペイント、そして日本から買ってきた和紙を活用して雛人形の写真を見ながら試行錯誤。台座や菱餅やぼんぼり・屏風などもそれらしく作成。完成した人形の頭が展示前にごろっと落ちるハプニングもありましたが、完成品を図書室にある陳列用ガラスケースに並べてもらえました♪これは今でもいい思い出です。

さて、4年目の今年は、暗い冬に特に人気のなかった放課後から昼休みの活動へと変更してスタート。これが功を奏したようで今年はサインアップしに来た生徒も倍増し、初めてのセッションでは20人以上が参加(まぁ、これから徐々に減るのでしょうが)。教室が人でいっぱいになりました。このクラブ、言語の習得が主目的ではないのですが、折角だからとその日は「日本語であいさつしよう!」をテーマに簡単なフレーズを教えました。生徒一人一人の名前をカタカナで書いてあげるというおまけ付で。何度教えても「こんにちは」が「こにぃちわぁ」になってしまう子が続出でしたがそれも御愛嬌。ついでに私の日本語の発音もなぜか非常に怪しいものに。一語一語はっきり発音しようとするとかえって不自然になるような気がするんですよね。それに英語を話す環境でいきなり日本語を話せといわれるとすごく恥ずかしいのです。

2回目のセッションではみんなで折鶴に挑戦。折り紙は多少イギリスにも浸透していますが、東ロンドン育ちの彼女らは初めて挑戦する子が大半。ずいぶん斬新な形(笑)に仕上げてくれた子供たちがかなりいました。折り紙っていわば幾何学の延長ですから結構頭を使うんですよね。「こう折ったらこういう形になる」っていう想像力も無いと説明図を見ても難しいようです。真っ直ぐ折ったり重ねたりする手先の器用さも要りますしね。幼少時から折鶴を折り慣れてる日本人の子供たちはある意味すごいと思います。

さて、これから何週かに亘ってクラブの生徒達と「Origami Zoo(折り紙動物園)」を作る予定です。いろいろな動物を折り紙で折ろうというこの企画。もちろん園内の各部分(ベンチや人・植物など)も折り紙で作成するつもりです。この壮大なプロジェクトに私と生徒の『折り紙力』が試されることになりそうです。

投稿者 lib : 10:06 PM | コメント (3)

October 11, 2007

蜜月(その2)

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先週は私がI組の担任を持ちはじめ、彼女らとの蜜月の果てに訪れた地獄(というのは非常に大げさですが)についてまでお話しました。

さて、その蜜月→地獄月を彼らと一緒に経た私がたどり着いた先は、、、。

結構居心地のいい場所です(笑)。

教師になってから3年間かけて学んだもの=「私は私。他人にはなれない」でした。今までは威厳のある、子供がだまっていうことを聞いてくれる先生を目指して、そのイメージの中で溺れそうだったのですね。でも、その焦り、自分自身への低評価はなにも良いものを生まないことが分かりました。それを悟ってからは生徒との接し方にも自分の色を出して、とにかくどんな状況にも誠意・熱意・根気を持って接することを忘れないようにしてきたように思います(実際はそれがいつも上手く伝わらないものですが)。例えば、私の決めた座席表に毎朝座らせる、朝はしっかり廊下で待ってもらい、教室へは私が迎え入れる。生徒に自分から声掛けする、態度の悪い生徒には1人ずつ個人的に話をするなど。実行を始めた頃はあまり事態が好転せず、回り道じゃないのか、意味無いんじゃないかと迷いました。それでも最初はいくら生徒に文句を言われても私なりの考え・理由を生徒に説明し続けました。自分でやっていることは意味のあることだと思わないと生徒も反応してくれないと思ったからです。

それが去年の最後の頃、今年の初めから生徒の態度に変化が現われ始めました。なんというか、これは感覚的なことなのですが、生徒が私に信頼を寄せてくれていることがわかるのです。まぁ、例外的に今でも2,3人はなかなか心を開かない子がいますが(諦めませんよ。としつこい私)。あんなに聞かん坊でわがままで批判的だった子供たちの大半が私が叱ると素直に受け止め、私に褒められて評価されることを素直に喜ぶようになったのです。T先生と私を比べたり、私たち担任同士の関係を試すようなこともしなくなりました。それに加えて、T先生とも今ではなんというかバランスの取れた役割分担ができてきました。まぁ、彼女の場合、ほかの任務で忙しくてほとんどいないことが多いのですが(実はそれが私に自分のスタイルを確立する機会を与えてくれたのかもしれません)。

もちろん、彼女達との関係が変わってきたのは、彼女達自身が9年生になり少し成長したこともあるでしょう。そして私自身も教師として成長したのでしょう。でも、自分が彼女らと過ごした2年間のなかで彼女らと一緒に築き上げてきたものもあると信じたいのです。私はある意味、生徒の前で割りと喜怒哀楽を見せる人間臭い教師だと思うし(まぁ、哀は滅多にないですけど)、そういう人間臭さを子供の前で出さないことでうまく生徒指導する先生もいます。でも、それは一人一人違うスタイルを持っているこということなのでしょうね。どれが正しいとかではなくて、それぞれが自分に合うスタイルを見つけるのだと思います。

最近再会した日本にいる私の中学高校の恩師が言っていた言葉をいつも思います。「教師の道は一生試行錯誤だと」。きっと何事もそうだと思いますが、今まさに成長していく子供たちを相手にしている教育現場は本当に何が起こるかわからないものです。子供の行動に時に悩まされ、傷つけられ、笑わされ、励まされ、、、そうやって私も前に進んでいっているような気がします。まぁ、私生活では相変わらず精神的に幼稚でお子様な部分が多い私ですが(深く反省)。これには教師も人間なのよ、と言い訳。

そんなまだまだ未熟者の私のブログ、これからもお読みいただけると嬉しいです。

投稿者 lib : 09:04 PM | コメント (3)

October 04, 2007

蜜月(その1)

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夫婦の間に幸せ満点の蜜月(Honeymoon)があるように、生徒と教師の間にも蜜月が存在するように思います。何の問題もなく、未来への期待感がいっぱいで、幸せもいっぱいの関係が担当クラスの生徒達と続く期間があるのです。私はそれを勝手にHoneymoon Periodと呼んでいます。

今日はこれに関するお話。特に私が担任として受け持っている学級(I組)との関係について書きます。

勤務校での1年目、そして新任者研修期間(NQT Year)でもあった4年前は、ある7年生(中学一年生)クラスの副担任だった私(ちなみにその子達は今年で10年生)。そのときは完璧担任を支える裏方で、表立って責任を持つことも無く、ある意味楽な立場でした。それが教師2年目には自分の学級を持たされることに。担当となったのはその年に入ったばかりの中学1年生のクラスでした。

数年前からうちの学校は1学級完全2担任制(1クラスに担任が2人。担任・副担任という関係ではなく、2人とも同等な担任として扱われる)になりましたが、私がそのクラスを受け持つようになった当時は副担任はいたものの、担任はあくまでも私という構造。もちろん主導していくのは私の役目で、担任を持つということが私にとっては初体験な上、副担任のT先生は教師歴20年以上のベテランですから相当なプレッシャーを感じたものでした。それでも出だしはスムーズ。さすが新1年生はどの子も素直で協力的。このクラスを担当出来てよかったと心底思ったものです。

でも、この蜜月、永遠に続くものではないんですねぇ(遠い目)。

7年生も後半に入ると、彼女らも自分の色を出し始めるというか、Secondary schoolという新しい環境にも慣れてきて、どんどん我が出てくるんですね。難しいお年頃だという事実に加え、全員女という特異な環境。そんななかで、友達関係のもつれが出てきたり、軽い登校拒否に陥る子がいたり、やんちゃで失礼な態度をとるようになった子がいたりと様々な課題が出てきました。

彼女らが8年生になった年は私にとってまさに試行錯誤の年でした。T先生が改めて担任として認識され、私は経験も生徒とのスタンス、生徒指導のスタイルも違う彼女と同等に学級運営をすることになったのですから。そして、担任として私自身も自分のスタイルを確立し、学級の子供たちとどれだけいい関係が築けるか、その器量を試された年だったような気がします。

ちなみに学校にすっかり慣れてきた8年生は「魔の学年」とも言われる時期。どうしても気が緩んで規律が乱れやすいものなのです。私の場合はそれに加えて経験が浅いものですから、それに付け込むような態度をとる子が結構多かったのです。当時、T先生はかなりLaid-back(気楽な・くつろいだ)スタンス。私が不在のときは生徒を好きな場所に座らせたり、朝礼も生徒達が自由におしゃべりをして終わる、という感じだったようです。なので、規律を正そうとする私はもちろん生徒にとっては目の上のたんこぶ(現代っ子の生徒たちがよく使う言い回しだと「You’re so extra!=あなたってほんと余計」訳しづらいですが)。しかも私自身の生徒との接し方も今と比べると余裕がありませんでした。そういう状況の中、私に八つ当たりするように目の前でわざと私とT先生と比べたり、さらには残酷・無邪気なまでにも「T先生のほうが指導力がある」と言う子がいたり。今思えば、私の自信のなさ、焦り、不安を上手に読まれていたのですね。子供ってこちらがどれだけ自信を持って接しているかわかるのです。おどおどしているとすぐに付け込まれます。そんな当時は私も朝にForm Room(学級が朝礼の時間に集まる教室)に行くのが本当に憂鬱でたまらなかったものです、、、。(次週へ続く)

投稿者 lib : 10:43 PM | コメント (0)

September 27, 2007

断食月

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今月の12日からラマダンが始まりました。日本でしばしば断食月と呼ばれるものです。イスラムカレンダーの9ヶ月目に当たる日から30日間、イスラム教徒は一日で日の出ている間は断食(Fasting)をします。

今の時期ですと朝7時ちょっと前に日が出て、日の入りは7時くらいのはず。つまり、約12時間の間、彼らは食事(水分も含め)一切取らないことになります。妊娠中や病気をわずらわっている人、お年寄りや小さな子供(女性だと月経が始まる前の子供)は断食を行わなくてもいいことになっていますが、敬虔な教徒は自ら進んで行うこともあるようです。

ちなみに私の勤務校は生徒の90パーセント近くがムスリム(イスラム教徒)。場所柄、ほとんどがバングラデッシュ系の子供たち。そのほかにも中東系、アフリカ系のイスラム教徒もいます。そんな学校ですから、このラマダンという月は学校の行事表に載せられるくらい無視できない月なのです。

育ち盛りの子供たちが12時間も飲まず食わずいる。ムスリムの同僚に言わせると要は慣れなのだそうですが、それでもお腹が空いて間食ばかりしてた自分の成長期のことを考えると、断食という行為は私の想像を遥かに超えます。数年前までは私の持っていた断食をする人々のイメージは苦行を行う仏教の修行僧みたいなものでした。

子供たちを観察していると苦行に耐えているという印象はなく、わりと普通にすごしているようにも見えますが、授業に影響が出ることはあります。まだ断食に慣れていない7年生、8年生の中には具合が悪くなったりする子も。断食月も3週目くらいになると全体的に生徒の集中力が下がり、クラスが普段よりも落ち着かなかったりすることもあります。

さらにラマダンを理由に「居残り」(Detentionといってイギリスの学校では子供に与える典型的な罰)を逃れようとする子もいます。毎晩Break fast(断食を終える)の準備で特別な晩餐の用意のために母親たちを手伝う子が多いようですが、普通Detentionは15分のみ(規則上、それ以上長い居残りの場合は24時間前に保護者に了解を得なくてはなりません)。それを理由に15分間居残りできないなんてあるわけないんですが、子供はまぁ、あらゆる手段で必死に逃れようとするわけです(苦笑)。

幸いなことに3年も同じ学校に勤めている私の場合、彼女らも私がどういう教師か知っていますから、そういう見え見えの嘘をつく子は少なくなりました。そのかわり今年入った同じく歴史教員の同僚(白人イギリス人クリスチャン)にはあいかわらず必死に言い訳しているようです(笑)。私も勤めたばかりのころは、このムスリムの習慣をあまり分かっておらず、それを逆手にとって罰を逃れようとしたり、横柄な態度を取る子がいて苦労したのを思い出しました。

もし私が日本の学校に勤めていたら、このような宗教に関する事柄、ましてやムスリムの人たちの考えや習慣などに日常的に接し、色々考えさせられることはまずなかったでしょう。そういう意味でも様々な人種・文化・宗教が混在するロンドンで教師をしていてよかったなぁと思うのです。

投稿者 lib : 10:01 PM | コメント (3)

September 20, 2007

教師の敵?

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新学期早々風邪を引きました。そういうわけで、今日は「風邪」についてお話したいと思います。

一体、教師の仕事と風邪に何の関係があるのか?これが大有りなのです(少なくともうちの学校では)。

実は学校という場所は雑菌の巣窟です。必然的に風邪を非常に引きやすい環境なのです。では、雑菌が主にどこからやってくるのか。それは何を隠そう生徒たち。子供っていつどこで何を触ってくるか分からないもので、実際観察していると、食べ物を食べた手であちこち触ったり、うちのクラスでも自分の制服で机の汚れをごしごし拭いたり、、、。ちなみにその制服が毎日洗われることはないでしょう。親の衛生管理や躾がなっていないと言われたらそれまでなのですが。

正直に申しますと、イギリスは湿度や気温が年間を通して低いせいで日本ほど物にカビが生えたり、すぐに腐ったりしない。そのせいなのか、子供に限らず、どうも社会全体の衛生観念が日本よりも低いような気がするのです。それに加えて、お世辞にも綺麗で環境のいい地域とは言えない東ロンドンの一部の地域、特に食べ物を扱うマーケットがある場所は道端にゴミが目立ちます。悲しいかな、周辺に住む私の生徒たちも道にゴミが落ちている環境に慣れきっているんですね。うちの校舎の廊下にチョコレートマフィンが落ちているのを見たときは一瞬目を疑いました。最近ではサンドイッチが落ちていても驚きませんが、、、。と、自慢にならないですね。拾いましょう、生徒達!

さて、そういうわけで私の勤務校は目に見えない様々な菌が飛び交っているのです(と半ば決め付け?)。さらに不幸なことに、築10年というロンドンでは新築の部類に入る我が校舎は、防犯と安全のために窓が全開できないようになっています。教室によっては立て付けが悪いせいでその窓すら開けられないこともあります。実際に私の教室(こちらでは教師ではなく、生徒が授業ごとに部屋を移動します)も去年までは二つある窓が両方とも壊れて開かないことがほとんどでした。

皆さん、想像してください。初夏の暑い日、生徒30人(プラス雑菌軍団)、クーラー無し、窓開かず、あるのは小さな扇風機一つの環境を。そしてそこで100分間の授業がおこなわれることを(驚くことにこれが我が校の一時限の長さです)。

、、、息ができません。

実際、授業が終わった後の教室は人のにおいで溢れたサウナのようです。一回部屋を出て入りなおすとわかります。ロンドンで地下鉄(特に混雑時のセントラルライン)に乗ったことのある人はあれと似たようなものだと思ってください。冬はまだましですが。

このような環境で一度誰かが風邪を引くともう止まりません。一人、また1人と風邪は急速に広がっていきます。同僚の間でも同様です。私も何度うつしうつされたか。しかも声をたくさん使う仕事なので、少しでも水分補給を怠ると、疲れた喉が大抵先に細菌にやられます。風邪をあまりひかない自信のあった私も教師になってからは教師の商売道具(?)である声が出なくなり、欠勤せざるを得なかったこともありました。特に学期末、心身の疲れの溜まる時期は風邪の全盛期で毎回欠勤者が続出します。欠勤者の表に10人以上の名前が連なることも少なくありません(全ての人が風邪で欠勤とは限りませんが)。まぁ、ここはイギリス。「具合が悪くて人にうつすくらいなら休むべき」という暗黙の了解があるので案外皆あっさり休んでいるのかもしれませんが。実際、私が風邪の治りきらないまま学校に出たとき、欠勤者のために代理の先生を手配する役職につく同僚に「駄目じゃない、帰って寝なさい!授業は心配しなくていいから!!」と帰されたことがありました。有難いことなんですが、日本だと「這ってでも行け。任務を全うしろ」という考えが根底にあるような気がしていたので驚きでした。

ちなみに同僚の話では、教師は最初の3年間、免疫がほとんどないため特に風邪を引きやすいそうです。教師4年目の私は果たして丈夫になったといえるのか謎。

一体、今年も何回風邪を引くことになるのか、、、。表でもつけてみようかな、とふと思った私です。

投稿者 lib : 08:10 PM | コメント (2)

September 14, 2007

また一歩

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長い夏休みが終わりました。
久しぶりに会った同僚達の表情は明るく、休み明けのお決まりで「How was your holiday?」とお互いの休み中の様子を聞きあっていました。学期中は忙しくてストレスも溜まり、楽しい会話をする余裕がないこともあるのですが、今日は学校全体が和やかな雰囲気。私も同僚たちと会えてうきうきしていました。内心、英語忘れてたらどうしようと心配してたんですけど。

さて、初日はスタッフ全員参加のミーティングが開かれ、今年の学校としての方針・目標についてや授業が始まる前に用意すべきこと、夏の間に発表になったGCSEとA-levelというコースの試験結果などが報告されました。GCSEは強いて言えば、日本の高校レベル(ただし二年間ですが)、A-levelはそれよりも一つ上の教育課程で、大学に進学したい子供たちが進む二年間のコースです。A-levelは特にこの試験の結果で入学する大学が決まりますから、いわば生徒たちの人生を左右する大切な試験です。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、イギリスにはいわゆる学習塾・受験予備校といったものがありません。良い学校に通って一流大学を目指す子供たちは特別なサマーコースに参加したり、個人の家庭教師に教わったりするのかもしれませんが、私の知る限り、普通の公立では教師が試験のコツ、解答の仕方、問題の傾向などを教えます。イースター休暇中には補習授業をやったり、試験が近づくと放課後に試験対策のための授業を行う教師もいます。私は教師歴やっと3年になったところでやっと手探り状態を抜け出してきたところですが、やっぱり日本の予備校教師のようにはいかないなぁと悩むところです。詳しく書く機会があると思いますが、私の担当教科である歴史では、私がかつて日本で経験したように「とにかく暗記!」ではなく、自分の言葉で論理だてて説明することが要求されるので教えるほうも難しいのです。

さて、その歴史教科の試験結果ですが、私はGCSEのクラスを一つ受け持っていたので休み中もかなり気になっていました。しかもこのクラスはコースの初めから通しで2年間受け持ったクラス。初めの頃はクラス経営に悩んで同僚達に助けてもらったこともありました。でも、二年目だった去年は「今日の授業すごく面白かった」と言ってくれる生徒もいて、「教師をやっていて良かった」と思えるくらい励みになって教えるのも楽しかったのです。思えば、初めて日本人としての私を素直に出せた生徒達でした。日本に生まれ育ったからこそ教えられること(例えば、冷戦との絡みで朝鮮戦争や現在の北朝鮮の話をしたり)もあるんだなと自信につながったのです。同時に私を心底悩ませる生徒達もいて、彼女らとのバトルも多々ありましたが(笑)

そんな思い入れの深い私の生徒達。嬉しいことにたくさんの子達が私が予想したとおり、もしくはそれを上回るよい結果を出しました。歴史科全体としても上位の成績に当たるグレードA*(エースターと読みます)からCまでを取った生徒が67パーセントと去年よりも大幅に上回る好結果。ロンドンの中では比較的貧しい地域に当たる東ロンドンの公立で決して学力の高い子がそろっているとは言えない我が校にとって、これは本当に嬉しいことなのです。実際、去年半ばに産休・育休に入った同僚の代わりに学科主任を務めている身としてはほっと胸をなでおろした瞬間でした。

さぁ、私の「教師モード」のスイッチが入りました。休み中は教師という肩書きをはずし、「ただの私」に戻ってしまうので。今年は教師4年目。今までのように「まだまだ新米だから」と周りを頼ってばかりいられません。同僚を指導する機会も多くなるでしょう。ここからどう自分が前に進めるか、緊張感が増す瞬間です。

投稿者 lib : 12:06 AM | コメント (3)

September 06, 2007

みなさん、こんにちは。月子と申します。

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この度、こちらでブログを書いてみないかというお話をいただきまして、筆を取る(正確にはキーボードを打つ、、、ですね)ことにしました。友人向けの日記はSNSで度々書いているものの、ブログを書くのは人生初。一体どなたがお読みくださるのか、どきどきしています。

さて、私は何者なのでしょう。

こちらで職業を聞かれたら、「Secondary school teacher」と答えます。イギリスでは公立校は中高一貫が普通で、Secondary Schoolと言われます。私は3年ほど前から東ロンドンにある公立の女子校で歴史を教えているのです。

私がなぜイギリスの公立校で教師をすることになったのかは、またの機会にお話しすることにして、今回は夏休み中ということで、イギリスの教師の休暇中の実態(?)について書きたいと思います。ただし、あくまでも私の勤務校での経験に基づくものですから、その辺の程、ご了承くださいませ。

地域によって異なるかと思いますが、イギリスのSecondary Schoolは9月の新学年度の始まりの前に5-6週間の夏休みがあります。

さぁ、この長い休み、教師たちは一体何をしているのでしょうか。

答えは、、、休暇をひたすら楽しむ・活用する、です。

事務員と違って、教師は基本的にイースター休暇・クリスマス休暇・夏期休暇の間に学校に出てくることはありません。Half-term holidayといわれる一週間の学期の中休みにも補習授業があったり、よっぽど仕事がたまっていない限りは出勤することはないのです。休み中は教師の本業である「Teaching」の場である授業が行われないから、教師が出勤するは必要ないという考え方が根底にあるようです。よって学校側が教師に登校を強制することはありません。強制しようとすれば、「権利侵害」と労働組合を巻き込んで大騒動になるでしょう。

こんな環境で教師が休日出勤すると一体どういう反応をされるのか、、、。

結構変人扱いです(笑)

実際、たまった仕事を片付けようと休暇中に出勤した私を見た用務員のおじさんは「休みなんだから学校なんかにいたらだめだよ。」と奇妙な視線を向けて一言。

では、同僚たちは具体的に何をしているのでしょうか。例を挙げれば、数年前の夏休みに私の上司に当たる学科主任が6週間にわたるアメリカ大旅行を決行。彼女はなんと終業式の日に旅立っていきました。彼女の場合、中間管理職でお金に余裕があったのと、独身で家を長期で空けられるからだと思いますが。(私にはとても6週間は、、、)

私の学年主任にいたっては、「私は教師歴25年だけど休み中に一度も出勤したことがない。休みは休むものだから」と断言。彼女、学年主任の仕事はきっちりとこなしながら、私の所属する教員労働組合の我が校の代表でもあるんですけれど、なるほど「休みは働くものの権利」なのですね。日本で教師をやっている友人に申し訳ないと思うくらい、こちらでは「休みは休み」なのです。

確かに周りを見ても休日出勤をする教師は少数派。普段も授業が終わると早々に学校を後にする同僚が結構多いのが現状です。普段から勤勉・勤労と程遠いと思っている私でも学校が閉まる午後6時までいることが多いのに。同僚達は一体いつ仕事をこなしてるのかと首を傾げたくなります。自宅で教材研究をしている熱心な先生もいるとは思うんですけれど、、、(というかそう信じたい)。

そんな環境で日本の感覚で仕事をすると「月子はまじめだ。働きすぎだ」と言われます。3年間でだいぶ怠け者になったと思ったのに。

イギリス人と関わる職場で働いていらっしゃる方はお分かりかと思いますが、彼らは仕事とプライベートをきっちりと線引きして考えています。どっちが優先かといえば、もちろんプライベート。教師という責任ある仕事ですし、別に同僚たちがいい加減に仕事をしているわけではないのですが(見方によってはそう見えなくも無いですが)、驚くほどに要領がいいのです。与えられた時間でどれだけ「最小限の苦労と努力」で仕事をこなすかにかけたら、彼らはぴか一。その姿勢を学ぶべきなのか否か、私の心の葛藤は続きます、、、。

ちなみに同僚どうしで「夏休みまであと何週間残ってる?」なんて毎週聞きあうのは日常。

休暇を待ち望む心。まぁ、これはきっと万国共通ですね。

投稿者 lib : 10:45 PM | コメント (3)